八重山の思い出その7

[Topへ]

帰りの高速船で

 帰りの高速船では、さすがに後部座席に向かう気力はなく、私は緑シャツやちゅらさん組みと船内に座り込んだ。緑シャツがさっそく明日の予定を聞いてくる。
「明日はフリーだけと、みんなどうするつもりだ。俺は一緒に来るはずの友達が病に倒れ、譫言のように八重山八重山と繰り返すので、せっかくの旅行が一人旅になってしまった。俺のためにも皆で一緒に観光しないか。」
 さすが緑シャツだけに単刀直入だ。「それは構わないが、石垣島巡りをするつもりなんだけど」と私が答えると、ちゅらさん組みは小浜島でちゅらさん詣でをする予定だったが、どうせなら石垣島も観光したいと欲張りなことを言い出す。前の席に座っていたガイドさんが振り向くと、「それでは私が計画を練って小浜島観光をしてから石垣島を周遊するルートを考えてあげましょうか」と合いの手を入れるので、皆は大喜び、意志も荷も無く賛成した。
「お暇でしたらどうです、奮発して一緒に出かけませんか」と私が言うと、「では私が運転手をして差し上げましょうか」とその気になってくれたので、よろしくありがとうと頭を下げると、彼は気さくに了解した。
「それでは朝のうち小浜島観光に参加して、午後は石垣島を巡ることにしましょう。私は昼まで観光事務所に用があります。桟橋まで送りますからあなた方で小浜を楽しんで、午後から一緒に石垣島をドライブしましょう。自動車は私が準備しておきますが、誰かレンタカーを借りた人はいますか」と聞くから、「実は明日取りに行く予定です」と手を上げると、「会社を教えて下さい。阿漕(あこぎ)なドタキャンをして差し上げます」とまじめに言うから思わず笑ってしまった。他の3人は迂闊(うかつ)にも手配も計画もないようなので、私だけドタキャンお願いして、万事ガイドさんに任せることにする。
 石垣島の離島桟橋に着くと、私達ツアー客はバスに乗り込んで、2日目のホテルに向かった。誰もが疲れたようで、バスの中は静かなものだ。質問じいさんはぐっすり眠っている。途中石垣島の中心線付近を南に流れる宮良川(みやらがわ)の河口で、しばらくバスを止めてマングローブを眺めることになった。質問じいさんはバスで眠ったままだが、娘連れの中年女性も、運転手と一緒にバスに留まって、背の高い娘だけが降りてきた。
 この宮良川のマングローブは、面積としては国内最大のヒルギ群地帯とされ、長さ1.5kmに渡って国の天然記念物に指定されているそうだ。海近くや流れの速い場所ではヤエヤマヒルギが育ち、流れの安定した場所にはオヒルギが成長すると、ガイドさんが説明している。河口付近は地元ではカーチビ(川尻)と呼ばれ、干潮時にはその干潟で、砂を返され捕獲されるドジなシオマネキなど、様々な生物が顔を覗かせるので、潮干狩(しおひが)りも楽しめるという。また河口付近にある観光ツアーのお世話になると、川をカヌーで逆上ったり、シュノーケルをしながらの自然観察が楽しめ、カヌーは初心者でも簡単に出来るらしい。
 しかし残念ながらツアーのスケジュールには無いので、海へ向かう穏やかな宮良川と、マングローブの揺れる深緑を眺めてバスに戻った。まだ18時前なので、頑張って白保の海まで出張しようという欲張り企画なのだ。聞いた話ではこれでもゆったりした方で、東北や北海道から観光客が押し寄せる冬場には、想像を絶する時間との格闘によって、名所を駆け抜ける恐怖ツアーもあるそうだ。

白保(しらほ)

 白保もまた古い赤瓦の村落が良く残された集落である。サンゴ礁の岩を積み上げた石垣も残され、ちょっと集落を歩いてみたい気がしたが、バスは集落の中にある小学校や、白保の豊年祭が行なわれる嘉手苅御嶽(かでがるおん)を紹介がてらに通過しながら、ガイドさんが「この御嶽は男性は入ってはいけないのですよ」などと説明して、やがて海に出た。
 夕方の6時を過ぎているが、日の入りが1時間遅いので、明度は落ちてもなかなか暮れがこない。白保の海はぶっきらぼうに静かだった。私達以外に浜辺には誰もなく、サンゴ礁の岩肌と、サンゴの砕けたじゃりじゃりした砂地は、そのまま寄せる波に至り、遙か太平洋が真っ平らに広がっている。島も何もない海岸線は、隆起した半島や離れ島の作り出す景観には乏しいが、大分傾いた陽射しを受けた群青色が、海岸に近づく途中に白波を立てて、その内側は白絵具を混ぜたような、サンゴ礁の内海になっている。私達の向こうには、岩をそのまま並べて囲った船着き場があり、サンゴ礁をガラスの底から見学するグラスボートなども、ここを港代わりに出発するそうだ。2艘の船が停まっていて、オレンジ色の陽射しが操縦席のガラスに反射していた。
 肌寒い冷気が風に混じって、私は何となく淋しさを感じたが、緑シャツさっそく貝殻を探し始め、4人家族は海を背景に写真を撮り出し、子供達はサンダルを履いて海水に足を浸している。感傷に耽(ふけ)っているのは私だけだった。白保の説明はバスの中で済ませたが、例の質問じいさんがガイドさんに「空港が白保を埋め立てる騒ぎの頃だったかな。昔訪れたことがあるんだよ。」と言い出したので、「そうでありますか。空港問題はサンゴ礁保全運動を巻き起こし、世界有数のサンゴ礁崩壊をすんでの所で阻止したのでありました。」
「しかし新空港建設が国に許可されたんだろう。前にニュースで報道されていたのではないかね。」
「ええ、何度も棚上げと変遷を繰り返した後、白保より北方にあるカラ岳を平らにして新空港を建造する案が、国の許可を取り付け、実現に踏み出しているのです。ところがカラ岳も豊かな自然を持ち、工事の過程で赤土が流れ出さない保証も覚束なく、白保のサンゴ礁に影響を与えるのではないかと、難しい問題を抱えているのであります。」
「空港があれば便利だろうし、経済も潤うから推進したい。しかし観光の元種が崩壊して、誰がこの島に足を踏み入れるものかと、双方に言い分があるからのう。」
 2人はしばらく海を眺めていたが、「そういえば思い出したが、潮が引いた後になると、あの白波が立っている辺りまで、たしか歩いて渡った記憶があるんだが。今でも渡れるものかな。」と聞くじいさんに、「この先にあるワタンジという自然の橋が、干潮時には顔を出し、サンゴ礁の縁(ふち)であるリーフのところまで、今でも変わらず達しています」と遠くを指さした。
 2人の会話にあるように、ここは世界有数のサンゴ礁を抱えるすばらしい海で、その美しさは潜って始めて納得出来るそうだ。近くにはサンゴ礁保護研究センター「しらほサンゴ村」もあり、白保のサンゴ礁についていろいろ学べるから、慌ただしい駆け込みツアーでなければ、ぜひ訪れたいものだ。そこで知識を得た後は、地元の観光業で行なわれているシュノーケリングやダイビングコースに参加して、この白保の海に乗り出すのが、白保観光の醍醐味(だいごみ)である。したがって私達の観光は、ほんのお裾分けに過ぎないぐらいだ。他にもボートの底から海を眺める簡単コースでも、豊かなサンゴ礁の片鱗に触れることが出来る。ところでダイビングはともかく、シュノーケリングというのは何物か、無知な私は興味もないジャンルなので、何も知らなかった。なんでも30センチぐらいの呼吸ホースをシュノーケルといい、これを口にくわえて、水中眼鏡を付けて顔を浸(ひた)したまま、シュノーケルの先だけ海面に突き出して、呼吸をしながら足にフィンをつけて泳ぐ海中散策のことを、シュノーケリングと呼ぶそうだ。つまり酸素ボンベを担ぎ海中に進出する一歩手前の、初心者でも簡単にサンゴ礁を楽しめる、お薦めの観光手段になっている。今度来たときには、ぜひ海中世界を知りたいと私は決意した。すっかり再訪する気になっていたのだ。
 突然緑シャツが「でかいのを見付けた」と叫びながら、駆け寄ってきた。手には薄い赤線の入った大きな貝殻が握られている。きざきざ付きの灰皿のような形だ。ガイドさんに尋ねると、サンゴ礁内生物であるシャコ貝の破片だそうだ。シャツはこれをカバンの中に入れたので、ガイドさんが「一晩薄めた漂白剤に付けておくと綺麗になります」と教えてくれた。遠くのちゅらさん組みは貝殻探しを止めて、船着き場近くの海を覗いたり、写真を撮ったりしている。さっきより光が陰ってきた、そろそろ自然も夕暮れの準備を始めるのだろう。私は近くの岩に腰掛けて、何となく手帳を取り出して、落書きを加えた。

海の彼方に花が咲き
笑い声した島がある
愁いや災いなくしたような
陰りの来ない島がある
この海漕いで風を受け
誰かが待っているような
想いが寄せる砂浜に
貝殻だけが打ち寄せる

 昔、島の人たちは、海を見てそんな想いに誘われて、舟を漕ぎ出しはしなかったろうか。遙か南のどこかの島にパラダイスがあるという、沖縄のニライカナイ伝説も、果てなく寄せる波の誘惑が蜃気楼を見せたのかも知れない。私は最後に落書きの上に「にらいかない」と題名を付けて手帳を閉じた。また風が吹き停泊中の船がゆらりと揺れる。やがてガイドさんが「戻ります」と合図をすると、私達はバスに乗り込んで、静かな浜辺を離れる。海の見える海岸近くを少し北上して景観を楽しみつつ、ゆっくり回り道してホテルに辿り着いたのだった。

そしてホテルへ

 白保から少し宮良川に戻る辺り、ようやく色を失い始めた夕暮れを、ホテルは牛達が飼育されるような、暢気(のんき)な丘に建っていた。周りには牛の鳴き声以外、住宅もあまりないようだ。ホールに入ると右手には小さな土産屋があり、左手にはフロントのカウンターが、そして正面奥はレストランが構えている。さっそくホテルの従業員が「オーリトーリ」と言って、私達を迎えてくれた。それからガイドさんがホテルと夕食について説明して、順番に部屋の鍵が配られたのだが、さすがに皆疲れたのだろう、会話も少なくエレベーターの方に歩いていった。夕食までの間、部屋でリラックスしてお茶でも飲むつもりかもしれない。土産屋のおばさんは、客が来ないのでちょっと残念そうだ。ちゅらさん組もさすがに土産屋には目もくれず、後で遊びに行くと言って先に部屋に向かった。
 「俺達も早く部屋に入ろうぜ」と緑シャツは非常に元気だ。実はガイドさんが部屋を交換してくれたので、私とシャツが一緒の部屋になったのだ。ホテルがガイドさんに用意した少し良い部屋らしかったが、ありがとうと鍵を貰ってさっそくエレベーターに乗った。部屋のドアを開けるとさっそくシャツが騒ぎ出す。部屋を見て回りながら、「ベットルームが別にある」とか、「風呂が外にもう一つある」とか、「マッサージ器だ、快適ライフ」と訳の分からないことを叫んでいる。まったく疲れ知らずな奴だ。それにしてもテレビもリビングルームとベットルームにそれぞれあるし、風呂が2つもあるのは贅沢だ。ガイドさんに感謝しつつコーヒーを入れていたら、ちゅらさん組みがさっそく遊びに来て、部屋に入るなり「外に風呂がある」とか「2人だけずるい」と言って騒ぎ出した。
 すこし話をしてから、夕食のため一階に降りて、レストランの4人席に着席すると、メニューが配られた。今日のディナーはチケットを使用して、好きな時間にレストランで楽しめるので、席には大分ゆとりがある。宿泊客自体、私達のツアーを除いて、団体は居ないようだ。メニューを開くとステーキのコースなどが並んでいる。しかし明日はガイドさんが石垣牛を紹介してくれるから、今日は肉は控えようとちゅらさん組みが提案して、私もいろいろ試してみたいので、魚料理を捜して「これにするよ」と決めた。ちゅらさん組は散々悩んでいたが、結局私と同じ料理にしたので、ステーキと迷っていたシャツも同意して、4人揃ってミーバイという魚のコースを頼むことにした。ウェイターが来たのでミーバイについて尋ねたら、当地の言葉でハタ類を総称して呼ぶのだそうだ。ハタと言っても、実際はマハタにアカハタ、クロハタと60以上もの属と、450もの種に分けられるはずだが、名前を聞いてもどうせ分からないから止めておこう。私達はミーバイのコース4つと、お洒落気取りの赤ワインを注文した。
 ミーバイを待つ間、緑シャツが突然「イングリッシュミーバイ」と言い出した。続けて「アイ、マイ、ミー」と嘘くさいイントネーションで発音するから変な奴だと思って見ていると、ゆっくり言葉を強調しながら、「アイバーイ、マイバーイ、ミーバイ」と変な表情で唱えてから、おかしな抑揚を付けて「そしてオレバーイ」と締め括ったので、一人壷(つぼ)にはまった眼鏡が静かなレストランで吹き出して、お陰で私達全員が白い目で見られてしまったではないか、この愚か者めが。睨んだ眼鏡に緑シャツが「許して欲しいバイ」と言うから、眼鏡が「許さんたい」と突っ込むと、ベレー帽が「鯛じゃないわ、ハタよハタ」とまじめとも冗談とも分からないことを言って、静かに笑っている。それを斜めに見た私は、えくぼが可愛いではないか、と思わずどきりとしてしまい、慌てて頭を振った。いけない、いけない、紀行文が恋愛小説に陥ってしまうところだ。どうも南の島に来ると、精神まで溶けて柔らかくなってしまうようだ。ウェイターが迫ってきたので、私は「お静かに願います」と注意されるのかと思って慌てたが、彼は「ワインです」と言ってデカンタとグラスを席に並べると、音もなく立ち去っていった。
 ワイングラスをかち合わせて喉を潤すと、順番に料理が届けられ、スープ、野菜、メインのミーバイソテーとライスを楽しんだ。フォークを口に運ぶとミーバイ料理は、はかない淡泊さをソースで支えてしかも殺さずといった所で、それはどんな味か問われても困るが、なかなかに美味しかった。ミーバイをナイフで分けていると、後ろから声がする。不注意にも気が付かなかったが、例の4人家族が一席空けて腰を下ろし、食事も終わったらしく、コーヒーを飲みながら会話を楽しんでいるようだ。話の前後は分からないが、なんでも少子化問題から進んで、親父が「子供を作ってからの方が学ぶことも多く、本当の人生だ」と言いだして、転じて白い息子に結婚を迫っている。
 面白いので耳を傾けていると、白い息子が突然「社会的に見て、比較的子供を産み育てることに専念する世代と、子孫よりも自分達の人生を謳歌(おうか)したいと考える世代は、経済発展の状況やその国の政治社会の状況と成熟によって、経済成長率や景気のインフレとデフレの交替のように意識が移り変わる。そしてそのようなパラダイム変換は、古代ローマ時代からずっと続いている」と言いだしたので、親父の方も「そうだ。大きな視点で見ると、そのような考え方や価値観の変遷が、その国の、その社会の、あるいは世界の人口バランスを調整をする意味を持っているのかも知れない。経済的に遅れ貧しい国では沢山の子供が生まれるが、同時に沢山の子供が亡くなり、それが発展途上で経済成長している状況になると、死亡率も減り増加する子供達が経済発展の人的材料となっていく。一方成長がなだらかな先進国では、豊かになった人々は余剰資本を享楽に投資し、自らの生活を楽しみ子供の数は減少し、その比較的横ばいの成長を維持するような出生率になる。だからこそ発展途上国が先進国に追い付くことが出来るのだが、追い付くと今度は出生率が下がってくる。現在の日本の出生率の低下も、大きく見ると経済成長後の必然として起こり、危機的状況に陥れば、再び子育て支援の政策が打ち出され、子作りのスローガンが掲げれられ、僅かに上向きに回復される。出生率の急増と急減を越えた日本では、これからあるラインを維持する時代に入ってきたのかも知れない」と、ハイビスカスに紛れ顔だけ出していた中年親父とは思えないようなことを言いだした。沖縄では経済所得は全国平均を下回り、にも関わらず出生率は非常に高いので、話が沖縄事情に移るかと期待したが、すかさず母親が「でもひとりひとりが子供を産むかどうかは、その人の意識の問題よ」と言うので、親父もそうだと賛成して、せっかく話を反らし掛けた白い息子は、また結婚して子供を作られと突っ込まれている。困って妹に「そうだぞ、分かったか」と振ったところ、「年上のあにいを差し置いて結婚は出来ないし」と切り替えされ、簡単に打ち負かされて苦いコーヒーを飲み干した。
 ちょうどそこでベレー帽が連続テレビ小説「ちゅらさん」の話を始めて、こちらもコーヒーを飲みながらのおしゃべりタイムに入ってしまったので、彼らの会話は分からなくなってしまった。しばらくは喋っていたようだが、思い出してそっと振り向くと、いつの間にか居なくなっていた。私達の席では、全員が「ちゅらさん」を見ていたことが発覚して、ファミリーレストランなみに盛り上がってきた。しかも後から作成されたスペシャルドラマの「ちゅらさん2」と「ちゅらさん3」まで、録画して何度も繰り返したというから驚きだ。実は私も、今頃になってゴーヤーマンを購入しようと決意している隠れファンである。当然話も膨らんでコーヒーが冷めるほどだったが、緑シャツが主人公の兄の物まねをしますと宣言して、静かなレストランを震撼(しんかん)させる気配だったので、私は慌てて続きは部屋で聞こうと立ち上がり、物まねだけは回避しておいた。これ以上騒いだら、ウェイターから蹴り飛ばされるに違いない。
「それよりまずガイドさんの部屋に行って、明日のスケジュールの打ち合わせをしないと。」そう言ってロビーに出ると、左奥の土産屋では4人家族が、商品を手に取ったり帽子を被ったりしている。私達も明日あの店に寄ってみよう。その後、階段を登ってガイドさんに確認を取って、部屋で緑シャツの物まねに大笑いして、ホテルの大浴場で疲れを取ると、さすがに長い一日の疲れからぐっすり寝込んで、気が付けば翌朝の7時30分になっていた。

2006/05/16
2006/08/24改訂
2006/9/18再改訂

[上層へ] [Topへ]