八重山の思い出その8

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3日目の朝

 八重山の観光ツアーに紛れ込んだ旅行も、次第に賑やかになってきた。携帯電話のアラームに驚いて布団をはね除けると、寝坊を許さないほどの音楽が鳴り響いたのに、隣の緑シャツはぐっすり眠っている。私はベットルームを抜け出して、リビングのソファーに腰を掛けよう。窓の外を眺めると、手すりに掴まった小鳥が元気よく飛び立った。嬉しくなってガラス窓を開ければ、朝の空気が流れ込み、鳥達の囀(さえず)りや牛達の鳴く声までが風に乗って、ホテルの生活音もざわざわと心地よく、遠く波の音さえ聞えて来るような気がした。
 私はポットのお湯でサンピン茶を入れて、ベランダに出て腰を下ろした。机からお茶の良い香りが漂ってくる。このサンピン茶というのは、つまりジャスミンティーのことなのだが、大陸との関わりが濃い沖縄では、中国のジャスミンティーが非常に好まれ、緑茶でも飲むように生活の必需品となっている。朝の景観を楽しみながら、携帯電話で調べたところ、ジャスミン茶の製造方法やサンピン茶という名称の由来が載っていた。
「巨大中国には格式高き6つの代表的なお茶、六大茶の他にもいろいろなお茶が存在し、その中に花茶(ホワチャ)という種類がある。これは茶葉が香りを吸着する特徴を生かし、緑茶やウーロン茶などを製造する過程で、様々な花の香りを移した香り茶である。そのうちジャスミンの花びらを使用したジャスミンティーは、中国では茉莉花茶(モーリーホワチャー)とか、香片茶(シアンピエンチャー)と呼ばれ、非常にポピュラーなお茶であり、香りの移し終わった花びらは取り除いてあるのが一般的である。」
 つまりこのシアンピエンチャーと言う言葉が、沖縄訛ってサンピン茶となったらしいが、ジャスミンの花自体はルーツがインドにあるのは面白い。その刺激の強い香りは、胃腸の活性化を図る一方で、鎮静効果があり自律神経の緊張を和らげるという。
 湯気の揺らめきを軽く吸い込みながら、ぼんやり景観を眺めていると、少し高台のホテルから遠く下った先に海が広がっている。スケッチをしても背景に沈むぐらい離れているが、昨日通った宮良川の河口付近も視界に入っているのだろう。その先は海岸線が外側に曲線を描いて、奥に見えるシルエットは石垣島の繁華街だ。ホテル周辺に目を移せば、住宅が緑の中に顔を出している。昨日は気が付かなかったが、この辺りは宅地化が始まっているのかも知れない。右手の奥には山々が連なり、遠くそびえるのは石垣島最高峰の於茂登岳(おもとだけ)ではないだろうか。確かパンフレットには標高526メートルと書いてあった。
 放し飼いの牛が時折(ときおり)声を上げ、爽快なサンピン茶の味が心地よい。昨日は牛の臭いが気になったが、風向きのせいか、はたまたジャスミンのせいか、まるで気にならなかった。空は残念に雲が多いが、今日は日が出たり曇ったりだという。携帯で天気予報を見たら最高気温は25度と表示された。8時が近づいたので朝食に向かおうと戻ったら、緑シャツも目を覚ましたようだ。「おはよう」と寝ぼけ加減に挨拶を交すと、気の早いちゅらさん組みがドアをどんどん叩くので、緑シャツを引きずり出すようにして朝食に向かった。
 ホテルの朝食は、昨日のレストランがご自由にお取り下さいのバイキング会場に生まれ変わったものだ。料理は庭へ出る窓際に横一列、サラダはガラスボールで括(くく)られて、おかずは白い四角盆に乗せられて綺麗に並んでいる。私達は席を決めると、サラダとおかず、ご飯と汁物をよそって、飲み物を用意して「戴きます」と箸を伸ばした。
 バイキングには沖縄らしい料理が幾つも並べられている。様々な果物は記すまでもないが、例えば炒め物料理の中には、パパイヤを野菜で炒めたものがある。沖縄では熟する前のパパイヤを、野菜として調理するのが一般的なのだそうだ。また当地ご自慢のゴーヤー、つまりニガウリと、パパイヤの漬け物もあったが、大根やキュウリほどの相性は感じなかった。
 汁物コーナーにはアーサー汁が用意されている。これは沖縄の代表的な汁物で、普通塩味の吸い物に生姜で風味を整え、アーサーと島豆腐が入っている。アーサーは、沖縄では岩場で簡単に取れる馴染みの海藻で、細い筋(すじ)のような食感が汁物に溶け込むようで非常に美味しい。本土でもスーパーで「アオサ」として売っているが、この場合アオサ科とヒトエグサ科の海藻を総称しているので注意が必要だ。沖縄でアーサといえばヒトエグサ科の海藻を指すから、アオサ科の海藻を購入すると、風味や食感が異なる場合がある。後で気が付いたのだが、ヒトエグサ科の海藻であっても、アーサー汁に相応しいふくよかな海草と、ふりかけに相応しいようなぱさぱさした海苔のような海草があって、よく本土で売られているアオサは、ヒトエグサ科であっても、アーサー汁には全然向いていないものが多いようだ。
 ホテルのバイキングのアーサー汁は、塩ではなく味噌で味付けされていた。ちょうど生姜を加えたみそ汁のようで、さっぱりしながら深みがある。旨い旨いと感心して吸っていると、ベレー帽がどんな味か尋ねるから、「アーサーの新鮮な海藻の柔らかさを、さっぱりした生姜味噌のプールに溶かし込み、泳ぎ回る豆腐の姿が嬉しくて、そのままの鮮度で流し込むような味だ。踊りを思いだした海苔(のり)が、全身ふにゃふにゃになってワルツでも踊っているような」と言ったら、この美味しんぼを越えた感想には誰も付いてこれなかったようで、すでに口を付けた2人は笑っていたが、ベレー帽はまったく分からないので、「もういいです」と言って自分でよそって持ってきた。
 早くも食事を終えた緑シャツは、食後のフルーツに移ってしまって、「山積みパイナポー」と言いながら、てんこ盛りの皿を食卓に置いた。一番遅いのはベレー帽で、ご飯ではなくパンを持ってきて、「やっぱりご飯が良かったのに」とぼやいている。途中でガイドさんが遣って来て、9時15分になったら出発しましょうと告げて部屋に帰っていった。
 ベレー帽を待ってレストランを出ると、例の家族がまたしても土産屋を占有している。面白そうなので「ちょっと土産屋を見ていかないか」と提案すると、土産に命を燃やす2人組みは直ちに賛成し、店の方に走って行ってしまった。中に入ると八重山の特産品が一通り揃っているようだ。チンスコウやサーターアンダギーなどの定番お菓子に、おやつ替わりのゴーヤーチップ・紅芋チップなども置いてあるし、一方ではミンサー織の工芸品や、伝統的製法で作られた衣類なども揃っている。
 私達が入り込むと、ちょうど店のおばさんが、白い息子の顔色に驚いて、「そんな白い肌じゃ駄目さあ、もっともっと焼かなきゃ、お嫁が来ないさあ」と説教しているのが面白かった。彼は家族からも「帽子を買わなきゃ駄目だあ」と注意され、勝手に土産を物色している妹よりも子供の扱いを受けている。長男は慎重に育てられすぎて、端で心配になるような虚弱な一面を、成長しても持っているものだ。そういえば雑誌に書いてあったが、長男が家を継ぐ伝統の色濃い沖縄では、男子が産まれるとすぐ「嫡子(ちゃくし)、嫡子」と可愛がられ、家族どころか親戚中から大切にされて、自立しない長男になりやすいそうだ。私も長男だから、自分の性格が心配になってきた。旅行に来る前も全然駄目だったし、白い息子を笑ってばかりはいられない。ちゅらさん組みはミンサー織の実物を見つけて、「ミンサー織の5つと4つの意味はねえ」「エリィ!」と番組の台詞を並べて盛り上がっていたが、時間がないので2人を連れ出して、部屋で準備を整えホテルを出発すると、ガイドさんがグレーの車から手招きをしている。さっそく乗り込んでアクセルを踏めば、向かうのはまたしても離島桟橋だ。

小浜島へ

 ガイドさんが観光事務所で手続きをする間、ちゅらさん組みは土産屋の店頭に出張し、緑シャツはちょっと先にある手洗いに消えた。朝の離島桟橋は忙(せわ)しなく、沢山の人々で溢(あふ)れ返っている。気さくな服装の肌黒い男達は島人(しまんちゅ)だろう、その向こうには明らかなツアー客達が、案内人の後ろをぞろぞろ歩いていく。近くでは人々がすれ違う中に、お婆さんが若い孫を連れて桟橋を目差し、タクシーは人混みをかき分けかき分け無理に進んでいった。石垣の離島桟橋はなかなか活気に満ちている。私は手帳を取り出して、少し考えてから走り書きにした。

桟橋からしぶきが上がる頃
朝鳥の忙(せわ)しなさで人波は揺れる
吹けよ潮風、我が小さな体を抜け
吹けよ潮風、賑わう町並み駆け抜けろ
港を越えて海を越え、この思いを伝えるために

 ざわつく人波を眺めていると、ガイドさんが観光事務所から現われ、緑シャツも戻ってくる。しかしちゅらさん組みは帰ってこないので、緑シャツが2人を呼び戻し、ガイドさんから「行ってらっしゃい」とチケットを貰うと、私達は桟橋に向かった。教わったように「にぬふぁぶし」と書かれた船に乗り込む。にぬふぁぶし。沖縄の民謡「てぃんさぐぬ花」の歌詞に
「夜走(ゆるは)らす船(ふに)や、子ぬ方星(にぬふぁぶし)目当(みあ)てぃ」
と歌われる、北極星の呼び名である。船に乗り込むと、結構な人が座っている。私はちょうど窓際だったので、日焼け止めクリームを塗りながら、広がる海を眺めていた。4月の曇り空でも油断をすると、黒く日焼けするほど紫外線が強いのだ。モーター音がうるさいので安心して、「てぃんさぐの花」を小声で口ずさんでみる。私は好きな沖縄歌手のCDを聞きながら、少し覚えて来たのだった。

1.てぃんさぐぬ花(はな)や
爪先(ちみさち)に染(す)みてぃ
親(うや)のゆし事(ぐとぅ)や肝(ちむ)に染(す)みり

2.天(てぃん)ぬ群星(むりぶし)や
読(ゆ)みば読(ゆ)まりしが
親(うや)のゆし事(ぐとぅ)や
読(ゆ)みやならん

3.夜走(ゆるは)らす船(ふに)や
子ぬ方星(にぬふぁぶし)目当(みあ)てぃ
我(わ)ん生(な)ちぇる親(うや)や
我(わ)んどぅ目当(みあ)てぃ

 歌詞は3番以降も続いていくが、私が知っているのはそこまでだった。歌詞も2番と3番が逆になっていたり、後続の歌詞が異なるものがあったり、発音も地域で少し変わるそうだが、沖縄地方で広く歌われる有名な民謡だ。3番までなら何とか意味も分かるが、この民謡は子供に聞かせる教訓歌であり、子守歌であり、また親への感謝の歌でもあるのだろう。三線に乗せて歌われると、深く心に染み込んでくる。せっかくだからお優しい大和言葉でも紹介しておこう。

1.鳳仙花(ほうせんか)の花は爪先に染め
親の言うことは心に染めなさい

2.天に群がる星は数えられないことはない
親の言うことは限りないものです

3.夜を行く船は北極星を目当てにして
生みの親は私の成長を目当てにします

 しかし昼走(ひるは)らす船(ふに)は小浜島(くばまじま)目当(みあ)てぃであるから、親(うや)のゆし事(ぐとぅ)など考えている暇はない。私はパンフレットを開いて、小浜島の地図を眺め出し、ちゅらさん組みも期待が膨らんで話が盛り上がっているようだ。緑シャツが「あれ、あいつらも小浜に行くのか」と前方を指差したから、顔を上げてみたらどうも驚く、例の家族4人組みが腰掛けているではないか。この調子だと、同じバスになる予感がした。観光コースなど限られているはずだ。
 さて、ちゅらさんファンなら「ちゅらさん3」において病気の母親を持つ愛子ちゃんが、小浜節(くもまぶし・くもうぶし)に乗せて踊るシーンに感動し、うっかり涙した人がいるかもしれない。その小浜節はヒロインの父が初めの頃から歌っていたもので、番組の中でも重要な民謡になっている。歌詞は
「小浜(くもま)てぃる島(しぃま)や果報(かふ)の島やりば、大岳(うふだぎ)ばくさでぃ白浜(しるぱま)前(まい)なし」
と歌い始め、
「果報の島小浜は大岳を後ろに白浜を前に。
その大岳に登り見下ろせば稲や粟が実り豊かな世を。
稲や粟の色は二十頃の娘のように粒の美しい所を上納します。」
という内容で歌われていくものだが、歌詞にある大岳(うふだけ)を中央に持つ小浜島は、西表島のすぐ東に位置し、サトウキビ産業とリゾート地で知られる八重山諸島の一員だ。石垣島から14km、高速船で約25分、小さな港に到着した私達が降り立つと、ターミナルには「旅ぬかろい」という文字が記されている。これは「旅の安全を」という意味だそうだ。
 ガイドさんから手渡されたチケットを見せ、駐車場に止まっている観光バスに乗り込むと、やはり例の家族4人組みが座り込んでいた。しかも最後列を占領しただけでは飽きたらず、息子は一つ前の席に悠然(ゆうぜん)と腰を下ろし、眠そうに発車を待っている。私達も男2人女2人で中程に席を取り、冷房噴出口の向きを変えたりしていたが、やがて扉は閉まりバスが走り出し、振り返ればもう港には人の気配が無くなっていた。島の西側にある小浜港から出発したバスは、まず南に進路を取る。島の南側半分が東西に膨れているのである。このツアーは小浜島の名所をバスで巡りながら、運転手がガイドを兼ねて島を案内してくれるものだから、しばらくは彼の説明に身を任せて、小浜島の紹介をして貰おう。

バス観光その1

「ワーリタポリ小浜島・・・ようこそ小浜島へ。皆さん石垣島ではオーリトーリがようこそだと知って、沖縄本土のメンソーレと違う挨拶に驚いたでしょ。でも小浜ではさらに訛りが変化してワーリタポリがようこその意味。それから先ほど港に掲載されていた『旅ぬかろい』、あれは『旅の安全を』という意味で、やはり小浜方言ですね。今日は大分暑くなりそうで最高気温は27度の予想ですが、実は1月に27度を記録したこともあります。そんなわけで八重山では3月に海開きして、気の早い本土の観光客がダイビングにやって来ますが、本格的な海水浴シーズンは早い梅雨が明けた後、6月半ば頃からどんどん来る。
 この小浜島、周囲を16.6kmほどで巡る小さな島ですが、島中心にある集落を筆頭に450人以上が生活、その集落の北にある大岳(うふだき)は標高99メートルあり、島で一番高い所です。島の南東にはリゾート施設『ヤマハリゾートはいむるぶし』が、南西には細崎(くぼさき)の漁村があり、島一面にサトウキビ畑が広がる、それが小浜島です。最近ではNHKの連続テレビ小説『ちゅらさん』で有名になったので、沢山の人がちゅらさん観光にやって来ます。
 はい右手の方に孔雀が何羽も見えるでしょう。実はあの孔雀、現在島で農作物を荒らして、捕獲作業中です。ヤマハリゾートが珍しい動物として勝手に持ち込んだものが、野生化して増殖してしまった。そして窓の周辺に広がっているのはサトウキビ畑です。まだまだこれから成長して、来年の1月から3月にかけて収穫するサトウキビは、島の基幹産業になっています。明治16年からサトウキビ栽培が始まったとされ、だいたい1年2,3ヶ月で収穫出来るんです。今日まで黒砂糖のみを生成してますが、買い取り料金が非常に安く、島の人たちの生計は楽ではない。他の野菜の栽培もしてますが、ほとんどは島で消費します。ではこれから右に回ります。」
 サトウキビ畑が広がる細道を曲がると、長い一本道が畑の真ん中を抜けて遙か集落まで伸びている。緩やかな下降線が彼方まで傾斜しながらやがて登りに転じ、電信柱と一緒に遠く続いていく。それがシュガーロード、つまり砂糖の道だ。まあサトウキビ畑の道ということだが、ちゅらさん2人組みは歓声を上げ、「シュガーロードよ」とはしゃぎだした。
「このシュガーロード、『ちゅらさん』を見ていた人は覚えてるかもしれませんが、主人公のエリィが学校に通った道として、弟を連れた姿がお馴染みの場面。ただし実際はここを通って学校に行く人は居ません。集落も学校もこの先にあるんです。あれはNHKさんがドラマのために捏造(ねつぞう)したもので、お陰でこの道も観光名所となり、シュガーロードと呼ばれるようになりましたが、最近では逆にサトウキビ畑は減少してます。写真取りたいなら降りても良いですよ。」
 運転手がバスを止めて扉を開けると、ちゅらさん組みを筆頭に6人ほど飛び出して、勾配の美しい細道にシャッターを切っている。6人は全員ちゅらさん一味に違いない。緑シャツは飛び出した先行隊をみて恥ずかしくなったか、タイミングを逃してバスの中に留まった。本当は行きたいくせに。皆がバスに戻ると運転手は軽くアクセルを踏み、ゆっくり進んで上りの勾配に入ると、傘のように開いた松が左手に立っている。
「昔、明和(めいわ)8年、西暦だと1771年ですが、八重山地方に津波がありました。明和の大津波という怒濤の高波が、何と85メートルの高さまで押し寄せ、ギネスブックにも名前を残したほど。まあ最近では30メートルぐらいが真相だろうとも云われてます。これが小浜島にも押し寄せ、ちょうどあの松のところまで迫って、仕事をしていたオジィが木の上によじ登って、『あがー、ならんどー』つまり『痛い、駄目だー』と叫ぶと、オジィの足下(あしもと)で波は止まったという。この先の高台が集落なので、オジィを含めて小浜島では死者は出なかった。しかし喜んでいると、石垣島の方では約9千人、人口の6割が亡くなったので、琉球王府の政策で小浜島から300人が石垣島に強制移住させられて、やっぱり苦しい思いをしたという。でもあの波寄せの松は、平和な時には恋人達の待ち合わせ場所として知られ・・・・おっと言い忘れた、そしてあの松、琉球松といって、沖縄県の県木(けんぼく)に指定されています。いろいろなところで目にするはず。ちょっとここを右に曲がると、ほら大分高台に来てるでしょう、右手の海の向こうには竹富島が見えます。そして次を左に曲がると、島の学校に到着します。」
 番組ではちゅらさんが小学生の頃、生まれ島の小浜で通っていた学校が見えてきた。これは小中学校が一緒になった「小浜小中学校」で、ちゅらさんことエリィが「低学年はあっちさ」と弟の恵達(けいたつ)を投げ飛ばすシーンは無かったが、番組そのままの学校正門でバスは止まった。親切な運転手がまた写真タイムを設けてくれるという。
 ドアが開くやいなや「それでは」の声を待たずして、ちゅらさん組みが飛び出して、後を追ってうっかり緑シャツまでバスを降り、今度は10人ぐらいが道路脇で写真を撮っている。呆れた運転手が、戻って来るのを待ってから、「案内を待たずに飛び出したのは皆さんが初めてです」と言うと、一斉に笑い声が起こった。道路には歩く島人(しまんちゅ)すら見えない。授業の時間なのだろう、学校もひっそり静まり返っていた。
「ここは小浜島唯一の学校ですが、小中学生が39人と11人の合わせて50人居ます。それに対して先生が18人、ほとんど家庭教師並の授業が出来るとか。ではこれから集落に入ります。竹富島ばかりがクローズアップされるが、小浜でも赤煉瓦の屋根とサンゴ岩の石垣が楽しめるはず。ほら、左に見えるのは公民館、入り口に吊してあるのは大戦中の不発弾です。」
 なるほど砲弾の形がそのまま銅鑼(どら)のようにぶら下がっている。
「もちろん爆発はしません。ちょっと前までは、あれを叩いて集会を知らせてました。この八重山地方、大戦中は直接上陸戦は免れたが、無理矢理の疎開でマラリアによる大量の犠牲者が出て、マラリア戦争なんて呼ばれてます。その後は米軍の統治下に入って、72年からは本土に占領され・・・じゃないか日本に復帰するわけです。さて見えてきました、右にあるのがエリィが子供の頃に住んでいた『こはぐら荘』。古波蔵家が民宿をしていた家です。ほら、ちゃんと看板が掛かってます。」
 バスの中は急にざわついた。学校での状況から、このバスに沢山のちゅらさんファンが潜んでいることが発覚し、私はちゅらさんコールでも沸き起こったら大変だと危惧(くぐ)したが、そこは皆さん大人であるから、運転手の「ここは非常に狭い道ですから窓越しの観光で我慢して頂きたい。その代わり、いつもより長く止まっております」という案内にもブーイングは起こさず、熱心にカメラを構えている。運転手の説明によると、屋根に乗っているシーサーは、NHKが番組のために設置したもので、2つペアになって反対側にも居るべきところを、1つしか置いてくれなかったそうだ。
「本来シーサーは沖縄で獅子のことを指すんですが、古代メソポタミアやエジプトのスフィンクスのようなライオンがシルクロードを通って、時代が下って13世紀から15世紀頃沖縄に伝わったのです。本土でお馴染みの『狛犬(こまいぬ)』も同じルーツのなれの果て。オスとメスが2つ一組で、口の開いたオスが幸せを招き、口の閉じたメスが災難を閉ざします。では出発しましょう。島の西端に突き出た細崎(くばざき)に向かいます。」
 次第に海岸線に近づくように走っていたバスは、西へ突き出た半島に入った。これが尽きる辺りに細崎(くばざき)の集落があり、かつては海人(うみんちゅ)達のカツオ漁業で活気に溢れていた。昭和初期には300世帯が生活するほどだったが、今では世帯数もすっかり減少し、僅か15世帯を残すばかり。しかし細崎漁港を拠点にした漁業は行なわれていそうだ。海人公園まであり、マンタを形どった展望台が置かれているが、カツオ業で栄えた面影は薄い。バスは西の果て海岸に横付けすると、運転手が「10分ほど写真を撮るなりご自由に」とドアを開け、私達が小さなビーチに降りれば、ようやく雲間から日光が射し始めた。気温はもう25度を超えているのだろう、大分暑くなってきた。
 広がる海は何と表わしたらいいか、沢山の青系統の絵具をベースにして、白と透明で薄めながら、隠し色に黄緑まで溶かしたような、複雑な変化を見せて光り輝き、浜辺には湖ほどな小波が寄せ返す。その波は遠くまで砂が見通せるほど、透明だった。それにしても私は毎回同じことを書いているようだ、同じような海を見ているのだからしかたがないが、例えば「翡翠(ひすい)のまどろみにプリズムで分離した青み成分が投影され」とか、「ビードロのような滴を電気分解した上澄みに白色電光を当てた」とか、「酒に酔ったポセイダーオーンが誤ってラピスラズリを溶解させた」とか、いろいろ考えた方がいいのかもしれないが、そんな怪文を重ねても、ぜんぜん意味が分からなくなるから止めておこう。
 海を挟んで向こう側、泳いで渡れそうな距離には大きな森林が広がっていた。あれは昨日観光した西表島だ。運転手の説明では、2島を隔てるこのヨナラ水道は、泳ぐどころか流れの速い海域で、サンゴ礁も途絶えマンタが通れる海道があり、「マンタの道」とも呼ばれている。なるほど群青の深そうな辺りは、川のようにも見えるのだった。運転手は「マンタは1匹2匹でなく、1枚2枚と数える」と説明したが、近くで聞いていた私に向かって「西表の右端に島が見えるだろう。あれはウ離島(うばなりじま)、またはアウシマと言うんだ。三線の形に見えるから、三線島とも呼ばれる」とガイド調の丁寧語を止めて教えてくれた。
 私達の正面向こう側にも、西表島の背景に紛れて小さな島が見える。「あれは由布島じゃないだろうか」と聞くと、
「良く知ってるね。あれが水牛観光でお馴染みの由布島さ。」
「実は昨日行ってきたんです。」
「ああ、そうなんだ。由布島ではマングローブの小さい芽が沢山顔を出していたろう。マングローブの種子は水道を越えて小浜にも流れ着いて、細崎の北に広がる干潟に芽を出すんだ。石長田海岸って言うんだが、帰りにバスから見えるから注意してみい。」
と説明した。私はついでに運転手にシャッターを頼んで、緑シャツとちゅらさん組みと4人並んで、西表島を背景に撮影して貰った。写真時間が過ぎるとバスは滑り出し、次に到着したのはすぐ近くの細崎漁港だ。
「はいお待ちどうさま。例のちゅらさん、番組では小浜港を使用せずに、この細崎漁港を使って撮影を行ないました。そしてあちらに見える長い桟橋、あれこそ有名な『駆け抜けの桟橋』です。ちゅらさん小学5年生の初恋、婚約をかわした恋人が島を離れる一刹那(いっせつな)、こらえきれず船を追い掛ける名場面の舞台なのです。」
 運転手が説明するやいなや、眼鏡がその台詞を小声で「結婚しようねえ。いつか大人になったら、かならず、結婚しようねえ」と真似しだして、途中から隣のベレー帽が参加して「和也君との約束だからさあ。文也くーん」と声を揃えると、後を継いで緑シャツが「えりぃー」と声を張り上げて参入し、続けて「文也くーん!」「えりぃー」「文也くーん・・・・結婚しようねえ、文也くーん。ばいばーい。」と最後まで熱演してしまったのである。バスの中は岩にしみ入る蝉の声のように3人の台詞だけが鳴り響いた後で、一斉に拍手と大笑いが起こったことは言うまでもない。一緒にいた私が恥ずかしいくらいだが、3人はしてやったりの高笑いで何の屈託もない。到底私には真似できないと見ていると、運転手が「しょうがない、本当は降りない場所なんだけど、特別に写真タイムを上げましょ」といって扉を開けたので、あまりの熱演ぶりに「ちゅらさん」に興味なかった人まで釣られて飛び出して、なんと全員がバスを降りてしまったのだ。もちろん私も巻き込まれるように漁港に立ったのだが、次第にこのグループ全体が可笑しくなっているのではないだろうか。全員が一丸となって桟橋を走り抜けるシーンすら、私は想像したのである。ふと振り向くと例の白い息子が、こっちの方を見てにやにや笑っている。しまった今度は彼の方が私を観察していたようだ。運転手は「結婚しようねを真似して桟橋を走り抜けようとして、海に落ちて大惨事に繋がるケースが後を絶ちません。特に桟橋を直角に遠くを見ながら曲がるところで、何人の娘さんが海の藻屑と消えていったか・・・・あれは指導を受けた熟練者だけに許される技だから、カップルで来てこっそり真似しちゃ駄目さあ」と言って笑った。

2006/05/22
2006/08/26改訂
2006/09/20再改訂

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