八重山の思い出その13

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離島桟橋の夜

 今朝小浜島に出発した離島桟橋に私達は戻ってきた。少し離れた海沿いには車社会への対応を迫られた、広大な駐車場が続いている。暮れの余韻を残した空は、町のシルエットをわずかに照らし、戸惑うようなヘッドライトの灯りが揺れて、静かに初夏の大気が包み込む。夕暮れの駐車場を借りた私達は、愉快に桟橋へと散歩しながら、気持ちは郷土料理の期待で浮ついていた。仲の良いちゅらさん組みは、2人揃ってポピュラーソング「花」を歌い始め、緑シャツが「どこどこ行くの」という歌詞の後に、「どっこ、どっこ」という不可思議な合いの手を入れた。真面目なのか、おどけているのか、あまり可笑しいので、そのフレーズだけが今でも頭にこびりついている。
 桟橋に到着すると、町灯りに照らされた港にも、昼間の喧噪はすでに消え、通りを行く人はぶらりと、明るい市街地に消えていく。私は夕暮れのセンチメンタルが残って、一人きりになりたかったので、「少し桟橋を眺めているから、お土産でも見て来たら。」と断って一行(いっこう)と別れた。桟橋通りの観光事務所や郷土の土産屋も、道路に灯火がもれ出して、その前を通り過ぎる人影は、光を浴びてまた消える。私は桟橋から離れ、平行に走る港の縁(ふち)に置かれた、小さな鉄の船着きに腰を下ろした。昼間書いた落書きが、詩になりそうな気がした。ベレー帽が囁(ささや)いた詩の面影が、暮れゆく港の情景に反映して、そんな気持ちになったのかも知れない。私は桟橋を眺めながらすこし考えていたが、駐車場に降りる時、夕暮れの明るい星が、薄い雲の合間に瞬いたのを思い出し、暗闇に消えかかる灰色の手帳にペンを走らせた。

「吹け、潮風よ」
ほら、日が暮れていくよ 日が暮れるねえ
雲のあい間の一番星に、さあ祈りを捧げよう
やさしく風が吹き抜ける大空が深く染まっては
帰り支度の海鳥たちを追ってか追わずか人の波
船が着くたびあふれ出て町明かりへと消えていく
ほら、色を忘れかけたぶっきらぼうな波止場の向こうに
オレンジ色して輝くような金星が海をゆらしているよ
さあ吹け、潮風よ、この小さな僕の体を抜けて
さあ行け、潮風よ、夕暮れの町並みを駆け抜けろ
町を抜け海を越えて、次の島に夜を告げるのだ
照れくさくては小さな声で、空に向かってつぶやきながら
心楽しく見つめるこの町がぼんやりと暮れていく
ふと思い出す夕食の時間にありきたりの幸せを
知ってか知らずか親子連れが、買い物通りに消えていく

 ここは本当に良いところだ。冷たい海風にも初夏の息吹が感じられ、盆踊りの夜の大気にも似ている。手帳の文字を読み直して、ああ出来たと思って桟橋を見上げると、突然後ろから「何しているの」と小さな声が聞こえた。私が驚いて振り向くと、ベレー帽が一人で立っている。「あれ、何時からいるんです。」と問うと、今来たところよと答えるので、「土産屋から自分で離れるなんて珍しい」とからかうと、「お土産屋さんはまた明日行くから」と澄まして、桟橋の方を眺めている。町灯りを反射するだけの黒ずんだ海に、迫り出す小さな船着き場。船の発着は日暮れ前に済んだのだろう、何人かの島人(しまんちゅ)達が、群れて会話を楽しんでいる。三線を持っている人もいるが、演奏でもするつもりだろうか。ベレー帽はもう一度「何していたの」と私に尋ねた。頭が空っぽになっていた私は、素直に「あなたの夕焼け小焼けのおかげで、今朝書き留めた落書きが詩になりました」と言って手帳を渡した。自分の心を隠そうとする性質のある私は、こんなに率直に思ったことを口にしたのは初めてだった。彼女は柔らかな髪を風に任せて、手に持った帽子を脇に抱え込むようにして、手帳に顔を近付け、懸命に文字を追っている。後ろの町灯りがなければ、文字が読めないくらい、もう暗くなっていた。私は感想なんて聞きたくなかった、ただこうして一人で居るところを、わざわざ探しに来てくれたようなその態度が嬉しかった。彼女は少し饒舌(じょうぜつ)になり、自分も詩が好きなことや、いろいろノートに落書きのあることや、人に見せるにはまだ何か足りないと話した後で、この詩を記念に欲しいと言うので、ちゃんと清書をしてから渡すと答えて、2人でしばらく桟橋を眺めていた。
 そのころ眼鏡と緑シャツはすっかり意気投合したらしく、2人でおそろいのシーサーの置物を購入して、小さなガイドさんと一緒に私達を見付けたようだ。「そこの2人、なにいちゃついとるか」と緑シャツが手を振った。「それはこっちの台詞だ」と立ち上がって全員合流すれば、いよいよ市街地に入って沖縄料理を堪能するのだから、桟橋のセンチメンタルも、すぐに忘れてしまうのだった。

沖縄料理の店

 一人のバスガイドさんが、すっかり夕暮れの空っぽのお腹をすかせて、ぴかぴかする照明をくぐって、世間知らずのような若者を4人連れて、だいぶ石垣の町の灯りのむらがったとこを、こんなことを言いながら、歩いておりました。
 「ここです、この店であります。この店が、注文の多い沖縄料理店であります。」
 ガイドさんが戸を開けたので、私達は誘われるまますり抜ける。オレンジがかった暖色照明が木造(きづくり)の店を照らしだし、座席はこじんまりと並んで、部分部分が板で仕切られている。三線に乗せた島歌のオンパレードが、備え付けのスピーカーからyaeyamanmusicを流している。席に案内され腰を下ろした私達は、「注文の多い店」と聞いて自分達が食べられてしまうのか心配したが、そうではない、注文料理の沢山ある店だというのでようやく安心した。
 ガイドさんがメニューを開きながら、食べたいものが有りますかと聞くから、皆が知っている「ゴーヤーチャンプルー」を筆頭に、ちゅらさん組みが「中味汁(なかみじる)」だの「足テビチ」だの「チラガー」だの「イカスミ汁」だの、番組で登場した沖縄料理を片っ端から上げだして、ついに収拾が付かなくなってしまった。最後には全員疲れ果て、沖縄博士のガイドさんにお任せして、メニューを決めて貰うことにする。しかしとにかく喉が渇いた。まずは全員オリオンビールのジョッキを取り寄せて、今日一日の旅行に祝杯を挙げようじゃないか。ビールを手にして全員で「乾杯!」とジョッキを鳴らせば、気持ちのいい音が響き渡り、喉を抜ける爽快感の、何と香ばしいことか。こうなったらもう止められない、完全に居酒屋モードに突入だ。
 ガイドさんがメニューを注文する間にも、通しに出された小皿の一品、まるでスルメの足が瑞々しく生まれ変わったような料理に手を出した緑シャツが、「こりゃなんだろう」と歯ごたえを確かめている。私も箸を出してみたが、コリコリしていて脂肪が固まったゴムのような食感だ。皆で不思議な顔をして口を動かしていたが、なかなか味の表現が難しい。注文を終えたガイドさんの顔を覗き込むと、「それはミミガーです。ミミガーとは要するに耳の皮であります。豚のミミガーを調理場に持ち込んで、ピーナツバターと砂糖と味噌で和えた、行き着く果ての姿であります」と教えてくれた。「耳って、この耳のことか」と緑シャツが自分の耳を摘み上げる。
「その耳であります。コラーゲン豊富な軟骨の味が楽しめる酒の友であります。」
「そんなところまで食うのか。」
「沖縄では豚は鳴き声以外すべて調理して、これをもって成仏となすわけです。先ほどお二人が言った『チラガー』も、豚の顔全体の皮を剥いで、ガスバーナーで毛を焼き落とし加工した姿で、市場に並んでいるのであります。一般家庭では、これをそのまま買ってきて、ダシに使ったり調理して食べ尽くすのです。」
と説明すれば、「そうそう、チラガーは公設市場に釣ら下がってたわ」とベレー帽が番組を思い出し、「それを見て池端容子がきゃーと叫ぶ」と眼鏡が怖がって見せたら、緑シャツが「そしておっ母さんが怖い目をして笑っている。」と騒ぎ出して、己惚(おのぼ)れちゅらさん観光客の様相を呈してきた。にやにやしている私に気づいた眼鏡が「ちょっとあんたも参加しなさい」と迫るから、「いや、仲間に見られるの恥ずかしいし」と逃げると、「どこからどう見ても仲間であります」とガイドさんまで言うので、やけを起こして「あきちゃびよー、ほんとねー」と似てない沖縄言葉で叫んでしまったら、あまりにも発音が変なので、近くのお客さんまで笑い出す始末だった。これじゃあ駄目だ。さっきのセンチメンタルどころじゃない。私のリリシズムはすっかり滅茶苦茶になってしまったのである。こうなったらもう、もう飲みまくるしか、道は残されていないではないか。私はジョッキを空にすると、さっそくオリオンビールを追加注文した。緑シャツもそうこなくちゃと私に追随する。料理の来る前に2杯目とは気が早い。
 ビールと一緒に島豆腐の冷や奴がやってきた。ゴーヤサラダと、ゴーヤのお浸(ひた)しもやってきた。「あれこの冷や奴って、暖かいよ」とベレー帽が箸を付けると、ほんわか湯気が上がってくる。「それは冷や奴ではありません、温奴(ぬくやっこ)であります。」とガイドさんが言うと、ベレー帽は「まるで、ぬく猫みたい」と訳の分からないことを呟(つぶや)いた。ガイドさんの説明によると、島豆腐は硬派な豆腐である。すり潰した大豆を、皮やおからと共に加熱した後に、ろ過した豆乳から作る本土の豆腐に対して、これは豆乳にろ過した後で加熱し、豆腐の凝固剤としてお馴染みの苦汁、海水から塩を作る際に生成するニガリをうって、しっかり固めたものが島豆腐だという。えぐみを取るために水にさらす必要がないので、ずっしりと濃厚な味わいが楽しめ、冷たく冷やすより暖かいうちが一番旨いそうだ。
「沖縄にもいろいろな豆腐料理があります。奴っこのように戴くものでも、例えば『おぼろ豆腐』のように崩れたままの『ゆし豆腐』や、スクガラスというアイゴの稚魚を島豆腐の上に乗せた、『スクガラス豆腐』という冗談みたいな料理も定番なのであります。さらに由布島の昼食にあったピーナツから作られる豆腐、『ジーマミー豆腐』も、非常に滑らかな食感がたまりません。そして島豆腐をチーズのように発酵・熟成させた『豆腐よう』という料理もあり、これは好みが分かれますが、沖縄の伝統料理として、泡盛のつまみにも最適であります。そしてつまみと云えばこのゴーヤのお浸しが、冷やしたビールによく合います。」
 そう言うので、口の中に放り込んで見ると、初めは苦かったが、箸を2,3回運んだら、鰹節と醤油で味付けされた苦みが非常にさっぱりしていて癖になるようだ。ゴーヤーサラダに至っては、ゴーヤーの苦みがほとんど感じられず、レタスを敷いてもずくを泳がせた薄味ドレッシングに非常にマッチして、とても美味しかった。このドレッシングはシークァーサーを使用しているが、これがまたゴーヤーとよく合う。刺身までまぶしてあるから、海産サラダも兼ねているようだった。ただしゴーヤのお浸しの方はちゅらさん組みには不評のようで、「苦い苦い」と言いながら、それでも何口か噛みしめていた。
 そのうち刺身がやってきた。1つは普通の刺身の盛り合わせであるが、もう1つは白身魚の和え物のようなものだ。さっそく小皿に醤油を入れていたら、ガイドさんが沖縄流に酢も入れて、さらにわさびではなくコーレーグースをちょっと垂らすと良いと教えてくれた。このコーレーグースは、沖縄を代表する調味料で、要するに島唐辛子という小粒の唐辛子を泡盛で漬(つ)けた、タバスコ的な辛さを持つ調味料だが、沖縄の料理屋には必ず置いてある。高麗胡椒(こうらいごしょう)という意味が訛って生まれた名称ともされるが、由来は高麗ではなく、19世紀終わりから始まるハワイや南米への移民ラッシュの時に、当地のスパイス製法が取り入れられたとも云われている。そばやラーメンに入れても、炒め物の辛みに使用しても、みそ汁にちょっと垂らしても美味しく、慣れてくるとビールにまで入れたくなる恐ろしい調味料だ。昼間食事をした石垣屋でも何に使うのか、ちゃんと置いてあった。まさか焼き肉のたれにも入れたりするのだろうか。ただし旅行から帰ってから、ざる蕎麦やソーメンのタレに加えてみたら、これだけはちっとも冴えなかった。
「刺身の盛り合わせは、マグロと、ミーバイ、それにエビなどが乗ってますから、ご自由に取って下さい。」
 ミーバイと聞いては緑シャツが黙ってはいない。「何々、アイバイ、マイバイ、ミーバイも刺身になるのか」と箸を繰り出すから、ガイドさんも「アイバイ、マイバイは刺身にはなりません」と言ってエビを酢醤油に付けている。このコーレーグース入りの酢醤油はなかなか旨い。
 眼鏡が「それでこっちの和え物は何なの」と箸で捕まえると、ガイドさんがメニューの中の写真を見せて、「この魚です」と恐ろしい透明がかった水色の熱帯魚を指差した。「え、熱帯魚なの」と眼鏡は女らしからぬ度胸で、そのまま躊躇(ちゅうちょ)することなく口の中に放り込んでしまった。そんな毒々しい魚を食べて大丈夫かと、ベレー帽は眼鏡の中を覗き込む。「あら、美味しいじゃない」と輝く眼鏡がすぐイラブチャーの皿に箸を返して、口の中に放り込んだ。どうやら害はないらしい。「美味しいでしょう。このイラブチャーは和名でブダイと言いますが、これを酢と白味噌で和え物にしたものがこれです。もちろん普通に刺身にしてもすばらしいのでありますが、本日は私の一存(いちぞん)で、こちらを選択しました。」と彼も箸を繰り出すので、私と緑シャツも慌てて手を伸ばした。なるほどこれは旨い。あっさりさっぱりしてさらに酒が進みそうだ。おまけに刺身の皿に盛られている、ブドウがミニチュア化して小指の半分ぐらいになった緑の海藻。これは海ブドウじゃないか。口の中に含むとプチプチとした食感が楽しめるオリオンビールの友、海ブドウもまた、もずく同様沖縄で取れる海藻なのである。
 刺身と海ブドウを堪能しているうちに話も盛り上がってきた。ちゅらさん組みの会社のことや、ガイドさんの観光の仕事に話が移り、緑シャツと私がアルバイト組みであることが発覚して、「私達より駄目駄目じゃん」と眼鏡にからかわれたので、空っぽのスーツより遙かにましだと、珍しく意気投合して反論していると、ちゅらさん組みは不意に真面目になって、そうかも知れないと頷(うなず)いた。その後で話はまたしてもテレビ小説の「ちゅらさん」に移り、話に合わせて酒も料理も進むので、私と緑シャツは共にオリオンビール3杯目を追加。残りの3人も直ちに2杯目を注文。程なくして全員の酒が、クーブイリチーと共にテーブルに並べられたのである。
「私ったらクーブイリチーは知ってるしー。」
 眼鏡が変なイントネーションでエリィの物まねをやる。ベレー帽が「でも食べたことはないしー」と箸を付ける。イリチーの意味はどこかに「炒め煮」と書いてあったが、要するに昆布と共に豚肉やコンニャクなどを炒めてから煮たものだ。これは結構薄い味付けで美味しく、ご飯のおかずの昆布煮より、それだけで戴くのに適している。昆布の味が素朴に引き立っていて、好印象だ。
「不思議なことに沖縄では、地元で取れない昆布の使用量が日本一なのであります。」
 解説に飢えたガイドさんがさっそく、ワンポイント講義を開始する。
「これは醤油の消費量が少なく、塩ベースの味付けに生き甲斐を見いだす、いわば東南アジア圏の食文化が、カツオや昆布などのダシ消費量を押し上げている側面もありますが、料理としてもそのまま使うので、昆布の名産地である北海道にとっては、大のお得意様であります。」
 説明する間に、さらに「ラフテー」と「テビチ」が盆に乗せられてやってきた。豚の三枚肉に泡盛を加えて煮込むラフテーは、すでに何度か口にしたが、驚いたのはテビチである。皿の中になんだかぷるぷるした肉の塊が、骨を付けたまま震えているのだ。箸でおそるおそる突(つ)いてみると、ぶにぶにとした弾力がある。おまけに名前は「テビチ」である。「アシテビチだわ」と、眼鏡がちょっと曇ったレンズをハンカチで拭きながら、ぶよぶよした固まりを眺めている。「てびちって、不思議な響きね」と、ベレー帽が謎モードに突入する。ついに先発隊の緑シャツが「オレが行く、見届けてくれ」と言って箸を伸ばした。お皿に盛られた「テビチ」はコラーゲンの固まりのように、だし汁に底の方を沈めてぷよぷよと佇(たたず)んでいる。「これは何の肉だ」と緑シャツが持ち上げたから、ガイドさんが「テビチというから手かと思えばあら不思議、それは豚の足、豚足(とんそく)なのであります。豚足を可哀想にぶっつり切断した後で、ゆっくり煮込んで柔らかく仕上げたのが、このテビチなのであります」と答えた。
 皆が見守る中、テビチを持ち上げた緑シャツだったが、口に入れるやいなや、かぶりついて骨以外食べ尽くしてしまった。「これは旨い」と言うから、安心した私達も慌てて箸を伸ばす。ついでだから、ふにふにと突(つつ)いてみる。なるほどこれはまるでコラーゲンのゼリーのようだ。フライドチキンの食感よりは咬むと弾力性があるが、固いという訳ではなく、散々大地を踏みしめた硬質の肉の面影が、柔らかさの中に昔を思い出すようなものだ。後で調べたらこれは調理時間の問題で、もっと茹でるとふやふやのテビチが出来るらしい。「それにしても本当にどこでも料理してしまうんですね」と私が聞くと、ガイドさんは、沖縄では仏教の伝来に由来する肉食忌避がなかったので、400年以上前から庶民も豚を食べ続けていたが、贅沢な食べ物には違いなかったので、あらゆるところを料理する伝統が生まれたと説明してくれた。ちゅらさん組みの顔もアルコールで赤らんで、私達の飲み会も、次第に佳境に入ってきたようだ。
 やがてガイドさんが沖縄について話し始めた。出生率が高く長寿の県で、一家族当りの子供の数も全国平均よりずっと多いのに、最近では肥満など長寿を脅かすデーターが急増していることや、結婚式はニービチといって、親類が親類を呼んで想像を絶する人数が集まり、皆さん日頃鍛えた芸能などを上演し、本土では見られない盛り上がりを見せるのに、離婚率がずば抜けて高いことなどを説明していたが、いつの間にかツアー観光の口調になってしまった。
「どうも職業病でいけません。」
 彼は照れたように酒を飲んだ。後から出生数を調べてみたら、2005年の統計では、全国平均の人口1000人に対する出生数が8.4人で、死亡数が8.6人に対して、沖縄では11.8人で死亡数は6.6人だそうである。
 それから話は何故か沖縄の方言に移って、母音が3つしかなく、「a,i,u,e,o」の「e,o」が「i,u」になってしまうので、「夜」が「ゆる」と発音され、「心」が「くくる」になると教えてくれた。緑シャツは非常に感心して、「なるほど、そうすると、格好(かこ)いいが、カクイイとか発音されるわけだ。」
「ちょっと待ちなさい。かこいいなんて、そんな日本語誰が使うのよ。」
「ええ、皆使ってるじゃん。知らないか。」
と私の方を振り向いたので、私は慌てて首を横に振った。うっかり頷いて同類扱いされてはたまらない。
 食べ物も腹に収まってゆとりが出てきたので、店内を改めて見渡すと、厨房前には6人ほどのカウンターがある。テーブルの座席は4人掛けが5,6席、さらに大人数用も2つあり、レジの近くには熱帯魚の泳ぐ水槽が置かれ、周囲の棚には沢山の泡盛が並んでいる。内装は、黒墨(くろずみ)の雨に晒(さら)した後で水洗いしたような、焦げ茶色の木を使用して、煤(すす)けたように照明を落ち着かせている。奥の壁際には三線が数本置いてあるから、ちょっと借りて弾いてみたい気がした。お客さんは大分入って来たが、まだ席に空きがある。私達の隣も運良くまだ空いているし、反対側はちょうど壁なので、すこしぐらい騒いでも大丈夫だ。料理を運んでくるのは比較的若い女性のアルバイトだが、多分大学生ぐらいか、奥では板前姿の似合うおじさんと若い男が、忙(せわ)しなく調理をしている。40代頃のズングリした店長が「はいよ」と手渡した皿は、そのまま私達の席に運ばれてきた。天ぷらだ。
「盛り合わせで、ゴーヤ、モズク、アーサー、グルクンの天ぷらです。」
 店員は空いた皿と交換して天ぷらを置いた。なんだか大変重厚でころもの太った奴が沢山乗っている。しかもタレがない。タレなしで天ぷらが食えるものかと見ていると、ガイドさんが待ってましたと口に放り込んでしまった。
「味が付いているのですか。」
「沖縄の天ぷらはタレは使いません。塩味が含まれていて、おまけにコロモでたっぷり太らせてあるのです。ただしスタンダードといえば、良くソースをかける人があります。」
 ガイドさんは隅にあったソースを真ん中にどんと置いた。箸を付けるとソースなどなくても十分美味しい。グルクン、またの名を「夕紅魚」は、前にも食べたことがあるが、新鮮な白身魚を揚げたてで頬張るのは、淡泊な味がまるでフライドポテトの感覚で、ファーストフード店のメニューになりそうなくらいだ。他の天ぷらも悪くない。ガイドさんは「本当は島らっきょうの天ぷらをお勧めしたいのですが、今日は切れているそうです」と残念がった。自分で欲しかったに違いない。
 おやつのようにぱくぱく頬張っていた緑シャツが、飲み物が欲しいとメニューを開くから、私も3杯目のジョッキを空にして次に備えた。ガイドさんはマイペースで、私達に付き合う気はまるで無いので、店員を呼んで2人揃ってシークァーサービールというのにチャレンジしてみる。飲んでみるとほんのりシークァーサーを感じるビールといった所で、さっぱりしていて悪くない。これを飲みながら天ぷらなどを口にしていると、隣の席に大変な奴らがやってきたので、私は驚いてしまった。

2006/07/25
2006/09/03改訂
2006/09/23再改訂

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