花のいのちを知らぬもの

(朗読ファイル)

花のいのちを知らぬもの

数理問題にのめりこみつつ
詩人のたましいを知らぬもの
宇宙理論の極みの果てに
組み直された設計図
そのご理解は世界であるのか

地上の営みは僕らの幸せの規準にあって
たとえば花の名称にあるのではなく
萼(がく)やら花弁(かべん)の数やら
その特徴にばかり籠もるのでもなく
ましてや遺伝子分類に籠もるのでもない
ただ彼女の何気ない仕草や瞳のかがやきに
僕らの感性がうっかりときめいてしまい
睦み合ったがゆえに始めて起こるもの
その果てなき連鎖こそが僕らの世界なのに

文明の利点は僕らの幸せの規準にあって
化合や分離のはてなき連鎖やら
ICチップに籠もるのでもなく
ましてや論理的帰結に籠もるものでもない
ただそれらのもたらす価値や有用性に
僕らの感性がすっかり憬れてしまい
睦み合ったがゆえに始めて生きるもの
取捨選択がゆえの利点であったのに

僕らの情熱は僕らの感覚のうちにあって
骨格の名称に籠もるものではなく
あるいは脳やらランゲルハンス島やら
伝達物質に籠もるのでもなく
ましてや遺伝子羅列に籠もるものでもない
ただ触れ合うときの穏やかなぬくもりに
僕らの心がうっかり溶かされてしまい
睦み合ったがゆえに始めて起こるもの
その果てなき連鎖こそが愛の真相なのに

僕ら百年前の幸せやらほほえみを
千年前のみやこの束の間のほほえみを
あるいはパックスロマーナのほほえみを
ウル第三王朝のほほえみをもって
僕らに劣るとばかりに規定するから
僕らはどこまで行っても度し難いのだ

とかく僕らのほほえみのそれに劣ると言うのではない
まして彼らの不幸の僕らに劣ると言うのでもない
こころの幸(さち)やら嘆きを文明の発展とやらで
割り切られたのではたまったものではない

ある人は言うだろう
優にすぐれたる娯楽の玉宝(ぎょくほう)よ
映画にドラマに漫画にお化粧と
この圧倒的快楽を幸福と言わずして
古今東西何ものを幸福と呼ぶべきと

またある人は言うだろう
優にすぐれたる食物の飽和状態よ
ご飯に麺類おやつにお飲み物と
この圧倒的満腹を幸福と言わずして
古今東西何ものを幸福と呼ぶべきと

しかりしかり
げに喜怒哀楽をもて遊び
暇を潰してお食事しながら
まだ娯楽をもて遊ぶほど
動物的幸福はなかりけり

されど別の人は言うだろう
仕来りも伝統も継承することなくて
言葉遣いすら注意するもの居なくなって
己がこころと結びつかぬ借用言語をばかり
乏しく弄ぶがオチの賃金取りどもめ
歯車の肩身の狭さをやり過ごすほどの
おつむ精一杯の小っちゃさ加減と
それすら知り得ぬ不幸を極め尽くして
何が幸福かと歎くだろう

あるいは、ある人は言うだろう
無理強い働かされ得ぬ少年の
歓喜無量の教育施設の幸福を
その理知を知れと言うだろう

でも別の人は答えるだろう
塾に結(ゆ)わえられし少年の
遊び心をさえ碌すっぽ知らず
物質的快楽にばかり幼く支配され
視覚情報ばかりがあらゆる規定となって
ただ娯楽娯楽とこころに溢れてゆく
それな教育と不気味な社会システムの
その実、動物の飼育にも似たる
その不幸を知れと言うだろう

またある人は言うだろう
年寄りが人手なく上下行き交う幸せを
子がなくても面倒なされる幸福を
やがて自動機械がそ奴らを面倒さえして
それな幸福を述べ讃えるだろう

しかし別の人は言うだろう
年がら眺めの娯楽ばかりを
視覚のみにて集積すればするほど
身に覚えなき情報のたましいを抜け落ち
しわ枯れし脳味噌は己が名称すらも
何が何やら分からなくなってしまい
いやなにおいばかりの施設に連行されて
ちいちいぱっぱとお遊戯の真似さえしながら
滅びゆく誇りなき人生を知れと言うだろう

けれどもある人は言うだろう
五万の病がたちどころに解決される幸福を
死病の克服されべき瞬間をばかりに
その人は高らかに讃えるだろう

されど別の人はやはり歎くだろう
幸せは病と対面する観念にこそ内包され
死病減少と幸福とは必ずしも比例せず
むろん反比例することは無かりしも
例えば己が身の低さを呪う不幸でさえ
その限りなき増加は、結核の死を予期したる不幸と
容易には天秤には掛け得ぬことを訴えるだろう
醜き顔を気に病みただ自害したる人の
病(やみ)果ての死人(しびと)よりもなおさらに劣りきったる
不幸欺瞞には過ぎぬなどと容易には
僕たち言い得ぬことをついに悟るだろう

文明発展どもの夢見る真(しん)の幸福の像へ問う
人間社会の幸福を汝はまことに知り得たるや
数式駆使した発展的理論の帰結のかなたには
はたしてまだ見ぬ幸福が存在しうるものなのか

そしてもう一つ問う
数理問題にのめりこみ
詩人のたましいを知らぬものどもよ
宇宙理論の極みとその解決は
それなご理解はまことにこの世なるやと

花のいのちを知らぬもの
花のいのちの色彩のみを知り
それを愛でるこころを知らぬもの
それな花の名称と解説の中に
僕らの世界があってたまるものか

2009/08/16

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