邂逅(かいこう)の歌

(朗読ファイル)

邂逅(かいこう)の歌

酒よ、お前と別れてこのかた
幾日を過ごしたことだろう
夕べもお前のことを思い
今またお前の影を浮かべては
呑まぬがゆえにこそ沸き起こる
二日酔いじみたる偏頭痛のなかで
氷とたわむれるお前の姿やら
(さながら澄み渡る清水の如くに)
グラスにこびりつくような水滴までも
(こだまするアルコールとたわむれ)
こころには懐かしく投影され
ただただ淋しくてたまらないのだ
酒よ、これはもはや大好きな娘さんを
待ちわびるくらいの焦燥で焚き付けた
溢れんばかりの激昂(げきこう)の姿では
なかろうかとも今や思われるのです

私はいつもひとりぼっちで
誰よりお前ひとりを求めたというのに
お前の方ではどんなに飲み乾されても
私に溺れることすら願い出なかった
颯爽としてこころ軽やかだった
(悲しみとてもなかりしものを)
けれども私は群がり集う囚人の
誘蛾灯めざして踊り狂うみたいには
お前を楽しみたくは無かったのだ
小さな部屋の二人っきりの夜更けに
まどろみの口づけを交わし合うくらいの
(小さな愛の仕草でもって)
抱(いだ)き留めるほどの優しさでもって
私はお前をひたむきに愛したというのに
お前はいつでもあっけらかんとして
ただ私ばかりをひとり酔わせたものだった

ただお前だけが私を慰めてくれた
ただお前だけが吹き荒ぶ木枯らしのなかにあって
崩れ折れそうな私の震えごころを
宥めすかす子守唄みたいな仕草でもって
まどろみのなかへと消し去ってくれたのだ
ただお前だけが、そうお前の澄みきった
穢れることなきその純なたましいだけが
(天駈ける清水よりなおさら澄み渡り)
私に酔うことを教えてくれたのだった
すべてを怯えるみたいにして暮らしてきた
頑な震えるばかりのこの感性を
私の研ぎ澄まされたこころを
疾走するような怠惰の論考を
留まることなき愚考の猪突猛進を
(さりとて夢見るくらいはあったとはいえ)
闘牛をあしらう赤マントの軽やかさで
しどろもどろにばかりさせることが
お前だけには自由自在であったのだ

お前と口づけをかわし
されど冷ややかな素振りでもって
お前ばかりは私をかどわかす
それさえ幸せに感ずる今の私にとって
お前に会えない日々は辛いのだ
(うしろ髪の乙女を追うが如くに)
お前はいつも正しかった
お前はいつも優しかった
ただいつも私のそばにあって
ただ冷ややかな素振りを見せて
私をかどわかし続けたのではあったが
さりとて私のひたむきなこころを
裏切ることなどなかったのである
そんなお前に背を向けたとたんに
私はすっかり駄目になってしまった
(ホントウニダメニナッテシマッタ)
惚けたみたいにして何も手に付かず
お前の姿ばかりが今ではちらちらと
もう胸いっぱいに広がってゆくのです

冷蔵庫にはコオリがいくつ
戸を放てば鍾乳石のつららから
したたり落としたしずくの気配がして
酒に満たして瓶は静かに控えてた
首つかむ途端に私を咎めるでもなく
久しぶりの挨拶にツンと澄ますでもなく
気さくないらっしゃいくらいのところでもって
あっけらかんとして佇(たたず)んでいらっしゃる

駈け寄る私はこうべを垂れる
ああ、すまなかった、悪かった
薄情者とののしりたもうな
なんたる不始末、つい己が身を案じ
愛すべきあなたを裏切るとは
滅びの美学も露と消え去り
健康診断にがくがく怯え
不養生(ふようじょう)なる毎日を咎め
お前の口づけをさえも今やファムファタルかと
怯え逃れてもう幾日経ったことやら
(創世七日ばかりに及ばずとはいえ)
ああ、すまなかった、悪かった
薄情者とののしりたもうな
やっぱりお前はわたしのすべて
お前のナイフなら刺さるが本望
(屍くらい拾うものなく)
平家一代の格言もて
酒呑まざれば人にもあらず
いやいやこれはとんだ暴言
されど皆様怒りたまうな
私ひとりの宣誓なのだ
私はそっと冷凍庫をさえ
横たえた氷の姿を拾えば
ああ、すんばらすぃ、この白さかげん
風鈴みたいな軽やかさでもって
グラスに入れたら響き渡るのです

改め開いた引き戸の影に
瓶は並んでおりました
お前さん、浮気なさってと
怨みごころを吐くでもないし
ようこそおこしの挨拶を
新たに交わすわけでもないし
(ツンと澄ました冷ややかさ)
そのつれなさが私のこころを
どれほどお前に引きつけることか
さあ私はもはやどこへも行かないぞ
そっとお前を引き寄せて
(なにも恐れなどあろうはずなく)
一夜(ひとよ)を長らおうではありませんか

思いの数だけグラスに注ぎ
清水と酒とは氷に泳ぎ
風鈴だったら腫れぼったいけど
鳴り渡るよなグラスの音を
確かめながらに椅子に座れば
下心さえつのるばかりで
はしたないったらはしたないけど
これで私のこころも羽ばたく
どうか笑ってくださるな

ひとりでほほえむ愚かさと
グラスをからころ転がすと
触れ合うリズムが歌い出す
ああ、これこそいのちの歌だ
(モーツァルトにだって真似は出来まい)
まったく明らかな讃歌じゃないか
ごめんよひとりにしてもう二度と
(一方的な想い高ぶり)
決して離したりはしないから
それからその夜は久しぶりの
酔うほどこころが遊ぶのです

2009/08/16

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