歯医者の歌(当日編)

(朗読ファイル)

歯医者の歌(当日編)

キウィーン、キウィーン、キュイィィィ、キィキュイ
鳴り響くのは大工じゃねえぞ
鳴り響くのは道路を封鎖の
土木の巧みの仕事じゃねえぞ

キウィーン、キウィーン、キュイィィィ、キィキュイ
あうち、歯を削る音だ削る音だ
もう神経はとうの昔に殺されて
生贄の歯だから痛くもないけれど

キウィーン、キウィーン、キュイィィィ、キィキュイ
こんな音は黒板に爪立てた十本指の
キキィィーキュィー鳴らすようなおぞましさ
こんな周波数を編みなしたのはどこのどいつだ
コウモリにしたって報われないほどの
鼓膜を追い立てるようにして響くのだ

キウィーン、キウィーン、キュイィィィ、キィキュイ
あうち、いっそやけでも起こして
この音ばかりで楽器を作り
四十人(しじゅうにん)もの合奏を
指揮者もろともに録音したなら
どれほどかジョン・ケージの凡庸まるだしの
無音音楽にだって勝てるものかと思うけど

キウィーン、キウィーン、キュイィィィ、キィキュイ
あうち、こんな感慨に浸っている場合じゃあ
到底ありえっこないことはさながら明白で
僕の歯はもう内部からズタボロだからって
せっかくの外側だけでもわずかに残るのを
治療のためには残してはおかれぬぞ
さあさあ皆様、今こそご一緒に

キウィーン、キウィーン、キュイィィィ、ヴィィィー
キウィーン、キウィーン、キュイィィィ、ヴィィィー
キウィーン、キウィーン、キュイィィィ、ヴィィィー
キィキュキュイィィィ、キキィィィィ、キィキュイ

ようやくぽかんと息つく僕の
虫歯もろとも平らかなりしも
削がれし縁(ふち)か歯跡(はあと)悲しく
隠れしところの財宝在りし
むかし名残の神経ばかりを
取り除かなけりゃなりません
僕は不穏の影を知り
怯えて説明受けました

おのれむかしの歯医者めが
今こそ聞かされ我慢もならぬ
中途半端な残骸ばかり
残して穴を塞ぎきる
さんざん麻酔といじめ抜き
子供の無垢なる象牙質
ぶち抜きおったる不始末を
神経残して済ましたる
ことをも知らずこの僕は
のほほん暮らしておりました
おのれむかしの歯医者めが
許すこころもなかりしを
さりとて今さら十有余年
かなた未来の僕ならば
怒りをぶつける相手など
どこに居(お)るやら知りもせぬ

これな悲しき感慨は
眼鏡の先生つつくたび
ちくりと痛む水際にて
神経ばかりが高ぶって
どないなことになるものか
ちくりちくりはやりきれぬ
あうちあうちと顔に出し
先生困らせて見せました
ところが返って運の尽き

先生僕のわざを見て
局部麻酔にしましょうと
注射の準備となりました
僕はさながらあきらめて
あなた任せといたします

ちくりと痛む針の先
なんだか入って行ったけど
感覚なくして先生の
押し込む指さえ眺めてた
それからほっぺた重くなり
くちびる何だかひりひりし
とうとう仕舞いに感覚も
無くなる頃に訪れた
タラコじみたる口許の
なんだか腫れてる気もすれど
試しにちょっと指に触れ
感覚無くしたまんまです

先生ばかりは立ち去って
今度は若くてお姉さん
僕とて恋人欲しくって
告白するのは花の頃
いやいや違ったそうでなし
これは歯科なる衛生士
それともやっぱりお姉さん?
ほんわかしているお姉さん
やさしそうなのに騙されて
ぎゃとさせられた子もいよう
本当にやさしかったこともある
でもはや麻酔も済んだから
僕は無敵のいくさ人
いろんな準備をなさってる
お姉さんの気配を感じてた
けれどもお姉さん嫁に来ず
どこかへ去って行きました

それから新たなお姉さん
さっきよりわずか年配の?
いやいやこちらは医師免許?
なんだかよくは分からねど
口をあんぐり開かれて
タラコも重くてぽってりと
ほっぺたまでも腫れぼたで
無感覚さえ奇妙なり
ポカンするのをいいことに
いよいよ神経始末する
キュイィィィ、キィキュイが始まった

いやいやそれとは違ってた
黒板ノイズは来なかった
ピピッと小鳥のさえずりと
細くて長い針金か
根本の奥のポッカリと
開いた穴へと入ってく
がりがりがりがり音がして
それからピピッと鳴りまして
さながら神経の奥ゆきを
探るみたいな素振りして
その実残された神経を
完膚無きまで撲滅す
断罪装置でもあるのだと
訊ねたそばからお姉さん
諭す口調で教えてた
y患者は黙って口ひらき
またまたがりがり引っ掻かれ
爪音ばかりの黒板の
遠のく気配に安堵して
僕はさながら穏やかに
瞳をつぶっておりました

閉ざす瞳は妄想の
さ迷い頃ともなるけれど
ことさら僕も恋人の
姿だけとは限らない
たとえばまぶたを見ひらいて
慌てた刹那の衛生士
針金指から取り落とし
瞳に刺さってぷらぷらと
失明頃を桜散る
そんな恐怖も楽しんで
ひとりで弱っておりました

あるいはもっと壮大な
ナマズ好みの天変地異
湧き出た頃には歯科医さえ
離れて妄想突き進む
お魚みたいな格好の
鰺の開きにひらかれた
手術患者のそのさなか
ナイフも踊れる大地震
いかな名医の鏡にて
ブラックジャックと呼ばれても
震度八九(はちく)の縦揺れの
ブラックどころの騒ぎじゃねえ
内臓たちまちミンチ肉
明日は患者のハンバーグ?
そんなお馬鹿の空想に
さ迷う僕を見抜いたか
眺めせし間のお姉さん
お口をゆすげと起こしてた

僕は内心ひやりとし
けれども素知らぬ振りもして
平気な顔してコップから
水を含んでみせました
けれどもぶくぶくタラコには
感触まるでないならば
口から水は飛び出して
ぴゅっとなってた不始末を
恥ずかしいから上と下
タラコを抑えてゆすいだら
そんな患者は始めてか
うしろの姉さん笑ってた

神経の穴は四つあり
それらがポッカリ削られて
そこに何やら詰め込まれ
それからようやく仮塗りの
白き粘土のようなもの
ぺったり固めて盛り上げず
平台みたいになりまする
それからエプロン外されて
食事はしばらく控えてと
言われて感謝のあいさつと
僕はいよいよ席を立つ
タラコも一緒に席を立ち
僕らは受付に戻るのだ
ごくろうさまの声ばかり
順に答えるのは面倒で
僕とタラコは二人でひとつ
ありがとうとは言ったけど
寝椅子を離れる嬉しさよ

受付座席に深々と
坐った途端のお姉さん
僕の名前を呼んだから
僕はけろりと立ち上がり
タラコの弱みを隠すのだ
今日のお値段いかばかり
払おうとしたら痛み止め
念のためにと出されてた

これこそタラコの恐怖かと
麻酔終わりの痛みのほどを
思えばおとこも泣けてくる
けれどもほほえむ受付は
ツンとすましたお姉さん
恥ずかしい真似は出来ないし
お嫁に来ても貰えない
どこかで男の矜恃がする
僕はまだまだ耐えねばならぬ

薬なんかは関係ねえよ
そういう態度で受け取って
それから本日の会計を
日取りも共に決めるのだ
月曜でしたら、まあなんですか
午前か午後かとお訊ねで
それなら午前は駄目ですよ
起きられませんとはこの僕も
言えっこないからみずすまし
午後が空いてますと答えたら
三時半とて決まってた

カードを返され靴を履き
さっそく歯医者を後にして
僕はてくてく歩き出す
家までわずか五、六分
タラコを触って歩きつつ
感触の無いのが面白く
タラコタラコとこころのなかで
歌って帰るよ午後の路地裏

2009/08/12

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