「俤(おもかげ)」

(朗読ファイル)

俤(おもかげ)

 あの頃は、きみと一緒に春風の、菜の花ざかりまわり道。走りつかれた夕暮れに、黄金色した明星が真珠のように輝いて、おぼろいちずと染め抜いた、オレンジ色の君と僕。明日が来てもこの原を遙かに歩むと思ってた、巡る季節のエピソード。やがて小さな学校の卒業式の帰り道。学びの苑(その)の友たちへ、別れを惜しんで泣くきみの、小さな腕を握るとき、黄金色した明星がおぼろな雲とたわむれた。いつか僕らのこの路も、枝を違える時が来て、日だまりみたいなぬくもりの結びの糸さえぷっつりと、消えて声さえ聞こえない。そんな未来が待っている、予感にそっとおののいた。悲しくなってとぼとぼと、二人で歩いた帰り道。

 希望にあふれた僕たちは、同じ校舎の桜の木、舞い散る花びら浴びながら、少し大人になりかけた。背(せい)の高さを気にとめて、髪のかたちを気にとめて、廊下で会っても知らんぷり。かくれるみたいに照れくさく、そそくさとしてすれ違う。それでも君の胸のうち、つたわるように僕のうち、あの原ばたけで落ち合って、こっそりつないだ手の平に、あの日おぼろの夕暮れは、やさしく包んでくれたっけ。嬉しくなって君の靴、うしろから蹴って走り出す。追い掛けっこしたシルエット。遠ざかるのをぼんやりと、あの明星が眺めては、ほほえんでくれたものでした。

 季節は巡り夏が来て、ふたりのこころにそれぞれの遊びざかりのひと盛り。知らんぷりした学校の、思い思いの友たちと、笑い合ったりふざけたり、帰る時刻もそれぞれの時の刻みを描きつつ、待ちに待ってた夏休み。ようやく逢おうとあの原の、おもかげ色して喜んだ。けれどもちょっと躊躇する、受話器の向こうのそのこころ。あらたまってた挨拶の、あなたの声のトーンさえ、かすかに戸惑うよそ行きの、答えみたいだね宵の口。休みの日には何しよう、そんなひと言さえもどかしく、回り道したよたばなし、ようやく伝えた思いひとつ。それから久しぶりに二人して、遊びに出かけたひと夏の、アルバム満たしたエピソード、あなた一杯の物語。

 冷たい風は葉をちぎり、夕日を吸った赤とんぼ、空いちめんに染める頃、またあの星はきらめいた。染められた君の横顔は、コスモスみたいにやわらかく、三日月みたいに遠かった。見知らぬ風にささやかれ、羽ばたく夢を吹き込まれ、生まれ変わった鳥のよう。ほのかにほほえむ口もとに、見知らぬひとが立っていた。見知らぬあなたの黒髪を、風はさらさらなびかせて、手をかざすとき頬さえも、真っ赤に染まって振り向けば、瞳の奥のシルエット。思わずはっと立ちつくす、みたこともない影法師、じっと眺めていたのです。それからあなたはおもむろに、知らない事ばかりささやいた。二人を距てた風の音が、悲しいくらいの調べです。それからあなたは何もかも、遠く離れていったけど、いまでも僕はときどきは、影を眺めているのです。影を眺めているのです。

短歌

誰(た)が影を菜の花ばたけに追うものよ
  夢み淡しや芳葉(ほうよう)の月

        2008/4/17

2011/10/13

[上層へ] [Topへ]