不気味な心

(朗読ファイル)

不気味な心

こうなってはもはやどうしようもなかろうと僕はひとり
さみしい夕暮れの町並みを行き交う人影の
盆踊りみたいな長閑さにはびっくりいたし
眺めせし間にも心はますます弱くなるばかり
よしんば君が僕を不意に見かけたからとて
僕の凍えそうな仕草にはまるで気が付かず
祭のような明るい一声がこだましたからとて
僕にはいかなる声をば返したらよいものやら
今ではまるきり分からなくなってしまうくらい
はしゃぎゆく人波の代わり映えしない風景は
遠く遠くて掴みきれない影法師ほどの
僕にはまぼろしのようにさえ思われるのです

それで何ということもないのです
ただもし僕がろくすっぽ挨拶できず
ぼんやり君を眺めていたからとて
まるでお化けを恐れるみたいにそそくさとして
君の前から立ち去ってしまったからといって
それをかねての仇(かたき)みたいに躍起になって
怒らないで下さったならばそれでよいのです

幸せひとつが揺られおののいて
僕らはそれでも歩む姿をばかり
逞しくして笑いあったり
握りこぶしをぶつけ合ったり
それはまあまことに立派なことで
何の非難すべきことさえないのですけれども
ただ僕にはそれが不可解に縺れ合う姿ばかりが
なんだか恐ろしいくらいにも思えるものですから
どだい君にいかなる言葉を返したらよいものやら
皆目見当も付かないといったありさま
こころの中はもう空っぽも空っぽ
途方に暮れているような次第ですから
例えば君の姿を避けるみたいにして
店を逃れ出てしまっただけのことなのです

それを君は湧きのぼる憎しみで満たして
復讐を生きがいにする鷹みたいにして
僕の命をほんの僅かでも縮めてみせようと
それはもう躍起になっているご様子
けれど、そんなことなどまるでしなくてもよかったのです
はるか前、君のことなどまるで知ろうはずもないはるか昔から
すでに僕のこころはすっかり死に絶えていて
今はただ亡霊のようにして笑っていたのですから

君はそれをただ僕とばかりに
誤解して付き合って下さったまでのことで
それが意のままにならぬと知った刹那に
悪意を持って羽ばたき襲いかかって
僕をわずかばかりでも葬り去ろうとして
ずいぶん躍起になっておられるご様子
けれどもそんなことは、まるで必要なかったのです
はるか前、君のことなどまるで知ろうはずもない昔
幾年(いくとせ)ひるがえるか思いもよらぬ昔から
僕はすでに土深くに埋葬されていたのですから

ただ一つだけ僕は君に問いかけたいのです
君にとって他人とはいかなる意味を持つものであるのか
ただ一つ、亡霊である僕にしたってまるで理解できない
それが君に対する恐ろしいばかりの不気味なのです
永遠(とわ)に解けることなき、恐ろしいばかりの不気味なのです

2009/07/03
2009/07/06改訂掲載

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