こんな夢を見た。地下の薄暗いところに、俺たちは住んでいた。破れた配管や錆びた鉄板や、崩れかけた居住地の跡や、朽ち果てた路面の名残が、かつては市街地だったらしい廃墟の、在りし日をかすかに思い起こさせた。
俺たちはみんな未成年だった。もちろん男も女もいた。十何人もいる仲間のうちで、年齢は俺が一番上だった。もちろん七つか八つの子供もいた。俺が代表して面倒を見ていた。
繁華街もアーケードも何もなかった。物資を見つけるのが一苦労だった。俺たちは錆びかけた鉄道の、路線の終着にうずくまる、煤だらけの汽車の車両を、ねぐらに定めていたのであった。
石炭が転がっていた。いつも汽車を整備している、機械好きの少年がいた。奴は張り切っていた。
「いつかきっと、これを走らせてみせる」
図面を眺めながら、部品と格闘していた。しかし今では、誰も笑う者はいなかった。みんな馬鹿みたいに、その言葉を信じていた。そうして、もし走り出せたら、俺たちは知らない未知の世界へ、旅立てるような気がしてならなかったのである。
「ねえ、ちょっと、そっちのお鍋取ってよ」
夕飯の支度が始まった。廃屋(はいおく)ならびの倉庫の扉を破ったら、沢山の乾麺を調達できたんで、しばらくは食事には困らなかった。年長の女の子が指示を出して、みんなはそれぞれに協力していた。折れ曲がった水道は辛うじてまだ生きていたし、倉庫には簡易ガスの機材すら残されていたから、薪を焚かなくても調理が可能だった。乾燥ワカメとジャガイモを薄く切って、それを一緒に茹でるのが、精一杯の贅沢だった。
「ねえ、もらった卵を入れようよ」
と少年が袖を引っぱっている。
「駄目よ。あれはもう数日我慢しなくちゃ。食べるものがなくなっちゃうじゃないの」
と少女が彼を諭していた。
「今日見つけてきた、ツナ缶開けちまおうか」
俺がそう言ったので、みんなは歓声を上げた。その日は、とりわけ豪華な夕飯になったのである。食後は、幼い奴らを寝かしつけて、年長者は今日の獲物を、交換用と自分たち用に取り分けしたりしていた。
なんでこんな廃墟になっちまったのか。それは誰にも分からなかった。むしろ初めからこうだったような気がしてならない。廃墟以前の姿は浮かんでこなかった。
近くには、粗末なバラックを建てて、集住している奴らがいた。はるか上方から差し込んでくる、わずかな光りを頼りに、作物を栽培しているのだ。そこでは時間帯によって、太陽を眺めることが可能だったから、俺たちはそこでだけ、青空をさえ知ることが出来たのである。もちろん小さな隙間には違いなかった。けれども美しかった。
いわば、そこは小さな村だった。俺たちは小さな都会だった。俺たちは荒れた危険地帯を歩き回って、品物を見つけ出しては、奴らと物々交換を行う。それで俺たちの社会がうまく回っているのだった。
俺たちは、穴だらけの服を着ていた。顔も泥まみれだった。風呂なんて無かったし、川だってもちろんなかった。水道の水は途切れなかったが、ほんのチロチロだったから、ボロ切れで体を拭くのが精一杯だった。一度井戸を掘ってみたことがある。しかし水源に辿り着くことは叶わなかった。だから向こうの方に、馬鹿みたいに深い穴がぽっかりと開(あ)いている。
けれども俺たちは楽しかった。仲間がいて、笑いがあった。さっきも路線の名残のような一本道で、全員で歌いながらに帰ってきたくらいだ。
シュッポと走る 夢を見て
僕らの汽車も 居眠りさ
たらふくご飯が 待っている
未来を描いて 笑うのさ
そんなくだらない歌詞を、七歳が考えてくれたんで、フレーズを加えて、俺たちの歌にしたからである。
もちろん廃線の名残といったって、がらくたに資材が積まれただけの一本道に過ぎなかった。空なんか見えるわけがない。せり出した鉄骨やら、倒れそうな建物の入り乱れたはるか上方から、ぼんやり灰色のひかりが降り注ぐくらいのものだった。それが延々と続いている。どこまでも変わらない風景。歌いながら灰色の一本道を、ところどころ加工資材の束ねや、ガラス片の山を避けながら、泥まみれになって帰ってくるのだった。それでも雑草が、わずかなひかりを求めて、両側に生えているから、食えそうな奴をむしり取って、ラーメンに入れることさえあった。
ねぐらでは、寒い時には薪さえ燃やした。山積みされた石炭の利用法も分かってきた。小さなランプもあった。しかし俺たちは、メインの倉庫が尽きる前に、また生活を見直さなければならなかった。そうでなければ生きていくだけの、見込みがまるで付かなかったからである。
今までだって瓦礫を掻き分けて、様々なところに探りを入れてきた。新しい発見もあった。汽車を弄くるための工具だって、そうやって見つけたものだった。工学の書籍も見つけだした。見取り図は汽車の中に転がっていた。それからあいつの猛勉強が始まった。初め、俺たちは笑っていた。しかし、あいつは本気だった。そうして、どんどん直していった。汽笛が鳴るようになった。動力が唸るようになった。
だから今では全員が信じている。あいつがいつか汽車を甦らせて、俺たちはどこか遠くの、理想郷に羽ばたけるんだって。
焚き火に当ったっていると、突然夜泣きが始まった。母親が恋しくて泣き出すに違いない。女の子があやしていたが、そのうち一緒になって泣き出してしまった。俺も少し泣きたいくらいだった。急に淋しさが込み上げてきたからである。しかし泣く訳にはいかなかった。年長の俺が泣いてしまったら、全員泣きだすに決まっているから、必死になってこらえていた。それからようやく眠りに付いた。
翌日、俺たちを追って、憲兵が嗅ぎ回っているという噂が流れてきた。俺たちを保護施設とかいう、収容所へ収監するつもりらしい。ここに逃げ延びる間にも、何人もの仲間が奴らに捕まっていた。兄貴分だった友人も、俺を助けるために捕らえられた。助けようにも、収容された場所さえ分からなかった。あいつとはそれっきりだった。仲間は誰一人として戻ってはこなかった。ようやくここまで逃れたのに、またその憲兵が現れたのだった。
俺はバラックの農家でその情報を入手した。そこではニワトリを飼っていた。日差しが僅かなんで、目が少しずつ退化するらしかったが、卵だけは丈夫だった。一個一個が大粒なのである。俺はそれを貰って、代わりに今日の品物を手渡した。その時、そこの親父が教えてくれたのである。
「お前たちを探して、聞き込みに来た奴らがいるぞ」
俺にはすぐ分かった。礼を言って走り出した。手遅れになる前に、あいつらのところへ戻らなければならなかった。
廃線の名残を駆け抜けた。いつも歌ったあの道だ。レールなんか無くなっていたが、ところどころに枕木が残っていて、線路の名残を留めている。だから鉄道の名残であると、俺はみんなに教えていたのである。
資材に足をぶつけた。折れそうなくらい痛かった。それでも走り続けた。ガラスのところだけは注意した。ようやく汽車まで辿り着いたとき、まだ憲兵の姿は見られなかった。のどかに炊煙があがっている。どんなに薄暗い中にあっても、それさえ見れば安堵が湧き起こるのだった。
俺はそのまま走り込んだ。
「火を消せ。奴らが来た」
と叫んだ。みんな驚いた。何度も繰り返されたことだから、すぐに悟ったようだった。また逃げなければならない。しかし、どこへ。すると、女の子の一人が、
「もう疲れたよう」
と言って泣きだした。宥めているうちに、もう一人が泣きだした。
「どんなに逃げたって同じだよう」
と男の子がべそをかき始めた。みんなもう限界らしかった。俺は一瞬、
「こいつらにとっては、捕まった方が幸せなのだろうか」
と自問自答した。お前らは残れと、よっぽど口に出しそうになった。俺自身、相当に心が揺らいでいたからである。
「大丈夫」
汽車の整備係が、工具を持って立ち上がった。
「何が、大丈夫なんだ」
俺は聞いた。
「もう、この汽車は動く。これで逃げよう」
その言葉を聞いて、誰もが驚いた。しかし、俺たちは奴を疑わなかった。
「分かった。じゃあ動力の方は、お前が指示を出せ」
俺はすぐに命令した。人員を振り分けた。全員が、指示通りに動いた。荷物が詰め込まれ、石炭がくべられた。石炭は真っ赤になって燃え盛った。すさまじい音を立てて、次第に汽車が甦り始めた。
数名の憲兵が走って来やがった。見張り役の少年が、金だらいを鳴らしたので、俺はとっさに右手を振り上げた。
「ロープ」
と大声で叫ぶと、仲間の一人がロープを引っ張った。バッと大地が裂けて、落とし穴が奴らの行く手に広がった。数名は落ちたようだ。しかし、大人一人分くらいの深さしかないから、すぐ這い上がってくるに決まっている。
「よし、準備完了」
整備工が大声を上げたんで、
「全員、汽車に乗れ」
俺は大声で命令した。すでに半数は乗り込んでいた。見張りの少年たちが、汽車に駆け込んできた。しかし、大きく迂回した憲兵が、こっちに向かって走ってくる。
俺はパチンコで奴の顔面を打ちのめしてやった。続いて二人目も。眉間が割れて、奴らはその場にうずくまった。俺は汽車に飛び乗った。
「全員、パチンコを準備しろ」
と大声で叫ぶと、それに合わせたように、高らかに汽笛が鳴り響いた。
「出発進行」
運転手のかん高い声が響き渡った。線路の向こうに、俺たちの邪魔をするものは何もない。遙かかなたまで、邪魔なものは取り除いてあるからだ。しかしそうでなくても、俺たちの通い路(じ)の廃線とは違って、高台に設けられたこの鉄道線路には、邪魔するものなどなさそうであった。
後部車両はたった一台だ。だが俺たちを乗せるには十分だった。憲兵はまだこない。立ち上がったところを、もう一度パチンコで打ち付けにしてやる。整備工はもう一度汽笛を鳴らした。そしてついに汽車は、ゆっくりと動き始めたのである。
憲兵が驚いて、全力で走り寄ってくる。穴からも這い上がってきた。俺は全員に合図を送った。窓という窓からパチンコ玉が放たれた。奴らは手が出せなかった。その場にうずくまって、様子をうかがうのが関の山だった。もちろん奴らは拳銃を持っていた。だがまさか、子供相手には使用出来なかったのだろう。その間に、汽車は速力を高めて、奴らを見限った。汽車の後ろにしがみついてきた奴がいたんで、そいつには女の子が胡椒をぶっかけてやったらしい。「ぎゃっ」という声をひとつに、奴は転げ落ちていった。こうして俺たちは、あの廃墟を後にしたのである。
シュッポと眠る 夢が覚め
僕らの汽車は よみがえる
たらふくご飯が 待っている
未来のかなたへ 走り出せ
七歳が新しい歌詞を思いついたんで、俺たちはそれに合わせて歌い始めた。どれくらい進んだろう。やがて、嗅いだこともない大気の匂いに驚いて、窓から乗り出してみると、外はもう廃墟なんかではなくなっていたのである。
俺たちは、ヒョロヒョロとしか伸びたことのない植物たちが、今や両側をどこまでも覆い茂っているのを目の当たりにした。それは倉庫で眺めた図鑑の、夢のようなページよりもっと、おとぎ話めいた新鮮さを保っていた。ぱっとまぶしい光に驚いて、全員が歓声を上げた。雲の途切れ間から、日射しが顔を見せ始めたからである。
「太陽だわ」
年長の女の子が声を上げた。
「広い広い。これが全部空なんだ」
大空なんか初めて見るような連中が、汽車から乗りだした途端、日光に照らし出された深緑があたり一面、驚くほどの鮮やかで蘇った。また一斉に歓声が上がる。そうして、遙かかなたには、膨大な水がどこまでも広がっているのが、はっきりと見えたのであった。
「海だ」
俺は思わず指さした。俺たちは図鑑などをあさって、いろいろな風景を心に描いていた。もちろん海の名前だって知っていた。それが今、目の前に現れたのだった。
「わあい」
と一番幼い少年が、大声を張り上げた。全員が真似をして、
「わあい」
と叫び返した。風が心地よい。汽車の騒音の合間に、鳥の声が響いてくる。俺たちの新しい未来が、永遠(とわ)に開けていくような気分だった。俺は整備工に、
「まだ走るだろうな」
と大声で叫んでみた。奴は前の運転席から振り返って、
「当たり前じゃないか、誰が整備したと思ってんのさ」
といって笑っていやがる。俺たちの新しい生活が始まろうとしていた。
12/15頃~
12/20~10/1/8集中作成
10/1/9-1/12朗読と修正
2010/3/5