その療養所は、様々な人を収容していたらしい。そこはひとつの町であった。そこはひとつの村であった。そこから離れることなく死にゆく人々のための、そこは不思議な居住空間だった。店があった。食堂があった。棟が入り組んでいて、迷路みたいだった。まるで昭和初期の木造建築のようだった。畳が黄ばんでいた。木枠のガラス戸があった。蒲団はぶ厚いセンベイのようで、すでに空になった病室も目立っていた。あるいは一戸建てになった、離れの住宅群もあった。住宅はもう空き家ばかりが目立っていた。夢の中の私は、たしかそこで誰かと会ったはずだが、記憶は断層に途切れている。覚えているのは入り組んだ木造病棟で、エレベーターを乗り降りして、誰かを見舞ったときの情景だけである。
それは集合部屋だった。ベットが並んでいるのではない。畳部屋に蒲団が一列に敷かれていて、みんな眠っているのである。なんの病気か分からない。いや、眠っているというのはちょっと語弊がある。半分くらいは空っぽである。昼間だから遊び歩いているらしい。なんの悲壮感もない。学校の休み時間みたいに騒いでいる。ただ重症の奴らは眠っているが、それでも悲壮感がない。死に行く人の憐れがどこにもない。ただ総体にがやがやとしている。そうしてスライド式の扉を開けば、木造の廊下が迷宮のように続いているのだった。
自分はまだ子供だった気がする。少なくとも成人ではなかった。それで親父やら家族と訪れて、誰かを見舞ったはずである。見舞った相手はやはり抜け落ちている。肝心なところだが、思い出せないんだからしかたがない。そこに向かう途中、沢山の部屋があったのは覚えている。廊下に座り込んだり、すれ違った人たちがいたが、病人のようには思えなかった。それでいて各部屋を覗くと、寝ている奴らが大勢いるんで、やっぱりサナトリウムなんだと思う。病室は木造小学校の教室なみに、ガラス越しに中が見渡せるようになっていた。
かえって自分には、エレベーターに乗り込むときの、駐車場のほうがまだ覚えているくらいである。車を降りて小さな入口に、いきなりエレベーターがあって、それで昇ると始めて、サナトリウムに到着するのである。つまり入口がエレベーターになっている。そうしてなかの連中は、生涯をそこで生活しているように思われた。ねつ造すれば、いくらでも物語を作れるんだが、正直に記すと、これ以上書くことがなくなってしまう。あんまり読んでいる皆さんに申し訳が立たないんで、少し物語を作って潤色してみることにする。指先まかせの落書きであるから、どう進行していくのかはもとより分からない。
その時、私は高校生だった。親父と一緒に、親戚のある病人を、サナトリウムに見舞いに来たのである。そこは政府公認の隔離施設かなにかで、親父は病院の関係者だったから、まるっきりの無関係という訳でもなかったらしい。しかし、マスクも付けずに見舞いが出来たんだから、感染病という訳でも無かったんだろう。それとも、予防接種でも受けていたのだろうか。結核が不治の病と見なされて、永久隔離でもされているような感覚だった。エレベーターで三階に上がって、板張りのギシギシする廊下を折れ曲がっていくと、長い一本道の突き当たりに、親戚の病室があった。病室といっても前に書いたとおりの有様である。学校の教室みたいに、大部屋が並んでいて、どれもこれも中は畳敷きになっている。
向かう途中には手洗いがあった。左折れに入って、右側が男子である。ゲタに履き替えて、タイル敷きで用を足す作りになっていた。それほど汚くはないが、むき出しに固められた水道蛇口が、どこか郷愁を誘う。そこを抜けると、廊下がT字路になっていて、突き当たりが病室になっていた。
親父は木造扉を開ききった。接触部分の回転が悪いんで、かなりの音がする。中には蒲団が並んでいて、雑魚寝がてらに病人が横たわっている。もちろん留守にしている連中も多い。あっちこっちで、集まりながらに駄弁(だべ)っているから、大いに騒々しい。あっけらかんとして陽気である。ベットの枕許には、一応ポットだの紙コップだの、それからティッシュペーパーの箱だのが置いてあって、非常の場合の呼び鈴が、所々に設置されているらしかった。
私たちは、灰色の浴衣を着こなした、ある男の枕許に腰を下ろした。部屋じゅうがやがやしてるから、話すのが大変なくらいである。
「ずいぶん賑やかだな」
親父がすぐに苦情を告げた。
「なに、いつものことだ」
と男は笑っている。まだ三十代にならないくらいの、働き盛りの青年である。早く仕事がしたいと訴えてきた。
「まあ、養生することだ」
親父がそう答えるからには、病状さえ回復すれば、外にだって出られるのかもしれない。私にはよく分からなかった。
親戚も最初のうちは、
「学校はどうだ」
なんて聞いてきたが、すぐに親父との会話にのめり込んでしまう。いつもの事ながら、私はちょっと暇を持てあます。さっそく病棟の散策を思いついた。
「ちょっと歩き回ってくるよ」
と親父にいうと、
「そうか。俺は病理のほうにも顔を出す。ここにいなかったら、勝手に場所を訪ねてこい。分からなくなったら、十五時に自動車のところで待ち合わせだ」
と事務的な要領で告げるので、私は頷いた。
廊下に出ると、収容しきれないのか、自分で抜け出しただけなのか、座り込んだような連中が仲間同士でしゃべっている。すぐ隣にも同じような病室が並んでいて、ちょっとのぞき込むと、なにやら固まってサイコロなんか振っている。
「シゴロだ、シゴロ」
なんて叫び声がするので、博打じゃなかろうかと疑(うたぐ)った。部屋の奥では、騒音を気にせず文庫本を読んでいる青年もいる。うんと伸びをしたときに背表紙が見えたら、夏目漱石の「吾輩は猫である」だった。集合部屋の柱には、鳩時計なんかが掛けられている。寝ていてうるさくはないのだろうか。
そこをちょっと進むと、また別のエレベーターがあった。その向かいには階段もあったので、試しにこの階段を上がってみることにした。
急に人の気配がしなくなった。あまりの静けさに、靴音を躊躇するほどだった。どうやら個室が並んでいるらしい。集団部屋の奴らは、進入を禁止されているのだろう。まるで消えゆく人を看取るような、簡素な佇まいで控えている。芭蕉の句のような静けさがあった。それぞれの部屋は、八畳くらいで区切られている。やはり透明ガラスになっているが、白いカーテンがあるので、見られたくなかったら閉ざせばいいだけのことである。しかし大抵の部屋は、カーテンは開けっ放しになっていた。
もう扉まで開放されて、空のベットが淋しそうに控えている空室も多かったが、それでも、窓を眺めているお婆さんや、ちょうど親父くらいの壮年が、詰将棋などをしている姿もあった。誰も自分に注意を与えないから、くすんだアルバムをでも見ているような錯覚に捕らわれた。
軋むような床板を踏みつけると、階下に残された喧噪はすっかり遠ざかってしまう。個室を歩き回っても構わないのか、親父に聞いて来ようかとも思ったが、どうせ謝ってしまえば済むことだと思い直して、奥へと進んでいった。突き当たりにまた階段が控えている。本当に複雑な建物だ。木造建築が何階まで作れるかは分からないが、鉄筋コンクリートしか知らない自分には、新鮮なおもしろさがあった。それに床は清掃が行き届いている。ワックスの光さえするのだった。
途中にまたT字路があった。廊下は、右手が病室になっていた。左側には窓ガラスが並んでいるのだが、その左側に向かって、回廊が延びているのである。窓の外には隣り棟しか見えないから、そこまで橋を渡しているに決まっている。私は折れ曲がるところで向こうを眺めてみた。すると、
「てぐすね食堂」
という看板が掛かっている。奥に向かって沢山のテーブルが並んでいるから、病棟の食堂なんだろう。向かいの棟の廊下の左右と、それからこちら側からのお客さんと、絶妙の位置に配置されているようにも見えるし、間の抜けた場所に置かれているような気もする。小学生くらいの男の子が、おもちゃの飛行機を掲げて、走り回ったりしているから、今は休憩時間なのかもしれなかった。ぽつんとした影絵のような感じがする。
隣の棟もやはり巨大なサイズだった。数えたら六階建てで、上には空しか見えないのである。下は中庭になっていて、遠く石庭と池が置かれているあたりで、人々が散策する姿もあった。あとは、焦げ茶色の板を敷き詰めたような、病棟の側面が見えるばかりである。今ひとつおもしろくない。それにしても巨大なサナトリウムである。いったい何棟あるのだろう。親父との距離が横に離れない方がいいと思ったから、向こう棟には渡らずに、階段の方へと進んでいった。
ちょっと反対側の様子が気に掛かって、病室側を眺めると、不意にちらりと赤いものが飛び込んできた。なんだろう。思わず立ち止まって覗き込むと、赤い上着をハンガーにぶら下げた一室に、ほっそりとした少女が、腰から起き上がって座っているのであった。ぼんやりと自分の腕を眺めている。年齢はおそらく自分と同じくらいだろう。真っ白な顔をして、斜めから差し込んでくる西日と戯れていた。布団は集団部屋のものと違って、だいぶ上質である。
つい見とれていると、くるりとこっちに向き直ったので、私はどぎまぎして、慌ててお辞儀を返した。すべてがスナップじみていたから、つい女性の部屋を覗いていることさえ忘れていたのを、急に咎められたような気がしたからである。けれども彼女は、そっとほほ笑むばかりであった。暇をでも持てあましていたのだろうか、片手で私に手招きをしたのであった。
なんだか後ろめたいような気分だった。照れくさいのを誤魔化すために、勢いよく扉を開ききったら、思ったより大きな音がしたんで、自分ながらにびっくりした。
「こんにちは」
なんて間の抜けた挨拶をしてみる。彼女は血の気の失せた白い肌に、長い黒髪をさらしていた。大和絵みたいな、美しい細身の少女であった。私はますます恥ずかしくなったから、
「どうしました」
と咳き込むようにして尋ねたのである。
「あなた、誰かのお見舞いですか」
彼女の言葉はゆっくりしていた。
「ええ、親父と一緒に、親戚の見舞いに来たのです。しかしあんまり長話が過ぎるので、暇つぶしに歩き回っていたところです」
「まあ、ずいぶんなご身分ね」
なんて、今風のしゃべり方とはまるで言葉つきが違っているようだ。
「病室では気楽にはなれませんか」
私はもちろん、軽い冗談のつもりで言ったのだが、病人に対しては失礼な言葉だとようやく気がついた。自分にはこのような言葉の失態を繰り返す、悲しい習性があるらしい。さいわい彼女は、気にも止めない様子だった。
「いつも同じ風景だから、つまらないわ」
と向こうを指さすので、ちょっと窓際の方へ回ってみた。するとこちら側も、隣の棟に隠されている。ただ交わりが斜めだから、一方はまるで見えないものの、西向きの夕日を迎える方向は、遠く森林の辺りまで、はっきりと見渡すことが出来るようになっていた。
「夕日がきれいに眺められるのが、せめてもの救いなの」
彼女はそう説明してくれた。
「なるほど、森のほうは見渡せるんですね」
「そうなの。ほら、あの開けた辺りが公園になっているでしょう。休日になると家族連れが沢山遊びに来るの。私も一度でいいから、あんな所でごろんと横たわってみたかったなあ」
なんて過去形で語り始めるので、ちょっと驚いた。いくら自分が愚かでも、
「直ったら遊びにいけます」
なんて白々しい言葉は掛けられなかったのである。私が黙っていると、彼女はちょっと戸惑うような仕草をみせた。けれども不意に、
「すいませんけれども」
と切りだしたのであった。
「なんでしょう」
「私を屋上まで連れていっては貰えないでしょうか」
そう懇願するので、私はちょっと不安になってきた。
「だって、体は大丈夫なんですか」
と聞いてみると、
「ええ。ただ一人では歩けないものですから」
と立ち上がろうとする。私は返事をする前に、彼女のアシストをしなければならなくなってしまった。
まあいい。親父と親戚の話は、いつも長話になるのだから、一人で歩き回ったって退屈には違いないんだ。彼女と一緒に屋上へでも行ったほうが、ずっと楽しいには決まっている。
しかし、彼女は歩みをするのが大変辛い様子である。よほど症状が重いのだろうか。ハンガーから赤い上着を掛けてやると、
「ありがとう」
といってほほ笑えむから、私は黙って肩を貸してやった。それから、
「どうやって行けばいいんです」
と聞いたら、ひとつ階段を登って、それから直通のエレベーターがあるという話しだった。
「こっち側にもエレベーターがあるんですか。なんだか迷宮みたいだ」
「お見舞いに来て、帰れなくなった人もあるのよ」
なんて言いながら、くすくす笑うのである。なんだか、クラムボンみたいな笑いだったから、自分まで愉快になってきた。
「ところで、屋上にいってどうするんです」
と聞いてみると、
「私の部屋からでは、町並みが見られないのです」
と答えるのであった。あるいは病棟暮らしが長いから、普通の生活空間に憧れるのかもしれない。病人を連れ出して大丈夫なものか、ちょっと不安を感じたが、自分も屋上から町が眺めたくなってきた。
「本当に、体は大丈夫なの」
と丁寧語を忘れて、聞いてしまったら、
「大丈夫。それにどうせ、何をしても同じなんですもの」
彼女は寂しそうに笑った。つい病状のことを尋ねそうになったが、失礼な質問だと気がついたから、肩を支えながら一緒になって歩き出した。薄いパジャマ越しに触れ合うときの感覚が、柔らかく暖められてちょっと照れくさかった。
「親戚の方って重症なんですか」
心地よい鈴のような響きで、彼女が耳元にささやくので、私は全身がかっと熱くなるのを感じた。同じ年頃の女性と、こんなに近づいたことなど無かったからである。
「いいえ。いつも元気よくしゃべっています。それに集団部屋なんです」
きっと階段が暗いから、気づかなかったに違いない。彼女は寂しそうな声で、
「そうですか。でも、お見舞いをして貰える人は幸せです」
といった。
その声に絶望的な寂しさが込められているような気がして、私は思わず彼女の横顔を眺めた。唇だけが真っ赤になって、青白いお人形さんみたいな表情をしている。いのちを無くしかけた蝋人形が、瞳だけ生き生きとしているような錯覚さえするのだった。その瞳に吸い込まれるような気がして、慌てて階段を踏み鳴らした。
しかし彼女は、一歩登るのさえも辛そうな様子なのである。私はよっぽど背中に乗ってくださいと言いそうになったが、ちょっと恥ずかしくって思い切れなかった。
「誰もこないのですか」
その代わり、そう尋ねてみた。
「なにがです」
「その、お見舞いに来てくれる人です」
「ああ」
彼女はしばらく考えている風だったが、
「もう五年間は、誰も来ていません。日記に最後のお見舞いの日付が残されていますから」
というのでちょっと驚いた。
「家族はいないのですか」
彼女はしばらく考えている様子だったが、やがて思い切ったという風に、
「つまり私は、もう見捨てられてしまったのです」
と淡々とした口調で言い返した。しかしその声は、どうしてもやせ我慢に作っているとしか思えなかった。私はやっぱり、黙っているしか方途がつかなかったのである。
階段は踊り場まできた。ここから反対側に折れていくのだが、彼女はもう息を切らしている。何も言い返すことが出来なかった私は、
「背中に乗って下さい」
と支える肩からしゃがみ込んだ。彼女はちょっと躊躇する風だったが、
「ありがとう」
といって、背中にもたれかかってきた。
しかし、その体重があまりにも軽いので、私は思わず声を上げそうになってしまった。普通の人の半分くらいしか、重量なんかないのである。こんなんじゃあ駄目だ。私は、なんだか悲しい気分になってくるのを誤魔化そうとして、わざと威勢よく、とっとっと階段を登り始めた。
「じゃあさあ」
私は気さくな口調で語り始めた。本当は結構な勇気を、心のなかには秘めながら、さりげない風を装うのであった。
「ええ」
彼女は背中にもたれている。
「これからは、時々お見舞いに来てあげますよ」
軽い冗談くらいの口調で、さりげなく言ってみたのである。
答えは返ってこなかった。掴んでいた腕のあたりが、ちょっと震えているような気がする。彼女はどうやら背中で泣いてしまったらしい。それから私の肩のあたりで、何度も何度も頷いてみせるのだった。
私は、なんだか分からない、
「心配ない、心配ない」
独り言みたいにそんなことを呟きながら、とっとっと階段を登っていったのである。
エレベーターは階段の上がり口にあった。丸いボタンを押すと、ちゃんと黄色いランプが点灯した。しかし、ずいぶんプレートがくすんでいる。ほどなくガシャンという、前近代的な響きをして、木造の扉が開ききった。内側だけはちゃんと鉄製で作られている。階を知らせる数字が点灯するのが、奇跡的なくらいの代物である。私が屋上のマークを押すと、彼女はまた黙ったままに頷いた。屋上は八階のさらに上にあるらしい。
ギギイギイ。エレベーターは唸りを上げながら昇っていく。今にも停止しそうなほど頼りないのだが、操作ボタンのところには、定員十名と書かれている。本当に十人もの人間が運べるのだろうか。間違っても試みたくないような実験である。
扉が放たれると、すぐに景観が飛び込んできた。そよ風と鳥の鳴き声と、見渡すみたいなパノラマと。私は彼女を背負ったままで、手すりの方へと歩み寄った。ここは普通の屋根に骨組みを加えて、板を張り巡らせたような、きわめて危なっかしい屋上になっているようだ。木造建築の病棟が、八階建てになっているのがすでに驚異的である。サナトリウムではこの建物が一番高いらしく、どこを見渡しても、邪魔をするものなど何もなかった。しかし、忘れた頃にちょっと強風が吹いては、見下ろす大地までは恐ろしいくらいの高さがある。骨組みや手すりは鉄筋で作られているが、床板の隙間からは、斜めに傾いた普通のトタン屋根が見えるから、滑り落ちそうな危うさをさえ感じさせるのだった。
けれども眺望はすばらしかった。
「全部が見渡せるんですね」
私は思わず胸を高まらせた。
「ええ、病棟で一番高いところなんです。ほら、向こうに広がって見えるのが、あなたの住む町でしょう」
真っ白な指を、背中から伸ばしてみせるので、私はそうだと頷いた。高層建築のビル街が、遙かかなたまで並んでいる。新幹線やら高速道路の筋も見渡すことが出来た。
けれども、なんだか不思議な心持ちである。彼方(かなた)と此方(こなた)で、明らかに時代設定がずれている。このサナトリウムだけが、高度成長期以前の姿で見捨てられたみたいに、ひっそりと佇んでいるのであった。
「町に行ったことがありますか」
と聞いてみると、彼女は細い首を横に振った。ずっと病院暮らしが続いていたのだろう。髪の毛がさらさらと揺れたので、私にはそれが分かった。
「そんなにいいところでもありません。それより、あっちに海が広がっています。海には行ったことがありますか」
彼女はやはり首を横に振った。
「海はいいですよ。波があります。砂浜があります。蟹が歩いています。それから、まあるくされたガラスの破片が、ビー玉みたいにして転がっています」
「私も鳥になれたら、ここから羽ばたくことが出来るでしょうか」
あるいは、彼女はもう治ることは叶わないのかもしれない。私は淋しくなった。
「いつか、背負っていってあげます」
と冗談をいって、わざと笑ってみせた。
「本当にそうしてくれますか」
「その代わり、早く元気にならなければなりません」
恐る恐るそう言ってみたら、
「だって、それは無理なんですよ」
と寂しい声をして、その頬をちょっともたれ掛かってきた。背中の感触から、彼女の哀しみが痛いほど伝わってくる。
「ここへはよく昇るのですか」
私はそれが苦しくて、つい話題を逸らしてしまったのである。
砂浜から左に向かって森林が広がっている。病室から見えた森林である。鳥のさえずりは、そちらの方から、いよいよ盛んになって聞こえてくるらしい。空は曇りがちだったが、太陽が見えたり隠れたりするたびに、海の彩度が、森の彩度がぱっと高められ、またちょっとくすんで見せたり、それに合わせて大気が暖められたり、わずかに肌寒さを覚えたりするのだった。
「いいえ、ずっと小さい頃に来たくらいです。やっぱり、看護婦さんが連れてきてくれたの。こんな風に背負われながら」
彼女がくすくす笑うので、私もなんだか嬉しくなった。
それから急に、下ろして欲しい、自分で歩きたいからというので、ちょっと心配だったけれど、私は背中からしゃがんでやったのである。手すりのところまで案内すると、彼女は錆びかけの鉄に掴まりながら、精一杯にあたりを眺め回した。こんなに見渡したことなんか、生まれて初めてだったに違いない。けれども、時々倒れそうになるものだから、私は心配でたまらなかった。
「あまり無理をしてはいけません」
すぐに抱きかかえられるように、近くから見守っていると、
「いいえ、もうよいのです」
そういってから、私の肩に軽く手を掛けたのであった。振り向いた私は、きっと真っ赤になっていたに違いない。けれども彼女は黙っていた。黙って私の瞳を覗き込んでいる。私はなにか答えようとした。けれどもあんまりその瞳が静かなので、ただ見つめ返すだけで精一杯になってしまった。
すると、彼女は不意に、
「ねえ、あなた、私の恋人になってくれませんか」
と囁くのであった。小さな鈴がこころに響き渡るみたいな、澄んだ歌声のように思われて、私はしばらくぼうっとなってしまったらしい。ようやく、
「恋人ですか」
と言葉を返すと、けれども彼女の瞳には、こらえきれない哀しみが、もう一杯になって溜まっていくらしく、彼女はそれを必死に隠そうとして、わざと笑ってみせようとするのであった。
「そう、恋人です」
私にはたしかに、声にならない泣き声が、聞こえたような気がしたのである。彼女の澄んだ瞳が、何を訴えているのか、分かったような気がしたのである。
私はもう迷わなかった。ただ精一杯にほほ笑みながら、
「よろこんで」
と答えて、彼女に頷いて見せたのである。
それが自分に出来る、たった一つのことのように思われたからであった。
「ありがとう。生まれてきたなかで一番嬉しい」
彼女が急に泣き出しそうになったので、私は迷わずに彼女の肩を引き寄せた。そうして力一杯に抱きしめた。彼女の温もりを心に刻みつけようと思ったからである。そうして、それからそっと、二人は唇を交わしたのであった。彼女の暖かさだけは忘れたくない、そう願いながら、ずっとずっと抱きしめていた。
「もう、お別れです」
最後に彼女がささやいた。それは小さな響きだったけれども、屹然とした思いが込められていた。私は頷いた。きっと彼女はもう、自分の死期を悟っていたのである。だからどうしても、屋上まで来たかったのである。そうしてこの広い世界を眺めながら、最後のケリを自分で付けたかったのである。それを留めることは、私にはしてはならない事のように思われた。私は彼女の心からの友人として、そうして恋人として、いさぎよく彼女を送り出してやらなければならないんだ。
「夢で待ってます。せめて夢のなかでは二人して、いつまでも楽しく暮らしましょう。いつまでも楽しく語り合いましょう」
私はそれだけを彼女に伝えた。彼女は頷いた。
「お願い。あなたの手で、私の日記をみんな燃やしてください。最後にあなたに会えて、楽しかった。本当にありがとう。さようなら」
彼女が手すりを越えて舞い上がったとき、私はつかの間、彼女が鳥に生まれ変わったような錯覚を覚えた。ふわりと舞い上がった姿が、そのまま空へと昇っていくような気がしたのである。けれども彼女はもう、すぐにどこかへ消えてしまって、私の四方には穏やかな風景が、長閑に広がっているばかりであった。
私はしばらく立ち尽くしていた。けれども腕時計を眺めると、もう十五時が近づいている。私は思い出したように、あのエレベーターを使って、階下へと降りていった。それから彼女の部屋で日記を確かめると、それを形見みたいにして、駐車場へと向かったのであった。
病棟は不思議と騒ぎにはならなかった。サナトリウムでは日常茶飯事のことだったに違いない。私はもう、彼女のことを聞こうとは思わなかった。ただ親父の車に乗り込んで、サナトリウムを後にしたのであった。
その日の夕方、私は焚き火のなかに日記を投げ込んだ。ページは揺らめく炎のなかで、一冊ごとに悲しい舞を見せながら、はかなくも燃え盛るのだった。けれども私は、一番最後の日記にそっと、今日の日付を記しておいた。そうして二人が恋人になったことを、相合い傘にして、そっと書き記しておいたのだった。そのページは燃えてしまうけど、私の心にはずっと残っていることだろう。そうして夢のなかでなら私たちは、もう一度再会を果たせるに違いない。かたくなに、そう信じているのだった。
2010/3/5