一本の線路

(朗読)

一本の線路

 うぐいすの鳴く頃には、子供会ごとに彩りの花を揺らして、春風はのどかに、カステラ工場の甘いかおりを運んでくれる。そんな時代には、私もまだ幼かった。初めての冒険にわくわくしていた。春の陽気に誘われて、勢いよく歩き始めたのであった。

 行き交う人々はほほ笑んでいた。紐を外されて、子犬がたわむれていた。私はそれを追い掛けて、レールの上を駆け出した。父さんのことや、母さんのことは思い出さなかった。二人から離れてどこまで行けるか、今こそ確かめたい気分だった。

 赤く錆びついたレールは、もうとっくに列車に見捨てられ、今では遊歩道の代わりに、人々に利用されているのだった。それなのに行政は、ここを歩道に整備するまでは、予算が回らないらしい。もちろん幼い私は、そんなことなど知るよしもなかった。廃線をどこまでも上っていったら、何かがあるに違いないと信じて、好奇心のありったけを込めて、今こそ旅立ったのである。

 昼前の日射しはまぶしかった。風がさやかに吹き抜けた。テニスコートのフェンス越しに、「フォルト」とか、「ラブ」という声が響いて、軽やかなラケットに運ばれて、ボールはあちらこちらをさ迷った。時にはフェンスに当たってガシャンと音を立てることもあった。子犬はまだ戯れていたけれども、飼い主に呼ばれると、途端に走り去った。私は淋しくなったから、レールの上に平衡(へいこう)を保って、いわゆる「落ちないごっこ」をしながら、一人でどしどし歩き始めたのであった。

 レールから落ちるたびに、枕木と砂利とで靴音が違うのが面白かった。もちろん雑草さえ茂っているから、もう砂利だか土だか分からないくらいである。枕木だって半ば埋もれかけているのだが、それでもまだ、無理に列車を走らせることも可能な様子だった。

 もっと幼い頃には、列車が走っているのを眺めたことさえあったのである。それは冒険の時ですら、忘れかけの記憶の断片には過ぎなかった。近所の空き地で誰かに背負われて、黄色い作業車両が行き過ぎるのを見守っていたような気がする。その空き地には、春になるとぺんぺん草がのさばって、「のびる」だか「ののひろ」と呼ばれる雑草も生えてくるのだった。これを引っこ抜くと球根が現れて、食用にすることも可能だったが、幼い私には苦いばかりで、ちっとも美味しいとは思えなかった。もちろん、列車を眺めたのが春だかどうだか、それはまるで覚えていない。

 それ以来、列車を見かけたことはない。たしかその路線は、戦時中なんとか師団にまで軍需物資を運んでいたのが、戦後は専売公社に流用され、閉鎖に伴って廃線になったという話しだった。子供の私はもちろん、そんな話は知るよしもなかった。しかし、ちょうど学校の近くを通っていたから、集団登校の際は無理にしても、帰宅時には路線を利用することも多かったのである。だから私は、学校側を下流、反対側を上流と見なして、上流に向けて冒険を始めたのであった。



 家並みが続いていた。窓を開け放った庭先に、籠の鳥が鳴いていてた。それはインコらしかった。インコは学校でも飼われていたが、いま思い返すと、ちょっと人工的すぎて不気味な鳥である。当時はもちろんかわいがっていた。しかし隣のウサギ小屋の方が、小学校では断然人気があった。

 籠の鳥は大空を知らない。しかし、雀はもっと自由だった。私が歩いていくと、しきりに庭先を突っついている。粒虫(つぶむし)でも見つけている所だろうか。小さな鳥居のあたりでは、樹木の合間からうぐいすも鳴き始めた。私は嬉しくなって駆け出すと、ちょっとお参りをして戻ってきた。祖母などの信心の影響が、こんな所に顔を覗かせるらしかった。

 やがてチューリップ畑が現れた。赤や黄色やオレンジの、カップから湯気でも立てて、コーヒーでも飲ませたがるような形をしていた。もちろんその頃は、コーヒーなんか好きではなかった。むしろコーヒーの真似をした、甘い乳製品の方がはるかに美味しかった。しかし、そのまま通り過ぎようとしたら、チューリップたちが声を掛けてきたので、私は思わずびっくりしてしまった。

「ちょっとあんた、どこへ行くつもりよ」

いきなり突っかかってきたのである。

「こんなところを進んだって、楽しくなんかないわよ」

なんて冷やかすので、私は「なんだい」と思って、答えなかった。

「ちょっと、答えも出来ないなんて、自分に自信がないんじゃないの」

「あらやだ。逃げちゃうの、坊や」

 私だって、子供の頃はすぐにカッとなったものである。

「馬鹿にするない。お前らなんか、みんな首をへし折っちまうぞ」

と言い返してやった。

「ちゃんと話し合うことも出来ないの」

「駄目な子ねえ」

なんて言いやがる。

「うるさいや、口喧嘩だって負けないや」

と私は、懸命に食ってかかった。

「そっちに向かっても、幸せになんかなれませんよ」

ようやくピンクの花が優しく教えてくれたので、私も気を取り直して、

「それはどうして」

と尋ね返すと、

「でも、どうせ、口で言っても納得なんか出来ないんじゃないの」

と別の花がため息を吐(つ)いた。言われてみれば、そんな気もするけど……

「なんだ、どっちにしろ、進んでいくしかないんじゃないか」

と開き直ってみせると、チューリップたちも、そうかもしれないと思い始めたらしく、

「じゃあ、お好きなようになさい」

と私を送り出してくれたのであった。隣にはパンジーも咲いている。紫のアクセントがおしゃれだった。手前には、「さつき晴れな子供会」というプレートが付いている。

 日射しが強くなってきたので、私はムキになって、どしどし先を急いでいった。紫外線が、私を黒い少年に変えてくれるような、元気な喜びがあったからである。紫外線が悪者だなんて、どうしても信じられなかった。

 少し行くと、小さなツバメがフェンスに引っかかっていた。

「ちょっと、助けておくれよ」

と言うので、

「よし。動かないでじっとしていろ」

と注意を与えて、丁寧に引っかかっているところを離してやった。

「ありがとう。初めての飛行だから、うまくいかなくてさ」

と照れくさそうに笑った。

「そうなんだ。僕も初めての冒険なんだ」

と嬉しくなって答えると、

「じゃあ、お互いどこまで行けるか、競争だな」

なんてツバメが囀るものだから、思わず駆け出したいくらい愉快になって、

「競争はいいけど、もう絡(から)まっちゃ駄目だぜ」

と送り出してやったのである。

 ツバメは軽やかに飛翔すると、しばらくは上空を旋回していたが、やがて遠くに群がる、ツバメたちの中へと消えていった。自分も仲間が欲しくなったけれども、やせ我慢をして、「へっちゃらだい」と靴を踏みつけにして、レールの上を歩き出したのである。両手をバランスに広げると、まるで飽きないゲームを見つけたみたいに、すぐにムキになってしまうのだった。

トントントン、トントントン
これは成功、ほら嬉しい
トントンテン、トントンドン
これは失敗、あら悲しい

 そんな遊びをするうちに、空には雲が広がっていった。上空には強風が吹いていて、表情が目まぐるしく変わるらしかった。

 急に暗くなってきたので驚いた。線路から落ちたところで見上げると、真っ暗な雲が睨み付けている。しまった、傘を持ってこなかったと思っていたら、ぽつりぽつりと雨が降り始めた。私は思わず、

「梅雨の到来だ」

と叫んで走り出したのであった。

 懸命に靴音を高めた。服が濡れだすと、体温が奪われて、勇気さえ挫けるような気がした。とうとう俯きながらの、とぼとぼ歩きに陥ってしまった。それでも決して、引き返そうとは思わなかった。

「まだまだこれからじゃないか。戻るくらい、いつだって出来るんだ」

必死に思い留まって、枕木をどしどし踏みつけにした。けれども不意に、紫陽花が一斉に歌い始めたとき、私は、

「もう帰る」

といって、思わず泣きそうになってしまった。危うくとっとっと引き返すところだった。不意に母さんのことを思い出したからである。

「子守唄」
かあさんのぬくもり満ちて
かあさんの背中に眠る
鼻歌は哀しくあって
面影はやさしくありぬ

買い物の袋かさばり
背中には坊やがあって
握る手をいくども変えて
子守唄やさしくありぬ

寝ながらのほほえみ坊やを
かあさんはやさしくなでて
夢なかの祈りあふれば
ねんねこの声や響くよ

軒先のゆらぐ明かりを
扉さえくぐる日暮れの
揺りかごの坊や眠れよ
かあさんはキャベツ切ります

かあさんのぬくもり満ちて
安らかに眠る僕らの
影ぼうしかなた揺らめく
忘れまいあの日ばかりを

 不意に母さんが恋しくなって、立ち止まって惚けてしまった。なんで冒険なんかに出たのだろうと、泣きべそがてらに後悔した。よっぽど踵(きびす)を返しかけたけど、また別のあじさいの花が、さっきとは違うメロディーで、歌を付け加えたのである。

おもかげの母の背中の星めぐり
いま仰ぎ見る夏の星座よ

 これはいわゆる「反歌」らしかった。けれども幼い私には、「今は一人で仰ぎ見る」という意味には解せなかった。ただ夏の星座が浮かんでくるので、

「この雨さえ上がれば、夏が控えているに違いない」

と嬉しくなって、「アンブレラの歌」を口ずさみながら歩き始めたのであった。

「アンブレラの歌」
ジャノメにカラカサ、アンブレラ
したたるしずくは、涙色
夕べにこさえた、テルテルの
夢見て笑えば、晴れの唄

雨だれドロップ、アメンボウ
とどまりごころの、通せんぼ
夕べに広まる、水たまり
長靴鳴らせば、虹の空

日だまりアジサイ、カタツムリ
あふれるよろこび、さつきばれ
ツバメも飛び交う、歌ごえの
しずくも忘れて、空の青

ジャノメにカラカサ、アンブレラ
したたるしずくは、涙色
また降りしきる、テルテルの
夢見て歌えよ、晴れの唄

 ようやく夏が来た。防音を兼ねたらしい雑木林にも、ところどころの花壇にも、いよいよ緑葉が燃え盛った。南風(なんぷう)が熱気を帯びてきた。庭の生け垣から、柿若葉が顔を覗かせた。急に汗さえ噴き出してくるので、私はなんだか喉が渇いてしかたなかった。

 財布を持ってきたのは大手柄だ。さっそくコインを丁寧に数えながら、車道と交わる自動販売機で購入した。その頃はもちろん、母さんは野菜ジュースを飲ませようと躍起になっていた。しかし今日は、誰も咎める者がいない。私は顔をほころばせながら、炭酸の効いた甘い味覚を楽しんだ。恐怖に怯えた歯医者の出来事なんか、すっかり忘れてしまっていたのである。

 やがて入道雲が迫ってきた。あたりが真っ暗になって、ごろごろと音がするので、ジュースの喜びは消え失せた。不意に大粒の雨が打ち付けてくる。私はいきなり走り出すと、公園の大木にうずくまった。ピカッと稲光がして、すさまじい音が響くので、思わず耳をふさいで、その場に泣き出してしまったのである。雷が木に落ちたらどうしようと思ったけれども、もう足が動かなくなっていた。だから瞳まで閉ざした姿で、嵐が遠のくのを、ずっとしゃがみ込んで待っていたのであった。

 雨はようやく上がった。どこからか、風鈴の響きが伝わってきた。また蝉が鳴き始めた。雲はまだ覆ってはいるものの、次第に暑さが戻ってきた。私はようやくまた歩き出した。

 湿気が高まって、ずいぶん汗が湧いてくる。さっき飲んだジュースのことも忘れて、かき氷が食べたくなってきた。盆踊りのブルーハワイが懐かしく思い起こされた。私は気を紛らわせようと思って、国語の授業で教わった、

「こくまるがらすは、いつもこくまるがらすのそばにいる」

という格言をつぶやいてみた。それから「こくまるがらす」の歌を口ずさんで、またてくてく歩いていった。

「こくまるがらす」
こくまるはいつもくろのなか
ぽつんとたたずむくろのなか
なにがいつでもこくまるのなか
そんなにいてもたまるものなのか
それでもなにやらうまくやっていくものか
なにやらかやらとやっているものなのか
いつのまにやらおおぜいのくろのなか
すっかりなじんでしまったよこくまるが
こくまろみたいでなじみますでしょう

 どのくらい歩いたろう。ようやく太陽は陰ってきた。夕暮れが近しいものに思われた。今ではもう、緑葉さえも汚れが目立つようになってきた。淋しい烏が鳴き始めると、野分が顔に当たって痛いくらいだった。バス停の待合所があったので、しばらくベンチに休んでいると、さいわい雲はまとまらず、筋状に蹴散らされて、どこかに流れ去ってしまった。

 また空が晴れ渡ってくる。とうとう真っ赤な夕焼けが、進行方向を彩り始めた。遠くの蜃気楼が「おいでおいで」をしているようで、なんだかちょっと怖いくらいだった。

 遠くの原っぱで、子供たちが駆けずり回っている。ちょうど同い年くらいだったから、まぜて貰おうかと思ったけど、今ではひとり、ふたりと、家路に向かう所らしかった。声を掛けるのを躊躇しているうちに、残りのみんなも歌いながらに、遠くへと走り去ってしまったのである。ただ歌声だけが、暮れなずむ空に谺するばかりだった。

「とんぼがするり」
秋風にとんぼがするり
秋風にとんぼがするり
帰り道の草原(そうげん)はたのしいな
早くも夕日は山のふち
真っ赤に染まったみんなの顔
今日も一日終わるよと
寂しい北風告げている
稲穂はさらりさらりと揺れて
さようならの声がこだまする
また明日になったらこの場所で
日が暮れるまで遊びましょう
雄一も 健二も うちさ帰れ
響子も 美咲も 家族の元へ
あたたかいごはんが待っている
あたたかい家族が待っている

 私はなんだか悲しくなってきた。リーリーとした虫の音(ね)に誘われるみたいに、太陽は沈んでしまった。かなたの暮れ残りが、ずさんな黒ずみを残しているので、私は心を奪われたみたいに、酔っぱらいながらに歩いていった。

 とうとう冬が来た。立木に残る枯れ葉さえ、真っ黒なシルエットになってしまった。足もとからは、ガサガサと枯れ草の響きがした。あたりはいつしか、家並みが目立ち始めている。そうして色を忘れた宵闇に代わって、クリスマスの電飾をすら灯し始めるのだった。

 不思議なことに、路線のところどころには、街灯の姿さえ見つけることが出来たのである。レールすら撤去していない廃線に、灯しが並ぶのは奇妙なことだ。もちろんそれがなかったら、その場にうずくまって、泣き出してしまったに違いない。そのくらいにもう、足もとが暗くなっていたのであった。

 私は、お化けの恐怖を忘れてしまったらしかった。イルミネーションと街灯に守られながら、母さんの姿さえ思い浮かべないで、どこまでも歩いていくのであった。すると不意に、冷たい粒が頬にあたるような気がした。おや。これは雪だろうか。けれども見上げた夜空には、満天の星が瞬いている。それでいて、頬には冷たい粒があたる。やっぱり、粉雪が降っているのだ。それなのに上空は晴れ渡っている。山から飛んでくるのだろうか。ますます不思議なことである。また嬉しくなって、私は歌を思いついた。

粉雪こんこん星あかり
粉雪こんなに星あかり
サンタを忘れたトナカイが
りんりんりんりん走るのさ

 でたらめを口ずさみながら進んでいくと、時の流れが分からなくなっていくような、錯覚をすら覚えるのだった。もちろん時計なんか付けていなかったから、何時であるかさえまるで分からない。ただ、だんだん夜が眠くなるような気がするばかりだった。私はいつの間にやら、朝になるまで歩き続けていたらしい。空が明らんで、冷たい風が吹き抜けた。それでも元気よく歩き続けたら、とうとう太陽が昇ってきたのである。ちょうど背中の方角からだ。伸びる自分の影を見つけたから、嬉しくなってそれを追い掛けていった。

 朝になると、昨日のサイクルが繰り返された。桜が満開になった。どんどん歩いていった。梅雨寒のアジサイも、やがては色を移した。カタツムリが角を出すうちに、とうとう夏が訪れた。雹(ひょう)が打ち付けた。スコールが上がった。残暑が照りつけると思っていたら、もう野分が吹いてきた。夕暮れがきれいだった。コスモスが揺れ始めた。野菊と戯れるうちに、夜と一緒にまた雪が降り出した。それでも満天の星だった。やがてクリスマスの電飾が、お正月を呼び込んだ。どしどし歩いたら、とうとう朝が巡ってきた。

 また春が来た。夏になった。秋になった。夜が来た。冬が巡った。そうやって、自然の営みが繰り返されるうちに、穏やかな色彩が、くすんだと思ったらまた華やいだり、華やいだと思ったら、またくすんだりした。幼い私は、それが自然のサイクルであることを理解した。だから歩みをやめなかった。

 いったい、何サイクル繰り返した頃だろう。次第に周囲から、自然の色彩が消え始めた。代わりに、淀んだ建物の外壁だの、汚らしい商品看板が、あちらこちらに姿を現し始めた。春になっても、チューリップは笑わなくなった。夏になっても、柿若葉は訪れなかった。秋の夕空は、灰に穢されていった。枯葉のかさかさした響きさえ乏しくなってきた。近くからは、自動車の騒音ばかりが響いてくる。巨大な工場の騒音を、耳をふさいで通り抜けた。もはや寒い冬が訪れても、看板の列に霜が降りるくらいのものだった。

 色彩がなくなり始めた。高いビルディングが顔を覗かせて、どこもかしこもコンクリートしか見えなくなった。それに合わせて、風景が白黒に消されていくらしかった。子供の私は、初めて恐ろしくなってきた。

 もしかしたら、自然のサイクルを繰り返すうちに、自分はお爺さんになってしまったのだろうか。一生が台無しになってしまったような気がして、心の中が真っ暗になった。けれども、手の平を眺めても、ズボンの様子を眺めても、どうしても自分が大人になったようには思えなかった。それなのに、灰色はますます溢れかえって、色を見分けることすら困難になっていくのである。仕舞いには、それに合わせるように、音まで損なわれていくらしかった。自動車の騒音が、ある時ふっと途絶えた。もちろん鳥も鳴かない、虫も鳴かない、風鈴の音もしない、シンと静まり返ってしまうのであった。

 私は恐ろしくなった。とうとうこらえきれなくなって、その場に立ち止まって、わあわあと泣き出してしまったのである。それなのに、自分の声が聞こえてこない。ぞっとした。もう嫌だ。これ以上は進めない。早く戻らなければ、二度と帰れなくなってしまう。だって、最後の頼りの光りまで、次第に暗くなり始めているのである。何にも見えなくなってしまったらどうしよう。もし、このまま進んで行ったら、たとえば最後の一枚をめくると、真っ黒に塗られたページが一面を埋め尽くして、闇にいざなっているばかりに違いない。それこそがこの物語の、エンディングに相応しいようにさえ、幼い私には思われるくらいだった。父さんと母さんの顔が浮かんできて、思わず、

「助けて」

と叫んでしまったのである。

けれどもやはり、自分の声が聞こえなかった。

恐くって、恐くって、私はその場にしゃがみ込んで、震えながらに泣いているのだった。



 ところが、鳥の声がひとつ、遠くからはっきりと聞こえてきた。泣きながらに見上げると、一羽のツバメが一目散に、こちらに向かって飛んでくるのであった。私は思い出した。それはまさに、フェンスから助けてやったツバメに違いなかったからである。ようやく音が聞こえてきたので、私は喜びと悲しみがごっちゃになって、またしても大声で泣き出してしまった。

 ようやく落ち着いて尋ねたとき、私は自分の声が聞こえることに気がついた。

「馬鹿だなあ。時の流れなんかじゃないよ。ただ君が、動物的な感覚を忘れて、生きる意味を奪われて、殺風景に囚われていっただけなんだよ」

「だって、こんなに白黒しかなくなっちゃったんだもの」

「ここにいたら、誰だってそうなるんだよ。シーズンのサイクルが無くなっちゃうから、サイクルのもたらす色彩も、薫りも、囀りも、みんな不変の一つの響きに収斂してしまうのさ」

「ここの奴らは、なんで何ともないの」

「もし君が、ちゃんと自分を放棄出来たなら、また色彩だって戻ってくるよ。けれどそれは、あの頃の色彩とは、全然別の色彩なんだ。だって、見る人が変わっちゃうんだからね」

「そんなの嫌だよ。あっちに返してよう」

私はまた泣きそうになってしまった。

「しょうがないなあ。僕もここに愛想を尽かして、生まれ故郷に帰るところなんだ。なんなら、送っていってあげようか」

こんな小さなツバメの癖に、私を送り返すというのである。

「どうやって、そんな体で持ち上げられるんだい」

と思ったけれども、今は蜘蛛の糸にでも掴まりたい心境だったから、

「お願いだから、あそこに戻してよ」

と懇願した。もう白黒の風景さえ、漆黒に飲み込まれそうだったからである。ただツバメの声だけが、私に残された唯一の救いだった。

「じゃあ、ゆっくり瞳を閉じてごらん」

私は、ツバメの指示に従った。

「いいかい、僕がいいって言うまで、絶対に見開いちゃ駄目だからね」

と念を押すので、私が頷くと、ふっと宙に舞い上げられたような感覚が伝わってきた。それから何だか分からない、急にぐるぐる回り始めた。地に足が付いていないのである。ジェットコースターの三回転の連続のような恐ろしさだった。目が回るうちに、瞳を開きたい誘惑に駆られたけれども、振り返ったらお化けが居たという、恐ろしい物語を思い出したから、懸命にまぶたを閉ざして、決して開かないように頑張っていた。

「はい、おまちどおさま」

 ようやくぐるぐるが治まって、ツバメの声が帰ってきた。おそるおそるまぶたを開くと、そこはかつてツバメを助けた、あのフェンスの近くだったのである。豊かな色彩が戻ってきた。鳥たちの囀りが帰ってきた。花たちが競い合って咲いていた。赤茶けたレールに、日射しがまぶしいくらい当たっていた。私はあまりにもホッとしすぎて、その場にしゃがみ込んでしまったのであった。

「ありがとう」

ようやく礼を述べたら、

「いいかい、これに懲りたら、すぐに引き返さなきゃ駄目だぜ」

とだけ伝えて、私が「うん」と頷くやいなや、ツバメは向こうへ飛んでいってしまった。どうやら、仲間たちと再会を果たしているらしい。やがて、澄み渡るようなツバメの合唱が、口笛みたいにこだまするのが聞こえてきた。

「つばめの歌」
本当(ほんと)の夢を探しましょう
思い立っては羽ばたいた
幼きつばめの折れそうな
つばさはだんだん遠ざかる

やがてつばめは日だまりの
群がり集う若人(わこうど)の
なかにあってはのびのびと
春を歌っておりました

いたずらだってしたけれど
喧嘩も一杯したけれど
恋する季節はめぐり来て
ため息ばかりが募ります

妻とねむるは巣作りに
いとしきひなを迎えては
世話する仕草は嬉しくて
せっせと餌さえ運びます

やがてつばめは子供らの
旅立つ背中を見るでしょう
そうしてはっと気づくでしょう
羽ばたくあの日を思うでしょう

ようやく駈け寄るふるさとの
古き宿(やど)りは朽ちていて
あふれるなみだははらはらと
頬をつたってゆくばかり

耳もと響くさえずりの
はっと見返る枝さきに
羽根の色さえ褪せたけど
母は笑っておりました
それからつばめは井戸端の
あらたな暮らしをいたしましょう
本当の愛を悟るでしょう
我が子もいつしか戻ることでしょう

 父さんと母さんが恋しくなって、私は慌てて路線を駆けだした。帰ってみると二人は居間にいて、

「遅いじゃないの、ちゃんとお昼に帰ってこなくちゃ駄目でしょう」 と注意するのである。私はようやく、

「あれ、これからお昼だったっけ」

と気がついたのであった。



 昼食を取り始める頃には、私は夢から覚めたらしかった。残された最後の記憶は、食卓の風景に途切れているからである。それは小学校の頃の夢であった。当時の私は、はたして何歳くらいであったろうか。まだレールの残されていた廃線は、ほどなくして遊歩道に作り替えられた。小学校に名称の募集があって、その中から、『憩いが広場までののどかなる道のり』という風変わりな名称が定められた。けれどもそれ以来、その道をどこまで遡っても、最後には近隣の駅に辿り着くばかり。夢のなかの不思議な光景は、見つけることなど出来なかったのである。

 しかし私は、まるであの夢が予言でもあったみたいに、長らく離れたこの町に、いつしか戻って生活を始めるのだった。両親はずいぶん老けてしまったけれども、そして自分もいい年齢になったけれども、まあまあ幸せに暮らしている。そうして古い記憶にある空き地はまだ、遊歩道の横に残されたままなのであった。

2010/3/29

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