漱石の夢十夜(パラフレーズ)

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夏目漱石の夢十夜によるパラフレーズ

タイトルカタログ

・この作品は、夏目漱石の「夢十夜」の本歌取り的な作品です。「夢十夜」の物語に寄り添いつつ試みる、ある種の言葉のリズムによる夢十夜変奏曲。
「夢十夜 第一夜 白百合の花」
    (忠実踏襲)
[夢十夜 第二夜 行燈(あんどう)]
    (忠実踏襲)
[夢十夜 第三夜 アルビノ]
    (現代化)
[夢十夜 第四夜 瓢箪(ひょうたん)の砂]
    (教訓譚昔話風)
[夢十夜 第五夜 天探女(あまのじゃく)]
    (主人公の入替)
[夢十夜 第六夜 彫刻]
    (現代化)
[夢十夜 第七夜 アルコル]
    (歴史的事件風)
[夢十夜 第八夜 散髪]
    (以下三夜連作化)
[夢十夜 第九夜 天誅(てんちゅう)]
    (文体のルーズ化)
[夢十夜 第十夜 月の光]
    (踏襲と逸脱のバランスの模索)

夢十夜 第一夜 白百合の花

 幽玄のかなたへ帰るという人の、悲哀はどこへと向かうだろう。残される我らにはいったい、どんな幸せの欠けらが残るだろう。

 女の瞳は潤んでいた。小さな点滴のくだが一本、彼女を保つための最後の仕草を、ひたむきに続けていた。けれどもはや、彼女はそれを受け付けないらしかった。ただ私のことを見つめながら、最後の挨拶を交わすばかりだったのである。

「もう、お別れです」

 髪毛が長く伸びきって、病院の硬質な枕から、したたり落ちるみたいに思われた。それは長い歳月を伸ばしきった、悲しげな姿をして、私の手元にまで寄せていたのである。それは彼女が、切られることを拒んだ黒髪だった。

 脈拍が小さな鼓動を運びながら、この髪を伸ばし続けているあいだは、小さないのちの証だけは、絶やさないで欲しい。それが彼女の願いだった。自分はそれを叶えてやった。

 彼女は柔らかな瓜実顔で、

「もう、お別れです」

ともう一度だけ、私に向かって囁いた。

 なんだか不思議だった。太陽に愛想を尽かされたような、真っ白な頬から血の気が差して、ささやく唇だけが紅く燃えていた。据え置きの時計が、静かに針を刻んでいた。窓際から差し込んだ陽射しは、わずかな風を受けて揺れる、白百合の影をベットにまで伝えてくれた。すべてが、穏やかで、すべてが、安らかだった。

 こんな午後の日だまりの中に、彼女の命が絶たれるなんて、自分にはどうしても信じられなかった。

「死ぬなんていうな。また明日も来るから」

 ほほ笑みながら答えようとしたのが、涙が出そうなくらい苦しかった。それなのに彼女は、もう頷いてはくれず、

「だって、もう駄目なんですもの」

と涙を流すのであった。潤んだような黒真珠の瞳には、深い悲しみが溜まっていた。もう挨拶を送るのが精一杯らしく、それが私を確かめるための、最後の儀式のように思われた。自分はびっくりして、彼女の耳元へ口を寄せた。

「死ぬな。まだ、伝えたいことが山ほどあるんだ。明日また、明後日また、この病室に語り明かして、静かに静かにいつまでも、一緒に暮らすんだ。だから死ぬな」

 小さな刺激がもし、彼女を永遠(えいえん)に奪い去ったらと思うと、肩を揺することすら出来なかった。私はますます顔を近づけていった。

「わたしの顔が見えるだろう」

と一心に尋ねると、彼女はちょっとだけほほ笑んで、

「馬鹿ねえ。見えるに決まっているじゃないの」

と答えてくれた。私はあまり静かなその調子に、ちょっと怖じ気づいた。やはり彼女は、ここで死ぬのだろうか。どうあっても、それが定めなのだろうか。

「死んだら、わたしのことなんか忘れてしまうんだろう」

 こんな親密な二人の関係が、永遠に断絶してしまうことが、私には不条理でならなかった。けれども彼女は、

「そんなことはありません」

と答えるのであった。私は苦しかった。

「またいつか、一緒になれるのかな」

と涙を堪えながら、ぶっきらぼうに呟いた。まつげを揺らしながら、彼女はしばらく考える風だった。しかし、やはり伝えておこうと決心したらしく、こんなことを語り始めるのであった。

「あなたは、あなたの生涯が束縛されて、その意味をなさなくなっても、それでも私に逢いたいと思うのですか」

真っ直ぐに瞳の奥を覗き込んでくる。

「そうだ」

 私に躊躇はなかった。そしてひと言で、思いのすべてが伝わることを、私はよく知っていた。白百合の花影が、またそっと揺れたとき、彼女に残された生気が、最後の気力を振り絞るみたいにして、私に囁きかけたのであった。

「私が死んだら、あの白百合の原に埋めてください。いつか二人で訪れた、私たちのあの野原に。近くの浜辺には、真珠貝の貝殻が転がっているでしょう。それで穴を掘って、私を埋めてください。すると、夕暮れの一つ星のあたりから、涙のような流れ星がひとつ、あなたの元へまでこぼれて来るでしょう。あなたは散らばった星の欠けらを、一粒すくい上げてください。沢山の星の欠けらは、みんな溶けてしまうでしょう。だけどすくい上げたひと欠けらだけは、いつまでも輝きを放つでしょう。それを私の墓標(はかじるし)にして、いつまでも待っていてください。わたしはきっと会いに来ますから」

自分は不安だったから、

「必ず来るだろうね」

と尋ねてみた。彼女は黙って頷いた。それから、

「いつ、逢いに来るんだ」

ともう一度聞いてみた。彼女の声は、もう消え入りそうなくらいに小さかった。

「白百合の原に日が昇るでしょう。それから日が沈むでしょう。季節の営みをつかさどる儀式みたいに、毎朝、東の空から昇って、夕暮れに、西の空へと沈むでしょう。また昇って、眺めるうちにまた沈むでしょう。それが果てなく繰り返されるうちに、季節は再び春へと返すでしょう。そうしてまた夏が訪れるでしょう。そうやって、歳月がむなしくあなたの生涯を流れていくあいだ、あなたは待っていられますか」

 私は黙って頷いた。私には彼女以外に、生きる喜びなんてなかったからである。彼女と共にあること、それだけが私のすべてであった。世の中のすべてのことなんか、ちっとも幸福には思えなかった。ただ嫌なことばかりが広がっていた。わたしには地獄の日々にしか思えなかった。

 ある時、あなたが現れた。あなたは生きることの意味を教えてくれた。ありきたりの幸せを教えてくれた。あなたと一緒に歩むことだけが、わたしの生きる理由となった。だから迷わなかった。私は彼女の頬を、優しく撫でてやったのである。

「百年待っていてください」

 彼女は思い切ったみたいにささやいた。私を束縛したくないという思いと、もう一度触れ合いたいという願いが、まるで葛藤しながら燃え尽きる、最後の灯火みたいにして、その瞳は輝きを放つのだった。

「百年のあいだ、私の墓のそばに控えていてください。きっと、きっと逢いに行きますから」

 私はもう一度頷いた。何かを口にしようとしても、苦しくって出てこなかった。彼女ももう、話すべき言葉を失ってしまった。ただ、見つめ合ったままで涙を流していた。それは清水のように澄んだ、優しい涙だった。露草の堪(こら)えきれずに流した、朝焼けの水滴に似ていた。それなのに彼女の瞳からは、しだいに輝きが損なわれ、私がどんなに覗き込んでみても、どんなに名前を叫んでみても、もう、なんの反応も返ってこないのだった。なみだが一粒、彼女の頬にこぼれ落ちた。けれども、その頬は動かなかった。彼女は死んでいた。

 自分は彼女を背負って、病院を抜け出した。彼女を救えなかった、医者たちが憎らしかった。手当たり次第殴りつけて、滅茶苦茶にしてやりたいほどだった。病院なんて、もう信じないと思った。廊下は不思議なくらい静かだった。誰の姿も見かけなかった。私は悲しい靴音を立てて、彼女を運んでいった。

 長年、病魔に奪い取られていった肉体は、悲しいくらいに軽やかだった。私は病院を逃れると、一人でわあわあ泣きながら、もう何の醜聞も分からなくなって、彼女を背負ったまま、あの浜辺近くの、白百合の野原まで歩いていくのだった。西日はずいぶん傾いて、遠くに広がる海浜の波間へと、沈む準備を始めているらしかった。

 彼女の言葉を思い出して、大きな真珠貝の貝殻を拾ってきた。それはちょうどスコップくらいの大きさがあって、私に拾われるためにわざわざ、浜辺に寄せていたとしか思えなかった。彼女を大きな岩のところに横たえて、彼女を埋めるために、自分は穴を掘り始めたのであった。

 それは、侘びしい儀式だった。最愛のものを葬るために、己の手を汚すという行為が、重々(おもおも)しくのしかかってきた。悔しくって悔しくってならなかった。心が砕けそうになる度に、私は振り返った。彼女の亡骸が、今にも目を覚ましそうなくらい、まだ生気に満ちているのだった。

 夕日はとっくに沈んでしまった。そうして照らし始めた月影が、子安貝の裏をきらきらと反射させるのだった。汗となみだが一緒になってこぼれたとき、湿った土の匂いが鼻をついた。

 私は彼女を抱きかかえた。そうして静かに土へと寝かせてやった。やっぱり、起き上がるような気がしてならなかった。何度も何度も名前を呼んでみた。肩のあたりを揺すってみた。けれども彼女はもはや、月の光を浴びながら、静かな置物にでもなってしまったらしく、小さな鼓動の気配すら、まるで伝わってこないのだった。波音が悲しいくらいはっきりと聞こえてくる。私はまた、崩れ落ちるみたいにして、名前を呼びながらわあわあ泣いていた。ただ馬鹿みたいになって、わあわあ泣いていた。風が頬をすり抜けた。男らしさなんて、どうでもいいことのように思われた。

 柔らかな土を掛けてやった。真珠貝のうらに月の光が差してきた。それを繰り返すうちに、彼女の姿は消されていくのだった。

 彼女が見えなくなった頃、万丈(ばんじょう)のかなたより、ひかりが兆すような気がして、ふっと振り仰ぐと、まるで見たこともないような光源から、ひと筋の流れ星が、ぱっとこぼれ落ちて来るのだった。フラッシュをたかれたような瞼(まぶた)を閉ざすと、ひかりの粉が降り注ぐような、不思議な感覚が伝わってきた。見ひらくと私の足もとには、沢山の星の欠けらが、まるで金平糖のようにして散らばっているのであった。私は慌ててそのひと粒を拾い上げた。

 星の欠けらはしばらく大地で瞬いていた。それが雹(ひょう)ででもあるみたいに、ほどなく蒸発してしまうのだった。ただすくい上げたひと粒だけが、いよいよ明るくなって、青白い炎に燃え盛っているのだった。

 手の平に転がすと、たましいのように暖かだった。まるで彼女のこころが、生まれ変わったのかと錯覚するくらいだった。自分はそれを大切に、手頃な丸石へとはめ込んだ。それから盛り土の上に、そっと乗せてやった。それが彼女の墓標(ぼひょう)という訳だった。

 それから自分は、向かい合った岩に胡座(あぐら)をかいた。それは彼女を横たえた、あの冷たい岩であった。しかし、百年という歳月は、やはり実感が湧いてこない。とことんまで待ち尽くしたら、ともかくも彼女に会えるのだろう。墓標(ぼひょう)はまだ、星明かりを放ったままだった。それは夜更けにさえも、百合野を照らし出すのであった。

 やがて彼女の言ったとおり、東から太陽が昇ってきた。大きな、けれども真っ赤な太陽だった。それが真っ赤のまま西へ傾いた。それから彼女の言ったとおり、水平線のかなたへと落ちていった。ひとつ。自分は勘定した。

 それから満天の夜空に、銀河が横たわった。自分は、

「荒海や佐渡に横たふ天の河」

という芭蕉の句を思い出した。その実、水平線は穏やかな海であって、ここは佐渡でも何でもなかった。自分にはそれが、僅かながらにおかしかった。

 しばらくすると、また唐紅(からくれない)の天道(てんとう)が昇ってきた。そうして、黙ったまんまで沈んでしまった。ふたつ。自分は勘定した。

 けれども、だんだん勘定が分からなくなってきた。赤い太陽は毎日規則正しく、昇ってはまた降っていく。その間、百合野は一面に花咲き乱れ、あるいは緑を揺らし、最後には枯れ野へと帰っていくらしかった。それに合わせて自分のからだが、暑くなったり寒くなったりした。それでも赤い日は、昇るのを諦めなかった。銀河はやはり、横たうのを止めなかった。

 しだいに、時の感覚が無限に引き延ばされていった。わたしはとうとう、彼女のことをさえ疑い始めた。最愛の人のこころまで疑うのは情けない。それなのに、気が付けばまた、彼女のあまりの仕打ちに煩悶するのだった。

 星の欠けらの瞬きは、終生(しゅうせい)変わらなかった。それは私にとって、たった一つの慰めだった。決して立ち上がって、そこを離れようとは思わなかった。わたしは今でも、彼女のことを愛しているのだった。

 ある時。丸石の下から、斜めに傾くみたいにして、すっくと丈夫そうな茎が、ぐんぐん伸びてくるのが目についた。私はまだ悟らなかった。夜明けの大気がささやいたような気配がして、ふっと顔を上げたとき、目の前にまで伸びきったその先端から、細長い一輪の百合のつぼみが、ふっくらとした花びらを開ききっていた。甘い白百合の香りがして、私は不意にあの日の病室を思い出した。嬉しくなって、頬からしたたる涙がひと粒、白百合の花のうえに落ちた。すると白百合は、まるで意思でもあるみたいにして、ゆらゆらと花を揺らして見せるのだった。

「お久しぶりですね」

そんなささやきが、こころの中に伝わってくるような気がした。

 私は花に頬を寄せると、清純そうな白い花びらへと、優しく口づけを交わすのだった。それからまたひとしずく、清らかな涙を流してみせるのだった。暁(あかつき)の空には、たったひとつだけ、明星の輝きが二人のことを、いつまでも見守っているばかりだった。

「百年はもう来ていたんだな」

わたしは始めて、そう気が付いた。からだがふっと軽くなって、私は彼女とともに、空へと羽ばたいた。あの横たう天の川へと、二人は帰ってゆくのだった。

夢十夜 第二夜 行燈(あんどう)

 こんな夢を見た。

 憎たらしいこと、この上なかった。和尚の口調が甦って、案内された時の小坊主にさえ、斬りかかりたいほどの衝動を覚えた。

「ここで悟りなされ」

なんて生意気なすり足で、小坊主は立ち去ってしまった。

 自分は部屋の真ん中に腰を下ろした。行燈(あんどう)までも馬鹿にして、ゆらゆら揺らめいている。立ち上がってから燈心(とうしん)を掻き立てたら、丁子頭(ちょうじがしら)がぽたりと落ちて、自分の影が向こうに濃くなったので、思わず我に返った。慌てて座布団に座禅を組み直す。

 襖には、蕪村が端正に運んだ筆さばきが、黒い柳を遠近(おちこち)に並べていた。漁夫が寒そうにして、舟で下りゆく姿が、まるで自分のことのように思われた。憎たらしい和尚の顔が浮かんでくる。悟りなんか、到底開けそうになかった。それならば、いっそのこと……

 自分は座布団のわきに、置かれたままの刀を握りしめた。その冷ややかな感触が、生き血を欲っしてうずくように思われた。それが己の欲求なのか、刀の欲求なのか、区別がつかなかった。やるならいつでも出来る。そう考えると、不思議と穏やかな心持ちがした。和尚を前にして動じたのは、刀が無かったためかと気がついた。

「お前は侍であろう」

和尚の声が頭に響いてくる。

「侍が、侍の心でもって、悟るかなたを掴み取れぬなら、それは人でなしだ」

和尚はそういった。獣の牙をむくのと、人を殺めるのと、異なるところあろうかと罵った。お前のは快楽の道具じゃ、切っ先にこそ求道(ぐどう)を極めるべし、今のお前は刀と変わらぬ。そうでないなら、そうでないところを持ってこい。悟った証拠を、何でもいいから見せてみろ。そういって、ぷいと向こうをむいた。けしからん。

 隣の広間に据えてある置き時計が、自分を馬鹿にしてチーンと刻限を打った。思わず束に手を触れたとき、また和尚の、

「悟れぬであろう」

という皮肉の口調が浮かんできた。うるさい。少し驚いただけだ。決して臆病ではない。何だ悟りくらい。次の刻限までにきっと悟ってみせる。今に見ていろ。偉そうなことを述べ立てやがって。ようするに俺たちに貢がせて、豪奢(ごうしゃ)な生活を送る、特権者に過ぎないのではないか。

 自分は座禅を組み直す。組み直したのを、悟れぬ証拠とは考えない。ここからまた始める。そうして悟りきる。それから今夜の内に、もう一度入室する。悟った証と、和尚の首とを交換してみせる。そうして寺を降りる。万事片がつく。もし悟らなければ、和尚の首を取れない。どうしても悟らなければならない。自分は侍である。

 今夜中に悟れなければ、いさぎよく自刃(じじん)する。辱めを受けたまま、おめおめとは過ごせない。生きるか死ぬかである。五分と五分の勝負である。決して劣ってなどいるものか。奴が偉く見えるのは、つるっ禿(ぱげ)な所へもって、袈裟などを着込んで、虚飾にまみれているのが原因だ。決して悟りの差ではない。今に見ていろ。悟りの差ではない証拠を持って、お前の首を貰いに行くから。

 瞳を閉ざして、精神を一点に定めた。的を睨めつけるように、意識をさえ研ぎ澄ませたら、必ず中心を射貫くには決まっている。そうでなければ理屈に合わぬ。ところが的は、いつまで待ってもはっきり見えてこなかった。瞳を凝らすほどに、にじんだ姿をしているらしい。到底、射抜けそうもない。自分は焦りだした。

 思わず見ひらいて、刀の朱鞘(しゅざや)を握りしめた。ぐっと束を握って、鞘を向こうへ払ったら、ひやりとした光がして、刃先が獲物を求めて研ぎ澄まされているのだった。じっと眺めると、

「臆病者めが」

自分を責め立てる二つの瞳が、睨め返すような錯覚がした。人をひとり殺めるのも、二人殺めるのも、同じことだ。尖った先がささやいているような気がした。あの男の、最後の表情が、瞼に閃いた。浴びた血潮はぬめっていた。奴は事切れて、自分は求道(ぐどう)の山門へと至る。俺は奴の分まで、生きていかねばならない。悟りなど、所詮気休めではないのか。

 自分はこの刃にこそ、己を極めるべきではないのか。あんな和尚くらい、悟りも無我もなく、ぶった切ってやるべきではないのか。刃を見つめていると、握っている束がにちゃにちゃする。唇が震えた。

 息を吐くと同時に、刃を収めた。駄目だ。悟りを開いてからだ。それから雁首をぶった切る。首は仏壇にでも捧げてやる。だが悟りが先だ。自分は全伽(ぜんが)を組んだ。

 ―趙州(じょうしゅう)和尚いわく「無と」。

ちくしょう、訳の分からないことを言いやがって。

「犬に仏性(ぶっしょう)ありや」

「趙州答えて無」

「趙州答えて無」

しからば問う、無とはすなわち何。

皆目見当がつかぬ。どだい、人を馬鹿にしている。愚弄(ぐろう)の匂いがする。てんから騙すが和尚の策略か。

「刀に理性ありや。趙州いわく無」

「しからば問う、無とはすなわち何」

 誰にだって作れるではないか。すっとぼけた問答で煙に巻いて、教理ぶって侍をなぶり者にする気か。許せぬ。あの糞坊主めが。

 あまり噛みしめたので、奥歯がぎしぎし悲鳴をあげた。からだがかっかと熱くなる。こめかみがずきずき痛む。それからぎょっと瞳を見ひらいて、これぞ悟りだと、一点を睨めつけたが、ただ掛軸が表情もなく、自分を眺めているばかりであった。

 それにしても、憎い和尚である。

「悟りの際(きわ)に掛け軸なく、無我の際に行燈なし」

ふざけたことを抜かしやがる。わざと視野に入るものをばかり、説教に織り交ぜて、

「見えるじゃろう。ほれ、悟れまい、お前には無理じゃ」

とほざく算段に違いない。なんの英知があるものか。俺が説教役を勤めたら、お前にだって悟れまい。

「袈裟(けさ)をわずらう者、未だ悟れず」

「経文の響きを知る、すなわち未だ悟れず」

どうだ。決して悟れまい。昔いびられたのを、今に復讐しているんだろう。それが悟りとでも、本気で思っていやがるのか。それともやはり、自分が愚物に過ぎないのだろうか。和尚には五感の働きなく、経を読むことが出来るのだろうか。忌々しい。

 あんまり情けなくって、いきなり自分でもって両手を拳骨にすると、嫌というほど頭のあたりを殴りつけてやった。全身に力を入れ、歯を食いしばり、一点、掛軸を睨んでやった。軸などない、あれは幻だ。棚もない、花瓶もない、花の色さえ偽りだ。無だ、無だ。行燈などどこにもない、あかりさえ取らない。無だ、無だ。

 掛軸は海中文殊(かいちゅうもんじゅ)の画である。文殊菩薩の御姿(みすがた)である。行燈の灯しはまだしも結構である。部屋はあかるい。自分の前からは、何物も消え去らない。そうして自分は、とうとう悟れない。あんまり腹立たしくって、なみだがほろほろこぼれてきた。己に負けたときの無念が、悔しさいっぱいに広がってくる。ひと思いに巨巌(おおいわ)の角にぶち当たって、骨も肉もめちゃめちゃに砕いてしまいたくなった。

 それでも、まだじっと座っていた。だんだん怒りも、掛軸も、和尚も、切っ先も、足のしびれも、渾然一体となって、想いが巡らし切れなくなってきた。どうとでもなれと思いだした。無我ではない。すべてが有我のまま、悟りと同じ高みに、辿り着いたような錯覚に囚われた。これは悟りとは反対の局地、有我の局地だと考えた。考える自分が馬鹿馬鹿しかった。

 そこへ忽然(こつぜん)、隣座敷の時計がチーンと鳴りひびいた。心臓を突かれたような驚きのうちに、自分は思わず刀を握りしめた。時計が二つ目をチーンと鳴らした。このまま剣を抜ききって、和尚を斬り殺すか、それとも、畳に横たえて、瞑想を続けるべきか、自分にはそれさえ定まらなかった。

夢十夜 第三夜 アルビノ

 こんな夢を見た。

 六つになる子供を負(おぶ)っている。確かに自分の子である。ただ不思議なことには、いつの間にか眼が潰れて、アルビノ種になっている。自分が、

「お前の目は、いつから見えなくなったのだ」

と尋ねると、

「なに、昔からさ」

と答えた。声は子供の声には違いないが、言葉つきはまるで大人である。しかも対等だ。

 左右は家並みが続いている。はなはだ暗い。街灯がひと筋道を連なっている。窓明かりのカーテン越しに、家族の笑い声が聞こえてくる。

「ここには、長男がいたね」と背中でいった。

「どうして解る」と顔を振り向けるようにして尋ねたら、それには答えずに、

「リベラルな親父がいてね、息子にいろいろ教えるじゃないか」といった。

 するとはたして窓越しに、

「みんな覚えなくたっていいんだ。一つ一つのことを、どれくらい真剣に、自分の身につくまで考えたかだけが、己の糧となるのだから」

という声が響いてきた。それから母親の、

「あなた。成績がよいに越したことはないでしょ」

という笑いとともに、「それは越したことはないな」という答えが返ってきた。夕飯が近づいているらしかった。

 自分は思わず立ち止まった。初夏の薄いカーテンの向こうには、屈託のない家族の姿が控えている。

「お前はなにを教えてくれたっけね」と後ろから声がした。

「あそこの父親は、仕事が楽なだけだ」と言い訳したら、

「ふん」というあざけりが耳をかすめた。なんだか気味が悪かった。

 逃れるように歩き出すと、向こうから自転車が近づいた。子供用の小さいやつが、補助輪を外して、よろよろとして倒れそうだった。転びそうになる寸前で、後ろから追いかける父親が、それを支えるらしかった。そうして、

「乗れる、乗れる」と大声で励ましていた。しばらくすると、

「乗れてる」という子供の声が響いてきた。自分にはそれが、幸せそうに思われた。あんな幸せな暮らしがしたいと考えたら、不意に背中がずしりと重くなった。

「お前は自転車にさえ乗せてくれなかったね」とまた声がした。

「だって、乗れたのだからいいじゃないか」と慌てて答えると、

「それは、自助努力のたまものだからね」

 ぶっきらぼうな言葉が返ってきた。そんなこともなかろうと、昔を思い返したが、負(おぶ)っている息子と、遊んだ記憶すら乏しかった。

「仕事が忙しかったんだ」と思わずつぶやいたら、背中で、

「ふふん」と罵るみたいな声がした。

「父を笑う奴があるか」

我が子は返事をしなかった。ただ、

「父さん、重いかい」と聞いた。

「重くはない」と答えると、

「今に重くなるよ」といった。

 自分はなんだか恐ろしくなった。これが息子とは思えなかった。本当の息子は、別のところにいるに違いない。背中の人間が、空想を羽ばたく息子の姿と、どうしても一致しなかった。その鳥は、健全で健やかで、わがままでない素直な、なんの手も掛からない、凛々しい鳥であるはずだった。

「それでいて、お前はなにを教えるでもなかったな」

 そんな呪文が耳元に響いたので、ぞっとした。心を読まれた気がしたからである。自分はこの荷物をどこかへ捨てて、身軽になるべきだと考え始めた。

 黙って、一つ手前の道を右に折れた。家には帰らない。こいつを橋桁から放り出して、溺れた頃に助けを求めて、知らんぷりをしちまえばいい。この息子は偽物である。そう思って歩いていった。

 ところが、なかなか橋へは着かなかった。自分は横道へ迷い込んだらしい。こんな近所で迷うなんて、どうかしている。息子はうんともすんともいわなかった。

「ここはどこだろうな」

何とはなしに呟くと、背中からまた、

「墓が並んでいるだろう」

と声がした。なるほど、向こうに黒光りの行列がして、御影石が街灯を反射しているのが目についた。

「あの横を抜けるがいい」と背中から命令した。自分は一度も墓参りをしていないことを思いだして、ちょっと躊躇した。

「遠慮しなくてもいい」

 あざけるような声がした。自分は仕方なしに、墓の方へと歩き出した。腹のなかでは、なぜここを知っているのか、新たに買った墓なのに、と考えながら墓所をすり抜けようとすると、突然背中で、

「どうも目玉がないと、不自由でいけないね」といいだした。

「負(おぶ)ってやるからいいじゃないか」

「負ってもらって済まないが、どうも人に煙たがられていけない。親にまで馬鹿にされるからいけない」

何だか嫌になった。早く河に出て捨てちまおうと思って、先を急いだ。

「思えば、くだらない人生だった」

後ろが急におしゃべりになったので、自分はなおさら嫌だった。

「肌と肌とで触れ合う遊びなんて何もなかった。本さえ自分では読ませなかった。五感と情緒を統合させるための遊びの代わりに、指先だけで画面を見つめる道具を、早くから与えておいて、すべての遊びをそれで済ませようとした。そうして自分自身も、いい年をして、子供の見るような、稚拙なアニメやらゲームくらいの、質素な娯楽に興じているらしかった」

 背中の子供が急に能弁になるので、自分はびっくりした。思わず取り落としそうになったが、踏ん張って歩き続けた。河原はもう、すぐそこである。

「それでいて、画面の遊びをばかり、無理矢理にでも、俺を仲間に引き込もうとした。子供は強刺激に陥るものだ。麻薬と同じことだ。精神を麻痺させるのにはもってこいだ。もちろん害なんて何もない。無味無臭だ。ただ振り返っても、空っぽの時間が続いているばっかりだ。なんて乏しい、幼少時の想い出だ。もちろん俺は、喜んでその中に投ぜられた。気がついたら、精神が空っぽになっていた」

「まさか、そんなこともないだろう」

なんだか急に不安になってきた。

「だって、視覚だけの娯楽は、五感と喜怒哀楽とを結晶化させるべき、内的成長にすこしも寄与しないのだからね。趣味だって味覚がファーストフードくらいのままなのさ。まるでお前のようにね」

 我が子は、先輩面をして語り始めた。さすがに腹が立った。何様のつもりだ。自分に説教をするとは。自分は不意に、あまり息子が暴れるんで、警察に相談した時のことを思い出した。あれはたしか中学生の時分だった。やはりこいつは、偽物の息子ではないかと考えた。

「ちょうどこんな晩だったな」

 奴はまだ、背中で独言(ひとりごと)を呟いている。

「何が」と際どい声を返した。

「何がって、解っているじゃあないか」と息子はあざけるように答えた。すると何だか解っているような気がし始めた。けれどもはっきりとは悟らない。ただ、こんな晩であったような気がする。

 もう少し行けば河原である。しかし、河原へ達するより早く、解りそうな気がする。ともかくも、早く河へ投げ入れちまおう。見えないんだから、這い上がってくる気遣いはない。これは偽物の息子なんだ。自分は、ますます足を早めた。

 やがてどす黒い雲の間から、堪えきれなくなった雨粒が落ち始めた。水を吸って膨れあがったように、六歳のはずの子供が、まるで大人のように大きく迫ってきた。重々(おもおも)と自分を束縛して、過去から現在へと流れ、はるか未来までをも規定し続ける、十字架のように思われた。それでいて眼が潰れている。一生厄介者である。自分の息子には、十分な素質が欠けている、これは不要な息子である。

「ここだ、ここだ、ちょうどその欄干の下だったね」

 雨の中で、背中の声ははっきりと響き渡った。それはまるで、耳元で鴉(からす)が叫んだみたいに、鼓膜をつんのめって響いたのである。少し向こうにはどす黒い川が、水かさを増して波間を揺らしていた。

「その土手のあたりだったね」

「なにが」自分は思わず逃れ声がでた。

「とぼけなくたっていいだろう」

その時の木刀は、たしか河へ投げ込んだはずだった。

「お前が、俺を殴り殺したのは、今からちょうど一年前だったね」

 その瞬間、背中の息子が、ずしりと重くなった。

夢十夜 第四夜 瓢箪(ひょうたん)の砂

 肴(さかな)は煮しめらしい。四角な膳を前に爺さんが酒を飲んでいる。黒光りに光っている台の周囲(まわり)に涼みの様なものを据えて、広い土間の真中(まんなか)に並べてある。爺さんは酒の加減で中々赤くなっている。髭が真っ白である。だから爺さんには違いないんだが、そのくせまるで皺(しわ)がない。頬のあたりがつやつやしている。皺がない爺さんは奇妙だから、自分は斜(はす)の卓上から、ちょくちょく眺めていた。

 自分はまだ子供である。それで酒屋に座っている。親父の連れではない、一人で飲んでいる。もっとも酒ではなかった。茶碗に麦茶が入れられている。自分は皿の上の肉まんをひと口咥(くわ)えてみた。大同小異の酔っぱらいの中で、子供を咎めないのが不思議なくらいである。

 薄暗い奥には煤けた甕が並べてある。煮釜の香りが漂ってくる中に、柱には、鎖鎌が雁首をもたげている。爺さんに酒を持ってきた神さんが、あれは宍戸梅軒(ししどばいけん)から貰ったものだと自慢すると、

「わしは梅軒とは幼なじみだ」

なんて言いだした。呆れた神さんが、

「爺さんはいったい幾つかね」と聞くと、爺さんは頬張った煮しめを呑み込んでから、

「もう幾つかわすれたよ」と澄ましている。神さんは本当に幼なじみじゃなかろうかと疑(うたぐ)った。そこへ呼び声がするんで、爺さんをちらちら眺めながら、奥へと帰っていく。向こうから、

「酒だ、酒だ」とがなり声が響いて、たいそう陽気である。したたか酔っているらしい。

 神さんは「へい、お待ち」なんて愛想を振りまいて応対している。自分も飲みたいなと思ったが、子供の格好だから我慢していた。

 黒染めの剥げた棚には、酒樽が行儀良く並べられた中にも、取り置きだか品名だか、そこらじゅうに札がぶら下がっている。自分は肉まんをつまみながら、また爺さんを眺めていた。

 肌つやと髭の釣り合いが不自然だ。どうしたって並の爺さんじゃない。その上、腰から瓢箪(ひょうたん)をぶら下げている。戯画の仙人じゃあるまいし、こんな爺さんがいる訳がない。冗談も大概にするがいい。けれども眺めるうちに、瓢箪が爺さんと関わりなく、勝手に動いたのには驚いた。動物でもいなくっちゃとてもああ活発には動けない。しかし瓢箪の口だから、バッタだって怪しいくらいである。鼠なんかとてもじゃないが入れない。

 自分があんまり眺めるんで、爺さんはとうとう席を立ってしまった。じゃらんと小銭を卓上に並べて、黙って入り口から逃れてしまう。自分は瓢箪が気がかりだから、慌てて立ちあがった。財布を覗くと、二三枚入っているばかりである。なんだか分からない。爺さんを真似て、じゃらんと卓上に置いて入り口に向かったが、幸いにして誰も咎めなかった。あるいは応対に忙しいのか、銭が足りていたんだろう。

 木造の酒屋を逃れる途端に、さわやかな風が吹いてくる。いい気分だ。店先には小川の際(きわ)に柳が三本なびいている。子供目線のことだから、しごく雄大に感ぜられる。自分は爺さんを捜し始めた。それが往来を見渡してもどこにもいない。しまった逃げられたかと思って、川べりを覗き込んだら、水面に白髭が映ったんで思わず飛び退いた。

「これが気になるかい」と言いながら、爺さんは瓢箪を揺すっている。自分は驚きながらも頷いた。

「そうだろうとも」

髭のあいだから赤い口が見えたら、ますます若く見えるんで、偽物の髭じゃあなかろうかと心配した。けれども、

「今に見せてやる。ついてこい」と手招きをするので、自分は黙って後を付けていった。

 宿場町らしく午睡の夢の閑散とした中を、年寄りと子供が前後に歩いている。白い髭が動けば、子供は後を追う。自分は探偵のつもりだから、爺さんには馴れ合わなかった。かなたに橋の欄干が見える。木造そのままに色褪せた、素っ気ないくらいの掛け橋である。弓なりに重心を支えているが、さすがにそこだけは往来が止まない様子だった。

 独り言のように、

「見せてやる。すぐ見せてやる」といいながら、爺さんは橋の袂の柳の下に、どこから出したか筵(むしろ)を広げて、ひとりで腰を下ろしてしまう。自分は無論、柳の影から見守っていた。

「どうした、座らんか」と言うから、かぶりを振った。仲間にするなという意思表示らしい。爺さんは笑い出した。

 それから腰を捻って、瓢箪の反対側を動かしていると思ったら、宮廷楽士ほどの笛が現れた。よれよれの羽織には似合いっこない立派なものだ。それをいきなりピイピイ吹き始めると、雅(みやび)どころの騒ぎじゃない、せいぜい村の祭り囃子がいいところである。

 笛におびき寄せられて、通行人が集まって来た。懐手(ふところで)の町人が二人、夕べの座敷はなかなかどうして、なんて話しながらこっちへ来る。紅染めの鮮やかな娘を引き連れて、古びた帯を締めて母親が関心を示した。たちまち柳のまわりは、二、三十人もの人だかりになってしまった。

 爺さんはいつしか、真っ白な袋を握っている。祈願成就に売られる、寺社のお守りくらいの袋である。自分の隠れる柳の葉が、風になびいて騒がしいくらいばさばさする。すると爺さんは後ろをふり返った。

「ぼうず。この中を確かめてみるがいい」

 ひとつ袋を差しだすので、仕掛けを暴こうと思って撫(な)で回したが、どうしても怪しいところは見当たらなかった。

「なにもない」と返すと、無口だったはずの爺さんが、物の怪に憑依(ひょうい)されたかと思うくらい、急に能弁になった。

「さて、お立ち会い。お立ち会い」

なんて呼びかけるんで、ますます橋桁から人だかりが集まってくる。

「さあ、子供の目にも種(たね)のない、老いぼれの髭より白いこの袋。まっさらさらして並べては、横一列となりまして」

 なんて説明を加えながら、むしろの面(つら)をひと撫ですると、札付きの博打みたいに、横に綺麗に整頓している。爺さんはその一枚を、指先でつまみながら、

「さあ誰か、一枚でいい。一銭貸しておくんなさい。面白いものをお見せします」なんておどけるので、面白がった懐手が、懐から一枚差し出した。

「さあ、このまっさらな小袋へ、旦那もひとつ鼻のした伸ばして、今日は遊んでやっておくんなさいってなもんで」

なんて、訳の分からないことを述べながら、銭を袋に入れてしまった。

「さて、取り出しましたは瓢箪がひとつ」

腰からつかんだ瓢箪を揺すると、砂の音が聞こえるような気がする。空耳のような気もする。すこぶるいかがわしい。爺さんはそれを傾けると、袋へ流し入れる仕草をした。

「これは子を生みます魔法の砂よ」

なんておどけながら、瓢箪を傾けるが、砂なんか出てこないんでヒヤリとした。「嘘っぱちだ」誰かが野次を響かせる。しかし爺さんは、

「これは人には見えない砂でございまして」

なんて澄ましている。

 それから紐口を閉ざしたと思ったら、例の笛を取り出して、またピイピイ吹き始めた。もちろん田舎の祭り囃子である。色香も華もない、ひょうきん一辺倒な響きがする。それに合わせて白い袋がぴくりと動く気がしたんで、自分はまたびっくりした。爺さんは平気なものである。皆は笛に熱中しているらしい。ようやく吹き終わったところで、袋ごと差しだした。

「さあさあ、あらためてやっておくんなさい」と髭のあいだから、赤い口を出している。

 懐手が逆さに手の平にかざすと、一枚入れたはずの銭が二枚になった。どっと歓声が沸き起こる。

「インチキだ」という者もいた。

「たいしたものだ」という声もあった。

 爺さんは聞き慣れたもので、

「さあ、本日はお試しのみ。インチキ、ペテン師、大いに結構。損ともならないペテンなら、梨の礫も貰えば嬉しいってね」

なんて言いながら、みんなに袋を配り始めている。

試しに手を伸ばしたら、自分にも一つくれた。それから爺さんは、

「一銭だけに願います。今日はこれしかありませんよ。欲張っちゃいけない。一銭、一銭だけお入れ下さい」

なんて唱えながら、銭の入ったところから、瓢箪を傾け始めた。

 自分は折悪しく、酒屋に財産をすっちまった後だから、財布は空である。だが、冷やかされるのも癪だから、一枚入れたふりをして澄ましていた。すると爺さんは気づかないものと見えて、自分の袋にも瓢箪をかざすのだった。

 また風が吹き抜けて、さらさら柳をなびかせる。さわやかな五月(さつき)日和の水面(みなも)から返った日光が、爺さんの髭にまで当たるように思われた。皆、指図に従って紐を閉ざしている。しかし、自分の袋は空である。増えよう筈がないんだが、知らぬふりをして口を閉ざしてしまった。

「さあ、笛を吹きますよ。砂の踊りと戯れて、銭が子を生みますから、お待ちあれ、お待ちあれ」

なんて言いながら、また吹き鳴らし始めた。ピイピイピイピイ騒がしいくらいである。

「もういいか」気の早い奴が焦って聞いてくる。

「まだならない。まだならない」爺さんはいったん口を離してから、またピイピイと吹き鳴らす。暢気なことである。客は暇人ばかりではなかった。

「そろそろ、いいでしょう」

「その辺でまけておけ」

なんて野次が飛び出すんで、銭が子生みでもしなかったら、半殺しになって、川にうち捨てられるのではないかと心配した。爺さんは平気なものである。

「今になる、きっとなる」と言って、それからまた笛を吹き鳴らした。

 とうとう、さっきの懐手が、

「俺は先にもどるぜ」と言いだしたので、引き際とばかりに爺さんは、

「生まれた、生まれた、今こそ生まれた」と賑やかにおどけて見せた。それぞれに袋を改めると、手の平には、等しく二銭が放り出されたのである。

「あら」

「こいつは、結構だ」

とたちまち活気づいた。いかさまだって、損をしないいいかさまだから、咎めるものもいない。爺さんが自分に、

「どうだ、増えたろう」と言ってくるんで、自分は財布にしまう仕草をしながら、黙って頷いた。実は中身を改めたら、一枚だけ銭が入っていたんで、さては砂を入れるふりをして、忍び込ませやがったなと疑(うたぐ)り始めたからである。だが、理由が分からない。爺さんは柏手を打ちながら、

「さあ、砂もすっからかんとなりました」と瓢箪を振ってみせる。もとより透明なんだから、すっからかんなんだか分かりようはずがなかった。

「今度の六斎市(ろくさいいち)にあわせて、砂の入荷が間に合いまして、それで皆さまにお知らせしたくて、こうして興行を行っている始末。どうか今日のところはお引き取り願って、市が立ったらまた起こしあれ。今度は壺いっぱいの砂を、幾らでもお披露目いたします」

 なんて宣言したかと思ったら、にわかに笛を吹き鳴らして、群衆を煙に巻くみたいに、つかつかと歩き出してしまった。人々はぱっと左右に割れる。種を明かそうと袋を覗き込んだり、そそくさと立ち去ったり、町人の二人組などは、どうですまた今夜なんて立ち話を始めている。自分はどうしても瓢箪が気がかりだったんで、爺さんの後を追った。

 しかし、爺さんは柳の下を抜けると、路地から河原へ降りられる下流の方へと、年寄りらしからぬ足取りで、つかつか立ち去ろうとするんで、歩幅の狭い自分には、背中を追うのが精一杯になってしまった。

 爺さんは時々、

「銭になる」といったり、

「子が出来る」といったりしながら歩いていく。仕舞いには、

「今になる、銭がなる、

きっとなる、笛が鳴る」

と唄いながら、川の岸まで下って行ってしまった。橋も船もないから、ようやく追いつくかと思って急いだら、爺さんはこともあろうに、ざぶざぶと川の中へ入りだしたのである。初めは膝くらいの深さがあったが、段々腰から、胸の方まで水に浸かって見えなくなる。それでも爺さんは、

「深くなる、夢を見る、
目を覚ます」

なんて唄いながら、どこまでもどこまでも進んで行くのであった。そうしてついに、白い髭も顔も頭もまるで見えなくなってしまったのである。



 後から聞いた話では、爺さんはこの興行を至るところで繰り広げたのだそうである。それで六斎市の当日、大きな壺に見えない砂を詰めたものを並べて、ありったけ売りさばいたんだそうである。自分はまさか買う奴はいまいと尋ねてみた。すると酒屋の神さんが、

「それが、完売したって話しですぜ。面白いじゃありませんか」なんて、子供であるはずの自分に対して、飲み仲間のような口調で答えるのであった。自分は、

「そんな簡単に引っ掛かるものかな。試してみる価値はありそうだ」と子供らしくない口調で答えながら、茶碗から麦茶を飲み干すのであった。

 それきり、爺さんは見かけなかった。壺の銭が子を生むわけがない。買った奴らは、大損をしたあげく、壺買の愚か者として、しばらくは、いい笑いものにされていた。それだけの話しである。

夢十夜 第五夜 天探女(あまのじゃく)

 こんな夢を見た。

 何でも余程古い事で、神代(かみよ)に近い昔と思われるが、自分が軍(いくさ)をして運良く勝ったために、敵将が生捕(いけどり)になって、自分の前に引き据えられた。

 銅の時代の男たちはみんな大きかった。そうして、みんな濃い髭を蓄えていた。どの男も革の帯を締めて、棒のような剣を吊す腰があった。だが奴は捕らえられたんで、剣は抜き去られていた。後ろ手に縛り付けて、兵たちが押さえつけて、前へと促すたびに、ずしんずしんと足音が響き渡るんでひやりとした。

 自分は弓の真中(まんなか)を握ったまま、弓先を大地へ突きつけて、酒甕(さかがめ)を逆さにして座っていた。大将が侮られては不味いから、大いに睨みを利かせて黙っていた。見ると、鼻の上で左右の眉が太く接続(つなが)っている。その頃、髪剃(かみそり)というものは無論なかった。

 相手は捕虜だから、座は取らせない。草の上にあぐらを掻かせると、兵が押さえるまでもなく、奴はそれに従った。もう観念しているらしい。自分は少し安堵した。生かしておけば必ず災いとなる。命乞いはさせるな。それが王からの命令であった。いざとなったら、毒を盛れ。その毒は、自分の向こうの酒甕に置いてある。無論、そんな卑怯な真似はしたくない。命の奪い合いは、戦場(いくさば)にあってこそ楽しいものである。自分はそう信じている。黙って敵将を眺めていた。

 奴の目つきを見ると安心した。横に火の粉を上げる篝火から、一本抜き取って突きつけると、真っ赤な顔がにらみ返してくる。瞳孔に篝火が映っている。それでいて深い。自分はただ、

「生きるか、それとも死ぬか」

と問いかけた。銅の時代の武士(もののふ)は、捕虜にはそれを聞くことになっていたからである。生きると答えれば、殺しはしない。かといって放つほど寛大でもない。まずは牢へぶち込む。交換条件を付けて、送り返すこともある。長年ぶち込まれることもある。あるいは味方換えをする奴もいたが、これは判断が難しい。大抵は世話役が監視を務める。逃亡と見たらすかさず殺す。銅の時代にはもはや、表裏一体の己(おのれ)をまっとうする生き方など不可能であった。なかなか英雄の時代のようにはいかない。疑心暗鬼がひしめいている。その上自分は大将だから、寛大を見誤って裏切られれば、味方をすべて失うことだってある。非情を磨き上げなければ、いつ胡座の男のように、地べたに這いつくばらないとも限らない。

「殺せ」

 奴の答えは、聞くまでもなかった。自分が立場でも、きっとそう言うだろう。生き恥はさらせない。だがこの男にだって、愛する者はいるに違いない。自分は大地に突いていた弓を向こうへ投げて、腰から吊した幅のある剣をぐっと引き抜いた。ぱちぱちと当たる篝火が、刃(やいば)を赤く染めるようだった。それが敵将の血を欲する、剣(つるぎ)の欲求に思われた。風が火の粉を吹かせるのに任せて、自分は立ちあがる。合図を送って、奴の首を前に出させたのであった。

 すると敵将が、「待て」と叫んだ。あまりの響きに自分ははっとなる。命乞いなどされては迷惑だ。だが「待て」とある以上、首を切るわけにはいかなくなった。

「何だ」

怒声のように返したが、相手は動じない。ぎらりとした眼を睨めつけると、後手のまま立ちあがったんで、危うく退(しりぞ)きそうになった。しかし際どいところで留まった。兵たちの前で、醜態はさらせない。

「一つだけ頼みがある」

 尋ねると、やはり女であった。

 村に許嫁を残してある。せめて死ぬ前に、別れがしたいという話だった。自分も恋は知っていた。拒絶しがたい思いがした。別離の邪魔をすれば、それが呪詛みたいに束縛して、自分が祟られるのではないかと怪しんだ。だから太い剣を、かちゃりと鞘に収めた。

「夜明けには間がある。やがて鶏(とり)が朝を告げるだろう。それまで待ってやる。空が白んで鶏が鳴いたら、女が来なくても諦めろ」

そう言うと、相手は黙って頷いた。自分は脇に控えている伝令に、こいつの女を呼んでこいと命じた。それから捕虜に悟られぬように、つかの間、伝令の顔を覗き込んだ。無論、何も言わない。その男は忠臣である。どう取るかは伝令の勝手である。そこに自分の逃れがあるらしかった。

 敵将が村と女の名称を告げたんで、伝令は一礼して立ち去った。後は鶏の声を待つばかりとなった。だから動かない。腰を掛け直して、黙って篝火を眺めている。奴も動かない。地べたに胡座をかいたまま、兵に見守られて座っている。兵は剣を抜き放ったまま、篝火の揺らめきに、刃(やいば)をぎらぎらさせている。不信と見れば刹那の判断を下すには違いなかった。夜は段々更けていく。

 篝火の崩れる音がすると、火の粉が立ち昇った。見上げると雲の影さえ無い闇から、満天の星が降り注いでいる。軍(いくさ)の臭いを清めるみたいに、天の川がごうごう流れていく。牽牛星(けんぎゅうせい)と織女星(しょくじょせい)が隔てられて、逢瀬の再会をもどかしがっているように思われた。篝火が熱いんで、右手だけが焼けるように痛む。自分はそれでも立たなかった。

 女はきっと今頃、屋敷の裏に眠る、馬をたたき起こしたに違いない。鞍もない裸馬に飛び乗って、一心不乱に駆け出したに違いない。胡座の男はそれを信じている。信じて一点を睨んでいる。身じろぎひとつしない。不動明王の塑像のような姿である。だが女が泣きついて、命乞いなどしようものなら、どう心を動かされないとも限らない。ともかくも、こいつの首さえ刎ねれば軍(いくさ)は終わるのだ。それは伝令も知っている。そして女の後ろからは、奴もまた、馬を走らせているに違いない。そうであるならば……

 伝令は女を峠へ連れていく。ここへ駆けては来させまい。そうして後ろから、馬を目がけて弓を引く。馬はぱつっと刎ね上がって、断末魔みたいな嘶(いなな)きと共に、蹴った岩盤が、砕けて飛び上がる。女は、「あっ」と手綱を引き離す。岩には深いみぞが残る。そうして諸膝(もろひざ)を折った馬と共に、女は渓流の淵へと落ちていく。無論、下は闇である。助かる見込みはない。

 自分がそんな妄想を、炎の影に眺めたとき、まだ夜も明けないのに、

「こけこっこう」

と鶏が鳴いた。疑いのない響きである。自分ははっとなった。胡座の男もはっとなった。まだ夜は明けていない。男の瞳が、訴えるように熱くなった。自分は目を逸らす。そうして、遠くに聞き耳を立てている。

「こけこっこう」

もう一遍鶏(にわとり)が鳴いた。

「時間だ」

自分は立ちあがった。

「あれは天探女(あまのじゃく)だ、鶏(とり)じゃない」

と男が言い返した。自分もそう思った。だが聞かなかった。黙って剣を抜ききると、ようやく観念した男が首を差し出した。自分は黙って剣を振り下ろした。ごろんと音がして首が落ちた。意外とあけなかった。

 東の空はかすかに白い縁取りを見せ始めているが、銀河はまだ残っている。あるいは今夜のうちに、二人は分かつ流れをさえかき分けて、神世の再会を果たすのだろうか。ようやく戻った伝令の話を聞きながら、自分はやっぱり篝火に当たっていた。

夢十夜 第六夜 彫刻

 ピュグマリオンが芸大の公開授業でニュンペを作っているという評判だったから、花見がてらに立ち寄ってみると、自分より他にもう大分集まっていて、しきりに下馬評(げばひょう)をやっていた。

 大部屋の前の数メートル四方は、机がどけられていて、フロアーが汚されないように敷物で覆い隠して、座席のあたりまで占有している。窓から覗く桜の花が、風と戯れて見事である。そのうえ見下ろす深緑が美しい。自分は窓際だったから、まずはそっちへ見とれていた。遠く建ち並ぶビルの姿さえ輝いている。ただ低く控える寺院の屋根だけはひなびて古風だった。どことなく江戸の面影を偲ばせている。

 ところが授業を眺めているものは、みんな自分と同じく、平成の人間である。学生を除けばスーツ姿が一番多い。外回りにさぼりを兼ねて訪れたのかもしれなかった。

「さすがに一心不乱だなあ」と云っている。

「石膏で拵えるよりもよっぽど骨が折れるだろう」とも云っている。

 なるほど、ピュグマリオンは我が国のために、わざわざ木像彫刻を彫り起こしているらしかった。しきりに槌と鑿(のみ)を振るって顔のあたりに探りを入れている。

「なんでも夢二みたいなニュンペを芸大が注文したそうだ」なんて云う男もあった。

「まさか、正門を飾り付けるためじゃないだろうね」

「それじゃあまず。芸術に釣り合わない上野の公園を、もっとオシャレに変えなければなりませんね」若そうなサラリーマンが、自分に耳打ちした。

「何しろ、ずいぶん穢れた公園だからな」

 自分はつい思っていたことを口にしてしまう。

 何しろ芸術的空間を標榜する公園に、テントを張らせて憚らないような不始末は、世界広しといえども我が国しかあるまい。美的な領域は、すべてを美的に埋め尽くさなければならない。ひとつ醜態をさらせば、たちまちすべてが黒く染まってしまう。作品だけ立派なものを拵えたって、到底文化的生活は送れまい。見てくれだけの、表層文化には違いないのだ。

 自分がもの思いに沈んでいると、カンカンといい音が響いてくる。ピュグマリオンの筋肉は逞しい。芸術家とは云っても、彫刻家だから運動選手なみの力業なのだろう。

「ああやって、死ぬまで彫り続けるものだろうか」と質問すると、

「ミケランジェロのロンダニーニなんて、盲目になりかけながら死に際まで鑿を振るったといいます」

「あのイエスの負ぶさっている奴か」

「負ぶさっているんじゃありません。聖母マリアが磔刑に処されたイエスの亡骸を抱えているんです」

「ああ、あのピエタなら、実物を見たことがあります。でも駄目ですよ。何しろ未完の荒削りなんですから」そう云ったのは、恐らくはここの学生だろう。カジュアルにざっくばらんな服装がオシャレである。髪は男ながらに束ねてまとめてある。そうして、お涙頂戴の逸話では誤魔化せませんよといった態度を見せている。

 ピュグマリオンは我々のざわつきには頓着なく、ひたすら鑿と生き抜く精神を持って、たゆまずに槌を振るっている。その度に、わずかな木屑が塊から剥がされた。さっきのサラリーマンが、自分の方を振り向いて、

「さすがピュグマリオンです。眼中に我々などまるでないに違いありません。舞台上にあっても、恋を語るは君と僕といった表情です。しかし出来上がったら、また惚れ込んで、奥さんと喧嘩になったりはしないだろうか」

なんて心配を始めるんで、ちょっと質問してみたら、

「彼の奥さんは、自分で彫りだした彫刻なのです。あんまり美しいものだから、毎晩語りかけるので、ついには美の神アフロディーテーが人間に変えてしまったという話しです」

「ああ、あのピュグマリオンコンプレックスとか云う」

「違います違います。それはデマですよ。彫刻の完成した時点で、何だったっけかな、あの彫刻の名前は……」

「ガラテアですよ」さっきの学生がさり気なく相の手を打つ。さすがによく知っている。

「そうそう、そのガラテアですが。すでに出来上がったときには、霊魂が宿っていたって話しです。ピュグマリオンはそれと話していたに過ぎません」

「なんだか不明瞭な逸話だな」と突っ込みを入れると、

「つまりこういう訳です。芸術家だけが神々の英知を真似る特権を得たのですが、何しろ彼が作った魂はいつまでも歳を取らないものだから、神々が嫉妬して人間に変えてしまったという訳なのです。言わんとするところ、人間の魂は外見から作られるものに過ぎないという……」

 嘘とも誠とも付かない逸話なんで押し黙っていると、さっきの学生が思わず吹き出した。

「そんな話しは初耳ですね。ですが、なかなか面白い。それにしてもあの鑿と槌の使い方はさすがだ。どうにか真似できないものか」

なんて呟きがてらに答えている。

 ピュグマリオンは筋肉質の腕を振り下ろす度に、鼻から気焔を吐き出して、余力を僅かに逃すみたいに、調停を試みつつ鑿を振るっている。跳ね上がった木屑が、控えていた教員の方へ飛んでいったんで、頬を背けたような仕草さえ、眼中にはないといった様子である。打ち込む刀つきがいかにも無遠慮であった。それでいて、まるで疑念を差し挟んでいない。

「よく、ああ無造作に打ち下ろして、思うような格好が生まれるものだな」自分はあまり感心するので、つい独り言のようにして呟いた。すると、さっきの学生が、

「彼らは造型を生み出すのではないのですよ。頭のなかにまずイデアの完成された世界があって、その美的基準を現実世界へと移し替えるために、鑿を振るっているだけなのです。そのイメージがあまりにも強烈なものですから、力の入れ方さえ間違えなければ、簡単に彫刻が生まれるには決まっています」

と言い切った。ちょっと羨ましがるような様相である。

 自分は初めてそんなものかと気がついた。急に胸がわくわくしてくるんで、ピュグマリオンのことは放置して、その大部屋を後にしたのである。上野の桜並木は人込みに賑わっていたがもう取り合わなかった。わが家には祖父の残してくれた彫刻道具が残されている。それを久しぶりに研いでみることにしたからである。

 あの時分、祖父の彫る仏像は貧しいなりをしていた。死んだときに、いくらかは金になるかと思って、鑑定を依頼したら、二束三文の値打ちにすらならなかった。それでわが家の家系には芸術家は出ないと悟って、戸棚の奥に眠らせておいたんだが、今なら自分にも、ニュンペなり仏なりが彫り出せそうな気がする。

 道具箱から鑿と金槌を取り出して、庭へ出てみると、虫がつくんで切り倒したばかりの樫の丸太が、手頃な大きさで幾つか転がっている。植木職人に頼んで、少しだけ残して貰ったものだ。もっとも使い道すら定めて無かったのだが、ちょうどいい、ひとつ自分もこの丸太を使って、イデアの世界を移し替えてみようと思い立った。

 ところが、どんなに唸ってみても、肝心のイデアは浮かんでこなかった。自分は一太刀浴びせることすらなく、夕暮れまで丸太を睨みつけていた。日が傾いたんで、妻が呆れ眼(まなこ)で洗濯物を取り込んでいる。自分にはひと言もなく消えちまうんで、さすがに勇気も萎えてきた。犬が馬鹿にして鳴いて通る。到底ピュグマリオンのようには、自由闊達にはいかない。何しろ、浮かべても、浮かべても、造型は心に定まりそうになかった。すべてが朦朧としている。触れようとすると漠然として姿を変えてしまう。

 自分はようやく悟った。なるほど、こんなに精神世界に理想が内在しないんじゃあ、店舗素材の陳腐な看板やら、厚化粧のお面やら、ボロ雑巾の翁(おきな)やら、河川のむき出しのコンクリートが、いたるところに氾濫するのも無理はない。ようするに我々には、イデアの世界なんか存在しなかったのだ。

 ようやく諦めると、道具を片づけて押し入れにぶち込んだ。無駄な半日を過ごした虚しさだけが心に残された。おまけに妻が構ってくれないんで、自分は一人で、茶を沸かして飲んでいた。まったく怠惰の一日であった。

夢十夜 第七夜 アルコル

 自分はまだ落ちている。
 もうどれくらい落ちたろう。
 あとどのくらい落ちたなら、
 海の藻屑と消えるだろう。

 私は豪華客船に乗っていた。弦楽四重奏が響いていた。シャンパンのグラスが高鳴った。煌びやかなシャンデリアの下で、若い男女がダンスを踊っていた。それでいて、食卓にはナイフとフォークが置かれていた。自分には不釣り合いなくらい華やいでいた。

 甲板から見る夕日は美しかった。大西洋の四月の風が、遮るものもなく吹き付けるのを黙って受けていた。寒いから戻りましょう。かろうじて分かる仏語で、ベールの婦人が紳士を促した。彼らは通り抜ける時、自分に挨拶をした。もちろん英語である。自分も挨拶を返した。水平線には何も見えなかった。

「この客船はボイラーが破裂しても沈まないのでしょうか」

「さあな、一回くらいなら大丈夫かも知れない」

ハッチの近くで、サボリを入れて船員同士が話している。

「隔壁が完璧に水を遮断するって聞きました」

まだ駆け出しの方が自慢すると、老練そうなもう一人が、

「お前これが初めてだろう、そのくらいでびびっていたら船乗りになんかなれないぞ。心配なら一緒に乗船しているアンドリューズにでも聞くんだな。奴がこの船の設計者だ。だが俺の知る限り、どんな巨大な舟だって、国家だって、沈むときは沈むのさ。誰にも留めることなんか出来やしねえ」

「まさか。全員で穴を防げば、間に合わないこともないでしょう」

「お前は海の恐ろしさを何も分かっちゃいねえよ」

 そこへ上司のバッチが近づいてきたんで、奴らは慌てて作業を再開した。自分はおしゃべりを告げてやりたい気がしたが、可哀想なんでやめておいた。代わりに、

「この舟は、真西に進んでいるようですが」と質問してみた。

「なぜですか」と帽子を整えながら、面長の悠長そうな男が英語で答え返した。

「落ちていく日を追い掛けるようだから」

と言うと、「お客様。最終的には目的地に到着しますから、ご心配にはおよびません」と笑いながら立ち去ってしまった。さっきの二人がさぼり癖を再開する。やがてこんな歌を歌い始めた。

沈む西日の後を追う
鳥の先にはいつの日か
東の朝日が待っている
そんな希望を胸に秘め
誰にも知られぬ恋心

朝日に向かった鯨さえ
ぐんぐん昇る陽ざしには
焼かれた背中も黒くなる
尾っぽを染める夕暮れの
潮も真っ赤に染まりゆく

流れをとどめぬ海の色
東も西もまぼろしの
かなたに出会う二人なら
せめて別れはつかの間の
なみだと口づけかわしましょう

 自分はなんだかそれを聞くうちに悲しい気分になってきた。噂では、他にも国の出身者が乗っているはずである。しかし、一度も会ったことはなかった。

 日が沈みきったんで、一段と寒さが募ってくる。西空が赤く帯を残しているが、振り仰いだ空には、沢山の星が瞬いていた。食卓が恋しい時間帯である。

 あまり冷えるんで戻ろうとすると、一人の女が手すりに寄りかかって、しきりに泣いていた。瞼に当てたハンカチーフが絹のように思われた。華やいだドレスを着こなしている。もちろん西洋人である。この女を見たときに、悲しいのは自分一人では無いのだなと気がついた。

 すこし早めの食堂へ入ったら、まだ始まらない楽団演奏の合間をぬって、派手な衣装を着た若い娘がピアノを弾いていた。すぐそばには背の高い正装の男が立って、歌曲か何かを歌っている。今どき珍しいくらいの古風な響きがした。あまりうまいので、演奏を許しているのだろう。歌い終わると拍手が聞こえたが、席はまだ閑散としているから、大した数ではない。それでも二人は嬉しそうに、プロの演奏家みたいに頭を下げた。

 自分はそれとは関わらず、静かにナイフとフォークを動かしている。給仕がワインを注いでくれるのが有り難かった。酒はいつだって、侘びしさを慰めるための、憩いの水には違いないのだ。

 寝る前にまた甲板に出てみた。一人で星を眺めていたら、哨戒中らしい船員が話し相手を求めて近寄ってきた。ようするに敵などいないから暇なのだろう。天文学を知っているかと尋ねるから、自分は黙って首を横に振った。すると、

「あそこに金牛宮(きんぎゅうきゅう)のひしゃくが見えるだろう」

と指さした。それは自分も知っている北斗の姿だった。

「あの取っ手から二番目の星がミザールだ。隣りに寄り添う二重星、アルコルが見えるか」

 それは確か、見えなくなると死期が近いという、寿命星だったような気がする。何気なく仰向いた時、思わずどきりとした。いつもなら並んで見えるはずのその星が、今日に限ってどこにも見当たらない。霞でも掛かったように掻き消されているのである。それでいて他の星々は、視力も冴え渡るくらいにキラキラ瞬いている。自分は何だか恐ろしくなってきた。平静を装って、「見える」と言って誤魔化してしまった。

「あれは昔、アラビアで視力検査に使われたものだが……」

 説明する相手の声が頼りなく聞こえたんで、危うく、お前は本当に見えるのかと尋ねそうになった。けれどもぞっとする答えが返ってきそうで、聞くだけの勇気が出なかった。

 カツカツと音がして、立派な制服が歩いてくる。ひと目見ただけで、この船の船長であった。天文学の男は、

「まずい。おしゃべりのことは内緒で」

と言いながら、あっちへ行って敬礼した。

「少々お客様に尋ね事をされまして」

なんて嘯(うそぶ)いているが、さっきとは大分言葉つきが違っている。英語にも言葉つきの違いがあることを、改めて悟らされた気分だった。聞き耳を立てていると、天候が気がかりで甲板まで来たらしい。もっとも、確認は操縦室で済ませて、最後の見回りがてらの散歩なんだろう。自分は静まり返った水平線と銀河との境を眺めていた。こんな穏やかな海があるだろうかと、不吉になるくらい波が立たない。淋しさばかりが募ってくるので遣り切れなかった。

「快晴じゃないか。星がきれいだ」

船長が仰向けになって呟いた。さっきの海員は、

「本当に穏やかです。海の様相じゃありません」

「まるで湖だな。風も全くない」

「白波も見えません。氷山も無いようです」

「今日は安心して眠れそうだよ。それじゃあお休み」

「いい夢を」

なんて挨拶を交わしている。そのうち話しが聞こえなくなったんで振り向いたら、二人ともどこかへ消えた後だった。

 また北斗七星を見上げてみた。やっぱり星が二つに分離しない。あるいはこれは、自分に決断を促す予兆なのだろうか。思えば、ずいぶん淋しいのを怺(こら)えて頑張ってきた。この先、新大陸へ向かったからといって何になるだろう。自分には命の価値が分からなくなりかけている。ミザールとアルコル。教わったばかりの星の名を呟きながら、生きたいと思う心、死にたいと思う心、東の果ては西、西の果ては東、それがいったい何を意味するのか、どうしても掴みきれなかった。

 自分はとうとう、その場で飛び込む決心をした。

 悲哀などなかった。まるで何かに唆(そそのか)されて、酔っぱいが足を踏み外すような、ふわりとした忘却には過ぎなかった。ワインを飲み過ぎたせいかもしれない。けれども、人の命なんて所詮そんなものである。惜しむほどの値打ちがあるとは思えない。自分はするりと手すりを乗り越えて、気がついたときには、もう海に向かって身を投げ出していたのであった。

 おそらく、海の温度は零度を下回っているだろう。すぐに楽になれる。そう思って観念した。しかしいつまでたっても、海面には到達しないのだった。もちろん、体は甲板を離れている。恐ろしい速度で落ちてるのにも関わらず、水面は僅かずつしか近づいて来ない。ぎょっとして瞳を見ひらくと、海の色はまっ黒だった。自分は魚の餌になるのだろうか……

 そのうち船は、ノットを高めて行き過ぎてしまった。なんだか、急に命が惜しくなってくる。こんなところで死んでしまったら、今まで頑張ってきた甲斐がない。新大陸へ行く船でも、好奇心にすがりついて生きている方がマシだった。そう思いながらも、その悟りを生かすことは許されず、ただ残恨(ざんこん)を噛みしめるみたいに、どこまでも落ちていくのだった。

 けれどもまた思い直す。あの船のシルエットの向こうには、逃れられない恐ろしい悲劇が、待ち構えているには違いないのだ。自分はそれを見ないで済むだけ、まだしも幸せなのだろうか……

 落ちながら仰向くと、あの北斗の二重星は、やはり片方が欠けたままなのだった。

 あの死兆の予言は、はたして自分のために投げかけられたものか、それともあの船のために投げかけられたものか、だんだん分からなくなってきた。そうして分からなくなりながら、自分はどこまでも一人で落ちていくのだった。

夢十夜 第八夜 散髪

 床屋の敷居を跨(また)いだら、暇と見えて誰もいなかった。ごめんごめんと繰り返すと、四角の部屋の窓から、往来の眩しさが跳ね返ってくる。ぬっと奥から年寄りが現れて、いらっしゃいともいわずに座席を勧めるから、自分は黙って腰を下ろした。

 座るときお尻がぶくりといった。座り心地のよい椅子である。しかし、もう二度と座ることもないかも知れない。そう思うと、大事なことのようにも思われ出すのだった。

 鏡には立派な青年が映っている。まだまだこれからの男子である。こんな若者を死地に追いやるなんて、ひどい国家もあったものだと思う。自分は反戦主義者である。けれどもそんなことを口に出したら、この爺さんでさえ、いきなり首を掻っ切らないとも限らない。床屋に勤めていた若い衆も、戦地のどこかで消息不明になっちまった。爺さんの息子も、いい年齢だったんだが、送られたなり死んでしまった。それでも爺さんは崇高なる義務を疑っていない。弱音を吐いた婆さんを怒鳴りつけることもある。つまりはこんな爺さんが、我々を死地に赴かせる原動力を担っているには違いない。何も軍部だけが悪いんじゃあなかろう。言論統制ったって、始めから統制されていた訳じゃなかった。誰も咎めないで眺め暮らすうちに、あるいは表立って賛美するうちに、良識さえも沈黙を余儀なくされて、既成事実になっちまった。影で憤慨するならまだしもだが、率先して旗を振ったのはこの爺さんである。そう思えば憎らしい気がするが、長年の懐かしさもあるんで、最後の散髪を依頼することにした。

「いよいよ、出征ですなあ」

なんて暢気なことを言っている。それからおめでとうと言っている。次ぎに息子の自慢話が始まるんで、自分は黙って髪を切られていた。

 鏡の後ろ側が往来だから、通行人が鮮やかに映し出される。豆腐屋がラッパを吹いて通る。近頃ではおからだか分からない味がするが、売っているだけマシだと爺さんは呟いた。自分は頷いてみせる。もちろん剃刀(かみそり)の合間である。それから着物を着た女が通るんで、

「あんな贅沢品を着やがって」

と爺さんは目を丸くしていきり立った。よく見ると、大分色つやが悪い。病を押して買い出しにでも行くんだろう。そのくらい許してやったらいい。どうせ、いつ死んじまうか分からないんだ。

 自分はもう一度、「今までで一番うまく刈ってくれよ」と爺さんに注文した。腕に自信があるものだから、馬鹿にすんないといった調子で首肯(しゅこう)する。そうしてしきりに鋏をちょきつかせている。時々、

「あなたくらい若けりゃ。わしだって」

なんてぼやいている。それから不意に、

「入り口に金魚屋がいたでしょう」

なんて聞いてくる。つまりは眼前に相手がいるから、口が黙っておれないのだろう。いつものことだから、一方的にしゃべらせておいた。

「時節がら金魚を売るなんて失礼な奴には違いないんだが、出征の息子に旨いものを食わせたくって、タネの金魚を売りに来たっていうから、少しは同情するじゃないか。生憎うちには鉢なんかねえから、それに金魚なんて見つかったら、店を打ち壊されないとも限らないから、断ったんだが……」

 まさか、帝都じゃあるまいし、そんなことはなかろう。この辺りは田舎だから、三年目を迎えても、どこかおおらかな気風を残している。そうでもなければ、いくら何でも金魚屋が歩き回るはずがない。もっとも、出征を控えた自分が買うわけにもいかないから、

「今は人の同情をしている場合じゃないからな」

と独り言のように呟いた。爺さんも鋏を操りながら頷いている。それからしばらくは、金属音がするばかりとなった。

 往還(おうかん)は穏やかである。世に戦が起ころうなどとはとても思えない。鳥や獣でさえ仲良くやっているのに、人間だけがドンパチをするなんて馬鹿げている。いっそ山にでも逃れたい気分が高まってきた。こんな場合、家族なんてものは精神的な人質にも等しいものだ。自分ひとりなら射殺されたって逃避を志して見せるんだが、彼らの不幸を考えると、とてもじゃないが逃げおおせない。いい足枷(あしかせ)である。もっとも親父からして「お国のため」なんて本気で唱えるから遣り切れない。息子が国家の次点に来たらもうお仕舞いである。人間在っての国家でなくっちゃ、動物社会の延長から述べたって、どうしたって不自然である。そんな不条理を誰もが黙殺している。黙殺どころか、同じ構造の人間一人を担ぎ上げて、彼のために死んで来いという。ほとんど滅茶苦茶である。自分は社会が、総体として錯乱状態に陥ることを近頃ようやく悟り始めた。そんな時、正常なる判断はすべてが狂態と見なされちまう。恐ろしい事である。ただ、妻の顔が浮かんでくると、どうしても逃れ切れないような思いがするのだった。

 しばらくは黙ったまま刈られていた。爺さんも話し掛けなかった。ところが不意に鏡の向こうを庄太郎が通ったんで、さっきまでの自分の考えは百八十度転換した。庄太郎は、女を連れている。そうしてこのご時世にパナマ帽なんか被っている。それを見た爺さんが、憎しみを込めて鋏を閉ざしたんで、自分は思わず、耳でも切られたような錯覚に囚われた。

「あの野郎。舐めた真似をしやがって」

爺さんは目を血走らせている。

 庄太郎は色弱で徴兵除外の扱いである。働き盛りが狩り尽くされて殴られる心配も無いから、余った女を引き連れて、遊び人みたいな生活を謳歌している。それで市井からのひんしゅくを買い集めている。その上、パナマなんか被っているものだから、不意に刺し殺されたって、文句は言えないくらいの不始末だ。

 この男を見るやいなや、自分の心にも、急に軍国主義が高まってくるんでびっくりした。この心理状態を解き明かすには、自分はまだ年端が足らないらしい。ついかっとなって、

「出征前に殴ってやろうか」

と鏡を睨みつけると、今度は爺さんが急に弱気になって、

「短気を起こしちゃいけねえ。あんな奴は放っておきなさい。関わるだけ損じゃないか」

なんて宥め役に回ってくる。ふと、二人の心情の遍歴を小説にでもまとめたら面白そうだと考えたら、庄太郎への怒りは消えてしまった。人の心は本当に訳が分からない。こんな取り留めもない状態だから、平気で戦などし始めるのだろう。こんな世の中なら、出征して死んじまった方が、浮き世の煩わしさを逃れるには丁度いいのかもしれない。すっかり厭世が沸き起こって来るんで、勇ましいはずの散髪が台なしになってしまった。

 代を払って扉を潜ると、爺さんが、

「お国のために死になされ」

なんて挨拶を掛けるんでまた驚かされた。自分は最後まで自分のために死ぬんだと決意して、ただ「ありがとう」といって、通い慣れた散髪屋を後にしたのだった。

 向こうの角には例の金魚売が、わずかに移動したなりゴザを広げて、桶を二つに並べて座っている。覗いてみると、赤い肉付きが淡泊にやせ細って泳いでいる。何日もつか怪しいくらいの金魚である。ふと、金魚と自分とどちらが先に死ぬだろうと考えたら、さすがに遣り切れない気分で一杯になった。疲れ切った金魚売は、首一つ動かさない。もう商売は諦めたのだろう。それにしたって、誰がこんな時節に金魚なんか買うものか。自分は往来を曲がるときもう一度だけ金魚売を振り返った。何だか、いたたまれないような気分だった。

 せめて家に帰る前に、さっきの庄太郎を連れ出して、二三発殴ってやるのが、自分の最後の義務かもしれない。自分は家への曲がり角を通り越して、庄太郎の館の方へ、歩みを進めるのだった。

夢十夜 第九夜 天誅(てんちゅう)

 庄太郎は名家だから、それで誰も咎めないんだろう。自分はどうせ死ぬんだから、制裁を加えるにはちょうどいい身分だ。そう思って歩いていくと、埃の曇ったような向こうから、中学の連中が二十人あまりで歩いてきた。自分を見つけると、

「出征おめでとうございます」

なんて勇ましく挨拶してくる。

 見ると代表格の健坊(けんぼう)が庄太郎のパナマ帽を握りしめている。おやと思って尋ねると、

「あの軟弱者に、喝(かつ)を加えてやったところです」

とパナマを振り回しながら挨拶した。

「何だお前が処断しちまったのか」

と呆れ果てると、すぐに汲み取ったらしく、

「兵隊さんに雑務はさせられません」

なんて妙な答えを返してくる。

「それにしても、何が豚の鼻だ。馬鹿にしやがって」なんてがやがやするんで、面白そうだから、河原で顛末を聞いてみることにした。

 キラキラとした小川の土手には若葉が茂っている。鳥のさえずりを聞いていると、どうしたって、殺されに行く理由が分からない。軍国主義に浸(おか)されたこいつらが憐れになってくる。しかし反戦などを口にしたら、こっちが処断されるには違いなかった。

「あの腑抜けは、水菓子屋などに座っていたんです」

一人が話し始めた。庄太郎は、夕方になるとよくそこで、パナマを被ったまま、往来の女を眺めている。眺めてしきりに関心している。女くらい不思議な生き物は他にないというのが彼の持論だった。それでいて、この戦争は間違っているなんて嘯(うそぶ)く事がある。警官に注意されないのが不思議なくらいのものである。

「もちろん全員で囲んでやりました」

「店の親父だって、咎めやしませんでしたよ」

「当たり前だ。天誅あるべしだ」

なんて騒ぎ立てている。取り留めもないんで黙らせてから尋ねると、ざっとこんな内容だった。

 庄太郎を取り囲んで道楽を咎めると、あの通りの腑抜けの上に、しかも名家だから、手は出されないと高をくくって、

「自分だって近頃道楽を恥じている。現にこの間恐ろしい事があった。それで心を入れ直そうと思っていたところだ」

なんて言いだしたそうである。口だけは達者な奴だから、健たちも楽々担ぎ込まれたのに違いない。

 聞くと数日前、水菓子屋から物色していると、艶やかな紅染めの帯が目について、ついふわふわとなって、着物の跡を追い掛けていったそうである。勢いから電車にまで乗りこんだ。どうなるものかと思っていると、すぐ隣り駅に下車するんで、これ幸いと飛び降りたら、町の様相ががらりと変わっている。

「何でも、駅を逃れると町並みは消されて、だだっ広い平野が続いていたそうです」

「そりゃ、変な話しだな」

自分もつい好奇心に駆られた。思えば庄太郎のデマに間接的に釣り込まれたようなものだから馬鹿げている。ざっとこんな具合の話しだった。

 女のシルエットはまだ遠くを歩いている。島田に結った髪がまるで芸者を思わせる。紅の色に誘われるみたいに、庄太郎はステッキを持って追い掛けていった。ところが急に道が途切れたんで、あっと思って立ち止まったら、目の前には断崖が広がっていたそうである。見上げると女はすでに対岸に渡っている。そうして、しきりに手招きをしながら、私に興味があるなら、崖から飛び降りてご覧なさい。すぐにこっちに来れるから、と言いだした。庄太郎が恐る恐る覗き込んだら、谷川の響きすら聞こえないほどの絶壁なんで、とても飛び込めた義理じゃない。首を振って怖じ気づくと、

「飛び込まなければ、豚に食われますがよろしいか」

と言ったなり不意とどこかへ消えてしまった。

 無論庄太郎は豚が大嫌いである。柵の中の鳴き声でさえこころ穏やかではいられない。恐ろしくなって悩んだけれども、崖からは飛び降りられっこないんで、女は諦めて引き返すことにした。ところが時すでに遅し。向こうから豚が大挙して押し寄せてくるではないか。

 庄太郎は驚いた。驚きながら、持っていた檳榔樹(びんろうじゅ)のステッキで、迫りくる豚の鼻頭(はなづら)をひとつ撲った。ひとつ撲つと、一匹崖から落ちていく。ふたつ打つと、二匹目も落ちていく。そうやって、三つ四つと豚を交わしていたんだが、何しろ大群である。だんだん指先がしびれてくる。腕の力が抜けてくる。豚の鼻息で目眩さえしてくる。落としても落としても豚は向かってくる。到底討ち果たせそうにない。思わず崖を覗き込んだら、ころりと転がしたはずの豚が、縦に並んでゆっくりゆっくり降って行くんでまたびっくりした。そうしてびっくりした途端に、ついに豚に噛みつかれてしまった。「あっ」と痛みが走った途端に、庄太郎はその場に気を失ってしまったのだそうである。

 あんまり荒唐無稽な馬鹿話なんで、川岸にしゃがんでいた自分は、怺えきれなくなって吹き出した。

「相変わらず、馬鹿な逸話を拵えるなあ」

庄太郎への怒りは砕けて消えちまった。しかし中学生は純真だから、その場で憤慨でも起こしたのだろう。

「国家動員の一大事に、嘲弄を重ねたような与太話だったので、僕らもついに決起しました」

と一人がいきり立った。まずは健坊が代表して、

「俺たちを、愚弄するつもりか」

と憲兵の真似をして、全員で吶喊(とっかん)を上げるやいなや、店から引っ張り出して散々に殴り倒してやったのだそうである。

「それから、このパナマを見せしめのために奪ってやりました」

「これを持って町中に触れ回ってやるつもりです」

 庄太郎は今頃、顔じゅう真っ赤にしてうんうん唸っているだろう。いい気味である。しかし、自分に反戦論を植え付けたのは庄太郎である。今の夢の話しにしたって、無駄にステッキを振り回しているのが、我々のような気もしてくるんで、ちょっと気味が悪くなった。すると、また健坊が、

「お国のためによろしくお願いします」

なんて言い出すのでびっくりした。何をお願いするつもりなのか。自分の命を寄こせというつもりだろうか。確かに、そんな響きがしたのである。

「明日は見送りに来るんだろうな」

 気さくを装って答えるのが精一杯だった。みんなは「もちろんです」「お見送りさせていただきます」なんてはしゃいでいる。せめてこいつらが送り込まれる前に、戦争が終わってくれることだけを、自分は望みたいような気分だった。

「おや、あんなところに、カワセミが」

 一人が指さす向こうには、川面(かわも)すれすれに跳ね上がったカワセミが、天高くへと舞い上がっていった。恐らくは餌でも取った所だろう。鳥は空へと逃げることが許されているのだから。

 あの鳥の姿を、殴られた庄太郎は来年も見るだろう。けれども自分は、これで最後かも知れない。その事実こそが、庄太郎の生み出した不可解な逸話よりも、何倍も不条理なことのように思えてならなかった。

夢十夜 第十夜 密林

 自分は密林にいる。静かに月を眺めている。月は芭蕉の影から差してくるが、僅かに開けた野営地だから、今日はまだしも救いである。辺りは静かだ。動くものは誰もいない。もっとも動きたくたって、疲れて自由が利かないんだからしょうがない。鼻の辺りにおぞましい臭気がしたんで振り向いたら、昼間唸っていた仲間が一人、土塊(つちくれ)になってうずくまっていた。焼けただれた肩から蛆が這い出している。それが月光に照らし出されて、異様な光景だった。今さら見慣れているから何とも思わない。ただ死んだと思って、月の光を眺めていた。

 五体が満足なのはむしろ奇跡である。ふらふらの栄養失調には違いないが、歩けないほど酷くはない。明日一日また生きていける。弾さえ躱(かわ)せれば、どうにかやっていける。そんな希望とも無謀とも付かない感慨が、心に浮かんではまた消えていった。

 時々不思議に思うことがある。戦死と称して密かに逃亡したって、誰にも分かるはずはない。気力の残るうちに実践していたら、こんな不始末にはならなかった。自分は連帯意識を憎んでいる。団結よろしく死地へ赴くなんてまっぴらだった。死ぬにしたって一人で死ぬんだ。そう思っていたはずだった。

 それが兵役に狩り出されてから、一度たりとも逃亡を願ったことはなかった。それどころか、任務遂行に追われるうちに、思考なんか麻痺して働かなくなっていた。もちろん、兵舎入りを果たしたときに、すさまじい教育を施された。自分はあの時、別の人格に変えられてしまったのかも知れない。それが月の光に唆(そそのか)されて、昔を思いだしただけなのかもしれない。不意にふる里の小川のせせらぎが聞こえたような気がしてはっとなって顔を上げた。庄太郎は、今でも女を連れて歩いているだろうか。そして健坊は、新たなる制裁を加えているだろうか。すべてが遠い面影のように思われるのだった。

ふる里の川面(かわも)うつしのきらめきを
浮かべなみだも遠き月影

 こころにそっと呟いてみる。自分もあの蛆の男のようになって、間もなく大地へと還元されるのだろうか。妻の面影が浮かんできたら、乾ききったはずの涙が、すっと頬を伝って流れ落ちた。久しぶりに水分を補給したので、涙も一緒になって戻ってきたのかもしれない。人なみの情緒に出会えた喜びに、自分はつかの間、月光を浴びたなり泣いていた。そうしてそのまま、疲れて眠ってしまったのであった。



 不思議な夢を見た。

 自分は翌日の突撃で、機関銃の斉射にあって死んでしまった。

 乱射の中を駆け抜けるのだから、死なない方が奇跡なんだが、何しろ今まで死ななかったものだから、平気な気がして走っていた。すると体がパンと破裂したような感覚があって、おやと思って下を向いたら、腹の辺りから血が噴き出していた。しまったと思った途端に、もう二三発パンを浴びて、改悛(かいしゅん)も懺悔(ざんげ)も無いうちに、頭から地面に打ちつけられていた。ただ刹那に妻の面影が浮かんでは消えていっただけだった。

 悟る間もない一瞬だったんで、自分は仲間と一緒になってまだ走っていた。パンの記憶だけが抜け落ちている。しかし銃を構えた時に気がついた。握りしめたはずの銃身がどこにも見当たらないのである。おやと思って立ち止まったら、仲間の一人が体をすり抜けていくんでびっくりした。思わず振り返ったら、大地に自分の肉体が転がっている。もちろん銃身と一緒だった。慌てて戻ってみると、よほど汚らしい肉の塊に落ちぶれている。今までよく我慢して入っていられたと、憐れになるくらいやせ衰えていた。しかも同じような肉体は、いたるところに転がっているのである。

 大地は飛び散った血潮で赤くなっている。不気味なぬかるみの中を、仲間らが機銃掃射に向かって走っていく。自殺志願者の狂騒みたいな光景に驚いて、誰でもいい、止めさせようとして袖を掴んだら、掴んだはずの指先がすり抜けた。相手は気づきもしない。ただ闇雲に走っていく。組織に組み込まれた以上は、機械的行為を邁進すべきものと信じて、命令に従って突撃を試みている。そうしてばったばったと倒れていく。さっきまでの自分を見るようでぞっとなった。

 とてもじゃないが、知性に生きるべきものの姿ではない。集団生活の動物の行為そのものだ。人は思想を持った生き物だなんて出鱈目だ。思想なんて言語の水たまりに浮かび上がった、儚いまぼろしに過ぎないのではないか。そうでなければ、こんな馬鹿げた行為に打って出るはずがない。学生時代の教室を思い出すうちに、なおさらいたたまれなくなってきた。

 仲間の大半は死滅してしまった。それでもまだ駆けていく。あまり遣り切れないんで、不意に妻子の顔がこころに浮かんでくる。ああ、この世から消える前に、せめて別れの挨拶がしたい。そう願ったら、不意にふわりと軽くなった。そうして天高く飛翔すると、鳥よりも軽やかに、雲よりも早く、風のように走り始めたのである。自分はたちまちのうちに、ふる里の小川のせせらぎを聞くのだった。



 久しぶりのわが家は懐かしかった。妻は子供をあやしつけている。棒きれに鈴を括りつけただけの玩具は、戦時中、精一杯の自家製である。鈴の音が響く度に、自分は屈託のない気持ちになって漂っていた。もちろん妻は気づかない。試しに耳元で囁いてみたが、やっぱり駄目だった。あるいは子供ならと思って覗き込んだが、驚いて泣き出すことすらしない。人間に霊魂は見えないものらしかった。

 妻は夜になると、幼い子供に向かって、「お父さまは」と聞くのが習わしになっていた。幼子はもちろんキョトンとして答えない。けれどもあまり質問が募るので、母の表情を宥めようとして、いつしか「あっち」と指さすようになった。その度に母親の顔があからむので、いつしか子供は、そう答えるべきものと思い込んでしまったらしい。もちろん指さす方角は毎回違っている。それでも妻は喜んで、子供を撫でて見せるのだった。

 そのうち妻は「いつお帰り」と尋ねるようになった。子供は「あっち」と言って取り合わなかった。しばらくは笑っていたが、やがて「今にお帰り」と教え込もうとして、しきりに口真似をさせている。しかし幼いものだから、「今に」と覚えるのが精一杯だった。それから二人の会話は「あっち」と「今に」を徘徊するようになった。自分は漂いながら、もっと言葉を教えなければいけないと思ってヤキモキしたが、手も足も出しようがないのであった。

 もっとも実家だから、食事時には親父やお袋が子供を構ってやることもあった。ある時は、途絶えた手紙を案じる妻に向かって、

「戦地から手紙など出せるものか。吉之助の所だって、半年も連絡がこないんで、あるいは死んだかと思って心配していたら、不意に南方から手紙が届けられた。喜んで開いてみると、戦闘外の通信網などもはや事切れたも同然だから、手紙は届かないに違いない。しかし届いたら幸いである。生きていると思って安心してくれ。しかし届くかどうか分からない。届かなかったら安心させられない。さて困った。なんて書いてあるんで、ようやく食卓が笑いに包まれたくらいだ」

なんて説明している。親父は馬鹿だから、これは慰めではないんだろう。息子がそう簡単に死ぬはずはないと、無頓着に信じ込んでいるらしかった。母はそれほどの楽天家でもないから何とも答えない。二人ともちょっと憐れである。しかし、妻子はもっと可哀想だ。こんな結末なら結婚なんかするんじゃなかった。申し訳ないくらいの心境である。それでいてもう、どうとも出来ないのだった。



 町じゅう寝静まる頃になると、妻は帯を締め直して、子供を背負ってそっと玄関をくぐり抜ける。靴音ばかりが一本道に谺するなかを、思い詰めた様子でどこまでも歩いていく。子供は背中で夢でも見ているのだろう。母親に連れられて、黒塗りの塀を這うように西へ西へと抜けていくのだった。やがてだらだら坂を降り尽くすと、大きな銀杏が見えてくる。月の晩にはまだしもだが、閉ざされた曇天の晩には覆い被さる悪魔のように恐ろしい。それでも妻は小さな灯しを頼りに、怯むことなく折れ曲がっていく。ようやく鳥居が見えだした。

 けれども石段に足を掛けると、闇に茂った樹木から梟の声が迫ってくるんで、時には驚いた子供が、わんわん泣き出すこともあった。妻はそんなときは、懐かしい子守歌をあやして聴かせるのだった。それで大抵は泣き止んでしまう。もっとも近頃は、大分闇にも慣れてきたらしく、梟が鳴いても眠ったまんまのことも多い。ふと戦場にいた頃を思い浮かべて、すぐに順応する人間の体質こそが、暴力を是認する諸悪の根源なのではなかろうかと、自分は漂いながら思いを巡らしていた。

 ようやく拝殿(はいでん)まで来ると、鈴をガラガラ鳴らして柏手を打つ。夜ながらに驚いた梟がぴたりと鳴き止んだ。それからまた、子供が目を覚まして泣き出すことがある。そんなときは、お決まりの子守歌であやしつける。その声は私の胸にまで、悲しく澄み渡って聞こえるのだった。

おいしく浮かんだお月もまるみ
わらえよ坊やれんげの畑(はた)も
蒼き御空に風のさやけさ
あまいかおりも宵の仄かよ

 妻は自分のことを祈っているのだから、どうにかして姿を見せてやりたくなる。しかし落語の幽霊話のようにはうまくいかないらしかった。妻の頬に触れようとしても、するりとすり抜けてしまう。それでいて、ちっとも気づいてはくれないのである。

 今日は子供の泣き声がひとしお大きかった。闇をまとって産み落とされたような悲鳴がするので、妻は背中を揺すって懸命に寝かしつける。銀杏の小道から聞いたら、怪鳥の来襲かと錯覚するに違いない。あるいは盛りの猫が歌垣(うたがき)を開いていると勘違いするかも知れない。そのくらい境内一杯に響き渡るのだった。

 妻は寝付くまでは動かない。どんなに夜更けが募っても動かない。泣き尽くした子供の寝息を見届けると、そっと拝殿脇の廊下へ横たえてから、ようやく拝殿の反対側まで歩いていく。そこで靴を脱いで、敷石の辺りを何度も往復しながら、懸命にお百度を踏むのである。

 それが夫の無事を願っての所作だから、自分はいよいよ済まなくなってくる。せめて死んだことだけでも伝えられないものかと躍起になる。子供が泣き出す日にはますます済まなくなってくる。それでいて、どうすることも出来ない。子供の口でも借りられないものかと試してみたが、憑依などさせてはくれないのだった。いっそ自分が神に祈って、願いを叶えて貰いたくなってくる。

 そこでいつしか、妻と一緒になって、

並んでお百度をするようになっていた。

もちろん妻は気づかない。

けれども自分はすぐ傍にいて、

妻と一緒に祈っている。

妻は自分に会うために。

自分は妻に別れを告げるために。

 あるいは、永遠に続けていたら、二人の思いが現実に打ち勝つほど強かったら、願いが叶うことだってきっとある。そう信じながら、二人はそれぞれに祈り続けるのだった。不意に眠っていた子供が、遠くの方で「今に」と呟いた。妻は気づかない。あるいは父の夢をでも見ているのであろうか……



 ふと目を覚ますと、芭蕉の葉陰から月光が顔を覗かせて、キラキラ照らしているのだった。頬の涙すらまだ乾ききっていない。つかの間に見た炊煙の夢。これは、未来を予見した正夢なのだろうか。自分は明日にでも機関銃に撃ちのめされて、密林の土塊へと帰るのだろうか。

 思わず振り向くと、蛆の遺体は、真っ青になって月下に横たわっている。異様な静寂を友として。そう言えばこの男、昼間、妻子の話を聞かせてくれたっけ。すると今の夢は、彼の遺恨がさ迷いながらに見せた、はかない幻に過ぎないのかも知れない……

たち惑(まど)う宵去り人のたましいを
なだめるでもなく月の静けさ

 月光が何かを語りかけている。

 あるいは今なら、まだ間に合うのだろうか。ふらりとここを逃れたからといって、咎めるものなどいやしないのだ。それに、自分の精魂はもう尽き掛けている。体力も尽き掛けている。今を逃したらきっと、機関銃の犠牲になるか、この男のように蛆にたかられるか、いずれにせよ死ぬしかないんだ。そうであるならば……

 勇気と卑劣、植え込まれただけの正義感、社会的束縛に養成された偽りの思想。もし中立的な自己概念などこの世に存在しないものならば、自分はここで死ぬべき定めには違いない。けれども……

 けれども心の奥底で、何かが違う、違うと叫んでいる。勇気を出せ、勇気を出せと、必死に祈るようなささやきが頭を駆け巡って、月光の差し込んでくる瞳孔のなかで、攪拌されて揺らめいている。

 あるいはあの光が雲に隠されたとき、自分には最後の岐路が訪れるのかもしれない。惰性に任せた諦観に生涯を果てるなんて、それが命の値打ちなのだろうか。殴られてもなお己を貫こうとする庄太郎より、マシな生き方をしていると言えるのだろうか。玉砕による自害なんて、知を蔑ろにする動物的な狂態に過ぎないのではないか。自分は抱きかかえたままの銃身に力を込めた。そうして芭蕉にもたれ掛かりながら、静かに月の光を浴びているのだった。

覚書

作成+朗読2010/1/12-4/8

2010/1/12-4/8

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