序曲 - ユーサー王の物語

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冒頭 (暫定的下書)

 天(あま)駆けるイーグルに風が吹き付けたのだろうか、さっと向きを変えて見下ろしたとき、大地には伸び渡るハドリアーヌスの長城が、ふたつに分かれた陣営が見えたのであった。

 霧の深さが遠のいて、高きを目ざすヘーリオスが太陽をきらめかせるまで、両軍は動かなかった。ローマ人の恐れたピクト人から身を守るために築かれた長城が、ふたつの軍を眺めているようだ。それはローマの去った今でもなお、ブリトン人たちの領土を支えるための、守護となって君臨しているらしかった。

 その城壁を袖に抱えながら、両軍はイーグルの姿さえ知らず、相手に襲いかかろうとする獅子の怒りでもって、相手を睨みつけていたが、鷲の鳴き声が響き渡った瞬間、すなわちそれが開戦の合図となった。

 選任されてから日も浅いブリトンの王コンスタンスは、たちまち進軍のラッパを吹き鳴らした。左翼と右翼に振り分けた騎馬隊が、賊軍を覆い囲むようにして、一斉に駈けだしたのである。

 賊軍は怯まなかった。コンスタンスに反旗をひるがえすブリトンの諸王たちは、先王の忠臣ヴォーディガンの黒塗りの鎧を目印に、密集となってコンスタンスの控える、本陣にのみ狙いを定めて突進する。双方の策略が交錯する。

「やはりそうか」

コンスタンスは、左手を差し上げた。

 たちまち本陣は城壁へと後退した。代わりに槍の歩兵部隊が騎馬隊の進軍を押さえ込むように突出する。コンスタンスは城壁を背後に布陣を再編し直すと、奇襲の憂いを絶った上で、歩兵に行く手を阻まれたヴォーティガンの軍隊を、あの部族ごとに命令系統が定まらないはずの混成軍を、各個に撃破するばかりかと思われたのである。両翼へ回った騎馬隊が、その側面を突こうとする。コンスタンスは勝利を確信した。

 「我が父コンスタンティヌスの忠臣でありながら、喪も開けぬうちに反旗を翻し、己の野心をむき出しに、王位簒奪を企むもの。あのヴォーティガンに、今こそ軍神のいかずちを」

 コンスタンスが高らかに剣を振り上げると、周囲の近衛軍が一斉に剣と盾を打ち鳴らした。自らの手で勝利を得んがため、彼は本隊の前進を命じたのであった。しかし、その時である。

 不意に、耳をつんざくような角笛が響き渡った。

 不気味なほどの勝ちどきがとどろいた。

 それはコンスタンス軍の雄叫びではなかった。もはや人の声とも思えず、さながら気高き丘が怒りに任せて、地響きを立てるがごときすさまじさで、不意に後ろから響いてきたのであった。

 王は驚いた。城壁自らが敵となって襲いかかってきたような錯覚に囚われて、乱れた馬の足並を鎮めながら、慌てて後ろを振り向くのと、背後から一斉に弓矢が放たれてくるのが、ほとんど同時であった。

 盾と鎧を貫通する力は無いとは云え、射殺された馬から崩れ落ち、また腕やら首筋を射貫かれて、王を守るべき騎兵隊は、前後不覚の大混乱に陥った。慌てて叱咤するコンスタンスが睨みつける先には、閉ざされべき長城の門が開かれている。北方のピクトの民たちが、顔や体を塗りたくった不気味の姿で、弓矢を放ってなだれ込んできたのである。

「まさか、ピクトと同盟を結んだのか」

 王を守る騎士が叫びざま、王をかばって貫かれた。胴体ではない、右目を射貫かれたのである。我が子マークの姿がつかの間浮かんだとき、彼は馬から投げ出されていた。コンスタンスは、重臣の名を叫びながら次の矢を剣で打ち払った。また次を。歩兵部隊を蹴散らしたヴォーティガン軍が、混成軍とは思えない統率を持って、彼の前へと迫ってくる。助けてやる余裕などはなかった。

 前後不覚の挟み撃ちにあって、王軍は壊滅的な混乱をきたした。戻ろうとする両翼の騎馬隊は、少数であるはずのヴォーティガンの兵たちによって、翻弄されて足並みが揃わない。ヴォーティガンはついにコンスタンスに切り込んだ。

「血迷ったかヴォーティガン。ピクトの民と手を結ぶとは。我らが王国を、異民の手に委ねるか」

 コンスタンスがそう叫ぶのと、ヴォーティガンの巨大な黒剣が、コンスタンスの頭上に振り下ろされるのとが同時であった。辛うじてこれを交わした王が剣をなぎ払い、逆臣の首を振り抜こうとするが、老いてなお軍神のごときヴォーティガンが、盾で若き力もろともこれを受け止める。

「それは我らの台詞だ。情けなくも貢ぎ物まで差し出して、再びローマに屈服しようとは、この王国を異国に売るとは誰のことか」

 今や統率をなくした王軍の、近衛の兵は打ち減らされ、反乱軍とピクトに囲まれて、次々に殺されてゆくばかりだった。二人はその中にあって、周囲を寄せ付けず剣を交わしているのだった。

 鈍い金切り音が、馬の断末魔のいななきが響き渡る。幸せを願うこの草原を、血潮が凄惨の修羅場へと染めるとき、戦いの三女神モリグー、バズウ、ヴァハが、「血を寄こせ、もっと血を寄こせ」と、騎士どもを駆りたてているようにさえ思われるのだった。ただ二人の剣だけが、主役を競って打ち付けあっている。しかしピクトの若き戦士が、塗りたくられたその瞳から狙いを定め、的確に国王の馬を射貫いたとき、ついに二人の決闘にも終止符が打たれた。

 もんどり打って転げ落ちたコンスタンスが、よろめき立ち上がったその瞬間を、ヴォーティガンは見逃さなかった。余力を注ぎ込むほどの渾身を込めて、慌てて振り仰いだ頑丈な盾もろともに、ヴォーティガンはコンスタンスの兜を叩き割ったのであった。あっと思った瞬間、兜にのめり込んだ刃から血潮が噴き上がった。王は自らの死を悟ることもなく、醜い肉の塊へと朽ち果てたのであった。どさりと倒れ込んだ屍は、たちまち馬に踏みつけにされる。ヴォーティガンがすかさず、

「国王コンスタンスを討ち取った。いつわりの王は死んだのだ!」

と叫び声を上げた。

 この時、勝敗は決した。反乱軍とピクトの兵たちに、大地を揺るがすほどの勝ちどきが起こったからである。恐怖となって伝播した国王の死に、王軍はなすすべもなく逃げ惑うばかりだった。総崩れで潰走(かいそう)する兵ほど、もろいものがあるだろうか。

「まだ戦は終わっておらぬ。コンスタンスの軍を、一人でも多く討ち取るのだ」

 ヴォーティガンの叫びと共に、集結した諸王の軍は、まるで彼らこそが正規軍であるごとく、一糸乱れぬ殲滅戦を、徹底的に繰り広げたのであった。もしこの時、国王と共に殺された父の意思を引き継いだ、若きマークが敗軍の再編を計らなかったら、国王軍は全滅していたに違いない。マークは分断されつつ逃げ惑う騎士たちを、効率的な伝令によって再集結させ、彼らの抗戦意欲を鼓舞しつつ、敵の進軍をその場に食い止め、分断された全軍の再集結をようやく成し遂げたのであった。

 これにより、元来が膨大な数であった国王軍の、約半数が軍隊としての機能を回復した。国王軍の意外な抵抗を見て取ったヴォーティガンは、これ以上の追撃は無用であると判断し、ようやく後退を命じたのであった。

 ヴォーティガンに近づいた諸王のひとり、ロット王が、

「よいのか、あのまま王軍を帰して」

と訊ねに来る。ロットは北部を治める部族の王であり、その勢力は北ウェールズを治めるリエンス、南ウェールズを治めるヴォーティガンよりも、はるかに強大であった。そしてこの三人こそが、今回の動乱の中心であったのだ。本来参戦すべきコーンウォール王ゴーロイスは、ヴォーティガンのもっとも頼みとする王であったが、駆けつけてはくれなかった。あいつさえ参戦をしていれば、国王軍に敗走の機会などあたえなかったものを……ヴォーティガンはただ、

「コルニウスさえしくじらなければ、ほどなく王宮は我々の手に落ちることになる。国王軍と距離を保ちつつ、ロンディニウムに向かおうではないか。だがしかし、今はしばしの休息を、兵たちには与えるべきであろう。ピクトへのねぎらいもせねばならん」

ロットも黙って頷いた。実際のところ、誰もが血潮を浴びすぎた。勝利の軍隊とはいえ、その疲労は今やピークに達していたからである。

「またすぐに戦になるかもしれないな」

ロットはそう呟くと、自らの軍へと帰っていった。

 それは激動の時代だった。かつてカエサルが進出し、紀元四十三年にはクラウディウス帝により征服されたこのブリタニアは、かつてケルトの民が自らの文化を誇っていた島である。(以下続く)

これ以下、あらすじとして

    (覚書)
 ロンドンでのコルニウスの王宮奪還計画と、それがユーサー(コンスタンスの弟、アーサーの父)によって阻止され、やがてユーサーが国王に就任し、ヴォーティガン軍との戦へと流れていきます。後のアーサー王の物語で登場すべき人物が導入されつつ、全体の最後の三分の一あまりの部分を、参照として以下に掲載される物語が展開し、アーサー王の誕生を呼び込むという内容です。この際、参考として掲載した文章は、文体をすべて改める必要があるため、あらすじの下書きは出来ているとはいえ、他の中間部分を含めて、完成させるにはやはり数ヶ月が必要になると思われます。
 さらに、親友としてコルニウスの子ウルフィアスが大きく関わってくるのと、ヴォーティガンとの戦において、マーリン(魔法使い)が姿を現し後半部分を導くことになります。マーリンの加勢によって、ヴォーティガン軍に勝利を収めるものの、続くゴーロイスとの戦において、ゴーロイスの妻であるイグレインに恋をしてしまったユーサーが、ひと夜の契りなどいたし、マーリンの力を借りて、アーサー王を誕生させるというのが全体のストーリーです。

あらすじ的物語

ケルトの民の一派は北方に逃れやがて自らをピクト人と称すると、ローマに向けて反旗を翻し、また一部は南部に残りローマの元での部族政治を認められ、その文化を採り入れつつも己(おの)が伝統を守り通した。されどローマの先進文化と、国家的な概念は、新たな衝突と領土争いを、ブリタニア南部にもたらすこととなった。彼らはいつしか、自らをブリトン人と見なすようになっていったのである。百十七年にピクト人からの侵略を食い止めるべく築かれた「ハドリアーヌスの長城」は、そのままブリトン人達の北方の国境ともなったが、最盛を誇るローマに屈したブリタニア南部は、しばしローマの属領として、皇帝の支配に屈することともなったのである。時はながれ、ウクライナのサルマティア人(まゆつば)など各地の傭兵が、長城警備などのためにブリタニアに入り込み、ローマ人と婚儀をむすぶブリトンの娘がいるなど、ブリトン人の社会を大きく揺り動かす荒波となってローマは影響力を行使したのであった。落日を迎えたローマが四百十年にホノリウス帝の命によりブリタニアからの撤退を計ったとき、ブリタニアで新たな勢力闘争が繰り広げられることは避けられなかった。ブリトンの諸王たちはローマの下で領土の均衡を保たれ、長城の北方のピクト人たちは、何度かの侵略の試みにも関わらず、その勢力を北部に限定する一方だったのであるが、ローマの崩壊とあわせるように、ピクト人の領土には西からスコット人達が海を渡り勢力を拡大し、またゲルマン諸部族の大移動にともなって、ブリタニア東部一帯を、アングル、サクソン、ジュートなどの諸部族が、上陸と進出を企てるようになっていったのであった。今やブリトン人たちにとって、部族を越えた諸王の王「ペンドラゴン」を中心とした、連合的国家を築くことは、急務のように思われたのであった。

 こうして5世紀半ば頃、アルモリカ族の王の息子とローマ貴族の娘とのあいだに生まれたコンスタンティヌスが、かつてローマ帝国が駐屯地として都市建設を行ったロンディニウム(現在のロンドン)を王都と定め、ケルトの民の諸部族の長の伝統をそのままに、初めて「ペンドラゴン」、すなわち「竜の長(おさ)」の称号を諸部族の王から認められ、連合の王として君臨したのであった。そのロンディニウムとて、もともとケルトの民がロンディノスとして作った集落を発展させただけなのであるから、そこを王都とするのは、ブリトン人にとっても相応しいように想われたのであった。

 二十年にも及ぶコンスタンティヌスの治世は、諸王からも信任され、いつしか連合の王をいだきそれに従うことは、当然のことのように思われはじめた時、コンスタンティヌスは亡くなった。王権の世襲を認めるかどうか、激しい諍いが起こった後、国王の権利は、コンスタンティヌスの三人の息子であるコンスタンス、アンブロシウス、ユーサーのうち、長男であるコンスタンスの元に委ねられたのである。同時に世襲の組織化が図られて、コンスタンスの亡くなった場合には弟たちに王権が委ねられることが、コンスタンス自身によって発布された。

 その頃王城は今だ親ローマ派と呼べる者たちもかなりの数がいた。彼らの多くはもともとローマより派遣されたり、在地化したローマ軍の子孫であったり、五世紀初めにローマが撤退を決めたときにブリトンに残った貴族の息子たちであったりしたのだが、コンスタンティヌスの子供たちのうちでも、王となったコンスタンスは、幼き日よりローマ式の教育を受けて、その先進的な文化への憧れが特に高かったのである。これに対して反ローマ派の騎士たちは、特にブリトンの諸王を中心として、ケルトの血を色濃く継承し、ブリトン人による国家をこそ至上のもの考える者たちであった。もっともこれは一般的類型に過ぎず、諸王それぞれに騎士それぞれに、様々な思惑もあれば先進文化に対する憧れもあり、部族闘争的精神を色濃く残すブリトンの民たちは、今日歴史を翻って眺めるほど単純でもなければ、現在に対して変化に乏しい時代だったわけでもなかった。そうであるからこそ、コンスタンスが自らのシンパシーに突き動かされて、ローマとの結びつきを強めようとしたときに、忠臣だったはずのヴォーティガンが、王家の刷新を目ざしてクーデターを引き起こすことにもなったのである。暴動は勃発し、コンスタンスは冥界へと旅立った。そしてその日の夕方、王都ロンディニウムでもまた、コンスタンティヌスの息子たち、アンブロシウスとユーサーを暗殺しようと企む陰謀が、ヴォーティガンの反乱に呼応して着々と進められようとしていた。その中心的人物であるコルニウスもまた、コンスタンティヌスの忠臣として長年勤め上げた名門だったのである。動乱の根は深くはびこっているようだった。

 コンスタンス王の遠征中ではあるけれど、アンブロシウスの誕生日をぜひ我が館で行いたいという長年の重臣の申し入れに、アンブロシウスが疑いのこころを持つはずもなく、日の入りを迎える前に配下の兵を引き連れて王宮を離れると、物々しい警備でコルニウスの館を訪れ、晩餐に預かることにしたのであった。兵たちを束ねるのは、見習いから数えてもう十年は王宮に仕えようという騎士エクターであり、その切実な人柄は、彼さえ親衛に置けば、千の裏切りも切り抜けると讃えられたほどであった。そして彼は、最近結婚をしたばかりであり、それがためか部下たちにも規律一辺倒ではない優しささえも見せ始め、兵士たちのあいだでも人気の高まっていた人物であった。エクターは館の前に兵の一部を整列させると、アンブロシウスとユーサーをコルニウスの館へと案内した。入口に恭しく控えたコルニウスとその妻が、丁寧な挨拶を述べ立てる。

「この度はつたない我が館などへご足労いただいて誠にもって有り難き」

などと、時代がかった挨拶をやるので、若いアンブロシウスはちょっとびっくりしてしまったくらいである。アンブロシウスもユーサーも優等生みたいなコンスタンスの兄とは違って、親ローマ派でもなんでもない。あまり丁寧な格式はまっぴらな方だったが、特に遊び癖のまるで抜けきらないユーサーはこんな挨拶を我慢して聞いているのが辛くてたまらなかった。コルニウスの背後にはユーサーの親友でもある息子のウルフィアスも控えていたが、彼も笑い出したいのを神妙に堪えているようだった。

「こちらこそ、招待にあずかり」

などとアンブロシウスは一通り返礼を述べてから、ようやくコルニウスに招き入れられて控えの間へと案内される。ここで宴の準備を待ち、ようやく晩餐が開始するそうだが、随分ご苦労なこともあったものだ。初めっから用意が出来たら遣いをよこしたら良さそうなものである。それでもアンブロシウスはさすがに万一の場合は国王の座を引き継ぐべき者、仕来りの煩わしさと付き合う心構えもあったが、末のユーサーの方は詰まらなくてたまらない。どうせ勝手知ったる館である。

「ちょっとウルフィアスのところに行ってみます」

といって、アンブロシウスが待てというよりも早く、部屋を飛び出してしまった。まったく困ったものである。まあいい。アンブロシウスは諦めた。いつものことといえば、いつものことには違いなかったからである。これも父上が甘やかし過ぎたのだ、などと数年前の自分を忘れた見たいな保護者じみた感慨を持って、アンブロシウスは椅子に腰を下ろした。ともあれ、祝福されべき立場は喜ばしいものである。今ごろ兄である国王も、ヴォーティガンを討ち果たしている頃かも知れなかった。うつらうつらとするうちに、かなりの時間が過ぎていった。

「殿下、アンブロシウス殿下」

と声がするのではっとした。コルニウスが謙って直々に晩餐の広間への案内を買って出たらしい。部屋の入口に控えていたエクターと共に、さっそく晩餐の席へと向かうことにした。お供の騎士たちは、警護を含めてざっと三十人といったところ、護衛の兵たちの大部分は、館の周囲に立ちつくし、晩餐とは縁のない侘びしさで、今宵を過ごさなければならなかったが、運良く皇太子の親衛隊の役に有り付いた者らには、騎士でなくても幾ばくか、晩餐に有り付けるのではないか、コンスタンス王では無理かも知れないが、気さくなアンブロシウス皇太子であれば……、そんな期待も少しはあったものである。

 晩餐の席は華やいでいた。吟遊詩人は王宮で聞き飽きたというアンブロシウスに、今日は曲芸師を用意したという。それでも奥では楽器を鳴らす音楽家が控えていたし、食卓には沢山の果物やら豆料理やら、調理仕立ての肉がところせましと並べてあったし、蜂蜜酒やらビールまでも用意されてあったので、アンブロシウスはちょっと嬉しくなった。

「ところでユーサーはどこへ行った」

と訊ねると、はっと気が付いたコルニウスが、

「そういえば我が息子の姿も見えません」

と答えて、控えていた召使いに

「すぐに呼んでくるように」

と指図をした。それから

「ローマからワインも取り寄せてあります」

とアンブロシウスに晩餐の説明などをしていると、ほどなく召使いが戻ってくる。なんでも二人とも行方不明だという。アンブロシウスは吹きだした。

「どうせまたどこかへ抜け出して遊んでいるのだろう。あのような者どもは放っておいて先に晩餐を始めようではないか」

ユーサーなど待っていても何時になるか分かったものではない。相手にしない方が賢明だ。腹が減ったら帰ってくるに違いなかった。しかし秘めたる思いあるコルニウスにとっては、それは致命的な誤算である。ユーサーを取り逃すことは避けたい。内心冷や汗の出る思いであった。

「いえ、せっかくお二人揃って我が館にお出でになられたのですから、ぜひ皆様揃ったところで誕生のお祝いとさせていただきたく思います」

と引き延ばしを計ると、

「やれやれ、弟にもいつもながら困ったものだ。もう自立すべき時であろうに、王家のものとしての自覚がまるで無いのだからな。なあ、エクター」

と背後に控えていたエクターに投げつけるので、

「いえ、そのような」

と肯定するわけにもいかずに困ったエクターが、しどろもどろの返事を返した。コルニウスは、

「活溌さもまた王家の血統の証しかと思われます」

と答えるが、アンブロシウスはおかしくなって、

「お前の息子のウルフィアスはどうなのだ。王家の血統でもないが、ユーサーとともにほっつき歩いてばかりではないか。本来ならユーサーをたしなめるべき忠臣たるべきところを、いつまでも友達同士で遊び回っているとはどうしたことか」

と突っ込みを入れるので、

「お恥ずかしながら、我が子ながらに遊びごころが過ぎるようで、何を言ってもなかなか……」

「どうせユーサーがそそのかして悪い影響を与えているのだろう。まあいい、とにかく晩餐は始めるとしよう。いつまでも待っていても時間の無駄だ」

 こう言われては、もはや制止することは叶わぬ。コルニウスも今は覚悟を定めた。予定は狂ったが、先にアンブロシウスを殺害して、戻って来たユーサーを仕留めることが可能だろうか。エクターを始め、付き従ってきた兵どもをすべて始末することが出来るだろうか。いずれにせよ、後戻りは出来ない。遊び歩きのユーサーなど待っていたのでは、永遠にチャンスを逃す結果にもなりかねない。とにかく今はこのアンブロシウスの命を奪うことだ。コルニウスは短い時間の中で、瞬時にこれだけのことを考え、王の弟に向かって、

「どうです、無為に館を取り囲んでいる兵たちを、ユーサーを探すのに振り向けては。館の警護なら我が配下の兵でも十分ですし、晩餐にもこれだけの兵が居るわけですから」

と進言した。アンブロシウスは少し考えてから、

「見つかるかどうか分かったものではないな。まあいい、エクターには済まないが、皆を取り仕切ってユーサーを探し出して来てはくれないか。もちろんその後の晩餐では、不自由な思いはさせないつもりだ」

とエクターに向かって指示を出すので、エクターはたちまち一礼をしてユーサー探しの指揮を執ることにした。コルニウスは内心歓喜したに違いない。腕に覚えある騎士エクターが居なくなれば、細工は流々仕上げをなんとやらである。

 こうしてアンブロシウスの引き連れてきた兵どもの多くは、その本来の役割を離れ、ユーサー探しに借りだされることとなった。王都は平和そのものである。つい気も緩むというものだ。アンブロシウスやエクターに咎があるわけではなかったが、こうなってくると、コルニウスにとってはかえって万事が好都合のようにさえ思われたのであった。

 コルニウスが合図を送ると、たちまち侍女たちが酒を注ぎ始める。照明のほのうはゆらゆら揺れる。吟遊詩人はハープを奏でる。曲芸師たちはまだ袖に控えている。もちろん王弟に注がれた酒も、食事も念のために配下の兵による毒味がなされたが、長年宮中に務めるコルニウスがこれを知らないはずがない。それに天災とか毒というものは、遅れて遣ってくるがゆえに、我らの油断にそっと忍び込み、取り返しのつかない悲劇へと導くものである。この時もコルニウスは宴がたけなわともなり、味見もルーズになるその時刻まで、まだ用心を怠らなかった。されどユーサーを探しに出た兵どもが戻ってくるまでは、時間を遅らせたくはない。自分のタイミング一つで、勝負が決まってしまうと思うと、コルニウスは声も上擦る思いであった。しかしそれは表へは出さずに、アンブロシウスへの祝辞を述べて、乾杯の合図がなされたのである。

 宴は次第に盛り上がる。そのうち側近の騎士たちだけでなく、警護の兵にまでお許しが出て酒が少々回り始めた頃、コルニウスが一つ手を叩く。袖に控える曲芸師たちに合図を送ったのである。たちまちハープの音が止み、変わって打楽器の響きと共に、室内での玉やら奇妙な形の円盤を使ったアクロバットが始まった。みんな手に鈴を鳴らしながら踊り狂っている。アンブロシウスも大分酔ってきた。注がれる酒への注意など、思いもよらぬくらいである。そろそろ決断の時だ。コルニウスは王弟に向かって、

「そうそう、大陸よりとっておきの酒が手に入ったので、殿下にお飲みいただこうと思って取って置いたのです」

と言うと、自らそれを取りに向かい、それを合図に扉の影ではコルニウスの兵たちが、密かに剣の柄(つか)を握りしめた。万に一つでも取り逃すわけにはいかない。宴の席に持ち寄られた酒は、珍しい瓶に入っていた。

「ローマか」

とアンブロシウスが訊ねる。

「ローマは経由していますが、実はエジプトの酒です。恐らく飲んだこともない味かと」

「エジプトだと、あのような灼熱のもとで酒など出来るものか」

「それが、酒も元を辿れば、エジプトやオリエントのあたりから我々の世界にもたらされたと言われるくらいのものでして」

「我々のあいだでも酒はウィシュケ・ベァハ、いのちの水などと申しますから、まして死者を布でくるんでいつまでも保存するような民には、また酒への感心も高いのでございましょう」

とほとんど出鱈目を並べて話を済ませてしまった。もとより真実かどうかなどアンブロシウスに分かりようはずもない。コルニウスだって知りっこないのだが、済ましたままでまずは王弟の隣に控える兵の手に毒味用の杯を持たせ酒を注ぎ入れる。兵はそれを口に含んだが、どうやら問題はないようだ。コルニウスはそれから王の杯に注ぎ入れ、後から自分の杯にも注ぎ入れた。まるで黄金を透明に溶かしたようなきらきら光る液体は、ワインの一種のように思われる。アンブロシウスはしばらくそれを眺めていたが、どれとおもむろに口に含むと、甘酸っぱい果物の名残がかすかに感じられ、それでいてどぎつくない。こんな感想では、ソムリエの試験の初等も合格できないくらいのものだが、当時の酒の好みは、今ほど洗練されてはいなかった。アンブロシウスはたちまち飲み乾した。

「これはうまい。このような酒は飲んだこともない。ローマのワインのようでもありながら、また全然違っているが、なんというかその、何か大事をなす前に一口、口にしたいような味だ。さあ、もっと注いでくれ」

とすっかりだらしなくなってしまう。コルニウスは酒の瓶を炎にかざして、瓶をくるくると振ってみる。実は自分に注いだ後にすでに瓶を眺め回しがてらに振っておいたのだが、念には念を入れた方が良い。

「どうも黄金に輝くのは不思議です」

と言いながら、王弟の杯にまた注ぎ入れる。自分は先に注ぎ入れた残りを楽しみながら、

「実はもう一本ございますから、お帰りの際にはぜひお持ちください」

「それは愉快だ」

「さっそく持って参りましょう。少々お待ちください」

と引き下がると、コルニウスはしかし扉の後ろで留まり、自らもそっと剣の柄に指を掛ける。自分の腕が少し震えているのを、鼓動が早まってくるのを、彼は確かに意識した。上下二層に別れた不思議な液体の神秘を利用して、コルニウスは最後に初めて毒を酒全体に回し入れ、それをアンブロシウスの杯に注ぎ入れたのであった。それを飲み乾したとき、すべてが決するはずである。たちまち恐ろしいうめき声が、宴の広間に響き渡った。それから杯の床に落ちるときの、耳をつんざくような響きと、驚いて演奏を止めた曲芸師たちと、駈け寄る兵士たちの足音が、ほとんど同時に聞こえるように、コルニウスには思えたのであった。コルニウスは剣を抜き放ち、配下の兵たちとたちまち広間になだれ込んだ。他の扉も開かれて、兵どもは兎を見つけた虎のように、背後から襲われることなど夢にも思わなかったアンブロシウスの兵たちを、そして宴に参加して酔いの回った騎士どもを、次々に斬りつけていったのである。何も知らされていない曲芸師たちの、逃げ惑う悲鳴がこだました、アンブロシウスはしばらく床をのたくって喉を掻きむしっていたが、凄まじい形相でコルニウスを睨みつけると、さすが王家の強靱の肉体か、あるいは恐ろしいほどの精神力か、剣を抜き放って立ち上がる。逃げ惑うアンブロシウスの側近のひとりを背中から切り裂きながら、その血潮を顔面に浴びながら、コルニウスが王弟に斬り掛かる。

「アンブロシウスよ、悪く思うなよ。ローマに国を売り渡すわけにはいかんのだ」

と叫べば、アンブロシウスはその剣をなぎ払い、言葉にならない咆哮をあげながら、せめてコルニウスを道連れにとばかりその首筋目掛けて剣を振り出す。コルニウスはこれを辛うじて受け止めたが、よろめいたところを見方の兵が盾と共に割り込まなければ、彼の首は床の上に転がっていたに違いなかった。それほど凄まじい勢いで、アンブロシウスは剣を振り切ったのである。

「おのれ」

アンブロシウスはまだ剣を振り上げる。しかしそれが最後であった。背後からコルニウスの兵が王の弟を突き刺し、振り向く途端に前方から、さらに脇腹を囲まれ突き刺されたアンブロシウスは、すでに毒で切れかかっていた命の脈を絶たれ、目玉を見ひらいたまんまで事切れていた。コルニウスが恐る恐るそれに触れてみると、どさりと鈍い音を立てて、アンブロシウスは床に倒れ落ちたのであった。血が床に流れ広がる。広間は料理という料理が散乱し、到るところに血の色をした肉体が転がり、さながら地獄絵の有様であった。

 ようやく我に返ったコルニウスが、部下に向かって、

「誰か館の外に逃れた奴は居ないか」

と息を切らせながら訊ねる。

「宴の際に数えた人数ことごとく討ち果たしました。また館警備の残りの兵も、逃げたものはいません」

「ユーサーを探しに行った兵たちは」

「少なくとも見張りどもの知りうる限り、館に戻り現状を知る者はいないと思われます」

「すぐに次の作戦に移るぞ」

「はっ」

兵たちはコルニウスのまわりに集結した。

 こうしてアンブロシウスの暗殺がなされる少し前のことである。すっかり闇に包まれた都の中にも、ところどころに灯火は灯され、若者らがたむろする酒場はあり、夜の女たちの遊廓区域のようなところさえあった。そして何気ない小屋くらいの建物の中で、歓喜と悲愴の声が飛び交い、カランカランと小さな音が響いている。サイコロ博打が行われているのだった。

「見(けん)だ、見(けん)」

「堅えよ、張れ張れ」

「いいからいいから、さあ俺の親だぜ。皆さんどうかがっぽりしたところを懐によろしくちゃんちゃん」

と訳の分からない声で歌うみたいに手を振るのは、あご髭を胸のあたりまで伸ばした、ズングリ頭の親父である。眺めれば大勢が取り囲んだ真ん中に、頭にすっぽり被さりそうなくらいの鉄製の器が置かれている。まわりの奴らがそれぞれに掛け金を前に差し出すと、

「どうした王家の坊ちゃん。まさか見(けん)じゃねえだろうな」

「威勢のいいところを見せろ見せろ」

と冷やかしが沸き起こる向こう側には、博打にのめり込んで兄の晩餐を蔑ろにしてしまったユーサーと、半ば呆れ顔で付き合いがてらに少額を張る、ウルフィアスの姿があった。

「よし、勝負だ」

ユーサーが、ざっと残りの金をすべて前に出した。王家の人間とはいえ、彼の自由のきく金などそれほど大きなものではなかったから、この程度の賭場でも、なかなかに凌ぎを削るくらいの本気でなければ、簡単にすっからかんにされてしまう。そのスリル感がユーサーにはたまらなかった。

「そうこなくっちゃいけねえ」

子らがそれぞれ張り金を定めたのを見て取った髭もじゃは、握った右手をゆらゆら揺すりながら、

「さあ、今日のクライマックスがやって参りました。王家の兄ちゃんのついにすっからかんになる瞬間を、皆様どうか見てやっておくんなさい」

と冗談を言いながら器に向かって右手をぱっと開くと、中から飛び出したのはサイコロであった。しかも三つである。三つのサイコロはうつわの丸みを帯びた底をくるくると回転しながら、真ん中に偏ってついに動きを止める。それぞれに大金を張った博打人達が、息を止めてその中を覗き込む。サイコロの眼は「三・四・六」であった。ちょっと気勢をそがれた親が、もう一度サイコロを握り直す。

「どうか俺を破産させないでくれよ」

と握りしめたサイコロを放つと、今度は「一・二・四」である。髭もじゃは、

「あぶねえあぶねえ」

と冷や汗を流す。これは「チンチロリン」というゲームである。もし目が「一・二・三」であったら、子ら全員に、それぞれの張った金の二倍ずつを、ひとりで払わなければならないところであった。すなわち一人の親と、それ以外の子全員とが勝負する壮絶な博打であり、そのため親のうちに見事に勝つことが、すべての勝敗を握る鍵であった。親は輪になった賭博人のあいだをぐるぐると順繰りに巡りゆく。先ほど誰かが叫んだ「見(けん)」とは、巡り来たる親を遣らなかったり、子の時に張りを控えることであったが、今回ほとんどのものは張り金を前に出し、様子見はひょろ長い青年一人くらいのものだった。

「目無し、目無し」

と冷やかしの声が入る。目が入らずに振り直せる回数は、一人三回と決まっている。次の親の振りで目が出なければ、子らはそれぞれ自分の張った金額と同等の銭を、親から受け取ることが出来た。

「全能の大神ダグダよ、我に力を」

とうとう神頼みになった髭もじゃが最後のサイコロを振り直す。神には失礼極まりないが、実はこの器も「ダグダの大釜」なんて呼ばれている。サイコロはくるくる回ってついに動かなくなった。「一・一・四」である。途端にちょっとざわめきが起こる。目が出たようだ。

 この博打は二つのサイコロが同じ数字を出したときに初めて目が出るゲームである。つまりこの場合、親の目は「四」となる。この「四」に対して、子らがまた順番に同様にサイコロを振っていく。そして親の目の数字より大きければ子の勝ちであり、自分の張った金額と同額の銭をば親から貰うことが出来るし、逆に親の目より小さければ、張った銭は親の手元に移りゆく。また数字が同じであれば、それは引き分けであり、金銭の移動は起こらないのであった。王都ではまだローマの貨幣が価値を保っていたから、彼らの賭ける硬貨も、みなローマのものである。

「四は強ええな」

と隣の子が、早速サイコロを振り始める。「一・三・五」目無しだ。もう一度振ると「三・三・二」が出た。子の負けである。

「よしゃ、ありがとさん」

髭もじゃは張ってある銭をかっさらう。顔がほくほくと歪み始めた。このゲームにも、いろいろな目の出し方があって、例えば三つ同じ目が出れば、それは無条件の勝利であり、しかも二倍とか三倍とか定められた倍額の勝利となる。中でも「一・一・一」の「ピンゾロ」は大抵五倍の報酬と定められていることが多かった。反対に親が「三・三・一」など単独の「一」の目を出してしまえば、無条件の負けとなるし、「四・五・六」の連続は、「しごろ」といって二倍の報酬が確定される勝利を意味した。親の出した「四」の目は、なかなか悪くない数字である。しかし子の出す目の傾向によっては、かなりの損害を被る場合もあった。今回は親が無条件にいいようだ。ついにユーサーのところにサイコロが回ってきた。

「さて運命の瞬間がやって参りました」

とユーサーは冗談を言いながら自分を鼓舞する。彼は日頃手加減している訳でもないのに、どうも際どくトントンかそれ以上の勝ち逃げばかりするので、一度すっからかんにしてやりたいと、場の者はそれぞれに思っていた。ここでは王家も、皇帝も関係ない。ただ博打人としてだけ見られるのが、ユーサーにはかえって愉快である。

「たまには擦られろ、擦られろ」

と冷やかしが入る。こんなとき言葉に乗って返したりしては、気概を削がれ悪い目が出ることをよく知っているユーサーが、ひとことも発せずサイコロを転がす。「一・二・六」である。どうもよろしくない。もう一度転がす、今度は「一・四・五」だった。どうもちぐはぐである。ユーサーは、

「光明の神ルーよ、我に力を」

とつい神頼みになってしまったが、これはどうもよろしくなかったようだ。くるくると回転していたサイコロが、カチッとぶつかったと思ったら、一つが跳ね飛ばされて、最後の三回目の振りにして、うつわの外に飛び出てしまったのである。たちまち歓声が沸き起こる。うつわから外れたら、無条件に三倍払いである。

「玉砕、玉砕」

と一斉に囃し立てた。ユーサーはがっくりうな垂れる。持ち合わせが無くなってウルフィアスから借りて、ようやく支払いを済ませた。ウルフィアスは、やれやれと笑いながら、自分は軽くサイコロを振って、「三・三・六」の勝利となり、勝ち銭を受け取って、ようやく思い出したみたいに、

「もう兄上の誕生祝いの晩餐が」

とユーサーに進言した。場は大笑いとなった。

「お前、兄の誕生祝いをすっぽかして博打に来たのか」

と髭もじゃが囃し立てる。

「うるさい、次は全部取り返してやるから、その髭を洗って待っているがいい」

とユーサーは立ち上がる。また来いよと気さくな声がする。ユーサーは現時点での敗北を認め、「おう」といってようやく賭場を後にした。ウルフィアスは掛け金が二倍になって、ちょっと得意である。いつもはユーサーばかりがほくほくしているのに、たまには良いこともあるものだ。

「しかしおかしい。今日にしてなぜこれほど裏目裏目に出るのだ」

とユーサーは不機嫌であった。まあまあ、とウルフィアスは宥めながら、ようやく館へと足を進めたのである。恐らくもう、宴も勝手に始まっているだろう。それどころか、めぼしい食べ物は早くも無くなっているかも知れない。二人は急に急ぎだした。賭け事に熱中して、腹が減っていることをすっかり忘れていたからである。

 館に戻り来ると様子がおかしい。晩餐の華やかの雰囲気とは思えない。遠くに灯りを眺めるだけでもウルフィアスには、殺気立つ我が館の兵の様子が浮かぶような気がした。この時代の騎士たちは、今の若者たちのように危機に対する感覚が無頓着ではなかったから、特にユーサーのことを守るべく使命を背負うウルフィアスは、お気楽剛胆のユーサーとは違って、遊び歩きの最中でさえも、わずかの注意ばかりを、ユーサーのまわりに怠ることはなかったのであった。そしてそれは、父からの言いつけに従ったからでもあった。その父が、まさか王家に反旗を翻すとは、ウルフィアスは思っても見なかった。ユーサーの親友でもあるウルフィアスに打ち明ければ、我が子ながらにユーサーに密告しないとも限らない。父であるコルニウスはそう考えたのであるが、ウルフィアスは父の謀反は知らないものの、館の異変に気づき、危うい手前にユーサーを留めたのであった。ユーサーはまだ機嫌を直さない。

「はやく館に戻ってやけ酒と飯でも食おう」

とウルフィアスを催促する。しかしウルフィアスの声は真剣だった。

「様子が変です。どうかこちらに」

とユーサーを引っ張って、空き地の影に案内する。

「何かがあったように思われます。私が戻ってくるまで、お待ちください」

ユーサーはとにかく館に入っちまえばいいと主張したが、あんまりウルフィアスが深刻な話しぶりをするので、

「分かった、ここはお前を信じて任せよう」

「絶対に動かないでください」

「その代わり、早く戻って来いよ」

「もちろんです」

と言うと、ウルフィアスはわざわざ館へのルートを迂回して、ユーサーの居ない方角から館へと戻っていった。やはり門番の兵どもはいやに殺気立っている。それに国王の護衛の兵たちが一人も見えない。変である。ウルフィアスが近づくと途端に、

「何ものだ」

と柄に手を掛けた兵たちが、斬り掛からんばかりに怒鳴りつけた。ウルフィアスは異変の起こったことを確信した。

「何ものとはなんだ」

と大声で怒鳴り返しながら睨めつけると、ようやく気が付いた兵士らが、

「これは失礼しました」

と慌てて礼を尽くす。

「それで、ユーサー殿下はどちらにいらっしゃいますか」

と極めて穏やかな口調で、兵士らはコルニウスの息子に話し掛ける。しかしその声は明らかにいつもとちょっと違っている。これはと思ったウルフィアスは、

「そのことで父上に話がある。そこを通せ」

と言うが早いか、兵どもを押しのけて中へと押し入ってしまった。制止しはぐった兵たちが、数名後から追ってくるのを無視して、ウルフィアスは晩餐の行われるはずの広間へと駆け上がる。いくつもの靴音がコツコツ鳴り渡る。掲げられた回廊の松明が炎を揺らす。遠くから明らかに血の匂いがする。その匂いを、すでにウルフィアスはよく知っていた。ウルフィアスは扉を放ち、勢いよく中に飛び込んだのである。

 殺気だった館の兵どもが、剣を握りしめて飛びかかろうとした。後ろから追ってきた兵たちが一緒になだれ込んだ。おそらくユーサーが一緒であれば、ここで殺されていたことに間違いはない。あるいはその際ウルフィアスがユーサーを庇うようならば、コルニウスは自分の息子もろともに、その大義を果たしていたのであろうか。飛び込んだのがウルフィアスだと悟るやいなや、切りかけられた剣はさっと引き戻された。コルニウスは凄まじい形相でウルフィアスの後ろを眺めたが、どうやらユーサーはどこにもいないらしい。そして彼の足下には、すでに事切れた王弟アンブロシウスの姿が、血を失った真っ青な肌の色を虚しくして、崩れ落ちているばかりであったのである。見渡す広間は血の修羅場であった。

「父上、これはいったい」

とウルフィアスは茫然しばし立ちつくす。コルニウスは形相を緩めない。

「ユーサーはどうした」

と敵に怒鳴りかかからんばかりの語調である。

「町中ではぐれました。それよりこれは」

「なんだと、どこではぐれた」

コルニウスの顔は計画の狂った怒りで真っ青である。ウルフィアスは、あまりの父の姿に動揺する内心を隠して、さも何でもないという風に、

「正面の城門近くのいつもの居酒屋です」

と、館から出来るだけ離れたところを、しかもユーサーを匿った場所とは正反対の方向を答えて見せた。あまりに素早い即答に我が子ながらの嘘とは夢にも思わず、コルニウスは配下の一人に目配せをする。騎士の一人がさっと兵を引き連れて走り出した。

「父上」

とウルフィアスはなおも食い下がる。コルニウスはようやく、荒ぶるこころを沈め、息子にことの次第を説明する。

「よく聞くのだ、我が息子よ」

父は足下に転がるアンブロシウスの方を振り向き眺めた。

「コンスタンスとその一族は、この国をローマに売り渡そうとした逆賊である」

つかつかと豪勢な食卓の上に倒れもせずに残っていた毒の入った瓶を手に取ると、それをくるくると眺め回した。

「私とヴォーティガンとは何度も説得を試みたが、コンスタンスはそれに従わなかった。国のためには、誰かがこうせねばならんのだ。そして王宮を乗っ取って、新しい王を立てる」

「しかしそれならばコンスタンス王だけを排斥すれば」

「何を言うか、この一族は皆ローマに被れておるわ」

父は急に腸が煮え来るような思いで、取って返すとアンブロシウスの屍に一つ蹴りを入れた。とてもいつもの父とは思えない、悪態である。あの善良であるはずの父をして、これほどの憎しみを抱かせるとは。ウルフィアスは言葉を失った。コルニウスは、息子に語るべきことはもはやないと思ったのだろう、たちまち控える配下の者どもに向かって、高らかに宣言するには、

「ユーサーが見つからないとあれば、不明のユーサーを理由にして王宮の門を開かせ、王都の中枢を乗っ取るまでのこと。コンスタンスと共に多くの者が出兵し、アンブロシウスの護衛の兵たちは、ユーサーを探しに出掛けている。今こそ我らで王宮を奪い取る好機である」

と剣を振り上げた。忠実な部下どもは一斉に剣を打ち鳴らした。

「父上、お待ちください」

ウルフィアスが父を止めようとするが、父はこの息子にして放置すればユーサーを逃す算段でもするに違いないと思い、今しばらくはと覚悟を決めた。

「よいか、こ奴を地下牢にぶち込んでおけ。ことを終えてユーサーを殺すまでは、我が息子ながらに安心は出来ん」

たちまちウルフィアスの両手が捕まれた。振り解こうとする息子に対して、

「これがお前のためでもあるのだ。今に分かる時も来よう」

ウルフィアスはそのまま複数の兵どもに連行され、コルニウスらは王宮へ向かって進軍を開始した。王宮の南門まで、わずか十分くらいの距離である。遅れて騎馬に乗った兵どもも、こちらは王宮の北門を目ざして館を後にする。

 松明を握りしめたコルニウスの軍が、王宮に歩みを進めるやいなや、ユーサーを探していた王属の兵どもに出くわした。

「いかがされた」

と兵を束ねる騎士が駈け寄ってくる。

「今、ユーサー殿下が何ものかによって拉致されたとの情報が入った。アンブロシウス殿下の命により、ただちに捜索の手を広めるようにとのお達しだ。お前たちももう一度街を隈なく探すのだ。一刻を争う」

とコルニウスは切羽詰まった調子で説明するので、国王の重臣の言葉に疑いなど持ちようはずもなく、慌てた兵どもは、再び走り去った。松明はめらめらかがり、映し出されたコルニウスの殺気は、獲物を狙うときの蛇のように高ぶりながら、今や南の門を目ざして、ひたむきに足を繰り出すばかりである。

 ウルフィアスは迷わなかった。あるじの息子とあっては、昨日まで冗談さえ交わしたこともある間柄であるといっては、ウルフィアスを連行する兵たちも、つい気を許して剣さえ奪わなかったのは、掴む両腕の力さえだらしなく、地下牢を目ざしていたのは、彼らの落ち度であるとはいえ、その罰はただただ、自らを虚しくする結果となったのである。すなわちウルフィアスは、捕まれた両腕を渾身の力で振りほどいた。急に力を回復した瀕死の猪が、全力でその罠を振りほどいて逃れ出るように、兵どもの握る腕を逃れるやいなや、腰の剣を翻して斬り掛かったのである。何が自分にとっての大義であるか、人は時に非情を覚悟で咄嗟のうちに判断しなければならないこともある。そして決断したからには、ためらいは命取りになる。ウルフィアスはユーサーを守り抜くことをのみ己の使命とし、昨日までの身内に斬り掛かった。兵たちは剣を抜く間もなかった。仮に剣を抜いたとしても、誰もウルフィアスを留めることなど叶わなかったに違いない。彼の剛勇の剣さばきは、まるで燕の群れを一羽漏らさず叩き斬るほどの円を描いて、兵たちを斬りつけながらに駆け抜けたウルフィアスは、すぐそばの出口から館の外へと飛び出した。どこでことを起こせばもっとも効率的であるか、彼はそれをさえ計画に入れて、兵たちに牙を剥いたのであった。

 すなわち飛び出すやいなや、厩(うまや)から一頭の駿馬を放ち飛び乗ると、馬番の制止も虚しく走り出し、館を飛び出したウルフィアスの、今や遅しと待ちわびる、それでも友を信じその場に留まっていたユーサーのもとへと全力で馬を蹴ったのである。走り寄りながら、指笛を甲高く一つならすと、ウルフィアスであることを悟ったユーサーが廃墟から飛び出す。馬は速力を緩めない。ぶち当たるかと思うほどの近くを駆け抜けようとするときに、すでに大地を蹴り上げたユーサーと、その手を掴み取るウルフィアスと、それが刹那の静止画のように、月の光に照らし出されたのである。そして次の瞬間、もはやユーサーを後ろに乗せた駿馬は、ひた走りにその廃墟の影から消え去っていたのであった。

「父が王家を裏切りました。兄上アンブロシウスは殺され、父の兵は今王宮を占領しようと、軍を繰り出したばかりです」

ユーサーにもまた、驚きや衝撃をこころに留め置くだけの時間は与えられていなかった。すぐにすべてを飲み込むと、

「向かうはつまり南の門。間に合うか」

「父らは馬ではありません。裏のルートで、あるいはわずかに勝るかどうか」

「よし、南だ」

「鉢合わせになるかもしれません」

「構わない。門が開くまえに到着すればよい。我々が簡単に打ち殺されるものか。その後はすぐに北門へ向かうぞ」

「はい」

「月が綺麗だ」

ウルフィアスは驚いた。くっかり半分に欠けた月が、空にはぽっかり浮かんでいたのであるが、この一大事に、月が綺麗などという感想は、どこの誰にも思い付くまい。あるいは、それが覚悟の言葉なのだろうが、やはりこの人は、真の王たるに相応しい真の勇者だ。自分はユーサーに付いていかなければならない。例え父と袂を分かち、あるいは父と刃を交えることになったとしても……。ウルフィアスは、そっとこころに誓いを新たにした。ところどころの居酒屋の灯りが目に付く。しかしほとんど寝静まった闇のとばりの下で、松明を持たずに馬を駈ける二人にとって、あの月はまさに希望を導く灯台のようにさえ思えてくる。走りゆく通りを行き交う人の姿はなく、不思議な鳴き声の夜鳴き鳥の声が、緑を残す小さな空き地の林から響いてくる。遠くにゆらゆらと紅い炎の影が空を照らし出すようにさえ思えるのは、父を先頭に王宮を目ざす軍隊に違いなかった。しかしあの角さえ曲がれば、もう南門は目の前である。ほどなく王宮正面を照らし続けるかがり火(漢字統一)が見えてきた。まだコルニウスの軍は到着していないらしい。

 慌てて近づいてくる二人乗りの馬に驚いた守備兵が、王宮の門の上から見下ろせば、かがり火に赤々と照らされているのは、紛れもないユーサーの姿であった。守備の兵が城門を開こうとする。はるか遠くの方からはザッザッと足音が響いてくる。松明の照らし出された明るみが近づいてくる。コルニウスの軍隊が、もうそこまで迫っているのだった。ユーサーは大声を張り上げた。

「城門を開けてはならない!」

と叫ぶので、開きかけた扉が再び閉ざされる。王宮の兵たちは機敏であった。

「よいか、我が言葉を王の代行の命令として聞くのだ」

いつものいたずらばかりしているユーサーとは思えない、高圧的な口調には、日頃のふざけた調子がどこにも見られないので、見張りの兵どもは思わずはっとなった。すぐに門を守る守備長ガーゼルが自ら上に上がってくる。

「これから言うことをただちに実行せよ」

遠くにコルニウスの軍が見えた。馬上のユーサーを見つけたようだ、慌てて剣を抜きながら、かなたから走り込んでこようとする。ユーサーは言葉を継いだ。

「コルニウスが裏切った。我が兄アンブロシウスは殺され、コルニウスの軍は王宮を簒奪しようとしているのだ。よいか、いかなることがあろうとも、すべての城門を閉ざし、決して開いてはならない。内部にも同調者がいるかも知れない。開閉には信頼のものを配備せよ」

言葉が終わるか終わらないかのうちに、コルニウスの側近の騎士が狙いを定めてユーサー目掛けて弓を引き絞る。すばらしい妙技で走りながら弓矢を放つのと、ウルフィアスが馬を蹴って走り出すのと、衛兵が城門封鎖の角笛を鳴らすのと、ユーサーが剣で弓矢を打ち落とすのがほとんど同時であるように思われた。歩行(かち)のコルニウスの兵どもが到着する頃には、すでに二人を乗せた馬は早くも王宮の曲がり角を駆け抜けて逃れ去ったのである。コルニウスは、怯まずに城門高くに向かって威厳を持って開門の指示を出す。

「謀反である。ユーサーの言葉を信じてはならぬ。ユーサーこそが兄であるアンブロシウスを殺害し、王宮を我がものにしようと企む不届きものである。すぐに城門を開け、我々を中に入れるのだ。すぐにでもエクターの兵どもが、ユーサーに呼応して王宮に殺到するであろう」

と言う。見張りの兵たちの間に動揺が走る。

「開門開門」

下の方で、見張りの数名の兵士が、開閉装置を弄ろうとしている。守備長ガーゼルは思うより早く、番えた弓矢を引き絞って、次々にその兵どもを射殺した。背後に控える兵に向かって、

「お前が直にあそこを守っておれ」

と言えば、兵は黙って下へと走り去った。ガーゼルは、アンブロシウスの方を見下ろした。

「ユーサー様と国家の忠臣たるあなたの言葉が食い違う以上、城門を開くわけにはいかない。国王の弟に弓を放った者どもを、おいそれと信じるわけにもいかない。仮にあなたの言葉が事実だとしても、城内は我らで守り抜いて見せよう。あなたがたはそこで布陣をなされ、謀反者を食い止めるがよい」

とせいぜい守備長クラスの分際で、えらく生意気なことを言い放つ。アンブロシウスは顔を真っ赤にして、控える騎士から弓矢をひったくると、これをガーゼルに向かって引き放った。続いて一斉に下から弓矢が射掛けられ、守備兵の何名かが射殺される。ガーゼルが

「おのれ。コルニウスの謀反は今こそ明らかだ。弓を射よ、弓を射よ、我らで王宮を守り抜くのだ。おい、もう一度角笛を鳴らせ」

高らかに響き渡る角笛と、高きおり射落とされる弓矢とで、あたりは騒然となった。同時に城門にぶち当たる鈍い響きと、投げ出された松明の火の粉と、後退するコルニウスの影と、打ち鳴らされるドラの響きとが、寝静まった王都を震撼させる、大事件へと人々を叩き起こすようにさえ、思われたくらいの騒乱となったのである。コルニウスは配下の騎士を捕まえると、

「ここでしばらく戦線を維持してれ。すでに騎馬で北門へ向かった者どもが、城門に到着している頃だ。あちらでは守備長が内通しているのだからな。かならず城門は開く。それまで持ちこたえて見せろ」

「はっ」

忠実な騎士は剣を胸に当てる。それを了解の合図として、再び城門へと繰り出した。コルニウスは約半数の兵を引き連れて、早足で北門へと走り出す。驚いたガーゼルが角笛で信号を送る。配下の兵に北門へ向かうように指示をしたが、自分自身はここを動くわけにはいかなかった。さらに気がかりは王宮に入ることの出来ないユーサーたちの行方であるが、それにしてもアンブロシウスと共に王宮を後にした兵たちはどうなっているのだろうか。あれほどの軍隊が、すべてアンブロシウスの計略に殺されたとも思えないのだが……とにかく今は、ここを守り抜くことだ。それ以外は考えまい。ガーゼルは自ら弓矢を引き絞った。放った矢に射貫かれて、一人の騎士が地べたに這いつくばる。王宮の中の兵どもも駆けつけ始めたので、ガーゼルは彼らをして、北の門へと向かわせた。

 ユーサーとウルフィアスの馬がたちまち王宮の城壁を巡り、北の門への角を曲がったとき、すでに城内の密通者によって城門は開かれ、コルニウスの兵どもが雪崩をうって、城内へ足を踏み入れ剣を交えている最中だった。北の守備隊長が裏切り者だとようやく悟った見方は混乱に陥りかけて、それでも必死にコルニウス軍を押し返そうとするその混戦の中で、裏切り者の守備隊長はかつての配下の者に殺され、その殺した兵をコルニウスの騎士の一人が剣に掛けるなど、壮絶な戦が繰り広げられたのである。若きユーサーは怯むことをまだ知らない血気盛んであるから、たちまちウルフィアスにこのまま突撃するように命じた。ウルフィアスは黙って馬を蹴った。この馬はウルフィアスお気に入りの駿馬であり、戦のために生まれてきたと言っても過言ではなかった。すでに血に飢えたあるじの燃えるこころが乗り移って、瞳を真っ赤にして怯むことなく剣の群れにもなだれ込んだのである。赤毛の駿馬は、自らが鍛えられた屈強の騎士ででもあるかのように、ウルフィアスの指示ではなく自らの意志で、剣を横に交わし、狭き隙間を抜け、コルニウスの兵どもを押しのけ、押しのけ、そのままの勢いを殺すことなく、城門の中へと飛び込んだ、

「援軍だ、援軍が来たぞ、コルニウスは討ち取った。コルニウスは死んだ」

と出任せの叫びを上げながら、背後から駆け抜けたたった一頭の馬であったのだが、この叫び声と不意を突かれた方角からの攻撃が、そしてコルニウスが討ち取られたというデマが、コルニウスの軍たちに大きな動揺を誘った。誰も馬上の人物がユーサーであると気が付かないくらい、城門入口は大混乱に陥ったのであった。こうして城内に乗り入れたウルフィアスが、再び、

「場外からの援軍だ、挟撃せよ」

と守備兵どもを鼓舞すれば、勢いを取り戻した王宮の兵たちが、

「おう」

と呼応して一気に攻勢を強めた。浮き足だった敵軍に向かって馬を下りるやいなやいの一番に切り込んだユーサーが、

「今こそ謀反者をなぎ倒せ」

と叫びながら、繰り出せば、やはり今や馬を放して大地に降り立ったウルフィアスが、ユーサーを追ってコルニウスの兵どもに切り込みを掛ける。さながらそれは血に飢えた二頭のオオカミが、どちらが先に獲物を奪えるか、先を競って息の根を止めようと、逃げ惑う草食動物を追い立てる。それほどの有様で、二人は兵の間に切り込みを掛けたのであった。王宮の兵が、後れを取るまいとこれに続く。押し戻されるコルニウス軍の後方からは、城門の外はるか向こうに松明の影が角を曲がって迫り来るのが見えた。実はこれはコルニウス自身が兵を連れて到着したものであったが、先に援軍の声を聞かされたコルニウス軍は、背後を絶たれる恐怖から浮き足立ち、城門前は収拾の付かない大混乱に陥ったのであった。開かれた城門を見たコルニウスが全力で走り寄るのと、絶望に満たされたコルニウスの先発隊が、恐怖に任せて城門から一斉に走り逃れるのと、それがぶつかり合ってさながら同士討ちを始めんばかりの所を、なぎ払いなぎ払い、ついに城門のあちら側にすべてを押し出し、その門を閉ざさせたユーサーの采配によって、北の城門はついに守られたのであった。その時である、角笛を聞き自ら兵たちを再編して駆けつけたエクターが、国王軍を指揮しながら今度は本当に援軍として、城門の前になだれ込んだのである。

「生きて一人とも逃すな」

 エクターが叫ぶ。状況は分からないが、とにかくコルニウスに騙されたことは間違いなかった。その恨みもあり怒り狂った王宮兵士どもは、コルニウスの軍に一斉に斬り掛かった。対処のすべを取り落としたコルニウスの軍隊は、再編して反撃をするほどの間もなく、たちまちに打ち減らされていったのである。機を見るに敏なユーサーが、自ら城門を開き、今度は中から打って出たので、二方面から挟撃されたコルニウスの軍は、今度こそ完全に崩壊してしまった。指揮も叶わぬ狂乱に陥って、ようやく逃れ出たコルニウスは、数名の配下の騎士たちと共に、今や南門の兵どもすら見捨てて、エクターの部下どもに追い立てられながら、ようやく王都ロンディニウムを後にしたのであった。館に戻ることすら叶わなかった。妻は罰せられるだろうか。我が息子にまで叛かれて、すっかり意気消沈したコルニウスは、すっかり自分の不忠ばかりが誤りであったようにさえ思えてくるのであったが、しかし今ローマの配下に下るとあっては、誰がそれを制止せずにいられようか。とにかくアンブロシウスは殺したのだ、まったくの失敗ではない。そう自分を慰めながら、ヴォーティガンと合流するために、北西への道を落ち延びるのであった。それにしてもヴォーティガンはうまくコンスタンス王を打ち倒したのだろうか。もし破れていたら、あるいは自分もどこかで自らのいのちを絶つくらいしか、道は残されていないかも知れない。とぼとぼ落ち行く夜空には、半欠けの月も大分低くなり始め、夜風の冷たく当たる以上に、心の底は冷たく震えるような思いであった。敗走のまま王城へと向かう国王軍の陣営を、遠く迂回しながら、コルニウスがヴォーティガンのもとへと辿り着いたのは、もう翌日の夕暮れ近くになった頃だったのである。

 王宮を見事守り通したユーサーであったが、兄との対面は悲しかった。白く包まれた骸を眺めてうつむいた。国王であったコンスタンスと次男アンブロシウスの間には、思想の違いもあり、すでに臣下をまじえての権力闘争まがいのことさえ始まっていた王宮も、遊び歩くことにいのちを燃やすばかりの末っ子のユーサーには甘く、つまり兄たちも彼に対してだけは、幼い頃からの弟の愛情を失わずに居たから、ユーサーもまた無頓着にそんな兄たちを慕っていたのであった。国家の重臣であるブレイタンの手配により、コルニウスの館は占領され、謀反の経緯などが逃げ切れなかった部下たちの尋問によって調べられた。アンブロシウスの葬儀は国王帰還の後に行うことに定め、ユーサーは兄の代理として幾つかの指示を出すと、疲れた体を癒やすため、倒れ込むようにベットに潜り込んだ。色々なことがありすぎた。荒れ狂う情熱に任せて切り込んだときの血湧き肉躍るような高揚感がまだ残っている。けれども兄の死はまた本当に悲しい。父に裏切られたウルフィアスもまた悲しんでいることだろう。あのコルニウスがなぜ謀反など、とまで考えたが、小言を言ってくれたあの学識あるコルニウスの顔を浮かべても、不思議と憎しみは湧いてこないのだった。兄を殺されておいて、俺は不甲斐ない感慨なんかでは、駄目だ、駄目だ、駄目だ……。そんなことを考えている間に眠ってしまった。

 真の凶報はその翌日届けられた。馬走る全力を駆使して駆け込んだ伝令が、国王軍の敗退とコンスタンスの死を王宮に伝えたからである。宮殿は騒然となった。まだ子供のいなかった王妃がその場に倒れ込み、侍女に抱えられて運び出される。すぐに迫り来るヴォーティガン軍に蹂躙されると、悲壮感に浸る騎士がそっとため息を付く。我々はまだ負けてはいないと、徹底抗戦を主張する若い兵らの声が響く。重臣らがこれを留めると、コンスタンティヌス王の重臣として仕え、今日も名望高きブレイタンが、静かに威厳に満ちた言葉つきで話し出した。

「我々は王の死に際して定められた法に基づいて、次の王を選出せねばならぬ」

という。白くなった髭が、すこし輝かしく揺れている。

「定めにしたがえば王が死ねばその弟に、弟が死ねば、さらにその弟に王権は引き渡されるはずである」

と言い切った。王の間は騎士たちの喚く声で騒然となる。部族諸王の選挙による王を主張するものも居たし、若すぎるユーサーを危ぶむ声もあったからである。これに対してウルフィアスなどが、

「この上はユーサーのもとに団結すべし」

と主張すれば、

「裏切り者の息子めが」

と重臣の一人が食ってかかり、

「何貴様」

と剣を抜きかけたウルフィアスを、慌てて近くの騎士たちが制止する。ユーサーの父王より仕える老獪の臣下たちが、王の選任の規律に従うべきかどうかと、内心腹を決めかねて、どやどやとした王宮の誰もおらぬ王座の前でひそひそ話を始めた。ブレイタンが杖をひとつ重く突き下ろした。ドシンと鈍い音がして、一同は声を潜める。

「王を選定する法は、もともと我ら全員で定めたものである。一度定められた法は、神々のもとにまっとうされねばならぬ。我らが掟はドルイドの神官どもにも認められ、また先の王コンスタンティヌスの求めによってキリスト教の司祭にも信任されたものである。我々はこれを守らなければならぬのだ」

しかし若きユーサーでは危ういのではないかと、ユーサーを前にして言い放つ者もいて、ユーサーはよっぽど

「お前が遣るよりなんぼかましだ」

と答えようかと思ったが、ここは黙っているべきだと考え、すました顔をして控えていた。

「先の王コンスタンティヌスもまた、若すぎる王として、就任の際は危ぶまれたものだった。あれはまだ諸王の選任によって選ばれた頃であったが、反乱の危機を収めるためには、かえって若すぎるくらいの血気が必要であろうという話がまとまり、国内を安定に導いたものである。このような国内の動乱にあっては、返ってユーサーのような剛胆の若者の王こそが相応しい」

と締め括った。とにかくヴォーティガンに対処せねば我々が亡びる。その意識が皆を結束させた。最後にユーサーは、たいした反対者を出すことなく国王に選任されたのであった。

 ユーサーは王冠を戴くいなや命じた。まず今回の謀反に際し、謀反者本人以外には罪は及ばさぬことを。それから王都の警護の再編を。そしてコンスタンスとアンブロシウスの両兄(りょうけい)の葬儀は簡略して行い、ヴォーティガンと謀反者を葬った後、改めて盛大な国葬を執り行うことを。反乱者の息子であるよりも、国王の親友であり命を守った功労者として、些細な反対はあったものの、ウルフィアスが若くして国王の参謀の座についた。これにはブレタインの勧めもあったのだが、ブレタインもまた、コンスタンティヌスの参謀として、采配を振るった経験があり、同年代の若者を王の側に置くことが、年寄りの冷智恵(ひやぢえ)よりも、はるかに勝るということを、彼は熟知していたのであった。もちろん参謀といっても、重要な内政政策を例えばこのブレタインが握っているというように、かつてのローマの官僚制をも色濃く採り入れた王宮においては、限定的な一つのポストには違いなかったのである。それにしてもとブレタインは思う。かつての同士ヴォーティガンは裏切り、共に国政を執り行ったコルニウスまでヴォーティガンのもとへと去った。郷愁が沸き起こる淋しさを頭ひとつ振って追い払い、ブレタインはユーサーらと協議を進め、国王軍司令官としては父の後を継ぐべき才能を持った若きマークを、王都の警護には引き続きエクターを、それぞれ就任させることを決定したのである。マークもエクターも二十代半ば、ウルフィアスは二十歳になったばかりであったし、なんといってもユーサーはまだ十代の後半を謳歌する若者であった。こうして王宮の顔ぶれは、大分若返ったように思われたが、もちろんかねての重臣たちも出来る限りは己(おの)が地位を、守り通したことは言うまでもないことだ。さらに兄の意志を継いでいかに国王たるべきか、ユーサーはユーサーなりに悩み結論を見いだせないでいる様子である。ブレタインは自らが処決(しょけつ)して見本を示し、古参の臣下の退陣を進めると共に、ユーサーの王としての自覚を鼓舞する必要を感じた。



「ユーサー国王よ、すこしお話しがあるのですが」

ユーサーとウルフィアスが、こうなったからにはチンチロ部落にも迎えない。淋しいものだと冗談をかわしていると、ブレタインが入ってきた。ユーサーの前に敬礼を行うから、王は気さくに、

「あなたに対して閉ざす耳は持っていませんよ」

と肩をすくめて笑った。すると

「王様の耳はロバの耳ですから」

と、ウルフィアスがしょうもない冗談をつけ加える。これがローマ式冗談というやつか、とブレタインが思ったかどうだか。さらりと聞き流したまま、表情ひとつ変えず、

「実はそろそろ引退しようかと思っております」

と言うので、ユーサーはびっくりしてしまった。

「いや、何を言うのだ。今あなたに去られたのでは、国家の礎を打ち砕かれたも同然。ヴォーティガンに勝つことなど、到底叶わぬ夢のまた夢」

と思わず本音が出てしまう。

「そうではありません」

ブレタインは穏やかに答える。

「時代が移り変わるとき、古い考えを持つものは、返って昔ばかりを振り返り、その膨大な集積された知識の宝庫さえも、まるで後生大事に抱え込むばかり。そうなったらもはや、新しい時代の息吹には対処できないがらくたも同然になってしまうのです」

「そんなことはない。あなたの知識の宝庫は、まだ十分に煌めきを放つこと大である。どうか留まってはくれないか」

「ユーサー王よ、時の流れは何ものも留め得ず、古き水はいつかかならず新しき清水によって清められなければならないものであります。私もかつてはコンスタンティヌス王と共に就任し、駆け出しの若造として危うい橋を乗り越えてきた。そのすべてが瑞々しかった。されど今は違う。危うい橋を渡るには、私はあまりにも年老いてしまった。そうして古き御代が終わり、王家に早春の風が棚引くとき、垢の染みついた老人どもは意気地もなく、芽吹く青緑の草原の下に巣くう枯葉のように、その成長を妨げるばかりでは、私はあまりにも情けない。今はその伸びゆく先をそっと眺めながら、若草の養分となって静かに土くれの、背後からエールを送ろうと思うのです。どうかお許しを」

ウルフィアスが悲しそうな表情をする。

「あなたはあの重臣どもを掃除なさろうとしているのですね」

「まあそんなところです」

「しかし、本心を明かそう」

ユーサーはちょっと顔を蒼くする。

「俺、いやわたしもウルフィアスもまだ若い。局地的な知性や策略なら、二人で力を合わせれば、乗り越えられないものなど無いようにも思うが、ことあなたのように全体を見渡して、国家政策を導くようなものが、どうしてもわたしには必要なのだ」

と率直なところを白状する。まこと己の分(ぶん)を知るは王の資格なり。ブレタインは頼もしく思った。

「古き知識に寄りかかったままではとても王の仕事など務まりませんぞ。これまで行われていたことを再度吟味し、変えゆくことは変え、正すべきは正し、誤りながらも足を進めるのです」

「それは道理だろう。道理だろうが、私にはまだ学ぶべきことがあまりにも多すぎる。それを支えるものなくして、王がさまよい歩けば、国家は動乱の散りゆくゆうべ、柱は崩れる茎のごとし、天井だって崩壊の危機に見舞われるかもしれない」

ブレタインはちょっとほほえんだ。

「そんな不可解な修飾語法は模倣しようとしなくてもいいのです。王は率直な言葉をもってお話し下さい。今のままのユーサー王の言葉遣いで十分なのですよ」

と言う。背後に控えたウルフィアスが、あんまり酷い修飾なので我慢できずに笑っているので、ついに可笑しくなってユーサーも笑い出してしまった。

「分かった」

と率直なところを言う。ブレタインは頷くと、

「実はわたしの倅(せがれ)がちょうどわたしが働き始めたのと同じくらいの年齢でしてな。自分で言うのもなんですが、奴にはわたしの教え得るすべてを教え込んだ積もりでして、まあ国王のお役に立てるだろうと思うのです。ボードウィンという名前ですが、奴をわたしの代わりに登用してはくださりませんか」

「それで他の重臣たちにも、それに習わせようというのか」

「もちろんそれもございます。それがもっとも荒波の立たない遣り方というもの。十分な能力が無ければ、何らかの理由によって後から失脚させるだけのこと。それで当面の重臣たちの信任をそのまま繋ぎ止めることも叶うことでしょう」

ユーサーは深く頷いた。

「あなたにそこまでの考えと覚悟があるなら、留めはしない。わたしももっと国王としての自覚を強く持たなければならないようだな」

「サイコロどころではございませんぞ」

と最後にブレタインが笑って答えるので、ユーサーは真っ赤になった。今まで散々聞かされたお小言だが、これが最後かと思うと、少しさみしくもある。

 こうしてブレタインは退いた。代わりに彼の息子ボードウィンが就任し、これに前後して、老齢の重臣たちが競い合って、自らの地位を子供らに譲り渡したのである。ブレタインの最後に仕掛けた大仕事、王宮の世代交代は、こうして見事になされたのであった。

[覚書]
→兄の後を継いでいかに、と悩むユーサーを正道にの意味を持たせる

 その間にも戦の準備はちゃくちゃくと進められた。ブリトン人の王の中には海を隔てた大陸のブルターニュに住む者たちもあった。彼らは多くがよりローマの文化の近くにあり、それもあってコンスタンティヌスの頃から、親国王派である者が多かったのである。

 ここに援軍の要請を送ると同時に、城壁のまわりには、深い溝が彫り込まれ、城壁の補修が徹底された。マークの采配によって騎士と兵の部隊数が再編され、城壁の見張りの数が、今や倍増される勢いであったが、しかしヴォーティガンは攻めのぼっては来なかった。始めから危ぶまれたことではあったが、手を借りたピクト人との領土交渉が決裂し、城壁の内部を蹂躙しにかかるピクトの民に対して、北方一帯を治めるロット王が、自軍のほとんどを振り向けなければならなくなったからである。

 ブリトンの諸王の中でも最大の兵力を持つ彼の事実上の離脱が、王都ロンディニウムまでの進軍をヴォーティガンに断念させた。さらにようやく辿り着いたコルニウスのことを、ねぎらうべきヴォーティガンが、王宮簒奪の失敗とユーサーの暗殺失敗に対して、諸王の前で口汚く罵ったことも、諸王の結束にひびを入れる結果となった。実際に数名の城主は兵を引き連れて立ち去ったし、連合会議場では現状の進軍は避けるべしとの回避論が主流を占めるに到ったからである。

 さらにユーサーが先手を取って、ローマとの接近を白紙撤回する旨を諸王に発し、これをもって国王への帰参を呼びかけ、反乱の王にも咎め立てはせぬことを宣誓したので、さらにかなりのものが現状を秤にかけて、ヴォーティガンのもとから立ち去った。表向きは領土不穏の動きとか、現状いくさが起こらないのであればという理由だったので、引き留めるべき強圧も掛けられなかったヴォーティガンだが、心変わりには苦虫を噛みつぶす思いであった。

 しかしコルニウスは恭しくヴォーティガンのもとに留まった。長年コンスタンティヌス王のもとで共に働いてきた臣下である。簡単に見捨てるこころは起きなかった。王に刃向かったとはいえ、コルニウスは本質的に忠義の男だったからである。彼が再度諸王の結束を固めるべく、饒舌を駆使しなかったら、あるいはこの連合は早くも解体の聞きを迎えていたかも知れない。彼は、ユーサーは王としての器でないこと、帰参したからといって冷遇されることは明らかであること、さらにローマとの再接近は目に見えていることなどを解きまわり、さらに諸王の従属化を進める王都の方針は決して変わることなく、たとえヴォーティガンが大器に値せずとも、戦が終結すれば諸王への干渉はコンスタンス王の頃より、ずっと少なくなるであろうことを説明した。いまだ抗戦を続けるロット王からも、連合は健在である旨が使者によって確認されたこともあって、諸王の結束はようやく解体の危機を脱したのである。ロット王にとっては、ピクトとの戦が不利となれば、連合を盾に援軍を要請したいという腹は明確であったが、それでもその膨大な兵力自体が、王たちにユーサーへの優位を実感させるに十分だったからである。

 王都への進軍を諦めざるを得なくなったヴォーティガンは、自分の領土でもある起伏の激しい北ウェールズに堅牢の砦を築き、そこを拠点として北西連合軍の独立を宣言することを決定した。コルニウスの進言を聞き入れたのである。もしユーサーが進軍を行えば、この城砦を防御のかなめにして、領土防衛に専念するのが、現状の上策だという判断であった。さらに叔父と甥の関係であったコーンウォールの王ゴーロイスをなんとしても連合に引き入れたいというのがヴォーティガンの思いであったが、コンスタンス王への反乱の際にも、ゴーロイスは重い腰を上げようとはしなかったのである。このコーンウォールの勇者は、兵力こそロット王に劣るものの、戦略とその圧倒的強靱の兵らは、あるいはロット王を打ち負かすほどだと恐れられていたからである。それほどの男であればこそ、ヴォーティガンはこの甥を頼みの綱としていたのであるが、このコーンウォール王はウェールズの王たちのようには血族や義理を重視しないらしく、先の反乱の呼びかけにも、中立を保ったままであったのである。

 このコーンウォール王の軍隊は、ブリトン人の島を駆け巡るよりも、むしろ大陸での傭兵活動によって名声を轟かせていて、最近即位したフランク族のクロヴィス1世(在位481-511)のもとで、その勢力拡大に手を貸しながら、大陸やアイルランドとの交易活動によって国内を富ませ、また場合によっては港都市の侵略などをおこなう、いわば海賊的な側面を多分に持った異色の存在であった。また同時にフランク族のブルターニュ地方への野心には、在地のブリトン人たちと共に警戒のかなめでもあり、いわばブルターニュ地方の諸王たちにとっては、国王軍と共に領土を守る盟主的存在でもあったから、いわばその均衡を崩して国王に反旗を翻すことは、ゴーロイスにとっては義理や人情では済ますことの出来ない一代問題だったのである。彼の居城は三方を海に囲まれた断崖絶壁のティンタージェル城であり、その城は戦のための砦といっても差し支えない強固な城砦であった。しかし例えばコーンウォール先端の都であるリオネス城一帯では、ゴーロイスを盟主と仰ぐメリオダース王のもとで、海洋貿易が栄え、船舶の数は限定的だったとはいえブルターニュ地方の港やアイルランド、さらには直接イベリア半島にまで出航して、取引を行っていた。しかし武勇を愛するゴーロイスはこの豊かな貿易都市を直接は治めず、国内に睨みをきかせる質実剛健の城、ティンタージェル城をこそ、このコーンウォールのかなめとしていたのであった。

 そのゴーロイスのもとに再びヴォーティガンの使者が連合への参加を求める書状を送っていた。またくどくどしく国家の大事だのローマへの接近が言語道断なる軋轢をもってだの書き連ねてある。最後には叔父と甥の間柄を強調している。ゴーロイスは困ったものだと一笑した。むしろローマ文化に接する機会も多いゴーロイスにとって、ヴォーティガンやロットやらの島を支配する方が、かえって自らのためにもならないようにも思えてくる。やはり中立を決め込むに如(し)くはなし。ゴーロイスは短い会議の後、伝令の使者を送った。領土先端のメリオダース王がユーサーへの接近を強め、自分はその牽制のためにここを離れることは出来ない。またこれを押さえ込むことは、十分叔父への義理を果たしていることにもなるのだからという内容である。これを聞いたヴォーティガンはメリオダースとゴーロイスの関係をよく知っているものだから、内心腸(はらわた)の煮え返る思いであったが、かりそめにもゴーロイスとの関係を蔑ろにすることは、いざという場合の頼みの綱を自らに切り捨てるようなものである。さすがに怒りを収めて、いざという時は相互の義理を果たそうではないかという内容を再度したためて、これを使者に持たせて帰らせるのが精いっぱいであった。

十一

 北ウェールズ、スノードン山周囲に木々の少ない岩肌の丘がそそり立っている。ヴォーティガンはここをくり抜きつつ城砦を築くべしというコルニウスの意見に従った。実のところ武勇一徹もののヴォーティガンは、軍神としてコンスタンティヌス王に仕えていた勇者であって、政治やいくさ場以外の後方戦略においては、極めて限定的な能力しか持っていなかった。

 そうであればこそ、コンスタンス王への反逆の際には盟主にも仕立て上げられたのであったが、いざその体勢を維持する段階になると、その能力は極めて危ういものとならざるを得なかった。つまりヴォーティガンは当初の予定を強引に推し進め、ピクト人に割かれたロット王の兵を失っても、そのまま王都に進軍をすることこそ、勝利の機会はあったのであろうというのが、歴史をも語り継ぐ吟遊詩人ども言いぐさである。けれどもヴォーティガンにとって、知将として知られたコルニウスが今だ見方にあることは、奇跡的な幸運であるとも言える。一度は怒鳴りつけたものの、彼の政治的采配を失うわけにはいかなかったヴォーティガンは、むしろ次第にコルニウスに背負いかかるみたいに、政治的采配を任せるようになっていった。

 コルニウスは、気が変われば爆発しかけない導火線付きのおんぶお化けを背負っておっちらおっちら農作業をするような気分にもなるのだったが、それでもひたむきにヴォーティガン軍を勝利に導こうと画策し、砦の場所を選定したのである。しかし彼とても、いっそロット王を盟主に出来れば、ユーサー軍を打ち払った後も、などと内心はあらぬことをいろいろ考えている。どうもヴォーティガンが問題らしい。根っから悪い人間ではないはずなのだが……。

十二

 そそり立つ断崖の岩肌を背中に、少しく開けた小さな野原があって、色とりどりの花が咲き乱れていた。小さな蝶々がひらひらと舞っていた。雨の多いウェールズの特色に似合わず、澄み渡るような青空の下で、なんの屈託もない少年と少女が、二人で追いかけっこをして遊んでいる。少年の髪の毛は、まるで黄金の中に若緑を織り交ぜたような輝かしい黄緑であり、それが太陽を受けるときらきらと耀き勝るように思われた。少女の髪の毛は桜色である。こんな髪の毛は見たこともないくらいに鮮やかなピンクで、それをあまり長くは伸ばさないで、ちょっと男の子みたいにしているが、丸みを帯びた表情は成長すればどれほどの婚姻者が貢ぎ物を持ってひれ伏そうかというほど美しかった。二人はまるで二羽の蝶がキャベツ畑に戯れるみたいに、無邪気にはしゃぎまわっている。まるで足が地に付いていないかのようにふわふわと軽やかに、一方が鬼になったり追い掛けられたりしながら、笑い声ばかりが谺するのだった。

 その長閑な閑散を割くみたいな馬のいななきが、野原の向こうの一本道から響いてきた。なんだろうと思って振り向くと、もう目の前に迫った数頭の馬が、武装した騎士を先頭にして、野原の花を蹴散らし蹴散らし、子供など目にも止まらぬように二人の横を駆け抜けていったのである。花は蹴られて舞い散らされ、折られた茎が惨めに横たわる。少年と少女は悲しそうな表情をした。折られた一本の花を手にとって、慰めるみたいにそっと撫でている。少女がその花にふっと息を吐きかける。するとどうだろう、花はぱっと息を吹き返し、少年が地面へ返すと、まるでそこに植えられてでもいたかのように、茎から下の葉っぱやら根っこやらが、植え付けられて佇んだのである。少年と少女は両手をかざして、

夕されば朽ちるというを
今はまた花のいのちを
なお盛りけり

と、不思議な歌をワンフレーズ称えると、途端に二人の両手から輝ける光の粒がこぼれだして、広がりながらに滴る大地には、折れ朽ちたはずの草花が、すっくと何ごともなかったかのように立ち上がったのである。花々は陽を浴びて、なお嬉しそうに風と戯れる。少年と少女は嬉しくなって、また足を宙に浮かせるみたいにして、まるで野原の草を踏むことのないようにして、一方が鬼になって追いかけっこを再開するのであった。

 草原を駆け抜けたのはヴォーティガンの偵察の騎士たちであった。彼らは砦を築くための下準備の視察をするために、岩盤の様子などを確かめていたのである。さっそく翌日から人夫(にんぷ)が駆り出された。大量の資材が運び込まれたので、二人の知らぬ間にせっかくのこの野原は、まるで赤茶けた岩肌みたいに、花も糸瓜も無くなってしまったのであった。石材が並べられ、周囲の森林が切り倒され、その木材を持って足場が築かれた。現場指揮官が指図をしながら、背後の巨大な岩肌をくり抜いて、そのまま砦の後部する一方で、ちょうど岩盤と平野の境あたり。今指揮官が采配を振るう辺りには、最後に城壁を築いて、砦のさらに外側を固めるというプランであった。ともかくまずは砦を完成させなければならない。そのための足場が、今木材によって高く組まれているところである。足場は三日目に完成し、四日目からは岩盤での作業が開始した。ちょうどその頃である、少年と少女があるいは何も知らずに、久しぶりの野原で遊びまわろうとして、どうやって兵たちの目をかいくぐってここまで来たものか、かつて野原だったところに立ちつくしているのであった。少女は野原が殺されたのを目の当たりにして、悲しくて泣きだしてしまう。少年は目を真っ赤に怒らせると、

「ニミュエ、森の入口で待っているんだ。僕があいつらを懲らしめてやる」

少女は黙って頷くと、うしろの方へ下がって眺めている。ようやく子供らの侵入に気づいた兵どもが、慌てて走り寄ってくる、少女は奥の森の木陰に隠れた。ひょいと顔だけ出して、少年の様子をうかがっているのがかわいかった。少年は走り出した、

「やっほーい」

と、嬉しそうな声を上げる。

「馬鹿やろう、危ないから離れろ」

「ここは遊び場じゃあねえんだ」

と兵士らが追い掛けていたが、少年の足の何と早いことか。全速力で木材の方に走り出したかと思うと、ぴょんと木材を飛び越えてしまった。追い掛けた兵どもが止まりきれずに突っ込んだんで、せっかく摘んであった木材ががらがらと崩れて、日雇いだか何だか、労働者たちのところへ転がりだしたので、大騒ぎとなった。

「誰か、あいつを捕まえろ」

と騒ぎ出すんで、ついにはみんな仕事そっちのけで、追いかけっこが始まってしまったのである。少年の思うつぼであった。すなわち彼にとって、まるでかっこうの遊び場でも出来たかのように、彼は尻を叩いたり、泥を投げつけたり、美しい髪の美少年にあるまじき泥だらけの遊びを、沢山の大人相手に繰り広げだしたのであった。

「そっちだ、そっちだ」

「馬鹿、なんですり抜けさせんだ。腕を握れ」

「痛っ、あの野郎俺を踏みつけやがった」

「ぎゃっ、ひたいが石をうお」

など訳の分からん叫び声が広がり、まるでイタチか何かのような素早さで体を捻る少年を追い回すのだが、どうしても捕まえられないのだった。とうとう足場の木材の合間をすり抜けて、人夫どもが頭をぶつけるのを余所に、ぱっと飛び上がったかと思ったら、まるでバッタででもあるかのように、ぴょんぴょんと木材の骨組みを駆け上がってしまった。ケラケラと甲高い声で笑っていやがる。現場指揮官は短気で気の荒い髭モジャだったから、ついに怒り狂って弓矢で射落とせと指令した。子供だと思っていれば調子に乗りやがって。兵は互いを見回して、子供を射殺すことに躊躇する様子だったが、

「早くせんか」

と怒鳴られて、さっと弓を引き絞った。すなわち五人の兵士が弓を番えると、たちまちにして放たれた五本の弓矢が、あっと驚く人夫たちの驚愕を余所に、ことごとく少年の腹の辺りに突き刺さったのである。

「なんと非情な」

「そこまでする必要が」

ちょっと愉快なくらいで少年を追い回していた労働者の中には、目を覆い隠すものさえあった。少年は絶壁を背後にした大人十人分はあろう足場の高さから、まるで木の葉がはらりと舞い落ちるみたいに、音もなく地面へ向けて足を滑らせた。

「あっ」

と大きなどよめきが起こる。指揮官がざまあねえやと毒舌を吐くのと、ドサリと鈍い音を立てて、少年の体が大地に転げ落ちるのが同時であった。そう、同時であるはずであった。人々は慌てて駈け寄る。何も殺すことは無かろう。ほんの子供の冗談であったのに。ひそひそと話す声が聞こえてくる。しかし程なく大きなざわめきが起こった。

「どうした」

と指揮官が、人々を掻き分け掻き分け、少年の死体を確認しに向かう。するとどうだろう、少年であるはずのものは、少年ではなく、かといって他の誰かの姿ではましてなく、それはただのきれいにくり抜かれた等身大の丸太であったのだ。丸太にはきれいに五本、弓矢が真ん中に突き刺さっている。これはどういうことだ。

 その時である、突然はるかかなたの上空から高笑いが響いてきた。

「どけどけどけどけ、早く立ち退かないと、全員潰れちゃうぜ」

見あげれば、足場のくみ上げた頑丈な丸太どもが、あちらの方からこちらの方まで、ぐらぐらぐらぐら揺れ動いている。振り落とされそうになった人夫たちが、泣きべそを掻くみたいに必死に下へと降りようとする。足場はついに前後に大きく揺らぎ始め、下で驚いていた連中は、肝を潰して野原の方へと、這々の体で走り逃げる。振り向きながら見あげると、足場のてっぺんに小さな少年の影が見える。彼が前後に体をスイングさせるたびに、木材がいのちでも吹き込まれたかのように前後に揺れるのだった。そしてついに、絶えきれなかった足場という足場が、一度期につなぎ合わせの縄もろともにたがを外して、激しい音を立てて大地に転がり落ちた。死者が居ないのが奇跡であったが、どんなに崩れ落ちた足場を探し回っても、あの少年の姿はついに見つけ出すことが出来なかったのであった。

十三

 こうして現場作業は振り出しに戻されてしまったのであるが、ヴォーティガンの怒りの尋常ならざることは今さらいうまでもない。髭の司令官は役職を奪われ、投獄されなかったのがまだしも幸せなくらい、一介の兵にまで落とされて、現場から外されてしまったのであった。新しい指揮官が任命され、早急に足場の復元と作業の遅れを取り戻す指示が出されたが、ようやく足場が完成した途端、またあの少年が現れたのである。

 前回の一部始終を知っていた現場の男どもは真っ青になった。兵も騎士も労働者も、今度こそ躍起になって、まるでまばたきを忘れたまなこを充血させるほど睨めつけて、鳥網(とりあみ)は持ち出すは、隙間という隙間に立ちふさがってすりぬけできないようにするわ、熊手を持って追っ掛けるわ、大変な騒ぎになった。少年はよろこんでしまった。こんな追い掛けっこなら、僕誰にだって負けないや。といった溢れんばかりの笑顔でもって、走り回るは飛び回るは、追い来る兵の肩に飛び乗って、次の奴の頭を踏み台にしてあちらに飛び移るかと思ったら、思い出したみたいに丸太を蹴り転がして、後ろにいるものを一斉にすっころばせるは、縦横無尽言語道断、大コンチェルトの合奏か、司令官が慌てて周囲に兵を配置して、その全員が剣を抜きはなった。しかし少年は愉快である。

「やばいんでないの」

と言いながら、かえって兵の方へ向かって走り出したので、斬り殺されたのではたまらないと、追い掛けていた人夫どもが慌てて距離を開いた。兵どもは本気である。仮にでも前回と同じような失態があれば、自分らがヴォーティガンから粛正を受けないとも限らなかった。組織に組み込まれた人間というものは、いつの世にあっても己の尊厳や人格に基づいて、例えばティル・ナ・ノーグの王マナナーン・マクリールみたいには自由には行動できないものである。兵どもは子供に向かって、まるでヤマネコや兎でも仕留めるときのように、狙いを定めて剣を振りかざす。飛び退いて逃げないように、一人の後ろにもう一人、少年の両脇からも剣を握りしめ、いつの間に配備されたのか、馬上の騎士さえも、遠くに控えている始末だった。剣が振り下ろされる。少年が飛び上がる。後ろの兵が飛び降りたところを斬り殺そうと、前へ出る。サイドの兵が横から貫こうとする。すべてが少年の最後を演出しているはずだったが、読者の皆さんとっくに気づいている通り、今回もそうはならなかった。どうも驚くことに、少年飛び上がったまんまで、下に降りてこなかったのである。そのままふわりふわりと浮かび上がって、驚く下界の者どもをよそ目に、また足場の木材の上に舞い降りてしまった。驚いた兵たちが弓を一斉に番える。前回と同じだと観念した労働者が、一目散に足場から逃れ去る。彼らは兵と違っていらぬやせ我慢などはしないのであった。弓が放たれるのと、足場が揺れ動くのとがほとんど同時であった。弓矢は今度は少年のはるか後ろに反れて、空の途中で力尽きて大地に落ちてゆく。ぐらぐら揺れる足場に驚いて、ついには司令官まで一目散に走り出したとき、まるで前回と同様、足場は跡形もなく崩れ去ったのであった。

十四

 ヴォーティガンの脳味噌は爆発した。怒りに任せて指揮官と兵の処刑を言い放つ盟主の王に対して、コルニウスがその怒りを宥めながら、

「これはあるいは、森の精霊や偉大な賢者といった、我々の定めのほかにある者の仕業かもしれません。そうであるならば、必ずしも不吉とは限らないのが、古来からの慣わし。まずは私が直々にその者に話をしてみますゆえ、どうかここは怒りをお鎮め下さい」

と進言する。次第にコルニウスの進言への依存の度合いを深めつつあるヴォーティガンは、今ではすっかりコルニウスを信頼しきっていたから、

「そうか。それではお前に任せる」

と配下の失態を許すことにした。かりにこの二人の関係に亀裂を生じさせることが出来たら、ヴォーティガン攻略はずっとたやすいものになるであろうが、特にコルニウスの忠義を離反させるのは、並大抵のことでは叶わなかった。そのコルニウスをして、コンスタンス王への離反を決意させるほど、ローマとの関係は、国家の重大事であったのである。

 つい脱線が過ぎたようだ、三度目に少年が現れたとき、だからコルニウスは以前の指揮官のように彼を追い掛けさせはしなかった。少年はちょっとがっかりする。

「何だい、今日は追いかけっこしないの」

とコルニウスの方に寄ってくるので、兵どもを制したコルニウスも、少年の方へと歩み寄った。

「どうか話を聞いてくれないか」

とコルニウスは切り出してみる。少年はもとより白痴ではない。聡明そうな瞳をくりくりとさせながら、金髪だか黄緑だか表現しがたい煌めく髪の毛を、指でくるくる弄(もてあそ)んでみせた。

「なんだ。話があるなら、最初からすればいいのに」

なんて言いながら笑っている。コルニウスが

「いったいあなたは、神聖なる森の精霊か、それともドルイドの高僧の幼き愛弟子でもあるのか」

と訊ねれば、少年はただひとこと

「僕の名前はマリーン」

と答えて済ましている。コルニウスは驚いてしまった。いや、この言葉の聞こえた兵や、遠巻きの人夫ども、あらゆるものが瞳を精いっぱいに見ひらいて、少年を改めてまじまじと見つめながら、ざわざわとして囁き合ったので、砦前の広場は、ちょっと騒然となったくらいであった。これがあの名高きマーリンだと、そんなことがあってたまるか。マーリンと言えば白髪の老人ではなかったか。いやいやそれは違う、茶色の髪の騎士のような姿だと聞いている。誰もがその名前を知っている。けれども実際の姿は誰にも分からない。そんな偉大な魔法使いとして人々の心に刻み込まれた名称、それがマーリンであったのだ。それにしてもこんな少年がマーリンだろうか。コルニウスはまじまじと少年を見つめかえした。しかしこのような見事に組み立てられた足場を、魔法でも使わないでどうしてがらくた同然に壊せようか。とにかく話を進めてみることだ。コルニウスは切り出した。

「我々はただここに砦を築きたいだけなのだ。なぜあなたは我々が砦を岩肌に彫り込もうとする度に現れて、大切な足場を粉々に打ち砕いてしまうのだ」

マーリンはひとつ口笛を吹いてみせた。

「出来ればやめてくれると助かるのだが」

とコルニウスが懇願する。

「ここの岩石は、僕が早くから目をつけていた鍵を作るための岩場なんだ」

とまるで意味の分からない答えが返ってきた。

「鍵とは?」

「うん、話すと長くなるんだけど、とにかく鍵さ」

「それで、我々には使わせないというのか」

「そうだねえ、期限付きだったら、貸してあげてもいいけど」

と玩具でも貸してやるような子供らしいことを言うので、コルニウスは返って空恐ろしい心持ちがした。

「それで借りるためには何か条件があるだろう」

と少年の瞳を見つめれば、どうにもその瞳のなかは空っぽみたいな純真で、湖みたいに静かなまんまである。何の悪気もないように見える。

「条件なんてないけど。ただ、そうだなあ」

といって小さく手招きをする。もっと近づけという合図らしい。コルニウスは思わず少年の口許に耳を近づけた。

「ヴォーティガンがこの砦と共に帰らぬ人となったときには、すべからく砦をお返ししてくれるなら、僕はそれでいいのさ」

まるで兵たちには聞こえないひそひそ話を楽しむみたいにして、少年が打ち明けたので、コルニウスは思わずぎょっとなって、またマーリンの顔を覗き込んだ。その瞳は吸い込まれるほど純真である。コルニウスはこの少年がマーリンであることを確信し、またヴォーティガンが敗れ去るという未来を、今や信じざるを得なくなり始めた。あるいはその時が、自分にとっての最後の時であろうか。そんな思いが一瞬こころをよぎる。すると彼の瞳を探っていたマーリンが、

「コルニウス。君はロット王かゴーロイスを頼った方が、より長く生きることが出来ると思うけど」

と小声で言うので一瞬からだが硬直するくらいだった。私の名前など、一度たりとも教えていないのに。顔から冷や汗が流れ出る。少年はまるで気にも止めない。

「まあいいや。それじゃあ契約成立だね。もう遊びに来ないから、好きなように砦とやらを築くがいいよ」

そう言うと少年は、楽しそうに奇妙な旋律の歌を口ずさみながら、その場を悠々と離れていったのであった。

悲しい季節がお別れの
歌を告げますお父さま
みなさんどうかおげんきで
椅子に座ったおじさんも
貝寄せ合った友たちも
みなさんどうかおげんきで
定めの季節が過ぎるまで
祖国と別れの悲しみを
なみだの谷間と申します
また合う日までお元気よう
歎くあいまも忘れません

森の影から少女が姿を覗かせた。マーリンの元に駈け寄ってくる。コルニウスは遠くからそれを眺める。少女が楽しそうに手を振ったので、何人かの兵士が釣られて手を振り返す。二人は離れながら歌を続けた。

飛び立ちましょうみずうみを
デラヴィラの波に別れましょう
つばさは南の風を受け
ふるさと集う人々の
おもかげばかりは懐かしく
悲しい別れのこの歌を
残して旅立つかなたには
辛い孤独の悲しみも
募るがままに去りましょう

こうしてリールの子らである四羽の白鳥がモイルの海に向けて立ち去るがごとく、名残惜しゅうして少年と少女は今、その野原を後にしたのであった。

十五

 ついに堅牢な城砦(じょうさい)は完成した。岸壁の内部にまで繰り入る砦と、その岩の丘の麓に翼を広げるがごとき城壁とを眺めたとき、ヴォーティガンは自分が不敗の鎧を身にまとったがごとき錯覚に捕らわれた。たとえ自分がここを攻略しようとしたとしてもだ。ヴォーティガンは考えた。とても一朝一夕に果たせるものではない。それほどこの砦は堅固(けんご)静かに仁王立つ名城のように思われたのである。ヴォーティガンはさっそく自らの守護であり連合のかなめでもあるこの砦を紹介し、連合諸王の結束を固めようと、諸王を呼び寄せた。その難攻不落の城砦は諸王のこころをも団結させるほどの力があった。ようやくピクト人を城壁の外へ追い戻し、砦へ顔を見せたロット王も、思わずこれはと驚くくらいの見事さだ。ヴォーティガンがその兵力を恐れ一線を置いて接したこともあり、ロット王とヴォーティガンの関係は、現状かえって睦まじいくらいである。コルニウスもあるいはこれならと勇気を高ぶらせたが、それにしてもマーリンの予言した言葉がこころを離れない。南ウェールズのリエンス王などそれぞれの王たちも広間に盃を交わし、その日の宴は大いに華やいだ。ただ甥のコーンウォール王だけが相変わらず、姿を見せないのが気がかりである。乾杯の合間に浮かない表情をしているコルニウスを見つけたヴォーティガンが、

「どうしたというのだコルニウス。今回の砦の成功は、もっぱらお前の成功ではないか。どうかこれからも、我ら連合諸王の参謀のかなめとなって、わしを助けてやってくれ」

などと冗談めかしていうものだから、さすがに心労覚めやらぬコルニウスも、苦労の甲斐を実感し、つかの間喜びに浸りながら、その日は盃を重ねたのであった。裏切り者の父を持ったウルフィアスはどうしているだろう、一瞬だけそんな思いが胸元を掠め、そして夜風に流されて消えてゆく。いつしかかがり火は赤々と燃えたぎり、吟遊詩人の歌声が、優しいハープの響きが懐かしい、王都の頃を思い起こさせた。せめていくさ場では鉢合わせたくないものだ、またコルニウスはぼんやりそんなことを考え始めた。酒は不思議とまずくはなかった。

十六

 王都にはついに待ち望んだ大陸からの援軍が到着した。ブルターニュ地方を治めるユーリエンス王が、半数の兵をしたがえて海を渡ってはせ参じたのである。この時期ブルターニュをも脅かすフランク王国のクロヴィスは、大陸内部のブルグント王国との雌雄を決するため、ユーリエンスに相互不干渉の和平を申し入れてきたのが幸いした。彼は国内を弟に委ねると、自らが王都に乗り込んだのであった。人柄を確かめ、場合によってはヴォーティガン軍に寝返ることも有りか。そんな思いを秘めた謁見は、しかし双方にとってよい印象を与えたようだった。もとより大陸のユーリエンスは、島国根性丸出しのロット王などよりも、ずっとリベラルな気風を愛した。したがってコンスタンティヌス王のもとでも、王都と緊密な関係を築いてきたのであるから、ユーサーさえ王の資格有りと見なせば、その関係を継続するのに否やはなかったのである。

「よく来てくれたゴールの王ユーリエンスよ」

と年下のユーサーは、いつの間に身に着けたのか、貫禄のある声で半ば冷たく、されど突っ放さずに、程よいリズムで話を始めた。実はちょっと前からウルフィアスを相手にそんな話し口の練習をしていたものだから、それを知っているウルフィアスは笑いをこらえるのに精いっぱいだった。ちょっとぼろが出たら、それはそれで面白いのだが。ウルフィアスは不謹慎なことを考えている。

「この度はコンスタンス王の崩御、および兄上アンブロシウス殿下のお亡くなりになられたこと、誠に愁傷の念に堪えぬ思いにて」

ユーリエンスはロット王なら

「本当に残念です」

くらいで済ませるところを、格式張った言葉遣いをする。それほど年配でもないのだが、大陸に居るせいだろうか。それとも家柄に過ぎぬのか。ユーサーはとてもそんな言葉に応対するすべは知らないが、そこは王であるから、気楽なものである。

「そのような堅い挨拶はよい」

と言い放った。出来ないだけじゃん。とウルフィアスはこころのなかで突っ込んでみる。ユーサーは、ぼろが出ないうちに、とっとと本題に入ってしまうに限ると考える。

「今回我が城に援軍の送ってくれたのは、我々の反乱軍への攻略に麾下(きか)の采配を託するにたるものと思っているのだが」

ユーサーは話し方を意識したあまりに、何だか筋道の通じるんだか通じてないんだかよく分からないようなことを口走った。ユーリエンスがはてなと思う。危ういと悟ったウルフィアスが、

「実は何度もコーンウォール王(公にするか?)ゴーロイスに書状を送っているのですが、彼は領内の気がかりや大陸の情勢を持ち出し、我が軍にはせ参じようとはしないのです」

と話を進めてしまった。ユーリエンスはユーサーの言葉の意味を咀嚼する機会を失った。ユーサーはほっとして、

「しかし、一方でゴーロイスはヴォーティガン軍の要請にも中立を守り通している。そうであるならば、彼が見方には付かないにせよ、敵とならない今のうちに、我が兄の敵であるヴォーティガンを討ち果たし、これをもって国内統治の回復を計りたいと思うのだが、どう思うか」

と今度はへまを遣らずに済んだ。何しろ、

「ゴーロイスが来ないはずの今がチャンスだ」

くらいの言葉つきで今まで遣ってきたのだから、ユーサーの心労いかばかりかと、私などはお察し致したくなるところだが、しかし当のユーサー本人は、この新しい立場のもたらす様々な境遇の変化を、返って楽しんでいるようなものであった。

「もとよりそのつもりでやって参りました」

とユーリエンス王が答えるので、

「ぜひ我に手を貸して欲しい。ともかくも今日は大いにくつろいでくれ。騎士たちの剣試合もあるし、夕べの宴もあなたのために高らかな腹鼓を打つであろう」

駄目だこりゃ。とウルフィアスは頭に手を当てた。ユーリエンスはずいぶん変わった冗談の仕方があるものだと、嘲笑すべきところをかえって感心してしまう。なんとか切り抜けたようだ。

十七

 その後は騎士たちの剣試合だった。こっちのほうがよっぽどユーサーに合っている。会場はぱっと華やいだ。ユーリエンス王の配下の騎士とユーサーの配下の騎士が、順に互いの武勇を誇るというものだ。王とユーリエンスは高みの席に見物を決め込み、勝利者はユーサー・ペンドラゴンから杯をいただいて飲み乾すのである。幾つかの試合が行われた後、エクターが剣を構えて登場した。相手はユーリエンスお抱えの騎士ウェルドナードである。たちまち火花が散った。エクターが剣を盾で交わすと、返す燕の切り口で、ウェルドナードの同体へ一振り浴びせた。試合とは言っても、偽物の剣で遣るわけではない。ただ双方殺さぬようにとの認識を持って、全力で勝負するというブリトン式であるから、時には不随(ふずい)になるものもいる、いのちを落とすものもある。けれども騎士ともなれば、互いに技量と正統のマナーを知る者どうしであるから、諸君が思っているほどに殺傷事になる分けではなかった。ウェルドナードはエクターの剣を己(おの)が剣で受け流し、全霊を込めて肩からエクターの鎧にぶち当たる。吹き飛ばされながらエクターが盾を前に押し出すところへ、また一振り来た。勝負はなかなか決さない。双方の騎士たちが応援やら野次をあげる。ユーサーは嬉しくなって、「エクター」と叫びだした。釣られてユーリエンスも叫びだす。ぱっと剣が飛び上がる。あっとどよめきが起こる。さすが、とユーリエンスの騎士どもが歓声を上げる。ついにウェルドナードがエクターの剣を弾き飛ばしたのだった。

「勝負あり」

との声が響き、ウェルドナードが諸王の王の前に歩み寄る。ユーサーは、

「見事である」

といって盃を渡す。エクターもなかなかの切れ者であるが、それを凌ぐ騎士がユーリエンス王のもとには仕えていると云うことが、今は頼もしく思えるのだった。

「次だ」

とユーサーが合図を送る。次は誰であろうか。我らが軍司令官マークであった。ユーリエンスの方からは屈強の色黒の騎士が歩み出る。わあっと歓声が上がる。今度の勝負はすぐに付いた。マークが、色黒の剣を交わすやいなや、ぱっと飛び退いた横っ腹の辺りに、剣を振りかざし、それを盾で防ごうとした色黒の首もとへ、すばやく剣の切っ先を変えたからである。首の根元に剣が押しつけられ、

「勝負あり」

の声がする。今度はユーサー軍の騎士たちの間から歓声が上がる。ユーサーが盃を授けると、ユーリエンス王が、

「あのすばらしい騎士は」

とアーサーに訊ねるので、

「あれはマークと言うもので、実は先のヴォーティガンとの戦でも、敗走する見方を束ねて、壊滅を防いだ功労者です」

「ああ、彼が」

とユーリエンスは自分の配下に欲しそうな顔をした。

「しかし次はクラッシドルスがお相手します。我が騎士のなかでも最強の男です」

とユーリエンスが挑戦するように告げるので、ユーサーはそばに控えたウルフィアスに向かって、

「どうだ、ウルフィアス。大陸の最強の男にお前は勝てるか」

と質問する。ウルフィアスは立ち上がった。剣をまじえてのお楽しみと言ったところか、黙って闘技場に降りていく。ウルフィアスが立つと、ユーサーの騎士たちがどっとはやし立てた。向こうからはクラッシドルスが入ってくる。ユーリエンスの騎士たちが一斉に剣を盾に突き立ててやんややんやと騒ぎ出す。銅鑼が一つ鳴った。

 ところがその勝負はいつ果てるともなかった。互いの剣がまるで曲線じみた舞踏でも踊るみたいに、二つの軸を中心に交互に交わし合い、交互に火花を散らし、リズムでも刻むみたいに、また突き返し、突き放し、双方離れては、また切り結ぶ。そんなことが何度も何度も繰り返され、両陣営の騎士たちはまるで息をつく暇すら与えられず見守るなかにあっても、両者はなお平然として、剣闘を続けている。とうとう銅鑼が一つ鳴った。引き分けである。

「お見事」

両者に向けて惜しみなく歓声が響くので、ユーサーも

「両者共に盃を受ける資格がある」

といって自ら盃を持って二人に渡したまではよかったが、そこから先が諸王の王としては、何というかまあ、つまり、いけてなかった。高ぶる剣闘の情熱を抑えきれなくなってしまい、下り掛けたところからそのまま闘技場へ飛び出すと、おもむろに剣を抜き放ち、

「どうですユーリエンス王。力量を知りたいなら、直接剣を交えてみては」

と屈託もなく笑っている。何という剛胆か。あんまり悪意のない表情なのでユーリエンスはまるで彼に引き込まれてしまった。そんな諸王の王があってたまるかと、驚いたボードウィンが慌ててユーサーを留めようとするので、それじゃあ面白くないと思ったウルフィアス、

「まあまあ、いいではないか」

といってボードウィンの腕を捕まえて向こうに引っ張って行ってしまう。力では到底及ばないボードウィンは、離せ離せと騎士どもの方へと追い返されてしまった。ユーリエンスが剣を抜き、

「お相手しましょう」

と闘技場へ走り込む。もちろん若造に負けるとは思ってはいない。何といっても最強の騎士であるクラッシドルスさえも、十に一つも勝利を奪えないくらい、ユーリエンスは武勇の人であったからだ。自分を負かすことが出来るとすれば、あのヴォーティガンか、コーンウォールのゴーロイスくらいのものだ。あのロット王にでさえも、一対一であれば自分の方が勝つだろうと、ユーリエンスは思っていた。これは願ってもいないチャンス。己より強い武勇を求めるではないが、あまり軟弱の王では付き従う気も失せるというもの、ユーリエンスとしてもぜひともユーサーの力量を確かめておきたかったのである。そしてユーサーは、そのことを察して、半ばユーリエンスを闘技場に誘い入れたのであった。

 観客の騎士たちは異様な盛り上がりである。まるで国家と国家の存亡を掛けた戦いででもあるかのような歓声がとどろいた。銅鑼が一つ鳴る。たちまちユーサーが駈け出した。ユーリエンスが身構える。さっと降り出す剣を己の刃で受け流したとき驚いた。ただ者ではないと悟ったのである。なるほど諸王の王は細見の体格である。力比べならユーリエンスの圧勝である。しかし恐ろしいのはユーサーのその早さであった。ユーリエンスが剣を繰り出す位置にもはやユーサーの体はなく、ユーリエンスが頼みとする盾を掠めて、何度も剣がユーリエンスの懐へ入ろうとする。しかもひとところにじっとしていない。体をよじって翻弄される間に、並の騎士ならたちどころに打ち倒されてしまうだろう。ユーリエンスは全力で応戦した。そしてその怪力でもって際どくユーサーの盾を打ち落とし、これで勝利かと思ったのもつかの間、両手に持った剣をいよいよ自在に操りだしたユーサーの、盾よりもなおさらに剣をかわしつつ迫り来る切っ先に、もはやつばめの大群に切り込まれるがごとき錯覚をさえ覚えたユーリエンスは、ついにその剣さばきを追い切ることが出来なくなってしまい、あっ、と思ったその瞬間であった。彼の剣は見事に中空を舞っていたのである。ユーサーが喉に剣を突きつける。

「勝負あり」

とドラが高らかに鳴る。今はもはやどちらかが殺されやしないかと冷や汗を流して見守っていた両軍の騎士たちは、歓声を上げるよりもほっとため息を付くくらいだった。それほど両者の剣闘はすさまじかったのである。ユーサーが剣を下げて、

「こんな強い人と剣を交えたのは初めてだ」

と言って笑っている。まるで悪意が見られない。ユーリエンスはこれは叶わないと思った。諸王の王たるは、この人物をおいて他に無いように感じたのであった。負けても嬉しいくらいだ。

「諸君、汗を掻いたらその後は、酒と食事としようではないか」

始めにユーリエンスに向けた言葉遣いなどまるで忘れてしまったユーサーは、ユーリエンスと共に酒宴の広間へと向かった。もう二人はまるで屈託もなく話しているのであった。これが我が国王の国王たるべき真の魅力であるか。ボードウィンはようやく、父がユーサーを高く評価する由縁を知ったのであった。その日参加した誰もにとって、酒はすこぶるうまいものであった。

十八

 翌日、今や国政に変わり軍事戦略の参謀として手腕を振るうボードウィンが、ユーサーに幾つかの策を提案した。これに基づいて作戦会議が開かれ、まず北方ピクトの民たちに向けて、ロット王がピクト殲滅(せんめつ)を目論んでいるとのデマが流された。ピクトとの関係が悪化している今、かならずやロット王の足止めとなるだろうという策である。さらに奇兵や寡兵戦術にも長けたマークを北方に進軍させ、ピクトとロット王の諍いを誘発させ、ゲリラ戦術によってヴォーティガンへの援軍を遮るという戦略が立てられ、まず奇兵部隊であるマーク軍が北方に向けて王都を旅立った。続けて、ロット王が参陣する前に、ゴーロイスが中立を捨てる前に、有無を言わさぬ進撃によって、ヴォーティガンを討ち果たし、その砦を陥落させるために、いよいよユーサー軍本隊が王都を出発したのである。城壁には、王不在の間の守備を預かるエクターの姿があった。しきりに旗を振って、進軍を鼓舞している。ユーサーは一つ銅鑼を鳴らさせて、見送りのはなむけとした。王の横にはウルフィアスの姿がある。王軍の後ろには、大陸からはせ参じたユーリエンスの軍隊が続く。ロット王さえ反乱軍に加わらなければ、その兵力は再び反乱軍を凌駕するものになっていたのであった。



 砦ではラッパが鳴らされる。城砦前面を囲ってそびえる長城の見張り台から、開門の合図が送られる。ラッパを鳴らした駈け馬は偵察の兵を砦へと導いた。ユーサー軍の進軍を知らせるためにである。城内は殺気だった。さっそく諸王に伝令が送られ、ウェールズを中心に北方西方の諸王がヴォーティガンのもとに集結。その中には南ウェールズに広大な勢力を誇るライエンス王の姿もあった。後に髭のライエンスと恐れられることになる彼も、今はまだ若く、髭を生やさぬ茶髪の戦士であったが、その人並み外れた巨体は、人々の注目を引くに十分だった。最近鍛えたばかりの剣のケルトじみた修飾が、ちょっと得意である。反ローマの気運から、この地方では伝統的文様や工芸品がリバイバルされ、諸王連合の旗も、ちょっとぐるぐるとした不思議な文様が描き込まれている。集結した諸王は、何よりもこの砦の堅固な姿に改めて勝利を確信し、どうしてユーサーを葬ってやろうか、挨拶のようにして語り合うくらいだったが、いくさの命運を左右しかねないコーンウォールのゴーロイスは、動く気配を見せなかった。参謀の役を兼ねるコルニウスが、もう一度ゴーロイスのもとへ伝令を走らせる。ここで立たねば甥と叔父の関係ももはや夢まぼろしのごとくとかなんとか、ちょっとお涙頂戴物の文面になっているが、そのくらいしても、ゴーロイスの腰が動くかどうか、はなはだ心許ないくらいであった。

 ユーサー軍の戦略は成功した。ピクトの侵入が国内の動乱を呼び起こし、ロット王は自分の領土を離れることが出来なくなったからである。ロット王の兵をかいくぐるかのように策動するマークの騎兵隊が、ハドリアーヌスの城壁の門を開いてピクトを導き入れたり、偽の情報を流してロットの軍を疲れさせた。こうしてロット王の到着を果たせないまま、ユーサー軍とヴォーティガン軍は最初の戦火を交えることとなったのである。ヴォーティガンはまず砦よりはるか西方の、道幅が狭く勾配へといたる辺りの、開けた草原に布陣した。より正確に言えば、その辺りでユーサーが陣営を張ると読んで、砦にいると見せた全軍が、不意に草原に現れたという方が相応しかった。これもまたコルニウスの策である。半ば不意を打たれたこともあり、両軍の激突はヴォーティガンの先手先手に終始した。ユーサーは軍の守備と再編に努めたが、さすがは戦場においては老練の強者であるヴォーティガンの指揮は見事であり、常に弱きところを突き崩しては、全軍を崩壊へと導こうとする。この起動力に対処するばかりになって、ついに攻勢に転じることが出来なかったのであった。ユーサー軍も最善の守備を続け大きな損失はない。しかしユーサーにとっては、はなはだ不愉快な戦となった。だからようやく狭き森林の奥へと引き返すヴォーティガンの軍を見たとき、ユーサーは全員その後背を突くべしと命令を発したのである。もしこの時、ボードウィンが敵の策略を見抜き、進軍を停止させなかったら、ユーサー軍はコルニウスの仕掛けた罠に見事にはまり、森林の中から伏兵の攻撃を受けていたことであったろう。

「このような好き放題の所作がゆるせるか」

となお進軍を命じようとするユーサーに、ボードウィンが

「王のひと言で、たった一言で、ここにいるすべての兵たちが、その豊かなたましいを散らせ、大地には止めどなく血を流し、よろよろと土を這い回り、ついには二度と朝日を見ることも出来なくなるのですぞ。あなたがほんの少し考えを巡らせることなく、短絡的に行動を起こしたばかりに、明日のほほえみを奪われる、騎士の骸が散乱するのですぞ」

と目を充血させてユーサーを諫める。彼は真の忠臣であった。ユーサーはボードウィンの言葉に従い、ついカッとなった己の不才を恥じた。軽はずみに命令をするだけで、すべての部下を失うかもしれない。そんな今まで味わったこともないような心持ちを、その日ユーサーは初めてこころに感じたのである。その日は色々なことが駆け巡ってなかなか眠れなかった。そもそも敵の領内へ進軍して、油断が過ぎたのだろうか。あんな無様ないくさがあってたまるか。それでも犠牲はそれほど多くない。それにしても自分の命令一つで、いくさの勝利も敗北も決定せられるという恐ろしさ。それは自分ひとりの闘う時の勇ましさとはまるで違った、途方に暮れるような巨大な恐ろしさであるように、闇の中に目のさえるユーサーには思われるのであった。ボードウィンの進言に従って、夜間の警備を強化した。しかし例えば今敵が夜襲を掛けてきたら、そこでまた戦局が大きく変わってしまうかもしれないのだ。あれこれと考えるうちに眠くなる。眠りの神だけは、いかなる勇者ですら避けることの出来ない魔物のようなものである。しかしそれは優しい魔物である。つかの間安らぎをくれる優しい魔物……。とうとうユーサーはそんな少年みたいなだらけた感慨に陥って、そのまま深い眠りに落ちていった。

 追撃されないことを知ったヴォーティガンは、諦めて伏兵を払った。砦までのルートが一本で無い以上、いたずらに兵を分散し伏兵を待ち伏せるよりは、砦近くまで敵を招き入れて叩くべしと言うライオネル王の進言を良しとしたからである。代わりに砦付近に伏兵を配置して、進軍してきたユーサー軍とたちまち刃を交えたが、今度はあらかじめ伏兵への準備を怠らなかったユーサー軍が、陽動部隊を先に出させて伏兵と戦闘状態へ入ったところへ本隊を進軍させたため、ヴォーティガンの思うほどの効果は上げられなかった。ヴォーティガンはユーサーは砦前に到着する前に可能な限りの伏兵の収容を行うと、その先頭が城門へいたる前に、堅くその扉を閉ざしたのであった。逃げ遅れた兵どもが次々に城門付近で討たれる。城壁に弓隊が並び、ユーサー軍に射掛ける。すなわちそのまま砦攻略戦が開始したのであった。

十九

 砦は堅牢そのものだった。射掛ける弓は払われ、火を放っても動じず、丸太でぶち抜いても鉄の扉はびくともしない。掛け金の縄を放っても、梯子を掛けて攻略しようにも、届きそうにないくらい高くそびえ立っていやがる。その間にも城壁周辺を探らせたが、砦は断崖絶壁をくり抜いた作りになっていて、後ろに回ったからとて、侵入できるとも思えなかった。また後ろ手には後ろ手に見張り台があり、崖の上に登った途端に射殺されることは間違いない。やはりどうしても正面の城壁を突破するしかないように思われた。城壁の後ろ側は、丘なりに岩肌へと高く勾配になって行き、その奥に砦が控えているのである。だから城壁のこちら側からでも砦はしっかり見える。しっかり見えるのだが、手も足も出せない。小憎らしいことこの上なかった。ユーサー軍はそれでもこれを包囲し、三日に渡り攻撃を仕掛けたのだが、絶壁から眺めるヴォーティガンには痛くも痒くもないように思われた。

「こちらから繰り出してもよいのではないか」

そばに控えるコルニウスに聞いてみる、

「されど万一にでも城壁の内部に入られますと、狭い砦に封じ込められる形になりますから」

「今はロット王の到着を待つか。奴が後背を襲うのと同時に我々が討って出れば、この上ない挟撃戦が展開されよう」

「それがよろしいでしょう」

籠城戦は二ヶ月程度の長期戦なら十分堪えるほどの食料と水源を持っていた。井戸水が湧き出ていたからである。ヴォーティガンはにやりと笑うと、眼下を見おろして、城壁を挟んでの小競り合いを肴に、器に注がれた酒を飲み干した。彼にとってはお茶の替わりくらいのものである。咎めるものとてなかった。

 ボードウィンは悩んでいた。このまま長期戦になれば、ロットかゴーロイスが背後を襲い、我が軍の潰走となる可能性も高まる。ひと月もふた月も掛けて悠長に籠城を繰り広げているゆとりなどなかった。もとよりヴォーティガンもそれを承知であるからこそ、徹底した籠城作戦を展開しているのである。さりとて亀の子の首っ玉みたいに潜られたのでは、いかなボードウィンといえども策の練りようがない。彼は数名の騎士を引き連れて周囲の聞き込みを開始した。村の民や猟師の中から、地勢の特徴や砦の弱点を探り出せないかと考えたからである。現場での徹底した情報収集。目的に対するひたむきな行動。これは父であるブレタインから引き継いだ彼の特質だった。「卓上だけで戦略は練らない」

父の言葉が耳に残る。しかし現場を巡るのはなかなか骨の折れる作業だった。第一ここはヴォーティガンの領土である。王を好むものも好まぬものもあったが、話しを聞き出すのだってなかなか大変なのである。またヴォーティガンの兵もすべてが砦の中にあるわけではなかった。あらかじめ偵察やかく乱のために配置された兵たちが、二度ほどユーサー軍の食料に火を放とうとし、また夜襲を仕掛けて来たことがあり、大規模な伏兵狩りが行われたとはいえ、どこに潜んでいるか分かったものではなかった。現にボードウィン自身ある村落でヴォーティガンの兵どもに奇襲され、騎士たちに護られ逃走することすらあったのであるが、それほどの危険を冒しても、なお有用な情報は得られなかった。

二十

 だんだん夕暮れが近づいてくる。今日は雲がちだが時々太陽が顔を出す。昨日はやたらと雨が降った。どうもこのウェールズは雨が多い地域らしい。なおさら砦は水には困らないことにもなる。だが食料はどうか。中に潜入できればまだ遣りようもあるのだが、それとて一人二人では城門を開くことすら叶うまい。そんなことを考えながら、馬をとぼとぼ歩かせていると、村落ヘ向かう丘の途中に、子供が二人遊んでいる。男の子と女の子だ。信じられないような変わった髪の毛を靡かせている。一人が黄緑で、一人がピンクだ。入り日の近づいた雲間から、斜陽が差し込め、二人の髪がきらきらとたなびいた。二人は何やら腕を伸ばしたり、それを急に引っ込めたりしながら、不思議な仕草をして歌のようなものを歌っているらしい。何かのお遊戯かと思ったボードウィンだったが、ふと思い立って騎士らを制止した。

「ちょっとここで待っていてくれ」

「あのような子供に聞いても時間の無駄でしょう」

と騎士の一人が不満の顔を見せる。そろそろ陣地へと戻りたい時刻である。

「あのような子供だからこそ、知りうることがあるかもしれない。とにかく何か一つくらい収穫がなくては、このままでは王のもとになど帰れるものか」

ボードウィンはさっと馬を飛び降り、丘へと歩み寄った。少年と少女の話し声が聞こえてくる。

「おばちゃんは、僕がひとりだと思っているんだからね。油断が出来るに決まってるんだ」

「でも一緒にいるのを見つかっちゃうんじゃない」

「見つかったって大丈夫だよ。何か出来るなんて思わないに決まってるさ。単細胞だからね。単細胞」

「やだ、単細胞なの。そんなこと言っちゃっていいの」

「いいのいいの。その代わりニミュエがしっかり遣ってくれないと、僕ら遣られちゃうぜ」

「そんなの嫌だよう」

「だからさ、練習しなきゃ」

と何だか不埒そうないたずらの相談だかなんだかをしているらしい。ボードウィンはちょっと離れから、

「おおい」

と二人に手を振ってみる。二人ははっとして振り向いたが、

「おおい、おおい」

と楽しそうに手招きをしている。ボードウィンはようやく丘のうえに辿り着いた。

「このあたりの村のものか」

と訊ねてみる。

「そうだよ」

と答えた少年の髪の毛が、黄金色(こがねいろ)にきらめく。

「何をしてるんだ」

と言うと、今度はピンク色の少女が、

「おばちゃんを倒す算段だあ」

といきなり地面を飛び跳ねてみせる。

「それはよくないなあ」

とボードウィンが諭そうとすると、

「悪のおばちゃんだからいいんだい」

と少年が突っぱねる。ボードウィンは話を変えてみる。

「君たち。最近あっちの奥に砦が出来たの知ってるだろう」

「ああ、もちろん知ってるよ」

「だって、あたしらが貸したげたんだもん」

とまた訳の分からないことを言う。どうにも埒が明かなそうな気配である。これは駄目かなと思ったボードウィンが、さらに何かを訊ねようとしたところ、その横顔をまじまじと眺めていた少女が覗き込んだ。

「おじさん大丈夫。額に困った困ったって書いてあるけど」

おじさんと呼ばれたのは情けないが、困ったと見抜かれたのはもっと情けない。

「まだおじさんじゃない」

と思わず答えてしまった。少女は、まるで気にしていない。

「ここんとこ、ここんとこ」

と自分の額のあたりを指さして、

「困った、困った」

と騒いでいる。たちまち少年が、

「本当だ、こんなにでっかい困っただ」

と両手を広げてみせる。ボードウィンは思わず額に手を当てた。

「そんなに困っているように見えたか」

とつい訊ね返してしまったのはだらしがない。ところが少年が、

「うん。砦を陥落させる方法が見つからないって、顔一杯に書いてあったよ」

と言うので、今度は驚いてしまった。変わったガキだと思っていたら、とんでもないことを言いやがる。まさかヴォーティガンの手の掛かったものではないだろうな。近くに兵でも潜んでいやしないだろうな。と思わず剣の柄(つか)に手を寄せる。途端に子供たちが笑い出した。

「おじさん騎士なんだろう。だらしないなあ。そんな思ってることをすぐ態度に表しちゃ駄目だよ。僕らがヴォーティガンの手先なわけないじゃんか。なあニミュエ」

「そうよ。そうよ。せっかく手を貸そうとしてあげるのに。ぜんぜんいけてない」

「いけてない、いけてない」

と少年が喜ぶ。

「ねえマーリン。信じてくれないんだから、つまんないよ。もう帰っちゃおうよ」

「そうだね、もう帰っちゃおうか」

と立ち去ろうとする。ボードウィンはマーリンと聞いて心臓が飛び上がらんばかりに驚いた。伝説の魔法使いだか妖術使いだか予言者なのかは知らないが、ともかくその名称は誰もが知っている。精霊を操り、大空を駆け巡り、大地の言葉を人々に伝えるおとぎ話の名称が、いきなり現実世界に登場するとは思っても見なかったからだ。まさか、と思う。あり得ない、と理性が諭そうとする。子供のいたずらだ、馬鹿にしてはいけない、とは思ったが、しかし二人を呼び止めずにはいられなかった。

「まってくれ、実はあの砦を攻め落としたいのだが、方法が見つからないのだ」

と率直なところを白状したので、二人は嬉しそうに跳ね戻って来た。

「始めからそう言えばいいのに」

「どうせお顔に書いてあるんだもの」

といって笑ってる。本当にこれがマーリンだろうか。と考えたら少年が瞳を覗き込んだ。ボードウィンははっとなる。

「そうだよ」

と少年が答えるので、心胆に冷や水をぶっかけられたみたいに硬直してしまった。少年はまるで気にも止めない、

「砦を落としたいんだってさ。そんなの簡単さ、なあニミュエ」

「そんなの簡単だあ」

「どのくらい簡単だあ」

「邯鄲(かんたん)の夢より簡単だあ」

と二人で奇妙な漫才をしているので、ボードウィンは思わず笑ってしまった。

「どんな風に簡単だあ」

とちょっと参加をしてみる。これが二人には嬉しかったらしい。少年はようやく真面目な顔になって、その方法を教えてくれたのである。

「この時期、このあたり一帯は、強い風の吹く日が続くんだ。それも決まって砦の方に向かって吹くんだよ」

察しのいいボードウィンのことだから、

「つまり火でも放とうというのか。しかし」

と考え込む。

「砦は木造のところもあるとはいえ、城壁も岩をくり抜いた城壁も、炎を寄せつけない石造りだ。油をぶちまけるか、藁で満たすかでもしないかぎり、ちょっとやそっとの火ではすぐに鎮火してしまう」

少年は横に首を振る。

「だから火じゃないよ」

「副産物よ副産物」

と少女が変なことを言う。副産物?ボードウィンはしばらく考えていたが、

「煙か」

とようやく答えを見つけだした。しかし、それがうまくいくためにはよほどの好条件が連日続かなければ意味がない。

「それは無理だろう。このあたりはどうも雨が多いらしい。風向きだって一定というわけではないし、うまく煙が砦を覆ったとしても、それがずっと続かなければ、効果は期待できないんじゃないか」

と少年相手に真剣に答える。少年は

「大丈夫だよ」

と答える。

「大丈夫、大丈夫」

と言いながら少女が後ろにまわる。何がどう大丈夫なんだかさっぱり分からない。

「これから一週間ここに雨は降らないよ」

「どうして」

と言いながら、ボードウィンは自分の返答が間の抜けているような気がする。

「僕が降らせないからさ」

少年の髪が煌めいた。

「風向きもうまく送ってあげるよ。何といってもあそこは僕らの岩場だからね。貸して遣ったけど、あんまり長く貸しておきたくはないんだ」

とまた意味の分からないことを告げるので、「貸して遣ったとは」と聞こうとしたが、聞いても埒が明かないに決まっている。ボードウィンは代わりに、

「しかし、煙だけで扉が開くだろうか」

「それだけじゃあ駄目だよ。あとはボードウィン、あなたの力量が試されるんじゃないかな」

とマーリンが答えたので、ボードウィンは本当に心臓が止まったかと一瞬思った。自分の名前など、一度たりとも告げていなかったからである。そこへ後ろから、

「えいっ」

と女の子の高い声が響いたかと思ったら、背中を押されたボードウィンは刹那に火花が弾けるみたいな衝撃を食らって、頭の中が真っ白になって、全身の筋肉がふにゃけたみたいに力尽きて、そのばにドサリと倒れ込んだ。はるか下界で待っている騎士たちが驚いて、剣を抜いて駈け寄ってくる。少年が目を丸くして、

「駄目だよニミュエ、人間なんかに試しちゃあ」

と言いながら、ボードウィンの手をつかみ、その額にしばらく手を当てていたかと思ったら、ボードウィンはようやく息を吹き返した。何がどうなっているのか分からない。

「ごめんなさい。だって、本当に出来るか試したかったんだもん」

と少女の声がかすかにする。

「おい、大丈夫」

ようやく目を明けると、

「ごめんごめん。ニミュエがいたずらしちゃったんだ。なんか下から騎士が追っかけてくるから、僕らもう帰るね」

「おじちゃん、ごめん」

「その代わり煙の件は僕が責任持ってやるよ」

と言うなり、少年と少女は走り出す。それがびっくりするくらいの素早さで、騎士どもがようやく倒れ込んだボードウィンのところへ登り上がって来た時には、もうどこへ消えたのやら、空の遙か高くにバサリと鷲が羽ばたいているばかりであった。日はいよいよ暮れかかり、肌寒い風が吹き込んだ。騎士たちに起こされたボードウィンは、頭を一つ振る。何をされたのかは分からなかったが、体に異常は無いようだ。

「お怪我は」

「いや、大丈夫らしい」

ようやく一行は帰路に付いた。その馬上で、ボードウィンはもはや煙の策に取り憑かれたらしく、それを落城へ結びつけるための策を、いろいろと練り始めていたのである。彼らを疑うべきでないことを、彼は我が身を持って実感していたからであった。

二十一

 その日の夕炊(ゆうかし)き後、ユーサーはボードウィン、ウルフィウス、ユーリエンスらと共に砦に対する作戦会議を行った。翌日の作戦行動を決定するためである。ユーサーが、

「何かよい策は無いものだろうか。私もずいぶん考えてみたが、あの砦は堅固(けんご)すぎる」

すでに描ききった策を秘めて、ボードウィンが答えるには、

「ここはやはり内部に不和をもたらすのが上策かと思われます」

「その方策はどのようになし得るものか。ライエンス王の裏切りの情報でも、砦に流す算段か」

とユーリエンスが腕組みをする。いつになく思い詰めた表情のウルフィアスが口を切った。何か秘めたる思いがあるようだ。

「私が父宛に手紙を認(したた)めます。例えばライエンス王との裏切りの手筈は順調であるかの確認を記し、これを城内に投げ入れるのはどうでしょう。誰かが見つけてヴォーティガンに届ければ、あるいは重臣の間に不和が生じることもあるかもしれません」

ウルフィアスは父への思いを封印し、公的な参謀としての立場を貫き通す。彼の心情を解するユーサーは少しためらったが、作戦の根幹は遣ってみる価値があるもののように思われた。ただ具体性に乏しい気がする。

「ヴォーティガンといえども、そのくらいで見方に不信を抱くとは思えない」

ユーリエンスは腕を組んだままである。するとボードウィンが、

「確かに、いかなヴォーティガンとはいえ、猪を罠に掛けるようにはいきますまい。しかし不信を与えるのは上策かと思います」

「何か考えがあるようだ」

ユーサーが先を続けさせた。

「実は今日こんなことがありました」

とボードウィンは不思議な少年と少女の話を始めた。始め鼻で笑っていたユーリエンスも、だんだん話に釣り込まれた。そのうちボードウィンがマーリンの名前を出した。誰もがまさかと思った。

「何かに化かされたのではないか」

とユーサーが訝しがる。ボードウィンはもっともだと思った。自分だってあの場に居合わせなければ、誰がこんな話を信じることが出来ようか。

「ですが、私はいずれかの森の精霊か、あるいはドルイドの神官の神がかった息子かが、我々に手を貸そうとしてくれているのだと信じます。それに他の農民の話からも、この風が絶えず同じ方向に吹き続けること。そしてその間は、決して雨が降らないことは確認されています」

と少しばかり嘘を加え、

「いずれにしても、藁を炊き煙で砦を燻す作戦は、試してみる価値があると思うのです。そのうえで、城内に不信を与え、内部分裂を誘うというのが、私の考えた作戦なのです」

と締め括った。一同はしばし黙する。ユーリエンスが、

「確かに、少年少女の如何(いかん)に関わらず、燻しの策は一定の効果があるように思える」

と答える。ユーサーも、

「よろしい、その策を採用することにしよう。それで城内の離反はやはりウルフィアスの手紙に頼るつもりか?」

ウルフィアスはさっきから無口である。ユーサーはちょっと気にしている。ボードウィンが、

「不信を与えるためには、もっと露骨で大々的な方法をもって行うべきでしょう」

と言う。ちょっとほっとするが、彼は続けて、

「しかしその上で、ウルフィアスの策を採用すれば、いっそうの効果を得ることが出来るでしょう」

と締め括った。一国の命運、一軍の命運、ウルフィアスに済まないという思いがしばし入り乱れて、ユーサーはよほどウルフィアスの手紙の策だけは却下しようかと考えた。しかしそれがもとで作戦が失敗すれば、そのために命を落とすのは我々には違いなく、自らの責任は友への同情や憐れみではなく、もっと別のところにあるべきかと思えば、ウルフィアスには申し訳ないことと思ったが、ユーサーはウルフィアスに手紙を認めることを命じる決定を下したのである。ウルフィアスにはユーサーの思いはよく分かっていた。彼は父に対する偽りの手紙を、丁寧に書き記したのであった。

      (ここで断絶)

以下の落書は執筆時のもの

・単純であればこそ、あの日父の元よりはせ参じるウルフィアスのことを無条件で信じ切ってくれたのである。

・女が足りない

・長城より北はカレドゥニー族(ケルト)、カレドニアの地である

2008年頃

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