古事記による第2変奏1、建速須佐之男の命

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「タケハヤスサノヲの命」

 ここにいたり、イザナキの命いたく喜んで
「我(あ)は、子を生み生みて、
生みの果てに三柱の貴(とおと)き子を得たり」
と言い、自らの御頸珠(みくびたま)の玉の緒、
もゆらに取りゆらかして見せれば、
連なった数珠玉は「しだれ藤(ふじ)」が
風を受けて楽しく踊るよう、
そんな風にゆらゆらと音を立て、
アマテラスを賛えたのである。
イザナキの命は高らかに詔(みことのり)して、
「汝(な)が命(みこと)は、
高天原(たかあまのはら)を知らせ」
と言依(ことよ)さして委任すれば、
アマテラスは礼節を持ってこれを受ける。
愉快が込み上げたイザナキは、
もゆらに取りゆらかした玉の緒にも、
ミクラタナ(御倉板挙)という神の名を与えてやった。

次にツクヨミの命に向かって、
「汝(な)が命(みこと)は、
夜のをす国を知らせ」
と言依(ことよ)さし夜の国を任せれば、
冷静沈着のツクヨミは、
淡々として礼を取った。
「夜のをす国」とは
「夜が食べてしまった国」
という意味の夜の世界のことである。

そして最後にタケヤハスサノヲの命に向かい、
「汝(な)が命(みこと)は、
我(あ)の産みなした天の下(あめのした)を知らせ」
と言依(ことよ)さすつもりだったが、
その猛々しく燃える瞳の奥に、
父にも刃向かう不遜(ふそん)の心を、
天つ国さえ征服しかねない傲慢(ごうまん)を見いだすと、
言葉をひるがえして、
「汝(な)が命(みこと)は、
海原(うなはら)を知らせ」
と言依(ことよ)さしたのである。
これは事実上の神流(かむなが)しであった。

 こうして海原を授かったハヤスサノヲの命、疎んじる父神をいぶかしと思い、豊葦原(とよあしはら)の国をさ迷うとき、イザナキの黄泉平良坂より持ち帰りたるオホカムヅミの桃の御子(みこ)、豊かに実ってスサノヲの命に告げて言うよう。
「汝(な)が知らぬ親神が黄泉つ国にいます。
またの名を根堅州国(ねのかたすくに)という。」
とささやき、黄泉つ国の母神のことをスサノヲに伝えたのである。

 ここにスサノヲの命、病葉(わくらば)のごとく思い悩み、兄姉(あにあね)、言受(ことう)けし命令(みこと)のままに治めし時、独(ひと)り国を治めずにいて、八拳須(やつかひげ)胸さきに伸びるまで成長を拒み、泣き騒いでいた。雲の滴(しずく)さえも奪う嘆きに、雨の降らなくなった青山は枯山(からやま)のように泣き枯れて、河海(かわうみ)はことごとく泣き乾いてしまったのである。あまりの号泣に大地は震え止(や)まず、その声は黄泉つ国にさえ響き渡った。

 ここにイザナミの命、我が子の悲しみを案じ、黄泉軍(ヨモツイクサ)を黄泉平良坂(よもつひらさか)に差し向けて、ヨモツトノオオカミ(黄泉之戸の大神)を押し出せば、大神も堪えきれずに僅かな隙間が開いてしまった。ここを抜けた悪しき神の音鳴(おとなり)り、五月蠅(さばえ)のごとく満ちあふれ、よろずの物の厄(わざわい)ことごとに起こったのである。慌てたのはイザナキの大御神(おおみかみ)である。ありったけの力で戸を塞ぎ、黄泉つ戸の向かいに立ち、
「汝(な)が来(き)ませるゆえは何ぞ。」
と妻神(つまがみ)に訊ねれば、
「我(あ)と汝(な)の産みし御子(みこ)、
泣きいさちるがゆえに」
と懐かしい声が聞こえてくる。
二人はしばらく語り合い、
スサノヲの行く末を案じる時、
イザナミの命のもらすには、
「あなたは何故ハヤスサノヲに中つ国を治めさせず、
海原を治めさせたのです」
と痛いところを付く。
「三つの国を奪うほどのちから、
その心に宿るがゆえに」
と答えれば、イザナミの命は、
まだ国を産み終えぬころ
耳元で囁いたような優しい声で、
「国を産みなさんとの仰せも終えて、
この先は子供たちが定める世界。
私たちはそろそろ引き下がろうではありませんか」
と夫に訴えかけた。
国を産みなした長き年月が、
走馬燈のようによみがえる。
「ではそうしよう。
お前はまだ黄泉つ国を守るのか」
と訊ね返せば、
「やがて三柱のうち誰かが、
この地を治めることでしょう。
そうしたら私も奥に下がり、
あなたと語り合うことも叶うでしょう」
と告げる。
「ではその日にまた逢おう。」
そう言うと、
イザナキの命は自らの館に戻った。

 ここにイザナキの命、
泣きはらすハヤスサノヲの胸ぐらを掴んで、
「お前は何故、
我(あ)が言依さした国を治めず、
泣きわめくのだ!」
と押し上げれば、
ハヤスサノヲの命もにらみ返して、
「我(あ)は母の国、
根の堅州国に行きたい!」
と返す。
これを聞いたイザナキの大御神、
激しい怒りが体を駆け巡り、
「お前など俺の子供ではない。
この国に住むことも許さん。
どこへなりとも勝手に行くがいい。」
とそのままスサノヲを外に投げ出して
屋敷を塞いでしまったのである。

 スサノヲの命は土をはらいながら、
「ならば、姉のアマテラス大御神に挨拶をしてから、
根の国に向かおう。誰がこんなところに居るものか。」
と戸口に向かって叫ぶと、
さっそく天の浮橋(あめのうきはし)より、
天つ国に登り始めた。

 その日をさかいにイザナキの命は、
国を直接統治することを止め、
我が子の将来を案じながら、
奥に入って見守りの神となった。
彼は現在、国産みの始まりし島、
淡路島の伊奘諾神宮に奉られています。

2007/09/19掲載

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