古事記による第2変奏3、我勝ちぬ

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我勝ちぬ

 こうして子を生みなして、
生み終えたアマテラス大御神が高らかに、
「この、後に生まれたる五柱の男子(おのこご)は、
我(あ)が珠(たま)を元に生まれたもの。
よって我(あ)が子である。
先に生まれたる三柱の女子(をみなご)は、
汝(な)が剣を元に生まれたもの。
よって汝(な)が子である。」
と宣言した。
これには神々ことごとく驚いた。
「これは」「さすが」と称賛の声が上がる。
うけい前に宣誓を行わなず、甲乙がついた後に宣言をすることによって、契約を果たしてしまったからだ。発せられたからには、言霊(ことだま)の力によって、覆(くつがえ)すことは適(かな)わない。契約を果たさず相手の物により子を生みなしたのは、うけいの結果に関わらず、自らを勝利に導く策略であったとは。

 スサノヲは窮地に陥った。契約が全うされた以上は、卑怯と罵(ののし)っても後の祭りである。怒りにまかせて暴れた途端に、天つ国を追い祓(はら)うに決まっている。どうも姉は昔から狡猾(こうかつ)でいけない。気を許すとすぐに斬り込んでくる。しかしハヤスサノヲの命も、はや幼き弟ではなかった。

 すなわち朗々とした声で、
 「我(あ)が心は清く明かされた。
すなわち生まれたる子は、
手弱女(たわやめ)を得たり。
これによって我が心に荒(あら)ぶる穢(けが)れなく、
従順な乙女のごとくであることが明らかになった。
よって姉上、うけいは我(われ)の勝ちである。」
と答え返したのである。

 これには居並ぶ神もあっと思った。確かにアマテラス大御神は、五柱の男子(おのこご)を我が子と宣言したが、よって勝ちとまでは言わなかった。よくよく考えれば、女子(をみなご)を生みなし勝ちとするうけいだって、不可能という訳ではない。何しろ始めに宣誓をしていないのだから。それにしても見事な切り返しだ。男子(おのこご)によって勝ちとなす常識を刹那(せつな)に反(そら)して見せたのだ。このプレッシャーに身を置き、即座にこれほどの答えを宣言できるとはすばらしい。驚いたアマテラスがスサノヲの命を改めて眺めれば、泣いて暮らした末っ子の面影は消え、何と凛々(りり)しい姿で立っていることか。
「見事。」
「天晴れ。」
神々からも賞賛の声が上がり、
アマテラス大御神が口を開き損ねた一刹那、
スサノヲはこの気を逃さず、軽く会釈をすると、
「我(われ)勝ちぬ。我勝ちぬ」
と叫びながら、勢いよく天の安河を去ってしまったのであった。

 さて、アマテラス大御神のうけいの行動は、後々(のちのち)まで神々の感心をかった。策を弄(ろう)したにしても、生まれた子が一方の神の子では無いことは、誰の目にも明らかだったからである。ある神は、弟への猜疑心が定まらず、うけいの敗北を懸念して、わざとそれを分からなくしたのだという。ある神は、弟との絆(きずな)を子を生みなして繕(つくろ)おうとしたのだという。いやいや、タカミムスヒの神の差し金に違いないという神もいた。みなもっともな説ではあるが、肝心のアマテラス大御神は、聞かれても決して語ろうとしなかった。天の安河に向かい合った姉と弟の想いは、いつしか中国の伝承と結びつき、会えない恋人達の七夕伝説となって、中つ国に広まった。すなわち天の川が駆ける夜空に、琴座の織姫と鷲座の彦星は互いに向かい合って、相手の心を求めるのである。

 独りになったスサノヲの心に、すさまじい憤怒(ふんぬ)が沸き上がってきた。父に国を追われ、姉にまで嫌われようとは、まさか思っても見なかった。淋しき想いに心は荒(すさ)び、すなわち荒(すさ)のう神となって、高天の原を荒(あら)らし回ったのである。その暴れること、暴れること。アマテラス大御神の実ります田畔(たあぜ)を壊し、その溝を埋め、オホニエ(大嘗)またはニヒナヘ(新嘗)の収穫祝いの殿(との)を荒らし、あたりに糞(くそ)をまり散らして、神聖の冒涜を欲しいままにした。

 これを知ったアマテラス大御神はなお咎(とが)めず、
「初めての天つ酒の歓びがすぎて、
酔いが回って吐き散らしたに違いない。
また田畔も酔い壊して、
それを直そうとして、
しくじったに違いない。」
とスサノヲをかばって誤魔化したのである。
これを伝え聞いたスサノヲはますます怒り狂った。
なぜ腹が立つのか、
なぜ荒(すさ)ぶのか自分でも分からない。
スサノヲの名を持つゆえに荒(すさ)ぶのか、
それならこれも親父のせいだ。
俺の知ったことではない。
そう思って暴れること暴れること。
すなわち樋(とい)を放ち、
撒かれた種のうえに新たな種をまき散らし、
田に串を刺しまくって、
天つ国の穀物をすっかり駄目にしてしまった。
これにより、中つ国にも呪われた災害が生まれ、
天災に悩まされることとなったのである。
すなわちスサノヲの悪しき行いは天つ罪として、
「大祓祝詞(おおはらえことば)」の中にさえ、
納められているではないか。

殺神(さつじん)

 さすがのアマテラス大御神も心挫けて、大御所であるタカミムスヒの神に相談しようかと、献ずる衣を機屋(はたや)で織らせていると、悪しき心溢(あふ)れたスサノヲの命、捕らえた天の斑馬(ふちうま)の皮を生き剥ぎに剥ぎて、もがき暴れるままに屋根から陥(おとしい)れたのである。血まみれの斑馬(ふちうま)はのたくりながら機織女(はとりめ)の前に落ち、衣の色を赤く染めれば、乙女らの悲鳴は高く上がり、スサノヲの鼓膜を震わせた。その時、機織りごとに倒れる機織女(はとりめ)が一人、機織棒に突き刺され、激しく悲鳴を張り上げて、はたと息絶えてしまったのである。

アマテラス大御神は高く弓を構えると、
「神の巫女の殺されし時、
汝(な)の罪は償(つぐな)えん」
と天上を睨み付ける。
怒りで顔が真っ青だ。
驚いたのは、スサノヲだった。
いかに悪意のある悪戯とはいえ、まさか神の巫女を殺すつもりはなかった。荒(あら)ぶる己(おのれ)の心が恐ろしくなり、追いすがる弓矢を交わすと急にその場を逃げだした。

 スサノヲの命はついに、我にも隔てなく食物(おしもの)を与え、休み処すら与えてくれるオホゲツヒメ(大気津比売)の許(もと)に辿り着いた。震えを隠して食物(おしもの)を乞う時、竈(かまど)の向こうより、天の巫女が召(め)されたらしいと声がする。スサノヲの心に疑いの念が渦巻いた。まさか我(われ)と知って試すつもりかと、密かに竈(かまど)を覗き見たのである。

 するとどうしたことか、オホゲツヒメは鼻、口、さらに尻からも、様々な味物(ためつもの)を取り出しては皿に盛り、取り出しては鍋に入れる。スサノヲには天(あめ)の食物神(おしもののかみ)が、味物(うましもの)を作る極意などは知るはずもなく、
「汝(な)の我(あ)に与えし物は、
常にそうして作ったのか!」
と大声で叫べば、
調理に夢中だったオホゲツヒメは、
「しかり」とこともなげに答える。

 いくらスサノヲといえども、日頃であれば相手に弁明の余地はあったはずだ。しかし今日はいけなかった。先ほど巫女が死に際に叫んだ恐ろしい悲鳴が、薄暗い情熱となってスサノヲの心を駆け巡る。オホゲツヒメに騙されたのだ。穢(きたな)きもので我(われ)を喜ばせ、屈辱して笑っていたのだ。激しい怒りが巫女殺しのどす黒い荒(すさ)びを沸騰させ、スサノヲは立ち所に太刀を抜いて、オホゲツヒメの神を突き刺してしまったのである。鋭い悲鳴が上がる。スサノヲは巫女の悲鳴を思い出し、はっとして我に返ったが、遅かった。

 殺されたオホゲツヒメの体は蔦(つた)となり
スサノヲの剣にまとわりつき、
足は細かく裂け伸びて根を張り、
腕は枝となってスサノヲを掴まえようと迫る。
迫るあいだに葉を広げて穂を垂れ下げ、
驚いたスサノヲが剣で払って後ずさりするあいだにも、
頭(かしら)には蚕(かいこ)なり、
二つの目には稲種(いなだね)なり、
二つの耳には粟(あわ)なり、
鼻には小豆(あづき)なり、
陰(ほと)に麦なり、
尻に大豆(まめ)なりき。
とうとう剣を投げ棄てたスサノヲの命、
神逃(かむに)げに逃げ出したのであった。

 アマテラス大御神は深く悲しんだ。巫女だけでなく、我が弟が、大切な食物神(おしもののかみ)まで殺そうとは。稲田を打ち壊し、収穫の祝いの殿(との)を汚(けが)し、天つ収穫を蔑ろにした上に、オホゲツヒメまで手に掛けようとは。愚かな弟。うけいの勝利を求めるだけなら、誰がお前の物から子を生むだろうか。やがては片親として天つ国に迎えることも出来たろうに。もう手の施しようがない。どうして父に追放されたお前を、ただちに天つ国に住まわせようか。いい年をして姉の心も知らず、うけいの真意も見抜くことが出来ない。スサノヲよ、我(われ)は情けない。もう私は知らない、追放されて消えてしまうがいい。そう心を決めたのだった。

2007/10/03掲載

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