第3変奏2、八俣(やまた)のヲロチ

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八俣(やまた)のヲロチ

 ことが決まれば速きことスサノヲの命、娘の頭を優しくひと撫で、ユツツマ櫛(くし)の姿に変えると、豊かな髪を整えて御(み)みづらに刺し、自らの内(うち)に抱(いだ)きとめた。娘さんの温もりが伝わってくる。勇気溢れて、アシナヅチ、テナヅチの神に告げるには、
「汝等(なれども)は、
ヤシホヲリ(八塩折)の強き酒を噛みて造り、
また地には垣根を張り渡し、
その垣(がき)には八門(やかど)を作り、
その門(かど)ごとに八桟敷(やさずき)を作り、
その借り棚ごとに酒船(さかぶね)を置き、
船ごとに噛み造るヤシホヲリの酒を満たして隠れていろ」
と言った。

ピンポーン。物語の途中ですが。

 原文で
「汝等~而待」で括られ、続く部分が「故」で新しいセンテンスを明確に開始している。旧約聖書などに見られるキアスマス(カイアズマス・交差配列法)を予感させる文章構造が取られている。

[1]汝等(なれども)は、
[2]八塩折の酒を醸(か)み、
[3]また垣を作り廻(もとほ)し、
[4]その垣に八門(やかど)を作り、
[5]門(かど)ごとに八さずきを結(ゆ)い、
[6]そのさずきごとに酒船(さかふね)を置きて、
[7]船ごとにその八塩折の酒を盛りて
[8]待ちてよ。

 まず[1]「汝等」[8]「而待」の枠が、主語と述語を形成。[2]と[7]は「八塩折の酒」の製造と、器に盛る様子が並置される。[3][4]と[5][6]は前半が「垣」によって、後半が「さずき」によってそれぞれひとまとまりのグループを形成し、前半は「作」によっても安定した一つのグループを形成する一方、中間点を越えた後半[5][6]では「結い」「置き」と順次述語が変化して、事象変化を早めている。特に2つのグループの中心である[4]と[5]は「門」によって、さらに古事記によって最も重要な数字、「八(や)」によって見事に並置され、これは[2]と[7]がつくる「八塩折」の「八(や)」と共に文章全体の「や」によるリズム(語彙によるリズムだけでなく、頭の中で意味を解することによって意味の強調がなされ、それ自体がリズムとして働きかける)の、まさに中心を担っている。もちろんこの「や」は退治するべき八俣のヲロチの「や」でもあるわけだ。この並置的な意識は、[6]の部分には[3]の部分に対応して、「八さずき」と書き得る所を、「八」を抜いて「さずき」としている所にも見ることが出来るかも知れない。

 もちろんこれは、カイアズマス風味はあっても、完全なカイアズマスではない。読んですぐ気が付くが、この文章はより直接的には、[3]から始まる「垣」「門」「さずき」「船」が、次のセンテンスに再登場しながら、次の状態を生みだしていくという連続的な結びつきによって、優れたリズム感を生みだしていることが分かる。これがこの文章のもう一つの構造であり、特に[6]の部分で「酒船」を登場させ、続く[7]の部分の繰り返す「船」と共に、ひるがえって[2]の八塩折の酒をも導いているが、八俣のヲロチを貫く(あるいは古事記を貫く)「八(や)」によって文章に柱のような構造的安定感を与え(これはカイアズマス的な方法によってソナタ形式の楽章のような意味で構築されている)、同時に繰り返されつつ派生する言葉の連鎖の動的生命力のクライマックスに「八塩折の酒」を登場させることによって、構造と流動性の絶妙なバランスの、特筆すべき例となっている。最も驚くべきは、これがスサノヲの命の詩人としての、あるいは知識をもたらす神としての側面を、見事に暗示するために配置されているという、周到なプランである。「あなにやし」に始まり、後には「神語り」以下さらに続いていく古事記の構成、詩文の物語への融合(というより古事記の世界では詩も文章も一つの語りものなのだろうが)の見事さは特筆に値する。(この方針は、夏目漱石の「草枕」で探求されているように思われる。)

閑話休題

 もし以前のスサノヲであったら、恐ろしき怪物と格闘する歓びに、中つ国が灰燼(かいじん)と帰(き)しても、燃えさかる情熱を抑えることが出来なかっただろう。おおよそ彼ぐらい格闘を好む神も、古今東西そうは居ないのである。啀(いが)み合いが好きなのではない、憎しみが勝るのでもない、ただ目前(もくぜん)の強き相手に知恵でも腕力でもいい、全力で向かい合って勝ちたいものだ。
 そんな思いから、姉ともぶつかって見せた。幼き頃から泣き騒いで厄(わざわい)を呼び寄せるのも、物の怪を呼び寄せては打ち倒すという、己(おのれ)の本能に従っただけなのかもしれない。そのスサノヲの前に、前代未聞の強敵が立ちはだかった。八俣(やまた)のヲロチ。好敵手。ライバル。スサノヲの胸が高鳴った。十拳剣(とつかつるぎ)を振り絞って、生きるか死ぬか、八つの頭と思う存分組み合ってみたいものだ。そう思わないはずがないではないか。
 その荒ぶる神がである。今は中つ国の稲田を守る神となり、大地を痛めることなく怪物を倒そうと、懸命に策を講じているのである。男神(おとこがみ)というものは、それほど簡単に変われるものか。天の浮き橋に立ち、密かに中つ国を眺めていたアマテラス大御神も、すこし驚いたくらいである。そしてついに、その八俣のヲロチが、ずるりずるうりと体を這わせながら遣って来た。

「一番美しい娘っ子よこせ、
一番若い娘っ子よこせえ。」
と歌いながら、ずるりずるうりと這(は)ってきたのである。

 怪しげな姿を聞いた時から、恐らくはクラオカミ(闇淤加美)の神か、クラミツハ(闇御津波)の神の子に違いないと思っていたスサノヲだったが、それならばヤシホヲリの酒には逆らえまいと読んだ策略は見事に的中した。
ヲロチが顔を見せれば、
すでに贄(にえ)の社(やしろ)が整えられている。
その前には、強き酒の匂いが、
辺り一面に立ちこめていた。
贄(にえ)を差し出すこの日、
我(わ)が頭(かしら)ごとに
八門(やかど)の酒を振る舞うとは、
哀れにも神妙な奴め。
よし、今度の稔りは、
さらに豊穣で満たしてやろう。
気をよくしたヲロチは、
船ごとに頭(かしら)を垂れ入れると、
酒をがぶ飲みに飲んだ果てに、
心地よく眠ってしまったのである。
瞳は二つごとにまぶたを落とし、
頭はことりと酒船の横に横たわる。
すべての首が眠りについたのを見届けるやいなや、
スサノヲの命は飛び出した。
腰に穿(は)かせる十拳剣を抜き放ち、
その首を八門(やかど)ごとに斬り散(はふ)れば、
丸太のごとく大地を転がり、
流れ出たる血潮は、
肥の河を赤く染めて下り、
水戸(みなと)の海さえ夕日に染まった。

さらに八尾を斬り刻むとき、
激しい響きと共に、
御刀(みはかし)の刃(は)欠けたる。
「怪(あや)し」と思い、
御刀の先で割(さ)き広げて見れば、
ツムガリの大刀(たち)あり。
大地の荒金(あらかね)をたらふく食らい、
数多(あまた)の鍛人(かぬち)をたらふく食らい、
金山に住まう神をすら腹に収めたヲロチの、
体内で鍛えられた太刀であった。
見事な太刀を一振りすれば、
大気を駆けて風を割き、
遠くを流れる雲をすら真っ二つに切り裂いた。

 これはすばらしい。ぜひ我が腰に差したいものだ。そう思ったスサノヲだったが、神やらいされた我(われ)のすべきは、己(おのれ)の我(が)を通すことではあるまいと気が付いて、姿を戻したクシナダヒメと共に、天つ国に舞い登ると、アマテラス大御神にこの刀を献上したのである。これこそ後に草薙(くさなぎ)の太刀と呼ばれる名刀であった。ここに姉弟(あねおと)は久しく言葉を交わし、アマテラスは逞(たくま)しく覚醒した弟に安堵し、スサノヲは以前の非礼を心より詫びて、互いに別れたのである。

2008/01/05掲載

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