古事記による第3変奏3、八雲立つ

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八雲立つ

 再び舞い降りた地上は麗(うるわ)しい。
天は青く抜け、大地より雲は沸き立つ。
すなわち須賀(すが)の地に到る時に歩みを止めると、
「ああ、ここに来て、我(あ)が心すがすがし」
と妻の手を取り、初めて宮を作ったのである。
地より立ち登る雲は、逞(たくま)しき益荒男(ますらお)のように伸び盛(さか)り、風誘う樹木(じゅもく)はざわざわとして、宮囲う垣根を賛えるよう。嬉しくなったスサノヲはここに歌を詠んだ。

コロス1:
八雲立つ(やくもたつ)
出雲八重垣(いづもやへがき)
妻籠みに(つまごみに)
八重垣作る(やへがきつくる)
その八重垣を(そのやへがきを)

コロス2:
出雲の八雲に立ちのぼる
八重垣のような雲をたたえよ
妻を籠(こも)らせるための
八重垣を作るのだ
さあその八重垣を

ピンポーン、また番組の途中ですが

[1]八雲立つ(やくもたつ)
[2]出雲八重垣(いづもやへがき)
[3]妻籠みに(つまごみに)
[4]八重垣作る(やへがきつくる)
[5]その八重垣を(そのやへがきを)


 古事記を代表する数字であり、ヲロチの数字でもあり、さらに出雲の数字(八雲立つは出雲の枕詞)でもある八(や)が、[3]を除くすべてに登場しリズムを形成。同時に構造を規定する。さらにリズム上重要な要素として、[4]まで1度づつ登場する「つ」もリズムを整え、語尾は母音で「う→い→い→う→を」と、最後の[5]で解決するように「を」に到る。
 繰り返される「やへがき」はもちろんだが、他にも[1]、[2]の「やくも」「いづも」は、母音で「あうお」と「いうお」であり、同じ字数で母音も類似、共に最後が「も」であることから非常に親和性が高い。もちろん漢字でも両方に雲が使用されているほどだ。つまり「八重垣」を3度も登場させることもあり、[3]以外の部分の語感は非常に類似性が高く、同じようなリズムを形成している。その中にあって、真ん中の「妻籠みに」だけが、冒頭の「つ」で協調を取りつつも、他の4音が他の部分に見られず、したがって語感が大きく異なるような、一際目立つ中間部分を形成している。まさに「八重垣」の中心に妻を籠もらせた姿そのものである。同時にそれは聖なる「八」つまり「や」の中心に妻を籠もらせたものでもあり、[3]以外のすべてに1回ずつ「や」が使用されているのに対して、「や」の含まれない[3]の部分において、「妻籠みに」を見事に引き立たせている。
 また意味としても、出雲を治め宮を作り垣根を築くという、公的な統治や平穏の達成のための詩の真ん中に、[3]の部分においてフォーカスを私的心情に向け、内的なもう一つの重要な歓喜が顔を覗かせことによって、歌い上げる歓びの幅が「公と私」や「内と外」のような奥行き見せてくれるのがこの詩である。つまらない素朴の歌だと言う人もあるが、むしろこれは一切の無駄を排除した、スサノヲならではの美の極致なのかもしれない。
 この章の例えば「おきなとおみなと二人ありて、をとめを中に置きて泣けり」の記述が、「お」の語頭でまとめられ、しかも後半の語頭が「お、な、お、な」とリズムを形成しているような遣り方は、むしろ古事記全体の傾向ではあるが、スサノヲの詩的センスの導入を果たしているのかもしれない。さらにここで、前半の「おきな、おみな」の中にあらかじめ「お、な、お、な」のリズムが予備されて、後半が呼び起こされているのは特筆すべき点だ。
 さらに、ほとんど詩と言えるスサノヲの「なれども、八塩折りの~」の発言を経て、「八雲立つ~」という古事記内で初めて登場する正式な御歌(みうた)に至るプロットを見ても、この詩は素朴と単純さの美学よりも、切磋琢磨して削り取った挙げ句に単純さを獲得したという、技の巧みを感じさせる。それにも関わらず、出来上がった詩自体は、雄大さと叙情性と愛情を兼ね備えた上に、自然と魂の歓びからほとばしり出たような即興性と、率直性を備えた傑作となっている。ここにスサノヲの芸術神、知性的な神としての側面を十二分に見ることが出来るだろう。後の繊細さと技巧では遙かに凌ぐ多くの歌どもも、雄大さの点ではこの歌を凌駕するものは多くはないことを考え、詩の本分について考察を試みるのも悪くはない。(悪くはないが、ここでは話を戻しましょう。)

閑話休題

 ここにアシナヅチの神を呼び、
「汝(な)は我(あ)が宮の首(おびと)たれ」
と命じると、
イナダノミヤヌシスガノヤツミミノ
(稲田宮主須賀之八耳)の神と名付けた。
 その須賀でクシナダヒメと共に、
クミドに起こして、
共に抱き合い生める神の名は、
八島を守るヤシマジヌミ(八島士奴美)の神。
また後(のち)にオホヤマツミの神の別の娘、
カムオホイチヒメ(神大市比売)を娶(めと)りて生める子は、
五穀の稔りを賛えるオホトシ(大年)の神。
次に食物の精霊であるウカノミタマ(宇迦之御魂)の神。
この神、後に倉稲魂尊(うがのみたまのみこと)、
あるいは宇賀(うが)の神として、
オホゲツヒメやトヨウケビメらと共に、
稲荷神(いなりのかみ)として人々に奉(まつ)られたまいき。

また、オホトシ(大年)の神、
カムイクスビ(神活須毘)の神の娘、
イノヒメ(伊怒比売)を娶(めと)りて生める子は、
オホクニミタマ(大国御魂)の神、
次にカラ(韓)の神、
次にソホリ(曽富理)の神、
次にシラヒ(白日)の神、
次にヒジリ(聖)の神、
五柱(いつはしら)の神。

また、オホトシ(大年)の神、
カガヨヒメ(香用比売)を娶(めと)りて生める子は、
オホカガヤマトミ(大香山戸臣)の神、
次にミトシ(御年)の神、
二柱(ふたはしら)の神。

また、オホトシ(大年)の神、
アメチカルミヅヒメ(天知迦流美豆比売)を娶(めと)りて生める子は、
オキツヒコ(奥津日子)の神、
次にオキツヒメ(オキツヒメ)の命、
またの名はオホヘヒメ(大戸比売)の神、
これは諸人(もろひと)のもち拝(いつく)く竃(かまど)の神である。
次にオホヤマクヒ(大山咋)の神、 またの名はヤマスエノオホヌシ(山末之大主)の神、
これは近江国の日枝の山(比叡山)に座(ざ)し、
また葛野(かづの)の松尾(まつのを)(松尾山)に座(ざ)し、
鳴鏑(なりかぶら)を持つ神である。
次にニハツヒ(庭津日)の神、
次にアスハ(阿須波)の神、
次にハヒキ(波比岐)の神、
次にカガヤマトミ(香山戸臣)の神、
次にハヤマト(羽山戸)の神、
次にニハタカツヒ(庭高津日)の神、
次にオホツチ(大土)の神、
またの名はツチノミオヤ(土之御親)の神、
九柱(くはしら)の神。

 前の件(くだり)のオホトシの神の子、オホクニミタマの神より下(した)、オホツチの神より前は、合わせて十六(とをあまりむはしら)の神。また数の異なりしは、神の世の定めである。続けてハヤマトの神の系譜が続けども、今は語らず。

 子らが育ち中つ国を治める頃、スサノヲの命はクシナダヒメを呼び、
「我(あ)は、かつてイザナキの父神と交わした詔(みこと)、今だ成し遂げず。これより根の堅州国(ねのかたすくに)に向かうつもりである。しかしお前は中つ国に生まれ、闇の国に逢うべき人もない。無理に連れて行くのは心許ない」
と言えば、クシナダヒメは答えて、
「もう私に飽きたのですか」
「そうではない。お前を想うからこそ、
闇に陥(おとしい)れたくはないのだ。」
「ならば共に参りましょう。
私の灯火(ともしび)はあなたなのですから」


 こうして二人は中つ国を子らに委ね、出雲の国の伊賦夜坂(いふやさか)より降(くだ)りて、根の堅州国(ねのかたすくに)に向かったのである。平良坂(ひらさか)の坂元(さかもと)にはまだ、あの桃の木が豊かに実を付けていた。二人はこれをもぎ取って、共にかじりながら坂を下りていったのである。

2008/01/06掲載

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