古事記第5変奏1、スクナビコナ(少名毘古那)

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スクナビコナ(少名毘古那)

 オホクニヌシ(大国主)の神、出雲の宮を治めし時、因幡の白兎の訪(たず)ね来たる。訪ね来たりし故(ゆえ)は、国を治め築くため、出雲の御大(みほ)の御前(みさき)に、共人(ともびと)を迎え入れよと、オホクニヌシの神に伝えんがため。オホクニヌシの神、これによりて御大(みほ)の御前(みさき)に向かえば、波の穂の揺れる間に間に、天(あめ)の羅摩船(かがみぶね)に乗って、ヒムシの皮を内に剥いで衣服(きもの)として、寄り来たる小さき神あり。白兎の説明するところ、羅摩船とは麗しき小さきカヌー船なり。

 さっそく己(おの)が名を名乗り、
「汝(な)が名は何ぞ」
とその名を問うも答えず。さらに従(したが)える神々に問うも、みな「知らず」と言う。ここに一人、谷を潜(くぐ)り声を響かせ、水田のさ渡る極みとも賛えられる、国を護るタニグク(多邇具久)が、ひきがえるの鳴く声を止めて答えるところ、
「これは、クエビコ(久延毘古)が必ず知っていることでしょう」
と教えるので、さっそくクエビコ(久延毘古)を呼びに使わした。クエビコは足は不自由であるが、天(あめ)の下のことを悉く知る神である。今に山田のソホド(曽富騰)として水田に立つ案山子(かかし)は、彼を写した姿として稲穂を護っている。そのクエビコの答えるには、
「これは、カムムスヒ(神産巣日)の神の御子(みこ)、
スクナビコナ(少名毘古那)の神に違いありません。」

 すぐにカムムスヒの御親(みおや)の命(みこと)のもとに昇り尋ねれば、
「彼は、まことに我(あ)が子ぞ。
我(あ)が手の俣(たなまた)よりこぼれ落ちし子ぞ。
彼(かれ)と汝(いまし)と兄弟(あにおと)となりて、
中つ国を作り堅めなせ」
と命じるので、改めて降(くだり)り下(お)り、
「スクナビコナよ共に国を作り堅めなせ」
とその名を呼べば、
スクナビコナは初めて口を開き、
兄弟(あにおと)の盃(さかづき)を交わし、
二柱の神、共に並びて、
この国を作り堅めたのであった。
この国造りは長きにわたり、
二柱の御代(みよ)に国はいよいよ富み栄え、
いくさは決して起こらなかったという。

ヤチホコ(八千矛)の神

 そのオホクニヌシの神の因幡に向かいし時、若き日の契(ちぎ)りのごとく、因幡のヤカミヒメ(八上比売)を妻として向かえ、床を共にしたことがあった。しかれどもそのヤカミヒメは、出雲にて子を生みなしたものの、正妻(むかいめ)のスセリビメの嫉妬を恐れて、ある日、生まれた子を木の俣(また)に挟んで因幡に戻ってしまったのである。それゆえに、この子は木俣(きまた)の神と呼ばれたが、やがて裂け枯れたその木より、水の湧き上がったことにちなんで、彼は御井(みい)の神とも呼ばれるようになった。

 このようにしてオホクニヌシの神は国を治めるため、多くの妻を迎えて子を生みなし、その豊かな子宝をもたらすという益荒男(ますらお)振りから、ヤチホコ(八千矛)の神とも賛えられるほどだったが、その度に正妻(むかいめ)のスセリビメがいたく嫉妬にさいなまれ、新妻(にいづま)に辛く当たるのであった。そんなある日、スセリビメが父母に会いに根の堅州国(ねのかたすくに)に降(くだ)りしおり、ヤチホコ(八千矛)の神が、高志(こし)の国のヌナカハヒメ(沼河比売)を呼(よ)ばわんとして・・・つまりは呼びかけて妻とするために、はるばる高志(こし)の国(北陸の方)に足を運ばせた時のことである。

2008/06/25掲載

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