古事記第6-3変奏、天孫降臨

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天孫降臨

 ここにアマテラス(天照)大御神、タカギ(高木)の神の命(めい)により、太子(ひつぎのみこ)「正勝吾勝勝速日(まさかつあかつかちはやひ)」アメノオシホミミ(天之忍穂耳)の命(みこと)に向けて、

「今こそ、葦原の中つ国を平(たい)らげたという。
よって降(くだ)り下(お)りて治めるのだ」

と言依(ことよ)さす時に、
アメノオシホミミの命の答えるには、

「僕(あ)は降(くだ)らん装束(よそい)する間に、子生まれ出(い)でたり。名は、
  アメニキシ(天邇岐志)・
   クニニキシ(国邇岐志)・
    アマツヒコ(天津日高)・
   ヒコホノニニギの命(日子番能邇邇芸命)、
この子降ろすべし」

 これによりて、タカギ(高木)の神の娘、ヨロヅハタトヨアキヅシヒメ(万幡豊秋津師比売)と結ばれ生まれた子、アメノホアカリ(天火明)の命、ヒコホノニニギの命の二柱の神のうち、ヒコホノニニギの命に向けて、

「この豊葦原の水穂の国は、
そなたの治める国と言依(ことよ)さしたからには、
命(みこと)に従い天降(あまくだ)るべし」

 こうしてヒコホノニニギの命、天降ります時に、路を分かつ天の八衢(やちまた)に居て、光る眼(まなこ)を持ちて、上(かみ)は高天の原を照らし、下(しも)は葦原の中つ国を照らす神、そこにあり。天降りするより前に、アマテラス大御神、タカギの神の命(めい)により、アメノウヅメ(天宇受売)の神が呼び出され、

「汝(な)は手弱女人(たわやめ)にて、剣(つるぎ)交えし力は劣れども、刃向かう神にも面勝(おもか)つほどの術(じゅつ)を持った神である。すぐに向かい、八衢(やちまた)に控えし訳を問え」

との仰せなので、仕方がない、出向いて問い質(ただ)せば、

「僕(あ)は国つ神、
名はサルタビコ(猿田毘古)の神。
天つ神の御子の天降りすると聞き、
出迎え仕え奉らんとして、
まさに舞い昇りました」

と答える。なんだ神妙な奴ではないか、ご苦労ご苦労ということになって、改めてアメノコヤネの命、フトダマの命、アメノウズメの命、イシコリドメの命、タマノオヤの命、五つの伴う神を従えて、天降りすることになった。彼らは、アマテラス大御神の石屋戸に隠れます時に活躍した神で、これら御子の腹心を合わせて五伴緒(イツトモノヲ)と呼ぶ。

 さらに天(あめ)の石屋戸に隠れます時に使われた八尺(やさか)の勾玉(まがたま)、石の裂け目よりアマテラスを映し取った鏡、そしてスサノヲの命の献上した草那芸(くさなぎ)の剣を添(そ)え、また、常世(とこよ)のオモヒカネ(思金)の神、タヂカラヲ(手力男)の神、アメノイハトワケ(天石門別)の神という、天(あめ)の石屋戸よりアマテラス大御神を現(あらわ)した功労者を伴わせ、

「この鏡は、
必ず我(わ)が御魂(みたま)として、
我(あ)が前に従うがごとくいつき奉(まつ)れ。
さらにオモヒカネの神は、
この鏡を取り仕切り政(まつりごと)せよ」

と詔(みことのり)して、アマテラス大御神は、
ヒコホノニニギの命を送り出したのである。



 これらの神のうち、サルタビコの神とアメノウズメの命は、「栄える腕輪(くしろ)の五十鈴(いすず)の宮」と賛えられる、伊勢神宮の内宮(うちみや)、「さくくしろ五十鈴(いすず)の宮」をいつき奉る神となり、伊勢神宮の外宮(とつみや)には、五十鈴(いすず)の宮に奉られしアマテラスの御食(みけ)をつかさどる、豊(と)める穀物(うか)の神、トユウケ(登由宇気)の神が控え、またアメノイハトワケ(天石戸別)の神、またの名をクシイハマド(櫛石窓)の神、またの名をトヨイハマド(豊石窓)の神は御門(みかど)を守る神となった。次にタヂカラヲ(手力男)の神は、三重の多気郡の佐那県(さなのあがた)に居座(いま)す。

 また五伴緒(イツトモノヲ)の神のうち、アメノコヤネの命は、中臣(なかとみ)の連(むらじ)らの祖神(おやがみ)、フトダマの命は、忌部(いんべ)の首(おびと)らの祖神(おやがみ)、アメノウズメの命は、猿女(さるめ)の君(きみ)らの祖神(おやがみ)、イシコリドメの命は、鏡作(かがみつくり)の連(むらじ)らの祖神(おやがみ)、タマノオヤの命は、玉祖(たまのおや)の連(むらじ)らの祖神(おやがみ)となったのである。

 送り出されたヒコホノニニギの命は、自ら座り治めた天(あめ)の石位(いはくら)を離れ、八重に広がる棚のような雲を押し分け、勇ましく道をかき開きかき開き、天の浮き橋に身を正してそり立つと、そこより竺紫(つくし)の日向(ひむか)の高千穂の霊妙なる岳(たけ)に降臨したのである。この地は、宮崎県の高千穂町付近とも、霧島連峰の高千穂峰を指すともされるが、この様子は天石屋戸と共に霊的な儀式となり、神代の言葉で語り継がれた。すなわち、

「かれここに、アマツヒコホノニニギの命に詔(の)りたまひて、天(あめ)の石位(いはくら)を離(はな)れ、天(あめ)の八重(やえ)たな雲を押し分けて、いつのちわきちわきて、天の浮き橋に、うきじまり、そりたたして、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の高千穂(たかちほ)のくじふるたけに天降(あまくだ)りまさしめたまひき」

 この時アメノオシヒ(天忍日)の命、アマツクメ(天津久米)の命、矢を収める天の石靫(いはゆき)を背負い、頭(かしら)に瘤(こぶ)を持つ頭椎(くぶつち)の大刀(たち)を身に着(つ)け、天の波士弓(はじゆみ)を取り持ち、天の真鹿児矢(まかこや)を手に挟み、ニニギの命の御前(みまえ)に立ちて仕えたのであるが、これによって、アメノオシヒの命は大伴連(おおとものむらじ)らの親神となり、アマツクメの命は久米直(くめのあたい)らの親神となり、共に猛(たけ)き誉れと賛えられたのである。

 降臨したニニギの命が見渡すと、国は韓国(からくに)に向き合い、笠沙(かささ)の岬(みさき)に真っ直ぐ通じている。そして朝日は直(じか)に差し込み、夕日の照り映える国であることを知ると、これを賛えて、

「ここは韓国(からくに)に向ひ、笠沙(かささ)の御前(みさき)に真来通(まぎとほ)りて、朝日の直刺(たださ)す国、夕日の日照(ひで)る国。かれ、ここはいと吉(よ)きところ」

と仰せになると、底(そこ)つ石根(いはね)に宮柱(みやばしら)ふとしり、高天の原に氷椽(ひぎ)たかしりて、すなわち見事な宮を定めたのであった。

アメノウズメとサルタビコ

 定めた宮に、アメノウズメ(天宇受売)の命が呼び出され、
「我(あ)が御先(みさき)に立ち案内をしたサルタビコ(猿田毘古)の大神は、初めに明らかにしたお前が送り奉(まつ)れ。また彼の御名(みな)も、汝(な)れが請け負って仕え奉れ」
 なんだか分かりにくい言い回しだ。ただ名前を受け継いで宮に仕えよというのか、それともあのサルタビコの神と結ばれて……アメノウズメは少し顔を赤らめた。ヒコホノニニギの命から面勝(おもか)つ神と賛えられた彼女は、決して撫子(なでしこ)みたいな乙女ではなく、ふくよかな体格に微笑ましい愛嬌のある丸顔を伴った、チャーミングな適齢の女神(めがみ)であった。しかし天の石屋戸で胸乳(むなち)を露(あら)わにして踊るほどの度胸も、相手の胸の内も分からぬ今は、不意に心細さの細さが貫く。貫きながらも考えた。まだ時は残されている。共に旅路を送る間には……

 かくして二人は、遙か西のかなた、続けてサルタビコの奉(まつ)り治めることとされた、伊勢の五十鈴川(いすずがわ)の川上にある、「さくくしろ五十鈴(いすず)の宮」へと向かったのである。その途中の話である……

 ヒコホノニニギの命に献げるために、志摩(しま)の国、阿邪加(あざか)の地に到り、サルタビコの神は漁(すなどり)を始めたのであるが、ひらふ貝(がひ)という、神をも食わえるほどの巨貝(きょがい)に手を食い合わされて、海塩(うしほ)に沈み溺れたことがあった。サルタビコは底まで引き込まれて、苦しみもがきつつ己(おの)が魂(たま)の欠片(かけら)をこぼす時、底に沈んだ魂は底度久御魂(そこどくみたま)となり、泡の粒となり立ち上る魂は都夫多都御魂(つぶたつみたま)となり、海面の白く泡立つところでは阿和佐久御魂(あわさくみたま)となり、上(のぼ)らぬを案じていたアメノウズメの知るところとなったのである。アメノウズメは顔を真っ青にした。慣れぬ海とはいえ、考える間もなく飛び込めば、激しい潮の流れが彼女を押し戻そうとする。目は塩の辛さでずきずき痛む。しかしそんなことは苦にもならなかった。サルタビコの手を握ろうと、海を掻き分け突き進む彼女にとって、それがなんであっただろう。ついにはその手を掴み、残る手の平をひらふ貝にかざして念じれば、ありがたい、術は海の中でも効力を発揮するようだ。ひらふ貝は茹でられたみたいに、ぱっかと口を開けて放心し、サルタビコは海の底に転がり出された。もう泡も出ていない。急いで抱き抱えると、アメノウズメはたちまちのうちに海岸まで引き上げたのであった。

 彼女は必死で口づけを交わして、海水を吐かせ、また息を送り込んだ。麗しき神は死んだように眠っている。胸に手を当てて、蘇生の術を施して、また唇を付けて、息を送り込む。目には涙が一杯に溜まっている。そうやって、幾度繰り返したか知れない。不意にサルタビコの神は激しくむせ返すと、口から思いきり海水を吐き出し、苦しそうな目を見開いたのである。目の前にはずぶ濡れのアメノウズメがいた。目を開くと、大声で泣きわめいていきなり飛びついて来た。その服は、海をがむしゃらに泳いだために、胸乳(むなち)を露(あら)わにして、帯紐は秘処(ほと)にまで垂れ下がっていた。サルタビコは思わず「あっ」と言って、滑らかな柔肌を見た。アメノウズメは急に真っ赤になって、慌てて衣服を正した。波の音は変わらず打ち寄せる。海鳥は呆れたように、遠く羽ばたく。二人は黙って見つめ合ったまま、優しく口づけを交わしたのである。

 それから彼女は、サルタビコの神を送って、「さくくしろ五十鈴(いすず)の宮」へ入ったのであるが、この時にはサルタビコの心も決まっていた。その宮で、二人は結婚の約束を交わしたのである。後にヒコホノニニギの命はこれを認め、二人は睦まじく、伊勢神宮にてアマテラス大御神を奉(たてまつ)る神となったのであった。やがてアメノウズメの子孫らは、サルタビコの名を受けて猿女君(さるめのきみ)と呼ばれるようになるだろう。この一連の出来事を記念して、今日でも三重県松阪市には阿邪加神社(あざかじんじゃ)が残され、底度久御魂(そこどくみたま)、都夫多都御魂(つぶたつみたま)、阿和佐久御魂(あわさくみたま)を奉っているそうである。



 アメノウズメといえば、もう一つ忘れられない話しが残されている。それはサルタビコを宮へ送り、還り戻り阿邪加(あざか)の海で、漁(すなどり)された魚ども、網に泳ぐ鰭(ひれ)の広い、また鰭(ひれ)の狭い魚どもに向かい、
「お前ども、鰭(はた)の広物(ひろもの)、鰭(はた)の狭物(さもの)どもよ。お前たちは、天つ神の御子に仕えまつらんや。」
と尋ねた時のことである。
もろもろの魚どもは、みな観念して、
「仕えまつらん」
としぶしぶ応じる中に、強情の海鼠(こ)だけは固く口を閉ざし、仕えまつってなるものかと歯向かう姿を見せたのを、アメノウズメは見逃さなかった。天つ神の御子に逆らうなど、許されるものか。たちまち紐付きの懐剣(かいけん)を取り出すと、この紐小刀(ひもかたな)でもって、海鼠(こ)の閉ざした口を切り裂いてしまったのである。

 これによって今でもナマコの口は醜く裂け、トラウマによってかつての気概も奪われてしまったという。驚いたのは控えていた「鰭(はた)の広物(ひろもの)」「鰭(はた)の狭物(さもの)」どもである。慌ててひれ伏して、一も二もなく仕えまくったことは言うまでもない。これによって、代々伊勢湾より宮に奉られる特産の贄(にえ)は、アメノウズメの命の子孫である猿女の君らに、まず送られる慣わしとなった。

木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)

 さて、降り下りたヒコホノニニギの命が笠沙(かささ)の岬(みさき)に立った時のこと、天つ国でも見かけぬ麗しき美人(をとめ)が、寄せる波と戯れて、屈託なく微笑んでじゃぶじゃぶと遊んでいた。ニニギの命は、臣下を置き去りにしていきなり走り出した。娘が気が付いてあっと思った時には、もう彼は目の前に迫っていた。娘さんはさっと顔を赤らめる。ニニギの命は、その目を鋭く覗き込むようにして、
   「誰(た)が女(むすめ)ぞ」
と問いかけたのである。
 娘は恥ずかしそうに、されど口ごもることなく、

「オホヤマツミ(大山津見)の神の娘、
  名はカムアタツヒメ(神阿多都比売)。
   またの名をコノハナノサクヤヒメ(木花之佐久夜毘売)といいます」

と答える。ニニギの命は、
「汝(な)が兄弟(はらから)ありや」
と問いかける。
「姉のイハナガヒメ(石長比売)が居ります」
と答える。すると唐突に神の言葉を棄てて、
「我は、お前を嫁にしようと思うが、どうだ」
とえらく真剣な顔をして問いかけるので、その逞しい若さに驚いて、はっとして瞳を見返したカムアタツヒメは、急にうつむいてしまった。たちまちしどろもどろになって、
「私はお答え出来ません。我が父、オホヤマツミの神にお尋ね下さい。」
といって、白砂(しらすな)を蹴るようにして走り去ってしまった。波と揺れ動く後ろ姿が、明るい陽射しの中で、黒髪にたなびいて可愛らしい。もう決めた、あの子を嫁に貰おう。そう思うと、ニニギの命は、ようやく浜に下りた神たちに向かって、
「これよりオホヤマツミの神のもとに向かう」
と威勢よく言うと、波を離れるようにしてずんずん歩いていく。神どもはしばらく顔を見合わせていたが、慌てて小走りに砂を踏みつけた。



 天(あめ)より降(くだ)り下りた我(われ)の、中つ柱の神オホヤマツミ(大山津見)の娘を正妻(むかいめ)とすれば、国をいとやすく治めることも適(かな)うだろう。ヒコホノニニギの命が情熱に任せてオホヤマツミの神に説(と)けば、オホヤマツミの神のもいたく喜び、コノハナノサクヤヒメに姉のイハナガヒメを添(そ)えて、さらに食べきれないほどの百取(ももとり)の机代(つくえしろ)の物を持たせて、ニニギの命に贈り奉(たてまつ)ったのである。

 しかし、その姉を見たニニギの命は驚いてしまった。まるで岩石のごつごつしたような肌が日に焼かれて染みだらけになったような醜さだったからである。後(のち)になって傷つけるよりと思ったニニギの命は、すなわちイハナガヒメを返し送り、ただその妹(いも)コノハナノサクヤヒメのみを留めて、一夜(ひとよ)の婚(まぐはひ)を成し遂げた。その肌は咲く花のごとくしなやかに、白肌(しらはだ)を仄かに染めて開く梅のような、そんな肢体(したい)を我(われ)の腕の中にさらす。可愛らしい。ニニギの命はすっかり幸せにひたりきってそのまま眠りに就いたが、その頃オホヤマツミの神は怒りの炎に焼き焦がされていた。イハナガヒメが飛礫(つぶて)のような涙を流すに任せて、とぼとぼ家に戻ってきたからである。何という恥辱(ちじょく)。その恥をそそぐべく、翌日ニニギの命を訪ねたのである。

「我が娘を二人並べて奉(たてまつ)りし故(ゆえ)は、イハナガヒメを使わさば、天つ神の御子の命は、雪降り風吹くとも、常に岩のごとくに、常永久(ときは)に強固(かきは)に動かずに居坐(いま)すが故に。又、コノハナノサクヤヒメを使わさば、木(こ)の花の栄ゆるがごとくに栄え居坐(いま)すと、うけひによりて占うがゆえに奉(たてまつ)りき。ここにイハナガヒメを返さしめて、ひとりコノハナノサクヤヒメを留めたからには、これにより天つ神の御子の御命(みいのち)は、木(こ)の花の甘いのみ、すなわち花の咲く間のみ居坐(いま)すことでしょう」

と睨み付けたのでニニギの命も驚いてしまった。もとよりニニギの命は天つ神であるからその御命は長く栄えしも、後の天皇命(すめらみこと)たちの御命長くあらざるは、この、うけひをひるがえした咎(とが)によるものであるという。

 肝を冷やしたのはこれだけではなかった。しばらくするとコノハナノサクヤヒメが参出(まいで)て申すには、
「私(わたし)は身ごもりました。天つ神の御子ですから、わたくしに生むわけにはまいりません。どうか皆に知らしめて下さい」
と言うのには驚いた。ニニギの命もまだ若かった。たちまちあらぬ疑惑が胸の中を駆け巡り、
「サクヤヒメ、ただ一夜にて妊(はら)める。これ我(わ)が子にはあらず。必ず他の国つ神の子に違いなし」
といって瞳を炎のようにして妻を睨め付けた。しかし妻は堂々としている。
「もし妊(はら)みし子が、国つ神の子であるならば、言葉を違(たが)えた咎(とが)により、産むことは叶わないでしょう。もし天つ神の御子ならば、すこやかに産まれるでしょう」
とほほえむと、さっそく戸のない八尋殿(やひろどの)を築き、その中に籠もり、土をもって入り口を塗り塞ぎて、産む時が迫れば、火をその殿(との)に点けて、炎の中に子を産み落としたのである。

 ここに、その火の盛(さか)り燃える時に生める子は、ホデリ(ほでり)の命、またの名をホアカリ(火明)の命。次に火の燃え進む時に生める子は、ホスセリ(火須勢理)の命。次に火の折り衰える時に生める子は、ホヲリ(火遠理)の命、またの名はアマツヒコヒコホホホデミ(天津日高日子穂穂手見)の命。三柱(みはしら)の神。このうちホデリの命は、隼人(はやと)の阿多(あた)の君(きみ)らの祖神(おやがみ)となったのである。

2009/秋頃

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