フィエンツェとヴェネツィア

[Topへ]

フィエンツェとヴェネツィア
   ―エルミタージュ美術館蔵イタリア美術展

開催期間ーーー1999/3/20~6/20
開催場所ーーー国立西洋美術館(上野)
趣旨ーーーロシア最大の美術館にして、豊富なルネサンス絵画を展示するエルミタージュ美術館から全面協力を得てお送りする、国立西洋美術館創立40周年記念企画の一つ。ルネサンス発祥のイタリアにあっても、もっとも洗練された文化都市だった2都市を追うことによって、古典古代の復興運動とは何だったのかをもう一度探ってみる展覧会。

冒頭解説を適当にまとめた落書

 封建制度からブルジョワ階級が、中世の価値観から人文主義(ウマニジモ、ヒューマニズム)が現れた。このラテン語の「フマーヌス(人間らしい、人間の)」に由来する言葉は、人間らしさを求めた古代ローマの芸術と結びつき、新しい流れへと至った。

 14世紀。イタリア語でトレチェントと呼ばれる時代は、プロト・ルネサンスと呼ばれることもある。絵画においては、プロローグはジョット(1266/67-1337)こそそれにあたる。

 長らく美術の根底にあった、ビザンティン様式の禁欲主義、抽象化、世界の構造の不可知性、彼岸への憬れ、といった中世の価値観は、彼によって可視世界という新たな価値観へと変わり始めた。

 とはいえ、彼の新しい様式は、以前の様式と結びつき、とりあえずは14世紀末の国際ゴシック様式の様相を呈した。けれども15世紀、クアトロチェントになると、初期ルネサンスの息吹はあらゆる美術分野に見られるようになっていく。

 そんな核心は、フラ・フィリッポ・リッピの作品にも見て取れる。15世紀も後半になると、フィレンツェでは工房というものが重要な役割を。そのひとつにアンドレア・ヴェロッキオの工房があり、そこにはボッティチェッリや、レオナルド・ダ・ヴィンチがいた。

 そして15世紀から16世紀への新たな転換期は、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)の活動に顕著に表れている。盛期ルネサンスへの移行は、彼の業績と結びついてもいる。理想的なものの選択と、平凡なものの排除が、さらなる高みへと昇っていった。

 やがて、ミケランジェロが1505年にローマに向かい、ラファエッロも1508年にフィレンツェを去るなど、16世紀に入るとイタリア美術の中心はローマへと移っておく。一方ヴェネツィアも、中部イタリアに後れてルネサンスが華開き、独自の発展を見せつつ、重要な中心地のひとつになっていく。そして盛期にはジョルジョーネ、ティツィアーノなどの優れた画家が活躍し、次世代のヴェロネーゼ、ティントレットなどに移っていく。

 マニエリスムは16世紀の初めの20年間に登場した。「ベッラ・マニエーラ(美しき様式)」という表現は、ヴァザーリの記述に登場し、彼は自分たちを「マニエーラ・モデルナ(現代的様式)」として、新時代を規定した。

 それは可視性や古代といったものが咀嚼された、ルネサンスの芸術をもとに、なかでもとりわけミケランジェロの美術といった、直接の先人の遺産を相続し、それに憧憬と追随の姿勢を見せつつも、同時に新しい様式を確立したと認識したようなもの。

 先人の延長線上の立場に立ちながら、かっかとして古典的な形式は形をゆがめ、主観主義、空想主義、誇張表現などの混入が際立ってくるのだった。

Ⅰ フィレンツェ、後期ゴシックから初期ルネサンスへ

 フィレンツェの画家であるジョットは、中世の枠に、空間の感覚と、対象物の立体感を持ち込んだ。この影響力は強かったが、それが新しい様式へと至るには、15世紀の初めを待たなければならなかった。

フラ・フィリッポ・リッピ(c1406-1469)

「聖アウグスティヌスの幻視」

Ⅱ ヴェネツィア、ビザンチン様式から初期ルネサンスへ

 ビザンツ帝国との関わりが強かったため、14世紀にはビザンティン絵画の影響が強かったものの、やがて後期ゴシックが流入し、さらに初期ルネサンスの波が流入し、15世紀半ば頃には華開き、15世紀後半には、重要なルネサンス芸術の中心地ともなった。(ようなことが解説に書かれていた。)

Ⅲ フィレンツェの盛期ルネサンス

 15世紀も後半になると、ダ・ヴィンチやミケランジェロなどの天才が現れて、実物らしさから一歩進んで、理想的な形を模索。古代の探究も進み、盛期ルネサンス様式とでも呼べるものへと昇華した。

ラファエッロ・サンティ(1483-1520)

「聖家族」(聖母子と鬚なしヨセフ)

・鬚のないヨセフはあまり例がないので、誰かの肖像画を兼ねているのでは無いかともされるが、赤外線で下絵を調べると、完成時の方が抽象化されているため、最終的には理想画であろうとか。

アンドレア・デル・サルト(1486-1531)

「聖家族と洗礼者聖ヨハネ」

・洗礼者ヨハネはこの時期のイタリア絵画で、幼いキリストの遊び相手の子供として描かれがちであるが、ここでは預言者も兼ねているとか。

Ⅳ ウェネツィアの盛期ルネサンス

 16世紀に入ると、ジョルジョーネ、ティツィアーノらによって、新時代の様式と、独自の色彩が華開いたとか。

ジョルジョーネ(1476/78-1510)

「風景のなかの聖母子」

ティツィアーノ(1488/90-1576)

「教皇パウルス3世の肖像」

・教皇80歳頃のもので、ヴァザーリ他大勢の芸術家の賞賛を得た肖像画とか。

「悔悛するマグダラのマリア」

・類似の構図でいくつもの絵画を残したとされるが、最後まで手元に残したこの作品こそもっとも優れたものであろうとか。

「十字架を背負うキリスト」

・後半生、ドラマティックな宗教主題への関心が高まるのは、対抗宗教改革による宗教画の確認などという社会側面の他に、自らの精神にも関係あるだろうと解説が。

Ⅴ フィレンツェのマニエリスム

 解説の開始部分に『1520年頃を境に、フィレンツェの絵画は「マニエリスム」と呼ばれる時代に入っていく。その際立った特徴は、すらりとしたプロポーション、凝りに凝った複雑なポーズ、修飾的な細部表現への強いこだわりなどである。』とあった。それから1532年の共和制の終焉なども。

ポントルモ(ヤコポ・カルッチ)(1494-1557)

「聖ヨセフと洗礼者聖ヨハネのいる聖母子」

・参考にしていると思われるラファエロの絵画と比較すると、安定した構図を踏み出そうとする意図が見て取れるとか解説されていた。

ロッソ・フィオレンティーノ(1494-1540)

「聖母子と天使たち」

・SFアニメチックなのか分らないが、絵の優秀さは不明だが、印象に残されてしまった絵画。

フランチェスコ・サルヴィアーティか?

「男の肖像」

・作者が完全には定まっていない肖像画。私は知人とこの絵画を「親愛なるおやっさん」と呼んでいた……ような気がする。

ジョルジョ・ヴァザーリ(1511-1574)

「ゲッセマネの祈り」

・「芸術家列伝」の作者として知られ、自身芸術家でもあったが、一流の批評家であるほどに、一流の芸術家ではなかった。などと、当時は失礼なことも考えていたような気がする。

Ⅵ ヴェネツィアの後期ルネサンス

 16世紀半ばになるとマニエリスムの影響が流入して、新時代のスタイルを生みなしたような、ティントレット、バッサーノ、ヴェロネーゼらであった。というような解説があった。

ヤコポ・ティントレット(1418-1594)

「洗礼者聖ヨハネの誕生」

・ひとつだけ思い出に紹介して終わり。実際は、最後のセクションに「Ⅶ ブロンズ像」というものがあったが、どうも彫刻には記憶が留まりにくいのがわたしの傾向のようで、何も覚えていない。

2018/11/09

[上層へ] [Topへ]