ベートーヴェン 交響曲第5番 概説

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成立(1808年)

 スケッチ自体は3番英雄と格闘をしていた1903年に1楽章と3楽章が現れてくるが、1806年にはヨゼフィーネとの色恋によってまろやかな心持ちになってきたので、5番は棚上げにして第4番が急に仕立て上げられたというおきまりの伝説も残っている。1806から1807年の初めにかけてほぼスケッチが出来上がっていたとはいえ、集中的に完成に向かったのは1807年のハ長調ミサを仕上げた後、第6番と共に1807年の後半から翌年1808年の前半に完成作品となった。初演時は一瞬だけ早く仕上げられた「田園」交響曲のほうが5番になっていたのだが、出版の時に逆になり今日の順番に転げてしまった。これは日本人にとっては大きな出来事である。なぜなら、この曲が大和の民に受け入れられた真に理由は、「第5」と言う名前が、天皇の名前となるほど尊い響きであることが関係しているからである。このことはおそらく疑いない。
 初演は1808年12/22のベートーヴェン自作演奏会、超巨大プログラム版で、何もかもが滅茶苦茶の内に幕を閉じた。翌年ライプツィヒで2回目の演奏は成功を収め、1810年には同ライプツィヒの「総合音楽新聞」において、ロマン派への道を文章によって切り開いたエルンスト・テーオドル・アマデウス・ホフマンがベートーヴェン論を展開、第5番をみごとに分析してしまった。その時すでに第5番伝説は始まっていたのである。
 ところで、お優しすぎる日本人が病のように愛する「運命」と言うタイトルは、ベートーヴェンの秘書を務めたアントン・シンドラーが作り上げたいつもの誇大妄想的逸話が元になっている恐れがある。シンドラーは「ベートーヴェンは私に、第5の冒頭のように運命は戸を叩くのだ」と説明したと言い張るが、真の前後関係が有耶無耶にされてはいないだろうか。この交響曲がもともとオッパースドルフ伯爵(またはオッペルスドルフ)に献呈するべきだったものを、鞍替えしてロプコヴィッツ公とラズモフスキー伯に捧げてしまったことから推測するに、怒り来るオッパースドルフ伯爵がベートーヴェンの部屋のドアを激しく叩くリズムがちょうど第5番のリズムだったので、慌てふためいたベートーヴェンが「運命が扉を叩いているリズムだ!」と叫んだのが事の始まりなのかもしれない。この逸話を元にするなら、「オッパースドルフが戸を叩く」になるわけだから、交響曲第5番「オッパースドルフ(オッペルスドフル)」が最適の名前かもしれない。
 制作動機として、1807年のプロイセン解体と一部地域フランス割譲のティルジット条約に対して、ドイツ国内で愛国主義運動が高まっていたのと関係があるとも言われる。作曲様式的には、1809年以降ベートーヴェンの作曲様式が変化するので、交響曲5番と6番は中期と一般に呼ばれる時期の様式の最終回答であるとも言える。曲の特徴としては、初めの動機がすべてを規定しつつ、悲劇から勝利へ至る一連のプロセスが徹底的に無駄を排除し凝縮された作曲方法でなされている点がまず上げられる。勝利に至る概念を表すため、必然的に最終楽章に目的を持って直進する楽曲の作りは、第1楽章ではなく最終楽章に一番のウェイトが掛かることになった。これはベートーヴェン自身の第3番交響曲ですでに見られる傾向だが、交響曲でここまでダイレクトに最終楽章に向かってしまう作品は前代未聞だった。きっと大王も自分自身の作曲理念に衝撃を受けたに違いない。「すごいじゃないか、ルイ!」ここから推察すると、この交響曲は「勝利」交響曲と名付けた方が、基本的なコンセプトをよく表しているかもしれない。なお、これに関係して、最終楽章に入って初めて、ピッコロ、トロンボーン、コントラファゴットという自身交響曲で初めて使う定番ではない楽器が演奏されることになった。これらの楽器の使用は、ゴセックやメユールなどのフランス革命音楽から影響を受けたのかもしれない。

冒頭動機について

スコアに載っていた類似の先例- ヨーハン・シュターミッツ、ムツィオ・クレメンティ(1746-1832)、平均律2巻ニ長調のフーガ主題って・・・この羅列は全然意味ねえじゃんか。あんな単純な動機捜せば幾らでも出てくるって。問題は動機の扱いであって、動機そのものの起源はこの動機に関しては、ほとんど無意味だ。

初演と出版

・1808年12月に自作の演奏会を開くが、あまりの曲の量とリハーサルの不備か、大コンチェルトに終わった。1809年4月にライプツィヒ、ブライトコプフ・ウント・ヘルテル社からパート譜が。1826年になって初めて総譜がヘルテル社から。

献呈

・第4交響曲を献呈したオッパースドルフ伯爵に献呈すべき所を、パート譜献呈名は意気揚々とロプコヴィッツ候とラズモフスキー伯の名前を書き連ねた。オッパースドルフ伯爵は払ってしまった前金の腹いせに運命のリズムで毎晩ベートーヴェンの部屋の扉を叩いてみた。(嘘)

楽器編成

ピッコロ1(最終楽章だけ)、フルート2、クラリネット2、ファゴット2、コントラファゴット1(最終楽章だけ)、ホルン2、トランペット2、トロンボーン3(最終楽章だけ)、ティンパニ、弦5部
→ピッコロ、コントラファゴット、トロンボーンの使用はかなり革新的か。

概説

<<<1楽章第1主題>>>
<<<1楽章第2主題>>>

 初めの冒頭動機Aに内包される悲劇性が4楽章を通じて解消され勝利に至るプロセスが第5番のプロットになっている。従って悲劇の提示に当たる第1楽章では、単一動機Aから派生した楽曲を作ること自体が目的になって、それが第1楽章の自立的な悲劇性を高めている。それに対して2楽章以下、特に3,4楽章では、他の楽章との前後関係においてより自己が確定されるような作劇法的な要素が取り入れられている。
 したがって、第1楽章では動機Aで作曲することと、嵐のような悲劇的楽章を作曲することは完全に同一で、どちらも共に最終目的である。しかし、後の楽章においては、動機Aは最終楽章の勝利へのドラマを演出するための最重要手段(つまり動機Aで作曲することそれ自体が曲の自立的目的ではない)に置き換えられている。実際、最終楽章の第1主題は、Aとリズム的にも上行下降も対照的になっていて、曲全体の属性を規定する上では完全にAと対等の存在になっている。もしかしたら、この曲を冒頭動機Aがすべてを規定している交響曲と言っただけでは、何も語っていないのと同じ事なのかもしれない。
 もちろん最終楽章の第2主題ではAAAのリズムが使用されているし、最終楽章再現部の前では第3楽章からの引用として、冒頭動機Aが回顧される。しかし、この回顧は完全にドラマの組み立てのために使用されているし、他の場合最終楽章は冒頭動機Aの束縛から出来るだけ離れることが作曲のプロットになっている。最後の壮大なハ長調コーダはまさにその解放の完成を意味しているのかもしれない。

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