ベートーヴェン 交響曲第8番 第4楽章

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第4楽章

Allegro vivace
F dur、2/2

概説

・数多くの仕掛け花火が次から次に炸裂し続けるこの楽章では、作曲者の仕掛けを大きく拍の仕掛け、調性の仕掛け、様式の仕掛けとして捕らえて考えてみたい心持ちがして来た。この3つの仕掛けのパターンが聴衆に三位一体攻撃をしかける時、どうして私達は大人しく眠りこけて居られようか。いいや、つい興奮して立ち上がるに違いないよ。(反語)

提示部(1-90)

第1主題A提示部分(1-47)

第1主題A(1-10)F durと確保(11-18)C dur
<<<確認のためだけの下手なmp3>>>
・[pp]による2拍目アウフタクトの(A)の3連符による同音連打6回に続いて、直ちに第2楽章で活躍した(タタタン)のリズム動機で(A-B-G)が3回繰り返されて第1主題が開始。ここまでが楽曲を細かく分割した時の最小楽句になる。ここで同音3連符型+次の頭までの(A×7つ)を動機X、タタタン(A-B-G)を動機Y、さらに2つが繋がった形をXYとしておこう。この楽句が2度上でもう一度繰り返され主題前半が終わると、続いて4分音符を主体とするスタッカートの順次進行で主題後半が前半部分に対比されて主題を終える。この後半部分の付点音符を織り交ぜた初めの(F-E-E-D)を、動機Zとしておこう。その後11小節目からは主題の確保が続くが、これは始め動機XYによって、やがてそれが動機YだけになりPPPに音量を落とすと、動機Yの提示も休符を挟んで途切れがちになり次の第1主題A繰り返しに向けて一時終息する。
・さて、この第1主題部分は、音楽と強拍点が一致していないきわめて興味深い作曲がなされている。つまり、譜面上は2拍目の弱拍のアウフタクトから開始されるのだが、実際に聞いていると、開始部分がアウフタクトで(A)の3連符6回連打の後(A-B-G)が3回繰り返される2小節目の1拍目までの、2分音符で4拍分が一つの単位になって、1拍分ずれた状態のまま、普通の2拍子型の曲が2小節単位で曲を進行させるのと同じように、綺麗に拍が裏返って曲が進行するように作曲がなされている。それは何度か主題を口ずさんでみれば説明するよりも簡単に分るはずだが、旋律のまま歌うと自然と2拍目が拍の頭になるはずだ。幾つか具体的に上げれば、まずヴァイオリンだけで開始される動機XYの作りを見てみよう。早い8分音符3連符の同音連打の到達音は、小節線を挟んで、ごく短いフレーズ終止的逸音を伴った8分音符を経て、4分音符の(G)であり、同時に音価速度を落として同音反復後のA音に対して2度下降して終わるために、この1小節前半までが一つの纏まりとして感じられる。さらに動機Yが続いてもう2回繰り返されるが、1回目はヴィオラで、2回目はフルートとオーボエで補強される。ここまで纏めて改めて譜面を見れば、始めにヴァイオリンだけで開始された動機Xが動機Yで(G)に止められ、その動機Yがまず弦楽器で、続いて管楽器で補強され提示される。つまり拍を1拍ずらせば、綺麗に2小節を単位とした2拍子型の最小楽句単位になるわけだ。続いて、ここまでが2度上でもう一度繰り返されるが、その後現われる4分音符を主体とする部分も、本当の動機は4小節後半から開始して5小節前半に終わる(F-E-E-D)である。これは先ほど動機Zと命名しておいたものだが、執拗に確認しておけば、これは旋律下行4音であり、一旦付点4分音符の(タッタ)のリズムを経て(F)から(E)に至り(実際はスタッカートと休符によってだが)、さらに5小節目の頭で(E)が倚音としてもう一度確認されると次ぎに解決して(D)の音に到達する。この一連の行為が裏拍である2拍目を拍の頭に感じさせるというわけだ。こうして第1主題部分は一貫して譜面上の2拍目が実際の1拍目として作曲されている。一方改めて書き記せば、大きくは4/2を一つの纏まりとして聞くことが出来るが、これは通常の2/2拍子型でよく行われるもので、2分音符2つでの拍構成を変えるものではなく、前半と後半の1小節分ずつが2小節をひとまとまりとした安定した拍子感を出している。この1拍ずれた2/2拍子の均衡が第2主題に入る部分で本来の1小節目を開始とする拍に戻り、導入を際だたせる効果を出しているが、この拍のずれはそれが第1目的だったわけではない。
・私達が拍を感じるのは、強弱によって起こるだけではない、楽曲における拍の知覚は、先ほど見たように旋律型とフレージングやリズムなどによって総合的に行われるものだ。この第1主題部分を弱拍から開始する理由はただ一つ、この強弱による拍のリズムと旋律などから受ける拍のリズムを故意にずらすことによって、軽快でおどけたようなユニークなこの楽章の雰囲気を形成するためにある。ごく簡単に言ってしまえば、この第1主題部分は普通の2拍子が(強ー弱)の連続で形成されるのに対して、(弱ー強)の連続で形成されるが、作曲法によって常に(弱)の部分が1拍目に感じられるように1拍前にずらして作曲がなされているのである。さらにずれた旋律型に対して、伴奏型が普通に小節の頭を1拍目とするようなフレージングを行ったり、別の声部が本来の拍子に基づく旋律で加わると、それは拍の揺らぎとして非常に面白い効果を発揮する。私達は開始の部分からベートーヴェンの作曲トリックに心地よく足を踏み入れることになるわけだ。そしてこの仕掛けは4楽章内を通じて次々に炸裂することになる。このユニークな拍のトリックを「拍の仕掛け」と命名しておこう。
・一方和声を見てみると、主題後半の4分音符スタッカートの部分で1転和音の連続を平行に移動させたⅥ→Ⅴ→Ⅳ→Ⅲ→Ⅱ→Ⅱの属7和音(ここは3転だがこの時代はむしろⅦの和音という考えなので実はⅦの1転)→Ⅱ→Ⅲ→Ⅳ→Ⅴの各1転の連続による非機能和声的平行進行が見られ、この主題の軽快さと色調に大きく貢献しているのも見逃せない。こうした平行進行はすでに第1楽章でも見られたが、このような和音のスライドや、本来のセオリーとは異なる主題提示の調性、期待を故意に裏切る転調方法など、この第4楽章には調性上のトリックも満載されている。これを「調性の仕掛け」と命名しておく。

第1主題A繰り返し(19-28)F dur

・弦楽器主体の提示がPPPで終わったのに対して、いきなり管弦共に1小節間(Cis)の音を延ばすと、ここでも調性の仕掛けによって、まるで(d moll)に転調するかのように(C)が半音上行しながら、次の主題では元の(C)音に戻る。まるでやっぱり止めます、とでも言うかのようだ。結局は(F dur)のままffで管弦総奏によって主題が繰り返される。

第2主題への推移(29-47)F dur→C dur

・弦楽器が動機Xと動機XYを繰り返しながら、ベースに4分音符スタッカートの下行跳躍動機が現れ、推移動機として機能、やがて管楽器にも引き継がれ、41小節目からは同時に反行形も使用されて第2主題に入るが、前に見たように1拍ずれて登場したような効果を持って第2主題が現れる。しかも(C dur)の属和音から、同主短調の6度調に転調する形で、いきなり(F dur)に対する遠隔調の(As dur)で第2主題が提示され、この部分は拍の仕掛けと調性の仕掛けが共に打ち上げられて夜空を照らす。(?)

第2主題B提示部分(48-67)As dur→C dur

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・さらに拍の仕掛けはまだ終わらない。先ほど第1主題で1拍ずれた形で2小節が1つのペアとなって曲が形作られていたのを見たが、ここでは拍が戻されると同時に、今度は倍の4小節がひとまとまりになったような旋律によって第2主題Bを提示、拍単位が変化したような効果を持たせながら、リズミカルで活発な第1主題に対してレガートによる息の長いなめらかな旋律を提示する。ここでも前半1小節と後半1小節でひとまとまりの2拍が2つ合わさって4小節を形成するような2拍子型がはっきり感じられ、まるでプロポルツィオ記号によって1拍単位の音価が変更されて倍の長さになったような効果を出している。実際はヴァイオリンとビオラの伴奏の同音3連符伴奏で動機X的なリズム要素は明確に保たれているが、長く音価の長い主旋律の方が遙かに引き立ち、一瞬リズムの重力から無重力地帯に放り出されたかのような、新鮮な印象を与える。この第2主題が始め弦で提示され、その後本来第2主題が提示されるべき(C dur)に戻ると(第1楽章と同じ遣り方)、続いて管楽器で繰り返され、繰り返しにあわせて伴奏の3連符が分散和音化して発展を見せ、そのまま提示部終始に突入する。

提示部終始部分(68-90)C dur→F dur

・シンコペーションを特徴とする新しいリズムパターンと共に終止旋律が現れ、その前半4小節の旋律型が後半4小節で4分音符のスタッカート型に変奏した8小節をひとまとまりとして、この8小節が変化を付けてもう一度繰り返され[piu f]に到達。管弦和音総奏の下でベースが4分音符の跳躍分散和音を打ち鳴らし[ff]に到達して提示部を終える。
・この終止部分に入ったところで、拍子感がさらに変更され、ここに来て本来の強拍的2/2本来の拍で把握される部分に到達。しかも、始めの終止旋律の提示では、弦の伴奏型が第2主題後半から引き続いて3連符の伴奏を継続して、プロポルツィオ記号の変化をぼかして、その伴奏型の消える76小節あたりから、漸く完全に本来の2/2拍子が現われるようなトリックが仕掛けられている。このように提示部だけで3回、拍が変化して聞こえるというユニークであり興味深い拍子のトリックがなされている。

展開部1(91-157)

主題Aの再現(91-109)F dur

・しかし、仕掛け花火のパターンはもう1種類準備されていた。本来展開部が開始して、主題から取られた動機が変化して使用されるなり、主題原型が大きく変化して展開されて登場するのがセオリーである導入に置いて、調性まで開始と同一の第1主題が再現して、リピートで提示部に再起したかのような、それともロンドー形式で主題が繰り返されたかのような効果を演出。しかしその後の展開から、この部分はやはり展開部であったを思い知ることになる。こうして作曲者は仕掛けの3つ目、「様式の仕掛け」を遂に織り交ぜて、展開部から三位一体攻撃をしかける積もりらしい。
・弦楽器で交互に3回休符を挟んで動機Xを提示、第1主題の再現に向けた同一動機による導入を図ると同時に、再び拍を2拍目を頭とする弱ー強拍に持っていくと、主題Aが再現されるが、主題後半の4分音符のスタッカートによる(B-A-G-Fis-G-A-B)の部分に到達すると、終止に向かわずそのフレーズをもう2回繰り返して強調と推移に置き換え、主題A後半部分動機Zによる展開部分に突入していく。

動機Zに基づく展開1(110-119)F dur→D dur

・フルート、ヴァイオリン、チェロが動機Zを繰り返す中、動機Zのファゴットと動機Zの反行形のオーボエがペアになって合いの手を入れるような展開。F durからD durに転調し、次の連続転調を含むもっとも展開的な部分に入っていく。

動機Zに基づく展開2(120-143)

・135小節までの前半では、弦楽器で動機Zと反行形が同時に繰り返される2声部に対して、さらに別の弦楽器が全音符を2つスラーで繋げた2小節分の音符で、跳躍上行する対旋律として絡みあう喜遊句部分の提示的部分を形作る。しかもこの対旋律の後に動機Zが続くので、対位法のテーマとしてこの対旋律と動機Zが合わさっている側面も合わせ持つ。その後対位の密度が高まり対旋律の2分音符2つ分が2つの長い旋律が、2分の1の2分音符2つに圧縮され同時にはっきりと聞こえる動機として機能するストレット的な後半が続き第1展開部のクライマックスを築く。特に後半部分で顕著に感じられるが、この長い音符の対旋律は、動機Zが裏拍を1拍目として形作られているのに対して、元々の小節頭を1拍目としていて、拍の認知同士が絡み合って感じられるという非常にユニークな作曲法になっているが、これは対位法技法でも最高の賛辞「国のノモス作れるならば」を与えられるほどの禁断の技である。拍の仕掛けもまたこの部分で展開されているとでも言っておこうか。またここでは調性も激しく変更し、細かく分けて書き表してみると、すでに展開1で転調したD durから→g moll→C dur→F dur→B dur→a moll→A dur→d moll→C dur→a moll→C durと大きく調性が不安定になり、次々に移り変わる。この部分全体は、改めてもう一度細かく作曲方法を検討するだけの価値を持つのですが、皆さむスコア片手に、各自勝手によろしくお願いします。

再現部に向けた推移(144-161)→a moll→A dur→F dur

・先ほどの対位法でのテーマ的な部分の冒頭の短くされた2分音符2つ分2つが、さらに2分音符が2つに短縮されて、動機Zの部分を4分音符で推移的に置き換えたもので推移を築くと、完全に小節の頭が1拍目に移るが、(A dur)の保続5音に到達し同型を繰り返している内に拍が不明瞭になってきて、やがて上声で裏拍を1拍目とする第1主題Aが(A dur)の保続5音上で開始してしまう。すでに誤って(F dur)から遠く離れた調性で再現部に向けた保続音の持続を始めてしまった上に、主和音に解決もせずに保続5音上に主題が開始してしまうこの部分で、またしてもベートーヴェンのユニークなトリックが炸裂。つい間違った調性で出発してしまった、あるいは主調に戻る前につい勢いあまって出発してしまった第1主題が、間違いに気が付いて保属5音のユニゾンオクターヴ連打を残して引っ込むと、どうにも解決が付かなくなって最後の手段に打って出た。
・こうなったらと居直って、ユニゾン(E)音がそのまま(F)の音に移行、あまりにも唐突で(E)音は(F dur)の導音としての準備がまるで出来ていないので、いきなり、(A dur)が(F dur)に変化したような驚きの効果を演出している。転調としてはここでも遠隔調の3度関係になっていることもついでに指摘しておこう。

再現部1(162-266)

第1主題再現1部分(162-223)F dur

・管楽器が大きく加わり変化を付けて第1主題Aが再現される。続く推移も(C dur)に転調せず(F dur)を維持し、小節数も大きく拡大するなど変化を見せるが、細かい点は善意の人々にお任せしましょう。

第2主題再現1部分と終始(224-266)Des dur→F dur→B dur

・提示部で第2主題が本来の属調(C dur)に対して同主短調の6度調で開始したのと同様、(F dur)に対して(Des dur)で第2主題Bが開始されるが、もちろん提示部同様この部分で拍のパターンが変化して聞こえてくる。
・主題の繰り返しが本来の調(F dur)で行われると、終止部分に入り拍が変化。提示部と同様に推移し、最後に(B dur)に転調する。

展開部2(266-354)

・再現部が終わりいよいよコーダに向かうと気を緩めた途端にベートーヴェンがまたしても様式上の罠を仕掛けた。つまり始めコーダだと思って聞いているとやがて再度主題再現が繰り返され、しまった!第2の展開部だったのだと驚きあわててちゃぶ台をひっくり返すという遣り口だ。(・・・何か、違う気がするのだが、疲れのせいか急にテンションが。・・・writer's highかな?)
・展開部2は展開部1をベースに作成されていて、より拡大させた構成であり、容易に展開部1と同族の部分であることが把握できる。同時に主題再現に向けたクライマックスの形成が、まさに展開部から主題が再現することを期待させるような作曲法になっているため、再び展開部に入り込んだような、しかしそのまま大円団を迎えてもおかしくないような絶妙な存在感を持って居座っている。やがて主題が完全に再現される時、この部分が第2の展開部のようなコーダなのではなく、まさに第2の展開部だったことが判明するのです。

主題Aの再現(267-282)F dur→C dur→d moll

・再現部1の最後で(B dur)に転調すると、展開部1と同様のやり方で、B durに主題Aが登場し、幾分違うやり方で対位法的な部分に移る。(・・・いや、これ以上書いていると先に進まないし。)

動機Zに基づく展開(283-355)

・283小節から始まる対位法的部分は、主題Aの動機Zを含む部分が元になった2分音符の旋律をテーマとして提示し、対旋律的に動機Xの同音連打が絡み合う部分で開始する。この息の長い旋律は、スタッカートと細かい音符を主体とする楽曲の中で、珍しいくらいの旋律ラインを形成し、その意味で第2主題を思い起こさせる。一方拍子は展開部1のように裏拍的ではなく、この対位法的部分の開始前の2回のフェルマータで、直前の裏拍的主題Aの拍子感が精算され、本来の小節頭1拍目に戻っている。

・展開部1と同様に途中299小節からテーマが反行型と共に同時進行してさらに対旋律である動機Xを交えて絡み合う部分が開始、展開部と同様の場所で次々に転調を重ね、再現部に向かって流れていく。しばらく推移すると、やがてテーマのスラー旋律が2分音符のスタッカートに変化、旋律の横の流れよりも次第に和音的な縦の関係が強くなっていく。また、展開1と同様に転調が連続的になされるが、今度は調性は一々書かないで通り過ぎましょう。

・314小節に到達すると、対位法的な横の関係から、完全に和弦的な縦の関係に比重が移り、全声部がテーマの2分音符スタッカートのリズムか、対旋律の動機Xを2倍の長さにした3連符による同音反復のリズム動機かを演奏する展開部2のクライマックスに到達。336小節からは、テーマの長さがさらに4分音符で半分の長さにされ躍動感と音楽密度を高め、再度の主題A提示に到達する。

・ここでも展開部1と同じように先走って(D dur)の属音上で開始してしまい、改めて(F dur)で仕切直してを入れて再現部2に到達。

再現部2(356-437)

・しかしただの再現部ではなかった、第2の展開部的なコーダの意味合いを幾分込めた、発展的な再現部であることが重要である。

第1主題再現部2(356-407)

第2主題再現部2(408-437)

・改めて(F dur)による第1主題Aが現れ、再現部が再度登場した心地よい驚きに身を任せていた耳は、息を付くまもなく今度は第1主題Aの繰り返しが(fis moll)で登場するという更なる仕掛けにまんまと引っかかり、はっと思っているうちに、主題後半部分が4分音符のスタッカートの連続としてそのまま推移動機に変えられた、これまでとは異なる推移に到達。しかもこの4分音符のスタッカートの連続の内にいつの間にか拍が、裏拍から本来の拍に戻るという新たな衝撃が加わる。それと同時に(F dur)に帰って行く調性上の事件も加わって、耳を立て直す暇もなく推移部が展開部のような連続転調を開始して長く伸ばされる。そして調性の色が次々に替わって耳がチカチカしているうちに、第2主題がゆとりを持って拍を2倍にしたような効果と共に登場。あまりの仕掛け花火の連続に、なまじ曲を知り尽くしている作曲者自身が見事に引っかかり、我慢出来なくなって「うおっ、わおっ」と立ち上がってしまったが、安易な聴衆にはこうした純音楽的事象のもたらす絶大な策略は見分けが付かず、むしろ見てくれのドラマ性満載の7番ばかりを讃えてしまったので、ぴょこたん飛び跳ねたばかりに体裁の付かなくなった作曲者はひどく狼狽かつ憤慨して、何故この緻密な職人技が理解できないのかと叫んだと言うが、私たちは幸い何度も何度も曲を聞くことが出来るわけですから、ドラマ性はともかくとして、作曲技法の職人技の緻密さや、純粋な楽曲としての完成度の高さにおいて、8番の方が「はるかに優れている。」と言い切ることが出来るわけです。たとえその後に「しかしながら、7番にはそれ以上に。」など言葉を続けることになったとしてもね。
・ここまで至って、逆説的に第2主題は何のトリックもない本来の調性(F dur) で2回繰り返され、終止部分の替わりに、ついに曲を締め括るコーダに到達。

コーダ(438-502)

・何度も現れた主役の第1主題を讃えるべく、第1主題の素材、とりわけ動機XYを活躍させながら快活でユーモアを持った4楽章を讃えるように曲を終える。このコーダ自身ももっと詳しく見るべきものが沢山あるが、今回はこれまでにいたしましょう。
・・・なんか、別の日に書き足した文体が、それぞれ別の調子を出して、不可思議な楽曲解析になっている気が・・・・まあ、いつものことか。

2004/10/21
2004/10/23改訂

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