ベートーヴェン 交響曲第9番 ニ短調後半

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前回までのあらすじ

 ベートーヴェンの繰り出すソナータアレグロ形式カイアズマス風味の絶妙な調べにセイレーンの鳴き声を聞きつけ引きずり込まれた隊員達は、自らを船のマストに括り付けつつ確信に近づくという荒技に打って出た、果たして隊員達は無事歌声を堪能しつつ精神を失わずに第2楽章まで辿り着くことが出来るのか、はたまた悉くその調べに飲み込まれ、二度と現世に戻ること叶わぬのか。・・・そして遂に確信部分が姿を表わした。じゃじゃじゃーん。(・・・遊びすぎだ。)

展開部(160-300)

 こうして、流動的変遷を繰り返しながら、楽句構成としては第2主題まで派生した楽曲が、終止旋律部分で第1主題の楽句部分に向かって、楽句を逆に遡(さかのぼ)るカイアズマスの楽曲構成を使用しつつ、最後に異なる様相の分散和音型に辿り着いたのが提示部の構成になっていた。これに対して展開部は、クライマックスである再現部冒頭に向けて、常に前進するようにより方向性を持って作曲されている点が、提示部と大きく異なっていて、激しく流動しつつも混沌としていた渦のようなものが、次第にクライマックスに向けて一つのうねりとなって流れ出すのが展開部だと云える。

展開部主題提示的部分(160-217)

第1主題派生部分に基づく展開部分(160-187)d moll→g moll

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・カイアズマスの延長を兼ねて、第1主題中心主題の分散和音型をさらに遡った冒頭部分、つまり再び(d moll)の空5度がピアニッシモで提示される場面が登場し、旋律が次第に形成され再び主題旋律が誕生するというプロセスが再現される。しかし、非常に不可思議な響きを見せるトランペットとティンパニーが短音で加わる部分など、提示とは異なる様相を見せ、(170)小節の2拍目で、その不可思議な響きと共に(g moll)の属和音の3音(fis)が登場。早くも空5度に対して調性世界に足を踏み込みながら、(178)小節で(g moll)のⅠ和音に到達する。それと同時に、管楽器がこの後に登場する展開部主題の新たな形成を求めて、第1主題中心主題の分散和音下行型を使用しながら長い旋律的フレーズを模索し始め、弦楽器2音による旋律断片的模索に取って代わると、ヴァイオリンが裏拍伴奏(弱拍部)に分散和音上行型を持ち込み、圧倒的な下降指向の提示であった提示部導入とは異なった旋律を模索していることが、次第に明らかになってくる。それはまるで、第1主題中心主題が提示部最後で見せた分散和音、つまり上行型の精神に変化を遂げた事が原因となって、さらに展開部で新たな主題を獲得するようだ。

第1主題中心主題に基づく展開部主題部分(188-197)g moll

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・こうしたプロセスを経て、第1主題中心主題に対応して登場する展開部主題(188-197)は、提示部最後に主題に組み込まれたリズム動機R2を含んでいるため、全声部のユニゾン的である代わりに、前半に拍をずらせたカノン的リズムのずれをベースラインに織り込んだ、提示部終止のパターンを踏襲している。その一方で旋律の形は、跳躍上行しては下の音からまた上行を試みるという、絶えず上行を夢見つつも下行していく音型で形成され、提示部開始の主題、さらに提示部最後の分散和音とは、また違った様相を見せている。しかも提示部では主和音上で行なわれていた分散和音が、ここでは(g moll)の属9和音上で繰り広げられ、この上行下行乱れる属和音による強烈な分散和音が、フォルテッシモで4小節(188-191)を形成すると、分散和音の終わりと共に(g moll)主和音に解決して、動機wの前半だけを連続使用した同型反復2小節と、その対リズムによる対旋律での管楽器の掛け合いがピアノで4小節行なわれる。この時動機w前半に基づく同型反復2回の動機が展開部動機となって、元々の動機wの精神をそのまま含みながら、展開部後半の展開で使用されることになるだろう。そしてその展開部動機最後付近でリタルダントすると、再び(a tempo)で和音の刻みを2小節に4回入れつつカデンツを形成する。この(196-197)までが、第1主題中心主題に対応して展開部冒頭に生まれた、展開部主題部分になる。もちろんその最後の和音の刻みは、ちょうど第1主題中心主題が主題後半部分に移行するときに見せた、和声的部分を下行型に置き換えることによって作曲されているわけだ。

展開部主題的部分繰り返し(198-217)g moll→c moll

・この展開部主題的部分の提示をもう一度繰り返すのだが、展開部最初からの繰り返しではなく、(g moll)の主和音に到達した(179)小節からの繰り返しになる。つまり今度は、弦楽器と管楽器が交互に第1主題中心主題である分散和音下降音型によって、展開部主題部分を模索しながら(c moll)に移行させ、(206)小節から(c moll)で展開部主題が再現する。そして分散和音とその後の動機w前半に基づく展開部動機繰り返しまで終わり、最後の和声的部分まで到達すると、これがさらに2小節拡大されつつ接続楽句となって、いよいよ展開部の中心を形成する、フゲッタ風対位法部分に突入する。

動機wに基づく展開部分(218-286)

動機wに基づくフゲッタ風対位法による部分(218-252)

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・これ以降の部分は、クライマックスである再現部冒頭に向けて活動を開始する動機wを中心として、展開されていくことになる。まずファゴットとベースで提示されるフゲッタ風部分の主題は、第1主題の動機w部分により形成され、動機w後半の8分音符分散和音音型を3小節に拡大し、これをシンコペーションリズムで繋ぎ合わせたものを中心としていて、さらに主題最後に動機xの順次下降型を加えたもので形成される。それに対して、第2ヴァイオリンで提示される16分音符の対主題は、第1主題における旋律的部分を形成する動機xから動機y辺りの精神で、始め順次下降型で続いて水平的に形成されている。さらに始め第1ヴァイオリンとフルートで提示されるオクターヴ上下動機は主題前上下運動動機に由来する動機x部分の伴奏型と、第1主題最後のシンコペーション和声部分のシンコペーションを織り込んで作曲されている。つまりこの絡み合う3つの要素はどれもが第1主題動機に由来していて、最も重要なのは主題である動機wに基づく音型であることが分かる。そしてこの3つの声部が楽器を入れ替えながら順次提示される部分が、ちょうどフーガの主題提示部分のように順に提示される部分が(218-235)となる。
・その後にフーガ風主題冒頭を導入しつつ、フーガ風主題2小節目の8分音符の分散和音的動機を、もっぱらヴァイオリンとフルート、ファゴットに置き、それに対応する16分音符対主題をヴィオラと弦楽器ベースに置いて、他の声部にシンコペーション的伴奏フレーズを当てはめ、つまりフゲッタ風主題の2小節以下の音型をひたすら継続使用して推移する長い中間部分(236-252)が続き、これはフーガ的解析から見ると次の主題までの喜遊句的部分になっているが、すべての声部の音型が固定され普通の楽句推移部分を形成し、続く動機xの前半を使った次の部分に推移する。しかもこの部分では、トランペットとティンパニーにリズム動機R2の断片が登場し、これが継続的に使用されている。こうしてこの部分は第1主題中心主題の動機wを中心に置き展開を行ないながら、第1主題の各動機リズムなどによって膨大な展開部分を形成している。
・この同型反復的な動機wに基づく展開部分の持続は、それ自身驚異的な長さを占めている。そして展開部が進むにつれて、次第に跳躍8分音符4音の音程幅が拡大して、オクターヴを越えるなど発展しながら進行するが、その最後の部分に至りようやく強固な持続が解体され始め、8分音符の動きが次の旋律を模索するように幾分旋律的に動き出すと、途切れることなく次の部分へ移行していく。

やはり動機w前半に基づく部分(253-274)

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・音量をピアノに落として、久しぶりに動機wの前半1小節が回帰すると、この動機w前半を2回連続使用する連結動機による部分へ移行。これは動機w前半が2回繋がって同音保続的動機に変化した上、その最後の音が跳躍上行ではなく2度下行か同音に進行し、第1主題での水平的部分を形成した動機yの楽句精神(動機自体は使用されていない)が混入しているようだ。ここではリズム動機R2は見られないが、代りに動機w前半部分がもつ8分音符3音順次下降の特徴的な音型に対して、8分音符3音順次上行音型が対位され、リズム的にこの部分の主要動機と応答関係を築くため、精神的には言ってみればリズム動機R2の代用として、この部分でのリズム応答を行なっているものとも解釈が出来る。ただしこれは、こじ付けがましい解釈だから、単に展開の次の段階としておいた方が良いかも知れない。
・この繰り返しが続く間に、やがて動機wの前半フレーズは遂に半ば独立的な展開部の楽句に到達し、短いながらも非常に印象的な管楽器の16分音符連続使用の情景を提示する(267-270)。この部分は和声進行に置いてもそれまでの流れから、一瞬(C dur)領域に移行し、しかもサブドミナント和声であるⅡ、Ⅳを機能和声のオーソドックスな進行から外れた形でも使用し、不意に空に放り上げられて豊かな和声の色彩をしばし彷徨った後戻ってくるような効果を出している。この印象深い楽句がターニングポイントとなって、その後4小節再び動機w前半に基づくフレーズが回帰すると、楽曲は第2主題中心主題を使用した次の部分に移行する。これはあたかも、提示部の第2主題直前の場面で、第1主題の繰り返し部分が動機y部分に基づきながらも新しい(B dur)領域の豊かな旋律線に到達した(74-79)の部分を経由して、第2主題が導かれたのと同じような効果を持つ。つまり推移発展的な第1主題領域途中から第2主題領域に変化するための魅惑のターニングポイントを形成し、第2主題側から見ると、かつて提示部の第2主題直前の束の間の旋律が、ここではさらに流動化を高め、直前の動機w前半のまま休む事なき連続16分音符に基づく魅力的な場面を提示し、第2主題への導入としていると見ることが出来る。また、この4小節に伸ばされた順次進行的に下降するパッセージは、第1主題最後の動機z部分の精神が込められているようにも捕らえることが出来るだろう。そしてこのパッセージは展開部最後に下行の度合いを強め主和音を導く属和音領域和声の中で、第1主題再現を導くための音型に変えられることになる。ただしいずれにしろ展開部では、連続的直線的にクライマックスに向かって進行するため、この部分は直前の動機wの部分と完全に連続的だし、これ以降続く第2主題領域とも、16分音符の特徴的な伴奏動機によって連続的にひたすら推移していくように作曲されている。

第2主題中心主題に基づく部分(275-286)

・ピアニッシモにより管楽器で第2主題中心主題が提示される。しかし主題は短調(a moll)のままで、提示部では弦楽器が受け持っていた16分音符の伴奏音型をファゴットが受け持ち、非常に干からびた黄泉の国を彷徨っているような不穏な様相(そんなんばっかし)を呈してくる。この伴奏音型は、直前の順次進行による動機w前半動機に対して分散和音型による反行進行関係にあり、またリズム的にも、動機w部分が2拍目に動き出すのに対して、1拍目に活動するという反対の関係にあるが、逆に(255)から動機w前半の対動機として使用されていた順次上行動機と近い関係にある。したがって、第2主題中心主題への進行は提示部の時よりも直前部分から連続的であり、しかも直ちに直前の動機wに基づく部分へ回帰して再現部に向かうため、前後の動機wに基づく部分に中間部的に組み込まれつつ連続的に推移するように形成されている。この部分はさらに、第2主題主要4小節の繰り返し途中から(F dur)に変化し、そこでは主題旋律の方が弦楽器のベースに登場し、それを弦楽器の上声が伴奏声部で飾ったり、続く3回目の提示では、ヴァイオリンが演奏する主題変形を、管楽器が伴奏声部1拍目の連続16分音符から、2拍目の連続16分音符に変化させ、続く動機wに基づく部分への連続的な回帰を導く。こうして連続的に動機w前半楽句の中に組み込まれ、楽器と声部により不可思議な響きを通過する、この第2主題中心主題に基づく部分は、音量的にはピアノの世界ではあるものの、何か圧倒的な迫力が目前に迫っているような焦燥感のようなもの、落ち着きのない不穏さを表わしているように思え、提示部の時に幾分かは保っていた自立性と長調性をほとんど失ってしまっている。

再現部への推移(287-300)

・そして再度第1主題動機w前半部分とそれに対する反行形的な上行音型が打ち鳴らされ、動機w前半に基づく部分に回帰。次第に密度を増していくと、クレシェンドで一気に上昇して、遂にフォルテによるユニゾンの力強い下降主体のパッセージとなって再現部の冒頭に突入していくのだが、この最後のパッセージは先ほどの第2主題部分直前と同様に動機zに由来している。このように展開部を見ていくと、提示部のようにはっきりした関係ではないが、展開部もおおよそ開始から最後まで、使用する動機群などを次第に第1主題全体を順に辿るように選択し、同時に第1主題中心主題の動機w部分を核心において形成されているのが分かる。そして展開部最後に第1主題に基づきながらも、最も新しい異なる部分に辿り着いた提示部の第2主題中心主題部分までが、中心的素材として投入されつつ、動機w前半部分によって展開推移の指向性が保たれ、明確に再現部冒頭に向けて展開部自体が形成されているのが分かる。MP3は展開部移行から再現部の頭にかけて。
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再現部(301-426)

 さて、ここまでを振り返って見ると、普通のベートーヴェンのソナタ形式の楽曲は、長調であれ短調であれ中心となる安定した楽句と、一方で推移的であり展開発展的部分である不安定で確定されない流動的な楽句の間を、人間の心理を旨く利用した楽曲構成(ソナータ形式自体がそうだが)によって配分することによって、情感のドラマとして認識させる手際によって作曲されていたが、この第9番に至っては、安定を求める心理を逆手にとって、膨大な劇的流動性と不安定性を持って、絶えず答えを求めて彷徨い続ける確定されない物語を演出することによって、この展開部までを作曲して見せた。その間、楽曲を突き動かす原動力となった第1主題中心主題は、実際は明確なカデンツを欠く主和音分散和音の固まりで、楽句として安定した部分を形成することなく第1主題の次の異なる部分に移行するし、まあ提示部で数少ないつかの間の安定と云えなくもない部分は、提示部で第1主題が最後に行き着いた(74-79)、自立した旋律ではなく動機による構成法で幾分落ち着きのない伴奏型を持ち絶えず次に進行するような第2主題、そして第2主題から第1主題に遡った最後に辿り着いた提示部最後の(150-157)ぐらいだが、その第2主題は様々な点から推移的流動性を色濃く持ち合わせているし、最後の分散和音型もやはり一つの和音の中の分散和音動機に止まっている。さらに展開部では、推移的であるが展開部のフーガ風部分が最後に見せたつかの間の旋律(267-270)と、続く第2主題部分さえも、非常に推移的精神に満ちていて、常に16分音符のせき立てるような音型に支配され続け、わずかな安定部分もなく常に展開推移を続けながら、再現部に突入していく。
 つまり第1楽章提示部は、混沌の空5度から次第に形成された第1主題が、絶えず彷徨い流動しながら、安定した到達点を探し続け、長調にいたる第2主題において自らと対比的な性格を持ちながら、安定した部分を目指すが、目的の場所には辿り着けず第1主題をパラフレーズしながら彷徨い歩く。こうして第2主題部分でも安息の地が見つからないので、自分の由来を確認すべくカイアズマスの技法で、再度第1主題側に戻りつつ終止部分を駆け抜け、最後に長調の分散和音としてのもう一人の自分と出会うことによって、一端は長調逆行上行型という答えを見いだしたものの、真の到達点にはいたらず、再び旋律形成からやり直す展開部に突入して行くことになる。ここでのカイアズマス的作曲方法は、寄せては返し、返しては押し寄せる到達点のない膨大な推移の進退の様子を表わすために使用され、同時に第1主題が様相を変化させたのち、新たな第1主題分散和音に到達するためにも使用されて、ソナータ形式と組み合わせて提示部の土台を形作り、演出のための枠組みとして見事に機能している。
 つづく展開部も、提示部分の第1主題繰り返しから推移に向かう部分、続く第2主題領域部分と同様、やはり第1主題自体によって形成されているのは先ほど確認した。しかもこれは提示部の第1主題繰り返しから第2主題へ向かう部分以上に発展展開され、対位法を駆使して拡大され、そのまま第2主題に流れ込んでいる。しかしその第2主題は展開部に置いては、ほとんど動機w前半に基づく16分音符動機楽句群の中に組み込まれていて、直ちに動機w前半に基づく部分が回帰し、フォルテのユニゾンとなって再現部に雪崩れ込む。つまり展開部は提示部の第1主題自身と第2主題中心主題という核心部分を使用して、その後のカイアズマス的反転を持たないため、ちょうど提示部での第1主題繰り返しから、推移を経て第2主題に至る部分の、逆戻りのない直線的な構成を展開発展させたような形になる。これによって展開部は、初めての安定した部分であるクライマックスを目指して、提示部の時より遙かに指向性を定めて展開を続けていくように見える。
 ところが展開部のどこを見渡しても激しい推移展開の連続で真のクライマックスはどこにも存在しない。つまり、ここまで執拗に説明すれば言いたいことは分かるだろうが、ベートーヴェンはこの楽章において再現部の第1主題領域を楽曲全体の中心点、つまりクライマックスとして形成したのである。展開部のクライマックスがそのまま再現部主題に掛かる作曲方法は、例えば第5番1楽章の再現部冒頭動機に展開部クライマックスの到達点が掛かる方法など例があるが、展開部全体の真のクライマックスを再現部第1主題部分全体に置いたのは前代未聞だ。つまりオーソドックスなソナータ形式の持つ、展開部での不安定化から再現部への安定の回復という構図が、展開部を越えた後の初めての安定部分の提示、という形に置き換えられて、ソナータ形式を新しいものに練り直している。

第1主題再現部分(301-344)

・フォルテッシモで管弦総奏によって打ち鳴らされる(D dur)の安定した響きが、提示部開始では存在しなかった第3音である(fis)をバスに置いて、延々と轟き続ける壮大なティンパニーと共に、管楽器の長い持続によって提示され、耳が慣れれば慣れるほど、展開部全体のあらゆる物が混沌として激流となって彷徨うような激しい旋律の渦から、ついに圧倒的な光が差し込んだような効果を持って提示される。これは激しいクライマックスではあるものの、楽句自身で安定した部分を形成し、その何かが登場したような、誕生したような長調の響きの中で、かつて旋律の模索を行なった(a-d)の2音が2回下行し4小節を行なうが、和声の響きが確定されているため、旋律を探し求めている印象は消え、旋律提示の確信的な助走の役割に変化している。この4小節の後に、再びフォルテッシモの管弦総奏が打ち直され、4小節のまとまりが繰り返され、その後さらにもう一度管弦総奏がフォルテッシモで打ち鳴らされると、ここで2音(a-d)の密度が増し、さらに2小節後に管弦総奏がフォルテッシモで打ち鳴らされ、旋律の動きが激しくなり、(d moll)のナポリ調(Es dur)の属和音という不意を打つ和声の中で、遂に旋律がオクターヴ上下運動に達し、(315)でのフォルテッシモと共に(d moll)による第1主題中心主題が再現されるが、これはもはやユニゾンではなくベースの上行型とリズム補強に支えられ、主題の分散和音下行型2小節を弦楽器が再現すると、この部分が管楽器によって繰り返し確認され、それから弦楽器によって続く動機wの部分である2小節を再現し、同じ部分を管楽器が確認して繰り返す。このように中心主題は提示部の時より2倍に引き延ばされた上、分散和音下行型がバスの上行旋律に支えられて安定性を増し、続く動機wの部分はやはりバスが主題と異なる動きを見せることによって、全く様相を変えている。
・しかもこの部分に合わせて、ベートーヴェンは独自の和声の響きを投入している。この(319-322)部分は簡単に見れば主和音属性の中での出来事から、(322)小節で(g moll)の属和音に移行したと見ればよいのだが、響きは明確に作曲家の狙いでこのような響きになっているため、実際のオーケストラではこの部分がフォルテッシモの管弦総奏にティンパニーのとどろくアレグロ楽章の中で、聴覚上それほど大きな異質性を認めないとしても、重要な意味を持っている。細かく見ていくと、(319)と(321)部分では保続される(d)音とバス関係から全体でⅣ度系和音を当てはめれば良さそうだが、(320)小節の響きは、保続される(d)音という主和音の響きの中に、主題が第3音のない属和音型の動機w後半を提示して、それだけならば十分主和音領域に納めておくことが出来るのだが、バスが(f→g→a→h→c)と進行、(d moll)ならフラットにより半音下がっていなければならない音をナチュラルで(h)音として提示しているため、非機能和声的な異質な響きを提示することになった。(ただし耳にはそれほど残らないが)恐らくこれはバスを上声に対して反行的に対旋律化した結果生まれたもので、その結果として平行長調(F dur)の響きが(d moll)にぶつかる形になったが、(b)音と上声の(a)音のぶつかりが汚いので、(b)音をナチュラルにしたところ、かえってより逸脱した響きに到達したので、これを持って幸いとしたものと思われる。この独特の響きは動機w部分の印象を、長調とも短調とも付かない灰色の響きとなって訴えてくるが、中心主題の最後の(322)小節でバスの(f)が(fis)に変化すると(g moll)の属和音となって、そのまま続く和音的上行部分に移行する。この響きの部分の効果は、第1主題中心主題の提示部と対比すればよく分かるが、提示部に置いてはカデンツが直後に移行して連続的に第1主題を形成していたものが、ここではこの響きの効果でウェイトが動機w部分に掛かり、第1主題中心主題自体が完全に再現部主題となって核心部分を表わしているのである。
・これに続く部分はしたがって提示部で第2主題へ向かう推移を形成していた、第1主題部分に基づく推移になる。しかしクライマックスの圧倒的なエネルギーはこの推移にも浸透し、ティンパニーが連続的に轟き続ける中に、まず提示部第1主題中心主題が動機xに向かう和声的な部分が再現される。この音階上行の音は(d→e→f→g→a→b)から(d→es→fis→g→a→b)に替えられ、特にカデンツを踏む代りにそのまま属和音内で移行する(es→fis)のエネルギーは非常に大きい。続いて登場する主題後半の動機xの下行順次進行動機は、再現部のエネルギーの力で増幅され、動機x部分に基づく3小節の旋律を元に、管楽器群と弦楽器群を応答しながら6回も交互に繰り返され、すでに第2主題への推移に移行し、分厚い響きの層を形成すると、続く動機yの部分は提示部同様に第2主題直前の変形された旋律として提示され、この部分でようやくティンパニーの轟きが終止する。こうして第1主題冒頭のエネルギーを一貫して保ったまま、壮大な短縮と変形を持ってクライマックスを形成した第1主題は、直ちに第2主題へと向かうのである。

第2主題再現部分(345-382)

・(D dur)で第2主題が再現され、繰り返し途中から(d moll)に移行。以下は提示部と同様に再び第1主題の精神を辿り進行する。第1主題再現部分で、何か新たな状態が誕生したイメージを抱いたのに、(d moll)に入った辺りから、再び流動的で彷徨う旋律の渦を巻くエネルギーが再現され、提示部の(B dur)主体の終止部分に対して、いっそう暗く流動的な様相を呈して、再びカイアズマスの方法によって、第1主題への回帰の旅を始めてしまうように聞える

再現部終止部分(383-426)

・事実全くそのように、つまり提示部と同様にカイアズマスの方針によって調設定を変えて進行するが、これは必ずしも不可解なことではない。この第1楽章全体のイメージは、定まらない世界が渦巻く展開部を越えて、遂に何か強烈なイメージが再現部に差し込むが、それに照らされた世界自体はまだそれ以前の状態同様に、完成されない状態を保っているような精神を表わしたものと考えられる。つまりその場合、再現部で何かが表われた後、ソナータアレグロ形式の再現部の第2主題以下は主調で、つまり短調で表わされ、戻り彷徨いつつ再現部冒頭の提示という応答を探し求めている提示部の時よりも、もはや求めるものに辿り着いた再現部後の方が、かえってただの激しい渦となり再現部第2主題以下の部分を形成しているのである。果たしてそのようなイメージに最も近い物があるかと考えれば、人間的な情感や、人間社会の様相よりももっと壮大な、しかも日常的自然界の嵐などとは全く異なる、ただ一度の誕生形成が、壮大なスケールで生み出されているようなものがあれば、もっとも相応しい。すると、例えば原始太陽の誕生、または地球や宇宙そのものの誕生などがそれに該当するかもしれない。混沌の渦巻く雲が凝縮してついに太陽が輝きを開始するが、渦巻く混沌は依然として太陽の輝きに照らされ、一層激しく周囲を覆い尽くしているようなイメージである。このイメージは恐らくもっと自然科学の発達した後、今日の我々なら浮かぶだろうイメージであるが、ほとんど同じようなイメージで形成される神話の世界創造物語の部分が、やはりこのようなイメージに当てはまるのではないだろうか。つまりギリシア神話のカオスから初めて神々が誕生するが、今だ世界は創造されず、何物も存在しない状態であるようなイメージである。そして、そのようなイメージの中で、最も当時の作曲家の身近にあったイメージは、旧約聖書の「天地創造」のイメージだっただろうと思われる。つまりこの第1楽章は、ベートーヴェンの器楽による「天地創造」で、混沌の中から初めの「光あれ」が鳴り響き、しかし今だ世界は創造されていない、激しい渦であったというイメージが、最も辻褄が合うように思われてならない。この楽章の構成にはカイアズマスの技法が使用されているが、旧約聖書はまさにカイアズマスの技法を駆使して形作られるユダヤ教の聖典だったはずだ。

コーダ(427-547)

第1主題を再び順に辿る部分(427-468)

・したがって、一旦再現部終止部分の最後で、束の間の分散和音部分に辿り着くものの、これは上行型ではあるが提示部第1主題同様に短調(d moll)で再現され、今だ旋律は流動的に渦巻きつつ何かを求めるようにコーダに突入していく。つまりカイアズマスで遡った第1主題をまた順に進行し、まず第1主題中心動機をひたすら各調の属和音上で繰り返す部分(427-452)から、動機xを元にした16分音符の音階パッセージが渦巻く(453-462)を抜け、連続的にリズム動機R2が使用される(463-468)部分に到達。このリズム動機R2の拡大は同時に、第1主題中心主題の分散和音部分が姿を崩したなれの果てを、リズム動機R2によって提示した形になっていて、和声構成音から外れた刺繍(ししゅう)音を使用してきつく響きを濁らせたり、増3和音を使用することにより、楽曲最後を告げる不穏な汽笛のような効果を出し、その後に提示されるのは動機wを使用した、展開部の対位法的部分を思い起こさせる動機wに基づく(D dur)の部分である。
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動機wに基づく対位法的部分(469-494)

・この部分で第1主題を順次進行していた楽句構成が破棄され、不穏なリズム動機部分を抜けた後、展開部で見せた動機wに基づく対位法部分が、今度は(D dur)の長調で導入され、コーダは新たな様相を見せる。まるで再現部冒頭で何かが誕生した後の世界は、激しい渦が続く中にも新しい状況になっているため、それ以前の状態には戻れないことを示しているかのようでもある。また先ほどのリズム動機R2の部分は、第1主題中心主題の意味も兼ねていたので、(463)小節から再び第1主題中心主題が大きく崩壊気味に提示されて、後半の動機w部分が代りに展開を開始したものと考えることも出来る。
 この弦楽器の保続音の上で管楽器によって提示される(D dur)領域は、直前の不穏なリズムの足音に対して、束の間の勝利のファンファーレ的に響くが、(477)から(d moll)に変化して、再び流動性の渦の中に飲み込まれて、その後は展開部同様延々と続く動機wの後半4分音符音型と、16分音符の対旋律を短調領域を中心に送り出す膨大な部分を形成する(469-494)。

カイアズマス的コーダ(495-547)

・このリズム動機と続く対位法的部分(463-494)を、第1主題楽句を前か後ろかに辿る構成をいったん破棄した部分、つまりコーダの展開部分として配備することによって、(495)小節から再び第1主題へのカイアズマス的回帰の方法が開始する。つまり(495-504)では先ほどのリズム動機R2部分直前に登場した、動機xを元にした16分音符の音階パッセージ部分に立ち返り、続いて(505-512)では、第1主題中心主題の後ろ側である動機wのリズム動機R1の部分と、第1主題中心主題から後半主題に移行する順次進行和音提示の部分までを合わせた部分。つまり展開部にも見られた(ritard.→a tempo)を含む4小節が、2回繰り返され、これを抜けるとコーダ最後の部分に到達する。
・こうして真のコーダ的部分に到達した楽曲は、(513)から非常に独特の響きを持ってバスが(d→cis→c→h→b→a→h→cis)と半音階進行をする上で、管楽器が分散和音型の終止旋律を繰り返し繰り返し奏でる部分(513-526)を演奏。
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・これは遡った第1主題冒頭の分散和音の最後のなれの果て旋律であり、もはや彷徨い渦巻くエネルギーを失い掛けて、もともと前後合わせて4小節あった分散和音型は、重々しく3小節ごとにとぎれがちに進行、自ら3小節の中に属和音を持って3小節ごとに終止してしまう。このように活力を失いのっしのっしと進行を繰り返していくうちに、遂にその分散和音すら無くなって、(527-538)は第1主題以前の響きだけの部分、つまり空5度の世界が、「光あれ」の再現部冒頭を経由したことによって、初めの空5度とはまったく異なった響きに辿り着いたかのような部分に辿り着く。こうして第1主題以前の部分、つまり冒頭空5度の響きの部分に対応する和声的部分にまで辿り着くと、最後に楽曲全体の最重要主題である第1主題中心主題を力強いユニゾンで再確認的に提示して、終止となる。

まとめ

 この最後の主題提示は渦巻き彷徨うエネルギーの最後のとどめを行なっていると見ることも出来るが、このコーダ部分の動力を無くす分散和音のイメージは、ごくごく分かりやすく云うと、細かい何物かが無数に浮いている液体をかき回して渦を形成すると、中心に固まりが誕生して、その後の渦は回転を続けるが、遂に止まって誕生した固まりだけが残る。そんな状態を作曲で表わしたのではないかと考えられ、明確に使用されるカイアズマスの技法などや、最終楽章の天上の神の存在への確信など、第9番全体を覆う崇高なものへの方向性と考え合わせると、神話的な神々による世界創造、特にここでは旧約聖書の「天地創造」のイメージが提示されているように考えられる。こうして第1楽章はクライマックスに、指向性を持って進行する展開部から再現部冒頭の「光りあれ」までを挟んだ、一種の楽句的カイアズマスの技法を織り込んで作曲された、前代未聞のソナタ形式の新しい練り直し作業による結晶だったのである。そして楽曲の大部分が第1主題自体のもつ楽句配列を元に形成され、カイアズマスの技法もまたそれに則っていることから、この楽曲全体を構成しているのは第1主題中心主題ではなく、水平ラインに中心主題が衝撃を与えて波として形成された第1主題全体(16最後-35)であり、拡大して捕らえるならその一連の理念によって作曲された(1-35)部分と云うことになるだろう。しかもその楽句部分を元に形成される続く主題以下の部分は、絶えず変化生成して独自の部分を形成し続けているため、この楽曲は第3番1楽章の持つ動機による拡大展開構成法に対して、さらに主題自体の楽句配置を構成土台に置くことによって、一層形式を強固なものにしたと言える。そしてなぜそうする必要があったのかと云えば、答えは簡単、取り留めもなく流動性の著しく高い楽曲を表わすためには、水面下に第3番以上にしっかりとした足がかりが必要だったのである。・・・・あう、音楽史の1つのページ分を越えてしまった。

2005/07/12
2005/07/24改訂

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