ベートーヴェン 交響曲第9番 第3楽章

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交響曲第9番3楽章

Adagio molto e cantabile
B dur,4/4拍子

概説

 楽曲形式は変奏形式にソナータ形式を混合させて調和させたようなもので、簡単に言えばソナータ形式提示部分の第1主題と第2主題の代りに、対になる第1主題第2主題を順番に提示(A-B)し、続いて順に変奏し(A1-B1)、これを持って提示部に準じる[安定派生]部分を形成する。続いて第1主題の変奏を使用した(Es dur)の中間的展開部分にソナータ形式的展開部の役割を持たせ、その後の再現部では、本来の変奏形式に道を譲った第1主題旋律の旋律修飾による豊かな修飾変奏だけを一度提示すると、第2主題の代りに(B dur)の4度調による印象的な[天国の扉]的部分を配置して、そのままコーダに流れるという方法で作曲されている。
[主題提示部分](A-B-A1-B1) - [展開](Aに基づく展開) - [修飾的再現](A2) - [天国の扉] - [コーダ]

主題提示部分(1-82)

第1主題(主要主題)提示部分(1-24)B dur

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・第9番交響曲は4楽章全部に主題前の前奏が付けられているが、ここでも始めに2小節の前奏が置かれている。前奏は木管楽器が順次進行2度下行型で順に声部を開始することによって、構成音の2度上の音からそれぞれ構成音に到達するという形で、木管楽器全体で属7上の分散和音を1小節目に提示。その後弦楽器が導入されつつ木管が順次緩やかに下行する2小節目からなり、主和音に到達すると同時に第1主題(主要主題)が開始する。この開始部分では、管楽器はクラリネットとファゴットに、(B)管と(Es)管のホルンだけが使用され、(19-20)小節の管楽器の最後の応答部分にはティンパニーが使用される。
・主題は(3-24)までであり、その冒頭は序奏の上行型分散和音に対応して、下行型の分散和音により開始し、序奏での順次2度下行して導かれた出だしの部分を意識して、(B dur)の主和音を(D→B→F→D)と下る分散和音に対して、(B)音の前に(A)音を、(F)音の後に(Es)音を入れることによって第1主題冒頭旋律を形成し、3小節目から反転して分散和音上行型を元に主題を形作る。この主題前部の4小節の旋律が基本になって第1主題が導き出される。暇な人は徹底的に第1主題の由来を解釈してみるがいい。私が学生の頃は毎日そんな宿題が出されたものだった。(・・・そんな楽しい学校が日本にあるものか。)
・主題構成は、主題原型として取り出すことが可能な弦楽器だけの主題、つまり(3-6)、(8-11)、(13-14)、(16-18)を繋げた旋律である13小節を基本形にして、前半4小節、中間4小節、後半4小節に終止が1小節加わった3部形式で構成されている。これに加えられる形で、前半4小節の後に1小節の管楽器応答が、中間4小節の後に1小節の管楽器応答が導かれ、結果として前半と中間の主題が、5小節目ごとに自らを木管で確認しつつ歩みを緩め、また進行を開始するような効果を出している。さらにこれは後半になると、まず2小節終わったところで1小節の管楽器応答が加わり、残りの2小節+終止1小節が終わると、今度は管楽器がまず2小節の推移を経てから後半3小節を繰り返し、さらにそのまま1小節引き延ばしつつ(D dur)に移行し、最後の24小節目でバスが(D)に下行して、そのまま次の(D dur)の第2主題に移行する。こうして実際には序奏を除く22小節がすべて第1主題になる。この主題構成の緊密さと完成度の高さは、特筆に値するから、この主題を徹底的に解剖してみることは冗談抜きに非常に有意義である。

第2主題(副主題)提示部分(25-42)D dur

(Andante moderato)の記号が記入され拍子が3/4拍子に変化し、(D dur)の保続Ⅴ音上でひたすら属和音とⅠの2転を交代しながら歌われる、第2主題(副主題)は、水平的に音域を上下する順次進行的な性格を持ち、管楽器にはオーボエとフルートが加わって、その代わりにホルン(とティンパニ)が居なくなっている。まず主題前半である4小節がヴァイオリンとヴィオラだけで主題を奏で、後半4小節にはオーボエとファゴットが弦楽器の主題旋律に参加する。この合わせて8小節が第2主題(25-32)を形成するが、続く第2主題の繰り返し部分では、第1ヴァイオリンに主題に対する対旋律が形成され、弦と管楽器で繰り返される第2主題に乗せて第2の旋律が組み合わされながら進行し、非常に印象を豊かにしているが、主題繰り返し後の2小節の推移途中で(B dur)に転じると、最後に分散和音で上行した第1ヴァイオリンがフェルマータで引き延ばされ、再び第1主題の世界に帰っていく。

第1主題変奏1(43-64)B dur

・主題旋律を16分音符を主体とする旋律的パッセージで変奏した完全な第1主題繰り返しになっている。違いは主題提示では弦楽器の応答として時々参加していた管楽器の使用が拡大され、特に主題変奏1を通して副旋律的旋律を演奏し続けるクラリネットと、弦楽器ベースに合わせてリズム補強をするべく伴奏に組み込まれたホルンが特徴的で、これらの管楽器は第1主題の管楽器応答の部分ではそのまま応答的旋律を演奏し、そこを抜けると再度副旋律と伴奏に帰って行くが、それに対して幾分重い響きのファゴットだけは、元の管楽器主題応答の所だけに参加している。ティンパニも前回同様、主題が最後の推移的部分に向かう(59)小節からの2小節だけ合図を送る。最後に主題提示の時と同様、ベースの(f)が(fis)に変化して調性が変更されるが、提示部分ではこれを(D dur)の主和音と読んで続く第2主題を(D dur)で迎えたのに対して、今度はこれを(G dur)の属和音として読んでつずく(G dur)による第2主題に向かう。

第2主題変奏1(65-82)G dur

・再び(Andante moderato)が記入され、今度は(G dur)による3/4拍子の世界が保続5音(d)の上で開始するが、第2主題提示部分とは違い、クラリネットが演奏から抜け落ち、フルート、オーボエ、ファゴットの木管楽器群によって一貫して第2主題が演奏される。まず1回目の8小節主題では、第2主題提示部分では音を休めていたホルンが、ここでは木管を支えるべく(d)音を保続する上で第2主題が登場。続いて変奏的な主題の繰り返し部分では、前回同様ヴァイオリンに対旋律が登場し、同時にホルンがオクターヴ上下運動を開始し、音量は小声ながらも、その華やかさにおいて、総奏的な小クライマックスを形成、再びクラリネットの音が聞えたら、それは再び第1主題の領域が登場する合図だ。

第1主題展開部分(83-98)Es→Ces

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 (Adagio)の4/4拍子でクラリネットが主旋律を受け持つ管楽器による第1主題変奏が、原調(B dur)に対してⅣ度調(Es dur)で登場する。主題は3小節目には変化し展開部主題を形成しつつ、やがて(Ces dur)に移行し常に管楽器を主体として進行する。それに対して弦楽器は伴奏役に徹して、最後に(Ces dur)の属和音と主和音の交代の中で3連符の分散和音が聞え始めると、それが合図になって(B dur)に回帰、いよいよ第1主題再現が開始する。この展開部分では再現部分で12/8拍子に移行する次のテンポを、展開部途中の(87)小節から使用される3連符型伴奏で次第に導入している。つまり3連符が始め強拍が休符になった2音で表わし、管楽器による展開部旋律が終止した(95)小節において始めて3つの音を一つの楽器に登場させ、しかも分散和音で動力を増し、それに対してホルンが1度前の正規拍子によるフレーズを印象的に奏でるが、再び分散和音3連符が登場し、この3連符のテンポがそのまま続く部分の12/8の8分音符3つ分に繋がっていく。

第1主題変奏2 -あるいは再現的部分(99-122)B dur

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 22小節の主題構成と和声もそのまま、木管5重奏グループが常に音を持続させ和音を保持しながらティンパニが定期的に打ち鳴らされ、充実した響きの土台を提供すると、最も修飾の豊かな第1主題変奏を満を持して送り出し、もっぱら第1ヴァイオリンの細かい16分音符の順次進行的パッセージによって第1主題変奏のクライマックスを形成する。この部分は(Lo stesso tempo)(ロステッソ・テンポ、同じ早さで)の記入により、直前に導かれた3連符と同じ早さで12/8拍子を形成し、これによって固いソナータ形式的な2拍子型のテンポが、より一層柔軟で情緒的、また舞踏的精神を持った3拍子型のふくよかさを見せて登場するため、開始とは非常に印象が異なる第1主題になっている。いわば第1主題変奏の最終形に到達した形だが、この2拍子と3拍子の印象の違いは、すでに第1主題と第2主題の中にも見られたもので、それを踏まえて今、第1主題が大枠として4拍子のある3拍子型(つまり12/8拍子)に移行するわけだ。主題自体は提示と同様22小節であるが、この拍子感、修飾音・経過音の細やかさ、さらに後になって旋律自体の細かいリズム変化による多様性、さらに8分音符がさらに3拍子に分割されて、3拍子型に3連符を内包するという細やかさを増した旋律修飾などによって、印象的な感覚時間を[安定派生](A-B-A1-B1)部分に対抗できるまでに引き延ばして、これを持って第1主題のクライマックスを形成する。

天国の扉的部分(121-138)B dur

 

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 単純な構成なら第2主題が登場しかねないこの部分で、不意に内側3拍子系を規定する8分音符の連続リズムが破棄され、外側リズムである4拍子が把握されるようにリズム感を変えて、管弦総奏によって、力強いフォルテで提示される和声とリズムだけのⅣ度-Ⅰ度交代が打ち鳴らされる。まるで天上の楽園的な緩徐楽章の世界に、創造主への扉が開かれたかのような確信的な響きを表わすと、神の領域の金管楽器の意味か、これに対してホルンと栄光の楽器トランペットだけが、フォルテッシモの属和音提示で強く答え、これが合図となって(123-124)小節の創造主の世界を表わす全く異なる響きが(Ⅴ→準固有のⅤ→Ⅱ→準固有のⅣ)という機能和声を逆行させるような和声進行で提示され、再び第1主題の属性へと回帰する。この部分の響きの印象は、最終楽章の創造主のか所に対応しているため、ひるがえって創造主の領域を表わす部分と解釈が可能かと思う。続いてすでにコーダ的に変えられた第1主題前半部分が変奏されながら、次第に(g-f)の交代がトリル化して密度を高め、その中から再び天国の扉(131-132)が叩かれる。続くホルンとトランペットの響きに導かれ登場する、創造主世界の響きはさらに4小節に拡大され、(Des durのⅠ度→Es durでの準固有Ⅱ-Ⅴ-Ⅰ進行→b moll)と推移し、非常に神妙(人の知性で推し量れない不思議な様子)不可思議の領域を彷徨った後に、再び第1主題前半コーダ風味に帰って、第1主題の前半に異なる世界が差し込んだような天国の扉部分を抜ける。この部分は主題変奏が終わった後の部分であり、天国の扉を繋ぐ第1主題前半旋律がすでにコーダ的な形に変化していることから、(121)小節からコーダとしても良いが、同時にこの楽句部分が楽曲構成の要(かなめ)として置かれ、ちょうど楽曲が[第1第2主題提示部分→展開部分→第1主題再現部分]とここまで進行して来たのを見ると、展開部を挟んで、第2主題再現から意味の変わった新しい楽句として登場してくることから、独立した部分と見ることにした。ただし、提示部分の第2主題の精神は、再現部分の第1主題の中に内包されて、再現部第1主題は、元の第1主題第2主題双方の精神を受け継いで誕生したと見ることも出来るだろう。数学のテストじゃないから、根拠がしっかりしていれば、答えは1つだけとは限らないのが、楽曲構成の柔軟性だ。

コーダ(139-157)

第1主題中間部分的精神の籠もるコーダ第2部分(139-148)

・終止のためのコーダ旋律の第2の部分として、幾分旋律導入に第1主題中間部分への対応が見られるような心持ちのするこの部分は、まさにコーダの中間的推移部分を形成していて、まず始めに登場するこの部分の旋律型である(139-140)が、続く特徴的な(短-長)リズムによる管楽器のリズムの中で推移すると、やがて(140)最後に生まれた16分音符の音階上行パッセージを連続使用して推移し、次第にその密度を増すと、(147)小節においてヴァイオリンがフォルテッシモでソロカデンツ風のパッセージを奏で、コーダのクライマックスを形成する。

第1主題後半部分精神の籠もるコーダ第3部分(149-157)

・第1主題後半部分の精神で開始される真の終止的旋律がヴァイオリンで2小節提示されると、伴奏を伴わないヴァイオリンだけのカデンツを2拍演奏して和声的なⅠ和音の響きの中に消えていく。この主和音の響きには、時々Ⅰ上の準固有属9和音が混入して、非常に見事な味付けに使用され、この響きを抜けると、木管楽器とヴァイオリンが大きく上昇しながらクレシェンドして最後のフレーズを奏でつつ楽曲を終えるという遣り口だ。

まとめ

 この楽章は、最後のピアノソナタ32番の第2楽章のように、穏やかで安らかなだけではなく、ある種の宗教的な祈りのようなものが込められ、最後には天国の扉的部分が登場することから、第4楽章の歌詞に見られるエーリュシオン的なものが表わされていると考えられる。つまり死後にすぐれた人間であった英雄達が訪れることが出来る楽園のようなイメージだが、そのような楽園の叙情的な歌のようなこの楽章において、最後の天国の扉は、すぐそばにいるはずの創造主を一瞬垣間見るような意味があるのかもしれない。このような楽園のイメージを、第1楽章から見てきた天地創造によって読み解くと、この部分はまさに神が天地を創造した6日間である第2楽章に続く、7日目の安息の日(またはそれ以降の楽園の日々)を表わしていて、世界は創造され生命が何の憂いもなく豊かな楽園を築く第3楽章に、一瞬創造主の光が姿をかいま見せるようなイメージと読み解くことが出来る。するとここにはすでに最初の人間であるアダムは存在していたが、まだ我々の宿命である憂い苦しみ煩いなどと云ったものはどこにもない状態を暗示しているような心持ちまでしてくる。もしかしたら、最後の天国の扉の部分は、「お前ら、この実は食べちゃいけないよ」と主が言葉を掛けた部分だったのかも知れない。

2005/07/01
2005/07/23改訂

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