ベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番 第1楽章

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概説

 一貫してある種のずらしが追求され、これがいわば線の継ぎ目をぼかして絵画表現を深めるスフマート技法のように、この楽曲の叙情性を高めている。そのずらしは、開始の引き延ばされた音が3拍目の裏で再度打ち鳴らされることによって開始するが、次の小節から登場して一貫して使用される、拍の頭まで前音を係留させて拍の裏で次の和声に移行する動機xとして楽曲を規定する。これは続いて登場する3小節目の動機yのシンコペーションでも使用され、やはり3小節目頭の音が前の小節の和音から継続され、2拍目に本来のその小節の和声であるⅡの和音に移行するわけだ。このずらしの効果は他にも至る所で使用されているが、それは追々見ていくことにして、ここではダイジェストで気が付いた点を述べて見よう。まず主題がピアノ提示からオケ繰り返しに入るところでは、正規的な調性移行と言うよりは、パラレルな、ある種の調性のずれを使用して(H dur)領域を模索するし、管楽器が第1主題を繰り返す部分では、属7の和音の構成音がずらされ変位することによって、偶成的にⅡ度調の属和音を経由して元の属和音に回帰する。その後のオーケストラ提示部の第2主題も、(a moll)という原調(G dur)の2度上の調性で開始するし、オーケストラ提示部からピアノ提示部に移行する部分(74)では、オーケストラ部分で第1主題が開始し、そのまま継続的にピアノが主題を引き継ぎつつ導入を果たしつつ、楽句の繋ぎ目のスフマート法的効果が模索され、この方法は後々まで効果的に使用される。特に第2主題から終止に向かう部分では、オーケストラの楽句の変わり目(145小節)とピアノの楽句の変わり目を、故意にずらすことによって、この繋ぎ目をそれとは分からないうちに移行させるような見事な効果を挙げているといった具合。和声的なリズム単位のずれ、掛留による和声の変位、楽句接続のぼかし法、そして調性のパラレル的な提示など、開始の動機x部分で生まれた効果を徹底的に利用し尽くして、楽曲の本質と仕立て上げる作曲態度は、研究者的な態度とまで云えるかもしれないが、実際はその効果のすべてが音楽を豊かにし、聴取する我々の心を効果的に感化させるために使用され、完成された作品を聞いていても、押しつけがましい構成感やある種の実験は、みじんも感じられないはずだ。それどころか叙情的で広がりのある楽句が、比較的自由に雄大な発展を遂げていくように感じられるはずだが、それが何度聞いてもルーズに感じられず、かえって繰り返す度に深く凝縮して感じられるのは、実は彼の敷いた楽句配置による構成と、一貫して使用される統一的実験(手法)の功績によっている。そんなわけで、見てくれの華やかさと、比較的内容の薄い派手なジェスチャーで、恐らく最も大衆受けがよい(ことを狙った)第5番よりも、その内容は遙かに優れ、彼の書いた協奏曲の中でも、恐らく最高の作品になっている。

オーケストラ提示部(1-73)

第1主題A提示部分(1-28)G dur

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・まず、ソロ楽器であるピアノによって、第1主題A(1-5)が提示される。このピアノによる主題提示方法は、当時斬新な遣り方ではあるが、開始のオケ部分をソロ楽器ピアノにより派生させることにより、オケ提示の後にソロ楽器が導入されるというそれまでの協奏曲のお決まりの配置に対して、開始のピアノの効果的な印象と次のピアノ提示部分によって、オケ提示部を挟み込むという構図がとられ、オケ提示部をソロ楽器の内の出来事として、オケとソロの構成による融合を図っている。一方で、後のピアノ活躍中のオーケストラ伴奏で主題動機を使用するところなどは、背面に廻りつつもオケに重要な役割を持たせるなど、動機や楽句の扱いに置いてもピアノとオーケストラの相互融合を高める方針が取られている。もちろんそれは、どちらも同じ書法を使用して作曲するという意味ではなく、相互特性を利用し合いながら、それぞれの相手との関わり合いを高め、それを構成に取り込み一層強固なものにしようとする姿勢にあり、例えばソロ楽器で提示部を開始して主題提示を行なわせたり、その主題に対してオーケストラが3度遠隔調(H dur)で応答することによって、そのままオーケストラ提示部分の開始とする様な遣り方によってである。
・軽く主題そのものを観察すると、冒頭に楽曲全体を支配する動機xが提示されている。この動機xは、何らかの引き延ばされた音符や休符の後に、拍裏開始で8分音符の同音を4回打ち鳴らすもので、その最後の音が次の拍の頭に掛ることによって、ある種のずらしが生成されるのは概説で述べた。さらにこの動機の説明を読んでいて、第5番の運命のリズムを思い起こした人があるかも知れない。実際に運命のスケッチは1806年以前に登場しているので、ある種の類似のリズム的実験に思いを致しても差し支えはないはないだろう。これが2小節行なわれると、続いて3小節で4分音符と2分音符によるシンコペーションリズム(動機y)が置かれメロディーの流動感が落とされ、次の4小節頭に半終止となる。しかしこの終止は拡大され、4小節目に早い音階上行パッセージを持って主題内最高音(d)に到達し、3拍目に登場する付点は、まるでシンコペーションリズムで留められ4小節頭に落ちたメロディーが、音階上行パッセージで跳ね上がった、その2つの力によって生まれたかのようで、次の5小節目に改めて半終止する。
・改めて冒頭から振り返ると、2分音符以上伸ばされた(G dur)の主和音から、8分音符の基本動機細胞xが誕生。それが3小節目のシンコペーション動機yによって、それまでのリズム的流動性に対して、拮抗する留めようとする力が加わる。この部分は和声的にも、主題内で唯一のサブドミナント和音である「Ⅱの和音」が使用され、主語と述語の文脈中に修飾語なり形容詞なりが加わっているような、豊かな寄り道感覚によっても裏付けされている。そして3小節目の力学的変化によって、4小節目に揺らぎが生じ、旋律が音階パッセージと付点リズムでさらに1小節拡大され、5小節目に改めて半終止に到着する。この間ソプラノ旋律ラインは、水平線から穏やかな波が派生し、これが3小節目から4小節目に掛けて大きく下降することによって大きく揺り動かされ、音階パッセージと付点という大きな動きとなって、しかし半終止部分では開始部分よりわずか2度下に落ち着くという、ドラマ性のある波運動によって成立している訳だ。そして全体的な主題配置として、開始が動機xによるリズム型であり、動機yの位置からメロディー型に変化するという形が取られている。
・毎度の事ながら、わずか開始5小節を見るだけで、その緻密で全体のプロットの土台として考え抜かれた主題の、いかにすぐれているか恐れ入るぐらいだが、この5小節を踏まえた上で楽曲を眺めると、例えば続くオーケストラ主題がシンコペーションリズムを2回繰り返し、続いて主題の派生されたメロディーの波を複雑にして行く様子などが、非常にすっぽりと分かってしまう。では、そろそろ先に進んでみることにしよう。
・拡大されたオーケストラによる主題繰り返し(6-14)が弦楽器だけで行なわれるが、主題Aに対してベートーヴェンの大好物、遠隔調3度関係にある(H dur)でいきなり登場する。この調設定はある種作劇的な方法で、冒頭ピアノの属性(G dur)に対して、「我々の世界はこの位置(H dur)ですよ」と、パラレル関係にある別の側から応答が鳴り響くような効果を出しているが、同時にこのパラレル関係は見せかけだけのもので、直ちに転調して(G dur)領域に同置化されてしまう。つまり全体としては強固な(G dur)調性の基盤を保ちながら、(H dur)のセカンド領域が存在するかのような印象だけを与えるという、絶妙なテクニックが使用されているわけだ。
・しかも主題はもう一度再現される。この3度目の主題提示(14-28)に至って弦楽器に16分音符のさざ波伴奏が登場しリズム的流動性を高めると共に、始めて木管楽器によって主題が導入されるが、改めて開始から眺めると、[ピアノ→弦楽器→管+弦楽器]という主題提示が計画されていた辺り、毎度の事ながら、比類のない自然さとでも言いたくなるようななプロポーションである。主題はさらに拡大され楽器同士の掛け合いを持って次第に主題提示部分の総奏クライマックスを形成し、シンコペーション動機yの後の付点リズムの繰り返しの中から、とうとう3連符が生み出されて(26小節)、第1主題提示部分を終える。そしてこの3連符は、冒頭主題の引き延ばされた和音の後打ち付ける8分音符の同音連打、つまり動機xの中に内包されているとも云え、動機の関連性を強固なものにしている。
・ピアノ主題と弦楽器主題を、第1主題の前半と後半として(1-14)で第1主題と置く方が一般的かも知れない。その場合14小節以降に主題の繰り返しが行なわれている途中に総奏化して、直ちに第2主題が登場するという説明になる。しかし作曲のプロットとしては、5小節までの原細胞が、弦楽器で発展しつつ繰り返され、14小節以降の主題繰り返しは、それ自体第1主題の発展したクライマックスでありながら、同時に主題Aを使用した第2主題への推移(14-28)の意味も兼ね揃えていて、その推移を越えて29小節から第2主題が登場するのであって、第2主題への推移が存在しないという解釈よりは、この方が曲の持つ豊かな創作性により近いと考える次第である。

第2主題提示部分(29-39)a moll開始

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・水平線から派生した小刻みリズム開始の旋律型であった第1主題に対して、分散和音型で、非常にはっきりした幾分軍隊チックな付点を特徴として持つ第2主題(29-32)が弦楽器だけで提示される。この第2主題部分は、伴奏型に直前に生まれた3連符が使用され続けることによっても、第1主題とは異なる性格を示している。しかし調性的には、本来の(G dur)に対する属調(D dur)を使用するのではなく、どうも驚くⅡ調の(a moll)で登場させているじゃないか。この第2主題は、後のピアノ提示部分では、同種短調の(d moll)が使用されているが、前に見たピアノコンチェルト第1番1楽章の遣り方と同様、第1主題の方はオーケストラ提示部分が完全な提示を行ない、第2主題の方はピアノ提示部分の方が一層十全な提示になっていると考えることが出来る。つまりここでは調性によって、オーケストラ提示部分の第2主題のわずかな不確定性を表わすと同時に、この(a moll)は2つの第1主題提示のパラレルな調性関係、つまり(G dur)と(H dur)の間にある音で始まる調性であることも、指摘出来るかも知れない。転調方法も非常にユニークな進行を持ち、前の調性の主和音からいきなり次の調性の主和音に移るという、はっきりした色彩変化の印象は忘れがたいものがある。複雑な経緯の転調や、軸和音の細心の色彩感覚は、その部分部分への響きの印象を深める一方、実は転調それ自体の印象は、例えば主和音への回帰がⅥ和音に置き換えられるような、単純で明確な遣り方の方が効果的で強い印象を与えるものである。ここでのベートーヴェンの、主和音を飛び移りつつ飛び移り、短調から長調に長調から短調に移行するような遣り方は、そのような転調効果を聞いているものに残す単純明快な方法として、ぜひ覚えておきたいが、悲しいかな、記憶に在ったからと云って、同じように作曲は出来ないのであった。
・転調は(a moll)から属調の(e moll)に、さらにその3度下の長調(平行調)である(C dur)に移行し、その(C dur)をナポリ和音と読み解いて(h moll)のカデンツから主和音にいたり、(h moll)の平行長調として(G dur)に、その(G dur)をナポリ和音として読み解いて(fis moll)のカデンツを踏んで主和音に至ると、その部分から終止部分が開始し、(h moll)の属和音が登場するという、文章で説明すると大変面倒な事になっている。

オーケストラ提示部終止部分(40-67)h moll→G dur

・3連符が止み(h moll)の属和音が登場すると、3連符の音価を引き延ばして、再び動機xに引き戻すように、動機xを使用した終止部分に移行。やがて動機xの同音反復から次の音への跳躍を広げながら(G dur)に回帰しクレシェンドすると、終止主題(50-59)風に聞える自立した旋律部分に到達。(58-59)で小節ごとの和音の止めが入ると、60小節からは真の終止楽句(60-67)で締め括る。
・このようにいきなり終止メロディーを登場させて終止部分を開始するのではなく、動機xによって第1主題領域の属性に引き戻しつつ次第に終止部分の中心的メロディーが登場するような効果を出しているが、実はそんな終止部分全体が、第1主題そのものから形成されているのであった。つまり動機xによる(40-49)部分が第1主題の冒頭2小節の拡大発展版であり、続く終止主題は動機yのシンコペーション部分の引き延ばされたメロディー部分が、別の形でしかも独立的に発展したものだと見ることが出来る。すでに見たように、それは8小節目の弦楽器による主題繰り返しの時にすでにメロディーの派生が開始していたのだった。さらに終止主題後半は4小節目の早い音階順次上行パッセージから派生した54小節を経て一度終止カデンツを踏み、60小節からは第1主題の音階上行パッセージに対応するように、完全に下行型の音階下行パッセージに基づいた終止楽句で閉じられているのである。
・このように、この第1楽章のオーケストラ提示部分は隙のない構成力によって形成されているのだが、この構成は動機xと第1主題の持つ瑞々しく幅を拡大していくような生命力、つまりテンポは穏やかだが何処までも広がって発展していってしまいそうなリズムの推進力と、次から次へと連鎖的に拡大使用が可能な単純な動機の持つ解放性に対して、骨組みと見取り図を提供し、この先に控えるソロ楽器の協奏曲ならではのパッセージ群が無駄に太ったような丸大根にならないように、プロポーションの良い理想体型を与えているわけだ。この構成感があるからこそ、ピアノ提示部分では、ピアノコンチェルトのお株であるピアニスティックなイディオムによる、開放的で即興性や自由性が前面に登場すべき推移的部分を思う存分に形成しても、全体の形は非常に引き締まっているのである。

ピアノ提示部分冒頭オーケストラ部分(68-70)G dur

・そして、冒頭で主題がピアノから弦楽器、そして管楽器により登場した事を踏まえて、ピアノ提示部分の開始では、68小節目からオーケストラで管楽器をメインにした主題冒頭2小節の拡大版を演奏しつつ、その動機xを引き継いだソロ楽器のピアノが導入されるという見事な演出がなされている。この部分の主題再提示を展開発展風に行なう遣り口については前にピアノコンチェルト第1番の解説で見たが、ここではピアノ提示部分の第1主題が(68-89冒頭)になっていて、オケで開始した主題がピアノに引き継がれることによって、オーケストラ提示部とピアノ提示部の融合が見事に図られている上、導入風旋律を置いた第1番に比べて、主題そのものを発展させてソロ導入の特徴的なパッセージを開始する作曲方法は、ほとんど黄金の職人技である。(なんだそりゃ。)そしてこの楽曲の特徴である、構成的なずらしが行なわれて、楽句の区切りを柔らかく混淆(こんこう)させている。

ピアノ提示部(74-192)

ピアノによる第1主題提示部分(68-96)G dur

・オーケストラ提示部分での主題導入に引き続いて、動機xによって第1主題がソロ楽器で継続導入されると、ピアニスティックな音階パッセージの修飾によってピアノの登場を知らしめつつ、81小節から主題のメロディー的な第2の部分に移行し、やがて2重音階パッセージの順次進行によって主題を終結する。
・続いて89小節目から主題繰り返しが始まるが、これはまずオーケストラによって動機x部分が開始され、それをピアノが踏襲しつつ、推移への離脱の合図を兼ねて主題を発展させている。

ピアノによる第2主題への推移(97-133)大枠G dur→D dur→d moll

・ピアニスティックなパッセージの聞かせどころを、次の主題登場までの心地よい期待と裏切りの中で提示するというのが、協奏曲の推移部分の醍醐味である。この期待と裏切りとは、つまり同一パッセージ群持続後の小クライマックスの形成などにより遂に次の主題が登場するのではないかという期待であり、裏切りはそれが次のパッセージ群に替わられたり、擬似的な主題旋律で到達を思わせてはさらに進行していくような常套手段の事だ。折角だから軽く眺めてみよう。
ピアノが16分音符3連符で3個ペアの分散和音を繰り返す推移(97-100)
・オーケストラの伴奏型に動機xが4音の形で使用されている
3連符が破棄されピアノが分散和音下行型パッセージを行なう推移(101-104)
・オーケストラの動機xが先ほどより旋律的に成長し、推移部でも伴奏によって主題A属性が保たれている
ピアノが8分音符3連符の分散和音伴奏に乗せて息の長い順次進行旋律を行なう部分(105-110)
・調性が近親3度調の(B dur)で登場。ここではオーケストラ伴奏に倍音価にされた動機xが使用され、まだ動機xが保たれている。また旋律前半が8分音符を最小単位とするメロディ的部分を形成し、移行性の高い推移パッセージ部分から、幾分定着性の強い推移部分に到達した感じを与える。しかし、すぐに音価を細かくして次の部分へ事象が発展し、推移上のエピソードに過ぎなかった事が明らかになるが、このような音価による速度変化やパッセージ部分とメロディー的部分の交替によって、第2主題までの期待と裏切りが引き延ばされると同時に、協奏曲の花形であるソロ楽器の活躍舞台を与えているわけだ。したがって、特に協奏曲形式においてはソナータ形式の推移部に対して、ソロ楽器の檜舞台という別の役割が付与されているため、作曲書法も交響曲の時とは自(おの)ずから異なってくる。
ピアノが3音ペアでうろちょろするパッセージ(111-118)
・そりゃまた非道い表現だ。ここではオーケストラ伴奏が動機yのシンコペーションリズムで呼びかけ、それにピアノパッセージが応答する所作が2回繰り返された後、ピアノパッセージの方が勝り、クレシェンドしながら遂に音階を大きく下降するパッセージに発展しつつ、次の推移を登場させる。
偽りの第2主題的推移(119-126)
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・このように幾多の推移部分を乗り越えた後に、弦楽器だけで第1主題に対照的なメロディーが登場し、あたかも第2主題を装った旋律を開始。この部分は調性的にも(D dur)であり、本来の(G dur)の属調主題で登場するため、まさに擬似的な第2主題を形成しているのだが、この心地よい偽りの第2主題に続いて、今度はメロディーをピアノが新しいリズムパッセージで彩りつつ導入し、このオケだけからピアノが導入する方法もまさに第2主題的だが、主題には至らず次に移行してしまう。しまった、騙された。
4音3音(3連符効果)のパッセージを含む部分(127-133)
・ピアノがトリルの下で16分音符の3連符パッセージを開始すると、オーケストラ伴奏はやはり動機xを使用しつつ開始。次の小節ではオケは引き延ばされピアノが32分音符の4音と16分音符の3連符を交互に繰り返すパッセージを何度も繰り返す。この4音と3音の効果は音楽のテンポ感にさざ波のような揺らぎを生じさせ、非常に効果的だ。(速度が緊張弛緩を繰り返すような感じになる。)この2小節がもう一度繰り返されると、やはりピアノパッセージの方が発展し密度を増しつつ、クレシェンドしていった先に、強弱記号をピアノに落とし第2主題が登場する。

・このように見ていくと、この推移部分のほとんどの部分を占めるソロ楽器の活躍と、次々に移り変わる多様性が目に付く。一つの着想をだらだら繰り返したり、一つの着想に留まるのを避け、次々に新しい部分を形成して行くのだが、特に旋律的な部分と推移性の高いパッセージ的部分を織り交ぜ、第1の推移パッセージが③の旋律的部分に、次の推移パッセージが⑤の偽主題に向かい、最後に⑥の推移的パッセージが真の第2主題に到着するというように、非常に周到なプランが敷かれている。しかもオーケストラ伴奏が動機xを中心に動機yも使用するなど、第1主題との関連性が強く保たれている。このことは、次々に移行する新たな推移部分とその急速な発展展開という、ソロピアノの自由に飛翔する傾向に対して、ピアノの推移パッセージが取り留めもなく主題から離れて飛翔しないための、構成側からの引力として作用している訳だ。また、同じ事を繰り返すようだが、かつてオーケストラ提示部分で強固な全体配置の構造を提示してあるからこそ、拡大しこれほど変化に満ちた推移パッセージを持ったピアノ提示部分も、その構造枠の中の出来事として捕らえることが出来るのである。

ピアノによる第2主題提示部分(134-145)d moll開始

・次々に転調していくものの調性的には(d moll)で開始するため、(G dur)に対する安定度は、オーケストラ提示部分の第2主題よりも高く、より正統な第2主題であると言えるかもしれない。主題はオーケストラだけで行なわれ、やはり特徴的な3連符の同音連打伴奏が一貫して使用されていく。やがて主題旋律の3回目の提示直前にピアノが再導入され、管楽器の主題旋律に合わせて、特徴的な16分音符のパッセージを開始。ここに至ってピアノパッセージの印象の方が前面に表われるため、この部分で第2主題の旋律の方が対主題のように背景に引き下がる印象だ。そしてこの主従の入れ替わりを利用して、この曲の特徴である次の情景への繋ぎ目を融合させる方法が、またしても登場してくる。つまり146小節目からは、木管の旋律に動機xが再び登場して、オーケストラ提示部分で見たところの終止部に移行するのだが、ピアノパッセージの方は第2主題の3回目の旋律提示部分から連続的に進行し、実際は少しく16分音符パッセージのパターンが変化してはいるのだが、左手の8分音符分散和音伴奏もずっと継続して同じ伴奏を行なっているため、オーケストラ部分の第2主題から終止に移行する部分が、それより前の位置で開始された新しいピアノパッセージに対して、重なり合い、魅力的にぼかされて融合した終止部分への移行を成し遂げているのである。
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ピアノ提示部分終止部分(146-192)転調後(D dur)定着

・後は軽く行きますと、オケの動機xが行なわれながら、途中からピアノパッセージが変化し、やがて低音から始まるピアノの早い分散和音上行型のパッセージの上で、木管楽器に終止主題と命名した旋律が登場。一旦オーケストラ部分でその提示(157-164)を終え、ピアノパッセージが大きく半音階上行下行を行ない、これをもって終止主題部分からの離脱かと思わせるところ、しまったまた騙された、不意にピアノの左手3連符分散和音下行型の伴奏に乗せて、終止主題(170-173)が提示され、終止部分で一番の自立的部分を形成すると、これを持って目出度しとなし、つづくオーケストラ提示部分の終止楽句の総奏で提示部を締め括るのであった。
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これが187小節目までであるが、当然展開部の導入に際しても、ピアノ提示部分の導入と同じ方法、オーケストラが第1主題を開始すると、途中から再びピアノが導入され、展開部に移行する方法が取られている。しかもこの部分では、主題の再度開始と言うよりは、オーケストラの主題提示が回想的最終提示風に作曲され、ピアノ導入部の時とは異なり終止的精神を強めつつ、展開部のピアノの入りと同時に、(D dur)の特徴である(fis)音が半音下がった(f)の音が打ち鳴らされ、場面を大きく変えて(f moll)に転調しつつ展開部に移行するために、その繋ぎの精神は、ピアノ提示部分の導入のような主題連続性とソロ楽器の自立性の調和にあるのではなく、かつての方法を利用しつつ、提示部を明確に締め括って展開部に突入するのである。

展開部(193-252)

 「この後の出来事は、皆さんご存じの通りだ。」と誤魔化す積もりじゃあないが、そろそろ分析も拡大してきたので、本当に軽く流して展開部を見てみることにしよう。
動機xによる導入と推移(193-203)f moll→d moll
・導入の後、3連符下行型と普通の8分音符(つまり2連符)の同音繰り返しの交替によって展開部が開始。オケのベースが保続的に長く伸ばされた効果的な低音は、実際には次の部分での長く引き延ばされた低音線へと連続的に繋がっていて、215小節までの導入と第1の主要展開を、一つの部分として括っている。
木管楽器による動機xと弦楽器3連符順次下行型にピアノが分散和音6連符伴奏を行なう部分(204-215)h moll→fis moll→cis moll
・長い自立した第1の主要展開部分を形成し、木管の動機xによるフレーズが非常に効果的に響く部分。
動機yのシンコペーションの使用された部分(216-230)cis moll
・動機yのリズムを織り込んだピアノパッセージが2小節繰り返されると、これが3小節目に圧縮され2回の動機y提示が行なわれ、次の小節で付点化される。この方法は第1主題そのもので見たのと類似の方法で、シンコペーションのリズム密度が高まっていくうちに、鋭いリズムが生み出されていくと解釈できるが、この生成はさらに221小節から、ピアノが右手と左手の素早い3連符同士の応答を行なう部分に発展し、ついにピアノの分散和音走句的パッセージに至る。この右手と左手の応酬から走句的パッセージに至るという方針が、224小節からもう一度行なわれ、今度は半音階パッセージに到達すると、最後に229,230小節で右手の単音トリルに辿り着く。そしてこの③部分から次の④部分に掛けての作曲方法は、幻想曲や即興曲風の自由で定まらない作曲方法を擬似的に行なっているように感じられる。(擬似的というのは、実際は周到なプランの中に配置されているから。)そしてこの部分はナポリ調(D dur)への揺らぎを見せつつも一貫して(cis moll)で作曲されている。
4分音符後4音順次下行型の部分(231-234)cis moll→E dur
・ピアノが直前の激しく推移する不確定パッセージから、最後に旋律的な部分に到達して束の間の憩(いこ)いを見いだしつつ、次の部分の導入を待つようなこの部分。しかし実際は、ベースラインに登場した動機xの4音が再度導入され、次の⑤部分で木管楽器で旋律化していくという、新たな開始部分にもなっている。ここでも一種のピアノとオケによるずらしが行なわれて、次への繋ぎ目を演出している訳だ。
木管楽器による動機xとピアノの分散和音伴奏部分(235-238)→e moll→G dur
・③辺りから、楽句の変化密度が大分上がってきたのを小節数でも確認出来るが、ここでは木管楽器が動機xに基づく旋律を行ない、ピアノが早い分散和音下行型を繰り返す楽句がわずか4小節で次の部分に移行する。
動機yに基づくトリル付き音型部分(239-247)G dur
・動機yのシンコペーションリズムを使用しつつトリル付きで順次上行する音型がピアノに登場、もう一つの声部が早い16分音符パッセージでこれを修飾しつつ3小節進行し、残りの1小節でこれに応答する。243小節からはこのシンコペーショントリルが弦楽器に登場し、応答の方が拡大しつつ、そのまま(G dur)の保続Ⅴ音に到達し、再現に向けた属和音上のパッセージが進行していく。
動機xの再導入から再現部へ(248-252)G dur
・そして属和音状態のまま、オーケストラに再度動機xの特徴的な同音繰り返しが登場し、ピアノの分散和音の密度が高まり急速にクレシェンドしてフォルテッシモに到達。最後にオケによる和声的な止めの部分で展開部を終え、直ちに再現部のピアノ再導入が行なわれる。

再現部(253-346)

 異なる点だけを軽く書いておこう。まず第1主題再現は、オーケストラ提示部の第1主題提示の拡大版になっている。つまりピアノによる提示では旋律が修飾され、響きが拡大されるなどし、非常に魅力的な遣り方だが、続く(H dur)による弦楽器第1主題再現では、ピアノがそのまま3連符を使用しキラキラ木漏れ日が瞬くような修飾伴奏を共に行ない、ようやく木管主題再現部分で一時休止。木管主題を引き継いで直ちに主題冒頭を再導入すると、推移に移行する。推移も幾分変化しているが、第1のメロディ的部分に向かう推移は大きく短縮され、木管の動機xが前面に打ち出されつつ、(Es dur)で旋律が8分音符を最小単位とするメロディ部分に到着。この部分の伴奏型は音価を細かくして16分音符の3連符型(合わせて6連符になっている)になっている。さらに続く推移パッセージも短縮され変化し、提示部での推移よりも急速に次の部分に移行しつつ、疑似主題も(G dur)での登場となる。そして第2主題は(g moll)で登場し、これ以降は調性以外提示部分と同じ進行を行なう。もちろん終止部分の最後にⅠの2転の和音に留まって、カデンツが開始するわけだ。ピアノコンチェルト1番でも書いた通り、拡大された提示部と、比較的急速に進行する再現部のバランスは、このカデンツによって比重関係を平行か、むしろ後ろ側に重心が掛るように保たれている。特に構成的にすぐれながら開放的な自由さを保ったこの楽曲においては、カデンツにかなりの密度と構成感が在ることが、楽曲全体のバランスを黄金比に保つための秘訣であり、ここに至ってカデンツ自体も作曲者による全体構成の一部、つまり即興的部分ではなく、完全な作曲部分になっているように感じられ、したがってベートーヴェンの書いたものを演奏するのが、相応しいように思う。と云いつつ、カデンツについては解説を入れずにすませてしまうのですが。

コーダ(346-370)

 さて、カデンツを十二分に堪能した後、ピアノに終止主題が再度登場し、修飾発展されている内に、第1主題冒頭の例の特徴的な動機xが再度ピアノに登場するが、これはすでに終止的なイメージに置き換えられ、やがてピアノは細かい修飾パッセージに派生し、それに対してオーケストラが動機xを何度も讃えながら楽曲を終了致すといった所か。

2005/12/9
2005/12/14改訂

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