プーブリウス・コルネーリウス・タキトゥス

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プーブリウス・コルネーリウス・タキトゥス(55?-120?)

・曖昧だらけの生涯。ローマ騎士コルネーリウス・タキトゥスがガッリア・ベルギカに勤めに行っていた先で生まれたとも、イタリアで生まれたとも。77年執政官アグリコラの娘の夫となり、ティートゥス帝時代には財務官、88年のドミティアーヌス帝の元では大判官という役職に就いた。同時に宗祭15人官と言う役職に就き、ローマの重大祝典だった「百年期祭」を執り行ったとか。その後しばらくローマを離れ、97年ネルヴァ帝の時執政官となる。117年のハードリアーヌス即位しばらく後に亡くなったらしい。
・短い文体で、関係代名詞や接続詞などで、重層文を展開することは少なく、多くが単文の同位配列。後年に行くほど日常使用されていなかった古語が多くなるそうだ。動詞のない文も多く使用し、口語調など踏みつけてくれるの精神で?

「時代史」

・がルバ帝からドミティアーヌス帝暗殺までを。

「ローマ編年史」

・アウグストゥスからネロ帝まで。

参考に書籍

ゲルマーニア(岩波文庫)

・泉井久之助訳。

2005/01/13

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