音楽とは何か

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始めに

・最近「西洋音楽」とはそもそも何なのかという質問を貰い、あれこれ考えていると、そもそも音楽とは何なのだろうと気になり始めて、考え始めるとなかなかまとまりそうもない考えが、次から次に浮かんで、仕方がないので、取りあえず以下の部分の「自分用の覚え書き」を飛ばして読んで貰う形にしてしばらく掲載しておく事にします。(読むとかえって混乱する。)まとまらない考えは、お暇なときに時間を掛けて少しずつ再編し直して、それを持って西洋音楽史付属楽典の導入のページとして、何時の日かお送りする事もあるかも知れませんが、現在は無理なのでバラバラな状態で書き残す。とかく難しいのは、音楽という言葉を普遍性を持って定義する事か。

①音楽とは何か

・多分一番根本的な問題は、西洋音楽とは何かではなく、音楽とは何かにある。導入的な考え方では、まず耳(聴覚)で把握されるもので、言葉とは異なるものとして認知されるものであると言えるかもしれない。音の高さ(音高)が変化しつつ継続する何らかのメロディー、多くの場合何らかのリズムを持つものを、楽器や声など何らかの音色で表わして、相手の聴覚に言語や雑音ではなく音楽として把握させるものが音楽だと云えるかもしれない。
・しかしあまり聞く事は無いかも知れないが、連続的に音の高さが電子的に変化しながらうねりのような効果を出しながら進行する音楽や、鳥の鳴き声や小川のせせらぎを採取して人工的に改変して組み合わせて音楽と銘打つもの、雑音や騒音の混ぜ合わせを音楽とした作品など、現代にはいろいろな音楽があって、こうした音楽は実際に映画の効果音楽などで使用されていたりする。音楽としてCDにされて並んでいるものを音楽でないとするよりは、一番安易な遣り方として「作品としてまとめられた声を含む音による創作のすべて」を音楽だと言うと、これでもポピュラー、クラシックはおろか、現代音楽と名の付くほとんどすべてを定義できるのだが、本当の問題は、作品でないものも音楽ではないのかと云うところにある。
・例えば子供の頃自宅の裏には林が広がっていて夏になると夜明け頃朝鳴きの蝉(せみ)であるヒグラシが一斉に高い音を奏で、時々目が覚めては不思議な気持ちでその朝鳴きの合奏を聴いていた事がある。あるいは秋になると虫たちの寂しい鳴き声に耳をそばだてていたが、そのような音に接したときの感覚は、少なくとも僕にとっては音楽を聴いているときと何も変わらないように思われた。(脳波でも調べれば違いが出るかも知れないが)僕に限らず、ショパンの前奏曲に「雨だれ」と題の付けられた有名な曲があるが、何も曲を書くときだけ暫定的に音楽的に雨音を聞いたわけでも無いと思う。むしろ日頃から雨音を音楽的に聞く感性が、その響きをピアノ曲に移させたのではないだろうか。20世紀の作曲家にオリビエ・メシアンという人が居るが、彼も現代曲として一般の人々には難解かと思われるような曲を多数残したが、鳥の声に非常な感銘を受けて、それぞれの鳥の鳴き声をピアノ曲に置き換えた「鳥のカタログ」という曲集が残っている。この曲をメロディーと伴奏のイメージで聴くと難解に聞えるが、初めから鳥の鳴き声の方をイメージして聞くと、ごく自然に優しい曲として入っていく事が出来る。つまり彼もまた鳥の鳴き声その物を音楽として聞き取って、楽譜に採取したのだろう。このような例は少し探せば、古今東西幾らでも転がっている。特に継続的に繰り返される音にはある種のリズムを感じやすく、またホトトギスのように一定の音の高さの変化を持つ音も音楽として感じやすいかも知れない。恐らく、自然の中で接した音、蝉とかカエルとか鳥とか、雨とか、川のせせらぎとか、の方が音楽的に把握され安く芸術家が自然に向かうのは、幾つものリズムが複合的に重なり合い、響き同士が少しずつ異なり全体として調和して、音の高さも多様なものが全体を形作る、その音の複雑さと音色の心地よさが、安っぽい人工的な音(例えば、シャワーの音とか、クーラーの音とか、車の音)と比べて遙かに音楽的感性に触れるからなのだろうと思う。こうしてみると、やはり作品ではない、自然の音も比較的多くの人が音楽として捕らえうる、つまり音楽の定義に含めて差し支えのないものではないかと考えられる。
・ここで一息入れて暫定的に「音によって聴覚に訴え、美的なものとして人々に認知され、音楽だと思われた瞬間に成就するものは、すべて音楽なのだ。」ぐらいにして置いた方が、幅が利くかも知れない。もっと簡単に、「音楽は聴覚に作用するもの、音楽作品は聴覚に訴えるべく作成されたもの。」ぐらいで通り過ぎておけば、物足りないことは物足りないが可もなく不可もない。
→続いて聞えない音についての考察が入る。(何時の日か?)

言葉の由来

・英語のミュージックは元々学芸を司るギリシアの9人の女神達ムーサ(英語でミューズ)を語源としている。彼女たちの芸術的なそれぞれの技をまとめて「ムーサの技術・技芸」(ムーシケー)と呼んでいたが、詩と音楽と舞踏が密接な関係にあったギリシアで、これらの芸術に関わる女神達の技すべてがムーシケーだった。これが下ってやがて音楽だけにミュージックの単語が当てはめられるようになっていく。
→それに対して、日本語の音楽は・・・知らん。(何時の日か?)

自分用の覚え書き(飛ばして次に行って下さい)

→自然の音も音楽と感じた刹那に音楽なのか。(根本的な定義に含む事が出来るのか。それとも日頃聞く音楽から比喩的に認知されるだけなのか。)
→言葉とは異なるものとして認知されるといっても→ただし実際は、話される言語自体、(例えば中東などの国々の言語など)非常に音楽的に聞えるものがあり、その境界線は曖昧であるから、むしろ~
→さらに、音楽は鳴り響いて耳に音が到達したときに初めて成立する芸術・あるいは娯楽だとする考えがあり、その度に何らかの手段によって再現される事から再現芸術という言葉もよく使用されるが、ある程度歌や楽器を学んだ人ならば、実際はまだ一度も聞いた事のない楽譜を黙読している最中でさえも、ある程度の音楽は頭の中に浮かぶが、それは音楽ではないのだろうか。→袋小路理論は意味がない。例え自らの頭の中に音楽が鳴り響いても、音を出さない限りそれを伝える事は出来ないし、鳴り響かない音楽は伝えるすべがない、芸術の定義にしろ音楽の定義にしろ、社会的に多くの人に認められうる第1義を掴み取る事が定義なのだから、何たらかんたら。
→文章の場合、視覚に関係するが基本的には言語として把握され視覚芸術にはならない。ただし、書など美しい文字で書かれたり、今思いついたが、文字の色をドットに見立てて1ページごとに文章自体が挿絵になっているという小説があってもよいと思うが、これは見た事がない。どこかにあるかも知れないが、メジャーじゃない。この方法だと、視覚芸術にして文学作品たるから、内容と挿絵がすぐれていれば、非常にユニークな芸術となるのに。惜しい。何時か自分で遣ってみようかしら。うん、ぜひやって見たい。(アホめが、見づらいだけじゃ。)とすると、文章だって十分視覚芸術になりうる分けだが、書道のような特殊な場合以外を除いて、基本的には書かれた文章自体が問題とされ、文学となるのは、あまりにも私たちに密着した人間を人間とする思考とコミニュケーションの土台として、最優先で把握されてしまうためなのだろう。・・・それは安易すぎる、演劇だって言語が中核的構成要素になっているが、だからといって視覚的感動も、音楽による感動も同時に受けているはずだ、文学については、抽象的な記号としての記述言語を読んでいるときの脳の働きでも研究しないと話にならなそうだ。・・・すると、音楽だってまずは脳のどの部分がどのように働いているかのデータを収集した上で定義を加えないと、21世紀の著述としての甲斐が無いのかもしれない、これはすべての芸術を定義する時に言える事だから、時間を掛けて調べないと結論は出そうにない。
→言語が音楽に近い抑揚とリズムを持つ民族では、言語を話すときに一般に音楽を聴くときに活発化する脳の部分の活性化が大きいなどというデータがあるかも知れない。すると民族によっては、幾分かは言語は音楽なのかも知れない。さらに、そのような民族にあっては、声に出さないで文章を読むときにも、頭の中には音楽的言語が奏でられるかも知れない。その場合、それは音楽では決してないない純然とした文学というジャンルを設定する事が出来るだろうか。

いったいいつ頃から

・ホモ・サピエンス・サピエンスが登場してから初めて本格的な会話の出来る言葉を獲得したと云われているが、それに合わせて10~20万年前には何らかの歌のようなものが歌われていたものかは分からない。近頃3万年前頃のマンモスの角に穴を開けた笛が発見されたそうだが、壁画なども4,5万年前頃に描かれるようになり始める事から、その頃大きな文化的飛躍があって、それまでに始まっていた歌うことに加えて、その頃原始的な楽器の演奏などが行なわれ始めた、なんて事があったのかもしれない。やがて各地域の各民族が言語や生活環境の特徴に合わせてそれぞれ独自の音楽を持つようになっていく。ここまで来ると話は簡単だが、西洋音楽は、西洋に独自の音楽という事になる。次に西洋の定義が問題になる。

②西洋と東洋

・中東付近からオリエントと考えるヨーロッパ人にとっての東洋概念と、もっぱらアジア東を東洋と考える日本人としての概念が少しく異なるが、まずヨーロッパ側から見てみると。
・ローマ帝国時代にローマより東方の異民族的世界をラテン語でOriensオリエンス、つまり「日が昇る方」からOrientオリエントと呼んだ。つまりメソポタミア文明エジプト文明インダス文明発祥の地域は皆々オリエントと云う事になる。これに対して、ラテン語の日の沈む方から来ている言葉がOccidentオクシデントで、これらの言葉は後に中世ヨーロッパ社会に流れて、やがて今日のような意味でのヨーロッパ社会がオクシデント、対して東方の異教徒はびこる地域がオリエントと呼ばれるようになっていく。
・一方漢字の東洋西洋は、14世紀に中国で貿易を行なう為に広東の西側と東側地域を分けて東洋、西洋と呼んだのが始まりで、この時東洋諸国、西洋諸国の分類と、台湾、日本、琉球などを小東洋といい、南インドは小西洋、さらに今日のヨーロッパ辺りは大西洋と呼んだのだという。この言葉が日本にも取り入れられて、ユーラシア大陸の東の地域を東洋と、西の地域を西洋と言うようになっていくが、特にアジアの東部や南部に東洋という言葉が使用される事が多かった。そんな中に先ほどのオクシデントとオリエントの言葉が東洋、西洋の漢字で訳されるようになると、オリエントの方はシリア・イスラエル・イラクなど中東地方がオリエントであるため、ちょっと感覚的にそぐわない事になった。しかし開国以来、憧れ満ちる先進国としての西洋という言葉の方は、完全に今日と同じような意味で使用され、範囲の差はあれおおむねヨーロッパ文化圏(アメリカ込み)を指す事になった。
・さらに地域としての西洋はそれでよいが、今日に続く西洋社会の成立を加えて、時間的範囲を明確にしておくと把握しやすいかも知れない。特に西側ヨーロッパの成立はゲルマン民族が大移動した後から1000年頃に掛けて形成されたと考えられ、その意味でゲルマン民族大移動とローマ帝国崩壊頃から、今日に続く西洋社会が開始したと言える。これはルネサンス時代にアメリカ大陸に西洋人が上陸して先住民を虐待する事によって、以後アメリカも広く見た場合は西洋文化圏に含まれる事になる。(ただしアメリカ文化とヨーロッパ文化は細かく見ればかなり異なる面もある。)
・しかし、西洋社会(つまり今日につながるヨーロッパ社会)はそれ以前のギリシア文明からローマ帝国に至までの文化や学問から、大きな影響を受けたので、本当は社会的には同一でないギリシア、ローマ時代を自らの歴史のルーツだと宣言し、大喜びで歴史に取り入れているために、広い意味での西洋はギリシア・ローマ時代とその文化を受けて開始するヨーロッパ社会全部を指す事になる。

西洋音楽

・上に上げた①と②をつなげたのが西洋音楽だが、これは西洋の音楽だから、ただ単にアラビア音楽とか、中国音楽、日本音楽と全く同じ意味で、地域と民族に特有の音楽に過ぎないが、歴史的な意味においては、西洋が辿ってきた音楽活動の変遷と云う事になる。その場合は、楽譜に残され無かった数多くの音楽よりも、ギリシア音楽理論から影響を受けて発展し、いち早く楽譜に残されたキリスト教の聖歌と、幾分遅れて楽譜に残され始めた宮廷などで歌われた歌に始まって、残された音楽を経由して現在にまで至る音楽の歴史が西洋の音楽の中心になる。ただし芸術として見る場合はもっぱら「西洋音楽史」に書かれているような事を取り上げるが、実際は恐らく西洋が開始してから次々に生まれては消えていった大衆の歌、庶民の歌、などもすべてが西洋の音楽だから、今日西洋で生まれるポップスやロックやジャズなども皆々西洋音楽と云う事になる。しかし、このような純粋な地域的音楽の名称の他に、その地域的音楽の作曲技法の特徴を指して西洋音楽と云う事もあり、この場合西洋音楽の特徴が重要な要素を持ってくる。

・ごく大ざっぱに述べると、西洋の音楽発展が独特だったのは、やがて聖歌を1つの旋律で歌う代わりに、上と下で2つ別の旋律を付けて同時に歌い始めたことで、ここでポリフォニー(幾つかのメロディーを同時に奏でる音楽、「ポリ」はギリシア語の「polysポリス(都市国家のポリスはpolis)」「多数」を意味し「ポリバケツ」のポリと同じ。フォニーはギリシア語で音(フォン)を表わす「phonosフォーノス」で、つまり「多数の音・つまり声」ということになる。)が誕生する事になった。このポリフォニーでは同時に鳴り響く幾つかの音の響き(つまりハーモニー、和声)が音楽の美しさに大きな影響を持つ事から、旋律どうしの絡み合いと、共に響いたときのハーモニーを追求している間に、現在学校でも習う「ドミソ」「ドファラ」といった長調、短調の三和音を土台にして連続的に響きの良いハーモニーを継続しながら、同時に旋律同士の絡み合いも継続させるという方法が生み出され、ルネサンス時代の作曲方法になった。同時に次第に今日のピアノの鍵盤に見られるようなオクターヴの12音を構成音とする12音音階が形を整え始め、これがさらに時代が進むと、むしろ旋律同士が絡み合うよりも、1つの旋律を和声的な響きであるハーモニーが支えながら進行するホモフォニーの方が美しいと思われるようになって、(ごくいい加減に書けば)しかし旋律同士の絡み合いの巻き返しもあって、以下の音楽史に流れていくのだが、この際生まれた美しいハーモニーというのは、丁度「ド」の次に「レ」ではなく、「ミ」を重ね、その上に「ファ」ではなく「ソ」を重ねるように3度関係で積みかさねる響きによって成り立っていて、しかもこの響きは「ミ」が「ミ・♭」に為れば短調の暗い響きになるし、重ねる数を増やしたり、重ねる場所を変える(例えば「レ」から「レファラド」と重ねたときと、「ファ」から「ファラドミ」と重ねたときの響きが違うように。)とそれぞれ独特の響きを持つので、この響きの変化が感情にもたらす影響と、旋律のメロディー自体が感情にもたらす影響を相互に関係させる事によって、容易に情緒を揺さぶる音楽を書き上げる事が出来る。特にバロック時代(1600~)以降になると、小学校でも習う属7の和音(ソシレファ)から1の和音(ドミソ)に行くと非常に達成感が得られる事に関心が高まり、さらに一つの調性(例えばハ長調なら「ドミソ」を1の和音(主和音)として、常に帰ってくる和音として、属和音であるソシレを経由してドミソに戻る、これを繰り返す流れを土台において曲が書かれる)だけでなく、曲の途中に別の調の属和音を登場させそれを軸にして別の調性に移動する転調という方法を使用すると、次々に新しい世界が広がっていくような感覚が得られるので、12の音階を利用して調性を渡り歩きながら和声の響きと旋律で曲を書く調性音楽が確立していった。特にクラシックと云う言葉で多くの日本人が捕えるところの西洋音楽、モーツァルトや、ベートーヴェンや、ショパンなど古典派から前期ロマン派ぐらいまでの音楽はどれもこれも調性音楽だし、この調性音楽は19世紀以降ヨーロッパが世界中を植民地にして大喜びするのに合わせて、世界中に広がっていった。日本では開国をしたときに西洋音楽教育を導入して、伝統音楽が大いに廃れてみせ、今日のポップスなども楽譜を見るとコード進行が載っているのは、要するに西洋から生まれたハーモニーの関係を使用して曲を書いているのだし、これは演歌でも全く同じ、アメリカで始まったジャズも余計な音を沢山加えてはいても、全く同じハーモニーの関係を利用しつつ旋律を走らせている、と云う意味では、ヨーロッパ的な西洋の伝統から生まれた音楽になり、ある種の調性音楽である。したがって日本において一般人が西洋音楽というと、コード進行を持つハーモニーと、ピアノの鍵盤に当てはまる12音の中で作られたメロディー、そして小節線に区切られて、3拍子だの4拍子だの定期的に繰り返される拍子によって作曲された音楽だと考える人が一番多いかも知れない。やがて何時しか日本人の耳に西洋音楽伝統から生まれた作曲方法しか届かなくなった頃、何だか西洋音楽という言葉が非常に重みを帯びて感じられてしまったという切ない話が残されている。西洋においては、芸術的音楽とされるクラシック音楽においては、この調性音楽を打ち壊して新たな音楽を模索する運動が、すでに19世紀の終わり頃から盛んになっていくのだが、20世紀の内に大衆に浸透したポピュラー音楽のあまりの繁栄ぶりは、調性による音楽の勝利を物語っているのかも知れない。したがって、この部分こそが、西洋音楽といった場合に一番連想される作曲方法としての西洋音楽的な性質だと言えるかもしれない。しかし、振り出しに戻って、西洋音楽は何かと問われると、結局西洋で生まれた音楽だとしか言いようが無いのである。(調性音楽でない西洋音楽もあり、調性音楽である日本の音楽もあるから。)

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制作:Tokino工房

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