(幕前。ホレーショー、バーナード、マーセラス)
ホレーショ:デンマークの星空はドイツとはまた違うんだ、このつくような寒さと同じで射抜くように瞬いている。なんだか恐ろしいくらいじゃないか。お前達が亡霊の話など持ち出すものだから。
バーナード:ここは留学先のヴィッテンバーグとは違うのだ。デンマークの悪霊はドイツのように人懐っこくはない。何が目的で現れたのか、それすらも分からないまま消えていく。
ホレーショ:無きハムレット国王の姿のままで消えていくのだったな、バーナード。
バーナード:マーセラス、何か言ってやれ。ホレーショーは留学先で疑う事だけを学んできたようだ。まるで信じようとしない。
マーセラス:静かに。見ろ、あの尖塔だ。ひときわ輝くあの青い星がまた尖塔の上に輝いている。昨日と同じだ。そして1時を告げる鐘が鳴り響くのだ。
ホレーショ:その鐘に誘われて亡き国王陛下がこのエルシノア城にやってくるわけだ。
マーセラス:そう言っていられるのも今が最後だ。ほら、1時の鐘が。
(1時を告げる鐘が鳴り響く)
ホレーショ:ほら、何が起こると言うのだ。
マーセラス:静かに。見ろ、あの城壁のそばを、何も無いはずの暗闇があんなに青く揺らいで。
バーナード:昨日と同じだ、冷たい空気が青く光揺らいで大気が音を忘れたかのような静寂。見ろ、見ろホレーショー。
(亡霊現れる)
ホレーショ:信じられない、光のもやの中から現れたのはまさしくハムレット国王。葬儀を済ませたはずの国王がまだこのエルシノア城に未練を残して、このような暗闇の時刻をさ迷い歩いているとは。見ろ、行ってしまう。追い駆けなければ。
バーナード:馬鹿、止めるんだ。闇に飲み込まれるぞ。待て!
ホレーショ:構うな、あの亡霊を止めてやる。
(ホレーショー、亡霊に近付こうとする。振り向く亡霊。ホレーショーが、にらまれたまま足をすくませているあいだに、亡霊は再び歩みだして退場。)
マーセラス:ホレーショー、大丈夫か。
ホレーショ:あの人を飲み込む威厳に満ちた顔はまさしくハムレット国王のもの。他の誰にも真似できない。たとえ亡霊であっても。他のどの亡霊にあの顔が作れると言うのだ。それにしてもあの冷えた瞳の奥に、訴えかける赤い光が小さく燃えていた。何か伝えたい事があってこうして闇をさ迷い歩いているに違いない。
バーナード:そういえばあの甲冑には見覚えがある。
マーセラス:そうだ、かつてノルウェー国王フォーティンブラスを一騎打ちの試合で討ち果たした時の甲冑だ。
バーナード:長い対立に勝利の杭を打ちつけたあの時のお姿だったか。
マーセラス:だがそのとき奪われた領土を再び手に入れようと、そのフォーティンブラスの甥が兵を集めていると聞く。
ホレーショ:それで、エルシノア城にこれほどの兵が集まっているのか。
マーセラス:そうだ。名前も同じフォーティンブラス。老いた国王が王宮を離れているあいだに軍隊を掌握したらしい。
バーナード:まさか、今の亡霊。そのことを告げるために現れたのだろうか。
ホレーショ:分からない。だがこの話をハムレット閣下に伝えるのが我々の一番の忠義だと思うのだが、違うか。
マーセラス:そうだ。我々の判断すべき問題ではない。閣下ならきっと何か意味のある回答を引き出すことが出来るはずだ。
(一同退場)
(幕開く。ファンファーレ。国王クローディアス、その妃ガーツルード、宰相ボローディアスと息子レアティーズ。黒い喪服姿のハムレット。家臣、兵士達。)
ボローディアス:戴冠の儀式も滞りなく済み新しく国王となられたクローディアス陛下に、臣下すべての忠誠を改めて誓う。国王クローディアスに永久の栄光あれ。
臣下一同:永久の栄光あれ。
(一同、敬礼)
クローディアス:わが兄ハムレット国王が亡くなられてまだ日も浅く、私の国王就任に対し不服の者もいるだろう。この気に乗じかつて奪われた領土を奪い返そうとしているノルウェーの動きも気になる。皆の考えや行動が、デンマーク王国の存亡にも関わってくるのだ。全員の心が我が元に集まることを望む。宜しく頼むぞ。
ガーツルード:まだハムレット国王の死が信じられない人も多いでしょう。そういう私の心も亡き夫、ハムレット陛下を求めてさ迷い歩いています。ですが、私は国内の安定のために、喪が明けるとすぐにこのクローディアスの妻となりました。国王の血筋に異論を挟ませない為に、形だけではありますが婚姻を結びました。どうか、皆も、この国のためを第一に考えて、この新しい国王を支えていって欲しい。
クローディアス:そうだ、ガーツルードは自らの悲しみを胸に隠し、この新しい国王の妃となった。自分の感情よりも、このデンマークの安定が大切だと考えたからだ。お前たちも、デンマーク国を第一に考え、私に忠誠を尽くして欲しい。
一同:はっ。(返事は、何でもいい)
クローディアス:まず用件を片付けよう。ノルウェー国王の皇太子フォーティンブラスの件だ。療養中の国王の隙を突き軍隊を掌握したと聞く。都を離れている国王がその事実を知らないとは思えないが、まずは事の真偽が知りたい。ヴォルティマンド、コーネリアス、この親書をノルウェー国王に届けるのだ。そして、ノルウェーの情勢がどうなっているのか調べて欲しい。頼んだぞ。
2人:はい、かしこまりました。
(2人、親書を持って退場。)
クローディアス:どうだボローディアス、ノルウェー王も皇太子にうまく操られるほどの年とは思えないが。
ボローディアス:それどころかまだ皇太子を操っているのかもしれません。いずれ、もう少し様子を見る必要があるようでございますな。
クローディアス:そうだ、この話はすぐに続ける時が来るだろう。それよりお前の息子が私に用件があると聞いている。
ボローディアス:はい、実はレアティーズのやつがどうしても留学先のパリに戻りたいと申しまして。
クローディアス:なるほど。親としては留めたいが、毎日迫られれば心も揺らぐ。そんな所だろう。おい、レアティーズ、父親の承諾は得られたのか。
レアティーズ:はい、陛下。ようやく昨日許してくれたばかりです。どうか父の心が変わらないうちに、陛下のお言葉が伺えればこれ以上の幸いはありません。
クローディアス:さすが宰相の息子だ。だがボローディアス、本当によいのか?
ボローディアス:毎日顔が合う度に挨拶代わりの留学話。私が何を言った所でみんな上の空。仕方が無い、親の方が根気負けです。
レアティーズ:ありがとう、父さん。
ボローディアス:馬鹿者、国王陛下の前だぞ。
クローディアス:気にする必要は無い。レアティーズ、留学は許すがあまり父親に心配をかけるな。宰相の仕事に支障が出ては困る。
レアティーズ:お言葉、深く胸に刻んでおきます。
クローディアス:駄目だレアティーズ。言葉とは裏腹に心はもうフランスに飛んでいる。まあ、遣りたいように生きるがいい。それが若さの特権だ。どうした、ハムレット、その沈んだ顔は若者には似合わないぞ。
ハムレット:失礼ですが国王陛下、暗く沈んでいるのは私の着ている黒い服のほうです。私の心が沈んでいるわけではありません。
ガーツルード:一体いつまでそのような喪服姿で過ごす積りなのです。今日は新国王の戴冠の儀式だというのに、戴冠の光に当て付けるかのように黒い服を着て。
ハムレット:当て付けるですって母上。私はただひと月の間喪服を着る慣わしに従っているだけではないですか。
ガーツルード:もうふた月になるというのに、なぜ葬儀の服を着続けるのかと聞いているのです。
ハムレット:ふた月ですって。それは知らなかった。失礼しました。今は亡き先王に弔いの祈りを捧げるのに一生懸命で、つい日付を数えることも忘れていたもので。
ガーツルード:ハムレット!
クローディアス:よい、ガーツルード。親への愛情の深さ、悪い事ではない。だがハムレット、お前ももう子供ではないのだ。それにお前は次の国王となる身。偉大な父親の死とあまりにも急な母の再婚に、黒い服でのささやかな反抗、分からないでもないが、亡きハムレット国王が見たらなんと思うだろう。下らない感情は胸の内にしまい、デンマーク王国のことを考えるのだ。分かったな、ハムレット。
ガーツルード:それが母の望みでもあります。分かりましたか、ハムレット。
ハムレット:お言葉、胸の内にしまっておきます。
クローディアス:その言葉お聞いて安心した。さあ、祝杯の準備が整っている。皆、服を着替えて祝宴に参加するがいい。ハムレットもその服を着替えて、晴れやかな姿で私を祝って欲しい。
ハムレット:出来る限り国王の意に従いましょう。
(一同、敬礼。国王、以下順に退場。幕が下り、幕前にハムレット。)
ハムレット:下らない、民衆の噂が気になるからといって、喪服で戴冠式に出るなんてどうかしている。この服装、一体何の意味があるというのだ。何も変わらないと知りながらの行為。確かに子供呼ばわりされても仕方がない。それにしても父上が亡くなってからのデンマークはどうなっているのだ。民衆の間には確信めいた噂が広まり、ついには亡き父上の亡霊がその噂を広めていると聞く。この二ヶ月の間に宮廷内の騎士が三人も謎の死を遂げ、ノルウェーまでも不審な動きを見せている。どこかに不正があるのは間違いない。それが父上の死と関係しているのならば、必ずその悪事を見つけ出してやる。
(ホレーショー、マーセラス、バーナード登場)
マーセラス:ハムレット様、こちらでしたか。
ハムレット:ああ、マーセラスか。元気そうで何よりだ。
ホレーショー:何を馬鹿な返事をなさっているのです。
ハムレット:ホレーショー、ホレーショーじゃないか。どうしてここに。いつデンマークに戻ったのだ。俺に一言の連絡もなく。
ホレーショー:ええ、ウィッテンバーグの大学を追い出されまして。
ハムレット:ふざけたことを言うな。この優等生の鏡、ホレーショーを追い出す学校があるものか。
ホレーショー:実は閣下の、お父上の葬儀のために参りました。
ハムレット:ひどい冗談だ。閣下などという言葉、どこで覚えてきたのだ。本当は今日の戴冠の宴に出席するために戻ったのだろう。
ホレーショー:実は2つを兼ねてみました。
ハムレット:節約のしすぎだ、ホレーショー。葬儀用の冷めた食事を暖めなおして母上の結婚式に。今日の食事はその残りだ。わずかふた月の間に三度も使い回されて、父上が見たらさぞ悲しむだろう。
ホレーショー:実は、そのハムレット国王についてお話があるのです。
ハムレット:今更何の話がある。もう、二度と会えないというのに。
ホレーショー:実は昨日お会いしたような気がします。
ハムレット:誰に。
ホレーショー:亡きハムレット国王に。
ハムレット:まさかお前達まで、夜な夜なデンマーク王国を歩き回る父上の姿を見たというのではないだろうな。
バーナード:閣下。
マーセラス:どうしてそれを。
ホレーショー:知っておいでなのですか。
ハムレット:なんだ、三人揃って深刻な顔をして。知るわけがないだろう。お前達こそ民衆の噂を知らないのか。丁度あの噂について考えていたのだ。
バーナード:でしたら考えるより先にお耳に入れたいことがございます。
ハムレット:そのようだな。ここでは落ち着いて話も出来ない。まず、俺の部屋に行こうじゃないか。話はそれからだ。
3人:かしこまりました。
ハムレット:そりゃあひどい、ハムレットと友人でいたいなら、そんな返事は止めてくれ。いいな。
ホレーショー:これは失礼しました。では、さっそく行きましょう、ハムレット様。
ハムレット:よし。
(3人退場)
(幕開く。レアティーズとオフィーリア。)
→(自己注意書き。やっぱり偉大な「すまいとばし思うて。」は使用したいものです。)
レアティーズ:いいかい、オフィーリア。今日のようにおだやかな風が吹き船が出港する日には、眠ってなどいないでちゃんと手紙を書いてよこすんだよ。
オフィーリア:あら、私眠ったりなんかしないわ。お兄さんこそフランスのことばかり考えて、時々は私たち家族のことも思い出さなくっちゃ駄目よ。
レアティーズ:馬鹿を言うな、向こうに行っても時々は手紙を書くさ。
オフィーリア:だってこの前の留学の時なんて、一度も手紙なんて書かなかったじゃないの。
レアティーズ:そうだったかな、じゃあ手紙の約束は保留にしておいた方がいいな。
オフィーリア:そんなのは嫌よ。ちゃんと返事を書いて下さい。
レアティーズ:もちろん今日のような出港日和が見付かればすぐにでも返事は出せる。でも果たしてパリに穏やかな風が吹いているかどうか。
オフィーリア:また馬鹿にして。いくら私でもパリに港がないことぐらいは知っています。
レアティーズ:なに、パリぐらい大きな都市になると、舟の方も陸上を走ってくるのさ。おっといけない、あまりぐずぐずしていると父さんとの別れがもう一度繰り返されてしまう。もう行くよ。
オフィーリア:あら、もう遅いわよ。ほら、あそこにお父様。
レアティーズ:しまった、ゆっくりしすぎたらしいな。
(ボローディアス入場。)
ボローディアス:レアティーズ、まだこのような場所をうろついていたのか。船が待ちきれずに港を離れたらどうするのだ。
レアティーズ:父上に最後のお別れをしようかと思いまして。
ボローディアス:丁度よい、昨日言い足りなかったことが山ほどあるのだ。父の最期の言葉として十分に胸の中に叩き込んでやらねば。だが、その前に昨日言ったことの復習だ。まず留学の心構えの中心となるものはそもそも、学生同士の間違いを尊ぶ下らない感情に身を任せないこと。これが大事だ。仲間内で認められたいがために、馬鹿馬鹿しい、わざと道を踏み外して皆から喝采を受けるなどということがあってはならん。それを心に留め置きながら、まず第一に守るべきなのは昨日も言ったはずだ。覚えているだろうな。
レアティーズ:父さん、大丈夫ですよ。昨日伺ったお話なら、正しいディアロゴスも金銭管理も真で通る嘘ならばもみんな覚えています。ほら、もう本当に船が出てしまいます。それでは、お父さん、オフィーリア、お元気で。
(レアティーズ逃げるように立ち去る。)
ボローディアス:こら、レアティーズ、まだ話が済んでおらんぞ。まったく。
オフィーリア:お兄様はあれでも確りしているから大丈夫だわ。
ボローディアス:分かっている。だが、相手が疲れ果てるぐらいに言い続けて丁度よいのだ。そうすれば、いざ何かあったその瞬間に父の顔が先に浮かぶかもしれないではないか。そのおかげで、道を踏み外さずに澄んむ場合だってあるかもしれない。。それよりオフィーリア。お前に話があるのだ。
オフィーリア:なあに、お父様。
ボローディアス:なあにではない、大事な話なのだぞ。
オフィーリア:はい。
ボローディアス:私としたことが、迂闊だった。このデンマークの危機を乗り越えようと仕事におわれるあまりに、つい自分の娘を見守る義務を忘れたのだ。死んだ母さんが見たらなんというだろう。私は、私はあいつに顔向けが出来ないよ。
オフィーリア:お父様、何を言っているのです。。
ボローディアス:とぼけるのではない、お前がハムレット様とこっそり会っていると、私の部下が知らせに来たのだ。どうなのだオフィーリア。
オフィーリア:え、いえ。そのようなお話は。
ボローディアス:とぼける気か。ではこの手紙はなんなのだ。お前の机の中に入っていたこの手紙は。
オフィーリア:ひどい、お父様。ひとの机を勝手に覗くなんて。
ボローディアス:馬鹿者。他の誰と付き合おうと娘の机を勝手に覗いたりするものか。お前はあの方がどのような立場にいるのか分かっているのか。次の国王となられるお方なのだぞ。たとえそれが恋愛であろうと国家の大事になりかねないのだ。まして私は宰相の地位にある。それを実の娘がハムレット様と逢引を重ねていたとは。オフィーリア、そのぐらいの分別は教えておいたはずだったのに。
オフィーリア:ごめんなさい。
ボローディアス:一体いつから付き合っているのだ。
オフィーリア:もう半年ぐらいになります。
ボローディアス:私はそれほどの間自分の娘を見過ごしていたのか。デンマークの宰相がめくらでは、ノルウェーに付け込まれるのも無理はない。情けない話だ。
オフィーリア:違うの、お父様。出会ったのが半年前なの。始めはただ仲のいいお友達。愛を打ち明けられたのはまだ最近のことです。
ボローディアス:それでは、まだお前ははっきりした返事をしていないのだな。
オフィーリア:はい、その前に国王様がお亡くなりになってしまって。それからは落ち着いてお話も出来なくなってしまったのです。
ボローディアス:それは良かった。まだ手遅れではなかったか。それでは最近は会っていないのだな。
オフィーリア:いえ、少しの間でしたらよくお会いして。
ボローディアス:やれやれ、困ったものだ。お前は今でもハムレット様に夢中なのだな。それで、ハムレット様のほうはどうなのだ。ハムレット様はお前をどう思っているのだ。遊びの積りなのか、それとも真剣なのか。どうなのだオフィーリア。
オフィーリア:そんなの、そんなの分かりません。ひどい、そんなの私のほうが聞きたいのに。
ボローディアス:これは聞き方がまずかった。私までが熱くなってどうするのだ。恋の相手の気持ちほどわからないものはない。こんな調子では宰相の仕事も危ういな。いいかい、オフィーリア。最近のハムレット様はお前に対してなんと声をかけてくるのだ。
オフィーリア:はい、ただ愛しているとしか。
ボローディアス:愛しているとしか。それだけでは言葉が足りないというのか。それだけで足らずにお前はもっと沢山の言葉が欲しいというのか。駄目だオフィーリア、ハムレット様にすっかりのぼせているのだな。
オフィーリア:でも、お父様。
ボローディアス:でもではない。ハムレット様は次の国王となるお方なのだぞ。お前だっていくらなんでもそれぐらいは分かっているだろう。
オフィーリア:でも、ハムレット様の真剣な眼差しを見ていると、吸い込まれてぼうっとしてしまって。
ボローディアス:とても聞いてはいられない。すっかりのぼせ上がってしまっているのだな。やがて捨てられるのは目に見えているというのに。オフィーリア、奥の部屋に来なさい。ほんの一時の感情に流されて、一生を台無しにされたのではたまらない。お前はたった一人の大切な娘なのだぞ。幸せになって貰わなければ、死んだ妻に申し訳が立たないではないか。さあ来なさい。そういう恋がどんな結末を見せるのか、父はもう何十何百と見てきているのだ。
(2人退場。幕降りる。)
(幕前。ハムレット、ホレーショー、マーセラス。)
ハムレット:星が綺麗だ。
ホレーショー:風が当たって痛い。
ハムレット:その風が星達を危ういくらいに瞬かせて、夜の不思議な精霊達がいつになく騒いでいるように見える。亡き国王陛下を迎えるのにふさわしい夜ではないか。
ホレーショー:ハムレット様、やはり私達のお話。信じてくださらなかったのですね。
ハムレット:いや、悪気はない。悪気はないが、可笑しいではないか。お前達こそが亡霊を見たという噂の生みの親なのではないか。
マーセラス:いえいえ、ハムレット様。今にそのような冗談は言えなくなるはずです。つい少し前、ホレーショーが殿下と同じように私の目をからかっていました。
ハムレット:今夜は私が思い知るというわけか。お前達がそれほど言うのだ、根も葉もない冗談ではなさそうだ。ところで何時になった。
ホレーショー:まだ12時には。
マーセラス:いや、先ほど鐘が。
ホレーショー:気が付かなかった。
(華麗なファンファーレと大砲の音。)
それよりもハムレット様、今の音は?
ハムレット:お祭り騒ぎを知らないのか。今日は国王の戴冠式ではないか。
ホレーショー:確かにそうですが。
ハムレット:ホレーショーは王宮の儀礼はあまり知らないだろう。幸せ者だな、君は。デンマークの王室といえば諸外国も震える偉大な行事がある。それがあれだ。
ホレーショー:戴冠の宴がですか?
ハムレット:戴冠に限ったことではない。このデンマークといえば何か祝辞がある度に、夜通しの宴会騒ぎ。戦勝の宴、婚礼の宴、大臣就任の宴に、外国使節歓迎の宴、ひどいのになると王子初夜の宴などというものまである。何がなんだかこじつけて酒を飲んでいるとしか思えない。
ホレーショー:それが諸外国に聞こえがよろしくないと。
ハムレット:ホレーショー、随分と見通しが良い答えじゃないか。まったくその通りさ。あの宴会騒ぎのおかげでデンマークはどんな業績も水の泡、外国に伝わる噂といえば、その後に開かれたドンチャン騒ぎの話しだけなのだ。ノルウェーに見くびられるのも無理はない。ほら、また大きなファンファーレだ。
(ファンファーレと大砲の音。)
それにして随分寒い。
マーセラス:なにやら急に大気が一段と研ぎ澄まされてきたようです。
(時を告げる鐘が鳴る。)
1時の鐘だ。
ホレーショー:見ろ、あそこを。この前と同じだ。丁度尖塔の先にあの星がきらきらと瞬いて、危うく瞬いて。
マーセラス:ハムレット様、あそこです。城壁の隅の闇からいつの間にか青い光がにじみ出て。
ハムレット:揺れる光が満天の星と呼応するかのように怪しく瞬いている。どういうことだ。次第に光のもやから人の形が生み出されていくように見える。
ホレーショー:ハムレット様。ほら、あそこに見える影。闇から現れようとしているあの人物をご覧下さい。
ハムレット:信じられない。いつの間にか甲冑をまとったその姿。あれはまさしく父上の姿。亡きハムレット国王陛下のお姿ではないか。顔を甲冑で覆い、眼だけが威圧も高く我々の足を止める。あの眼は父上の眼だ。
マーセラス:毎日のようにあの場所に現れるのです。そして我々が一声掛けようものなら、まして近付こうとしようものならたちまち消えてしまう。
ハムレット:どけ、呼びかけて見よう。
(ハムレット、亡霊の方に少し近付く。)
待て亡霊、亡きハムレット国王の姿そのままのいでたちで、このように暗闇を歩き回る。口が利けるのならば答えろ。なぜ夜ごとに我々の前に姿を見せるのか。
マーセラス:いつもと同じだ、黙って行ってしまう。
ハムレット:いや、見ろ。手がわずかに動いているのが見える。手招きをしているのか。俺についてこいというのだな。待っていろ、亡霊。
(ハムレット、亡霊の方に進む。)
ホレーショー:お待ちください、ハムレット様。
(ホレーショー、ハムレットを止める。)
ホレーショー:殿下、行ってはなりません。
ハムレット:離せ、行ってしまう。この俺に伝えたいことがあるに違いない。
ホレーショー:ですがあれは悪霊が人心を捉えるときの常套手段。付いて行ってはなりません。
マーセラス:罠かもしれない。
ハムレット:まだ手招きをしている。見ろ、あの手が呼んでいる。離せ、実の親に呪われるなら本望だ、亡霊の姿に変わろうとも父親は父親。呼ばれて留まってなどいられるか。えい、離せ。
(ハムレット、ホレーショーの手を振り解いて、亡霊の方に走り去る。)
ホレーショー:お待ち下さい。
マーセラス:ハムレット殿下。
ホレーショー:どこに行った、姿が見えなくなってしまった。闇の中に吸い込まれてしまったようだ。
マーセラス:ホレーショー、どうする。
ホレーショー:とにかく探すんだ。
(2人走るように退場。)
(幕開く。亡霊とハムレット。)
ハムレット:どこまで行く積りだ。まだ天上にも昇れず闇夜をさ迷い歩く。現世に対して大きな心残りがある証拠。この俺を待っていたのならば、今こそすべてを語るとき。止まれ、亡霊。
(亡霊、立ち止まりハムレットの方を向く。)
亡霊:ハムレット、我が息子。この姿を見ろ。天と地の間を灼熱の業火に焼かれ、体中の血液が煮えたぎって我を狂わせる。生きたまま殺された恐怖を見ろ。
ハムレット:ようやく口を開いた。
亡霊:我が魂は天上に入ることを許されず、我が魂は地に落ちることを許されず、地獄よりもさらに恐ろしい苦しみに、昼も夜もなくさいなまれつづける。心に受け入れる準備もなく、無理やり命を奪われたからだ。死の覚悟を祈る間もなく、生きたまま殺されたからだ。
ハムレット:生きたまま殺されただと。
亡霊:そうだ、ハムレット。聞け、我が息子。
ハムレット:早く話せ。そのためにここに来た。
亡霊:ハムレット、ハムレット、我を信じよハムレット。まだお前の心に強い疑いの眼差しが我の言葉をさえぎっている。
ハムレット:だから話してくれ。そうすれば俺も、お前を悪霊ではなく父上だと認めるはずだ。俺だってこの非礼を謝り、今までの苦しみを放ち、あなたの前で泣きたい。
亡霊:変わっていない、ハムレット。我が言葉を聞け。私の体は、度重なる心労に耐え切れず、不意に張り裂けた。いつもの昼の休みに、王妃の心安らぐ歌声に、我が傷んだ体はついに起き上がることを忘れた。それが国王急死の真実だという。ハムレット、この父の体はそれほどに脆いものだったのか。我が気力はそれほどに小さいものだったのか。
ハムレット:そのようなわけがない。誰もが信じられないからこそ、国中にあらぬ噂が出回っている。
亡霊:その噂は何を伝えている。お前は何を聞いた。その噂の中にこそ真実が隠されている。
ハムレット:回りくどい。はっきり言ってくれ。
亡霊:お前が今胸の内で考えたその言葉こそ真実。なぜそれを否定しようとする。お前はすでによく知っている。お前はもう何度も考えた。
ハムレット:信じるのが恐ろしいからだ。証拠も確信も見付からないからだ。
亡霊:我が姿がお前の確信となり、我が言葉が証拠となるだろう。我が言葉を忘れるなハムレット。我は殺された、我は生きたまま殺された。殺した男はクローディアス、国王の座を奪いしクローディアス。
ハムレット:クローディアス!馬鹿な、あの男にそのような勇気があるものか。
亡霊:その勇気を与えられたのだ。
ハムレット:与えられただと。
亡霊:お前のすぐ近くにいる女に与えられたのだ。
ハムレット:何を言っている。それ以上は言うな。
亡霊:耳を塞ぐなハムレット。我は生きたまま殺された。殺した男はクローディアス。そしてそれを助けたのは、お前の母ガーツルード。我が妃、ガーツルード。恐ろしきは女、我が親愛の情を裏切り、我が兄弟と臥所を共にした。我は最も信頼するものに殺された。
ハムレット:黙れ亡霊。やはり俺の心を捉えに来た悪霊だな。
亡霊:いつもの昼の休息、穏やかな眠りについた。その間に我が命を奪われるとは夢とも知らず。
ハムレット:殺されたなら証拠が残るはずだ。死因は調べられた。そのような偽りを信じると思っているのか。
亡霊:ハムレット、国王秘伝の毒薬を忘れたか。決して死因を究明出来ない国王だけの毒薬。代々国王だけに伝え次がれる、呪われた毒薬。
ハムレット:ヘボナの毒薬!
亡霊:持ち出せるのは我をおいてただ一人。それはお前の母、ガーツルード。つい口を滑らせたその毒薬に、我は自らの命を奪われた。昼の穏やかな眠りに、そっと流し込まれたヘボナの毒薬。意識を呼び戻す間もなく、たちまち我が魂を抜き取り、二度と起き上がることはない。我が魂は死を悟ることもなく肉体を離れ、こうして天と地の境をさ迷い続ける。復讐の熱き血潮だけが、我を死者達の国へと導くのだ。復讐だ、我が無念を晴らせ、この国の悪事を正せ。正義の名の元に、デンマーク王国を情欲の臥所から解き放て。我は生きたまま殺された。間もなくまた強い光に焼かれ、天と地の間を灼熱の業火の中。
(亡霊、消えるように去る。)
ハムレット:待て、待ってくれ父上!ハムレット国王!
(幕下りる。)
2003/春