(幕前。ボローディアスとオズリック。)
ボローディアス:それで例の噂について何か新しいことでも見付かったのか。
オズリック:いえ、残念ながら。どこから現れた噂なのか、どこまで本当なのか、明確な証拠は今だ見つかっていません。
ボローディアス:あの民衆の噂ときたら始末に終えない。広がりだしたら元の話をないがしろにして立ち昇っていくのだ。ついには亡きハムレット国王が亡霊となって、毎晩この王宮をさ迷っていると聞く。あの者達は丁度いい話が泳いでいると、それに尾ひれを付け足さなければ気がすまないらしい。だが、ハムレット国王が殺されたなどという噂が何もない所からくすぶり出すはずがない。噂がそのまま真実たとは思えないが、間違いなく不正の火付け役がどこかに潜んでいるのだ。いいか、どんな小さなことでもよい、必ず見つけ出すのだぞ。
オズリック:分かっております。
ボローディアス:だがオズリック、気を付けて行動するように。すでに3人もの貴族達がこの王宮内で死んでいのだ。くれぐれも4人目にならないように気をつけなくてはならん。彼らの不可解な死も、民衆の噂も、たぐり寄せれば同じ所に行き着く違いない。よいな、お前のような冷静沈着なものでも、年が若いというただそのことによって失敗することがあるものだ。このボローディアスがいつも言っていることを忘れてはいかんぞ。
オズリック:はい、それでは引き続き調査を続けます。
ボローディアス:頼んだぞ、オズリック。
オズリック:はっ。
(オズリック退場。)
(オフィーリア走ってくる。)
オフィーリア:お父様。
(オフィーリア、ボローディアスに泣きつく。)
ボローディアス:どうしたのだ、オフィーリア。
オフィーリア:お父様、ハムレット様が、ハムレット様が。
ボローディアス:ハムレット殿下がどうしたというのだ。泣いていては分からないではないか。
オフィーリア:だって、お部屋に入ってくるなりいきなり。
ボローディアス:何だと、いきなりどうしたというのだ。
オフィーリア:いきなり私の体を抱き締めて。
ボローディアス:何ということだ。有無を言わさぬ強硬手段に訴えるとは、いくらハムレット様とはいえ、到底許せん。よくも私の可愛い娘をまだ結婚もしていないというのに。
オフィーリア:お父様、待って下さい。違うのです。
ボローディアス:えい、何が違うというのだ。いきなり抱き締め、抱き寄せ、抱き倒したというのではないのか。
オフィーリア:お父様、そんなことでは。
ボローディアス:はっきりしない、何がどうしたというのだ。ちゃんと説明しなければ分からんではないか。
オフィーリア:ひどい、いきなりお話をさえぎって、そんなに大きな声で。
ボローディアス:これは済まなかった。たった一人の娘に何があったものかとつい熱くなってしまった。泣くんじゃないオフィーリア、私が悪かった。さあ、ゆっくりでいいから、何があったか話してごらん。
オフィーリア:はい。いま話します。でもいきなり抱き締められて、頭が真っ白になってしまって。それから、どのぐらいの間そうしていたのかしら。ずっといつまでも同じ格好で時が止まってしまったみたいで。でもハムレット様は突然に私の体を突き放して、僕達は終わりだと言うのです。寂しい声で終わりだと言うのです。そして私があまりにも急な言葉に心が動転して何も答えられないでいると、悲しい瞳で私を見詰めるのです。まるで静かに夜明けを待つかすみ草の、葉の先に集まった露の一滴のような深くすんだ悲しい眼差しで、私を見詰めるのです。
ボローディアス:かすみ草などはどうでもよい。それでどうしたのだ。
オフィーリア:はい。私がようやく気を取り直して何か言おうとした途端に、突然頭を下げてごめんなさいって言うのです。悲しいお顔をなされるのです。私はもうどうしていいか分からないで、心が動転してしまって。そうしたらいきなりハムレット様は部屋を出て行かれてしまって、私はたった一人で取り残されて、捨てられたみたいに一人っきりにされて。
(オフィーリア、ボローディアスに泣きつく。)
ボローディアス:分かった、分かった、泣くなオフィーリア。それにしてもごめんなさいとは随分不可解な言葉だ。
オフィーリア:もう終わりだというのです。だからごめんなさいなのです。
ボローディアス:最近ではそんな言葉までが愛の挨拶なのか。年寄りにはなんだか付いて行けないものがある。まあよい、オフィーリア、最近殿下に対して何か申し上げはしなかったか。
オフィーリア:ひどい、お父様がもう会ってはならないとおっしゃったのではありませんか。
ボローディアス:分かった。返事のたびに泣かないでもよい。泣き虫な所だけはいつまでたっても子供の頃のままだ。ほら、好い加減に顔を上げなさい。
オフィーリア:はい。
ボローディアス:一時の戯れで娘の一生を台無しにされたのでは堪らないと、つい先を急ぎすぎたらしい。殿下がそこまでお前のことを思い詰めているとは思わなかった。もっと慎重に様子を見守るべきであったか。これでよく宰相の仕事が勤まるものだ。とにかく、私は一度国王陛下にすべてお話しした方がよさそうだ。さあ、こっちに来なさい。私だってもしも二人の気持ちが本気ならば、出来るだけ見方になってやりたい。だが次の国王と宰相の娘の恋、私の首がもたないかもしれない。
(2人、退場。)
(幕開く。ファンファーレ。国王、王妃、臣下達。、ローゼンクランツ、ギルデンスターンら。)
クローディアス:よく来たなローゼンクランツ、ギルデンスターン。すっかり軍人らしい顔付きになった。会うのは久し振りだが、お前達の軍隊での活躍は何度も耳にしている。子供の頃ハムレットと共によく遊んでやったお前達が次々に勲功を立てるのを聞いて、私も実の親のように嬉しいぞ。
ローゼンクランツ:ありがとうございます。国王陛下よりそのようなお言葉を頂いて、身の縮む思いです。
ガーツルード:いちいちそのしっかりとした体を縮めなくてもいいでしょう。ハムレットもそのぐらい立派な体格を身に付けて、男らしくしっかりとした態度を取ってくれればいいのだけれど。
ギルデンスターン:いえ、ハムレット殿下は細身ではありますが、剣の腕にかけては今でも私たちなど子供を扱うのと同然な様子で討ち果たしてしまうことでしょう。
ガーツルード:ギルデンスターン、そういうところは変わっていませんね。そんなに無理をして思ってもいない言葉を並べなくてもいいのですよ。言葉の方が嫌がって変に間延びしているではありませんか。
ギルデンスターン:申し訳ありません。
ガーツルード:確かに子供の頃はお前たち二人が同時に掛かっていっても、ハムレットから一本取る事は出来なかったのにねえ。今では剣術までも上の空で誰とやっても一本取られるばかり。もう少ししっかりして欲しいのですが。
ローゼンクランツ:手紙にはハムレット殿下の胸の内を探って欲しいと書いてありましたが。
クローディアス:その通りだ。詳しいことは言えないが、このところのあいつの様子は普通ではない。何か人に言えない秘密を心の内に隠し持って苦しんでいるとしか思えない。最近では実の母親であるガーツルードに対してさえも心打ち解けない様子だ。知っての通り国内は今だ不安定な状態にある。民衆の間ではあらぬ噂も出回っている。ハムレットの悩みが若者にありきたりの些細なわずらいならばよいのだが、影であらぬ先導を受け、自分の父親の死や私の国王就任について余計な思いを抱いているのかもしれない。あいつもまだ若い、下らない悩みが心の中にあらぬ幻想を作り出し、例えば私の国王就任を不服とする者達に利用される可能性だってある。下らない心配ではあるが、国王としては皇太子の心のうちを知っておく必要もあるのだ。それに、義理の親とはいえ、私もハムレットの父親になった。あいつに何か悩みがあるのならば、私も何か力になってやりたい。それでまず気楽に話の出来るお前達を呼んだのだ。つまりあいつの相談相手になってやって欲しい。そして、ハムレットの悩みがもしもこの国の政治に関わってくるようならば、その時は私の部下としてそれを報告して貰いたい。
ローゼンクランツ:よく分かりました、必ずハムレット殿下の胸の内を聞き出して見せます。そしてそれがデンマーク王国と国王陛下に不信を抱くようなものであったならば、直ちに陛下に報告することこそがハムレット様にとっての最大の友情と心得ます。
クローディアス:それでよい。任せたぞ。
ガーツルード:ハムレットもきっとお前達にならば心を開くでしょう。ついでにもう少し一人前の男らしく振舞えるように、お前達がいい刺激になるとよいのだけれど。
ギルデンスターン:お任せ下さい。昔はどんな悩みも三人で分け合いました。その思い出さえ残っていれば、ハムレット様もきっと悩みを打ち明けてくれるはずです。
ガーツルード:宜しく頼みましたよ。
2人:はい。
(ボローディアス入場。)
ボローディアス:陛下、ノルウェーからの使者が今戻りました。
クローディアス:よし、ここに通せ。ローゼンクランツ、ギルデンスターン、さっそくハムレットのところに行ってやってくれるか。
ローゼンクランツ:かしこまりました、では失礼します。
(ローゼンクランツ、ギルデンスターン退場。替わってヴォルティマンドとコーネリアス、ボローディアスに連れられて入場。)
2人:ただ今戻りました。
クローディアス:2人ともご苦労だった。それでノルウェー国王の返事は聞くことが出来たのか。
ヴォルティマンド:はい。ノルウェー国王はフォーティンブラス王子の軍隊掌握の話に大変驚きのご様子でした。まずは都に戻り事実を確かめ、改めてデンマークに対し使者を立てたいとのお話です。それまでは親書にてデンマークに対し不正のないことを記すと、これをお渡しになられました。
(親書を手渡す。)
クローディアス:それでお前達、ノルウェー王は王子に軍隊を掌握されるほど健康状態が悪かったのか。それに気が付かないほど気力が衰えていたのか。お前たちにはどう写った。
コーネリアス:正直に申しますと、とてもお元気そうに見えました。まるで狩をする為に都を離れたかのような生き生きとした様子。
ギルデンスターン:実際に鹿狩りに出かけたとの噂も聞きました。
クローディアス:まあ、そんな所だろう。ボローディアス、ノルウェーの行動は国内の動乱を静める為と見てよいのか。我が国に危害を加えるものではないのだな。
ボローディアス:我が国に進入する為の策にしてはあまりにも馬鹿げた行動。おそらくは内部分裂して争っている軍隊を一気にまとめようという策かと思われますが。
クローディアス:ノルウェーも政権が安定していないということか。いずれノルウェーについては監視の目を怠ってはならない。ヴォルティマンド、コーネリアス、引き続きノルウェーの情報を集めるのだ。だが今日はもう疲れただろう、帰ってゆっくり休むがいい。2人ともご苦労だった。
2人:はっ。
(ヴォルティマンド、コーネリアス退場。)
クローディアス:ボローディアス、ノルウェーの件はこれで方が付いたと見てよいのか。
ボローディアス:難しい所でございます。偉大な国王ハムレット陛下が亡くなられた今こそデンマークに攻め込む絶好の機会。フォーティンブラス王子どころか、ノルウェー国王本人がそう考えても不思議はございません。
クローディアス:監視の目を緩めてはならないということか。ボローディアス、引き続き軍隊の維持に努めるのだ。
ボローディアス:かしこまりました。ところで陛下、ハムレット閣下についてお伝えしたいことがございます。
クローディアス:何か分かったのか。
ボローディアス:はい、国王陛下のご不興を買うのを承知でお話いたします。
クローディアス:余計な気兼ねは不要だ。早く話してくれ。
ボローディアス:実はハムレット閣下が私の娘に当ててこのような手紙を一筆したためておりまして。隠し続ければかえってハムレット閣下が誤解を受ける恐れもあると、こうして持ってまいりました。
(ボローディアス、手紙を取り出す。)
ガーツルード:ハムレットがオフィーリアに手紙を書いたですって?
ボローディアス:これを読んでいただければ、ハムレット様の最近の憂鬱の悩みが青春病に過ぎなかったことがお分かりになられるはずです。
クローディアス:ハムレットがお前の娘の為に病気になっていたというのか。構わない、その手紙を読んでみてくれ。原因さえ分かれば対処のしようもある。
ボローディアス:では失礼をしまして。『私の一人ぼっちの天使、真実の言葉の意味、いとしいオフィーリアへ。』これはいけない、年に一度の飾りすぎだ。読んでいる私の方が恥ずかしくなってきた。
ガーツルード:これをハムレットが、オフィーリアに?
クローディアス:とにかく最後まで読んでくれ、ボローディアス。
ボローディアス:それでははがゆさをこらえて真面目に読んでみましょう。
『君が祈りを捧げるあの一番星の瞬き
あの確かな夕空の輝きがたとえ嘘だとしても
君が朝の挨拶を交わすあの暖かな太陽
その確かな朝空の日差しがたとえ嘘だとしても
僕達の周りにあるすべての自然の営みが
すべてはかない幻に過ぎないと知らされても
あなたへの愛だけは決して
ああオフィーリア、詩を書くのは苦手です。心に次々と浮かぶ沢山の思いを、すぐに書き留めたい情熱を我慢して、丹念に言葉の綾を織り込んでいくほど心にゆとりはありません。僕の心はあなたへの思いだけで精一杯です。誰よりもあなたのことが好きです。他のどんな言葉もきっと、本当の思いを伝えられそうにありません。だからただ愛しています。この言葉だけを、どんなに沢山の作られた飾り言葉よりも信じてくれたらいいのだけれど。
永遠にあなただけのハムレット』」
クローディアス:なるほど大した思い入れだ。聞いている方が恥ずかしくなる。さんざん言葉を着飾った揚句に、飾り言葉よりも愛を信じろとは恐れ入った。それで、お前の娘の方はどうなのだ。オフィーリアの心はハムレットの方を向いているのか。
ボローディアス:向いているどころか真上からハムレット様に飛び降りかねない勢いでした。2人共に揃って恋の大海におぼれているようなものです。
クローディアス:確かに若い頃の愛には闇雲な所がある。自分達もまたそうだったと思うと笑ってばかりもいられない。それでは二人は周りのことなど上の空で愛を語り合っている最中か。
ボローディアス:よりによって娘が場違いな恋に身を任せているとは、ボローディアス一生の不覚。この責任はすべて自分の娘を監督できなかったこの私にあります。
クローディアス:若者の情熱の責任など本人達に任せておけ。しかしハムレットも恋の情熱にしては少し暗い顔をしすぎではないか。本当にそれだけなのだろうか。
ボローディアス:実は私がオフィーリアにもう二度と会ってはならないと厳しく言っておいたもので。
クローディアス:お前の娘はその言葉を守ったのか。
ボローディアス:はい。娘が言われた通りにもう会えないと伝えると、大変なことになりまして。私ももう少し考えて様子を見るべきだったと今になって後悔しているわけです。
ガーツルード:一体どうしたというのです。
ボローディアス:実は昨日娘が部屋でのんびりしていると、ハムレット様がいきなり部屋に飛び込んでくるなり娘を強く抱き締めて。
ガーツルード:何ですって。
ボローディアス:そしてごめんなさい、さようなら、といって泣きながら部屋を出て行ったそうです。
ガーツルード:泣きながら、あの子が?
クローディアス:若い頃の恋は一途なもの、有り得ない話ではない。
ボローディアス:一つお伺い致します。私が今までに国王陛下に嘘偽りを申し上げたことが一度でもございましたでしょうか。
クローディアス:いや、無かったかな。
ボローディアス:とにかく、一度しっかり確かめて見ましょう。
クローディアス:どのようにして確かめるのだ。
ボローディアス:ハムレット閣下はよく回廊の辺りを何時間も歩き回っておいでです。
ガーツルード:ええ、小さい頃からの癖なのです。
ボローディアス:丁度その時に娘を放してみましょう。陛下と私は柱の影に隠れて、2人のやり取りを見守っているというのはいかがでしょうか。
クローディアス:国王のやる仕事ではないが、ハムレットのためだ、まあやってみよう。
(幕閉じる。)
(幕前、ハムレット、ローゼンクランツ、ギルデンスターン入場。)
ハムレット:それにしても驚いた、まさかお前達が来ているとは思わなかった。しばらく見ない間にすっかり軍人らしくなって、見違えるようじゃないか。剣の腕も大分上達したろう。
ローゼンクランツ:いえ、まだまだ見習の士官にすぎません。
ギルデンスターン:今だ閣下の見事な身のさばき方に比べれば、鹿を必死に追いかける猪が剣を握り締めているようなもの。
ハムレット:それは面白い例えだな。さては、もし鹿が逃げずに立ち向かってくれば、猪の敵ではないというふくみだろう。
ギルデンスターン:何をおっしゃいます。そのような考えはどこにもございません。
ハムレット:だがギルデンスターン、しばらく見ないうちに別人のようではないか。本当の猪にでも勝てそうな体つきだ。
ギルデンスターン:おかげさまで、最近では自分の体格に自信を持っております。
ハムレット:急に自覚しなくてもよい。お前の人並みはずれて頑丈な作りは子供の頃から抜き出ていたではないか。ほら、ノルウェー王の最後をやっているときに、頭から飛び込んだのを忘れたか。
ギルデンスターン:いや、お恥ずかしい。実は今になってもローゼンクランツにからかわれます。
ハムレット:当たり前だ。あれほど立派な酒の肴を使わない者がいたら見てみたいものだ。
ローゼンクランツ:それにしてもあの時死んでさえいれば、こんな立派な体格にならずに済んだものを。
ギルデンスターン:ローゼンクランツまでなんということを言うのだ。
ハムレット:うん、思い出した。木上高くに3日間もかけて小屋を作り、そこをノルウェー王の城に見立てて攻め上った時の話だ。
ローゼンクランツ:閣下がノルウェー国王に扮し、それに立ち向かってギルデンスターンが「ここで会ったがノルウェー王!」と叫び、木刀で切り掛かっていった丁度その時でした。
ハムレット:いきなり俺の目の前から消えたかと思えば、足を踏み外して地面に向かってよろしく突撃している真っ最中。
ギルデンスターン:そのような言い回しは止めて下さい。
ローゼンクランツ:それも遅い帰りを心配した親達が、私たちの姿を見つけたまさにその時。
ギルデンスターン:一所に話を進めるな。
ハムレット:真下にあった岩の塊に頭から飛び込んで、そのまま身一つ動かさないのだ。皆もう大騒ぎでギルデンスターンの母などはその場で泣き崩れる始末。駆け寄り飛び降り大慌てでお前の周りに集まって、手を触れようとした瞬間だ。おもむろにむくりと起き上がったかと思えば、誰一人声も出せないでいる中、二つに割れた岩を見てぽつりと一言。
ギルデンスターン:岩の方が割れました。
ハムレット:「岩の方が割れました。」あれは傑作だった。俺もかなりの芝居を見てきたが、あれ以上の名言にはついに出合ったことがない。
ギルデンスターン:恐縮です。あの時には泣き声と笑い声が一所になり、どうも不思議な場面に。
ローゼンクランツ:懐かしい思い出でございますな。
ギルデンスターン:何はともあれお久し振りです。
ローゼンクランツ:最後にお会いしてから、もう5年にはなりましょう。
ハムレット:そうか、あの頃が随分遠くに感じられるわけだ。それにしても2人共堅すぎはしないか。もっと気楽に話したらどうだ。
ギルデンスターン:ハムレット様、今では我々も閣下にお使えする身でございます。
ローゼンクランツ:臣下としての節度だけは守らなければなりません。
ハムレット:馬鹿だなあ、そんなものは誰かが一緒の時だけで十分ではないか。
ローゼンクランツ:そうは参りません、規律が乱れれば王国の安定は脅かされます。どうかこれからは、幼馴染みとしてではなく、第一の忠臣として我々に信頼を置いてくださるよう、お願い致します。
ハムレット:軍隊での生活が長いと、頭にまで規律が行き渡ってしまうとみえる。まあいい、こんな所で立ち話もなんだ。広間にでも行こうじゃないか。
2人:お供致します。
ハムレット:やめてくれ、いくら軍隊にいたからといって。少なくともまだ国王ではないのだ。もう少し気楽に話したらどうだ。
ローゼンクランツ:恐れ入ります。
ハムレット:だが、お前たち。なぜ急に2人揃ってこのエルシノア城に現れたのだ。
ローゼンクランツ:ハムレット閣下にお目に掛かるため、他に理由などございません。
ハムレット:父上を無くした私を励ますためにわざわざ軍隊を離れてまで、この感謝の気持ちはとても言葉では言い表せない。ありがとう、ギルデンスターン。
ギルデンスターン:い、いえ。そのようなお言葉。身に余る光栄すぎて、どうぞよろしくお願いします。
ハムレット:ははあ、嘘を付こうとすると言葉が泳ぐのは昔と同じだ。ギルデンスターン、本当は今の国王にお呼び出しを受けたのだろう。
ギルデンスターン:それは一体どのような理由で。
ハムレット:ハムレットの様子がおかしいから探って欲しいとでもいうのではないか。
ギルデンスターン:閣下、そのようなことはまさか、クローディアス国王陛下のような偉大な心をお持ちの御方に限りまして、考えすぎではございませんでしょうか。
ハムレット:呼び出しを受けたのだろう。
ギルデンスターン:ですから閣下、私達の幼馴染みの念が強いあまりに閣下にお会いしたく思いまして。
ハムレット:呼び出しを受けたのだな。
ギルデンスターン:いえ、それは。どうか、ローゼンクランツ、何とか言ってくれ。
ハムレット:それでは呼び出されたことを白状したようなものだろう。まあ、今だに嘘が付けないのは喜ぶべきことだ。最近ではどこもかしこも偽りだらけで、真実を探し回るのもめんどくさくなってきた。ローゼンクランツ、諦めて全部白状したらどうだ。
ローゼンクランツ:実は、国王陛下は最近のハムレット閣下が暗く思い悩んでいるのを心配されまして、私達にその理由を聞き出して欲しいとおっしゃいました。もちろんそれは、策略や計略などではなく、閣下のことを心より心配されての配慮。私達を呼び寄せれば、話し相手もできて、心の暗闇もすっかり晴れ渡るだろう。国王陛下の主意はそちらにあるはずです。
ハムレット:随分クローディアス国王に親愛の念を持ったものだ。あの男が我が父上のような立派な男なら、誰もこの国の将来を心配せずに済むものを。
ローゼンクランツ:国王陛下に対してなんというお言葉、ハムレット閣下の言葉はそのまま皇太子として国を代表する言葉になるのです。国王陛下をあの男などと呼ぶのはおやめ下さい。
ハムレット:やれやれ、お前達の前だけだ。軍隊の教育の賜物かすっかり堅くなられて、これでこの国の将来も安泰というわけか。まあいい、今いったことは冗談だ。何も今の国王に不満があるわけではない。悩みがあるとすればもっと個人的なことだ。国王が心配するようなことではない。。
ギルデンスターン:閣下、これでも私達3人は幼少の頃から何でも包み隠さず話し合ってきた間柄、今でこそ立場は違いますが、あの頃の友情は生涯忘れることはないでしょう。どうか、悩みは一人で抱えず、この幼馴染みにお話下さい。必ず力になって働きます。
ハムレット:何だ急に、さっきまでは軍隊主義を決め込んでいたかと思えば、今度は友情を持ち出すのか。必ず力になって働きますとは驚いた。本当に力になってくれるのか。
ギルデンスターン:もちろんでございます。
ハムレット:信じてもよいのか。
ギルデンスターン:幼馴染みの絆はそのまま臣下の忠義に変わります。どんなことでもお話下さい。
ハムレット:では話そう。悩みというのは何を隠そう、国王に就任できないからだ。
ギルデンスターン:何をおっしゃられます、次の国王はハムレット閣下をおいて他にございません。
ハムレット:今すぐに就任してみたいものだ。
ローゼンクランツ:ハムレット閣下、本気の言葉とはとても思えません。
ハムレット:当たり前だ、いくら幼馴染みだからといって、久し振りの再開に涙して何もかも打明けてしまうような愚か者が今時いるものか。いたら会って見たいものだ。
ローゼンクランツ::ですがそのような冗談はおやめ下さい。国の内外穏やかでない今日、軽はずみな言葉を手に取り煽動する者達がいないとも限りません。
ハムレット:やれやれ、ローゼンクランツは相変わらず固いな。もっと自由に役を演じさせてくれる者は居ないのか。なんだか、久し振りに劇が見たくなってきた。
ローゼンクランツ:劇ですって、突然何をおっしゃるのです。
ハムレット:なに、役者達なら最近の心の憂いをはらしてくれるかもしれないと思っただけだ。
ギルデンスターン:それでしたら、間もなく役者達がこのエルシノア城に来るはずです。
ハムレット:それは驚いた、ギルデンスターンはいつから預言者になったのだ。
ギルデンスターン:いえ、たまたまここに来る途中旅の一座を追い越しまして。エルシノアの王宮にぜひ立ち寄りたいそうです。
ハムレット:それはいい、大歓迎を約束しよう。一体どんな役者達なのだ。
ギルデンスターン:閣下がむかし誉めておられた、AAAの悲劇役者たちです。
ハムレット:なぜ旅回りなどをしている。都に居た方がずっと儲かるだろうに。
ローゼンクランツ:最近の動乱で、劇場禁止令が出されているそうです。
ハムレット:動乱で民衆の心の落ち着かないときほど、劇でも上演させて景気を付けてやるべきではないのか。それではAAAは劇無しの都か。
ローゼンクランツ:それが、そうでもないのです。
ハムレット:どういうことだ。
ローゼンクランツ:初めから公認を受けていない劇団は、何も咎められることはなく上演を続けているそうです。
ハムレット:公認の劇団だけが追い出されたのか。
ローゼンクランツ:不条理な話で。都の人々は内容の方はそっちのけで、劇の値段が安くなったと喜んでいるとか。
ハムレット:ひどい話だ。だが不思議なことではない。現にここデンマークでも、父のいた頃には叔父など相手にしなかった連中が、今では大喜びで新国王のご機嫌取りを。少し常軌を逸した所がある。
(トランペット、吹奏。)
ギルデンスターン:役者達が到着したようです。
ハムレット:そのようだ。それにしてもよくエルシノアに来てくれた。久し振りの再開だ、心から歓迎するぞ。これからいろいろ力になってくれると嬉しい。さあ、握手だ。
ギルデンスターン:どうか昔同様、気軽に何でもご相談下さい。
ハムレット:ありがとう。ではさっそくの相談だが。向こうから役者達を連れてボローディアスがやってくる。
ローゼンクランツ:閣下、まさかとは思いますが、今だボローディアスをからかって遊んでいるのですか。
ハムレット:まさか、一体幾つになったと思っている。少し昔を思い出してみたのだ。2人共話をあわせるのだぞ。
ギルデンスターン:そういうことならお任せ下さい。
ハムレット:ローゼンクランツ、君の返事がまだだが。
ローゼンクランツ:はいはい、こうなったら何でもやりましょう。
ハムレット:よろしい。
(大声で)ディオニューソスをたたえ、山羊の歌を奏でよ。
木馬はついに城壁を越え
勝利に沸き立つ群衆の狂乱の宴に照らされ
赤々と揺れる炎に
仮面に覆われし血に餓えた狂気を隠せ。
ローゼンクランツ:間もなく時が迫り。
ギルデンスターン:勝宴が踏みにじられるまで。
(ボローディアス入場)
ボローディアス:ハムレット様、よろしいでしょうか。
ハムレット:一つの民族が踏みにじられ、嘲笑され、蔑まれる時を、その大地は永久に刻み付ける。
ローゼンクランツ:何と恐ろしいことが。
ギルデンスターン:始まろうとしていることか。
ボローディアス:ハムレット様、役者達がこの王宮に到着したのですが。
ハムレット:合唱隊を代表して仮面を付けた役者に物を申す。あなたの台詞は間違ってる。
ローゼンクランツ:あなたの台詞は。
ギルデンスターン:間違いだらけ。
ボローディアス:何を言っているのです。私が役者ではなく、旅の役者達がこの城を訪ねて来たのです。
ハムレット:なぜ台詞をきちんと守らない。そこはこう続くのだ。
「豪傑ピュロス 今や木馬に身を潜め
燃え盛る血潮を くろがねの刃に隠す
長き戦さの終焉を 万感の胸にいだき
幾万の同胞の血を 見下ろす明松火に映し
もとめるはイリアス 百万の血」
さあ、先を頼む。
ボローディアス:いえ、閣下、役者は私ではなく。
ハムレット:仮面の支配者はこの場面が気に食わないと見える。では、ネオプトレモスが国王プリアモスに迫る所ならどうだ。
「その剣先、赤く鮮血に染まり
鎧も火を受け紅(くれない)のごとし
猛勇ピュロスただ求めん
国王プリアモスの姿を」
さあ、次を遣ってくれプリアモス。どうした、台詞を忘れたのか、お前の台詞だぞプリアモス。
ボローディアス:閣下、冗談はおやめください、私はプリアモスではございません。
ギルデンスターン:台詞を無くしたプリアモス。言葉を忘れたプリアモス。
ローゼンクランツ:誰かこの後を継いでくれ。でなければ客席からは野次が飛び、次の公演もままならない。
(役者A、入場。)
役者A:
「我が名を呼ぶ者は誰ぞ
我が国を奪う者は誰ぞ
我が命を狙うものは誰ぞ
剣を振るえば10万の兵士を束ね
鞘をかざせば100万の民衆を養う
四方四万の都を治め
大神の直接の子孫として
あまねくこの国の栄光に預かる
プリアモスを呼ぶ者は誰ぞ
ハムレット:お前こそがプリアモスか。
役者A:まさしく私こそがプリアモス。
ハムレット:ならば問い掛けよう。
イーリオスの太陽よ
かつて栄光を納めし王よ
わが同胞の血を奪いし男よ
神々の罰を思い知るがいい
己が兵の剣(つるぎ)が折れ
己が民の汚される様を
まぶた閉じずに見詰めるがいい
このピュロスの剣(つるぎ)に掛かり
我が父アキレウスの無念を
その体に刻みこむがいい
さあ剣(けん)を取れプリアモス
今こそお前の最後の時
役者A:おお、神よ。この剣の折れる時こそイーリオスの最後。老いたる私にアキレウスの息子と戦うだけの力を与えたまえ。
(2人、剣を抜きしばらくの間無言で打ち合う。その間に役者たち入場。やがて、ハムレットが役者Aの剣を払い落としのど元に剣先を当てる。)
ハムレット:観念して、正体を表せ。貴様、プリアモスではないな。
役者A:やれやれ、相変わらずの名演技、恐れ入りました。本当に皇太子などにしておくのは勿体無い位です。花形役者になれたものを。
ハムレット:そうかな。いっそ皇太子の役は降りても構わないのだが。
(2人剣を納めて握手をする)
役者A:ハムレット閣下、お久し振りです。
他の役者たち:お久し振りです。(何でもいい)
ハムレット:よくエルシノア城に来てくれた。元気そうで何よりだ。前に見た時よりさらに演技に磨きが掛かっているのではないか。都を出て各地を渡り歩いたことが生かされているのだろう。物は考えようだ、都落ちなど気にせず大いに歩き回るがいい。
役者A:ありがとうございます。俺らも正直都の窮屈加減には好い加減飽き飽きしていた所でね、一座共々大喜びと言った所です。ただ、そこらかしこで劇を開いてもちっとも金にならないのが問題でして。
ハムレット:それでエルシノア城にまで流れ込んできたわけだ。
役者A:閣下を頼って漂着したわけですな。
ハムレット:悪くない選択だ。先王が亡くなって、我々の気持ちも塞ぎがちだ。ぜひしばらくここに留まって、私達を楽しませて欲しい。
役者A:お任せ下さい。
ハムレット:よし、今日は疲れただろう。まずはゆっくり休め。ボローディアス、私の客人達だ、手厚くもてなしてやってくれ。
ボローディアス:ご心配なく、それ相応の扱いは致します。
ハムレット:相応の扱いなどとんでもない。役者を舐めて掛かっていると、世界最小の心デンマーク宰相ボローディアスの劇を見る羽目になるかもしれないぞ。しっかりもてなしてやれ。
ボローディアス:かしこまりました。さあ、こちらに。
ハムレット:さあ、皆付いて行け。芝居は明日だ。(役者Aに)おい、待て。「ゴンザゴー殺し」はすぐに出来るか。
役者A:何を言ってるんです。閣下が何度も誉めてくれた劇じゃあありませんか。
ハムレット:そうだ、久し振りにまた見たくなった。明日の晩の上演までに少し台詞を替えたいのだが、覚えられるか。
役者A:役者の仕事を馬鹿にしてはいけませんぜ。これで飯を食っている以上は、台詞の半分が変わったって覚えて見せますよ。
ハムレット:それを聞いて安心した、よろしく頼むぞ。ではさっそく台詞を考えなければな。我ながら面白い考えを閃いたものだ。
(幕降りる)
2003/春