こころ清き人

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こころ清き人

こころ清き人を僕は知らなかった
人間世界には存在しないと思っている
それは理念の妄想が生みなす蜃気楼みたいなもの
例えばよい子ぶった読書の世界にはきっとあって
さも僕らの近くに一人や二人くらいはかならず
たたずんで居るような気がするのだけれども
けれどもそれは探し得ない
イデアの世界の夢物語

世の中を形作るおおよその仕来りを
ようやく見はらせるようになったなら
ほんの数百から千にも満たない人々と
話し合ったくらいのものではあっても
世界一方通行の話す姿をばかり
僕たちさまざま確認できるのだし
確率的に拡大してみせてもなお
だれもがそれぞれに利己的であり
それを互いに嫌がるわけでもなく
のほほんお話ししている一方では
こころ清き人などまるで見つからず
数千分のゼロから導き出される確率は
幾つになってもゼロには違いないのだから
こころ清き人などというものは
理念のもたらす蜃気楼みたいなもので
どの人間の心もそれぞれに汚らしく
その汚らしさをばかり誇らしげにして
たくましく掲げて生きていくばかりでした

なぜこころ醜くあれと教育しないだろう
僕ら偽物の洗脳にあって互いにひとりぼっちで
何とかして清いものを掴み取ろうとばかりして
必死になって安い教育システムに転がされ
あらゆる嘲笑を浴びてついには沈黙する
そうして干からびたこころでもって
長年苦労しなければならないのです

こころ清き人はまぼろしであるばかりでなく
世の中はわずか良きこころの人があればまるで
獲物を食いあさるみたいにして使い物にして
あるいはそれを漬け物石みたいに無駄遣いして
けれども良きこころの少しでもあろう人々は
国よりもなおよきこころのために集い
新たなるコロニーを形成して自らの社会を
生みなそうとはまるで思い至らないのでした
それが良きところある人のせいぜいの限界であり
だからこころ清き人は永遠(とわ)にまぼろしのままであり
正しき道の大なるを知るべき人はどこにもおらず
世の中はまるで大数の法則一辺倒のままに
どんどん陳腐になっていくばかりなのでした
やがてシステムばかりが肥大して
人々が生みなしていった伝統さえも
システム以外の何ものでももはや
無くなったかのような有様です

つまりは清らかさなど求めるのは
僕らの愚かなる失態にほかならず
それを尺度の規範としようとした
憐れな愚か者ばかりが互いの毎日を
ぽつんと悲しく繰り返すのがせいぜい関の山
あなたに幸せのひかりの一条など
決して差しっこないのであります

2009/8/5

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