夕暮れの庭先へ

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夕暮れの庭先へ

たとえば君がこんな忘れ形見を
それとなく辿りきる夕暮れの庭先
小鳥の一羽がいつまでも立ち去らずに
君の姿をばかり眺めていたからといって
君は鳥への思いを取り違えぬがよい
それは決して僕ではないのです

僕らの時代より何光年かさき
座標を違(たが)えたかなたにあって
見ひらく文字の片隅にたとえば君が
そっと同意を求めるみたいにして
小さな問いを投げかけてみたとしても
もはやなにも帰ってはこないだろう

僕はもはやばらばらの分子記号や
あるいはもっと儚(はかな)いものに分解されきって
無垢なる宇宙のいずこかに漂える
星間物質ほんのひと欠片くらい
たとえば君の構成要因の中に
そっと紛れ込んでいたとしても
それは君は分かりっこないのだし
僕とてもはやほんのひと欠片くらいでは
もの思うことも答え返すことも出来なくて
それはもう僕でも何でもないのだし
切られた爪と同じことなのです

けれどもせめて君がこの落書きを
わずかくらいの好意や同情でもって
こころのうちから庭さき眺めれば
僕のあずかり知らぬ偶然の羽ばたきが
舞い降りることだって無いでもないのだし
あるいは池の真っ赤な鯉の刺青が
浮かび上がることだってあるかもしれぬのだし
そうしたら君はただそれを僕とばかりに錯覚し
僕の亡きたましいの逢魔が時に舞い降りた
すがたと思って庭先に涙ぐみ
あるいはほほ笑みかけてくださることだって
あるいはあるかもしれません

かつてこれなる僕が存在し
下らぬ羅列を肴に呑む酒ばかりは冷たくて
暑中見舞いに代わって喉をうるおすものは
愉快な心持ちで淋しさばかりを底へとしずめ
書き記した名残はいつしか君の手元へと
僕を忘れて漂っていったのであろうけど
それをそっと摘み取った君のこころというもの
僕はもう会うことは出来なくなっているだろう

たとえば僕が自堕落な文章を
ぽつんとした一人部屋のあきらめで
最近はそれもまた懐かしいくらいの
諦観(ていかん)にも似たこころでもって
誰に答えを求めるものでなし
さりとて答えを求めないものでもなし
つまりはどうでもよくなって居眠るくらい
僕は静かな無常のこころへといたるのです

けれども君はいつしか消えた僕のかなたに
描かれたスケッチを小さなシンパシーで満たし
夕暮れに祈るならそれは手向けにもなろうか
けれどもはや僕の喜びとは無縁のもので
夜更けの酒飲みのこころとは何の関係もない
遠い遠い未来の出来事で
しいて言うならそれは君自身の幸福のため
しいて言うならそれは君自身の苦しみのため
あるいは君自身の、小さな慰めのための
僕の知るよしもなき座標の異なるお話しで
だからといって僕が無責任なわけでもなし
君が手前勝手に類推する一方でもなし
かたときわずかに籠もる言葉の触れ合いは
さりとて居ないはずの僕の形見には違いなく
その断片はもはや僕をとどめないにしたところで
その断片は僕の代わりにきっと、
何かを語りかける魔法の一つであるとすれば
今の僕にとってもくすぐったいくらいに
喜ばしいことのようにも思えてくるのです
それはきっとトキノナガレノ悲しみへと溶け出して
ほほえみと淋しさをカクテールする気配なのです

あなたは夕暮れの庭先を眺めては
グラスを片手にビールを飲み乾すのだろうか
それとももっと穏やかな嗜好品の
大和心の緑茶の冷やしたところでもって
喉をうるおすのであろうか
それはもはや僕の知り得ようないことだけれども
あなたにとって明日が小さくほほえみであれと
僕はかえって今は自分自身の慰めみたいなこころで
締め括ろうとさえ思っているのです
グラスを転がしながら
静かに思っているのです

2009/8/7

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