最後の自由

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最後の自由

何も信じたくはありません
人なんて信じれば信じただけ
動物的な人の世なんて信じたら
信じただけこころが穢れていくばかりで
人が知性って生きる特別なものだなんて
そんな出鱈目は誰がほざいたものやら
本当に言葉の存在が無駄であるくらいに
動物的な感情やら決断ばかりが満ちあふれて
意味やはっきりとした秩序などは突き詰めず
たちまちに人を裏切り斬り掛かってみたり
突然発作みたいに叫びだしたり
年がら年中人を笑うことばかりを
推奨するような醜い社会ぐらいしか
この生き物には本当に作り上げることしか
出来なかったようであります
それでいて科学の発達など
社会秩序の発達が出来なくて
何の意味などあるものかと
そのくらいのことも考えず
学問なさるのが人間の知性だと
学者どもは疑わない有様でした

あるとき誰か本当に多少なりとも
知性でものを考えようとするくらい
ひたむきな生命がその小さな池に
生まれてしまったらどうするのだろう
娯楽の玉手箱に依存しているこれらのオタマジャクシの
ぎゅうぎゅうに群れながらたわむれ遊ぶいっぽうで
平和に安心して自分の体にペンキを塗りたくって
それを個性だなんてほざいているこれらオタマジャクシの
ほほえみと嘲笑の区別もつかずにぎゃあぎゃあとばかりに
お池をところせましとうようよしているこの様子を
この世はその人にとってぞっとするくらいの
生き地獄であるには違いありません

同じかたちでひしめき合いつつ
互いを笑いあうこそ幸福とばかりに
乏しくなった情感をことさら駆りたてて
強刺激のものがたりなどを餌として
なおさらひもじくなっていくような
それなオタマジャクシどもは決して
蛙にならないオタマジャクシでありまして
永遠にその池を有り難がって
ひしめいているばかりなのでした
そこに生まれたひたむきな生命は
だから生まれてきたのが間違いで
だからあなたにはせめて死ぬ自由くらいしか
おたまじゃくしの王国には残されてはいないです

こころの中は絶えず真っ赤な血を流して
もう息も絶え絶えであるのに
誰もがそんな彼の姿を見ては
娯楽を知らぬつまらない奴だとか
何もせぬほどの幸せ者だと罵って
柱でも見かけたみたいにして
通り過ぎてゆくばかりなのです
ついに彼は苦しくなって壊れはじめ
ある時池のなかでぶつぶつと
オタマジャクシのことを呪い始めました

あるいはそれを知ったあなたは
ただ彼をいたぶりたいがため
なんとまあ肥大したエゴの固まりの
自我欲求のなせる技だとかそんなことを
ずいぶんおっしゃったものではありました
自らの生存権を脅かすほんの米粒くらいの
意見をすらおぞましいものでも見つけたみたいに
あなたは踏みつけて殺してやろうとしたのであります

ついに人々は下等な動物性をばかり
自信満々に晒してゆくばかりで
そうやって互いをののしりながらも
さも楽しげに生きてゆかれるくらいの
オタマジャクシの群れみたいなものであると
そんな遺言状を残してこの世を去ったのは
はたしてどこの哲学者であったことでしょう
僕は思い煩ってある教科書を紐解いて
それから唖然としてしばし立ちつくすのです
何とまあ哲学者とやらの累々と現状を見知らず
脳味噌一辺倒でしかも社会の棒にも関わらぬ
これはこれでまるで理性的などとは言いきれぬ
迷妄を突き進むカントのアプリオリだとか
発想の無意味を突き進む実存主義(じつぞんしゅぎ)だとか
誰もしっかりしなさいと注意しないくらい
ルーズでだらしないのが思想界であり
人の限界でもあるような有様です

こうしてどっちにしたってぐちゃぐちゃで
乏しい脳味噌をこねくり回して
あるいは脳味噌を使うことなく
精一杯に良き社会を築くための
はるか道半ばである我らの時代を
ちょっと平和が油断しただけで
たちまち動物的精神一辺倒の
ゴミ箱に自らを置こうとして
オタマジャクシは池に満たされて
そうしてただ娯楽をばかりに
驚くほどの情熱でもって
あさりあさって生きているのが
古代ローマの民衆どもから
何一つ発展しない我々の
手の施しようのない
おつむの限界点なのでありました

だからお前たちに言っておく
もしその限界に辟易して
死を欲するものがあったからといって
人に最後に残された自由だけは
お前たちには決して奪い去ることなど
出来はしないのであると

2009/8/10

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