灰化のこころ

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灰化のこころ

彼はもう笑えませんでした
どんなにどんなに苦しみが
次から次へと押し寄せて
小さな喜びのひとときを
これでもかこれでもかとちからこめ
打ち壊して打ち壊してそれでもなお
彼はずいぶん頑張って笑っていました
小さな花びらが開いては
やさしくほほえんで見せて
すっくと立ち上がったと言っては
一緒にはしゃいでみせたことも
ずいぶんあったものではありましたが
ある時花はぽっきりと折れて
それ以来彼の心もまたぷっつりと
糸が切れてしまったみたいで
近頃は惚けたみたいになって
庭先を眺めるばかりなのです

彼はもう笑えませんでした
どんなにどんなに面影が胸のうち
優しい言葉を投げかけても
かえってこころは乱れる一方で
それを哀れんだ幸せ色の
ピエロがひとり彼のことを
案じて笑わせようとしたときなどは
彼はもう心の底から腹を立て
からかいやがってと憎しみばかり
殴りかかるほどの不始末でありまして
それからもう誰ひとりとして
彼に近づこうとはしなかったのです

一度閉ざされたこころというものは
それを解(ほど)きしきわを刺されやしないかと
ますます閉ざされる一方で
そのうち歳月はその結び目を
知らぬ間に堅く堅く固着して
ある日彼は気づくでしょう
どんなにどんなに解(ほど)いても
びくともしない結び目を知るでしょう
どんなにどんなに助けを求めても
もはや闇から抜け出せなくなった
憐れな山椒魚みたいな格好で
彼は末路を迎えるばかりです

かといってあなたがたの誰か
こころ優しきひとりがもし居たとして
彼のこころを救い出そうと
懸命にその隙間を潜り抜け
彼の真っ黒なこころに迫り
いろいろと励ましたり
あるいは世話を焼いたとしても
それはあの悪徳まみれの
山椒魚のやくざ者みたいな
非道の仕打ちに打ちのめされて
何も得られることはないのだから
あるいは二度とひかりまぶしき
外界に抜け出すことすら叶わなく
あなたの幸福すらいまや風前の
灯火くらいにゆらゆらゆれる
そんな哀しい生涯を無駄に
費やすことにもなりかねないのですから
彼に関わるなど思いもよらぬこと
それを私はただあなたのために
今はそっと忠告しておこうと
ひそかに思うばかりなのです

彼は一刻も早く死んでくれるばかりが
今では世のためにもなるように
当人も幸福であるかのように
皆には思われるのでしたが
彼は最近毒づくことを覚え
ますます悪意を発散しはじめ
もう彼の清らかなたましいは
二度と戻ってこない様子なのでした

2009/9/2

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