動物に死期を悟る能力の備わるように
僕らの魂の奥底にもきっと死の予感
はっきりと掴み取るような第六感の
哀しい認知力が備わっていて
随分飼い慣らされた知性の奥底に
静かに横たわっているのならきっと
僕はもう存在していなかったことでしょう
わずかひと月ほど昔の闇の中で僕は
初夏の豊かな若葉さえもどす黒くて
いわれようもない奇妙な絶望感と
鋭くない諦めの墨をこぼしたような
黒い闇と命の尽きるような恐怖に
不可解にも溺れていたのですから
でも人の命の復元力というもの
呆れ返るほどの生命力というものは
本当に病を見分ける程度の能力など
掻き消してしまうものなのかも知れません
でなければきっと哀しみの淵の中で
己の死を見つめる病床の人々だって
どれほど早い段階で自分達のことを
病院に導いたか知れないのですから
毎日毎日ぐるぐると太陽が回る姿が
近頃想い出されるあの古い昔話の中
時間旅行者が見つめたという幻想の
日の出日の入りの繰り返しのように
私には想われて来るのです
そんな幻想を眺めるみたいにして
いつしか初夏の絶望をやり過ごし
今では無頓着な生命の実感などを
満たして生活を送っているのです
あるいは翌日車にはねられて
終わる炎かどうかは誰も知りませんが
それでも生命が持続するような錯覚
生物の本源的な嗜好性に支えられて
今平然として僕は生きているわけで
知性はきっと動物から逃(のが)れられず
理性はきっと野生にはかなうことなく
僕らは哀しい動物として泣いたり笑ったり
信じられないほど馬鹿げた感情の
例えば人に勝ったとか逆立ちが出来たとか
記録を塗り替えたとか新しい発見だとか
哲学的に考察したら白けるくらいに
下らない事を生き甲斐にしながらも
それを幸せとして毎日を送ることしか
出来ないように設計されているようです
だからお休みなさい皆さん
僕は安心して今日を終わりにして
いつか明日の来ない日は
誰にも等しく訪れるのだけれど
それを信じないまま年を重ねて
あるいは不意に途切れるまではきっと
しぶとく這うように生きていくだけの
動物的な生命力を大地に張り巡らせて
今日を乗り越えて明日を迎えるのです
だから例え毎日がどんなに詰まらなく
生まれし時と場所とを嘆く者たちにも
生を実感する瞬間はきっとあるのだから
それを信じて僕達毎日毎日を
かかと鳴らして歩いて生きましょう
だからお休みなさい皆さん
明日がよい一日でありますように
僕は最近秋風が吹くたびになぜだか
馬鹿みたいに食欲が復活し始めたようで
例の屋台のラーメン屋さんなどに出入りしては
懸命に麺類をすすっているのです
食欲とはなんと本質的な生命力の
極みではないでしょうか
きっと僕は嘘を付いている
でもだからといって心のうち
死よりも生の方が勝っていることは
疑いない事実なのであるから
僕は秋風の中を歩いていくのだ
冬が来ても僕はきっと途切れない
途切れないからと信じてこの路を
路ならぬ路を歩いていくのだ
お休みなさい皆さん
馬鹿な話しばかりしました
空が明るんで興ざめの曇り空
お話しするべき言葉はもはや
だんだん遠退いていくようです
最後に一つだけ
あなたに幸せを
good luck
2008/08/29