歯医者の歌(初日編)

(朗読ファイル)

歯医者の歌(初日編)

詰歯(つめば)のポロンと転げ落ち
銀色朽ちたる悲しみの
唖然としてたら三日四日(みかよっか)
まだまだいいかと五六日(ごろくんち)
だんだん危機さえ麻痺しては
数週間が過ぎました

何の痛みもないからにゃあ
気にしてみても始まらぬ
これな怠惰が運の尽き
週を挟んで反対の
奥でも詰歯がグチャといい
付け根のあたりの肉はさみ
血が出た途端にゆらゆらし
触れてみたらば欠け落ちた
銀色朽ちたるかけらかな

さながら僕はぞっとして
深刻事態におののいた
挨拶されてもうわの空
歯っ欠け男のなれの果て
不味い食事もいたします

おっ欠けおったは奥二つ
両極端のとも並び
みなぎる僕のたましいも
すっかり途方に暮れまして
久しく向かわぬ歯医者にも
とぼとぼ向かう負け犬の
シッポも今やうなだれて
恐れる歯医者の入口を
開く勇気は指先の
感触ばかりの覚悟なれ

受付娘のこんにちは
若くて美人はそれでよし
だけども説明済ませたら
お待ちなさいと声がする
さながら僕はまな板の
魚みたいなあきらめと
うろこと腰を落ち着けて
席の隅へと座ったよ

本はどれさえ幼児向け
回りの席さえお子様の
遊ぶ姿と母親の
中に浮いてる僕ならば
痒くもないけど膝小僧
さすって名前を待っていた
学校近くが定めなら
下校も過ぎた時刻とて
虫歯みなぎる子供らの
ここは遊び場ともなるようです

フッ素についての張り紙と
矯正日和の説明と
それからなんだか自治体の
まつりを告げる張り紙が
一緒になって張られてた
きれいな茶色のボードには
手作り色した張り紙で
「誰でも掲示板」って書かれてた

不意に名前を呼ぶものは
若くてきれいなお姉さん
プロポーションとて悪くなく
僕には恋人いないから
呼ばれるままにふらふらと
付いていったが運の尽き
虫歯座席の横並び
誰もが口さえ神妙に
横たわってるばかりです
しまったこれは罠なのか
ボトル一本五万円?
それな恐怖を持てあまし
逃げだそうとした僕だけど
働く皆さん若々と
こんにちはなんて言うもので
矜恃(きょうじ)のほどはいかばかり
こんにちはなんて答えたら
さっそく椅子へ座らされ
横たえられてしまったよ

なんだかドリルが近くなり
僕は幼さ取り戻す
思えばずいぶん削られた
口中(くちなか)かしこも銀ばかり
金は掛からぬ銀だけど
並べりゃてんでの駄目な口
これじゃナンパも出来ないと
あきらめごころも湧いて来る
若くてきれいな衛生士
恋愛感情生まれても
プロポーズすら出来ぬかと
あきらめ切れない体たらく
妄想ばっかし沸き出ます
僕は小さなエプロンを
付けられたまんまずるずると
背中を倒されスポットの
ライトが照らす真ん中に
とうとう先生遣って来た

先生青めく服を着て
髭は生やさず眼鏡をし
主役は俺だと顔出した
眼鏡のうえにはへんてこな
ライトが付いているばかり
LEDかと気に掛かり
さりとて訊ねるわけもなく
銀歯の行方の説明を
ひたむきしてはおりました

僕はあごさえ突き出して
それから口をさらけ出し
口内鏡のなすがまま
覗き込まれた泣きべその
詰歯の下はズタボロの
虫歯の果ての大崩壊
放置ばかりが長すぎた
先生ため息ひとつです

僕は鏡を握らされ
説明ひとつもされてから
放射能かなレントゲン
いやいや微弱は安全か
おんぶお化けか前掛けと
説明しながら衛生士
さすがに見つめる気も失せて
覚悟はよいかと定められ
なされるままの神妙を
部屋を立ち去るお姉さん
ウィーンと変な音がして
すぐに終わったレントゲン
僕は寝椅子に戻されて
結果の出るのを待っていた

ふふふの笑いは衛生士
へこたれまいとする僕の
勇気を挫く虫歯数(かず)
長期滞在するための
獲物は我かと肝っ玉
凍ったからとてシャーベット
食べたかないとは思うけど
とにかく欠けたところから
直すに変わりはないでしょう
どちらが先かと聞かれたら
欠けた順ではいかがかと
眩しいまんまで答えてた

そしたらなんたる意地悪か
残念でしたのハリセンを
いやいやそれは妄想だ
とにかくそっちは後回し
まずは右奥いたしましょう
にっこりしてたね頬笑みの
小悪魔めかした薄化粧
はじめに言えよと突っ込みも
出来ぬくらいの患者なら
それではよろしく神妙に
ぽかんと口を開けました

まばゆきライトを受けたまま
まずは治療をしないとこ
つかのま埋め置くばかりなり
不思議なゴムのパテみたい
にゅるにゅる充填させられて
穴こそもはや消え失せて
白く詰まっておりました

ぶくぶくするのと急(せ)かされて
無言のままにゆすいだら
諸行無常の鐘の音か
世の中それほど甘くない
もいちど口を開けさせて
ポカンとしたら右側の
銀の残りも外されて
それから鏡を持たされて
嫌々ながらの真っ黒な
ズタボロ祠(ほこら)を覗かされ
中味はさながら虫歯色
踊るダンスはドジョッ子か
それとも浴衣の盆踊り
泣きながらにして思うほど
黒々してはおりました

仮詰めこちらも蓋をして
今日は無かったこととして
ですから治療はこの次の
楽しい時間と諭されて
あるいはそれは黒板の
爪音みたいな響きさえ
予告するかと思ったら
お姉さんの笑顔も吹っ飛んだ

会計果たしてとぼとぼと
健康保険を握りしめ
僕はとぼとぼ帰りゆく
三十分は食べないで
注意を受けたらしょげちゃった
さながら僕は病人だ
虫歯もやっぱり病です
けれども痛みは無いもので
次第次第に薄れゆく
思い溶かされ町並みの
三歩四歩に消えてった

痛み知らずのもの忘れ
やっぱり僕は庭の鳥
LEDすら忘れてしまい
笑顔ばかりが浮かんでた

2009/08/12

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