サーペンタリウスのように

(朗読ファイル)

サーペンタリウスのように

なんも見られぬこころのはてに
僕らのいかずちは光りを放ち
迷妄きわめて混乱ばかりを
降らせてしょげてはまた歩く
歪んだ仕組みは途方もなくて
逃れることすら叶わない

精進してます終業したのち
靴音高くて向かうは街の
ネオンの始まる遊びの時刻に
お勉強しましょう講師が叫ぶ

そいつは四十も半ばくらいの
お受験勉強ばかりを唱え
倫理もなくてお受験機械に
僕らは改造されてゆきます
システム依存の教師気取りが
お勉強万歳を叫んでいますよ

誰しももはやあんな不気味の
お受験じみたる人格を誹(そし)らず
システム依存の教師気取りに
感謝の言葉を浮かべていたっけ
僕らひたすらお勉強させられ
代わり何も考えなくていい
快楽動物に変わってゆきます

幸せはほとほと僕らの腕仕事の
繰り返す試行錯誤がもたらすうちにこそ
それらをまとめて一つのかたちして
静かに宿り来たる息吹のようなもの
試行錯誤とその喜びのための
掴み取る知識こそ学びであるはずを
僕たちちっとも報われないまま
記憶のお化けにされてゆきます

お貯金貯まって白髪(しらが)も生えて
お貯金だけの長い道のり
生まれた子にはお貯金ばかりの
価値くらいしか教えるでもなく
お貯金がために軽蔑せられ
お貯金がために頭を下げて
己(おの)がプライドもなく働き尽くして
己がゆたかとなさんくらいの
律する言葉も向上もなくて
さえない服着て、さもシワだらけ
なんの意見も持っていない
そんな大人を軽蔑していた
僕らのたましいも今こそ干からびた
いつしか僕らはお貯金の
ありがたみばかりを賛美する
お受験仲間となりまして
席次をばかりに生きるのです

お貯金だけしか教わらなければ
反抗したとて娯楽ばかりを
幸福と突き進む予備軍どもの
お勉強以外のシステムさえもなお
消費以外に行き着くことを知らず
なにも教えぬいのちの糧を
言葉の羅列に代替(だいたい)せられ
くだらぬシステムにご就職
システムの服は世界共通の
蟻の喪服であることでしょう

人工的な、夢の乏しさは
かなしい学生の希望調査票
詩情のリズムも解せぬ者の
異文化言語の習得ばかり
いかなる国民となるためか
異国奴隷を望む一徹の
その実消費のターゲットにさせられて
毛染め、お化けの香水と武装して
言葉一つもさらりと着こなせぬ
見てくれの絢爛(けんらん)は畑に溢れかえって
あっちもこっちもまるでモヤシみたいに
僕らは塾へと通う一方です

その講師、お塾の辛さを説いてから
それでこそ今の私とほほえんだ
お前のその羞恥心なき人生の
ティーチャーぶりの空っぽさ
顔からはエゴが滲みだし
不気味なかたちに歪んでた
名門エリートとか自慢して
社会を疑うことすらない
珍奇の芋虫がなんでまた
あんなに這いずり回っては
僕らの良心ばかりを苦しめるのだろう

明日(あす)は進路提出の期限というに
教室は昨日の飛び降りでひとしきり
異様な盛り上がりを見せております
なのに、なんでか、その飛び降りた奴
友達と称するものがひとりも居ないのだ
あの人はいったいどんな奴だったか
何をしてたのか、何をしゃべったのか

「ほら、あの人って、黙ってた、うしろの方
ひとりして、鉛筆を、くるくると、まわしてた」

「違うよ、それは、あっ君の、右側で
飛び降りは、あっ君の、左隣の、色白で
友達と、くらいは、どこにも、いなくても
僕だって、話くらい、したことは、あったさ」

「そうかな、ひょろながの、モヤシ君じゃ、なかった?
消しゴムが、小っちゃくって、笑っちゃいや、しなかった?」

「ほらほら、静かに、靴音が、こだまして
はげかけの、お化けは、そこまで、来ている
さっそく、ノートを、めくって、予習と
学びの、姿勢を、見せては、おこうよ」

「けれども、僕ら、なんだか、おかしいや
だれかの、いのちより、お受験、勉強?」

「馬鹿だなあ、そんなの、どこだって、同じだよ
要領、よくして、娯楽へ、逃れて
過ぎゆく、ばかりだ、僕らの、春だって
レールの、うえなら、気楽な、もんだよ」

「でもさあ、僕らの、本当は、どうだろう
欲しくて、得られない、それは、なんだろう」

「どしたの、馬鹿なこと、あっ君たら、言ってる
わたし、ちっとも、辛くなんか、ないのに」

「だってさ、あいつは、諭して、くれたんだ
つぶやく、みたいに、淋しい、笑顔で」

『僕らの、シーズンが、本当を、知らぬまま
触れ合う、こころを、乏しく、していく
素肌と、知性の、結びは、ほどけて
たましい、なくした、歯車の、すがたで
思想も、崩れて、記述と、記録が
お受験、いちずの、僕らの、知識だ
品位も、アートも、なにさえ、知らずに
娯楽と、たわむれ、ハチ公、みたいだ
僕らの、牢獄、誤魔化す、くらいの
おもちゃで、満たされ、気づきも、せずに
僕らの、季節が、過ぎて、ゆくのです』

そうだ僕らは、なんだか、ベルトコンベアーの自動車だ
そうだ僕らは、なんだか、機械制御のニワトリだ
僕らの肌には、ひたむきなぬくもりがあるのに
ニワトリは、卵を産むための道具にさせられ
まるで、これでは、赤茶けた、はにわだ
いやいや、違う、もっと、無意味なもの

訳の分からんものに育てるがゆえの
育成装置が教育システムを代行して
それはかつては人間だったところの
団塊じみたる先生とか教育委員とか
お歴々とか称するものがのさばり尽くして
未来の僕らよりも、なおさらルーズな
乏しいビジョンをあたまに描ききって
僕らの未来を歯車に替えるためだけに
団塊の空っぽの頭、鸚鵡みたいに繰り返しては
もっとも稚拙なところへ意見は収斂されて
平然と当てはめたがゆえの遠きなれの果て

なれの果てに飛び降りたのは三年生
たしか進学の優秀クラスにひとりの
遺書らしきものには何を書いたものやら
まるでもう誰も気にも留めないくらい
昨日は遠くに追いやられるのです

そのおっ母さんは未来有望を絶たれて
ずいぶん泣いていたご様子でありました
僕らにはそれすらも嘘くさい
本当に乞食だっても愛すくらいの心で
はたして息子を、愛しておったものだか
彼女はお受験以外の何ものをも
息子に伝えはしなかったのです

お父さんはお叱りくらいも母に任せて
どれだけ給料を振り込んでさえおれば
家庭の義務も幸福も全うできるなどと
信じて疑わないくらいの愛情で持って
息子を放置してその感性を損なわせ
ろくに遊んでやることもなくって
ゆたかのこころなどどこに育つものやら
けれどもお勉強の二文字ばかりは
必死になって教え諭しものでした
それじゃあまるで、犬の調教なのに
そうだ、調教みたいだ
僕らは、僕らの世代は
歯車、飼育、調教
そんな、前代未聞の言葉で
美しく、彩られているのでした

サーペンタリウスのように孤高であれ
そして万人のためにこそひたむきであれ
誰さえ知らずとも床を磨きて
ほっと一息つくほどの
当たり前をわざわざ口にせずとも
押しだまっているこそ当然であれ

そしたら僕はある時
画ビョウをさえ拾ったことすら至極大事に
自慢しあう恐ろしい光景に出くわした
思想もなくて塾で虐げられた
矮小のこころを満たすためだけの
己の乏しい信念ともならぬ愚かさを
交互に主張しあうおぞましい番組が
言葉でつかみ取りの喧嘩を楽しむみたいな
議論にもなっていない不気味なかたちして
とうとうメディアの力を借りて
さながら動物園の実況中継のように
全国に配信されて久しいのだと
僕の友達が笑っておりました

ほんの小さな良心とか思いやりとか
それはご利益やら高学歴とは関係ないもの
その小さな累積が慣習的口頭伝承の
継承されべき僕らのひたむきさとなって
静かに流れていたのを破壊したのは誰ですか

大国に精神的敗北の指向性を与えられ
植え付けられた飼育をなお当然のことと
精一杯に謳歌した団塊のなれの果ての
不始末をいったい誰が取るだろう
干からびた大地は砂漠化しはじめ
それでも桜の花は毎年咲くのです

僕はどうしたらいいだろう
お歴々の皆様の提唱するように
お勉強などいたせば報われるのだろうか
だとしたら、呆れて死にたくなって
ほんとうに僕たち死のうとか
手首を切って自らを慰めるとか
なぜもっと沢山思わないのだろう

終了時刻のチャイムが鳴って
歓喜の悲鳴と教室を飛び出した
元気印の子供らはどこへと消えたろう
社会の枠組みを未来に託すために
携帯やらゲームやらを垂れ流さない
当たり前のシステムの構築すら
こんなに沢山の人の住むような
敗戦国からはなぜ生まれないだろう
五感と結びつかない視覚情報ばかりを
思い出したって人はゆたかにはならず
痛みがあるからこそ落ちゆく意味を悟り
怒鳴られることからこそ愛でられることの意味をさえ
両極端に掴み取ることはたやすき営みを
遊び場さえも監視の瞳にさらされて
生きていれさえすればそれでいいくらいに
本当に学び取るべきことのすべてを奪われて
ただ漬け物みたいに娯楽で飽和させられて
視聴率を稼ぐための強刺激で満たした
露骨の学園ドラマを眺め暮らすうちに
僕らの青春時代が悲しく過ぎてゆく
なぜ餌をむさぼり食らうみたいにして
感動させられることをばかり求めるのだろう

なんだか僕らはまるで負け犬みたいだ
くーんくーんと泣いているばかりだ
そんな情けない鳴き声をさえも
立派な生き方だって勘違いしたまんま
くーんくーんって勢いばかりつけて
懸命に唸っているうちお受験勉強を
詰め込ん詰め込んでついに心さえ
もちろん体だって蟻の紋章付けて
世界共通のペンキで塗り尽くして
とうとうおしゃべり人形の喪服の影から
部品ばかりがゼンマイと戯れるような
僕らのぎこぎこ進む町角のあちらこちら
いたることろを商品看板が痛め尽くし
美的センスのかけらも見られないこの大衆は
……ああ、そうなのだ
かつて皇国に君臨したあのお方をさえ
讃えたその情熱からまるでわずかに成長せず
崇拝すべきものをなおさら広告に置き換えて
ああ、これは、何ということだ
なにも変わっちゃあいないのだ
お前たちは、ああ度し難い、
何故にこんなにも度し難いのだ

そしてこれが彼の遺言に残された
小さなノートの必死の文字列でありまして
走り書きにされた言葉のすべてであり
その小さな小さな嘲笑されべき
落書きの全貌でありまして
その最後の部分には小さく小さく
ただ、「ごめんなさい」
とだけ記されてあり
「十二月十三日、真夜中」と
消え入りそうな文字でもって
悲しく記されていたのでした

たとえば私はこれをもって
全社会を悪の権化とみなすわけでもなく
ただ殺されたひとりの人間の
主観の方面からも
真実のひとかけらくらいはきっと
僕らの社会のために灯しを
灯し続けるのであるならば
わたしもひと言だけはあなた方のために
つけ加えておかなければならないでしょう

あなたがたに咎はない
咎とは何でもないものを
自らの小さな倫理で
自らのくびきとする
小さな小さなこころの
良心の営みであるのだから

それすら知らずに彼を殺した
お前たちに咎など
咎を知るほどのこころなど
あるべきものではないのだ
…………

注意書き

・Serpentarius(サーペンタリウス)はへびつかい座・Ophiuchus(オフィウクス)のコペルニクス以前の呼び名。20世紀後半に提唱された(ものの否定され気味な)説では、黄道のかかるへびつかい座を黄道13星座として扱うべきだともいわれる。それは死者をも甦らせ、ついには冥界の王ハーデースの怒りを買い、弟である全能の神ゼウスに打ち殺された後、されどその名医が讃えられて、天に昇って星座となったという。いて座(ケイローンの姿)の弟子でもある。

2009/08/26

[上層へ] [Topへ]