(朗読なし)
ある晩、私は不思議な夢を見た。それはちょうど自分がいい年をして、遅まきの中也熱にうかされていた頃のことだ。その頃私は「山羊の歌」のフレーズを口ずさみながら、暗唱しては喜んでいるような毎日だったことを、今でも覚えている。
夢のなかの私は、黒いマントを羽織っているらしかった。それからあの半月状に丸みを主張する、山高帽を被っているらしかった。ようするに私は詩集に掲げられた、ある詩人の格好を真似するみたいにして、意気揚々と街なかを徘徊しているらしかったのである。
そうして私は手帳を取り出してペンを握りしめる。まるで初めて作詩に浮かされた中学生が、模倣のあまり詩人と同一化してしまい、言葉つきまで似てしまうミメーシスを、自分は夢のなかで行っていたらしいのである。
手帳には沢山の言葉が記されていた。どれもが自分の言葉であって、そうして自分の言葉ではなかった。私は他の何ものかに成り切って、崇敬する人物の口調を真似て、必死に何かを語ろうとしているらしかった。
つまりそれらの詩は、ある詩人を模倣しようとして、模倣しきれなかった、いびつな形をしていたのである。どれもこれもがたどたどしくって、もどかしくって、所々に愛嬌があって、あるいは淋しさが溢れるようにも思われた。
恐らくは傑作には成り切れない、はかないイミテーションには過ぎないのだろう。けれども私は、これらの模造品を愛しく思うのだ。それは夢のなかで行われた詩作という、ただそれだけのユニークさを持ってしても、ある種の学究的な価値があるのではないか。血液判断や夢判断に生きがいを見い出す、呪術信奉者に対しても、豊かな材料を提供することが出来るのではないか。
私はおおよそひと月の間、夢のなかでの詩作を続けたていた。目が覚めてから、記憶をさかのぼってそれらを書きとどめることが、朝の楽しい儀式にさえ思われ始めたくらいである。
ところが私が、夢の詩作に自信を深め、あるいはこのまま習作を続ければ、自身偉大なる詩人にさえなれるのではないかと、愚かしくも期待をし始めた矢先、夢はぷっつり途絶えてしまったのであった。
まるでピークを過ぎ去った流星群が、憐れなくらい流れ星を忘れてしまったみたいな、ただぽっかりと、私は仰向けに銀河を眺めるような侘びしさに打ち負かされていた。二、三日は、自分が誰でも無いような気がして、仕事も手につかない有様だったのである。
そうして私の手元には、わずかばかりの落書きが残された。私はこれを、しどろもどろのものや、つじつまの合わないものを破棄し、日常理解しうる程度に推敲を重ねて、幾つかを繋ぎ合わせ、どうにかまとまりのある詩と見なしうる、三十の詩篇にまとめたのであった。
私はそれに、「忘られし歌」という題名をつけてみた。二度とは戻ることの出来ない詩作の面影のため、おおよそこれらの詩篇は、夢と感じられる方角から、仄かにもたらされた霊的現象においてのみ、かろうじて学究的価値を保ち、精神と言葉との偽りのない真実を、なお人々に伝え得るものと信じ、私はこれをある出版社に、送ることに決めたのだった。
1. 梅雨の中半
2. 好きです
3. 湖上肝胆
4. 小さな夜の祈り
5. 告白
6. 狂騒
7. 月影の歌
8. 酔酒
9. 短歌十首
10. 本当の歌
11. 春の宵
12. 女郎花
13. 円舞曲(ワルツ)
14. 夕べとまして
15. 最後の信者
16. 明日香村
17. ある娘のセレナード
18. 婚礼の宴
19. 追っかけはしまい
20. 蛙(かわず)の歌
21. 本当の笑むこと
22. 弟
23. 幾年(いくとせ)
24. 俤(おもかげ)
25. 不気味な心
26. 訣別の歌
27. あなたなかりせば
28. 夢の影
29. 約束の公園
30. 恋の歌
2010/3/22