あなたなかりせば

(朗読ファイル)

あなたなかりせば

馴れ初めし夕炊(ゆうすい)の春よ
ありきたりは頑なにもたれかかり
友よ、安らかな笑みでみたせよ

けれども僕とて妻への冗談などは
お道化(どけ)て麗句のひとつも加え
友よ、晩課(ばんか)儀式といたしましょうが

それはそれ、星も亡くなる夜更けにひとり
闇のほとりでぽつねん、寝汗掻くくらい
僕には、ありきたりが怖ろしいのです

振り向けば、銀色の寝息は蝋細工じみた
通わすこころなき見知らぬハイカラ人形の
今のみ喜ばす遊技体みたいにただむっつりと

ほの光りするような気配には僕とても
揺すりかけの唇の笑みには驚かされ
逃れつたう台所の、震える喉を潤すくらいです

人、縺(もつ)れ合わせる糸やいずこ
それはかたときも僕を悩ませる
人、縺れ合わせる糸やいずこ
それはかたときも僕を苦しめる

親たちの喜ぶ顔が僕には不気味
教師のにこにこするのが僕には不気味
友達のくったくのなさはまるで嘲笑を満たし
押しつけられた親友の脅迫には戦慄するばかりです

託すべきこころが僕には足りなくって
分かつべきこころが、僕には足りなくって
疲労困憊(ひろうこんぱい)の気配です

さらば、すべての友らよ君がまた
笑みで満たした能のお面に驚きて
夕炊の宴のいつわりはついに露見し
谷川が僕らを分かつくらい、君らは遥かに遠いのです

友なかりせば、ひとかげ足らずや
家になみだの、帰途はあらずや
そっと開きし、扉のかなたへ
されどひとりの、こころあらずや

馴れ初めし夕炊は巡り来たり
ありきたりは頑なにもたれかかり
妻よ、安らかな笑みでみたせよ

あなたなかりせば、ひとかげあらずや
されどいつもの、笑顔あらずや
恐れしこころの、少しうやむやとなるがまま
とわにひとりの、こころとならずや

2009/3/28
2009/07/06改訂掲載

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