不思議ですねこんなに真っ黒で
埋葬されたみたいなこころでもって
あなたへの挨拶ばかりは今もなお
なんだか元気じみたる気配です
それは安心させたいからでもあり
あるいは単なる見栄でもあり
あるいはそれは虚栄であるかもしれず
もしくは僕の最後に残された
愛情であるのかも知れませんが
何も語り得ないくらい
心のなかはもうくたくたで
鉛みたいな空しさでもって
今や悲しみなんて言葉ひとつで
括られないくらいにこころぼろぼろの
僕はまったく壊れちまっているのです
なのにいくぶん残された僕の虚栄は
ありきたりをばかり演じてみせたので
誰もが僕に安心もいたし
砕けきったとはまるで思わないのでした
だって挨拶をしたとき
あいつは元気よく手を振って
それからおはようって
羨ましいくらい素っ気なく
笑っていたじゃあないか
そうだわ、私がなにかを無くしたとき
どうでもいいみたいな気さくな顔をして
それなのに、ずいぶん懸命に探してくれて
見つかったからってとりたてて
どうでもなかったみたいに差し出すんですもの
ほほえむ姿が眩しかったわ
わたし、本当に立派な人って思ったのよ
わたし、こんな人ったら素敵かもしれないなんて
本当にこころからそう思ったのよ
あの人、みじんも見せなかったわよ
おかしなところなんて
みじんも見せなかったわよ
例えばあなたがたにはそうだろう
私はかねてよりそのこころをば調べつくしたのである
そしてあたりきのことが、あたりきでなくなるその水際(みぎわ)に
かの男のこころは今や首ったけになってしまい
幾分かは引き返そうとしたこともあったとはいえ
ついには溺れはじめてしまったのであった
すなわち彼はまるで笑いながらに
見ひらいたまんまで死んでしまっていたのである
「そんなのおかしいわ
あの人ったら立派だったもの」
それは女の言葉であった
「まったく冗談ばっかり
今日もおはようって言ってたじゃないか」
それは男の声であった
五万のこころがいっぺんに
どす黒き固まりみたいにして
僕のこころに雪崩れ込んだとき
僕は埋葬されることもなく
漆黒の怒濤(どとう)にのまれゆく
それは英知であり決して
発狂などではないけれど
それは君らには分からない
それは君らには分かろうすべもない
ああ、確かにあいつはいい奴だった
今に一度も怒ったこともない
むきになって言い返したこととてない
けれども、なんだねえ、冗談も通じない
朴念仁(ぼくねんじん)みたような
せせらぎくらいの男だったねえ
あら、違うわ、あの人ったらいつも笑っていたわ
冗談ばっかりであんな気楽な世の中を
渡りゆく風船みたいなさりげなさで
わたしいつだって憬れていたんですもの
あなたの言っているのとはまるで違うわ
彼、いつも笑っていたわ
笑って、でもあたまの中はいろんなことが
一杯つまっている男だったじゃない
君らのなかに僕はいないや
僕はどうしたらいいだろうか
いまだ誰をも裏切ることなく
苦しくて決壊しちまった胸のうち
隠したまんまでおはようと
木の芽(このめ)のような挨拶を
交わしてゆくうち時は果て
消えに消えゆくいのちなら
僕はまた頑張らなくてはならないのだろうか
いっそ憎しみよはるかなれ
今まで必死にこしらえた
会話もみんな発破(はっぱ)にかけて
憎しみひとつとぶち壊し
席をばかりに立っちまおうか
それさえ出来れば僕はいかほど
幸せを噛みしめることも出来るのに
あいつなんだか今日は冴えなかったな
あいさつしても碌(ろく)すっぽ声が浮ついていた
ありゃあきっと女に振られたとか
金を損ねたときのお決まりなんだ
だけど俺はちょっと気に食わぬ
そんな時は俺にだって相談してみろ
少しは親身になってあいつのことを
考えてやることだって出来るのに
そうねえ、今日はなんだかみんなうわの空
遠くを見つめるみたいな瞳が潤んでて
そういえば、わたしにも冗談ばっかり
本当、たまには悩みなんかも打ち明けてみたり
ちょっといたわり合ったりしてもいいのに
本当に、あの人ったら冗談ばっかり
それで、陽気な人とばかりに思ってると
今日はなんだか、瞳が潤んでるのよ
うるうるして、なみだが流れそうなのよ
どうしちゃったのかしら、あの人
なんだお前、あいつのことばっかり
まったく熱心に告白しやがって
あいつのことばかりを愛していますって
今すぐそんな表情だったぜ
うん、そうかもしれないわ
わたし、最近こころが不思議なの
恋なのかしら、これってもしかしたら
ねえあんた、教えてくれないの
これって恋なのかしら
夜になるとなんだか胸のあたりが
どきどきどきどきしてるのよ
おやおや、精一杯なのろけじゃないか
まったく熱心に告白しやがって
あいつばっかりの心なら今こそチャンスだ
さっそく今日にでも告白しちまいな
こころがまいっているような時には
誰だって相手が欲しくなるもんさ
そうねえ……
告白……しちゃおうかしら
あの人頷いてくれるかしら
ねえ、あんたどう思う、ねえ
わたし、あの人に告白
しちゃおうかしら
いわゆる彼の行く末は
諸君にとっても気がかりで
わたしにとってもなおさら懸案の
至極大事ではあるところ
されどいまは結末を手がけ得ず
みなさまに託すのが関の山なのです
わたしはすなわち次の案件にまた
さっそく取り掛からねばなりますまい
2009/07/06