秋彼岸

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秋彼岸

・秋分は二十四節気による期日であるが、「秋の彼岸」は秋分を中日(ちゅうにち)に挟む七日間を指す。これは雑節(ざっせつ)という季節行事のひとつである。

・もともとの言語としての彼岸は、サンスクリット語に由来する「波羅蜜(はらみつ)(パーラミター)」を意訳した「至彼岸」に由来する。つまり、我々の煩悩世界である「此岸(しがん)」、此方岸(こちらぎし)に対して、悟りに到ったあちら側の岸を表現する仏教用語であった。

・つまり行事としての彼岸は、浄土思想に基づく春分・秋分の日に見られる、真西に沈む太陽のかなたに彼岸を思うという思想から始まっていると言えるのかも知れない。しかし、彼岸の行事が日本にしかないことから、もともとあった土着の信仰と、仏教思想が結びついたものではないかとも考えられている。

・「日本後紀」によると、806年に死して祟りを巻き起こしている崇道天皇(早良親王)の霊を鎮めるために、全国の国分寺に向けて七日間経を読むことが命じられている。この「彼岸会(ひがんえ)」は、やがて一般人民の亡き人々を供養する行事として定着していったそうだ。そして他の仏教国では見られない行事でもある。

・歳時記では、春の彼岸は「彼岸」でも好いが、秋の彼岸は「秋」の言葉を入れなければならないという。つまりは「秋彼岸」「秋の彼岸会」あるいは「後(のち)の彼岸」など。

里消えて彼岸に戻る由もなし

[正岡子規]
梨腹も牡丹餅腹も彼岸かな

[飯田龍太]
さびしさは秋の彼岸のみずすまし

[立ちながら水面を滑走するアメンボに対して、ミズスマシ(水澄まし)は腹這うように水面に活動する黒い奴。しかし俳句などではアメンボを俗称にミズスマシと呼ぶこともある。]

曼珠沙華(まんじゅしゃげ)

・ヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草である「彼岸花(ひがんばな)」は、日本では「曼珠沙華」とも呼ばれる球根性植物である。稲作と共に大陸から伝わったと考えられ、アルカロイド(リコリン)を含む有毒植物で、間違って食すると最悪中枢神経麻痺による死すらあり得るという。

・そんなこともあって、墓地や水田など、動物に荒らされたくない場所に植えられたため、墓地に咲く花の代名詞ともなった。「曼珠沙華」の名称は法華経に由来するそうだが、その差すところの花は「白くやわらかな花」であって、彼岸花とは随分違っているらしい。もっとも彼岸花自体も赤ではなく、白い花を付けるものもある。「花の咲く時には葉が無く、葉がある時には花は咲かない」という変わった特徴を持っている。

彼岸花(ひがんばな)、死人花(しびとばな)、天蓋花(てんがいばな)、幽霊花、狐花、など。

ふるき代のさらし河原も彼岸花

木犀(もくせい)

・モクセイ科モクセイ属の常緑小高木樹で、オレンジ色の小さな花が咲くと、甘くて強い香りがするので、秋の香りを代表するような花である。木犀の花、金木犀、銀木犀、薄黄(うすぎ)木犀、桂の花(かつらのはな)、など。

木犀のかおり石けんのかおりかな

鯊・沙魚(はぜ)

・ハゼは、硬骨魚綱・スズキ目・ハゼ亜目に分類される魚の総称で、ムツゴロウなどもその仲間だが、ここではその中でも特に内海や河口に居る「真鯊(まはぜ)」を指す。

・釣り(鯊釣り)に、その後の食用に愛される魚で、天ぷら、唐揚げ、刺身などさまざまな調理がなされる。地域によっては、「どんこ」「ちちぶ」「ふるせ」などと呼ばれ、沙魚を釣る日和は、「鯊日和(はぜびより)」などと呼ぶそうだ。

かわい気に鯊切る妻のまつげかな

[服部嵐雪(はっとりらんせつ)]
はぜつるや水村山郭酒旗風
  (すいそんさんかくしゅきのかぜ)

爽やか(さわやか)

・「さわ」とした響きは、さわさわとした木の葉の触れ合う仕草で、「さわやか」の本意は肌触りのよさだったとか。湿度と暑さを過ごした秋の大気こそ「さわやか」候補ナンバーワンなのだそう。

爽気(そうき)、爽涼(そうりょう)、秋爽(しゅうそう)、爽やぐ、さやけし、さやか、など。

さやかにも舞ひのぼる蝶のしるべとや

さわやかな風吹きのぼるあの丘で

[高浜虚子]
過ちは過ちとして爽やかに

[飯田蛇笏(いいだだこつ)]
爽かに日のさしそむる山路かな

水澄む(みずすむ)

・水温低下に伴い、プランクトンなど川の生物の減少すると、水が次第に澄んでくる。これを春の「水温む(みずぬるむ)」に対して、「水澄む」と呼ぶのだそう。

すみ渡る水にしゃがんですまし顔

[鈴木花蓑(すずきはなみの)(1881-1942)]
一むらの木賊(とくさ)の水も澄みにけり

[トクサ(砥草、木賊)は山間の湿地などに生える節を持ったひょろ長い植物で、硬質の茎でものを研ぐことが出来るので、砥草という名称になったという。]

梨・梨子(なし)

狩しあふ梨ゐ眠りな運転手

梨子を剥くあなたの人よいまいずこ

[惟中(いちゅう)・岡西惟中(1639~1711)]
水なしやさくさくとして秋の風

秋分(しゅうぶん)

・太陽と地球の関係が、原始的知性動物の営みに触れたとき、暦が生まれ歳時が生まれた。定められた歳時は情緒を伴って、季語となって詩に詠まれるようになった……

・……かどうかは知らないが、秋分は春分と並んで、昼と夜の長さが等しくなる日(慣習的にそう言われる)であり、二十四節気をつかさどる重要な基日になっている。そうして、彼岸の中日(ちゅうにち)でもある。祝日にされている「秋分の日」は、9月23日頃にあたり、昔は秋季皇霊祭と呼ばれていたそうだ。

秋分煙り立ち惑(まど)ふ夕べの帰宅路\墓参

秋分の闇夜になずむ鴉かな

秋気(しゅうき)

・秋の爽やかな大気。秋らしい気配。などを指す。「秋気澄む」「秋の気(き)」といった用法がある。中国は唐の詩人、柳宗元(りゅうそうげん)の漢詩あたりから来ているようだ。

秋の気をだあれかさんが見つけては

雨は静かにふるのみやこの秋気かな

有明月(ありあけづき)

・十六夜月以降ともなれば、夜明けの空(有明・ありあけ)に残される月の姿もあろうというもの。明けの月、朝の月、残月(ざんげつ)、残る月、など。

君思(きみも)へば有明月(つき)のなみだかも

残月に鹿殺(かごろ)し弓を放ちけり

[去来(きょらい)]
猪のねに行くかたや明の月

[一茶]
有明や浅間の霧が膳をはふ

[正岡子規]
有明の月静かなり最上川

秋澄む(あきすむ)

・大陸性移動高気圧で大気が澄んで見えるので、「秋澄む」とか「空澄む」という。そこから「akism」(アキズム・秋主義)という名称が生まれたという説は、今日では否定されている。。

水彩の akism カンバス。古都の夢。

秋は澄み、鳥は灰化のなぐさめを……

[飯田蛇笏]
地と水と人をわかちて秋日澄む

[本宮銑太郎(もとみやせんたろう)]
秋澄むやせり上がり咲く蔓(つる)の花

秋の水

・前に揚げた「水澄む」と同様、水の澄みわたる秋を表した季語。「秋水」とかいて「しゅうすい」と読ませたり、「水の秋」とささやいてみたり。

杉間より差し下ろす鳥や水の秋

なほ深く吾を映すや秋の水

[松本たかし]
十棹(とさを)とはあらぬ渡しや水の秋

秋の田(あきのた)

・稲の熟した色づき豊かな秋の田を呼ぶ言葉。稲田(いなた・いなだ)、早稲田(わせだ)、晩稲田(おくてだ)、稲熱田(いもちだ)、田色づく、田の色、など。

・稲は刈り入れ次期によって早稲(わせ)、中稲(なかて)、晩稲(おくて)とある。稲熱田とは、「いもち病」に侵された田んぼのことかとされている。これは「いもち菌」というカビの一種に稲が侵され、大幅な減収を招いてしまうという、かつてからある稲の病である。

稲田づく しずかな jazz の piano 曲

落し水(おとしみず)

・刈り入れ前に、田を水抜きすること。大体、刈り入れの一ヶ月前頃に行う。「田水落とす」などという。

唄い止んで夕べにしきる落し水

[几董]
からうじて山田実のりぬ落し水

[村上鬼城]
稲妻に水落しゐる男かな

[木下夕爾(きのしたゆうじ)(1914~1965)]
暗き夜のなほくらき辺に落し水

松茸飯(まつたけめし)

・シンプルな松茸の香りを付けて、風味をいただくような松茸飯。松茸が高級品になってしまったので、もっぱら松茸を楽しむ常套手段としても、秋の風物詩。

・他のきのこを利用した「きのこ飯」も、秋の季語になっている。

法要の〆の残りやきのこ飯

[坂本四方太(さかもとしほうだ)(1873-1917)] 有之哉(これあるかな)松茸飯に豆腐汁

[日野草城]
平凡な日々のある日のきのこ飯

とろろ汁

・とろろにして食べるイモを「トロロイモ(薯蕷藷、薯蕷芋)」と呼ぶが、これは芋の種類ではない。ヤマノイモ[山芋、自然薯(じねんじょ)]、ナガイモ、などをすり下ろしたものを「とろろ」と言って、そうした芋達を呼ぶための言葉である。

・すり下ろした「とろろ」に、だし汁で味付けをして「とろろ汁」となる。そのままいただく以外に、御飯にかければ「とろろ飯」、麦飯にかければ「麦とろ飯」と呼ばれる。また、丼ものや料理などに「とろろ」をかけて食べることを「山かけ」と呼ぶこともある。

・ヤマノイモは日本に古くから取れたか、ナガイモは17世紀に大陸から渡ってきたそうだ。

とろ/\と風邪が寝起きのとろゝかな

とゝろ抱いてとろゝをすゝるひ孫かな

[鷲谷七菜子(わしたにななこ)]
ざざ降りのまだおとろへずとろろ飯

[芭蕉]
梅若菜丸子(まりこ)の宿(しゅく)のとろろ汁

[駿河の国の鞠子(まりこ)の宿は、当時よりとろろ汁で有名だった。ただしここでは季語ではない。]

夜食(やしょく)

・農家などで、日暮れの早くなる夕食時に対して、夜長になる屋内の手作業に際して、何かと腹が減るので、夜間に鍋などを作ることを、「夜鍋(よなべ)」と呼んでいたが、いつしか夜長になる勉強や仕事に際して、間食を行う、「夜食」の方がメジャーになったとか。

寝落ちしてむなしく伸びる夜食かな

稲架(はさ、はざ)

・刈った稲を束ねて干すために、木枠を設けて、稲をまとめ干す。「稲干す」の際に作られる装置。今日では人工的な装置で乾燥させることが多いが、昔は天日干しが必然だった。その木組みを「稲架」とか「稲木(いなぎ)」「田母木(たもぎ)」「稲掛け(いねかけ、いなかけ)」「稲機(いなばた)」、などという。地域によって方言のように呼び名があり、「ほにょ」なんて呼ばれるところもある。

・また、「稲叢(いなむら)」「稲塚・稲束(いなづか)」などの表現もあるが、これも刈り取られて、干すために、まとめられた稲をさす。同時に、脱穀を終えたワラだけを、まとめておく場合も、同じ名称で呼ばれたりする。

稲架掛けて古米が鈴(りん)の念仏(ねぶつ)かな

秋袷(あきあわせ)

・裏地付きの着物である袷。綿抜した袷は夏の季語である。しかし、陰暦9月1日以降、あるいは何となく秋にも着る袷がたしかに存在する。そんなとき人は、「秋袷」「後の袷」「秋の袷」、などと呼ぶらしい。

縺(もつ)れして語らふ君や秋袷

[前田普羅(まえだふら)]
つつましや秋の袷の膝頭

[高橋淡路女(たかはしあわじじょ)(1890-1955)]
一日の旅をたのしむ秋袷

遊行忌(ゆぎょうき)

・時宗の開祖一遍上人の忌日は陰暦8月23日だが、新暦で代わりに9月23日を一遍忌(いっぺんき)としたもの。彼は諸国遊行の布教活動により遊行上人(ゆぎょうじょうにん)などと呼ばれたため「遊行忌」とも云う。

慎ましく芝居を撲つや一遍忌

[三田きえ子]
山月の望をすぎたり一遍忌

砧(きぬた)

・かつて庶民の服は麻、葛(くず・かずら)、藤、楮(こうぞ)などの植物性であった。これを蒸して、川で晒して、織るのだか、織ってから晒すのだか、とにかく布にする。これを、さらに柔らかくするために、砧(きぬた)という道具で布を打ち付けて、トントンと音を立てながら、布を仕上げる事を、「砧打つ」とか「衣(ころも)打つ」と呼んだもの。日が暮れてからの作業で、夜長の秋の風物詩としても、知られていた。

孫の来て蔵より遊ぶ砧かも

[芭蕉]
声澄みて北斗にひゞく砧哉(かな)

鎌祝(かまいわい)

・稲刈りが澄むと、農事の区切りとして農家では祝賀が開かれる。鎌を主(あるじ)と見立て、お疲れ様のねぎらいをかねて、様々な祝宴を催す。「鎌納(かまおさ)め」「鎌あげ」「刈上(かりあ)げ」などと呼ぶらしい。

いもじりのおどけた顔や鎌祝

[本宮哲朗(もとみやてつろう)]
菩提寺の僧も加はり鎌祝ひ

草木花

 唐辛子・蕃椒(とうがらし)、南蛮(なんばん)、鷹の爪。竹の春、竹春(ちくしゅん)。鳥兜(とりかぶと)、附子(ぶし)、草烏頭(くさうず)。通草・木通(あけび)、あけびかずら、山姫(やまひめ)。牛膝(いのこずち)、ふしだか、こまのひざ。風船葛・風船蔓(ふうせんかずら)。葉鶏頭(はげいとう)、雁来紅(がんらいこう)、かまつか。

[蕪村]
うつくしや野分の後のたうがらし

[石田波郷]
今生は病む生なりき鳥兜

[長谷川かな女(じょ)]
大空にそむきて通草裂け初めぬ

[西嶋あさ子]
ゐのこづち淋しきときは歩くなり

[飴山實(あめやまみのる)]
風の吹くまゝの風船葛かな

鳥獣魚虫

 馬肥(うまこ)ゆる、秋の駒(こま)。鮭(さけ)、しゃけ、秋味(あきあじ)。尾花蛸(おばなだこ)。溢蚊(あぶれか)、哀れ蚊(あわれか)、八月蚊。椋鳥(むくどり)、むく、白頭翁(はくとうおう)。鶸(ひわ)、真鶸(まひわ)、金雀(きんじゃく)。浮塵子(うんか)、糠蠅(ぬかばえ)、淡虫(あわむし)、実盛虫(さねもりむし)。

[高浜虚子]
牧の馬肥えにけり早も雪や来ん

[森田峠(とうげ)]
丘の上に雲と遊びて馬肥ゆる

[水原秋桜子]
鮭のぼる古瀬や霧のなほまとふ

[松瀬青々]
夕闇の鍋に入るゝや雄花蛸

[寺田寅彦]
哀れ蚊に厠(かわや)いぶせきとまり哉

[堀口星眠(せいみん)]
鶸渡る雨の峠の草伝ひ

2008/09/27
2012/02/23 改訂
2017/11/16 改訂

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