時雨るる (しぐるる)

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立冬(りっとう)

・ありきたりな解説を行えば、昼の最も長くなるのが夏至、夜の最も長くなるのが冬至、その中間にあって昼と夜の長さの等しくなるのが秋分、春分である。(細かく言うと、日の出は太陽が出始めた時で、日の入りは太陽が沈んだ後なので、太陽の直径分だけ昼が長くなるなどの違いがある。)

・歳時記上の冬は、この立冬から、二月初めの立春前日までを指す場合が多い。

・これをもとに、二十四の時期を区切ったものが二十四節気であるが、その二十四節気において、秋分と冬至の中間に位置するのが立冬で、11月7日頃あたる。冬立つ、冬に入(い)る、冬来(きた)る、今朝の冬など。

冬立ちてかすかに疼(うづ)く傷の跡

ふもとまできつねと冬は来たりけり

○を描く子らが砂場に冬が来て

[鬼貫]
あらたのし冬たつ窓の釜の音

[蕪村]
けさの冬よき毛衣を得たりけり

[草間時彦(くさまときひこ)(1920-2003)]
白湯(さゆ)一椀しみじみと冬来たりけり

時雨(しぐれ)

・ぱらぱらと過ぎるような、冬入頃に降る通り雨のこと。季語としては、冬の気配を感じさせるような、去る秋と冬の入りを同時に感じさせるようなにわか雨を、時雨(しぐれ)とする傾向があり、それを過ぎた冬の雨は、あまり時雨とは詠まれないようだ。

・先に述べたように、長雨であるよりも、やがて降り止むような雨を特徴とする。また曇天のうちに、ときおり雨が降って、また止むなども、時雨と呼ぶのに相応しいようだが、かといって長雨を時雨と詠まない訳でもない。朝時雨、夕時雨、小夜(さよ)時雨とか、時雨雲、時雨傘などさまざま。

がらす指あいあい傘な夕しぐれ

改札を抜けてぱらつく時雨かな

錆びチャリのしぐれと軋む老爺かな

しぐれ/\手児名が鞠のあやし唄

[素堂(そどう)]
あはれさやしぐるる比(ころ)の山家集(さんかしゅう)

[丈草(じょうそう)]
幾人(いくたり)かしぐれかけぬく勢田(せた)の橋

[去来]
いそがしや沖の時雨の真帆片帆(まほかたほ)

[一茶]
寝筵(ねむしろ)にさつと時雨の明り哉

[正岡子規]
小夜時雨上野を虚子の来つつあらん

[高浜虚子]
天地(あまつち・あめつち)の間にほろと時雨かな

[よみ人知らず]
誰ぞこの
  むかしを恋ふる わが宿に
    しぐれ降らする 空の旅人
          (御堂関白集)

[時雨で立ち寄った宿で出された土器に記されていたと詞書にある]

初時雨(はつしぐれ)

・特に、その年はじめて時雨だと感じた雨のことを、初時雨(はつしぐれ)と呼ぶ。

さよならと手を振る駅よ初しぐれ

[芭蕉]
旅人と我(わが)名よばれん初しぐれ

[芭蕉]
初しぐれ猿も小蓑(こみの)をほしげ也(なり)

[高浜虚子]
初時雨これより心定まりぬ

芭蕉忌(ばしょうき)

・元禄7年10月12日(西暦1694年11月28日)に亡くなった松尾芭蕉をしのぶ忌。時雨忌(しぐれき)とか、翁忌(おきなき)、桃青忌(とうせいき)とも呼ぶ。桃青は芭蕉の別号。もちろん当時は旧暦だが、今日は新暦の10月12日に行ったりもする。

へうたんの酒も呑みたし桃青忌

破垂(やれた)れて忌日にばさるはせを哉

[飯田蛇笏]
はせを忌や月雪(げっせつ)二百五十年

[加藤楸邨(かとうしゅうそん)]
芭蕉忌を一日おくれてしぐれけり

神の旅(かみのたび)

・旧暦十月は「神無月(かんなづき、かみなしづき)」と呼ばれる。神はどこへ行ったかと尋ねれば、それは出雲さと返ってきた。二三歩行ってえへんと声がした。

……かどうかは知らないが、この月は、国の神々が出雲へと出張するとされる。そうであればこそ、出雲では旧暦十月を「神在月(かみありづき)」と呼ぶ。それを改めて、出雲へ向けて旅をする神として表現したのが、この季語である。ほかにも「神の旅立ち」とか「神の留守」などと詠んだ句があるようだ。

神の旅酔ひたる神の残りけり

[芭蕉]
都いでゝ神も旅寝(たびね)の日数哉(ひかずかな)

[返句]
出雲まで旅寝の神もなかりけり

[高浜虚子]
蘆(あし)の葉も笛仕(つかまつ)る神の旅

[松瀬青々(まつせせいせい)]
出雲路やあらぶる神の草枕

凩・木枯(こがらし)

・冬入頃を駆け抜ける、草木を枯らすような、冷たい殺風景な北風を差す。

こがらしに寄り添うおとこ女かな

凩にトロイの帽を取られけり

[芭蕉]
狂句こがらしの身は竹斎(ちくさい)に似たる哉

[言水(ごんすい)]
凩の果はありけり海の音

[去来]
凩の地にもおとさぬしぐれ哉

[山口誓子]
海に出て木枯帰るところなし

[津守国基(つもりのくにもと)(1023-1102)]
いつの間に
  空のけしきの 変るらむ
    はげしき今朝の 木枯らしの風
          (新古今和歌集)

亥の子(いのこ)

・旧暦十月(亥の月)の、亥の日(ことに初亥の日)。平安時代の宮中に取り入れられた行事から、特に西日本で、民間の収穫祭などと結びついて、祝われるようになったともされる祭。

・農村では、田の神が去りゆく日と考えられることもあり、病気を払うために「亥の子餅(いのこもち)」を食べたり、江戸時代にはこたつ開きの日ともされた。「玄猪(げんちょ)」という呼び名もある。

[蕪村]
命婦(みょうぶ)よりぼた餅たばす亥子哉(いのこかな)

[下五が「彼岸哉(ひがんかな)」のものがあり、そちらの方がよく知られている。「宮中の女官であるところの命婦から、ぼた餅をいただいた、そんな亥の子の日であることよ」という意味。命婦には、稲荷神社の神の使いである狐が暗示されるという。]

落葉(おちば・らくよう)

・落葉樹の葉が冬になって散ることをさす。多くは秋の紅葉を経て、色づき、あるいは枯れた葉が散るのであって、落葉時雨(おちばしぐれ)、落葉風、落葉雨、落葉焚(た)く、落葉時、など様々な表現法がある。

改札の顔に舞い込む落葉かな

野良の来て足に寝そべる落葉焚

[許六]
手ざはりも紙子(かみこ)の音の落葉かな

十一月(じゅういちがつ)

・前半に立冬(りっとう)を迎える初冬の月。

November
  あなたのメールを待ちぼうけ

VOCALOID
  十一月のいろは歌

[野中亮介(のなかりょうすけ)]
からまつに十一月の雨の音

神無月(かんなづき・かみなづき)

・旧暦十月をこう呼ぶが、その由来は、必ずしも明確ではない。「無」は当て字であり、「神な月」つまり「神の月」の意味から来ているとも考えられる。すべての神が出雲大社に集まるので、他所では神がいなくなるからというのは、中世以後の後付けらしい。出雲地方では、神がいらっしゃるというので「神有月(かみありづき)」と呼ぶことも。

・他にも、時雨月(しぐれづき)、初霜月(はつしもづき)など。

せがまれて坊主をめくる神無月

[也有(やゆう)
→横井也有(1702-1783)]
柏手(かしはで)もかれ行く森や神無月

冬(ふゆ)

・初冬(しょとう)、仲冬(ちゅうとう)、晩冬(ばんとう)の三冬(さんとう)は、立冬(りっとう)から立春(りっしゅん)前日まで。その三ヶ月、九十日あまりを、まとめて九冬(きゅうとう)と呼び、五行説の冬の色「黒」にちなんで、玄冬(げんとう)、玄帝(げんてい)とよんだりもする。

・他にも、ナポレオンのロシア遠征失敗に基づくらしい「冬将軍(ふゆしょうぐん)」やら、厳しい寒さから厳冬(げんとう)と呼ばれたりする。

淋しさに冬又冬と唱へけり

しおりして二日で飽きる冬の詠

我が冬もなかば早とはなりにけり

[鈴木真砂女(まさじょ)]
下駄の音勝気に冬を迎へけり

[星野立子]
何といふ淋しきところ宇治の冬

[西行]
寂しさに
   たへたる人の またもあれな
 いほりならべむ 冬の山里

冬めく

 冬らしくなってきたことをさすが、すさまじい寒さや、殺風景な枯れ野原など、冬まみれの強烈さはなく、秋の余韻より増さって、冬らしい姿を認めた場合に使用する。

冬めいて積み砂荒れる土木かな

冬めいてお気にもこもこ着てみたり

初冬(はつふゆ・しょとう)

・三冬(さんとう)のうち、初めのひと月をさす。

水彩の初冬に藍を混ぜ合わせ

[室生犀星(むろうさいせい)]
初冬や庭木にかわく藁の音

小春(こはる)

・冬、とくに冬の前半頃に見られる、まるで春を思い起こさせるようなのどかな暖かい日よりのことを、小春日(こはるび)、小春日和(こはるびより)と呼ぶ。あるいは小六月(ころくがつ)などという表現もある。応用として小春空(こはるぞら)、小春風と読んでみることも出来る。

ひとねむり
  小春のカフェはミルク色

[久保より江]
猫の眼に海の色ある小春かな

冬構(ふゆがまえ)

・雪の降りしきる前の準備として、特に北国で、窓を塞いだり、目貼り(めばり)をしたり、雪よけの雁木(がんぎ)を渡して通路を護ったり、樹木に雪吊り(ゆきつり)や雪囲いをしたりして、冬の災害に備えること。

今は人の家して冬の構かな

紙漉(かみすき)

・現在は木材原料のパルプによる紙(洋紙)が一般的だが、紙幣にも使用され、あるいは習字にも使われる和紙(わし)は、七世紀初め、紙の製法が伝来して以来、日本で独自の発展を遂げて来た。

・ガンピ・コウゾ・カジノキなどから手作業で作りあげ、冬仕事として行う事が多かったことから、冬の季語となっている。製造課程に於いても、楮晒す(こうぞさらす)、など、さまざまな季語が含まれるが、もはや懐古的な季語には過ぎないのかも知れない。和紙も工場生産の方が一般的である。

紙漉の音よみがえる名所かな

酉の市(とりのいち)

[ウィキペディアより引用]
・酉の市(とりのいち)は、例年11月の酉の日に行われる、各地の鷲神社(おおとりじんじゃ)の祭礼。古くは酉の祭(とりのまち)と呼ばれ、大酉祭、お酉様とも呼ばれる。酉の市で縁起物を買う風習は、関東地方特有の年中行事。(ここまで)

・特に盛大なのは浅草の酉の市。ひと月に三回酉の日が含まれれば、一の酉、二の酉、三の酉、と催事が行われる。鷲(おおとり)大明神を奉るのだそう。熊手(くまで)が縁起物として知られて、熊手市(くまでいち)などとも呼ばれる。

[正岡子規]
世の中も淋しくなりぬ三の酉

[阿部みどり女(じょ)]
かつぎ持つ裏は淋しき熊手かな

蒸飯(ふかしめし)

・冷え切った飯を蒸して温かくしたものだそうだ。今はレンジでチンするのが一般的。

十日夜(とおかんや)

[またウィキペディアより引用]
・十日夜(とおかんや、とおかや)とは、旧暦十月十日の夜に行われる年中行事である。主に東日本で見られるもので、西日本で旧暦十月の亥の日に行われる亥の子に対応するものである。この日は田の神が山に帰る日とされ、子供たちが藁束で地面をたたいて回ったり、案山子上げをしたりする。

・それで「案山子揚(かかしあげ)」も季語となる。田から持ち帰った案山子にお供え物したりするのだそうだ。

[浦歌子(うらうたこ)]
へのへのの微かに残る案山子揚

鞴祭(ふいごまつり)

鍛冶(かじ)祭、蹈鞴(たたら)祭など。鞴(ふいご)を使用する鍛冶などの職人のまつり。十一月八日に、鉱山の神である金山彦神(かなやまひこのかみ)や、火の神であるカグツチの神などを祭る。

火打ちの神を鞴の祭かな

[河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)(1873-1937)]
遠方の鍬主(くわぬし)見えぬ鍛冶祭

草木花

 紅葉散る、散紅葉(ちりもみじ)。寒菊(かんぎく)、島寒菊、油菊(あぶらぎく)。冬木立。朱欒(ざぼん)、うちむらさき、文旦(ぶんたん)、ざんぼ。冬林檎(ふゆりんご)。八手(やつで)の花、花八手。

[五十嵐播水(ばんすい)]
紅葉散る旅の衣の背に肩に

[蕪村]
寒菊や日の照る村の片ほとり

[蕪村]
斧入れて香におどろくや冬木立

[太田嗟(ああ)]
甲板へ朱欒投げやる別れかな

[和田耕三郎(こうざぶろう)]
一本はうしろ姿の冬木立

鳥獣魚虫

 都鳥(みやこどり)、百合鴎(ゆりかもめ)。寒禽(かんきん)、冬の鶏、かじけ鳥。冬の鹿。冬の虫、虫老(むしお)ゆ、虫嗄(むしか)る、虫絶ゆ。柳葉魚(ししゃも)、ししゃも焼く。ずわい蟹、越前蟹(えちぜんがに)、松葉蟹(まつばがに)、こうばく蟹。氷魚(ひお・ひうお)、氷魚汲(ひおく)む。

[松村蒼石(そうせき)]
冬の虫ところさだめて鳴きにけり

[松笙(しょうしょう?)]
月影の砕けては寄る氷魚かな

2008/11/23
2013/3/25 改訂
2018/01/27 改訂

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