・旧暦二月に国家安寧を計る年中行事の修二会(しゅにえ)、その代表を務める東大寺の、今日まで残る修二会の、もっとも特徴的な「お水取り」の儀式が、春の歳時とされたもの。
[芭蕉]
水とりや氷(こほり)の僧の沓(くつ)の音
・「寝釈迦(ねしゃか)」とか「仏(ほとけ)の別れ」とも呼ばれるが、旧暦2月15日のすなわち満月の夜に、釈迦はお亡くなり(入滅という)て、涅槃(ニルヴァーナ・絶対的悟り)へ到ったとされ、仏教界では重要な法会が行われる。これを涅槃会という。ただし、明治時代以降、新暦2月15日、あるいは3月15日に開くことが多い。この辺、一見合理主義で西暦一辺倒に思える欧州が、変動的イースターを迎えることと重ね合わせ、君達はもう少し文化のあり方について、学ぶべきは学んだらよかろう。
涅槃会のものさへ風の古座像
[素堂(そどう)]
涅槃会や花も涙をそゝぐやと
・西行(1118-1190)とは沢山の和歌を「新古今和歌集」初め様々な資料に残す仏僧なり。さらに芭蕉の旅人生の先輩的存在であり、諸国を巡り歩いたことで知られる。東大寺のために奥州藤原氏のもとを訪れたり、源頼朝と面談したり、激動の12世紀の歴史的人物として眺めても面白い。そんな彼は、旧暦の2月16日、すなわち釈迦の涅槃の日の翌日に亡くなっている。彼は
「願はくは花の下にて春死なん
そのきさらぎの望月のころ」
と詠んでおり、それが叶った73歳の大往生が、後々まで語り継がれたそうである。
・出家して円位の名をいだいたため、「円位忌(えんいき)」ともよばれるが、口調からして俳句にするのは、一般には西行忌の方がよいと思われる。
句止めして歌より花を西行忌
雪の枝をなに見立てして西行忌
・川と海を回遊する魚として、釣り人と食通を楽しませる圧倒的身近のお魚である鮎。秋から冬にかけて下流に下った鮎のおっ母さん、お父っつあんが、河口付近で産卵させた稚魚が河口や浜辺に生活していたのが、4月5月頃に川を上っていく。この時の鮎が若鮎であり、「鮎の子」とか「小鮎(こあゆ)」とか「上り鮎(のぼりあゆ)」などと呼ばれる。とっつかまえて塩焼きにして旨いのも、またこの若鮎である。
若鮎のかなたの空の星あかり
「初学の駄句の見本として見せしめに残し置く例なり」
青春よ振り向くな君は上り鮎
[蓼太(りょうた)→大島蓼太(1718-1787)]
若鮎の鰭(ひれ)ふりのぼる朝日かな
・シダ植物であり、日当たりのよい野原や山裾などに群生する。毒性があるがそれを抜いて食用にする山菜の代表選手のひとつである。丁度春から初夏にかけての若葉の頃が旬。根っこから取れるデンプン質は、蕨粉(わらびこ)として蕨餅になったりもする。
・蕨の芽のぐるりと巻いた様子を「蕨手(わらびで)」とか「鍵蕨(かぎわらび)」という。また収穫の時期によって、「早蕨(さわらび)」「老蕨(おいわらび)」と呼んだりもする。さらに調理法によって、「煮蕨」、「蕨飯」、「蕨汁(わらびじる)」などという呼び方もある。
いつわりの法事とわらびてんこ盛
早蕨の萌えて出(い)づるが門出(かどで)かな
・タコ飯のことではない。イイダコというのは、タコの仲間である。マダコ科に所属して、浅海、穏やかな内海などに生息。日本では瀬戸内海のものなどが有名で、兵庫県の高砂飯蛸(たかさごいいだこ)などが知られる。春に体内に卵を敷き詰めるので「米粒さ持った蛸」の意味で「飯蛸」となった。別名「子持蛸」などとも呼ばれる。外にも「いしだこ」など。
[中原道夫(なかはらみちお)]
飯蛸に猪口才(ちょこざい)な口ありにけり
・猫の恋とて人には迷惑ならずや。夜中に赤児の声して驚かされるや猫だったとは、これまた日常なり。やたらうろちょろして、毛を逆立てたりと、昼の猫のもっとも盛んなるもまた春のことかな。
・そんなわけで、「恋猫(こいねこ)」、「浮かれ猫」、「戯れ猫」、とか「春の猫」「通う猫(かようねこ)」とかいろいろある。また「猫の妻(ねこのつま)」という面白い季語もある。
ほの暗きネオンランプや猫の妻
初恋は猫の夕べの毛づくろい
[当時の頓知俳句
「昨夜(ゆうべ)とは違う毛並みや猫の恋」
をもとに。ほかにも
「挙式して夜逃げするなよ猫の妻」
なんて大喜利みたいなのもあった。
初学醜態の極みか。来山(らいざん)の
「両方に髭があるなり猫の妻」
なんて頓知めいた句を褒めてもいるから、
そのあたりの階層にありということか。]
[来山の句を受けて当時のもの]
シッポにも恋があるなり猫の妻
・「鷹化して鳩と為る」は、二十四節気をさらに三分割した七十二候(しちじゅうにこう)のひとつ。中国由来のものだが、後に日本バージョンとして変更された本朝版もある。大陸文化取り込み作業の時に「礼記(らいき)」の中の歳時行事などを記した「月令」の中に、「春に桃が開き、雲雀が鳴き始め、それから……ほら、鷹だって、まるで鳩みたいに穏やかになっちまうんべ」みたようなことが、もっと真面目に記されている。鳩化(はとか)とは言わない。
鷹もはや鳩のごとくに睡りけり
「当時のままだが下手にも諧謔味ありか」
鷹の檻鳩とののしる児童かな
[鷹羽狩行(たかはしゅぎょう)]
鷹鳩と化し神木(しんぼく)は歩かれず
・春の太陽も、春の一日も、共に「春の日」である。「春日(はるひ・しゅんじつ)」「春日影(はるひかげ)」「春日射(はるひざし)」「春日向(はるひなた)」「春の朝日」「春の入日(いりひ)」などなど、様々な遣り口で使用できる。
春の日はのたくる夢のたわむれて
春日誘うパンはテラスの香ばしさ
えんぴつと共に転ばう春日向
生乾(なまかわ)にあきらめシャツな春日影
[暁台(きょうたい)]
うちつれて汐木を拾ふ春日かな
[汐木(しおき・しおぎ・塩木)は、塩釜で塩を焼いて塩を作るための釜にくべる薪(まき・たきぎ)のこと。]
・春の曇り空、曇天を漢語的に呼ぶ呼び名。
春陰のまちはかそけさ信号機
[原石鼎(はらせきてい)]
春陰や眠る田螺(たにし)の一ゆるぎ
・所々時期も量も異なれど、春の最後に降る雪を、あるいは最後と思われるその雪を、「雪の果」「名残雪(なごりゆき)」「名残の雪」「雪の名残」「忘れ雪」「雪の別れ」「雪の終(おわり)」「終雪(しゅうせつ)」と様々な表現で言い表す。また旧暦二月一五日の釈迦の入滅(にゅうめつ)と重ね合わせて、「涅槃雪(ねはんゆき)」「雪涅槃」と呼んだりもするそうだ。
トンネルをひとつ過ごして雪の果
鳥たちのまだきついばむ雪の果
ためらいに靴ひも結ぶ名残雪
・江戸の頃は川を流れる氷の意味だったのが、今日では肝っ玉がでっかくなって、北極方面よりもたらされる巨大な氷の漂着を呼ぶ。二月半ばから三月半ばにもっとも多く北海道の沿岸にやって来るのだそうだ。「氷流るる・氷流れる」などは、かえって幾分川の氷っぽいか。
流氷に朴念仁(ぼくねんじん)の感嘆句
[山口誓子(やまぐちせいし)]
流氷や宗谷の門波(となみ)荒れやまず
・「春夜(しゅんや)」「夜半の春(よわのはる)」など。
覚えかけのカスタニェットと春の夜
春は夜バームクーヘン恋の味
まりもさえ子守歌して春の夜
・瞳を凝らして見えないものを、春めく花めく香りに見ることも、また春の闇ならではのことか。
誰まねく気配ともなく春の闇
眠られずひつじの唄を春の闇
[日野草城(ひのそうじょう)]
をみなとはかゝるものかも春の闇
[俳界を震撼させた連作「ミヤコホテル」の中の一句とか。こんなので震撼するたあなんと小っちゃ脳味噌な世界かな。]
・雛祭りが終わったらさっそく雛を梱包して来年まで保存する作業が始まる。これを遅らせると娘の嫁入りが遅れるという迷信があったからだ。
首落ちて子ら座らせて納雛
[西島麦南(にしじまばくなん)]
あたゝかき雨夜の雛を納めけり
・潮流激しきところで出来る潮の渦で、特に大潮の干潮・満潮の差の激しい三月半ば頃に起きやすいので、春の季語となっているのだそうだ。それを見る観光ツアーを「観潮(かんちょう)」と呼んだりもする。
渦潮やたれのいのちを数千年(すせんねん)
・雪国ではとっとと雪さどけよと「雪割」をしたり「雪切(ゆききり)」をしたり、雪解けを早めるための灰を「雪消し(ゆきけし)」と呼んで撒いたり、あるいは雪自体を日向に薄く撒いたりして、春の訪れを早める行事が、切実に営まれる。
顔無しの雪の名残を割にけり
・「雁供養(かりくよう・がんくよう)」ともいう。秋の雁は渡来の時に口に小枝を挟み浜辺に落とす。これを去るときに持ち帰っていく。だから残された小枝は、死んで立ち去らなかった雁たちの名残なのだ。という美しい伝説から、この海辺の小枝などを拾って、風呂を焚くような行事が生まれたという。
雁風呂と称して枝を浮かべけり
・春の服、春服(はるふく)、春の着物、春装束(はるしょうぞく)、など。ようするに春物を着ること。
マネキンも粧い春なポーズして
春服も小指スマホな買いかけて
[岡本差知子(おかもとさちこ)]
わが病めば子のよごさずに春の服
・様々な木の芽を塩漬けにしたもの。特に山椒の芽と昆布を煮詰めた漬け物を指すことが多いようだ。山椒の時は「きのめ」と呼んで、外の「このめ」と区別するなんて話もあるよう。山椒なら醤油を使った「葉山椒の佃煮」こそが春の定番か?
侘びしさに舌酔いしびれ木の芽漬
・「三月戦災忌(さんがつせんさいき)」。一九四五年の三月十日のB29の爆撃で、東京が灰燼に帰した哀しみが、今、歳時となって甦る。という切り口だが、いかがなものか。
2009/05/11