・仏教用語で、煩悩に苦しむ現世をこちら側、すなわち「此岸(しがん)」といい、悟りて煩悩無き世界をあちら側の岸、すなわち「彼岸(ひがん)」と呼ぶ。その彼岸、浄土教でいうところの極楽浄土の地は、西にあると考えられ、春分と秋分の太陽が真西に降る時に、「彼岸会(ひがんえ)」を執り行うというのは、日本で生まれた仏教行事である。記録には806年に、祟りで怖れられていた崇道天皇(すどうてんのう)(早良親王)のために全国の国分寺で七日間今日お経を読ませたと記されている。
・そんなわけで、春分を中日(ちゅうにち)として前後三日、合計七日の間が彼岸と呼ばれ、仏事などが行われ、墓参りに出かけたりする。墓参り(彼岸参り)などは江戸時代から盛んになったようだ。季語としては「彼岸前(ひがんまえ)」「彼岸過(ひがんすぎ)」「彼岸中日(ひがんちゅうにち)」「入り彼岸」「さき彼岸」などいろいろある。
墓所暮れて古歌のする彼岸かな
荒らされし墓の武勇を彼岸寺
[飯田蛇笏]
山寺の扉(と)に雲あそふ彼岸かな
・何も「山ちゃん」が笑う姿を描写したわけではない。中国北宋時代の郭熙(かくき)という画家が「臥遊録(がゆうろく)」の中で「春山の淡治(たんや)にしてまるで笑うが如くだっちゃ」(なんか違う?)と述べたことに始まる、森林芽吹き花開く喜びを笑いと捉えた季語である。「笑う山」でもよいが、「爆笑山」とは言わない。
さほひめの舞帯解けて山笑う
愛らしくほゝ笑みもして榛名山
[蓼太(りょうた)(大島蓼太)]
筆取りてむかへば山の笑ひけり
・あるいは「春の潮(はるのしお)」。さて、潮汐(ちょうせき)という言葉がある。「潮」は朝のものを、「汐」は夕方のものを意味して、あわせて通常一日2回ほど訪れる潮の満ち引きを表した言葉である。地球と月が地球優位で(そんな表現は科学的用法に無いかもしれないが)互いに回転するときに、引力と遠心力の関係でちょうど地球の月に向かった所が海面が上昇し、またその反対側の海面も上昇する(実はむしろ海面は取り残されている)のが原因だ。ただし月が南中した刹那に満潮とはならず、様々な要因で数時間のずれが起こる。また太陽も地球に引力を及ぼしているので、月と太陽の直線上に地球が位置する新月の時と満月の時に、すなわち大潮が訪れる。月が半分欠けているときは小潮である。また太陽の潮力作用の大きい春分と秋分には干満差が大きくなる。そんな理屈をこね回した男が、満潮時刻を知らず離れ島で「たっ、助けてくれー」と叫んでしまうこと、これまた日常茶飯事である。
春の潮消された砂のラブレター
[加藤楸邨]
春潮の音の寂しきまつぴるま
・田楽と言えば、豆腐に限らず、里芋、コンニャクなど串刺しにして味噌ベースのタレでいただくおでんのようなものを想像するが、山椒の芽を使用した味噌ダレによる「木の芽田楽」の味わいをして春の季語となす。またその時の田楽はまずは豆腐を想像すべし、といらぬお節介も付いている。
田楽にあぶりかゞんで老夫婦
・浅葱(あさつき)、分葱(わけぎ)、芥菜(からしな)などを酢味噌和えにしたもので、魚介類と混ぜるのがちょっと凝った作り方とか。ただの葱で作る場合も呼んで良いのだろうか?
青ぬたゝけなわ過ぎて箸休め
・ようするに様々な木の芽だが、山椒のものだけを特に「きのめ」と呼ぶこともある。木の芽張る(このめはる)、木の芽垣(このめがき)、ほかに「櫟(くぬぎ)の芽」とか「雑木の芽(ぞうきのめ)」といった用法もある。
[当時のまま]
突(つつ)かれて逞しくなる木の芽かな
[加藤楸邨(かとうしゅうそん)]
隠岐や今木の芽をかこむ怒濤(どとう)かな
・春に開いた桜の花を指して呼ぶ。初桜(はつざくら)より抽象的だが、やはり桜を指すことにかわりはないそうだ。
初花に旅立つ男ありにけり
初桜精一杯の坊やかな
[富安風生(とみやすふうせい)]
初花も落葉松の芽もきのふけふ
[芭蕉]
初花に命七十五年ほど
[初物で命が七十五日延びるという「初物七十五日」にあやかって、初花で七十五年の寿命となると歌ったもの。]
・昼と夜の時間の等しくなる春分は、二十四節気の一つでもあり、太陽は真東から昇り真西へと沈み、寒さの春前半から、ぽかぽかの春後半へと折り返す分岐点でもある。
・ほかにも彼岸の中日にあたることから「中日(ちゅうにち)」と詠んだり、昼と夜の長さが等しいので「時正(じしょう)」と詠んだりもする。
春分は喧騒の町君の町
[宇佐美魚目(うさみぎょもく)]
春分や手を吸ひにくる鯉の口
[星野麥丘人(ほしのばくきゅうじん)]
春分のおどけ雀と目覚めけり
・春分の休日を指す言葉として、このように使用することもある。
[ほぼ当時のまま]
残飯や春分の日の犬っころ
・中国に竜が春分に天に登り、秋分に淵に潜む、というスケールのでかい話があることにちなむ。
[ほぼ当時のまま]
竜天に登りかけして星座かな
[当時のまま、なんのこっちゃ]
昇天の竜祝さんや今宵酒(こよいざけ)
・陰暦二月一五日は釈迦の入滅の涅槃の日。その前後に吹く季節風をこのように呼んだのだが、新暦だとお彼岸ごろにあたる。またお彼岸の頃吹く風というので、「彼岸西風(ひがんにし)」という言葉もある。
[西島麦南(にしじまばくなん)(1895-1981)]
猫は炉に鵯(ひつ・ひよどり)は椿に涅槃西風
・滋賀県の比良大明神(白鬚神社・しらひげじんじゃ)、ここでは陰暦二月二四日に比叡山の坊さんが「法華経」八巻を講ずる天台宗の法会「比良八講(ひらはっこう)」が行われていたのだが、ちょうどその頃琵琶湖に吹く荒れた季節風も、これにあやかって「比良八荒」と呼ばれるようになった。新暦では三月後半である。今日では三月二六日に「比良八講」が行われ、これをもって「比良八荒、荒れじまい」といって、琵琶湖の荒れた季節風は収まり本格的な春となる、とされている。
[当時のまま]
比良八荒あたいを捨てた男どち
・渡り鳥が春に北方に帰る頃の曇り空を指す。その時の雲を鳥雲(とりくも)と呼び、その時の風を、あるいは鳥の風のような響きを鳥風(とりかぜ)と表現する。
去り鳴きのいづこか消えて鳥曇
埋め立てゝ沼にごりけり鳥曇
[高浜虚子]
海に沿う一筋町や鳥曇り
[安住敦(あずみあつし)]
また職をさがさねばならず鳥ぐもり
[石川桂郎(いしかわけいろう)]
底のなきしづかさにあり鳥曇
・陰暦二月二十二日に行われる聖徳太子の命日のためのミサ……失礼しました、法会が、大阪四天王寺の聖霊会(しょうりょうえ)として開かれていた。なんとあの石舞台の四隅に巨大造花を飾るのだそうだが、それが難波に寄せ来たる貝殻で造られていたのだそうだ。それで、その貝を運んでくる頃に吹き荒れる強風を、貝寄風と呼ぶようになったのだそうだ。ところが今日では新暦でお構いなしの四月二十二日に開催され、誰も王政復古?を唱えないのだそうだ。
・あるいはもっと大ざっぱに、春先の貝を打ち寄せるほどの強風を指してもよいかもしれない。
貝寄風に砂掘り起こす犬哀れ
[中村草田男(なかむらくさたお)]
貝寄風に乗りて帰郷の船迅し
・ルーズにだらけてウィキペディアから部分引用。「わさび漬け(山葵漬け)は、粕漬けの一種。静岡県の名産。ワサビの根、茎をみじん切りにし、塩漬にしてから、熟成させた酒粕に和えて食塩、砂糖などを練り合わせた漬物。」だそうであります。
つんとしてせゝらぐ風や山葵漬
なめ猫の奇妙な鳴きや山葵漬
[高浜虚子]
ほろほろと泣き合ふ尼や山葵漬
[正しくは、「ほろほろ」の後ろの「ほろ」は長い「く」の字の繰り返し。それにしても高浜虚子は優れものから想像を絶する駄作まで懐の広さを見せるのは、拡張的実験でもしていたのかしら。それとも図太いだけなのかしら。]
・ひとつの舎の学び終え新たなる旅立ちのための卒業は、学生時代の多くの人にとっては豊かな思い出ともならん。
・卒業生、卒業式、卒業写真、卒業証書、卒業出来ず、などなど。
卒業式忘れ去られてアンブレラ
[当時のまま]
教師らも共に卒業なさります
・春にさまざまな草花の種を蒔くこと。特定の花の名前をかざして、「朝顔蒔く」などと詠むことも出来る。
咲き頃を描き浮かべて蒔けばよし
[当時のまま]
ぽけっとに撒き残したる花の種
⇒ふるさとに撒き残したる花の種
[ほど当時のまま]
こころにもまいてあげたいねはなのたね
[飯田蛇笏]
花の種まき終りたる如露(じょうろ)かな
・上は特に草花の種だったが、こちらは穀物だろうが野菜だろうが花だろうが、すべての種を指す。ただし、稲は大和の格別なる特等席を授けるべき物であるから、稲の種籾は種物に含めない。より正確には稲の籾を読みたいときに、わざわざ種物という言葉は使う意味がないのである。
・物種(ものだね)、物の種(もののたね)、種袋(たねぶくろ)、などの季語がある。
種物のこつ聞く子らに教へけり
種物のすがたを変える儀式かも
・盆踊りや歌舞伎の創始である出雲阿国(いずものおくに)の源泉のひとつとなったともされる踊り念仏は、空也(くうや)に始まり、一遍上人で有名になったような仏教行事だが、楽器に合わせて踊りつつ念仏を唱える行事は、春の歳時記なのだそうだ。
乳のみ子やおどり念仏を唱へけり
里荒れておどり念仏みじめなり
・春の外套のことさ。スプイングコートとも。
初街は春のコートを肩にして
[時乃遥]
あなたからやさしくされて春コート
2009/05/22