祭の宵

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祇園会(ぎおんえ)

・日本三大祭りといえば、京都の祇園祭(ぎおんまつり)、大阪の天神祭(てんじんまつり)、東京の神田祭(かんだまつり)(あるいは山王祭・さんのうまつり)。京都の三大祭りといえば、5月の葵祭(あおいまつり)、7月の祇園祭、10月の時代祭(じだいまつり)である。しかし9世紀に疫病・悪事・天変地異などを怨霊の祟りとして鎮め始まった御霊会(ごりょうえ)の、民衆版とも呼べるこの祇園祭は、夏になると疫病はびこる平安京において、悪を払い鎮めるための大規模な祭りとして、次第に定着していくことになった。

祇園社(ぎおんしゃ)、つまり今日でいう八坂神社(やさかじんじゃ)の祭りとして有名であるが、祇園社はスサノヲの命(神仏習合により牛頭天王・ごずてんのう)を祭る神社で、疫病を払う神として崇められてもいた。祇園社は藤原氏摂関時代への立場を大きく強化した藤原基経(ふじわらのもとつね)が自宅を寄進し、これがインドで「祇園精舎」と呼ばれた樹園を寄進した逸話によって、祇園社と呼ばれたと考えられている。

・この時期に疫病を鎮める都市市民の祭りが、幾つもの寺社で行われたが、特にスサノヲ=牛頭天王を祭る祇園社のものが盛大になり、応仁の乱で中断を余儀なくされつつも、今日まで受け継がれている、祭りの中の祭りとなった。八坂神社の記録では、869年に最初の祇園会が行われ、神の霊力を宿すとされる鉾(ほこ)を66基立てた事が残されている。

7月17日の山鉾巡行(やまほこじゅんこう)でお囃子と山鉾が練り歩くのが祭りのピークだが、7月を通じて様々な行事が催される。山鉾の「鉾」は屋根に武器の鉾を掲げたもので、他に松の木の乗っている「山」と呼ばれるものもあり、二つ合わせて山鉾という。また名家の家々ではご自慢の屏風を展示するという屏風祭(びょうぶまつり)が開催され、文化成熟度の高い祭りとしても知られる。

・季語としては、祇園祭、祇園御霊会、山鉾(やまぼこ)、鉾の稚児(ちご)、鉾粽(ほこちまき)、屏風祭などなど。

山鉾の練り歩き又練り歩く

[蕪村]
祇園会や真葛(まくず)が原の風かほる

[正岡子規]
祇園会や二階に顔のうづ高き
(雑誌では「高き」が平仮名だが)

雷(かみなり)

神鳴(かみなり)、鳴神(なるかみ)、雷鳴、遠雷(えんらい)、迅雷(じんらい)、雷雨、落雷など。歳時記では雷は夏で、稲妻は秋だという。あまりこだわっていると、詩を詠んでいるのだか、言葉をもてあそんでいるだけなのか分らなくなってくる。

遠雷(えんらい)に丘駆け上ぼる羊飼

鳴神(なるかみ)にしっぽまるめて小屋のうち

雷鳴とゞろき疾風怒濤の如く也

[原石鼎(はらせきてい)(1889-1951)]
迅雷やおそろしきまで草静か

蝉(せみ)

・ただし、蜩(かなかな)と法師蝉(つくつく法師)だけは秋の蝉に分類するそうだ。季語としては、蝉時雨(せみしぐれ)、初蝉(はつぜみ)、蝉取り、他にも蝉の名称(みんみん蝉・油蝉・にいにい蝉)など。

にいにいとにいにい蝉をとらまえて

汗だらに古き都や蝉しぐれ

[闌更(らんこう)]
蝉の音も煮ゆるがごとき真昼かな

[芭蕉]
閑(しづか)さや岩にしみ入(いる)蝉の声

空蝉(うつせみ)

・万葉時代は「この世・この世の人」を指したと言うが、漢字には空蝉・虚蝉などが当てられ、もともと「虚しい命、仮初めの命」といった意味あいが込められていたのかもしれない。勅撰和歌集の時代には、あてがわれた漢字の影響もあって、「虚しき命、はかない命」の意味が濃くなっていく。

・もちろん本意は、土の中で成長した蝉の幼虫が、飛び立ったあとの抜け殻のことである。[蝉の殻(せみのから)]「蝉のもぬけ」など。

空蝉を地蔵の前に捧げけり

少年の小指に挟む蝉の殻

[野見山朱鳥(のみやまあすか)]
空蝉の一太刀浴びし背中かな

夕立(ゆうだち)

・地表が暖められ湿った上昇気流が積乱雲を発生させて、午後から夕方に掛けて、急激に発達して激しい雨を降らせる。というのが典型的な例だが、前線や台風の影響で発生する場合ももちろんある。大粒の雨と、雷を特徴とし、雹(ひょう)を降らせることもある。ちなみに雹は、俳句で「氷雨(ひさめ)」とも呼ぶが、氷雨は冬の冷たい雨も指すから、夏と冬の季語だとか。

ゆだち、よだち、白雨(はくう・しらさめ)、夕立雲、夕立晴(ばれ)、夕立後、驟雨(しゅうう・にわか雨のこと)など。

夕立を今日もパジャマで見る子かな

夕立のあとにはきっと仲直り

[内藤丈草(1662-1704)]
夕立に走り下るや竹の蟻

蚊柱(かばしら)

・沢山の蚊(ユスリカ・揺蚊)が群がって、柱のように見えるもの。刺す蚊ではないが、あやまって飛び込もうものなら、精神的不快感は言い様もない。この蚊柱は、雄が沢山集まって雌を待つという習性によるとされるが、完全には解明されていないようである。高いものに集まる習性から、人の頭に柱が立って、一緒に付いてくる現象もおこる。そんな人は、「蚊柱君」と呼ばれるであろう。

蚊柱に犬吠え立てゝ散歩道

蚊柱の藪から棒に昇るかな

[其角(きかく)]
蚊柱に夢の浮(うき)はしかゝる也

[加藤暁台(かとうきょうたい)(1732-1792)]
蚊ばしらや棗(なつめ)の花の散(ちる)あたり

茄子(なす)

・ナス科ナス属の茄子は、日本では奈良時代には漬物があったくらい、古くから知られた野菜。キュウリやナスは栄養価があまり高くないとされるが、それは比較しての話で、栄養がないわけではないので、普通に野菜としていただける。ナスニンというポリフェノールの一種は茄子を独特な色合いにしているが、この紺を抜かないようにした漬物は、色艶からして他の漬物では得がたい楽しみがある。

茄子(なすび)、焼き茄子、茄子漬け、初茄子(なすび)などなど。

つらつやとつらつやすや初茄子(はつなすび)

あごの横に妻を並べてなすび取り

朝焼(あさやけ)

・夕焼けの翌日は晴天で、朝焼けの昼間は下り坂になる傾向があるとか。日が昇るときに、特に空が赤やオレンジに変わる現象。ただし夕焼けのような赤の印象とはまた異なった姿を見せる。早く明けて、暑くなる前の過ごしやすい時間帯ということもあって、夏の季語とされる。朝焼雲など。

朝焼にしろたえ干していい天気

あさ焼や島みに消ゆるわたし船

[山口草堂(やまぐちそうどう)]
朝焼の波飛魚(とびうお)をはなちけり

[加藤楸邨(しゅうそん)]
朝焼の褪せてけはしき街となりぬ

朝曇(あさぐもり)

「旱(ひでり)の朝曇り」とか「昼ひでり」といって、朝のうちは夏の靄がかった曇りが、灼熱の炎天下へと移り変わる。そんな夏の朝だけの曇りを指す言葉。

痩せばてに草食む犬や朝曇

朝ぐもりベンチになずむ老の影

[鈴木真砂女(すずきまさじょ)(1906-2003)]
ふるづけに刻む生姜や朝ぐもり

三伏(さんぷく)

・中国の陰陽五行説に基づくと、夏は火の盛んな時期である。火は金を伏(ふく)して従えてしまう。それで「金の兄」とされる庚(かのえ)の日は、夏の凶日であると考えられた。それで、夏至を過ぎて第三の庚の日を初伏(しょふく)と呼び、続けて来る庚の日を、中伏(ちゅうふく)・末伏(まっぷく)と呼んでいく。この三つを合わせて三伏(さんぷく)と呼ぶ。「種まき」や「旅行」などの活動を慎むべき日だと考えられていた。今日の暦では、七月中旬から八月上旬にあたるので、「三伏の候(こう)」「三伏の猛暑」など、酷暑の手紙表現にも使われるが、季語としては名目的。

[小松月尚(げっしょう)]
三伏や用ゐ馴れたる腹ぐすり

[吉岡禅寺洞(よしおかぜんじどう)(1889-1961)]
三伏の夕べの星のともりけり

田水沸く(たみずわく)

・田の水の温度が上がる頃、藁や肥料が泡を吹いて、まるで田水が沸き上がったように見えること。だったら、「田水滾る(たみずたぎる)」でも良かろう。

踏み石のにぶく沸き立つ田水かな

片蔭(かたかげ)

・焼き焦がすような太陽の原色世界に対して、路の片側などに僅かに出来た影の部分を指す。巨大な影や、朝夕の間延びした影ではなく、昼間にようやく見つけた、いこいの影の様相である。片かげり、夏陰(なつかげ)ともいう。

片蔭を守りにはしゃぐ島の子ら

[木村蕪城(きむらぶじょう)]
片蔭を行き遠き日のわれに逢ふ

[池内たけし(1889-1974)]
片かげり嬉しや暇(いとま)申さんか

夕焼(ゆうやけ)

・秋ではなく晩夏の季語というが、今日的感覚とはずれた季語と感じる人も多いかも知れない。「ゆやけ」「夕焼雲」「夕焼色」など。

夕焼の土手に手を振るおんなの子

鬼ごっこ夕焼雲して消えるかな

驟雨(しゅうう)

・急に降り出すにわか雨。もっぱら夕立の事を指すが、夕立でなくてもにわか雨なら驟雨である。

職を失(なく)し驟雨浴びたる禿鼠

海の日(うみのひ)

・1876年にあった明治天皇の巡幸を祝して、1941年になって「海の記念日」というものが定められたが、それが祝日として取り上げられたのは、ようやく1996年になってからの事である。もとは七月二十日だったが、祝日としては七月の第三月曜日に移された。もちろん海男を養成するものではなく、「海への感謝、海洋国家日本に繁栄あれ」くらいの祝日。

海の日に魚を強いられ泣く子かな

[古賀まり子]
海の記念日散りたる父の若きかな

プール

・プールは大正時代に始まったそうだ。遊びや暑気を逃れたり、競泳など泳ぐための施設。体育館と並んで学校に設置される可能性の高い施設でもある。それに対して、自然の環境で泳ぐ機会は、次第に損なわれ、損なわれるが故に、危険だと罵られ、自由にあそぶことを忘れた頃には、川で泳ぐなどは、考えられないようになってしまい、またお金を払わなければ、あそぶことさえ出来ないように、人はすっかり囚われてしまうのでした。めでたしめでたし。

プールを背に見上げる雲のやわらかさ

泳ぎ(およぎ)

・日本にも古式泳法(こしきえいほう)というのがあるが、もっぱらクロール、平泳ぎ、背泳ぎ、その他、競泳で見かけるような泳ぎが一般的である。もちろんバタフライや、犬かきだってよい。ただしのたうち回っているのは泳ぎではなく「溺れ」である。「浮袋(うきぶくろ)」なんて季語も使えるよう。

浮雲をまねて漂う泳ぎかな

夏休(なつやすみ)

暑中休暇(しょちゅうきゅうか)なんて今時使わない。学生の季語の王道。呪わしい宿題とワンセット。

はじめて君を連れ出したいな夏やすみ

ため息は夏のやすみの後始末

[中村汀女(なかむらていじょ)]
朝顔に口笛ひようと夏休

夜店(よみせ)

・祭、縁日の夜店も、夏祭りの多い夏の季語。夜見世(よみせ)干見世(ほしみせ)なんて言葉もある。移動式の屋台(やたい)である場合が多い。露店(ろてん)という場合は移動しないものも含まれる。屋台は夏の季語にする場合もあるようだ。

たこの香の夜店に出逢う広場かな

夜濯(よすすぎ)

・夜になってからの洗濯。かつては夜に洗濯をするのはタブーだったようだが、暑い夏であればこそ、着物は汗ばみ、すぐ洗濯したくなる一方、薄手で簡単に洗濯でき、夜でも洗濯したくもなるもの。それで夏の季語とされるが、今となっては嘘くさい。

夜濯を訴えて勝つ訴訟かな
       川柳

[老川敏彦(おいかわとしひこ)]
夜濯の暗みにこもる母の唄

川床(かわゆか)

・河床(かわどこ・川の底)のことではない。川に桟敷(さじき)などの張り出しを作って、いわば川の上に席を設けて、そこで涼んだり、宴会をしたりすること。「床涼み(ゆかすずみ)」「納涼床(すずみゆか)」「川床(ゆか)」など。

川床に切る羊羹のなめらかさ

[榎本好宏(えのもとよしひろ)]
南座(みなみざ)におくれて川床(ゆか)に灯の入りぬ

田草取(たくさとり)

・田植えの後には、試練が待っている。抜いても抜いても、雑草が生えてくるからである。それを初めて取り除くのが一番草(いちばんぐさ)、二度目が二番草と続いていく。他にも「田草引く(たくさひく)」「挙草(あげぐさ)」など。

やゝ遅れ出でゆく影や田草取

梅干(うめぼし)

・梅干しを食べることではない。青梅から梅干しを作ること。熟した梅を塩漬けにして、梅酢に浸し、赤しそを加えて保存する。最後にひと月くらい経ったら、晴天が続く頃を見計らって、三日間の干し作業に入る。これを「三日三晩の土用干し」と言う。もっぱら七月下旬から八月上旬頃、梅雨明けに合わせて行う。他に、「干梅(ほしうめ)」「梅干す(うめほす)」「梅漬(うめづけ)」など。

梅干を一瞥に去る鴉かな

[細見綾子(あやこ)]
梅漬ける甲斐あることをするやうに

草木、花など

凌霄(のうぜん)の花、のうぜんかずら。烏瓜(からすうり)の花。日々草(にちにちそう)。萱草(かんぞう)の花、藪萱草(やぶかんぞう)、忘草(わすれぐさ)。含羞草(おじぎそう)、眠草(ねむりぐさ)。岩煙草(いわたばこ)。青山椒(あおざんしょう)。

[野逸(やいつ)]
凌霄の花や鐘楼(しゅろう)を巻(まか)んとす

[夏目漱石]
萱草の一輪咲きぬ草の中

[青柳志解樹(あおやぎしげき)]
萱草の花も夕日もつかれたる

動物、魚、昆虫など

海鞘・保夜(ほや)。鰻(うなぎ)、鰻筒(うなぎづつ)、鰻掻(うなぎかき)。穀象(こくぞう)、象鼻虫(ぞうはなむし)、米の虫、よなむし。雪加・雪下(せっか)。大瑠璃(おおるり)、瑠璃鳥(るりちょう)。蜘蛛(くも)、蜘蛛の囲(い)、蜘蛛の子。玉虫(たまむし)、吉丁虫(きっちょうむし)。

[加藤楸邨]
みちのくの月夜の鰻あそびをり

[西東三鬼(さいとうさんき)]
穀象(こくぞう)の群を天より見るごとく

[野村登四朗(としろう)]
雪加鳴く中州へめざす徒歩渡り

2008/7/18
2012/1/18改訂
2017/07/31改訂

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