・春が過ぎゆくこと。他にも「春の名残(なごり)」「春のかたみ」「春の行方(ゆくえ)」「春の別れ」「春の果(はて)」「春の湊(みなと・出口的な意味あいか)」「春行く(ゆく)」「春尽く(つく)」などなど。
行く春や
斉唱校舎の
鐘の音
行く春も
知らずに僕らは
突っ走る
行春や
風踏み村の
ひと轍(わだち)
名忘れの
名残を花は
春に問う
あふれれば
若葉の影の
春名残
水彩の
かたみは春の
色選び
谷川の
今日こそ春も
別れかな
幸福の
いただきかしらと
春の果
春は尽き
プール仕度の
声高し
軒あかり
庭木に春の
行方かな
[芭蕉]
行春(ゆくはる)や
鳥啼魚(とりなきうを)の
目は泪(なみだ)
[蕪村]
行春や
撰者(せんじゃ)をうらむ
歌の主(ぬし)
・バッテリー切れでウィキペディアから部分引用すると
「アブラナ(油菜)は、アブラナ科アブラナ属の二年生植物。古くから野菜として、また油を採るため栽培されてきた作物で、別名としてナノハナ(菜の花)、ナタネ(菜種、厳密には採取した種子のこと)などがあり、江戸時代には胡菜または菜薹と呼ばれた。実際にはアブラナ属の花はどれも黄色で似通っていることから、すべて「菜の花」と呼ばれる傾向がある。」
だそうである。諸君、そう怒りたもうな。
・季語としては、「花菜(はなな)」「菜種(なたね)の花」「油菜(あぶらな)」など。
菜の花を
ゴッホに描かせる
勇気かな
ゆうべには
菜の花畑を
散歩かな
菜の花の
なかを喪服の
色流し
花菜なら
奈良よ名無しの
盆地かな
・早口で三回どうぞ。
[蕪村]
菜の花や
月は東に
日は西に
[言水(ごんすい)]
菜の花や
淀も桂も
忘れ水
・菜の花が溢れたら淀川も桂川もまるで取り残された忘れ水くらいに見えてくるという意味。
・ニッコウガイ科の二枚貝を指す場合と、単にピンク色の小さな二枚貝を桜貝と呼ぶ場合があるようだ。貝を集め飾り物にしたり、お宝にしたりすると、こころもピンク色に?
・他にも、「花貝(はながい)」「紅貝(べにがい)」など。
染めてみた
爪の色まで
桜貝
中指を
波にさらされ
桜貝
仰々しく
詠いたくない
桜貝
天上の
桜名残や
桜貝
[中村汀女]
離りきて
松美しや
桜貝
・塩漬けにした桜の葉っぱで包んだ餅菓子で、生地をピンク色にしたりもする。
帰去来も
鞄もひとつ
桜餅
忘恩の
誹(そし)りかわすや
桜餅
花の頃を
過ぎてなおよし
桜餅
[飯田蛇笏]
さくら餅
食ふやみやこの
ぬくき雨
・いわんこっちゃない、自作三つが阿呆に見えるではないか。
・昼の時間が延びた喜びの言葉。夏は暑くてたまらんから、まだ日が伸びゆく半ばなれど、光のどけけき春の季語。夏の場合は短夜(みじかよ)と言うのだそうだ。永日(えいじつ)、永き日(ながきひ)、日永し(ひながし)、など。
河原にて
語らう友や
春日永
あとがきに
しおり挟まぬ
日永かな
邯鄲(かんたん)の
まどろむ夢も
日永かな
永日よ
泣かされ子どもに
気概かな
永き日の
受話器の前の
鼓動かな
[一茶]
鶏(にはとり)の
坐敷を歩く
日永哉(かな)
・晩春から初夏頃に花を付けた柳が白い絮毛(わたげ・じょもう)に覆われた種子を飛ばすとき、季節錯誤の粉雪みたいに思われるかも。ほかにも「柳の花」「柳の絮(わた)」など。
捨てられて
柳の絮(わた)の
なみだかな
騙されし
柳の絮した
ふとんかな
人の妻
そっと悲しむ
柳絮かな
[蝶夢]
眠たさや
柳絮(わた)ちる
長堤
・京都は今宮神社の鎮花祭で、今日は四月第二日曜に行われるのだそうだ。
あかあかと
やすらい祭を
振り太鼓
笛も来て
舞うはやすらい
祭かな
花ともに
やすらうくらいな
祭かな
・花と言えば桜と言うことで、桜の時期をこう呼ぶ。もっと率直に「桜時(さくらどき)」と詠んだり、「花の頃」とか散りも終わりの「花過ぎ(はなすぎ)」と詠んだりもする。
花時を
祝うは朝より
雨ばかり
花の頃
今宵も河原の
ひとだかり
こころにも
笑顔のあなたを
桜時
花を過ぎ
新入社員の
横ならび
・路面などが灼熱に熱せられると付近の空気の屈折率が変化して、ちょうど景観が路面上に映ったような蜃気楼となるが、これがまるでそこに水たまりでもあるように見えながら、近づくたびに遠ざかっていくので、逃水は春の風物詩なのである。ああこりゃこりゃ。
逃水の
水が所望じゃ
一休よ
逃水を
捕まえたら勝ちだとか言いやがって
馬鹿野郎あいつら風になりやがった
・ははは、冗談ですたい。
夢に遠く
あなたの影も
逃げ水も
狐まで
逃げ水どもに
化かされし
[能村登四郎]
逃げ水を
追ふ旅に似て
わが一生(ひとよ)
・あるいは「春の昼」そのまんまである。
春昼の
ちゅんちゅん雀や
猫睨み
大工らの
休み長さや
春の昼
束の間の
眠りごこちや
春の昼
・れんげ(紫雲英)が咲いたり、田起こしされたり、もう水を張ったりと様々な春の田んぼだそうである。昔はれんげを肥料としてそのまま鋤いたのでれんげ畑が沢山あって、そのような田んぼを「花田(はなだ)」と呼んだという。
眠たげな
春田ばかりが
車窓かな
何事も
悟らぬくらいが
春田晴(ば)れ
ぽつぽつと
雨にうなずく
花田かな
・悪徳に身を染めて雑誌から引用しておけば、
「中国最古の詩集『詩経』に、『春日遅々たり』の語が見える。春の日がいつまでも暮れないことをいう。」
とある。他にも「遅き日」「暮遅し(くれおそし)」「暮れかかる」「夕長し(ゆうながし)」「春日遅々(しゅんじつちち)」などなど。
おしゃべりの
名残尊き
遅日かな
遅日には
尽きぬが遊び
ごころかな
遅き日の
夕な電車の
物思い
春日の
遅々とすすまぬ
推理かな
夕暮れも
長くてのろまな
蛇の影
[鈴木真砂女]
生簀籠(いけすかご)
波間に浮ける
遅日かな
・夏の風物詩の虹が春のうちに見えることを指す。また今年始めて見た虹の意味で「初虹(はつにじ)」なんて呼ぶこともある。
初虹は
照れくさそうな
お辞儀です
雨はまだ
名残ぱらぱら
春の虹
・「のどか」「のどけし」は春。
のどかのどか
窓から窓へと
空の雲
長閑にも
書類離さぬは
咎なるか
長閑こそ
僕らの愛の
指標なれ
[正岡子規]
のどかさや
内海川の
如くなり
・「菜飯となもしは違うものぞなもし」とは誰の台詞だったか、菜っ葉ものを混ぜたご飯である。蕪や大根の葉っぱや、小松菜、ほうれん草のような緑葉をおいしくいただくような野菜を使用することが多い。菜の花の飯という意味ではない。
麺よりも
うまきがゆえの
菜飯店
庭馬酔木(にわあせび)
見つつひとりの
菜飯かな
・三四郎は秋に大学に入学したが、今日の皆さんは大学に到るまで、否よ否、社会に出てもなお四月初めが入学のシーズンであろう。何事も卒業式より面影の消えやすきが入学式である、と思うのは私だけであろうか。どれな入学式もあまり記憶に残っていないのである。
入学の
朝に鳴きます
ひばりかな
入学の
隣のあいつの
また隣
赤門を
叩いて入学
気取ります
校長の
話加減や
入学式
那須は今
入学式の
花吹雪
・春の野原や山に出掛けて若葉の頃を楽しみつつ食ったり遊んだりすることだが、もともとは農村祭事的側面もあったそうだ。
土筆(つくし)ども
野遊びしたくて
揺れてたね
野遊の
声捨て犬も
太るかな
今もなお
たましいばかりが
野の遊び
野遊びの
気づくさなかや
空と風
野に遊び
心に遊ぶ
ふたりにも
[大須賀乙字(おおすがおつじ)]
野遊や
肱(ひじ)つく草の
日の匂ひ
[橋本榮治(はしもとえいじ)]
野遊びの
ひとりひとりに
母のこゑ
・いわば炬燵の年納め。いよいよ絶対的なお片付けとなる炬燵。掛けられたもこもこ蒲団も消え去って、部屋がさっぱりしたような心持ちになれる。
諍いの
元種(もとだね)炬燵を
今塞ぐ
・炬燵を「こたつ」と読むか「ごたつ」と読むか今となっては定かではない。
脱がされて
軽やかに消える
炬燵かな
・リサーチしたら結構めんどいので華麗にスルー。
・「天頭花(てんどうばな)」ともいい、釈迦の生誕日に当たる旧暦四月八日(今日は新暦が一般)につつじやシャクナゲなどを長竿の先に括って、軒先に掲げるもの。関西方面に多いそうだ。ちょうど鯉のいない鯉のぼりの先に葉っぱものがくっついているようなものだ。
行雲(ゆきぐも)を
しばし留めよ
竿躑躅
せせらぎも
そこまで響くか
竿躑躅
雨去らば
天道花より
しずくかな
[正岡子規]
風吹いて
花ふる竿の
つゝじかな
・釈迦生誕の四月八日を祝う行事を仏生会(ぶっしょうえ)というが、寺院内の花で飾った御堂(みどう)をば設けて、誕生仏を安置してお祝いしたりするので、そこから花祭という言葉も生まれてきたという。
お魚を
釣るのもひかえよ
花祭
何はあれ
いのちは尊き
花祭
[飯田蛇笏]
わらべらに
天かゞやきて
花祭
2009/07/05