伸びるより、消えるが早い髪毛を気にしながら、
杉田悠平(すぎたゆうへい)は鏡を見つめていた。
四十路(よそじ)の気怠さが、体を重くするのは、けっして運動不足のせいだけではなかった。腹だけ少し出っぱって、たるんできた。ズボンを履いていると気にならないが、つまむと贅肉の感触が虚しく伝わってくるのだった。
顔が青ざめている気がする。
どうやら、今日も虚しく過ごしてしまった。
彼は独身である。三件ほどの電話を待ちわびていたが、一日待っても掛かってくることはなかった。こんな状態が、もう数ヶ月も続いている。まるで地獄に踏み込んだような真っ暗を、近頃では身近に感じるほどであった。
気持ちを誤魔化すために、慌ててバスルームを逃れ出た。
食事も面倒なので、カップラーメンに乾燥ワカメを沢山ぶち込んで、あとは野菜ジュースでビタミンを済ましてしまう。昼は牛丼屋のセール品だった。野菜が付いて、五百円を割るのは頼もしい。明日はまだ二件の可能性がある。だが……
彼はいわばリストラされたも同然であった。
親会社から子会社へと流されたのち、その子会社が潰されたのである。過程を振り返ってみると、悠平と同じくらいの、年季の長い、したがって契約更新を拒否しづらい契約社員を中心に、一年あまりで少しずつ子会社の顔ぶれが増大して、その後で、経営悪化のため、どうしても立ち行かなくなったという連絡が入ってきた。契約社員であるという理由で、退職金すら出されなかった。それでいて、正社員である役員クラスは親会社の方へ戻されたということであった。
ようするに、世間が騒がしいものだから、一括して契約社員に辞めて貰うための策略だったのだ。だが、悠平が気づいたときには、もうどうしようもなくなっていた。移動の話のときに断ってしまえば良かったのだが、そんな末路とは思わなかったし、さい先の良い話ばかりを聞かされて、つい子会社への契約を認めてしまったのが仇(あだ)となった。
つまり、自分は捨てられたのだ。
もともと入ったときには、年季と成績いかんで正社員への登用もあるという話だったのに、そんな奴はひとりとして見たこともない。自分が契約更新のときに尋ねてみても、そのうち制度が整うとか、次の更新のときに考えるとかいって、誤魔化されてしまうのだった。
企業の精神に問題があるのか、
法の制度が不十分すぎるのか、
それは、彼には分からなかった。
ただ、抗議するでもなく悠平は、
もうその企業と関わるのも嫌になった。
ハローワークに申請を出してから、
しばらくは預金を切り崩しがてらに、
久しぶりの長期休暇を楽しんだ。
あくせくしたってしょうがない、
しばらく休んでから、また職を探すしかないのだ。
運良く移動を免れた同僚が、同情の連絡をくれたのすら、初めのうちだけだったような気がする。一緒に辞めさせられた奴とは、互いに気まずくて連絡を取らなくなった。総体に、人間の関係が希薄になっている。互いに相手に対する思いが薄いから、メールみたいな、ひと言ふた言くらいの言葉の羅列で、繋がっているような気分にもなれるのだろう。それでいて、表現が稚拙になったとは考えず、新しいコミュニケーションだなんてほざいている。そんな馬鹿な学者が、目立つくらいの世の中だった。
もっとも悠平は、気持ちばかりは若いものだから、自分が社会から必要とされなくなりつつあるという自覚は、その当時はあまりなかった。
せっかくなので、ちょっと預金を取り崩して、旅行へも出かけてみた。温泉にも遊び歩いた。ほんの近場ではあるが、十万近くは無駄に使ってしまったような気がする。もちろん失業保険を貰いながらの生活である。たしか正式名称は雇用保険だった。だが失業保険のほうが、よっぽど今の境遇を表しているような気がする。まだしも退社が会社都合だったから、すぐにハローワークへ出かけて、入金がなされたのが有り難かった。これが自分の都合で辞めたりすると、三ヶ月も手当が支給なされないことになってしまう。
その頃は、雇用保険の給付と預金を合わせれば、約一年もの期間があって、職探しが出来るから、かえって職を失ったのを転機くらいに考えて、のんびり構えていた。しかし、そのうち、持ち前のずぼらが現れて、大いに怠けてしまった。こんな自由な日々があるのかと思っているうちに、別に資格を取るでもなく、なにかを学習するでもなく、職探しにあくせくするでもなく、四週間ごとにハローワークでの認定を更新しながら、与えられた猶予期間をぐんぐん減らしてしまったのである。あるいは、それこそ彼の悪い点であって、弁明の余地をなくしているのかも知れない。しかし大部分の人が、彼くらいのぐうたらは、心に秘めているのではないだろうか。
つい三、四ヶ月、むやみに過ごしてから、ようやく再就職を志し始めた。
ところが、それが思うようにいかなかった。部屋代がかさむから、失業手当があっても、預金がぐんぐん減ってくる。雇用保険に十年以上加入して、つまりは十年以上契約社員として勤めていたから、優に半年を超える給付日数はあったものの、ついにはそれも期限が過ぎると、たちまち生活が苦しくなってくるのだった。そうして、それに合わせるみたいに、亡霊みたいな四十肩に、いろいろな重みがのし掛かってくる。
いつしか季節は一巡りをしようとしていた。
一巡りしきったら、預金も底を尽いてしまう。
もちろん、とっくに雇用保険の給付は過ぎている。
青ざめたまま眠りに就いた悠平が、翌日、目を覚ますと、ゴールデンウィークを控えた、紫外線が痛いくらいの、初夏(はつなつ)の青空が広がっていた。
彼は携帯を持ち出した。
さっそく面接に出かけなければならない。
気怠げに服を着替えると、
ちょっと中年じみた匂いが、
スーツに感じられるので嫌になった。
なんだか、一番大切なシーズンを、無駄に過ごしてしまったような気がする。そうして、その果てに、社会から捨てられたような侘びしさが浮かんでくる。自分の一生は何だったのだろう。近頃あてもなく思うことがある。それが嫌なものだから、慌てて、外出の準備を再開するのだった。朝食は食パンとマーガリンで済ませたが、今日はトマトを一つ加えた。スープは飲まなかった。
外へ繰り出すと、小鳥がしきりにさえずっている。
まだ、午前中だから、さわやかな風が頬に嬉しいくらいである。
陽ざしが眩しいくらいに道路に反射している。穏やかな平日。そうして、誰もが働きに出ている。自分には、こんなにやる気があるのに、どうしても、その働くという世界に戻れない。まるで隔壁でもあって、封鎖されているみたいな気がする。そんな不気味が、近頃胸に迫ってくるのだった。
歩いてすぐの駅まで行って、わずか一駅区間で、ライフバスに乗り換える。
これは、工場街を行き来する専用バスで、乗りこむときに乗車料を払う仕組みになっていた。すでにバス停にひとり待ち人がいるが、バスの扉は閉められている。運転手は、ちょっと離れで、別の誰かとおしゃべりをしているらしい。しばらく路線図を眺めてから、待っていると、すっと扉が開いたので、若い男の後ろから乗りこんだ。
赤いラインのあるライフバスは、駅が始発である。
しばらく待っていると、ようやく四、五人の乗客が集まった。悠平は陽ざし側の一人座席にわざと腰掛けて、眩しいのを我慢しながら、その元気を分けて貰おうとするのだった。シュッと扉が閉まって、ひと言の説明もなくバスは走りだす。
ちょっと進むと、商店街は途絶えてしまった。
ここは、工場が連なっている街らしい。
汚らしい倉庫やら、看板やら、フォークリストやら、商品を梱包したコンテナなどが、一つ過ぎては、また現れ、安づくりのレストランを挟んでは、また一つ現れる。道幅は狭いのに、運転慣れしたバスだからすいすいと流れていく。よくこんな折れ曲がり方が出来るものだと、驚くくらいの細道だ。それでいてあまり揺れない。ちょっとうとうとしたくなるくらいの、陽ざしがまた肩に伝わってくるのだった。
彼はいつの間にか、職探しの遍歴を回想し始めていた。
もちろん彼だって、始めのうちは正社員の道や、最低でも以前のような契約社員の道を探していたのである。ところが、彼の職業は、手に職があるとも、無いとも言い切れないグレーゾーンの仕事だったから、薬剤師のようには募集なんか見つからない。
社員雇用の面接を回っても、採用の決め手となるようなことが、何一つ言えないのがもどかしい。もっとも、自分では、仕事の要領はいいつもりなのだが、相手には履歴書に記されない要領など伝わるはずもないのだった。学歴に抜きんでたところがないから、ようするにすべてが人並みなのである。
「試用でも構わないから使ってみてください」
と懇願したこともあったが、相手は取り合わなかった。
第一、面接の印象にしたって、全員が印象を良くしようと、たゆまず努力しているのだから、五十歩百歩の背比べになってしまう。その上、ある会社で聞いたところ、三人の枠に百人以上の応募があったなんて、がっかりするような話すら聞かされることがあるのだった。
しかし彼にとって一番の問題は、やはり年齢だった。もともと年功序列の年齢給を重視してきた企業体質が、まだ強く残されているため、まるきり仕事の出来ない新入社員を雇うのでも、二十代と三十代では支払うべき給料が異なってくる。ましてや悠平の住まう四十代ともなれば、余程の経歴でもなければ、雇いたくないのが企業側の本音である。つまりは彼がまだまだと思っている間に、彼のシーズンは過ぎ去っていたのである。そんな話をようやくハローワークなどで聞くにつれて、彼は自分の立場を自覚し始めるのだった。
それと同時に、面接を何十となく落ちるうちに、悠平の精神は、わずかにひずんできた。少なくとも、そんな気がしてならない。どうしても社会にとって、自分は不必要であるような気分が勝ってくる。前の会社を辞めさせられたのも、実際は必ずしもそうではなかったのだが、自分が無能を極めて捨てられたような、自虐的な錯覚が日に日にのし掛かって来るのだった。
ようするに、人間という生き物にとって、確率やら倍率なんてものは問題にはならないんだ。自分がその場で面接をしたのにも関わらず、ひたすら落とされたという事実。それだけが心に累積されて、感傷的に精神を追い詰めてしまうに違いない。そうして、精神を沈ませるのに必要な失敗は、十や二十ではなく、ましてや百や二百ではなく、ほんの五回、六回でも十分すぎるくらいのものである。悠平は冷静になって考えながら、どうしてもその不必要であるという感慨から、逃れることが出来ないのであった。
彼はもはや、以前のような雇用にはこだわらなかった。
より正確にいえば、こだわってなどいられなくなった。
だから最近は、手当たり次第、新聞やインターネットのパート・アルバイトの情報を眺めて、電話を掛けては面接に出向いて、虚しく落とされるサイクルを、日課のように繰り返していた。そのうち、預金が底をつき始める。ますます慌てて、あちらこちらに電話を入れまくる。
「面接スパイラルだ」
なんて、意味不明のことをつぶやいたりもする。他人が聞いたら失笑ものの冗談に聞こえるかも知れないが、彼の声には悲壮感がこもっていた。
恐らく彼は、選別の要領が悪すぎるのだろう。
そうでなければ、覇気の感じられない善良すぎる細身の体が、面接官に不安を与えるのかも知れない。
いくら四十代でも、アルバイトやパートなら、すんなりと良いところに就職をしてしまう人だっていない訳でもないのに、彼自身は何があっても、頑なに採用されないのだった。近頃では、レジ打ちでも、流れ作業でも、何でもいいから連絡しては、面接に出かけるが、どうしても採用を見送られてしまうのだった。日に日に気分が、重くなっていくような気がする。
ふっと、顔を上げると、バスは相変わらず工場の風景のなかを走っている。チープな看板が、古ぼけた汚れにさらされて、くたびれた姿をさらしていたかと思えば、まだ生まれたばかりの新しい工場が、広い敷地を占領したりもしている。忘れた頃に、小さな林を通り過ぎると、そこだけ不思議なくらい、新鮮な初夏(しょか)ののどかさを、幼い頃の喜びみたいに、保っているようにも思われるのだった。
悠平は、不思議でならなかった。
これほどの工場があるのに、自分の働く場所がどこにも無いのは、どうしたって割に合わない。何かが間違っている。もちろん労働者より、労働希望者の方が多ければ、働く場所が多く見えたって、何の意味さえないのだが……
かえって、一件一件、工場を履歴書とともに尋ね歩いた方が、募集を掛けていない工場などで、人材の枠があるかもしれない。そんな風にも思われる。そうして彼は、さすがに四十路という自分の年齢が、圧倒的に面接を不利な状況に追いやっていることを、悟らざるを得ないのだった。ちょっとひ弱そうなくたびれた印象が、鏡を見ていてもぬぐい去れない。髪の毛が危うい気配を煽っている。第一印象しか与えられない面接というものが、何だか恐ろしいもののようにも思われる。
彼が出かけると、しばしば集団面接になることがある。
そのような場合、往々にして二十代くらいのフリーターと呼ばれる若者が、一緒になることがあるのだった。
もし、自分が雇用者であったら、疲れた四十代の、もしかしたら、無能で辞めさせられたかも分からない、雇用に注意を要する悠平よりも、労働力としてはまだ若くて機動力の備わっている、それに命令しやすい、二十代を採用するには違いない。それにしても、本当は自分くらいの年齢の方が、長い期間、安定して働く可能性が高いというのに……
けれども何だか、髪毛まで疲れ切ったような、自分のさえない表情を眺めると、これでは駄目かなとも思い始める。精神に切れが無くなり始めているのだろうか。たしかに、スポーツ選手と一緒で、作業を覚えるにしたところで、今の自分よりは、十年前の悠平の方がずっと雇いやすい。二十年前なら尚更結構だ。つまりは若い人材を雇った方が、望みがあるには違いないのだ。社会の常識的な対応を一通り弁えている利点くらいじゃあ、無垢の人材に太刀打ちなど出来ないのではないか。
もちろん、面接のときは、そんなことを考えているゆとりはない。
精一杯に自分をアピールするのであるが、しかし、そのアピールの仕方が、中年の浅ましさのようにも思われて、かえって相手に、悪い印象を与えているような気もするのだった。かといって控えめにしていると、ますます冴えない人物かと思われてしまう。悠平は、どうしたらよいか分からなくなって、途方に暮れることすらあるのだった。
……負癖という言葉がある。
二度、三度、四度、何度も負けているうちに、どうしても勝てないという錯覚が、自分の行動を規定してしまい。その表情やら、仕草やらに、無意識のうちに表出してしまう現象だ。
一度そうなってしまうと、もう駄目だ。
その、シッポを振りながら怯えるような態度が、いっそう、相手に侮蔑(ぶべつ)と軽視を与えて、打開を困難にしてしまう。相手に対してへりくだった態度を見せるから、よりいっそう、軽蔑せられるという悪循環に陥って、逃れることが困難になってしまうのだ。あるいはそれが、今の自分なのだろうか……
バスが停車した。
指定された停留所である。
彼は慌てて扉から降り立つと、乗っていた四,五人も一緒に降り立った。全員、後ろの扉から出てくる。乗車は前、下車は後ろだから、当たり前だ。そんな馬鹿馬鹿しい着眼を、追って関心している悠平はちょっと憐れでさえある。それからまた考えた。
ここに降りたメンツが、面接の同期ということになるのだろう。
電話連絡に教わったとおり、受付小屋のような赤屋根に近づくと、年配の警備員が立っている。慣れたものだから、
「パート・アルバイトの面接の方」
なんて声を掛けながら、自分らが「はい」と答える間もなく、「こちらです」といって、倉庫内にある事務所へと引き連れていくのであった。
「いすに掛けてお待ちください」
そう言ったら消えてしまった。
警備員だから、すぐ受付へと戻ったのだろう。
悠平は他の人に先立って、奥の席へと入っていった。
これは食堂の長テーブルらしい。
すぐ奥に事務所が控えていて、両者が渾然一体となっている。スペースの節約をして、ちょっとした会議や集会は、ここで済ませてしまうのだろう。ぼんやりと眺めていたら、隅の一角がロッカールームになって、収まりきれない荷物が、段ボール箱に放り込まれているのが目についた。ロッカーの数が足りていないのかもしれない。向こうのテーブルには、コンビニの袋から取り出しておにぎりを食べている、若い茶髪の男が座っていた。あんな茶髪がオッケーなら、自分を採用したって良かろう。しかし悠平は、自分の機動力と持続力が、すでに彼より劣っていることを忘れてしまっている。そうして、去年までの契約社員の仕事でもなければ、長年培った技術など、無いに等しいことも……
ずんぐり型の頬の張った男が、作業着のまま席へ寄ってきた。
顔つきから、上に立ち慣れた人物であることが分かる。それが面接官だった。悠平は、どうして工場の面接官には、恰幅のよい太り気味の男が多いのだろうか。そんな、無意味な感慨にちょっと浸っていたくらいである。
「では早速」
挨拶すら省いて開始する。よほど応募者が殺到しているに違いない。彼は一緒に面接をした人数や、面接官の書類の束に収められたリスト名簿などから、どれほどの求人が殺到しているかを思い知らされて、しばしばげんなりしてしまうことがあるのだった。一度などは、面接の係が、
「今週はもう百人を越えた」
なんてぼやくから、何人くらい取るつもりだと尋ねると、
「三人だ」
と答えて済ましているので憎らしくなったこともある。正社員の募集でもないのに、そのくらいの人数で広告など出すなと恨めしく思ったくらいである。それでいて広告料なんて、企業にとっては軽い経費には違いないのだ。その時も、もちろん相手にもされなかった。
この男もきっと、毎日のように面接の対応をしているのに違いない。時給の九百円にも満たないこんな所でさえ、悠平はどれほど回ったか分からない。けれども、もっと低い時給にしたって、どれほど雇用関係を結ぶということが難しいか、彼はこの年で初めて気づかされたのだった。若いうちに、とんとん拍子の階段を、無頓着に歩んで行くうちはいい。だが、何かの拍子にそれを踏み外すと、恐ろしい泥沼に足をすくわれてしまう。そうして、踏み外した人のための救済設備が整っていない。落ちるとすぐに人の道はなくなって、逃れることすら困難な、粘着質の粘土が広がっている。だからどんな職場へでも、社会復帰するということが、今の自分には難しいように思えてくる。それとも、そうではなくって、問題は、自分の冴えない人間性なのだろうか……
景気の悪い顔を見せては不味いから、
わざと空元気に履歴書を提出してみせた。
「身元証明書を」
なんて言うと、みんなコピーもせずに健康保険証などを提出している。自分だけちゃんとコピーしている。こういう些細な点を、評価して欲しいと、彼は内心訴える。なんだか滑稽だが、当人は本気でそう熱望しているのだった。
面接官が事務所でコピーを済ませて帰ってくると、
さっそく印刷用のプリントが配布された。
面倒なので、採用前に、採用後のことを説明してしまう算段だ。
悠平は始めの頃、これに慣れていなかったから、プリントを渡すくらいだから採用なのだろうと思って、後からがっかりさせられたことが幾たびとなくあった。けれども、自分の経験や、ハローワークで知り合った同年代の話を聞くにつれ、しだいに実情が分かってきたから、今ではそんな期待は抱かない。ただ、またかと思って、面接官にアピールするために、質問などには出来るだけ答えるように、内容を継ぐばかりだった。
同期の面接者は五人。
女がふたりいて、ひとりは若い。
もうひとりは、本来なら働き盛りの年齢に見える。恐らくは三十くらい。口調が、実にはきはきしている。話そうとする悠平すら押しのけて、自分の二倍くらい質問をするのはいいとしても、あまりにも下らないことを質問するから、これじゃあかえって評価が悪いだろうと、他人事ながら心配するくらい見え透いていた。
けれども、それが地なのか、策略なのかはちょっと分からない。べらべらしゃべることが好きなことは間違いなさそうである。わざとらしく、難しい書籍なんかを鞄から取り出して、こんなものを持ち込んではいけませんか、なんて必要ないことを質問している。これでは落ちるなと、他人事ながらに考えた。
もうひとりの女は、ちょっと答えが馬鹿っぽい。
「漫画を書くための修行です」
なんて変な白状するのが面白かった。けれども、面接官の答えに、
「前の仕事は、あまりにもやることが多すぎて、生活が立ち回らなくて」
なんて答えをしてしまう。つまり、この仕事ならこなせるが、普通の仕事は無理ですと宣言しているようなものだから、そんな奴に勤まるものかと、面接官が思うのは必定だった。
あとは男が自分を混ぜて三人だが、残りの二人は、いずれも自分より若かった。そうでなくても、自分が全員のなかで、一番よれよれの気がする。くたびれた髪毛が気になって仕方ない。ちょっと憂うつになってしまうほどだった。
「どのくらい働けますか」
と聞かれたから、みんな長期と答えている。
「週に希望はありますか」
と聞かれても、ありませんと答えている。
要約すれば、みんなとにかく働かせろと言っているに等しかった。あるいはこの全員が全員とも、悠平みたいに面接を点々とさすらっているのではなかろうか。
こんな面接が一日何度も行われる。一日六回としても、金曜日まででも三十回。すると、毎回五人だとしても、百五十人にも達してしまう。アルバイトだろうと、パートだろうと、新規の工場を開設する訳でもないから、頑張って雇用したって十人から十五人、実際はそんなに雇わないに違いない。甘く見積もっても十分の一以下の確率になってしまう。
悠平は、対面に座る、二十代くらいの青年をじっと眺めてみた。
彼は、ぼんやりうつむいて、プリントを読んでいる。
質問に対してすら、無愛想にしか答えない。
こいつにすら、十分の一以下の確率において、自分は勝てないような気が、どこかでしてくる。それはただ一点、年齢という重荷だけなのであるが……自分が面接官だったとして、四十代の自分を、働き盛りの青年より重きを置いて採用するだろうか。しかも、この仕事において、専門の技能を身に付けている訳でもない互角の状況において……
そう考えれば、こいつよりはしっかりしているなどという、小さな自信なんか吹き飛んでしまうのだった。まるで絶望のマントを背負ったまま、不合格という名の悪魔とダンス・マカーブル(死の舞踏)でも踊らされているような恐怖すら湧いてきて、どうにか現状を打開しなければならないという情動に駆られだす。
かといって、年配者の悠平が、あまり必死に就職をアピールすると、なおさら軽蔑されて、不採用になる恐れもある。対応の仕様がない。どうしよう……
こんなことばかり、懸命に考えているから、ぎこちないような表情が、面接官に伝わって、あまりいい印象を与えていないのではないだろうか。あるいは開き直って、このおしゃべり女を真似した方が、かえって効果があるのだろうか。次から次へといろいろな事を考えながら、すべてにおいて方針が煮え切らないのだった。
ようやく面接を終えたとき、悠平はぐったりと疲れ果ててしまっていた。あまりいろいろ考えすぎたせいである。結局、ここに座る五人の違いは、男女の差別と、年齢の違い以外、ほとんど面接官には伝わらないのではないだろうか。こんな条件では、自分には厳しすぎるようにも思われる。抜きんでたところがどこにもない。彼は憂うつに負けながら、解放された食堂を後にした。
表に出ると、紅要黐 (べにかなめもち)の赤く染まった生け垣が、工場を囲むように、植えられているのが鮮やかに映った。さやかな風の優しさが、はかない慰めとなって、悠平の頬を吹き抜ける。面接を受けた五人は、誰と話を交わすでもなく、工場前の停留場から、バスに乗って立ち去った。もう二度と会うこともないだろう。それはそれぞれの帰宅道。
悠平はバスの中にいる。
午後のまどろみのなかで、うとうとしているようだ。
その頃、先ほどの面接官は、五人の消えた食堂に座り直していた。
「お前ら。そこから見ていてどうだった。良さそうな奴はいたか」
なんて、向こうで食事をしていた従業員二人に聞いてみた。どちらもまだ若い。
「さあ、どうっすかね」
「でも俺らみたいな若い方が働くと思いますよ」
「けど、あのうるさい女は止めた方がいいっすね」
なんて答えている。面接官にだって、若い奴の方が活気があるし、言われたことはすぐに消化するから、有り難い気がするのだが、
「ただ、お前らは、すぐにどっかに移っちまうからな」
なんて愚痴ってみた。
「大丈夫っすよ」
「ここ、居心地いいし」
なんて、箸を動かしている。
「そうか、若い奴、若い奴」
面接官は、そう呟きながら、履歴書を捲っている。もちろんそんなアルバイトの言葉なんかに耳を貸すはずがない。暇つぶしの冗談である。話しながら別のことを考えているには違いなかった。いろいろ考えながら、一枚だけ、履歴書を選抜した。
それは悠平の目の前に座っていた、冴えないぶっきらぼうの青年だった。面接官にはそれが、きびきび動けるように思えたからである。そうして、余計なことを主張せず、言われたことをこなすように見えたのであった。それに悠平は悟れなかったが、この募集は、週にフルで入らないと、生計に差し支えるような人物を探していたのではなかった。実は、約束よりも少ないシフトでも差し支えのない、それでいて多くも入れられるという、融通性のある者を探していたのだった。つまりは悠平のように、これで生計を立てるような中年者は、かえって重荷だったのである。その点でも、自宅がよいの、安易なフリーターそうな、この青年はうってつけだ。
それに、口ばっかり騒がしい、中年女は論外にしても、あのくらいの、よれよれの中年も、何かと扱いにくい。第一、自分より年齢が高いというのは、扱うのにどうしても、余計な気兼ねが生まれてくる。高飛車に出ても差し支えない奴の方が、自分のためだけでなく、会社にしたって好都合だ。第一、こいつ等の仕事は、それほど高次なことをやる訳じゃない。
だから、この履歴書を選抜する。
もちろん、これは始めのピックアップに過ぎない。
だいたい週に、二十から、三十は、ピックアップする。
その後で、面接を思い出しながら、履歴書を眺めながら、不都合を比べなら選抜する。けれどもそこにはもう、杉田悠平の名前は無いのであった。
もちろん悠平は、そんなことは知り得ようはずはない。
バスを降りて、列車に乗り換えて、それから立ち食いそばで飯を食って、もうひとつ別の面接へと向かい、ようやく自宅へ辿り着いたのは、夕方近くになってからだった。
のんびり構えている暇はないから、決定の連絡を待つでもなく、他の面接を手配して、電話を掛け始める。彼はそうやって、週の前半を過ごすのだった。もっとも週の後半になると、パート・アルバイト情報の更新も無くなってしまい、無為にほうけていることも多い。もちろんハローワークへも出向く。けれどもこの機関は、効率的に機能しているんだか、していないんだか、彼にははなはだ懐疑的に思われる施設だった。募集経費が掛からないのが、悪い帰結を迎えているんだか、ここで職を探して良かった試しがない。同じ落ちるにしたって、まだしも雑誌やネットで調べて落ちる方が、救いであるように思われる。だからハローワークへの求職の提出以上のことは、そこでは行わないのが仕来りだった。もちろん、過ぎ去りし給付時代の仕来りである。それでも、そこで知り合った同年代と、
「もう見つかったか」
「まだだ」
などとメールを交換することも、かつてはたびたびあった。
それにしても、これほどの求人がありながら、自分だけが社会から阻害されているのは不自然だ。いくら、年齢が高いったって、まだまだ働き盛りの四十代である。それが、どこからも相手にされないというのは、よほど自分がだらしなく見えるのか、それとも大切な運命の歯車が狂って、悪い方、悪い方へと、自分ひとりを追いやろうとするのか。そうでなければ、全身から負け犬のオーラが漂っているのか、どうしても分からないのだった。
そんなことを考えていると、何だか、
自分の部屋が牢獄のように思えてぞっとなる。
慌てて外を眺めると、窓は南向きだから、
西日は差し込んでこない。
ただ、隣部屋との仕切板に斜めから光が差して、そこだけ眩しく輝いている。彼は携帯と、据え置きの電話を交互に見比べて、あるいは不意に、面接をしたことのある企業から、
「ひとつ枠が余りましたので、よろしかったら採用いたします」
なんて連絡が入らないかなどと、干からびたロマンチックを夢想するのであった。
それから、頭を振って苦笑いする。
ドラマや小説だって、そんな馬鹿げた演出は、近頃やったりしない。現実は無味乾燥として横たわっているだけなんだ。
テレビをつけると、ニュース番組が殺人事件の話を流し始めた。
しかし、そんな事件には関心すら持てない。死にたい奴は死ね、殺したい奴は勝手に殺せ。俺は知らない。はなはだ物騒な感想を持って済ませてしまう。また、法案の成立などを見ていると、社会のあらゆる営みやら、変革のすべてから、自分だけがドロップアウトしてしまったような、侘びしい錯覚さえ浮かんでくる。それでも、リストラや雇用問題など、自分に関係している番組を見つけると、食い入るように見つめているのだった。
それにしても、完全失業率を仮に「5%」としたところで、逆を返せば二十人に一人しか、自分のような境遇はいないのではないか。それならば、二十社受けたら、一社には合格しなければおかしいのではないか。もはや数学にも統計にもなっていない、滅茶苦茶なことを考え始めている。学生が聞いたらとんだ笑い話だが、それは彼の境地に陥ったことがないから笑えるのに違いない。
太陽が沈む前にもう少し頑張ってみようか。
そう思って彼は、むかし働いていた、ある職場へと連絡を入れてみることにした。
昔と言っても、もう優に、十年以上前のことであり、その頃は待遇も、常用のパートだった。もともと彼は、学生の頃の勉強を続けようと思って、正社員の道を探さなかったのが、泥沼への第一歩だったのかも知れない。それが裏目に出た格好である。おおよそこの国くらい、スキルや学業を身につけたからといって、虚しき徒労に終わってしまう国はちょっと無い。人の価値の重要性をまるで無視して、ひとつの労働力という括りにして消耗しちまう。もちろん、その頃の彼は気づかなかった。
だが、それなりに仕事のこなせる彼は、上司から、また働きたくなったら、連絡をくれれば雇ってやるなんて、冗談半分に言われたことがあったのである。それを信じている訳でもない。なにしろもう覚えていないかも知れないのだから。けれどもこの際だから、どんな可能性だって無駄には出来ない気がする。
思えばあの頃はまだ、こんな慢性的な不景気、あるいは慢性的な効率一辺倒の時代では無くって、雇用に寛大な面がまだしも残されていた。いや、それは錯覚で、自分の年齢に応じて、見え方が変わってくるだけなのだろうか……
電話を入れてみると、期待に反せず、その上司はまだ健在だった。そうして自分のことを覚えていてくれたのであった。
「お久しぶりです」
なんて慇懃に挨拶をすると、
「ああ、杉田君か、久しぶりじゃないか。元気にしているか」
なんて気さくに答えてくれる。あるいはと思った瞬間、悠平の声はちょっとうわずった。しかし話を進めるうちに、挨拶と雇用とは関係を持たないことに、彼はしだいに気づかされたのだった。
「この通りの、人件費削減の嵐だろう」
上司の機嫌が、心持ち悪くなったような気がする。
「実は今も、数人辞めさせて欲しいって、上から言われているくらいでね。つまり俺の采配じゃ、気安く雇ってなんかやれなくなってしまった」
必ずしも、悠平に対する不快感では無いらしい。
「何しろ、みんなあくせくしすぎだからね」
「そうですか」
「まあ、杉田君くらい働ければ、どこかに当てはきっとある。頑張って探してみることだ」
そう言われた以上、上司に話を合わせて、別れの挨拶を加えるくらいしか、悠平には何も出来なかったのである。
そう、あの頃は、ずいぶん気楽に雇ってくれたっけ。
今じゃ、そんなシーズンはこの国から去ってしまったのだろうか。それともやっぱり、自分の年齢のせいなのだろうか……
悠平がそんな感慨を浮かべている頃、電話の向こうの上司は、別のことを考えているらしかった。
「いくら何でも、四十代じゃ、かえって重荷になるかも知れない。たしかにあの頃はよく働いたが……」
そんな打算を加えながら、電話に対応していたようである。もちろん今でも雇用の采配を握っている。ただ杉田悠平なる見知らぬ他人にまで、そんなことを伝える必要性はない。上司はちょっとだけ、懐かしい回想を楽しんで、すぐに彼の姿を消してしまった。そうして、新しいプロジェクトのことについて、資料を読みふけっているようだった。
悠平は部屋の中で、預金通帳を眺めている。
久しぶりに、通帳にATMから印字してきた。
彼はネットで口座を開設したりはしていない。
すべてが、前世紀的である。もちろん携帯もパソコンも所持しているが、求職情報を検索したり、ネットを徘徊する以外のことには、あまり使用しない。
ひとり暮らしの気楽さもあって、比較的駅に近い新築マンションの、部屋代が高いところに住んでいた彼は、職を失う一年ほど前に、この新築に移ったことが恨めしく思えるのだった。
こんなことなら、半額で済んだ前のマンションへ戻りたい。
部屋代が馬鹿にならないから、預金がぐんぐん取り崩されてしまう。もっとも、高級でもない普通のマンションには違いないが、無職の自分には重すぎる。このまま職が見つからなかったらどうなるだろう。彼は、失業中はマンションの借り換えすら難しいことを思い出した。通帳の金額を見ると、惨めなくらいに減少の一途を辿っている。食事を切り詰めたって、電気代を節約したって、どうにもならない。何しろ入ってくるお金が無いのである。一年間の受給可能期間のうち、辞めてすぐに申請をしたから、雇用保険の給付日数はすでに過ぎ去ってしまった。彼に与えられた日数は、果たして彼の長年懸命に働いた労働に値する猶予期間だったのだろうか。それは分からない。彼より働きも少ないのに、のうのうと社員面をする奴らも大勢いたというのに、企業は人材の再編を行うこともなく、杉田悠平を切り捨てたのであった。
失業手当も絶えた今となっては、毎月預金が取り崩される一方だ。それは常に、自分の一月分の計画よりも、早く消えていくような気がしてならないのだった。
ああ、馬鹿だ。馬鹿だ。
職がなければ金が減るのは当たり前じゃないか。
そんなことを、今さら考えたって、なんの意味も無い。とにかく、はやく手を打たなくては大変なことになるんだ……
あるいは自分は、部屋を追い出されて、都内の浮浪者の仲間入りを果たすことになるのだろうか。働けるのに働かないクズどもだって、若い頃は軽蔑していたけれど、ちょうど今の自分のように、抜け出せない螺旋階段へと踏み込んだ結果、進めば進むほど、逃れられない底辺へと、落ち込んでしまったなれの果てが、つまりは彼らなのではないだろうか。つまり彼らと自分とは、極めて近しい関係にあって、ああしてふてくされて、今では這い上がる意思すら無くしてしまった彼らにしたところで、自分のようにあがき苦しんだ果てに、最後の気力をさえ社会にもぎ取られてしまい、もはや浮浪者の生活をこそ我がものと、受け入れるようになっただけなのではないだろうか。
何しろ、これほど毎日思い詰めていたら、そのうちすべてが面倒になって、そのまま腹を減らして、気力を失って、餓死をするような人だって、いない方がおかしいくらいの虚しさである。とにかく何もかもが馬鹿馬鹿しい。生きるのがアホらしくなってくる。どうかして、社会の一員にしがみつこうとして、よろよろ這いずり回る今の生活が、子供の頃から夢だの希望だのと脅されたなれの果てなのだろうか。いくら生存のためだって、これほど必死に職を探して、それでもどこからも相手にされず、自分を不必要な人間だと散々貶(おとし)められて、貶められて、貶められて……
そんなことを思い詰めたら、
不意に誰かの胸に顔を預けたまま、
「わあっ」と大声で泣き出したいような惨めが、
四十代のむさくるしいこの男のこころにも、
ぼわっと溢れんばかりに広がって、思わず、
「あっ」となってしゃがみ込んでしまった。
……情けない。
近頃、感情がおかしくなっているような気がする。
本当に自分は、こんな事のために、生まれてきたのだろうか。
またしばらく、学生時代から、子供の頃へと、虚しい回想を極めるうちに、
いつしか窓辺は暗くなっているのだった。
カーテンを閉めて、キッチンで即席麺を鍋に入れる。
カップラーメンよりは、ずっと美味しい。
そうして、乾燥ワカメと、今日はネギを奮発して、まるごと一本。それから野菜ジュース。どうにかビタミンを確保するのはいいとしても、同じような食生活だから、亜鉛やら鉄分が不足しているに決まっているのだ。
そんなことを考えていると、不意に、働いていた頃の職場の食堂の栄養価の高さが思い出されて、何だか分からない、自分でもびっくりするくらい、不意に頬から涙が一粒こぼれたのだった。
「みじめだ」
箸で鍋のラーメンをほぐしながら、彼は心を落ち着けているらしかった。
不意に電話が鳴りひびく。
彼は思わず、部屋の方へ走っていった。
けれども彼は、ありったけの期待を、今まで何度も裏切られて来たから、わずかな希望を封じ込めるみたいにして、心を落ち着けて、でもやはりドキドキ心臓を高鳴らせながら、わざとつまらなそうに電話を取るのだった。
そうしていつも同じこと。
自分の期待したわずかな望みはパリンと砕けて、
つまらない現実に打ちのめされる。
それは単なるキャッチセールスには過ぎなくって、
「墓地の案内をいたしたいと思いまして」
なんていう女性の声が、受話器の向こうから響いたとき、彼はもう、なにかを言い返すことすら出来なくて、訳もなく悔しくって、悔しくって、怒鳴る気力すら失ってしまい、相手がべらべらしゃべるままに、静かに受話器を置いたのであった。
押さえようとして、押さえきれなかった心拍数だけが、電話を切った侘びしさに、どきどきと谺し続けている。
五分のタイマーが鳴って、キッチンへ向かってコンロを止めると、彼は大きな椀に麺を流し込んだ。そうして、雇用情勢の特集番組を眺めながら、部屋で侘びしい夕食を済ませるのだった。
明日はまた二件ほど、面接に出かけてみる。
もしものときは、
けれども彼にはまだ、
死ぬとも生きるとも、
盗むとも乞食になるとも、
何のあてもつかないのだった。
……親には連絡は入れられない。
まだ働いていることになっている。
何故? それは分からない。
親子の関係もしょせんは情に基づかないものだって、社会が懸命に教え込んだから、それを無意識に守ろうとしているだけなのかもしれない。
それともこれは、悲しい見栄っぱりに過ぎないのだろうか。
こんな落ちぶれた姿だけは、育ててくれた両親に見られるのは堪えられない。さんざんお金を出して貰って、大学まで卒業させて貰って、その結果が無心ではあまりにも申し訳が立たない。だから黙って、みんな死んでしまうのではないだろうか。悲しいくらいの潔癖症。ひずみきったような腹切り武士道。結局はそれが、より親を悲しませることになると知っていても……
「どうしました」
同じ頃、さっき、杉田悠平が連絡を付けたあの上司は、
事務所の電話の前に突っ立っていた。
それを、まだ若い社員が見つけたのである。
「実は、昔勤めていた奴が、連絡をつけてきてな。年齢が高いんで、いったんは知らないふりをして切っちまったんだが……何だか可哀想な気もしてな」
そんな優しいところを見せるからには、悠平が連絡をつけようと試みたのは、まるきりの見込み違いでもなかったらしい。ちょっと掻い摘んで、雑談がてらに話を進めると、けれどもその女性社員は、
「やめたほうがいいと思いますよ。だって、そんな年齢で辞めさせられたって事は、きっと問題があったに決まってますよ」
「そうかな」
「そうじゃなくたって、うちの部署、成績が良くないんですから。経費削減が目標です」
「おいおい。それはわたしが心配することだろう」
なんて笑い返すうちに、もう悠平のことなんか、きれいさっぱり忘れてしまった。恐らくこの上司は、自宅に帰って、妻の用意した、精一杯の幸せの食卓を楽しむことだろう。賃金の不安などまるでなく、ただビールを友として……
(おわり)
[2010/4/24-27]
(原稿用紙換算59枚)
2010/04/27