ピッキング

(嗄れ朗読) (1)  (2)  (3)  (4)  (5) 

ピッキング

 ネットのかなたは人海戦術。

 そんなことわざをご存じだろうか。

 各種手続きや購入に、情報化社会における最先端を錯覚させる向こう側には、驚くべき人海戦術の、鍬(くわ)さ持たした現物的社会が広がっている。つまりは、目の前の事象で物事を判断してはならないということわざであるが、実に陳腐の言葉だ。仮想空間で育てた野菜は食べられないのだし、仮想空間で飼育した猫は、撫でることすら出来ない。利点といえば、もっぱら情報伝達の質量と速度に由来して、未来の生活を変えるほどの、仮想空間なんて端っから存在しないのである。ネット上の仮想人格なんてはしゃいだって、現実社会の代替にはなり得ないし、ゲームのお仲間やら、ひと言で会話を済ませられる没個性的な一部の暇人しか、仮想人格なんかと関わらないくらい、ちっぽけな、マージナル社会をしか生み出さないには決まっている。虚言妄想に生きがいを見いだす大和の学者やら、暇をもてあました有識者どもの卓上の空論なんかくそ食らえだ。お尻ぺんぺんである。

 これははなはだ口の悪い、しかし関口陽樹(せきぐちようき)の、彼にしては珍しい、一点をわきまえた意見であるともいえる。恐らくこれ以外、彼にこんな格言を見出すことはないのではないだろうか。そのくらいネットのかなたの人海戦術は、時給千円にも満たない労働者たちの、汗水流した長時間労働に支えられているのだった。もちろん関口陽樹もまた、その労働者たちの一人には過ぎないのだ。だからといって、その人海戦術が、苦痛であるとは限らない。だから描かれるのは、悲惨な人海戦術ではない。陽樹好みの言葉で伝えるなら、恐らくは「まったりとした人海戦術」くらいのものである。



 けれども彼の働く現場を、実名公表するのは気が引ける。ここでは彼の雇用先を、人海派遣株式会社として、現場を注文物流センター、略して「注物」(ちゅうぶつ)とでもしておけば十分である。

 関口陽樹はもう、三年以上ここに働いている。特に若手男性は入れ替わりの激しい職場だから、彼の年齢で、派遣会社を通じての長期滞在はめずらしいくらいである。まだ二十代だから、あまり先のことは考えていない。時給は九百円で一円たりとも増給したことがないが、勤務時間が九時から十七時で、休憩が七十五分。しばしば残業が発生するから、日給にして平日で六千円から七千円になる。また日曜出勤に選ばれると丸一日時給がアップするから、とりわけ嬉しい日給だ。まだ力をもてあましているから、長時間働いても苦にならない。近頃はむしろベテランの部類だから、出勤にも自由が利くようになった。週に四日から五日働いて、土日を出勤して休日加給を加えると週に三万円以上は優に稼げるから、ひとり暮らしの生活には困らない。近頃、新たに勤めるパートやアルバイトではあり得ない、安定した条件を得ることが出来たのだった。

 もっとも交通費は自腹だから、通うのに電車で一日往復三百二十円、それに弁当代を合わせると七百六円が損なわれる。余計なものを買ったり、ちょっと遊んだりすると、貯金なんてすぐに無くなってしまう。そんなとんとんの生活を続けているのだった。なまじ両親が健在で、父親が働いているものだから、なおさら「もしもの場合はお願いします」の精神で、先のことを考えないらしかった。そうでなくても彼は、幼い頃から場当たり的な性格である。無難に大学へと進学して、一人暮らしを初めて、そのままこの地域に住み着いている。実家に戻ろうとは考えない。かといって一生この地にいようとも思わない。つまりは口先ほどには夢も持たないし大志も抱かない、極めてありきたりの青年だった。

 ちょっと曇り空の朝だから、蒸し暑さはない。けれどももうすぐ六月である。晴れれば暑くもなる。梅雨に入れば寒くもなる。寒暖を苦にする年齢でもないから、軽装でマンションを後にした。近くの広場では、朝から老人どもがゲートボールなんかしている。ちっとも楽しそうに思えないのに、しきりに玉を付いているのは滑稽だ。そうしてみんな見窄らしいなりをしている。いい年をして、乞食じゃあるまいし。身だしなみは老いてこそ整えよ。これは誰の格言だったか、今はもう忘れてしまった。もっとも陽樹もジーンズにシャツの安いなりだ。しかし、若者だから、ちょっとしたこだわりが生きている。よれよれにはほど遠かった。

 信号の変わりそうなところを一走りに、陽樹は手荷物もなく駅へとすべり込む。一駅乗り継いで、賑わうサラリーマンを掻き分けて、改札を逃れると、駆け出すみたいに駅前ロータリーへと降り立った。別に時間が足りない訳じゃない。二日続けて休みだったから、ちょっと新鮮な気分だったのだ。注物センターの送迎バスに乗りこむと、

「おはようございます」

なんて運転手に挨拶を交わしている。「おう」中年の髭面が片手をあげた。みんなは、静かに座り込んでいるようだ。あと十分で出発だ。中年のおばさんたちは、朝からすでに数人ごとに駄弁っているが、さすがにまだ、おしゃべりには点火しない様子だった。

「おはよう」

 見知った顔の隣に腰を下ろすと、陽樹よりもっと若い細めがねの男が、ぺこりと頭を下げた。髪の毛は茶色だが、職場ではそんなことは注意されない。その代わり、商品を扱うから、携帯だのミュージックプレーヤーだのの持ち込みは、えらく面倒になってくる。携帯はまだしも鞄に入れて、ロッカーに入れておくことが出来るが、それにしても不意の荷物検査で確認されるのも面倒である。おまけにロッカーが足りない上に、盗まれても責任は取らないと明言されている以上、ぶん投げてある鞄に入れておくよりは、職場には持ってこない奴もいるくらいのものだった。陽樹は面倒が嫌なので、一歩進めてあらゆる持ち物を持ち込まないことにしている。つまりは手ぶらであった。

 八時三十分が回ると、プシュッと締め切ってバスは走りだす。駅前の商店街やら郵便局の看板を過ぎると、交通量の多い国道を跨いで、車窓が移り変わってくる。出版の流通センターだの、卸(おろし)の物流センターだの、ちょっとした工業地帯の様相を呈してくる。合間には畑が広がっていて、早月(さつき)のこころで育てた作物は青々としている。しかし土のところは殺風景で、田んぼと違ってちょっと匂いが気にかかるくらいだった。

 陽樹は目を眠(ねむ)ったまま、いつものように揺られていく。窓をちょっと開いているから、対向車の響きと鳥の声が、耳の中を行ったり来たりして愉快である。前の方ではおばさんが、あひゃあひゃと変な笑いを見せ始めた。そろそろバッテリーが暖まって騒ぎ出したのかもしれない。一度引火すると手が付けられたもんじゃないから注意が必要だ。もっとも注意したからって留まるものじゃない。また運転手がハンドルを切った。

 やがて、林の深緑をところどころに過ぎる頃、ひときわ巨大な倉庫が、まだ黒ずんでいない外装で、二棟並んで控えているのが見えてきた。ネットからの注文を人海戦術で切り抜ける、注物センターである。一件ごとに異なる梱包を賄(まかな)うために、オートメーションが例え出来たとしても、設備投資やら維持費の資本が馬鹿にならないために、人件費の方がローコストになってしまううちは、この種の仕事は永遠に不滅である。それがいつの日か地上から消える戦術だとしても、今の陽樹には関わらなかった。

 敷地内にバスが留まれば、一同はそろって降り立つばかりとなった。朝だから、どことなく大気がすがすがしい。林へ帰る鳥が大空を羽ばたいた。後部座席の陽樹は、皆に遅れて逃れ出た。送迎バスはさすがに無料なので、支払いがないのは幸福だ。運転手は朝二回と帰り二回だけ駅を往復して、結構な給料を手に入れている。もちろん時給には過ぎないが、運転以外は家の手伝いをしているとかいう話しを、昔聞いたことがある。気楽な身分には違いない。自分も歳を取ったらそんな気楽を手に入れてみたい。車庫入れするバスの排気を吸って、思わずむせかえると、体が仕事モードに切り替わってくるのは不思議だ。またいつもの労働が始まろうとしているのだった。

 バスの進入した入り口には、受付の小さな小屋がある。

 そこでは外来の応対以外にも、荷物検査と捺印作業も行っている。もし製品の並べられた注物の倉庫へ、先ほどあげたミュージックプレーヤーだの、小説などを持ち込もうものなら、盗難呼ばわりされることにもなってしまう。それを避けるためには、あの受付で、印鑑証明を貰って、該当の持ち物に貼りつけなければならないのである。特に書籍などは、直に印鑑を押されてしまうから、持ってくるものなんかあまり居ないくらいだった。



 手ぶらの陽樹はロッカールームへ向かった。

 ロッカーは食堂の隣にある。それから食堂を抜けると打刻の装置が置かれていて、タイムカードをスキャンする仕組みになっている。一斉にバスから降りたから、ロッカーで荷物を置く者、靴くらい履き替える者など、あたりは急にがやがやしてくるのだった。もっとも陽樹は、何も持ってこないから、自分のロッカーがあるにも関わらず、作業用のエプロンを羽織るために使用するくらいのものだ。軍手さえ別のところに仕舞い込んでいる。収めきれないで、段ボールなどに入れてある鞄が可哀想なくらい、彼のロッカーはすっきりとしたものだった。何しろエプロンさえ着けていれば、私服でOKであるのは嬉しい。彼は何でも嬉しく思える性格だ。よほど平和な奴らしい。もっとも、作業に差し支えないことが条件であることは言うまでもないが、陽樹の服装は、年中差し支えないようなものだった。

 エプロンを羽織ったら、すぐに打刻である。

 今日は金曜日。毎週金曜は週給の支払日なので、それがまた今日の嬉しさに繋がってくる。印鑑を持ってきているから、これだけはポケットに仕舞い込んでおいた。まさか、自分の名称のある、印鑑に関しては、盗難と見なされる心配はなかったからである。とにかく打刻は、五十八分までに済ませないと、五十九分からは認められない。移動時間もあるのに、ぎりぎりで間に合ったとは言わせないぞという、有り難くもない配慮からだ。三十分単位なので、うっかり遅れると、四百五十円あまり損をするだけでなく、暇な正社員から小言を食らったり、就業状態がマイナスにカウントされたり、あまり良いことがない。もっとも陽樹くらい慣れてくると、たまに遅れたからといって、いちいちお咎めを貰ったりはしないが、入ってすぐの頃には、いろいろとうるさいものであった。

「全然ローテーションが組まれないんだけど」

「シフトが入んねえんじゃ、金にならねえよ」

 新しく入ってきた若者が、スキャナーの近くで愚痴っている。

 そう簡単に入れるものか。ろくに仕事も出来ないくせに。

 陽樹はそう思って行き過ぎた。ローテーションは、ある程度仕事慣れして、しかも足手まといでない人物を中心に編成され、足りない時間帯が、新入りへと流れる仕組みだ。陽樹にとっては、学校なみの定刻の時間割が貰える安定した職場であるものの、新しく入った連中にとっては、不平不満の対象ともなっている。倉庫内の現場作業のうえに、残業も多いので、辞めていく奴も多いから、毎週面接をして、人員を確保している。かといって、フルでの働き手を求めているというより、シフトの薄いところを補充している意味合いが強いから、しばしば雇用希望者と企業側との思惑が食い違ってしまう。おまけに人海派遣は、長期契約の保険料負担の発生する雇用を近頃、不景気のために避けているようにも思われるのだった。むしろ週二十時間にも満たず、健康保険にすら加入されない条件や、ひと月未満の短期など、格好の条件を探しだして、長期雇用になりかけている際どいところにいる無能の派遣労働者を切り捨てにして、仕える奴だけを選別していくような仕組みらしい。どう選別しているのか基準までは知らないが、そんな風に思われる。それで切られた奴らは文句を言うが、実は残った奴らにも、切られた奴らに文句を言いたい要素が少なからずある。それは仕事が出来ないとか、出勤率が悪いとか、協調性を欠くとかさまざまだ。陽樹はここで仕事をするようになってから、ニュースなどを見ても、そんな裏を邪推することが多くなった。

「本当に能力と気力があるのに仕事に就けないのだろうか」

 テレビなどを見て、他人事みたいに考えることがある。彼はまだ面接などで落とされた経験があまりない。運動などしていない割に体格がよくって、しかも穏やかな表情をしているから、若いうちは苦労をしないタイプである。もっとも正社員の面接はまだ受けたことがないから何とも言えないが、今ならまだ、すんなり決まってしまうかもしれない。社会に対する勝ち負けの要素を、人は確かに生まれながらに何十パーセントかは保有しているように思われるくらいのものである。

 いずれにせよ、陽樹は厚生年金にまで入っているが、たとえば面接の時に、それを条件として雇用を認めて貰うような奴は、なかなか採用されないのが昨今の実情だ。陽樹にしたって、最初は保険など気にもせず仕事をこなすうちに、どうやら認められて、安定した雇用条件を偶然確保できたのであるが、だからといって、この仕事が望みの職業だとは、もちろん考えてなどいなかった。大学時代に正社員の募集を探さなかったのも、単に回りがあくせくしすぎるのを見て、何となく興ざめだっただけのことである。それで両親には社会勉強のため、しばらくはいろいろな仕事をこなしてみたいとか何とか言い訳して、パートやら派遣を点々としているうちに、二十代も後半へと回ってきた。ただ面倒くさがりで、ひとつところに留まりたがる彼の性格だと、次のステップへ踏み出す踏ん切りが、なかなか付かないといった側面もあるらしい。なぜかこの職場が彼のお気に入りとなって、離れがたない愛着が湧いてくるのは不思議なことである。そんなこんなでもう三年も居座っている。それでも三十歳までには、どこか正規の雇用を見つけたい。そんな思いはやはり持っているのだった。持ってはいるが、なかなか行動には結びつかないで、そのうちそのうちと過ごしてしまう。第一、気楽な今の環境をなかなか放棄できないらしかった。彼はだいたいにおいて過度の責任を嫌う性格である。その意味では、今の職場は、彼の性格にマッチしているらしい。

「おはようさん」

後ろから声がしたんで、慌てて、

「おはようございます」

と答え返した。自動車通勤の石墨(いしずみ)である。彼はもう三十を過ぎている。いわば先輩格だ。

 ここでの作業は、「おばっちゃーん」と呼ばれべき、中年の主婦層が比較的厚いから、派遣の男性で三十代はそれほど多くない。この年代はむしろ工場正社員の男性が占めている。だから石墨はもうベテランに分類される長期労働者だ。陽樹の入ったときにはすでに数年勤めていたから随分長い。入りたての頃、直接指導してくれたのも彼であった。そういえば、まだ仕事が板に付いていなかった頃、

「実は自動車にうっかりCDを積んだままにして、

大目玉を食らったことがある」

なんて、話してくれたこともあった。自分が失敗をして落ち込んでいた時の慰めだから、今でもはっきり覚えている。倉庫にはCDも並べられているために、自動車の中さえ持ち込みが禁止されていて、しかも時々チェックが入る。それで見つかったりすると大変な騒ぎになるのだが、偶然置き忘れたaikoのCDが一枚入っていたのだそうである。もっとも雇用契約で脅したほど厳格ではないから、悪意を持って商品を持ち出しでもしない限り、そう簡単に退社をさせられたりはしない。石墨もお小言くらいで済んだそうである。だが、たとえば、職場でのどろどろした人間関係に巻き込まれて、正社員に嫌われたあげく、そのような些細なことを理由に、辞めさせられた奴もいるそうだ。陽樹にしたところで、鞄などを持ってきたときは、入社と退社に、二度の所持品検査が必要となるはずだった。面倒の嫌いな彼は、だからほとんどを手ぶらで済ませている。それ以外にも、冬になると抜き打ちで、ジャンパーなどのポケットを検査されたり、ロッカーを一斉にチェックすることもある。犯罪を前提として雇用者に睨みを利かせるのは、人間を動物なみの下等と見なして扱うようにも思われる。だがまた一方、こうした作業場では、驚くほど倫理観に乏しい連中が集結してくるのもまた事実らしく、しょっちゅう盗難が発生して、発覚の後に解雇となるケースが後を絶たない。つまりはどっちもどっちで、「人並に扱え」「人並にマナーを守れ」と互いに文句を言い合っているだけらしい。企業が一方的に悪いわけでもない。そんな悟りを、近頃陽樹は、ようやく持ち始めていた。



 扉を一つ抜けると、急に照明が遠く、ちょっとした暗がりが控えている。そこを突き抜けると、ぱっと開けてくる。そうして、スチール棚が奥へ奥へとひたすらに並んでいる。もちろんコンクリートの床だからひんやりして、朝一番、埃っぽさもないものだから、商品の居眠るしっとり感があった。作業開始の予感が高まって、しかもまだ誰も疲れていないものだから、独特の活力に満ちている。悪くない。時給九百円の活気。彼は密かにそう命名しているくらいである。

 ところどころにテーブルの置かれた作業場があって、そこが部署ごとの集結地点になっている。朝礼を行う正社員の指示に従って、活動を開始するのが仕来りだ。付近にはカッターの置かれた作業棚もあって、隅のほうに、引き出しのついたケースが置かれている。陽樹はその一番下から軍手を取り出した。みんな自宅から持ってきたり、ロッカーに入れておくはずだが、陽樹はここにしまっておいても、咎めるものがいないんで、面倒だから自分の引き出しみたいに、軍手を仕舞い込んでいるのだった。

 軍手を取ったら、ちょっとまだ時間がある。

 納出シャッター付近の、棚のない吹き抜けのだだっ広いあたりをとぼとぼすると、ずっと上の方でがやがやと響きがした。すでに作業が開始しているらしい。あのあたりは、何十万円といった商品を扱っているから、特に正社員が多いフロアーである。陽樹の就労中に、一度、そこの商品を持ち逃げしようとしたアルバイトがいた。盛期に別枠で募集する短期アルバイトだったが、結局そいつは警察に突き出されたらしい。茶髪だろうと、髪が長かろうと自由だから、つい調子に乗って、万引きも自由だろうなどと甘く見ると、とんだ前科持ちにもなりかねない。無断欠勤で退職させられるほうが、まだしもマシなくらいである。もっとも、前科が付くと、どのくらい将来の足枷(あしかせ)となるのか、雇用の際に企業側にばれたりするのか、彼はまるで知らないのだった。

 上を見あげていると、横からフォークリストが近づいてきた。もっともこの工場では、フォークリストではなくプラッターと呼ぶ。操縦の免許は簡単に取れるが、運転免許を持っていないと公道は走れない。もちろん工場の中なら、運転免許は必要ないから、陽樹も操縦免許を取ってみるのも面白いかなんて、近頃思い始めているくらいである。そのくせ彼は、いまだ運転免許すら取らないのだから不思議な男である。

「おはよう」

なんて、五十近くの川谷さんがぶっきらぼうに声を掛けてくる。

「おはようございます」

と答えるうちに、プラッターは奥へと行ってしまった。納品をパレットごと運んで来たところである。これが段ボール箱ごとに解体されて、商品棚に並べられてストックされる。すると、ストックされた商品棚から伝票ごとに商品を抜き出して、必要なパッケージに仕上げる作業が待っている。それがピッキングである。決して家の鍵をこじ開ける技術のことではない。ピックする、つまり拾い上げるといった意味から、商品の抜き取り作業をそう呼んでいるまでのことだ。もっともおなじピッキングでも、仕事の内容は工場によってさまざまである。ベルトコンベアーのような流れ作業の形態もある。小物を詰めたり、お客様のネットで求めたDVDを準備する女性向きのものも多いが、酒やペットボトルなどの小売店への卸ともなれば、ずたぼろの肉体作業に近くなる。

 不意に空襲警報みたいな、時代錯誤のサイレンが鳴って、作業の開始が告げられる。陽樹たちの噂するところ、このサイレンはわざと選別されたに違いない。必ず三分前に鳴り響く。危機感を煽って、作業に専念させようという魂胆が見え見えだ。さっそく身構えて、部署のリーダーに確認を取ると、今日の作業に着手となるのだった。

 工場はおばっちゃーん比率が高いから、陽樹は男手が欲しいときはあちこちに回される。今日も納品の荷下ろしの手伝いに借り出されて、さっそく二階へと向かうことにした。陽樹は力仕事は嫌いではない。あちこち移動するのは楽しいくらいである。もっとも今では、正社員の代わりに部署のリーダー役を務めることもあるが、責任が付随するので、かえって気が重くなる。今日は気楽な作業なので、喜んで鉄の階段をのぼっていった。カンカンといい響きがする。何となく心地よい。工場が心地よくなっては大変だと思うが、どうしても慣れてくると愉快な響きである。さっそく、二階のパレット置き場へ到着した。

 工場は棚のいたるところでピッキングが始まっている。

 莫大な広さを誇る工場だから、もちろん部門ごとに別れている。渡された伝票を受け取ると、棚のナンバーを確認して、置かれている商品と個数を確認しながら、選び取っていく。揃うと次の部署へ引き渡す。これを続けるうちに、一つのパッケージが完成する。つまりネットで誰かが注文を行うと、このような人海戦術を経て、商品が準備され、梱包(こんぽう)されて配送されたり、受け取り先へ回されたりする仕組みである。間違うと大変なことになるので、二重、三重の確認がなされるのはもちろんだ。昔のカタログ販売とは違って、ジャンコードのスキャナーを使用するから、商品の管理や把握は楽になったそうである。しかし、肝心の抜き取りだけは、どうにも哀しいくらいの人海戦術だ。まるで、どこぞの将軍様の王国の、人手に運河を切り開くような有様である。それで『ネットのかなたは人海戦術』という訳であるが、これは陽樹の格言ではなくて、もともとは、フォークリフトの川谷さんの冗談であった。



「俺、笹山配達に勤めていたことがあんだけど」

 顔馴染みの新田というフリーターが、暇つぶしに話しを始めた。大学を卒業してもっか就職活動中である。陽樹よりはずっと若いが、どちらも年齢のことなんか気にしない。

「うん」

代表して陽樹が尋ねておく。

他の二人は黙々と作業を続けている。

「あそこは、酷いぜ。時給がここと同じくらいなのに、鉱山労働者並に扱いやがんの」

鉱山労働者の苦労も知らないくせに、述べ立てるから、

「だって、同じようなことをするんだろ」

と尋ね返すと、

「まず入庫の作業に回されると、肉体的に臨界点を突破だ。その上、囚人みたいに年中監視していやがる」

「なんだ、入庫の作業って今といっしょじゃないか」

「いや、ここはおおらかな職場だって。全然楽」

「おいおい。ここで、全然楽なのか」

不意に向こうから答えた奴は、高卒の汚顔である。中途半端な髭と、不潔そうな髪で、わざとだらしなくするのが、お気に入りのファッションらしい。年は新田と同じくらいである。それはいいのだが、もっと働けと注意したくなるくらい働かない男だった。もっとも他の部署の人間だから、不快感までは湧いてこない。おおよそ人間は、一度区分けが成立すると、枠の内側でのみ物事を判断したり、組み立てたりするようになってしまうものである。

 工場へ入りたての頃、始めのひと月くらいは、研修期間として、最低限度のノルマが課せられることになっている。これは、人として良心的に作業すれば達成されるくらいの最低限度のノルマだが、死んでも働きたくない連中というものは確かに存在するらしく、あまりノルマを下回ると、だらけきった研修期間の後に、雇用不可の引導を渡される仕組みになっていたが、その仕組みに引っ掛かる奴がやはりいる。この高卒の汚顔は、よくそのノルマを乗り越えられたものだと、感心するくらい怠け癖がしみ込んでいた。それでいて不平たらたらである。おおかた、主観に照らし合わせたら、汗水流して働いているつもりなのだろう。皆が三箱片づける間に、ようやく一箱片づけるのだった。

 つまりだ。

 どう言い訳をしたって、始まらない。

 やっぱり簡単な作業を大量に募集するような工場には、社会のマナーの底辺レベルの連中が、大量に集まって来るのは事実らしい。それが独自の世界観を生みなしているようなところがあって、慣れてしまえば気楽さとたわむれて、居心地だって悪くはないものの、責任感だの道徳といった事柄に関しては、総体としてみれば、やはり社会の最下層に位置するように、陽樹には思われることもあるのだった。

 ノルマの落ちこぼれにしたって、毎日来るだけまだマシなもので、ある日突然、連絡もなく辞めてしまったり、雇用を結んでおいて一度も出勤してこなかったり、毎日遅刻を極めたりするような非社会人的な労働者が、シーズンごとに後を絶たない。こんな奴らも多い以上、雇う側もどなり口調になったり、苛烈(かれつ)を極めることさえあるのも、仕方ないことのように思われる。だからこそ毎週人材を募集しては、人海派遣会社から回してくるような、無駄な面接も後を絶たない。

 しかし、中心となるピッキングは、主婦層がメインであり、中年が多数を占めるから、ここは別の意味でも、壮絶な世界である。つまりは、おしゃべりと噂の渦巻く独自の空間が組織せられ、陽樹たちには関係ないものの、不可解な派閥まで主婦同士で生まれてくるといった事実は、ちょっと観察日記を付けたら面白いくらいの現象である。その上、その派閥争いに巻き込まれて、ノイローゼになって辞めていく奴がいる。シリアスものの小説のおかずになりそうな、陰湿ないじめだって存在する。総体にどろどろとぐろを巻いている。当事者にしたら笑えたものじゃないが、おなじ時給九百円の世界で小っちゃなどろどろを演じていると思えば、眺めている方としてはちょっと滑稽だ。その他には、外人も結構雇われている。陽樹の所にも、半島から渡って来たのが一人いるが、外人は概して外人同士でまとまりがちである。それでいて、ロッカーの盗難があったりすると、彼らが真っ先に陰口で疑われたりする。昔、関東大震災の時に、半島の出稼ぎが襲撃されたのも、こんな島国根性じゃもっとものことかと思う。思う一方で、陽樹もまた、貧困の度合いが激しい奴らの方が、犯人に近いような偏見も持っているから遣り切れない。これもやはり、九百円の時給内部の矛盾には違いないのだ。

 ピッキング作業が主婦層と、ついで退職世代の老爺(ろうや)予備軍に優先的に回されるから、陽樹たち若手の男性は、一斉に借り出されて共同作業をすることが多くなる。それで必然、彼らはつるんで食事をしたり、休み時間の暇を潰すことが多いんだが、一方で、職場に対する情熱やポリシーが薄いから、おしゃべりをする烏合の衆くらいのものであった。部活みたいなノリにはなりっこなかった。陽樹はファミレスでアルバイトをしていた頃、そのノリがクラブ活動じみた結束を見せたときのことを思い出して、職場によって、空気だけでなく社会的責任感や連帯感が変わってしまうことを初めて知ったくらいである。

 前にも記した通り、工場の派遣労働者は、不思議なくらい三十代四十代の男性が中抜けになっている。正社員はその年代の男性がバランスを保っているとはいえ、いかにここに働く非正規雇用の男性が、別の職を得るまでの繋ぎとして作業に従事しているか、よく分かるくらいのものであった。陽樹にしたって、いくらなんでも、生涯をここで果てる気は毛頭ない。もし正社員になれたって、自分にはあまり嬉しい職場とも思えないくらいである。それはようするに、仕事の内容を一度覚えると、単純にそれを繰り返すばかりになって、充実感に乏しいのが原因であるが、逆に流れ作業に従事したいような性格なら、ぴったりの職場かもしれなかった。陽樹の場合は、責任の伴わないのは嬉しいが、もう少しは達成感のある仕事がしたいと考えているようだ。相変わらず勝手な奴である。それでも三年居るのだから、正社員になったって無難に暮らしていけそうにも、はた目には思われるのであるが……



「俺さあ、書籍の流通センターでも働いたことあるんだぜ」

新田がまた語り出した。こいつは口が動いてないと、腕が動かないらしい。暇つぶしにちょうどいいから、相づちを打って聞いてみると、なんでも、書籍を閉ざしたときの背表紙以外の部分、つまりページが開けるようになっている三つの面を、小口と呼ぶんだそうだが、そこが研磨機で研磨されている本が、文庫に限らず本屋に売られているという話しだった。

「そういえば、えらくカバーより小っちゃくなった文庫本見たことあるな」

陽樹がちょっと疑わしいような答えをすると、

「それが研磨のなれの果てだぜ」

と平然と済ましている。汚顔は、口だけは回るものだから、

「何だと、新品を売ってるんじゃないのかよ」

「甘いな。書籍ってのは返品制度があるのさ」

と説明し始めた。なるほど、こんなにがやがやしゃべっても咎められないなら、いい職場には違いない。もちろん新田は口と同時に腕が動いているから、作業工程のスピードには申し分なかった。

 何でも彼の話によると、本屋が自分で買い取りした書籍以外、ほとんどの本は、一定期間置かれて売れ残ったものは返品されるという奇妙な制度が、日本の出版界を駄目にしている元凶だという説明だった。もっともどう元凶なのかは、彼自身よく分かっていないらしく、とにかく返品を恐れるあまり、著名人による大衆受けするノーリスクの安逸な作品が、同種的傾向を極めつけるとか、その結果、文化的退廃がどうのこうのとか、にもかかわらず返品のスパイラルが奈落の底へとか、いい加減なところで、又聞きを聞かされるものだから、さっぱり意味が繋がってこない。ただ一つ分かったことはといえば、新田もその元凶を把握していないということくらいだった。

「とにかくさ、あまった書籍は、定期的に本屋から出版社へと帰されるんだ」

 どうやらその事だけは間違いなさそうである。その際、各本屋から集められた書籍を出版社ごとに分類して、送り返す役割を、彼の勤めていた流通センターは担っているという話だった。

「それで、返された本はどうなると思う」

「それは、破棄だろ普通」

と陽樹が答えると、

「残念でした。これをな、まわりを削って汚れの無い新品に仕立ててだな、さらにカバーだけ新しいものに付け替えて、完全な新品として新たに送り出すのさ」

「ちょっと待ってよ、長期に売れ残って、散々立ち読みされて、送り返された本が新品なのかよ」

「おいおい、そりゃ詐欺じゃねえのか」

汚顔も会話に加わってきた。

「詐欺ってのはな。法律に触れなけりゃ成立しないのさ」

「そりゃひでえ」

「それもさ、途中に経由する流通センターが半端なく埃にまみれたところだったりするわけだ。おまけに、変な汚らしいおやじなんかが、べたべた触ったり、休憩時間によだれを垂れ流して読んだりしていたような書籍が、新品として本屋に並べられるわけさ」

「そうだ、思い出した。俺、本を買ったらカラーマーカーで丁寧に線が引いてあるのを見つけたことがある」

関口陽樹はその本を、不思議な思いでしばらくみんなに見せていたことがあったのだ。ようやく理由が判明した。

「流通センターのアルバイトの悪戯かもな」

「おいおい、ちゃんと管理してないのかよ」

念のために聞き返してみる。

「ピンキリだ。俺の勤めていたところは、休憩時間にはその辺の本、読みたい放題だったぜ。中年のおやじなんかが、エロ漫画をじっくり眺めてんの。もう最悪」

「なんか、本買いたくなくなってきた」

「そんな有様じゃ、条件次第じゃ、リサイクルショップの本だって、全然変わらねえじゃんか」

「消費者を欺く下劣の行為だ」

と新田が締めくくるから、今度は汚れが、

「思い出した。おれ本屋で、図書館の本見つけたことあったぜ。後ろにカード入れがあったもんでチョーびっくりだぜ」

「流通センターにも、一定数量、図書館の本が紛れ込んできやがる。理由は不明だが、図書館の印鑑が付いてやがるのさ。運悪くそのまま送り返されて、周囲を研磨されて、確認もされずに新しいカバー付けられて、本屋に並んじまったんじゃないかな」

「おいおい、そんな事まであるのかよ」

「あるある」

なんて大いに盛り上がってしまった。

 そんなこんなで、午前中はあっという間に過ぎてしまう。なんだか遊んでいるみたいだが、汚顔以外は相当の運動量をこなしている。腹も減りだして、ようやく十二時が近づいたら、またあの空襲警報が鳴り響いた。

「このサイレンはなんとかならないのか」

なんてぶつくさ言いながら、みんなで一緒に食堂へと向かう。四人目の男は、無口な四十代のおやじだから、三人の会話にはあまり参加してこない。食堂へ向かう途中でどこかへ消えてしまった。



 食堂で離散すると、人だかりでごったがえしている。

 ここは、業者の弁当でも、持ち込みでも利用可能だ。倉庫は食品は扱っていないから、コンビニで買ってきても問題は起きない。ただし、注物センターに配達を任されている弁当屋は、それほど不味くはないので、三百八十六円という不可解な端数を気にしないなら、弁当を頼むのが楽でよい。インスタントの味噌汁も付いているから、栄養は、陽樹がひとりで作るよりは、はるかにマシである。まだしもバランスが保たれている。野菜が少ないのが難点だが、彼はそんなことは気にしないらしかった。

 若者の多い座席区画に腰を下ろす。

 何の席次もないのに、勝手に外人区域、おばさんの派閥、若者区域などが形成されているのが面白い。工場の外へ出かける奴もいたが、近くに旨い食堂があるわけでもなかった。汚顔はどこかへ消えてしまったが、新田は近くに座っている。それだけでなく、

「それで、またナチの馬鹿がさあ」

なんて軽薄な茶髪を束ねた中村という女が、箸を振り回しているのがすぐ斜め前である。彼女は高卒で、二十歳(はたち)を過ぎている。言葉遣いで何度も面接を落ちているそうだが、これじゃあしかたがない。

「馬鹿にすんない」

が口癖だが、いつも彼氏のナチの話ばかりしている。そのナチは誰も知らないナチだから、なんだか変な気分になる。いつしか、誰も知らないナチが、架空のナチとして、職場のみんなに認知されるくらい、彼女はよくその話をするのだった。

 もっとも陽樹は食事に熱中している。

 彼は受動的な会話しかしないから、記していてもちっとも主人公らしくない。夏目漱石の三四郎のようなトリックもないから、まるきりただの凡人である。溶かした味噌汁を飲むのが昼の楽しみであるらしい。素直に嬉しそうな表情をする。向こうの方では、中年のおばちゃんの屯(たむろ)する区域から喧噪が高まってきた。「まるでおしゃべりの格が違う」というのが、若者の主流を占める意見である。もっともナチの中村は、そっちにも参加するくらい、声の大きさには定評があった。そうして半分は向こう側に座っている。それで年が若いんで大いに可愛がられている。その代わり仕事は早い。早いうえに的確である。近頃はおばちゃんたちに指示を出すくらいの仕切りを見せている。それはいいのだが、新人がとろとろやっていると、「おら。もっと早く出来ねえのか」なんて突っ込みをし過ぎて辞めさせかねないような性格だった。

 朝に挨拶をした自動車通学の石墨も、もちろんこちら側に座っている。実は陽樹の対面に座っているのだが、記すことが見つからないくらい、彼はいつも静かに生きているのだった。実は結婚しているそうで、何故こんなところに長居しているのかちょっと不思議である。それにはいろいろ事情があるのだろう。顔見知り中もっとも謎の多い人物だったが、そんなことは互いに話さないから、陽樹の知る由もなかった。きっと、ここに小説家がいたら、陽樹ではなく石墨をこそ主人公に定めるに違いない。人々の歓心を得るには陽樹では不十分すぎるから……

 少し離れの席では、朝のスキャンで文句を言っていた若者二人が、F1にシューマッハが帰ってきた話しで盛り上がっている。ハミルトンとオバマの区別が付かないなんて、滅茶苦茶なことを言っているらしい。一方、正社員は事務所で食べるから、ここには居ないのだった。

「やべ。たらこ」

と陽樹が思わず口にしたら、

「たらこがどうした」

とナチの中村が覗き込んできた。陽樹はちょっとたらこが苦手である。

「こいつとは相性が悪くて」

なんてきれいにどけてしまった。

静かなる石墨はただにやにや笑っている。

ナチの中村は「ちゃんと食え」と箸を振り回している。

「いいんだよ」

そういってポット入れのお茶を飲むと、午前の作業の疲れが、ふっと遠のく気分だ。ああこりゃこりゃ。ちょっとご老体気分。陽樹は平和な人物である。

 今日は休みだが、宮田夏子が来ているときは、彼女を見ていると、もう少し疲れが余分に取れる。夏子はまだハタチ前後だから、ちょっと狙っている奴もいるくらいだ。汚顔が「胸揉みてえ」なんて卑猥な冗談を言うと、新田が「何だと。あいつは俺がゲットするんだ」なんて本気で怒るのが面白い。そのくせ、二人とも当人の前では澄ましている。第一彼女は、中村と違って、ずいぶん静かである。目の前と石墨と一緒で、ちょっと冗談が言いにくいタイプだ。残念なのは眉毛の書き方が、ちょっとうまくいっていないが、そんなことは陽樹にしたって気にならない。

 もちろん彼は、自分から告白したいとは思わなかった。女と付き合う気があるんだかないんだか、彼自身よく分かっていない。学生の頃は冗談みたいに付き合ったこともあるが、卒業してからは独り身である。それを苦にもしていない。だいたい、中村のナチへの悪口を聞いていると、危なっかしくって、女なんか居ない方がマシな気さえしてくるくらいだ。せっかく憧れの女性も出てきたんで、ちょっとした恋愛小説でも始まるのかと思ったら、それは買いかぶり過ぎである。この物語は、つまらない日常を怠惰のままに押し流す、ぶっきらぼうな写実主義を標榜する。石墨の過去も、警察に突き出されたアルバイトも、主婦の派閥の壮絶なバトルも、そのいじめの実体も、彼氏持ちの中村の生活も詮索しない。ただ中村が、わざとたらこのくちびるを物真似して、陽樹がそれを見て笑っているうちに、あっという間に昼食の時間なんか過ぎてしまう。そんなくだらない日常を描写するばかりである。



「いいか、このJANコードってのはな」

 新沢(にいざわ)という三十代後半の正社員が、暇つぶしに説明を始めた。午前で荷物おろしが済んだんで、陽樹が午後の仕事を尋ねに行ったときに、新人に無駄な知識を与える現場に出くわしたのだ。新沢の説明するところ、JANコードには九桁の短いものもあって、それは国内にしか通用しないが、通常の十三桁のコードは国際的に通用するんだそうである。

「始めの二桁が国の識別になっているんだ」

「この、49がそうですか」

新人はまだ大学生である。白くて弱そうだから、採用されたのが不思議なくらいのもやしであった。

「そうだ。しかし最近では番号が足りなくて、45も取得したから、49か45のどちらかが日本を表すわけだ」

「日本は49ですか」

「そう。それで次の五桁がメーカーコード。それであらゆるメーカーが識別される。例えば花王だったら01301とかいった具合だ」

「ちょうど、離れている前半のところまでですね」

「そうだ。その後は、メーカーごとに商品アイテムコードを五桁に設定する」

「えっと。それじゃあ、十二桁じゃありません?」

「最後の番号は、チェックデジットっていうのさ」

「何です、チェックデジットですか」

「つまりだな。JANをバーコードで読み込んだりするときに、間違いがあっちゃいけねえだろ」

「そりゃそうです。別の商品になってしまったら……」

「だから、全体の数列をある方法で計算した数と、この最後の数字を照会したときに、その値が違っていると、間違って読み込んだことが分かるようになっているのさ。それがチェックデジットだ」

「そんな仕組みがあるんですか」

なんて感心しているが、はたして翌日まで覚えているんだか、相当に怪しいくらいである。白いひょろ吉が仕事をしに向こうへ行ったんで、陽樹はようやく、

「午後は何をしたらよいでしょう」

と尋ねることが出来た。新沢は腕を組んでいる。

「そうだな」

としばらく考えていたが、

「ちっと、買い物でも行くか」

と訳の分からんことを言うので、思わずぽかんとなってしまった。新沢はその顔を見て笑い出した。

「事務所で必要なものを調達してくるんだ。一緒に付き合え」

という話である。陽樹はもちろん、大喜びで賛同した。

 毎日おなじ仕事だから、変わったことに参加できるのは大歓迎だ。それならいっそ新しい仕事を探せばいいんだが、だらだらと三年も居座っているのは、それなりに仕事が気に入っているからなのだろう。彼はさっそく車に乗りこんだ。

 もちろん会社の車だから、味気ない上に注物マークが入っているが、陽樹の気にするところではない。新沢も話し好きだから、適当に相づちを打っておけば、いろいろなことを話してくるので、暇つぶしにはうってつけだ。どうやら関口陽樹は、ひどく受動にたけた人物らしい。試しに、

「この間の、ロッカー検査どうだったんです」

なんて尋ねると、さっそく話が広がってきた。

「それがまた出たのさ。久しぶりだったんで三人。辞めさせられんの知ってて、わざわざロッカーに入れる馬鹿が、どうして後を絶たんのかなあ」

なんて手柄話をし始めたからである。

「高いもんでもありましたか」

「それが、日給にもならない額だから、馬鹿げている。ああやって、持って帰るのを楽しんでいるのかねえ。そんな奴がいるから、ますます管理が厳しくなっちまう。すると人権侵害みたいな嫌みまで言うパートの婆さんがいたり、ああ、もうヤンなる、ヤンなる」

「警察には言うんですか」

「まさか。そんな面倒は、数万の商品でもなけりゃしねえって。その代わり、保護者やら、家族やらに連絡して、その上で首にすれば、かなりのダメージを与えられるから、まあそれでいいのさ。それに」

「それに?」

「昔から、万引きだけは、この世から無くなった試しはねえ。たぶん人類滅亡の日まで、万引きはゴキブリみたいに生き残るのさ。だからしょっ引くのも、悪質なものだけで、あとは職場から追い出しちまえば十分」

「そんなものですか」

「それよりやっかいなのが、人間同士のごたごたでさ」

なんて方向を変えて愚痴り始めるので、改めて尋ねてみると、とある部署で、派遣社員に怒鳴り散らした正社員がいたおかげで、派遣が辞めた後で、訴えるとか何とか、ややこしいことになって、大変だったそうである。もっともこの新沢も、とろとろした派遣労働者に、激痛の走るようなことを、嫌な奴には平気で怒鳴りつけるんだが、どうもその辺りの自覚は足りないらしい。もちろん陽樹には関わりのないことだから話さない。第一、陽樹の見るところ、どなられる奴は、どなられるだけの資格を有しているようにも思えるのだった。新沢だって仕事以外のことを、ぼろくそに悪口をいう訳じゃない。やはり彼なりの仕事への熱意から怒鳴っているんだが、相手には恨み以外、何も残らないであろうと思われる場面に、出くわすこともあったからである。

「そういう場合はどうするんです」

と聞いてみると、

「なに。どうせ年中暇な課長なり穏便な本社の連中が、包みものを持って謝りに行けば、訴えるなんてことには、まずならないのさ」

「ニュースみたいにはならないんですか」

「ああいうのは、特殊な事例だけを掻き集めているに過ぎないんだぜ。世の中は、もっとまったりしてるのさ」

なんて笑い出した。自分の発言が面白かったからだろう。あるいは、そのまったりしたところをすべて置き去りにして、特殊な側面だけを殊勝らしく記すことが小説の役割だとしたら、随分悪徳に染まった虚構の捏造には違いない。陽樹ははぜだかそんなことが、不意に頭に浮かんできた。不思議な霊感にでも取り憑かれたのだろうか。それとも夕べ偶然見たドキュメンタリーのせいだろうか、なんだか重気(おもけ)がして慌てて頭を振ったら、

「おいおい、どうしたんだ」

と新沢に大いに笑われてしまった。

 それから、ホームセンターやら何やらを回りながら、缶ジュースまでおごって貰って、代わりに商品をワゴン車に詰め込んだりしているうちに、工場へ戻った時分には、十五時の休憩時間が迫っていた。荷下ろしをしているうちに、また例のサイレンが鳴り渡る。

「このサイレンだけは止めてくんないかな」

と苦笑した新沢が、

「もういいぜ。サンキュー。休憩が済んだら、ピッキング作業で最後までだ」

というので、陽樹は頷いて事務所の方へと向かったのであった。



 彼は、十五分の休憩を利用して、手際よく給料を貰うことにした。仕事の後だと、バスの兼ね合いなどで、どうしてもどたばたしてしまう。第一、最後に貰う奴が多いから、この休憩時間は意外と穴場なのだった。

 食堂とは別の棟にある、倉庫外れの事務所へ入ると、十名くらいがすでに並んで給料を貰っていた。もっとも手続きは簡単だから、すらすらと流れていく。すぐに彼の番になった。

「関口さん」

事務の若い女性が、機械的に袋を選び出した。すると、陽樹はそれを受け取って、代わりに一覧のリストに捺印を押す。他にも受け取り書のところに捺印を押す。それで済んでしまう。正式の給料明細は月に一度渡されるが、それは毎月十日と定められているのだった。戻りがけにちょっと開いて見ると、火曜日締めの先週分の給料が、端数を無視して、千円を単位に入っている。

「三万四千円か」

なんて言いながら、それを財布の方へ移して、袋を四つ折りにポケットに差し込んだ。はなはだ適当である。これを帰りに銀行へ預け入れるが、それは駅前で済ませることにしていた。

「おう関口。働いてるな」

なんて、ちょっと偉い部長の何とかさんが、声を掛けてきた。

「ありがとうございます」

お辞儀をしてやり過ごしたが、実は相手の名前は覚えていない。はてな、どうして向こうは自分を知っているのだろう、なんて考えていたら、ナチの中村が後ろから、

「おい、幾らだった」

と男みたいな口調で聞いてきた。

 今度はどっちが多いなんて自慢しあっていると、またサイレンが鳴り響いた。上を見あげた中村が、

「うっせえ野郎だな、こいつは。それじゃあ、またな」

と言い残して、颯爽として立ち去った。まだ疲れも見せずキビキビしている。小柄だけれども顔立ちだって実はそれほど悪くはない。裏のない笑い方が好印象である。思えば、あいつと一番よくしゃべっているような気がするんで、陽樹はまたちょっと変な気分がした。慌てて頭をひと振り。小説めいた感情なんか剣呑(けんのん)だ。とにかく、残りは十七時までピッキングである。

 戻り際に食堂を素通りすると、新たな面接が行われているところだった。少し前、人海派遣会社の面接官と、工場のお偉いとが、「近頃どうも募集に対して面接者が多すぎる」なんてこぼしていたのを思い出した。川谷さんから前に聞いた話しだと、規制緩和のお祭りコンビと讃えられるアメリカ追随主義の安易な非正規雇用の拡大が、アメリカとも違う独自の発展を遂げて、収益のためには雇用者への給金をひたすらカットしまくるという負の企業倫理と結びついて、工場現場の勤め人を続々と派遣労働者に切り替えたあげく、景気の悪化でますます正規雇用を躊躇して、以前の日本社会を見るも無惨に打ち砕いたんだとか、何だとか、川谷さんの話しは難しくって途中から訳が分からなくなってしまうのだった。それを今度は正社員の新沢に尋ねると、

「馬鹿だなあ。この国では男はやっぱり圧倒的に正社員に守られた社会なんだぜ。ちっとは勉強しろ」

なんて言われたんで、後から調べようと思って、面倒になって止めてしまったことがあったのだ。確かに工場の男女比率や、派遣社員の三十代四十代の中抜けを見てみると、新沢の言葉も嘘ではないように思えてくる。

 しかし食堂で、この時間帯に行われている面接を眺めると、働き盛りの、しかも善良そうな男性も四六時中に見かけるくらいである。それが採用されないのは、雇用側と労働側の希望があまりにも違い過ぎるためだろうか。それとも、どこか履歴書に不安の要素があるのだろうか。それとも単に年齢のせいだろうか。その辺はよく分からない。陽樹のときは、ほとんど採用の決まったような面接で、翌日には登用の電話が掛かってきた。だから面接者の切羽詰まった気持ちなど知る由もない。職場仲間のうわさ話を聞いたって、それほど真摯には受け止めないのだった。

 それにしても、おなじ部署に所属する山口という四十代は、会社が倒産してから、二,三十件も面接を巡り巡って、どうにかここに入れて貰ったなんて人海派遣に大いに感謝している。陽樹にはやっぱり不思議である。はたしてここは、そんなに有り難い職場なのだろうか。山口はもう生涯ここで朽ち果てる運命なのだろうか。その前に、派遣を理由にどこかで切られやしないだろうか。彼の話では、四十も半ばを過ぎたら、到底正社員どころじゃない、パートやアルバイトだって、どこも取ってくれなくなる。この国は一歩足を踏み外したら地獄が待っている。なんて脅すから、陽樹も三十前には正社員を見つけようかなんて、その時だけは決意したくらいのものである。

 まあいいや。

 やっぱり彼には他人事の感がいなめない。

 どうせあんなに大量に面接したって、雇うのはわずかの人数だけなんだ。面接の現場まで通ってくるのはご苦労なこったが、自分には関わりのないことだ。そんな思いでうっちゃってしまった。まだ若いだけにずいぶん気楽なものである。あの石墨が正社員の面接を幾つも受けながら、なおかつことごとく蹴られながら、それでもまた面接を探し求めつつ、注物であくせくと働き続けている悲しみを、少し教えてやりたいくらいの暢気である。もっとも石墨が話さない以上、教えようがないのではあるが……

 あるいは、もしこの工場に小説家の卵がいたならば、極めて安価な関口陽樹などではなく、石墨にこそスポットをあてるべきだと考えたに違いない。そのくらい彼の経歴はひたむきな悲しみに満ちている。彼は一流大学の出身で、社会から足を踏み外した経験がある。結婚をしていたから、なおさら記述すべき起伏に富んでいた。デフォルメもなく提示しただけでも、関口よりは興味深い断片を記すことが出来るには違いない。

 関口陽樹は破天荒とか、悲劇調なんかは嫌いである。

 のほほんを犠牲にしたシリアスものなんか大嫌いである。

 彼は健全なる小春日和をこころから信任する穏健派だ。

 さっそく職場へ戻ると、今日は残業すらないそうである。忙しいときは、日曜も深夜もフル稼働だが、残業のない日は、実にあっけらかんとして、十七時三十分には送迎バスが出る。陽樹はようやく残りの時間を、ピッキングの作業に費やした。今日はいろいろな雑用があったので、ピッキングの伝票が懐かしいくらいに思われる。新鮮な面持ちで作業をこなしていると、あっという間に時間など過ぎてしまうのだった。

 今日はいい日だ。

 なんだか楽しかった。

 陽樹はそう思う。平和な奴である。部署に別れの挨拶をして、打刻をして、エプロンをロッカーに入れると、別に何があるでもなく、三十分のバスに乗って、陽樹は駅へと向かうばかりとなった。

 日が延びゆく五月の終わりだから、夕暮れなんかはまだ気配も感じられない。空は相変わらずちょっと曇っている。忙しない工場街の車道を揺られていくうちに、ほどなく駅へと辿り着いた。今度は前列に座っていたから、

「ありがとうございます」

なんて一番に別れを告げて降り立つと、さっそく週給をATMへ振り込んで、彼は改札へと吸いこまれた。そうして真っ直ぐマンションへと帰っていくのだった。



 こうして記し終えただけでも、実につまらない一日だが、当人だけはまったく気にしていない。人生はそんな作業行程の毎日に費やされる、束の間の、蟻ん子の泣き笑いくらいには過ぎなくって、こんな生活こそが本当の幸福なのだ。もし仕事を変えたとしても、その本質は変わらないだろう。ようするに夢とか希望とか、壮大なことを言う奴は、よっぽどお目出度い頭を持って生まれたのに違いない。人生なんて、そんなもんじゃないんだ。もっとまったりとしたものなんだ。彼は新沢の使った「まったり」という言葉を真似してみた。なんだかいい響きである。思わずにやけてしまった。あるいはその言葉こそが、関口陽樹のポリシーのない生き方の、逆説的なポリシーなのかもしれなかった。

                    (おわり)

作成

[2010/5/14、5/30-6/2]
(原稿用紙換算58枚)

2010/06/02

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