「あれでも昔は、ずいぶん遊んでくれたんだけどなあ」
挙式の招待状を記しながら、卯那月恵美子(うなつきえみこ)は考えた。社会から脱落しかかっている兄を恥ずかしいとは思わないけれども、夫方の家族がどう思うかと考えると、ちょっとした不安ではある。
「ねえ、りょう君」
なんて同居のマンションだから気楽に呼んでみると、未来の旦那である大室旅斗(おおむろたびと)は、ようやくテーブルの方へやってきた。
「どうした」
なんて背高ノッポが覗き込む。旅斗で「りょう君」は変な気がするが、なんのことはない、「旅行」の「りょ」からいつしか「りょう君」なんて呼んでいるだけなのだ。テーブルには招待状の山が、封をしたものと、作成中のものとに別れて、面倒そうに並んでいる。新しいマンションへ引っ越す予定だから、梱包しようと思ってしきれていない荷造りの残骸が、棚の近くにひしめいている。もっともそんなことを気にするほどの整頓好きでもないから、締め切ったカーテンの色に慣れ親しんだ部屋のなかは、二人にはなんの苦もない空間だった。
「うちの兄、ドラマに出てくるくらいの世間知らずなんだけど、りょう君の親とか、大丈夫かなあ」
と心配そうに尋ねると、
「だって、世間知らずったって、もう三十過ぎだろ」
サラリーマンの年季が長いから、旅斗の常識的範囲は、世間知らずの定義が甘くなっている。まさか、子供みたいな無茶はしないだろうと高をくくっている。恵美子にしたって、まさかそこまでとは思うけれども、結婚式には旅斗の母親だけではない、伯父や伯母も出席する。会社の上司だって出席する。そうでなくても恵美子には、幼い頃の兄のおもかげを頼りに、現状の落ちぶれた兄を少しでもよく語ろうとする癖があったから、美化の幅だけ、相手に大きな落胆を与えるのは、ちょっとした不安でもあったのだ。
「うーん。そうなんだけどさあ」
と煮え切らない返事をするから、未来の旦那は、
「気にすんなって。うちだって、出席するのは母さんだけなんだし、世の中いろいろあるだろ」
なんて気楽街道を突っ走る。
「そんなら、まあいっか」
「心配ないだろ。それより、自転車の話しだけどさ」
思う間もなく、披露宴の演出へと話は移ってしまった。旅斗はマウンテンバイクを乗り回して、サーフィンを生き甲斐にする、スポーツマンタイプだから、ほとんど引きこもりを生き甲斐に生活する兄とは、正反対の性格である。知らぬ間に、反対の性格に憧れを抱いた訳でもないだろうが、兄の類似品では生活が立ち行かないという想いも、少しくらいは潜んでいるのかも知れなかった。少しはうちの息子に、血を分けてやって欲しい。それは挨拶へ訪れた時の、恵美子の両親の冗談であったが、妹としてもぜひお願いしたいくらいのものだったのである。
恵美子はもう一度、兄への招待状を確認してみた。文面を読んだからといって、それは誰にも変わらない印刷物に過ぎないのだが、なんだか落ち着かない様子で丹念に読み直してみるのだった。
皆様にはご健勝のこととお慶び申し上げます
このたび 私たちは結婚式を挙げることになりました
つきましては 親しい皆様の末永いお力添えをいただきたく
ささやかですが 小宴をもうけました
おいそがしい中と存じますが
ご出席くださいますよう ご案内申し上げます
2010年4月吉日
日時 2010年6月5日(土曜日)
挙式 午後3時
披露宴 午後4時
場所 ヒルシイエーツ空中庭園
(詳細は同封のパンフレットにて)
大室旅斗
卯那月恵美子
誠にお手数ながらご都合のほどを同封のはがきにて
5月4日までにご一報くださいますよう
お願い申し上げます
それからほどなくして、多くの返信が親戚や友人、さらに職場の連中から返ってきた。中には欠席もあった。欠席のハガキには、丁寧な断り書が記してあった。どこからか借用したとしか思えない、カンニングめいた断り書もあった。出席のものには「おめでとうございます」といった祝賀が多かったけれども、カッコ書きで「また置いてきぼり」なんて落書きのしてあるものもあった。懐かしい友人からのものは、同窓会じみた親しさが込められていた。会社の重役からは、板に付いたような美辞麗句が並べられていた。二人はそれを眺めては、またいろいろと挙式のことについて、細部を詰めているのであった。もちろん期限の五月四日なんか待つまでもなく、ほとんどの返信が郵便となって運ばれてきた。ただ兄の返信だけが、いつまで経っても来なかったのである。
「もしかしたら、兄妹だから必要ないとか考えてるかも」
と妹が心配するから、未来の花婿は、
「心配なら連絡してみたらいいじゃんか」
と答えてくれた。
「まあ、大丈夫でしょ」
この忙しいさなかに、兄なんかに構っちゃいられない。どうせふてくされたコメントが返ってくるに違いないのだ。それに恵美子にしたところで、それほど几帳面な性格という訳でもなかったから、兄の返信はそのまま放置しておくことにした。まさか妹の結婚式に、出席しないとだだを捏ねるほどの園児でもないだろう。別段、仲の悪い兄妹でもないんだから。
「そんなことより、親が誰も挨拶しなくて構わないのか」
披露宴の最後に行う、お集まりの皆様へ対する謝辞は、新郎新婦だけでなく、新郎の父親がするのが慣例らしいが、新郎の父親は欠席であるし、その上、新婦の父親は、照れくさくてコメントをするのを嫌がっているのであった。
「だって、みんな嫌だっていうんだもんしょうがないじゃん」
たちまち話題は重要度の高い方へと移り変わってしまった。
「まあ、上司の祝辞だけでも、十分格式張るからな」
「そうそう。あんまり堅いのは、ちょっとね。いっそうちの兄にコメントさせようか」
「いや、それは勘弁」
なんて旅斗は真顔で驚いているのが面白い。
「そうだ、洗濯物が残されてた」
洗濯物の取り込みがてらにベランダに出てみると、ぽつりぽつり灯しを落としつつある町並みは静かだった。桜の散り始めの時節だから、大気の香りは若草めいている。けれども今年は寒の戻りがいやに多いから、夜冷えに風邪を引きそうなくらいの気温である。曇天が分厚いので、恵美子は侘びしさを逃れて部屋へと舞い戻った。
それからしばらくして、ようやく兄からの返信が届けられた。
返信のラストを飾るべきハガキである。
その兄は、大学へ入ったときにひとり暮らしを始めてから、ずっと地元を離れている。けれどもまるで独り立ちなんかしていない。フリーターなんていい加減な生活をしながら、何度も仕事を点々として、その度に両親に助力を願い出ている。好きでフリーターを志願したんだか、正社員の面接に落ち尽くしたんだか、そういうことは誰にも話さない。ただ大学を卒業してしばらくした頃、ぽつんと帰省したときには、ちょっとした疲労の表情が見られたんで、両親は面接競争に敗れたのではないかと心配した。心配して聞いてみたけれども、明確な答えは得られなかった。もうはるか昔のことである。あの頃はまだ、兄さんにこれほどの幻滅を抱いてはいなかったような気がする。もっともその幻滅の原因が、社会にあるんだか、兄の資質にあるんだか、恵美子はそんなことは考えない。ただ成長しないのが原因じゃないかと、漠然と思うことはあったが、日頃から浮かべるほどの親近感もないものだから、こうして返信が来たときだけ、ちょっと考えてみたりするのだった。
今の兄は、仕事と引きこもりの合いの子みたいなものだから、フリーターとニートの分水嶺を行ったり来たりしている。極めて方角が定まらない。その上、たち悪(わる)のタイミングで、もっか失業中である。せめて婚礼の済むまで職に留まってくれたら。体裁を気にする両親などは、そう気を揉むくらいだった。実はそれどころでなく、失業給付が出されるまで、束の間、助力をお願いできませんかなんて、そういうときだけは丁寧語に溢れた電話が、親元に掛かってきて、オレオレ詐欺くらいの恐怖を実家にもたらしてから、まだ日も浅いくらいである。せっかくの婚礼に水まで差さなくたっていいのにと、妹としてはちょっと憎たらしい。
「なんであんなだらしなくなっちゃったんだろ。むかしは、まだしも尊敬できる性格だったのに」
いや、性格は変わっていないのかな。ただ社会への順応性が、乏しくって足を踏み外しちゃっただけなのかな。そうも思う。自分ひとりだけなら同情してあげてもいいけれど、結婚式にまで浸水してくると、ちょっとは憾んでみたくもなるのだった。
「ほら、りょう君。うちの兄、またおかしなことやってるよ」
届いた返信を眺めながら、未来の夫婦は二人揃って噴き出した。返信の仕方がまるでなっちゃいない。てんから出鱈目である。子供のいたずらと思えばたわいもないけど……きっと若くもない両親が見たら、胸を痛めるに違いない。
「ほら、出席の上の御も消してないし、御欠席の字も消してないよ」
「ほんとだ、ただ丸だけ付いてるな。『ご』の字は一切消去されずのまま、そのうえコメントも無しか。なんか新鮮な感覚。これってニューウェーブの予感?」
「なによ、ニューウェーブって」
「新しい波さ、未来志向ってやつ」
「そんなの、ぜんぜんいけてないよ」
「大丈夫大丈夫。いけてるいけてる」
なんてしょうもない冗談を言い合っているうちに、また噴き出した。結婚前だから、幸福感に拍車が掛かっている。そのまま手ごねハンバーグみたいにして、二人でたわむれているのだった。
それにしても……旅斗も少し不安になってきた。結婚式の招待状など、普通なら一週間以内には返信を付けるのがマナーなのに、まるで無視して、今ごろ届いただけでも一大蒙昧(もうまい)である。今月、四月十七日には、夜が明けると季節外れの雪が降り積もっていた。都心での積雪記録は四十一年ぶりの快挙だか、失態だか、朝のニュースを賑わしたくらいである。そんなはぐれ雪を見習ったかのような気まぐれで、ようやく届けられたこの返信には、並々ならぬ強者の息吹が込められているには違いないのだ。そう思って眺めると、返信はがきの
「卯那月恵美子宛」
というところも、様にも変えずに投函の状態を保っている。
旅斗もまた、初めて危うい気配を感じた。
とにかくただ者ではなさそうだ。サラリーマンの常識なんか通用しない男らしい。他のはがきが、おめでとうございますとか、お招きいただきましてくらいは、最低限度のコメントとして挨拶を交わしているなかにあって、この古強者は、コメント欄も空欄のままである。縦横無尽に社会の規範を踏みにじってはばからない。まだ会ったことはないから実体が掴めないが、写真で見るところ温和しそうな、首を捻ったらその場に倒れかねないくらいの色白の優男(やさおとこ)なのに、社会の規律を傍若無人に踏みつけにして、自らを省みるところがないのには恐れ入った。自分たちは構わないにしても、会社の上司やら親戚に軽蔑されるのは避けたいものである。
「なあ、本当に大丈夫なのか」
と旅斗は思わず、恵美子に聞き返してしまった。
「うちの親に、いきなりお金頂戴なんて言わないだろうな」
と心配するから、
「こら、そこまで酷くないって」
と腕のあたりをつねってみる。
「いてっ。暴力に訴える気か」
なんてもつれ合って、また手ごねハンバーグに陥ってしまった。新婚前のカップルなんて、とても記しちゃおられないものである。ようやく思い出したみたいに、
「親族紹介の時とか、兄だけ足を組んで椅子に座り込んでるかも」
なんてからかったら、旅斗がますます不安がりだしたのがおかしくて、
「義理の弟なんかいらねとか言い出すかも」
と追い込んでみたら、ちょっと待てよ、静かな性格じゃなかったのかよなんて驚いている。冗談冗談なんてはしゃいでいるような甘ったれだから、とんだのろけではある。それにしても……
「誰にも挨拶も無しで、一人でぽつねんと座っているようじゃ、みんなに変に思われるしなあ。ちょっとうちの家族と話してみよっか」
卯那月恵美子はようやく締めくくった。旅斗は実家が離れていて、式場も新婚のマンションも卯那月家の付近だったから、二人は駄目な兄の両親の実家で、しょっちゅう食事などを取っていたからである。
二人は同じ職場で知り合った。
職場は卯那月家の近くであり、旅斗はこの地に一人暮らしをしていた。
それが会社の同僚の知らぬ間に、ぐんぐん近づいて、二人して旅行などへ行ったりするうちに、恵美子がいきなり会社を辞めたいと切り出した。訳を尋ねると、大室旅斗と結婚することになりましたというので、上司は大いに驚いたそうである。それで恵美子の方はすでに会社を半ば退社して、アルバイトみたいに週に二日三日、時給で働いていた。だから実家へ立ち寄るには、時間的なゆとりがあったが、旅斗の方は毎日職場へ通っていたので、ようやく揃って卯那月家まで出向いたのは、兄の返信からまた十日くらい経ってからのことだった。式まであと一ヶ月ちょっと。誰もが何となく落ち着かない時分である。
大型連休に挟まれた日曜の夕暮れだから、信号の二つ三つがいやに遠く感じられる。それでいつもなら十五分くらいの実家まで、三十分も掛けてようやく到着した。ハンドルは旅斗が握ってくれるから、恵美子は鼻歌がてらに、例のハガキを眺めている。やっぱり風変わりなハガキである。それが返って兄らしいと言えば、兄らしいのだが……
もっともこのハガキはついでである。
挙式には両親にも多少は活躍して貰うつもりだから、着付けだの、親族紹介だの、済ませておくべき伝達事項が残されていた。それを済ませがてらに、兄の相談も添えて持ち込むつもりである。兄は引きこもりの強者だから、放っておいても差し支えは無いのだが、もはや座敷わらしとして認められる年齢でも無いのだから、あまりヌボーっと座っていられても、ちょっと間が悪いのと、粗相(そそう)のないように振る舞って欲しいというのがせめてもの希望であった。
暗くなりかけの駐車場には二台止まっているから、家のサイドに道路にはみ出るくらいにして駐車した。住宅地へと導くための小道だから、別段邪魔にはならない。小道の反対側には、まだ住宅の建てられていない一件分のスペースが空いていて、すぐ奥に住む定年退職の男性が、畑なんか作って楽しんでいる。そこにはLEDライトで戯れた太陽光発電の電灯が並べられているから、夕方の間は銀色の灯光(とうこう)が淋しげに揺らめいた。それを眺めながらベルを鳴らすと、さっそく扉が開かれたのである。
もちろん恵美子は実家だからずかずか上がってしまう。旦那の後ろに控えているほど古風な女じゃない。ただ旅斗は丁寧に、
「おじゃまします」
なんて、出迎えの母親と挨拶を交わしている。なかなか難儀なことであるが、気さくな社交家だからそんなことは苦にしない。実は初めから社交的だった訳ではなく、さまざまな紆余曲折があったらしい。あるいは自分の兄も、彼みたいな変遷に溺れている最中なのだろうか。恵美子はちょっと馬鹿なことを考えてしまった。事前に連絡を入れておいたから、夕飯の仕度が始まっているようだ。Induction Heating (遊動加熱)のキッチンまで、見栄を張っていつもよりきれいにしてあるのが、ちょっとした滑稽ではある。
「どうぞどうぞ」
なんて母親が居間に案内すると、テレビを消した父親が、
「やあ、久しぶり」
なんて挨拶を交わし始めた。それから五百容量の缶ビールを開けて、さっそく旅斗のグラスに注いでやっている。
「これはすいません」
なんてお返しをしながら、夕飯までの繋ぎに出された煮物やら漬け物を突っつき出した。もっとも恵美子は飲んべえだから、自分でロング缶を注ぎ入れて、ぐびっと一杯飲みほしてしまう。自宅だけに気兼ねの欠けらもない。旅斗と父親が釣りやら刺身やらを語り合っているうちに、ほどなく夕げの主菜が運ばれてきた。もちろん、困ったときの天ぷらである。
「実は兄の返信がさあ」
食事をしながら、必要な話をひととおり済ませた二人は、食後の果物とお茶の合間を見つけて、ようやく切り出した。恵美子がわざわざ持ち込んだハガキを提出すると、もちろんいつものマナー知らずだから、両親だってわざわざ驚いて見せたりはしないのだった。
「まったく、うちの馬鹿が申し訳ない」
恵美子の父親はひょうきんな調子で、わざと旅斗に頭を下げてみせる。もちろん軽く受け流せるほどの関係ではないものだから、旅斗は恐縮して、「いえ、そんなことはありません」なんて真顔で答えているのが面白い。それで恵美子はにやにやしているが、近頃、無心の送金を済ませた母親は、ちょっとヒヤリとした。本当にあの子は大丈夫なのかしら。母らしい不安が沸き起こってくる。未来の娘婿の前でそんな表情も出来ないから、
「いつまでたっても子供のままで」
なんて取り繕っておいた。よく考えてみれば、挙式の御祝儀だって送金から捻出されるのだから馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しい分だけ、目の前の旅斗の姿が、立派な紳士に思われてくる。どうしても自分の息子と比べてしまうらしかった。母親の子供への想いというものは、概して愚直なものだから、それでもなおいつかきっと、息子も立派になって戻ってくるのではないかと、どうしても、そんな夢を捨てきれない。それを叶えてやれない息子は、今ごろどこで何をしているのだろう。何だかますます心配が湧いてくるものだから、
「さすがに無職で紹介されちゃあ、かわいそうかもしれないわね」
なんて呟(つぶや)いた。すると、
「第一、体裁もあるからな」
と父親は、社会上の心配が勝っているらしい。
結局兄は、前の職場で働いていることにしておこうという話になった。それから、式場のマナーを踏みにじって、せっかくの挙式に水を差したりしないように。そして、一人でぽつねんといじけないで済むように、披露宴の際はカメラ持ちにでもさせておいた方が、当人のためにもなるだろう。まるで幼児の面倒を見るくらいの親切で、兄の役割がまとめられたのである。
「あれでも、学生の頃は、将来有望に見えたんだけどな」
父親は思わず、未来の娘婿への愚痴さえ湧いて出た。そうでなくても忘れた頃に帰ってくる息子は、何を話しても受け答えが少なくって、ぶっきらぼうで、話していて楽しいところがない。この婿は外向的でしっかりしているから、話していても大いに気が乗ってくる。遠くの息子より近くの娘婿。そんな新しい格言を提唱したい気分にさえなってきた。
「僕も今の会社に入るまではいろいろあったのです。きっとお兄さんも……」
なんて兄の同情までしてくれる。立派な花婿である。いたれりつくせり……そうして妹は先に結婚を済ませてしまうのだし、遠い窓の下でひもじい生活をする兄が眺めたら、置いてきぼりをくったような気分で、大いにいじけるかもしれない。しょんぼりして、マンションに引きこもりを強めるかなあ。妹である恵美子は、兄の顔を不意に懐かしく思い出した。近頃ちっとも帰ってこないから、もう一年以上会っていないことになる。けれども彼の性質はよく知り尽くしている。それにしても会社の同僚や友人には、ちょっと立派な兄のように話しているものだから、なんだかばつが悪い。こんな間の悪いときに職場を離れなくたっていいのに。ついそんなことも考えてしまう。母さんからの又聞きでは、職場の空気に馴染めなかったなんて、子供みたいな理由らしい。もっとも、いざこざがあったなんて話したりはしないだろうから、真相は分からないけれども……
「今ごろくしゃみでもしてるんじゃないの」
と母親が、ふきんをテーブルに置きながらささやいたので、父が、
「それにしても、あいつは一度も結婚式に出たこともないのか。こんな返信をするなんて」
と終わりかけた息子の話をぶり返してしまった。父親だけに、
「友だちなんかひとりもいないんじゃないのか」
とずいぶん酷いことを平気で宣言して、お茶の残りを飲みほした。すると母の方は、
「いくらなんでも、一人くらいはいるでしょう」
と屈託を振り払うように冗談で答えて見せたから、ようやくみんなで笑い出したのであった。結婚前だから、家族全体がどことなくはしゃぎ加減である。
挙式の前日、兄は帰ってきた。
未来の花嫁と花婿がちょっと実家に顔見せに戻ってきたとき、兄は、
「わあ、こんなに背が高いのかよ」
「大丈夫だって、このカメラに写しとけばいいんだろ」
なんて唐変木(とうへんぼく)を極め尽くして、おめでとうのひと言すら出てこなかった。それで当日は、受付に御祝儀を持ち込んだと思ったら、兄とも言わず、「おめでとうございます」なんてすっとぼけて、芳名帳(ゲストブック)に名前すら記入しないまま立ち去ってしまうは、親族紹介をされたときもお辞儀を忘れるは、大した「ひとり無礼講」を演じきってしまったらしい。その上せっかくのカメラは、手ぶれを起こしたり、素っ頓狂なカットラリーを写したり、ビデオの方もケーキのクローズアップとか、入口の噴水の様子だとか、訳の分からない黒いマントだとか、大いに不可解を極める不始末で、後から新郎新婦を困惑させる結果ともなった。もっとも式場で専門のカメラが回っていたから、それはそれで、差し支えは無いのだが……
「ともかくも、カメラでも持たしておいたのは正解だったな」
という恵美子の父親のひと言に、御祝儀を取りに訪れた新郎新婦も深々と頷いたくらいである。
兄は颯爽と帰っていった。
兄の御祝儀を開いて見ると、友人格の三万円で済ませてあった。とても親族の価格帯じゃないけれど、兄にしては頑張ったのかな。現状を聞かされていた恵美子は、そんなことも考えてみるのだった。風の便りで聞いたところ、兄は近頃、失業給付を楽しみにする生活を放棄して、懸命に面接を巡り始めたそうである。あるいは妹の婚礼に際して、何か思うところでもあったのだろうか。それは、誰にも分からないのだった。
(おわり)
[2010/6/11-13]
(原稿用紙換算26枚)
2010/06/13