日だまり色したこころ浮かれて、
思い軽やかに舞い上がれ。
なんだか今日はいい天気。
ぶっきらぼうな、
秋の空かも。
そわそわしているかごの鳥。
どこにいけなくっても幸せ?
なんの不満もない。
食事いっぱいに囲まれて、
たのしくさえずって何が悪い。
なのになんだかもの足りない
ひそかなものがうずいている
こころの奥のかくれんぼ
ゆらめいているものはなんだろう
なんて、馬鹿なことを思いつつ、町中にいるのに気がついて、あわてて知らんぷり。遠く近くの公園の、銀杏(いちょう)並木が美しい。ああ、今日はいい天気だ。なにか起こりそうな予感がする。わたしはまた、同じ感慨にはまってしまうのだった。近頃は、なにか起こりそうな予感ばかりを求めて生きている。そんな気配。靴音が軽薄みたいで、リズムを打って鼻歌まじりに、くぐり抜けるアーケードが懐かしい。
懐かしいけど……実は昨日も通った。空(から)のポテチの馬鹿らしさ。懐かしいのは幼き日々の面影色したアーケードであり、あたりきなのは夕べの帰宅道のアーケードなのだから、全然間違ってなどいないのだ。。。なんて、今日はいっそう理屈っぽい。
「もっと、いい子になりなさい」
あんまり快活すぎるものだから、幼い頃はよく母さんに注意されたっけ……でも、わたしは、ずいぶんいい子になっちゃった気がする。
学校にはもっと本質的に悪い子が大勢いて、なんだかしのぎを削って、互いの足を引っ張り合って、それが青春だなんてはしゃいでいる。分別なく与えられるメディアの情報が、悪くなることを奨励しているものだから、真面目でしっかりしていることが、不道徳に思えてくる。そんな奇妙な子供社会を、築き上げた大国もめずらしい。いつか父さんが、そんなことを歎いていたことがあったっけ。わたしのクラスにも、たばこなんか吸って、しかもどうしてだかそれが、格好いいことだなんて思い込んでいる、旧石器時代のヤンキーもどきの女子だっているような不始末だ。本当においしくってたまらないならまだしも、どこからか与えられた情報に、踊り狂っているだけなのだからなさけない。ハーメルンの笛吹きに誘われて、気づいたときにはどんぶらこ。
もちろん、わたしはノンシャラン。良くもならなければ、悪くもならない。わたし色したマイペース。独自の視点で大手を振って、こうして大路(おおじ)を歩いて行く。
なんて、考えているうちに、行進みたいな歩き方になっているのに気がついて、慌てておしとやか。すれ違いざまを、三人のランドセルが、くすくすしたような気がして、ちょっとムッとなるけど、町中で行進してしまったわたしが悪いのだから、なんともはや、情けない不始末ではあるのだった。
「ちゃんちゃん」
なんて、オチみたいなことをつぶやいて、また一人でふくみ笑い。のどか日和(びより)なものだから、こころがぷかぷかしちゃって、くだらないことがおかしくなってくる。たとえば看板の、
「いつも寄れるパン工房」
なんてひと言が、
「いつも寄れルパン工房」
に見えてきて、吹き出したいのをこらえちゃう。あるいはまた、
「新文教堂」
なんて本屋の新装オープンが、
「新聞、今日どう?」
に思えてくる。頭が幼児化を果たして、ちょっとしたほにゃらら気分。そんなひととき。そういえばこの間も、学校の情報の授業で、キーボードを叩いたら、
「このおやつ買いますか」
と変換するつもりが、
「この親使いますか」
となってしまい、みんなで大受け。しばらく誤変換の妙技を競い合ったりなんかしているのだった。
そんなことを思い出していたら、向こうからいい匂いが漂ってくる。わたしは、あっと振り向いたとたんに、ふらふらと、ああふらふらと、誘蛾燈(ゆうがとう)にかどわかされるみたいになっちゃって、つま先のゆくえを占うでもなく、いつしかクレープ屋の前に来ているのだった。
クレープ焼けたらムースの甘さ
ただよう風にはいちょうの気配
なごみの子猫もちょっと近寄る
おいしうれしも午後のわたしか
わたしは……初めから、これを狙っていたのだろうか。無意識の意識。とがなき条件反射。待合所まではあと十分。どうしよう。
悩みさなかにメールの通知。それが、この世の定めらしい。
「ごめん、ちょっと遅れる」
なんて佳菜恵(かなえ)が告げるものだから、わたしの方針は断然決せられるのだった。お客さんが、途切れているから、
「すいませーん」
なんて、軽やかに選んじゃって、気がついたらもう、クレープを口にして、頬をほころばせている。わたし悪い子。食べ歩きをしながら、おしゃれな赤屋根で飾った移動車両のクレープ屋を遠ざかるとき、
「ありがとうございました」
なんて若い店員さんの声が響いてくる。わたしはそれをちっとも聞いちゃいない。歩道はちょっぴり甘くなって、みんなの顔もほころんだ。それって、錯覚かなあ……
クレープ食べたらムースの甘さ
恋も忘れてはなやぐこころか
失恋だってケーキの一つも
あれば回復それが乙女よ
乙女なんてレトロな用法。昭和の香りが漂ってくる。わたしは風に吹かれる女。どこゆく時も自由気ままさ。そういえば父さんと母さんの出会いも、昭和の終わり頃だったことを思い出す。
「ねえ、父さんといつ知り合ったの」
と母さんに尋ねたのは、たしか高校受験の頃だっけ。わたしはてっきり、
「大学の同級生よ」
とか
「職場で知り合ったの」
とか返ってくるものとばかり思っていたのに、いきなり、
「喫茶店で」
なんて答えるものだから、不意にロマンチックに火が付いて、いろいろ聞き返したものであった。
「たまたまアルバイトをしていたときに、父さんが常連で通うようになって……なんでも大学のレポートを仕上げるのに、ちょうどよい静けさだって」
「それでいつしか知り合い?」
「たまたま、父さん、お金を忘れて来たことがあって、それであたふた応対しているうちに、ちょっとした顔なじみ」
「それで付き合いだしたの」
「ほら、そんなに聞き質(ただ)さない」
「いいじゃん、教えてよお」
「まったく。それでね、挨拶なんかするようになったんだけど、ある時父さん、一緒に映画でもいかないかって、さも何でもない風に言うのよ」
「ふうん。花束とか、プレゼントとかで、付き合ってくださいとかって、昔はしたんじゃないの」
「そんな時代錯誤なこと、ロマン主義の話でしょう」
「ロマン主義?」
「そう」
「ロマン主義って、フレデリックなショパンとか、シューマンの頃のことじゃないの」
「まあそうね」
「そんな昔の話かなあ」
母さんは長いことピアノを習っていたものだから、ロマン主義が身近なのかも知れない。幼い頃はわたしも彼女の影響をこうむって、むりやりピアノ教室に通わされていたことすらあったのだ。もっとも今じゃあドロップアウト。なにしろ平成のおんなだから、そんなのどかとは付き合ってはいられないのだ。
「じゃあ、桃(もも)ちゃんはお花でも渡されたいの」
なんて母さんが質問するから、
「うーん、それはそれで引くかも」
さすがにちょっと躊躇する。バラの花束なんか渡されたら、きっと噴き出すに決まっているのだ。
そんなこんなで、ふたりは付き合い始めて、一度遠ざかるなどの紆余曲折もあり、すなわち長い年月(としつき)を経て、ようやく結婚したのだそうだ。残念ながらその紆余曲折は、今だ詳細を聞き出せないでいる不始末。でもそのおかげで、わたしは平成の女。見知らぬ昭和に憧れる、はいからさんを気取って、こうしててくてくお散歩気分にひたれるのだった。ああ、やっぱりいい天気だ。
なんて思いながら待合広場へと向かったら、噴水のしぶくあちら側に、いつのまにやら佳菜恵がベンチに座って、メールなんか打っているのだった。まずいまずい。きっとわたしに連絡を付けようとしているに違いない。
「ごめんごめん、ちょっと安心し過ぎちゃった」
なんて駈け寄って、ついでに食べかけクレープの最後をほおばったら、佳菜恵は目を丸くしながら、遅刻のことなんか早くも忘れてしまい、
「ちょっと、一人でクレープなんてあり?」
と違うほうに糾弾を開始する。彼女は丸顔で、しかも髪の毛がボーイッシュだから、冗談で目を丸くすると、本当につぶらな熊さんみたいな表情になる……て、熊さんって果たして丸い表情だったっけ?
なんて考えているうちに、たちまち佳菜恵に引きずられて、わたしはまたクレープ屋に舞い戻っていた。店員さんのポカンとした、表情がちょっと照れくさい。けれども一人で見てはおれないものだから、やっぱりチョコレートなんか注文しちゃって、今度は佳菜恵と食べ歩き。ああ、やっぱりおいしい屋。
うん?
違う。違う。違うよおいしい屋。
「やっぱり、おいしいや!」
の間違いじゃないかしら。
まあ、いい、まあ、いい
同じテンポで歩いていこう。
それがわたしの、怠惰(たいだ)な落書き。
本当に、お昼の直後なのに、よくお腹に入ると思う。女には別腹って本当に存在していて、それは四次元ポケットみたいに、不用意にいろいろなものが吸い込まれていくとしか思えない。そんな、くだらな話で盛り上がりながら、佳菜恵といっしょのお買い物。佳菜恵はおしゃれセンスが勝っているから、わたしひとりで選ぶより、だんぜんお得なんだ。なんて考えたら、
「損得で人を考えちゃいけません」
なんて、母さんのことわざが浮かんできた。
「やだなあ、母さん、
ちょっとした冗談じゃないの」
なんて、こころの中につぶやいてみる。それから佳菜恵といっしょにお買い物。おっと、いけない。これは、さっき言ったばかりだった。
「お買い物、お買い物」
変なCMのメロディーをこころに念じていると、
「こっちの赤い方が似合うよ」
なんてまたアドバイスの佳菜恵。
「そうかなあ、だって派手すぎない」
なにしろわたしは控えめのおんな。でも彼女の説では、それがかえっていけてないらしい。顔立ちに合わせて、もっと華やぐ衣装を選択すべきという論法。わたしはことおしゃれに関しては、彼女の説に太刀打ちできない。言い負かされっぱなしの女。
「大丈夫だって、下に着るんだから、目立とう精神でいいの」
なんて、お姉さんみたいに諭してくるのを、わたしはうんうんうなずきながら納得してしまう。そうして納得させられて、家で鏡と向かい合ってみると、ますます納得させられてしまうので、今では洋服の買い物は、佳菜恵と向かうことにひとりで勝手に決めているのだった。
服装よわたしのこころに似合えよ
春には野花の風をさわやかにして
夏には若葉のたましいを飛翔させ
秋には色づく銀杏並木の淋しさを
わずかに残してもなみだは見せず
冬には雪の清らかのみの優しさに
包み込むよう春への予感満たせよ
佳菜恵とは中学時代からの親友だけど、けれどもわたしみたいに余分なことはあまり考えない。それでわたしの発言をおもしろがって、笑ってくれるものだから、それでフィーリングが合うに違いないのだ。もちろんけんかも知らない。二人、終始おだやか。
恵まれて
友と春辺(はるべ)も
憂さごころ
ちょっと秋風が吹いてきた拍子に、むかしの女流俳人の俳句なんか思い出した。まだ学校で習ったばかり。幸せそうに青春をゆくこころにも、満ち足りない何かがそっと潜んでいる。そんな句。ちょっとしたお気に。秋風はまだ冷たくはないけれど、涼しげな寂しさを宿しているので、わたしのこころもちょっとくすぐったい。多感 my ハート。
近頃、わたしの胸にも、友だけでは物足りない想いが、ひそかに燻(くすぶ)っている。わたしはそれを日ごとに感じている。はしゃいでいても、机の前に座っても、満たされない何かがささやきかける。わたしはその度はっとさせられる。あたりをきょろきょろ見渡しても、何色大気は変わらない。
クラスメイトのなかには、もちろん抱きつ抱かれつしているような女子もいる。付き合っているのにキスすら出来ないで、悩んでいる子もいる。もちろん片思いで、へろへろに参っている友達もいる。かと思えば、まるで異性に興味なんかないような、中学時代の延長線上に位置する伸子(のぶこ)だっているのだから、つまりはいろいろだ。伸子なんかは、ずば抜けてかわいいものだから、男子だって放っておけないだろうに、あまりにも当人に恋愛意識が薄いものだから、付き合おうなんて軽はずみに告白しても、さらりさらりとかわされてしまい、ヤキモキしているような事件だって、何件かあったくらいである。
「ねえ、付き合うことに興味とかないわけ」
と尋ねてみたら、
「めんどい、めんどい」
なんて、わたしの質問すら、さらりとかわされちゃった。プチふられちゃった気分。なんて冗談だけど、伸子、本心からノンシャランな人生を歩んでいるのだろうか。それとも、今のわたしみたいに、こころの奥底では何かをときめかし、それに触れるのが怖くって、ううん、もっと単純に、告白してくる男子がまるで不細工なものだから、ていよくお断りしているだけなのだろうか。まわりのみんなの心うちさえ、近頃ちょっと気に掛かる。そんなアンニュイがもどかしい。
かといって、周囲に踊らされて、わたしは先走ったりなんかしないんだ。来るときが来たら、きっと来る。なんてまるで、和尚さんの禅問答の失敗作みたいだけれど、きっとそれが真理。来るときが来たら、きっと来る。そうしたらもう、留まってなんか、いられない。そんな何かが、未来に控えているような気がする。
ちょっとどきどき。
けれども不安。
初めてもいだ果実だったら、
蛇やら狐やらが告げ口しなくっても、
食べたくなっちゃう時が来るのは避けられない。
それって……旧約聖書の物語?
高校時代のおんなごころだから、中学のように無邪気だけではやっていけない。でも、今はもう少しだけ、看板の落書きにけらけら笑ってはしゃいでいたい。そんな気持ちもするのだけれど……
「ちょっと、桃(もも)ってば」
佳菜恵の声がして、ようやくわたしははっとなる。ブーツなんか眺めているうちに、たましいが対象物から離れて、ちょっとした妄想家になっていたらしい。
「なにやってんのよ、ぼうっとしちゃって」
なんて笑われてしまうのだった。
「いや、実は昨日あんまり寝てなくって」
さらりと誤魔化しながら、
「あっ、こっちのかわいいよ」
とわざとらしく駈け寄ってしまう。ちょっとずるい策略。
「また、地味な色彩に走ろうとする」
たちまち佳菜恵が寄せてくるのだった。
わたしはここへ来て、自分が自己紹介すら済ませていないことに、ようやく気がついた。失態の秋。あらためてわたしの紹介を試みる。だって、わたしが「桃」なんて呼ばれているものだから、「ももえ」やら「ももこ」なんて勘違いしている人だっているかもしれないではないか。わたしともあろうものが、とんだ不始末だ。
わたしの名前は葉月桃斗美(はづきもとみ)。
桃は漢字の当て字に過ぎないのだけれど、なまじ目立つものだから、わたしは誰からも「もとみ」とは呼ばれることがない。みんな「もも」「もも」と呼んでいる。もっとも嫌じゃない。近頃は、「もとみ」の名称が、自分のなかでも廃れつつあるくらい。先生すらも「もも」で済ませているものだから、呼ばれる機会なんてまるでない。ただ母さんだけは例外で、怒ったときには、なぜだか「桃斗美」って呼んでくる。だから「桃斗美」にはちょっと恐ろしいイメージさえ、潜在意識には植え付けられているくらいだった。そんなこんなの「もも」だけど、どうぞよろしくお願いします。
ほんの小一時間のつもりが、いつも二時間、三時間へと第四次延長せられ、授業時間の一時間と、お買い物の一時間とは、原子時計にとっては同じ刻みだとしても、わたしたち、買い物ごころの人類にとって、はたしてそれは同じ時の流れなのだろうか。
「時の刻みは、ただ秒針によって推し量られるものにあらず」
キリストの格言じゃないけれど、たましいの飛翔具合に応じて、否応なく、カウントをゆがめられてしまう、そんなアインシュタインめいた、きわめてルーズなものに違いないんだ。つい力説したら、また佳菜恵から笑われてしまうのだった。
「そんなことばっか考えてないで、はやくはやく」
飼い主に引っぱられるみたいに、今度はデパートの扉をすり抜ける。エスカレーターとたわむれながら、ストールなどのコーナーへと吸い込まれ、あれこれ眺めつつ、店員さんにさんざんブームを尋ねるのだった。
「素材のもこもこ感が秋っぽい」
とか、
「なんか母さん世代じゃない」
なんて騒ぎ立てて、それから嘘んこのパシュミナでない、お高い商品なんか手に取ったりしたあげく、結局は買わず仕舞いのふたり。
「ばいばーい」
なんて言ったりはしないけど、また今度にしますなんてソソクサと立ち去ってしまう。店員さんはいい迷惑。わたしたちはちょっとざまみろ。なんて、そんな気持ちはないけれど、学生の財布はなかなかに固いのだ。そのくせ、フロアーを上下するうちに、用もなくアクセサリーのコーナーにまとわりついて、指輪のかわいさなんか論じあってしまう。
「ねえ、桃のパパママって結婚指輪はめてる?」
佳菜恵はいい年をして、今どきのパパママで押し通している。わたしは断然、父さん母さん。別にポリシーもなんもない。母さんから、中学に入るときにそう諭されてしまっただけなのだった。
「うちは、どっちもしてないなあ」
「指輪とか嫌いなの」
「母さん、遊び行く時は付けるけど、別に結婚指輪とは決まってないし。そんなのどうでもいいみたい」
「へえ、ぜんぜんしないんだ。うちのママなんか、いつも付けてるのに」
「でも、結婚記念日の日だけは、うちは両方とも付けてるよ」
「そうなの」
「そういえばそう」
実はうちの両親は、いい年をして、結婚記念日にケーキなんかでお祝いをしているくらいだった。そんな日は、のろけモードにおちいって、子供であるわたしが羨むくらい、仲睦まじく暮らしている。そのくせ日頃はずばずばと言い合って、平気で生活をしているのが、ちょっと不思議なくらい、夫婦というものは、無頓着に繋がっているものらしい。わたしは結婚指輪の逸話なんか、今まで気にしたこともなかったけれど、佳菜恵が不意に、
「なんかロマンチック」
なんて言い出すものだから、わたしは思わず、
「ロマンチック?」
と聞き返してしまった。ロマン主義の花束のことを思い出したからである。
「当たり前だと思ってたけどなあ。結婚記念日にはケーキでお祝いするし」
「そんなのうちじゃあり得ない」
佳菜恵がまた、目を丸くしている。
「だけど一年じゅう指輪してるんでしょ。佳菜の母さん」
「してる」
「そっちの方がよっぽどロマンチックなんじゃないの」
「そうかな」
なんて話しているうちに、ようするに、どっちもロマンチック街道をひた走っているのだという結論に落ち着いた。すると銀色に輝く指輪そのものが、ロマンチックの代名詞のように思えてくる。そういえば、父さんと母さんの結婚指輪にも、わたしの知らないさまざまなエピソードが潜んでいるには違いないのだ。それを考えると、なおさらキラキラした輝きに吸いこまれて、佳菜恵と二人、時を忘れて眺め暮らしてしまうのだった。
「いらっしゃいませ」
冷やかしの客に呆れたか、さすがに店員さんがわざとらしく声を掛けてきた。わたしたちは慌てて靴音を再開する。カジュアルに似合うくらいの安っぽい指輪ですら、買うほどのお金はもはや残されていないのだ。ふたりともすでに、買い物袋のおんなとなり果てた。
ふらふらと、ああふらふらと、そんな風にデパートを逃れると、傾いた西日が活力をなくし始めているのだった。今のふたりとよく似ている。どこかで休息をしなければ、とても家まで辿り着けそうにない。疲労がぱんぱんに膨れている。そんな気配。まるで入り日に急かされるみたいに、重々(おもおも)した紙袋に引っ張られるみたいに、二人はいつものファーストフード店へと逃れ込む。体力回復の、ちょっとひと休み。それにしても、お腹がすいたなあ。
今はへとへとの二乗だから、佳菜恵が席取りに荷物を持ち去って、わたしが二人分を注文する作戦に打って出た。店員さんを見ると、わたしと同じくらいな年頃。机を並べて隣りに座っていそうな女の子。でも動作がぎこちなくって、おどおどしているのが、すぐに分かってしまう。自信なさそうなその瞳。ああ、その柔らかな胸を、ぎゅっと抱きしめてあげたい…………あれ?
ぜんぜん違った。今のは間違い。冗談冗談。そうじゃなくって、これは新米さんに違いないのだ。昨日おとといの入りたて。そうでなかったら、お客さまの目の前で、瞳があちこち泳ぎ回ったりするわけがない。のぼせてうつろなお魚状態。指でも差し出したら、ぱくっと食いつくかもしれない。
これは大変。間違いでも起こされては事だから、いつもより丁寧にオーダーをあげることにした。用心することに越したことはないんだ。
「チキンレタスバーガーのセットが二つ」
なんて、わざと指を二本突き立ててみせる。佳菜恵とのお気にが一緒で、まだしも救われた。違うセットが二つだったら、大混乱をきたすに違いない。ようやく切り抜けて、ドリンクを、
「アイスレモンティーとホットコーヒーで」
と締めくくると、
「ええと、お客様、コーヒーにはホットとアイスがございますが」
なんて、ホットコーヒーを注文したのに聞き返して来る不始末だった。相当危うい。静かなるデインジャーゾーン。日常にひそむ地雷原。きっとタッチパネルをいじくっているうちに、耳がお留守になってしまったのだ。忙(せわ)しいせいか、監督役が後ろについていないけれど、こんなんで大丈夫なのだろうか。わたしは、
「ホットで」
と答えながらも、間違って『十五夜バーガー』でも出てきたらどうしようかと心配した。なにしろおすすめのひと品だから、一番打ちやすいところに控えているような気がしてならない。
壮大なるクライシスを乗り切って、ようやく席までたどり着く。佳菜恵には知る由もない、わたしひとりのクライシス。もちろん黙ってなんかおれないものだから、さっそく説明を始めるのだった。わたしたち馬鹿だから、くだらないことで、大いに盛り上がってばっかりだ。チキンレタスバーガーを平らげてからは、今度は服装談義に移行して、取り留めもなく話してしまうのだった。
「ほら大和の伝統に、かさねの色目ってのがあるでしょう」
「何それ」
「ほら、着物の表と裏の色合いがペアの配色のことよ」
オシャレが高じて、佳菜恵は近頃、大和の伝統にまで踏み込んだ様子である。
「それで?」
「たとえばブラウスとの色合いなんか決めるのに、役に立つかも知れないじゃない」
なんて言っていたかと思ったら、さっきのわたしのおしゃれ着の選択方法を、そのかさねの色目で説明し始めた。わたしはふむふむと聞き耳モード。それから、ようやく一段落して、ポテトを放り込んだときに、わたしは、
「ねえ佳菜ってば、ところであいつとはどうなの」
なんて、ようやく気がかりなことを質(ただ)してみるのだった。
二つずつおんなじバーガー並べてる
似たもの同士のテーブルひとつ
華やぐ会話は屈託もなくて
長閑の秋を過ごしゆく
こんないたずらが楽しくて
遊び子猫のほがらかで笑っても
満たされないような物はなんだろう
「うん、まだどっちつかず」
佳菜恵は多感主義だから、中学の頃から彼氏と出会ったり分かれたりを繰り返している。わたしはそれを聞いて、うらやましがったり、あきれたり、ふむふむ主義を貫いている。だからって彼女を追い掛けたりはしないんだ。わたしはわたし。あなたはあなた。人にはそれぞれテンポがあるもの。アレグロばかりが青春じゃない。わたしはいたって、モデラートの女。
前に一度、そんなモデラート論を提唱したら、佳菜から、
「あんた、せめてアンダンテくらいにしときなさい」
と注意されてしまった。それを言ったら、わたしたちの担任はもうすっかりアダージョの女。はしゃぎごころを無くしてしまったみたいだけれど、時々ほほえむ表情が優しいものだから、クラスでは信任されている。夏子先生というのだけれど、もう夏はとうに過ぎ去って、秋めくくらいのお年頃。むかし、旦那との結ばれ由来を尋ねたら、「お見合い」なんて驚くべき答えが返ってきた。すべからく時代錯誤法。ああ、年をとったら、あんな風になりたいなあ。
いけないいけない
はなしが脱線しまくりです
わたしのこころにはとりとめもなく
つまみ食いの欲望が潜んでいるのだろうか
仕事も定時に終わりの時刻だから、勤め帰りやら、学校帰りのおしゃべりで、ファーストフード店は暮のひと盛り。隣の席にはスーツ姿のサラリーマンが、モバイル端末なんかをもてあそぶ。あっちの方では、盛り上がりましょう中年談義。あるいは、親子連れの子供がひとり、ゲーム機のなかに埋没中。そうかと思うとアコースティックな文庫本なんか読んでいる、まだ新入社員くらいの、OLの姿もあるのだった。誰もがざっくばらんな烏合(うごう)の衆。それでいて無頓着に寄り添っている。そんなファーストフード店。十五夜バーガーの看板がちょっと偉そう。むやみにがやがやとしていて、それでいてのどかな雰囲気なのだった。
わたしが佳菜恵に、新しい出会いのことなんか訪ねまくっていると、不意にうしろから男の声がした。佳菜の名前を呼んでいる。つい何気なく振り向くと、なんとその新しい彼氏が、友人と一緒にうしろに立っているのだった。ふたりともカジュアルに身をゆだねている。そうして、ちょっとした買い物袋なんか持っているのだった。
「よう」
なんて偶然を装っている。
ふたりもたまたまお買い物?
お腹を空かせてファーストフード?
ちょっと騙されそうになったけど、
そんなの確率論から言ったって変てこだ。
実は佳菜恵が冗談に、わたしに彼氏の友人を紹介させようとして、
彼氏と策略を組んだということが、後になって発覚した。。。
だけどその時は、何も考えていないから、わたしはただ、佳菜恵のメールによって居場所を突き止めた彼氏が、遊びがてらに訪れたくらいに考えた。それで、こちら側にわたしと佳菜恵、あちら側には佳菜恵の彼氏ともう一人、そんな四人がけで話を始めたのだけれど……
それにしたって、二人とも同じ学校の学生。学生どころか、同じ学年。学年どころか、同じ教室。あたりきのクラスメイトなのだった。だからこそ早川佳菜恵と佐々木雅司(まさじ)は付き合っているわけだ。だから、わたしも佐々木雅司、それから隣にいる矢口紺碧(やぐちこんぺき)も、顔だけはよく知っているのだった。
それにしたって……紺碧なんて、ちょっと風雅(ふうが)な名称だ。黒みがかった青を表す言葉だそうだが、赤みの取れたあとの、宵の空をでも指す言葉だろうか。けれどもコントみたいな名前だから、当人は気に入っていない。それでみんなには、ただ「紺(こん)」と呼ばせているのだった。
せっかくなので、尋ねてみようか。。
「ねえ、紺碧なんて名前、なんか由来でもあるの」
するとちょっと面長の顔を、鼻の高さに考えてから、
「あるにはあるけど、悲惨な由来なら……」
なんて悲壮な表情をするので、「話してみなさい」と命じたら、袋のままのバーガーを置き去りに話を始めた。なんでも、田舎のおじいさんが頑迷(がんめい)な人だから、完璧な人間を目ざして、『完璧』と名付けるべきと言い出したのだそう。おじいさんの意見が採用され掛かるなんて、今風ではあり得ないような話だ。紺碧は、
「それが生涯初めてのクライシスだった」
なんて危機感じみた口調を演じてみせるのだった。
「でもあんまり露骨な名称だから、さすがにそれはかわいそうだって話になってさ」
それでゴロが似ているから、『紺碧』でいいだろうという結末を迎えたそうである。そんなたわいもない話を、さも悲劇調で語るものだから、かえっておかしくなってみんな大笑い。語り口調が妙にゆかいゆかいしているのだった。
「おまえ、アホなはなしを深刻ぶって語るなよな」
と雅司に突っ込まれて、彼は屈託もなくほほえんだ。
紺碧……変なやつ。
そう思っていたら、今度はあっちから、
「そういう葉月の名前だって、そうとう変わってると思うけど」
なんて、糾弾が返ってきた。
「そんなことないじゃない。ただ桃を『も』と読ませるところが変わってるだけ」
「始めて見たとき、『ももとみ』かと思った」
「俺も俺も」
「やだ、そんな豊臣みたいな名称と一緒にしないでよ」
「そういえば、ちょっと大名みたい」
なんて佳菜恵まで言い出す始末。
「もとみです、も・と・み!」
なんてムキになったら、みんなに笑われてしまうのだった。
「ちゃんちゃん」
またこころの中でささやいてしまう。古典的なオチのフレーズ。さすがに口に出すのは恥ずかしい。さめかけのホットコーヒーに逃れるのだった。
ようやくちょっと打ち解けて、学校の話が始まったのだけれど、目の前の紺碧は細身だけれど背高のぶるい。部活はテニスをしているけれど、特に優秀というわけでもないらしい。成績も中の上。特にクラスで目立つところもなく、阻害されるでもなく、ありきたりの男子……に思えるのは、わたしの分類がおおざっぱすぎるせいだろうか。雅司の方は、快活タイプの典型で、そのかわり成績は赤点ぎりぎり。
「勉強なんて何のためにするんだ」
など言って、宿題を無視して居残り坊主。あるいは英語では再試をさせられたり、どうにかこうにか学業を切り抜けて、もっぱらバスケと遊びに情熱を燃やしているのだった。そのかわりバスケットボール部ではキャプテンをやっていて、県大会で優勝へと導くくらいのスポーツマン。ただし、全国大会では二回戦敗退。悔し泣きをしちゃうくらいの熱血タイプでもあるのだった。
「ねえ、二人はタイプが違う感じなのに、よく一緒にいるよね」
と質問したら、雅司の方から、
「お前らだって、タイプが違うのに、一緒にいるじゃん」
と斬り返されてしまった。
「わたしらは中学以来だから、こなれてるの」
「こなれてる?」
奇妙な表現で答えたら、紺碧が素っ頓狂な調子で突っ込みを入れるので、またおかしくなってみんなで笑い出す。佳菜恵が、
「こなれてる、こなれてる」
なんて相づちを打つものだから、あちら側も、
「俺たちも、こなれてるの」
「そうそう、こなれてるこなれてる」
なんて無意味なリフレインが返ってきて、学生にありがちな、ファーストフード店を笑いで震撼(しんかん)させる不始末とあいなった。まわりの皆さま、ちょっとごめんなさい……ってこれはちょっと嘘。そんなこと思ってもみないわたし。つきつめましょう自分主義。青春の視野は狭いのだった。
「あっ、十五夜バーガー」
不意に気がついてみると、紺碧は十五夜を食べている。
「まさかの十五夜バーガー」
なんてあちら側で笑っているので、
「まさかの?」
と聞いてみると、雅司の方が、
「こいつ、チーズチキン頼んだのに、まさかの十五夜バーガーが出てきたんだ」
「まさかのって、新人のおどおどしたアルバイトじゃないの」
「そうそう、危なっかしいと思って心配してたらさあ」
紺碧がまた悲劇そうな表情を作るので、思わず、
「それで、まさかの十五夜バーガー?」
と答えると、
「イエス、まさかーの」
と訳の分からないイントネーションで答えるから、また大笑い。わたしたち、よっぽど周りから騒音に見られているに違いないのだ。まあいいや。気にしない。気にしない。
「作り直しじゃないの」
「いいじゃん。別に十五夜でも、値段一緒だし」
なんて、食いしんぼう万歳には、とても納得できないようなことを平然と言い放つ。佳菜恵が、
「わたしだったら、すぐに作り直しだけどなあ」
と突っ込むので、わたしも、
「当然作り直し。だってもうお腹の準備がなされた後じゃない」
と答えたら、紺碧のやつ、わたしを見つめたまま、不思議な表情にほほえむので、急に照れくさくなってしまった。
ああ、だらしない。
ちょっと馬鹿にされちゃった?
それとも……
あるいは……
かわいいなんて、
思われてたりして?
不意に、自賛主義の女心が沸いてくるので、わたしは自分のうぬぼれにちょっと驚いて、慌てて、次の話題へとのめり込む。こんな感情がわたしに潜んでいるだなんて、今まで知らなかった。胸の奥底にはまだ見ぬ不思議が詰まっている。自分の知らないなにかが隠れている。それはいったいなんだろう。わたしは逃れるみたいに、
「佐々木ってまた追試受けてなかった」
なんて誤魔化すと、
「受けたくて受けたんじゃない」
とぼやき出した。それから、佳菜恵が、
「少しは勉強しとかないと、大学受験の時に、ずっしり来るから」
なんて心配するので、
「もうすでにずっしり来てるって」
とテーブルにへたばってしまう雅司なのだった。
「今ならまだまだ大丈夫だよ」
佳菜恵が慰めたら、がばっと起き直って、
「そうだ、じゃあさあ、四人で一緒に勉強会でも開こっか」
なんて勉強嫌いのくせに言い出すので、ちょっとびっくり。
「ほら、みんなでフォローし合えば、少しは勉強も楽しくなるっつうか」
なんて続けると、あきれた紺碧が、
「フォローし合うんじゃなくて、一方的にお前をフォローするんじゃないのか」
なんて突っ込むから、雅司は、
「そうでした」
としょげてみせるのだった。
「でも、みんなで勉強するのは、グットアイディアだよ」
佳菜恵が合いの手をさしのべる。
はてな?
わたしはちょっと立ち止まる。
それは確かにそうかもしれない。
けれどもなんだか、ちょっと、
出来レースの気配がする。
あらかじめ佳菜恵と雅司が結託して、わたしたちを巻き込んだのではないだろうか……後で糾弾しなくっちゃ。そう思ったけど、勉強会のアイディアは悪くない。きっと、半分はおしゃべり会みたいになってしまうに違いないのだ。でも、少しは学業に結びつくことだって、あるかもしれないし……どうやら、佐々木も紺碧も、二人とも苦手の部類ではないようだし……つまらない学校の授業が、すこしは愉快に思えてくるかもしれない。わたしは、
「それって、週一くらいで集まったりするの」
と尋ねてみたら、
「おっ、いいね、週一くらい」
なんて取りまとめに盛り上がってくるのだった。
わたしたちは結局、土曜の夕方に、不真面目な予感のこもる勉強会とやらを開催して、お塾などに通わなくても、学業は上げられることを、立証しようという結論に達したのである。不思議なことに、わたしたち四人は、四人とも、あのお受験と勉強をはき違えた、不気味な塾とやらに、現在関わりを持っていないことが判明したからである。
「学校も塾も、人を豊かにするための教育を、学習を詰め込むことを目的へと置き換えた不気味さを、宿してはいないだろうか」
なんて不意に紺碧が宣言するので、わたしは自分が考えていることを盗まれたような気がして、ふっと彼のまなざしを眺めてしまった。
「われわれは、われわれの手で、学習をそれ自体の楽しみのために、そしてわれわれの教養のために、取り戻さなければならない」
なんて演説をぶって、それから笑い出したので、雅司が、
「おいおい、いきなり演説始めるなよな」
また始まったかという風に、あきれている。
わたしは思わず、真剣になっちゃって。
「いいじゃない。わたしたちの手に取り戻すための会だったら、なんか目的があるって感じで」
など答えてしまった。雅司は、
「よし、それじゃあ教育の精神を取り戻しながら」
と答えていたら、今度は紺碧の方が、
「同時に、佐々木の学業をフォローしまくるための勉強会」
と、お得意の悲壮な調子で突っ込むので、全員大受け。とうとう隣のサラリーマンが、席を立って逃げ出す不始末とあいなった。ファーストフード店、近隣の皆様……さすがにちょっと、ごめんなさい。
ようやく外へ逃れると、宵の町並みは、だいぶ色を落としている。
「暗くなるのが早まったね」
佳菜恵が空を見上げると、紺碧が、
「くれなずまない街角」
なんて妙な表現をするので、わたしはくすぐったく反応してしまうのだった。わたしには奇妙な表現方法や、レトロ表現に、過剰反応をしめす悲しい性(さが)が潜んでいる。暮れそうで暮れないのが、くれなずむなら、さっささっさと暮れゆく町並みは、くれなずまない街角? なんだか、ちょっとヘンテコだ。
「また意味不明なことを」
と佐々木が頭を抱えている。そうしたら、空を見上げていた佳菜恵が、
「ねえ。矢口の名前の紺碧って、あんな空の色じゃないの」
と指さした。
たいした繁華街でもないものだから、町並みに広がる上空には、今日は雲のひとつとてなく、ただ一番星、二番星が瞬いて、青みがかった漆のような、不思議な透き通る天空が、すっかり夜の準備を始めている様子だった。秋風がさみしいけれど、四人いるからこころにぎやか。矢口紺碧は、
「逢魔が時(おうまがとき)。たましいを奪われがちな空の色」
と訳の分からない説明を返してきた。わたしは思わず、
「紺碧の空」
とつぶやいてから、
「そうだ、ピカッ中也の詩に、その時、紺碧の空、みたいなのなかったっけ」
と国語の授業を回想してしまうのだった。
「ちょっと待て。ピカッ中也って、なんだよ」
「中原中也よ。愛称よ愛称。ピカッチュウみたいで、かわいいじゃない」
「ぜんぜんかわいくねえ」
「あんた、こないだも芭蕉のこと芭蕉吉(ばしょきち)とか呼んでなかったっけ」
「ほんのり親近感ってやつ」
なんて答えて、路上でもやっぱり笑ってばかりなのだ。すると紺碧が、
「坊やみてありぬの詩は、紺碧じゃなくって、紺青の(こんじょう)の空だよ」
なんて諭し始めた。
「坊やみてありぬ?」
「そんなタイトルだっけ。中也の詩」
「いや、題名は『夏の夜の博覧会はかなしからずや』っていうんだ」
「そうだっけ、全然覚えてねえ」
「だってお前、最初から授業聞いてないじゃんか」
「いいんだよ。国語は睡眠時間なの」
「でもたしか、何もかもが『かなしからずや』に終始するという、はなか哀しい詩だった気がする」
とわたしが尋ねると、
「失った子供のことを歌った詩だからな」
なんてやたらと詳しいのがちょっと気に掛かる。そんな紺碧なのだった。ついじっと表情を眺めてしまったけれど、相手は気づかない。はっと気がついて、危ない危ない。慌てて歩調を回復した。あたりが暗くなって、色彩に乏しくなると、わたしたち、ついしっとりとしたこころに支配されて、日頃なんでも無いはずのことが、すごく大切なもののように錯覚せられ、それがもとで好きでもない男に、気を許したりするようになってしまう。あるいは女のたましいというものは、そのように作られているのかもしれないんだ。
むかし母さんに、恋とはどんなものかしらと尋ねたら、
「あるとき、それまでなんでもなかったものが、大切でたまらなくなって、その事しか考えられなくなって、ついうっかり取り込まれてしまう、そんな恐ろしい黒魔術よ」
なんて、茶化されてしまったことがある。同じことを父さんに尋ねたら、
「否応なく重力に支配されて、隕石が加速しつつ、ますます燃える想いに身を焦がす。そんな自然現象かな」
なんて滅茶苦茶な説明が返ってきた。いくらなんでも、父さんのはユニークすぎて、付いていけないけれど、だけど言わんとするところはふたりとも同じ。気がついたら、とりこになって、どうしても抜け出せなくなってしまうものらしい。それじゃあ、気の付けようがないような気もするけれども……近頃のわたしはこころの奥底で、それをこそ望んでいるのではないだろうか。なんだかよくわからない。
いつの間に 町の明かりも
はやあしの 疲れまなこも
よいごころ 色彩わすれて
誰を求めて 惑(まど)うものかな
途中まで来て、家路へと分かれる時、わたしと紺碧のルートが、しばらく同じであることが判明。こんな夕暮れにまだ親しきれない紺碧と、いきなり二人歩きをするのは、かなり照れくさい。もちろん意識とかじゃなくって、単にわたしには、男と二人きりで、歩いた経験が乏しすぎるのだった。こころひそかにお困りモード。お昼のクレープごころとは、すっかりトーンが違ってきている。だからって、気まずい調子も見せられないし、何でもない風に佳菜恵や雅司と分かれてはみたけれど…………
けれども紺碧は、気まずさを演出するような、押し黙ったりはしないのだった。かといって、おしゃべり過ぎるというほどでもない。
ツボを心得ている?
それとも単なるフィーリング?
まさか?
おんな馴れしている?
それともただ、ざっくばらんなおしゃべり方法?
「それにしても、こんな近くに住んでいるなんて初めて知った」
気さくな調子で語りかけるので、わたしも次第に気楽になってくる。なんでもない家族構成なんかを話しながら、隣の靴音が、佳菜恵の時とは違って、歯切れが良いのがちょっと気になりだす。どこかで聞いたことのあるような響き。ああ、そうだ、父さんの靴音にちょっと似ているんだ。なんてまた、馬鹿なことを思い浮かべて、そんな自分に驚いて、危うく空を見上げたとき、澄んだ秋空の宵だから、星明かりがきらきら瞬いているのだった。。。
「あっ、夏の大三角」
思わずつぶやいた。あれは小学校の理科の自由課題で、散々観察させられたから、冬のオリオン座と並んで、わたしの数少ない星空知識を形成しているのだ。すると紺碧は空を見上げながら、
「オルフェウスの竪琴か」
まるで独り言みたいにささやいてくるのだった。
「何それ」
思わず尋ねたら、
「こと座はオルフェウスの竪琴が天に昇った姿なんだ」
「オルフェウス?」
「ギリシアの歌の名手。オルフェウスは神々をも魅了するほどの歌い手だったけれど、妻エウリュディケーが蛇にかまれて亡くなったとき、冥界へと下って彼女を連れ出そうとしたんだ」
「ああ、その話か。知ってる知ってる。振り向いちゃ駄目だっていうやつでしょ」
「そう。その時も竪琴の力で、神々に許しを得て、妻を従わせたんだけれど、どうしても不安になって振り向いてしまったら、妻を生き返らせることはついに叶わなかった」
「そのオルフェウスの竪琴があれなの」
「まあ、そういう逸話」
「でもなんで振り向いたりしちゃったんだろう。ぜんぜんいけてない」
紺碧はまた、あの見つめるみたいなほほ笑みをして覗き込んでくる。わたしはまた、こころが赤らむようなドキリとなってしまい、動揺を隠そうとして歩調を強めるのだった。荷物の腕をわざとらしく振ってみる。彼は二三歩わたしに付き合ってから、ようやく、
「おそらく、冥界のハーデースの仕業じゃないかな。オルフェウスにはもうすぐ出口だとは悟れなかったんだ。だから、無限に闇をさ迷っているような錯覚に囚われた。時間が永遠に引き延ばされて、つい意識が繋がらなくなって、どうしても確かめたくって確かめたくって、とうとう振り向いたとき、妻は永遠に遠のいてしまった」
「じゃあ、最初っから、振り向くまでは冥界を出られないようになっていたって訳?」
「まあ、俺の勝手な推測だけどね」
「ふうん」
しばらくぼんやりしていたが、わたしは気になるものだから、
「ねえ、なんでそんなに詳しいの。もしかして星に興味でもあるわけ」
と尋ねてみた。
「いや、別にない」
紺碧はぶっきらぼうに言葉を切ってしまった。それからわたしが黙っているので、ようやく置き去りにしたことに気づいたらしい。佳菜恵なんかとは対応の調子がまるで違っている。女性的でないフィーリング法。
やっぱりちょっと、
父さんに似ている?
そんなことが頭に浮かんだら、
危ない、危ない、気をつけろ。
声がどこかでするような気がした。
「興味があるのは、むしろギリシア神話。けっこうおもしろい話があるんだ」
「ふうん。変わった趣味している」
「でも並列的に同じ趣味よりはいいだろ」
それはわたしも同意見。黙ってうなずいて見せたら、あいつはちょっとこっちを眺めて、また優しそうなほほ笑みをするのだった。なんだか紺碧のペースだ。飲まれているのはわたし。オリジナルの文脈が、溶かされて中性的な筆記に陥っているような気配がする。それでいて悪くない。ちょっと不思議な感覚。それを悟られるのが嫌だから、慌てて、
「ねえ、勉強会なんて、ちょっと出来レースっぽくなかった」
「やっぱりそう思ったろ。あの二人、結託して、さも思いついたみたいに言ってみたに違いない」
「そうだよね」
「まあ、面白そうだからいいけどさ。ようするに最初からあそこで落ち合うことになってたんだろ」
なんて言われて、ようやく今頃、佳菜恵の策略の全容を悟るのであった。
「まあ、いっか。悪意のある作戦でもないし」
「でも後で糾弾しておかなきゃな」
「もちろん、クレープくらいはおごらせなくっちゃ」
「何でかクレープ」
と紺碧が突っ込むので、二人して吹き出した。佳菜恵と笑っているときとは違う、不思議な安心感がこころに浮かんでは、つかみ取る前に消えてしまう。そんな錯覚に一瞬とらわれては、野焼き火の煙みたいに、ふっとどこかへ流れ去る。
あるいはわたしは、こころを奪われかけている最中(さなか)なのだろうか。不安がどきどきとなって、紺碧の顔を見ないように、見ないように、さも何でもない風を装いながら、買い物袋をわざと揺らしてみたり、二人の足音を確かめているのだった。
「そういえばうちの親、夕暮れの散歩道でプロポーズしたとかされたとか言ってたな」
紺碧は思いついたようにさらりと口にした。わたしは思わず、
「何そのロマンチック街道」
と答えてしまい、
「何それ」
と笑われてしまうのだった。
「だって、うちの父さんや母さんも、喫茶店で知り合ったとか」
「それでロマンチック街道?」
「そんなの、今どきあり得ない設定。だからなんでかロマンチック」
なんて答えると、
「なんでかロマンチック」
と強調しながら笑っている。それから、
「まだ携帯とかメールとか普通にやり取りしてない時代だからな」
なんてポケットに手を突っ込みながらつぶやいた。きっと携帯に触れてみたに違いないのだ。
「そういえばポケベルで連絡取っていたなんて聞いたことがあるな」
「なにそれ。ポケベルって、携帯とは違うの」
「うん。言葉同士を送ったりするらしい」
「じゃあ、メールと一緒じゃない」
「いや、もっと不便なんだってさ」
「不便?」
「十数文字しか入れられないとかいろいろあるらしい。それに携帯じゃないから、電話は掛けられないんだ」
「なんか黎明期(れいめいき)の予感がするね」
「そうそう、その黎明期」
なんてふたりで笑っている。この間、社会の授業で、文化黎明期なんて動画を見せられたばっかりだ。先生が、輝かしい時代の始まりを告げる言葉が黎明期だと説明してからは、黎明期とロマンチックが、不思議な融合を果たしているようにすら、わたしには思えるのだった。
それから紺碧に携帯の機種を尋ねようとした時に、はっと躊躇した。これから勉強会なんて開くくらいだから、わたしたち、すぐにでもメルアド交換とか、携帯番号を教え合わなければならなくなるに決まっているのだ。ちょっとした男友達のアドレスくらい入っていない訳ではないけれど、今日始めて会話を交わしたような紺碧だから、伝えきれないような躊躇がひそんでいる。それで思わず、黙り込んでしまったのだが、彼はそんなわたしの思いはまるで知らない様子で、
「ようするに親の世代は、けっこうロマンチック街道らしい」
なんて取りまとめて見せるのだった。
「まさかプロポーズにはバラの花束とか」
わたしは思いを悟られないように、すぐさま話題へとのめり込む。
「そんなこと、いくら何でもしないって」
紺碧は半ば笑いかけたが、なんだかちょっと首を傾(かし)げて、
「いや、うちの親父ならやりかねないな。ちょっと後で聞いてみよ」
なんて改まっているので、
「聞いたら、教えなさいよ」
なんてトントンとつま先立って先を歩いてみるのだった。なぜだか分からない。無性に照れくさかったからである。
初花(はつはな)の
戸惑いつつも よろこびを
あふれる思い 走りだしたくて
結局紺碧は、わたしの家まで送ってくれたのだった。
「どうせすぐ近くだから、気にすんな」
なんて気さくに答えるので、わたしはちょっとうろたえ気味。いつものわたしらしくない。
「そう、ありがとう」
何でもない風を装っても、どこかにほころびがあるような気がしてならない。幸いすっかり暗いものだから、表情を読まれたりはしないんだ。でも、こんなに家が近いところへもって、勉強会なんて開いたら、わたしたち、ちょくちょく二人ぼっちで、帰宅を迎えることになるには違いない。そんな妄想が沸いてきたり、みんなで集まったときのイメージが浮かんでくるので、誤魔化すみたいに口笛を吹き始めたら、
「あ、その曲好きなのかよ」
なんて、また紺碧に会話の主導権を奪われてしまう。
わたしは、こころ弾むみたいに受け答えなんかしている。
ああ、だらしない。だらしない。
すっかりこころを乱されている。
どうした、しっかりしろ。
帰ってこい、いつものわたし。
「それじゃあ、明日学校でな」
「うん。わざわざ送ってくれてありがとう」
そんな別れは玄関前。わたしはなんだかポカンとなって、軒あかりの下に突っ立っている。あいつの後ろ姿を見送っているのだった。
あいつが角を曲がりゆく。その時、不意に振り向くので、からだが熱くなるような、鼓動がどきどきして、だらしないくらいのうろたえが湧いてくるのだった。
まるで恋人みたいに見送ってしまった。
誤解を生んだらどうしよう。
それともそれこそがわたしの希望なのだろうか。
いろいろなことがとっさに浮かんでしまい、きっとわたしの頬は、真っ赤になっていたに違いない。もちろん表面上は、さも何でもないみたいにしながら、ばいばいとさり気なく手を振ってみせるのだった。するとあいつも、軽く手をかざして、そのままうしろ姿に消えてしまったのである。
ああ、だらしない、だらしない。
これじゃあまるで恋人ごっこじゃないか。
こんなにだらしないんじゃ、
もうどうしようもない。
どうしようもないけど、どうしようもない。
でも、どうしようもなくなったら、
そうしたらいったいどうしよう?
こんなことは母さんにも相談できないし、わたしはきっと、夕飯に接してもお風呂に入っても、それからベットに潜っても、今日一日、この「どうしようもないけどどうしよう」な気持ちと、格闘しなければならないような気がするのだった。
「ただいま」
なんて屈託のない調子を回復して見せると、
「おかえり」
という両親の声が返ってくる。かつては恋人同士だったふたりが居間にいて、結ばれてわたしが生まれている。急に馬鹿なことが浮かんできて、ほっぺたが赤くなっている気がして、慌てて洗面所へ駆け込むと、顔をじゃぶじゃぶ洗ってみるのだった。明日なんでもない風に、紺碧の顔を見られるだろうか。
そうしてもう、勉強なんかうわの空。机の前に座って、そっと日記帳を取り出して、こうして今日一日の出来事を、物語みたいにして語ってみるのだった。すると記しているうちに、ますますあいつのことが気になってくる。わたしのノートには、夢みるような希望の落書きや、詩やら和歌やらが行間を占有しているはずだった。あい間あい間には、屈託のないイラストが、子供じみた様相で描かれているばかりだった。まるで夢見ごこちのノートブック。その内容が、これから大きく調子を変えて、恋の物語へと移行してしまうのではないかしら。そんなことを考えて、大いにうろたえながら、あるいはなんでもないことだなんて、こころを落ち着けようとしながら、でも、わたしは沸き起こる不思議な感情を、決してないがしろにはせず、誤魔化さずにこうして記してみるのだった。ここにはわたしのすべてが記されているから、わたしはこの中でだけは嘘をつかないんだ。それにしたって……
わたしは記した落書きと一緒になって、
また今日一日の出来事を回想してしまう。
だんだんまぶたが重くなるまで、
だらだらだらだら回想しているのだった。
そうして最後に一つだけ、
なにが矢口紺碧だ。
変な名前じゃないか。
変なやつ。変な名前。
変なやつ。変な名前。
わたしはなんどもなんども、
心の中で繰り返して見るのだった。
(おわり)
[作成2010/9/13-16]
(原稿用紙換算66枚)
2016/11/22 朗読まで掲載