ステーション

(朗読) 

ステーション

 これは物語の外のことなのだが、わたしは近頃、ある招待状を郵送されたのであった。それはポストに幸せそうな仕草で投げ込まれていた。

 朝方取り忘れて、置き去られた新聞の上に、電気の領収書と一緒に載っているのを、わたしは何気なく手にした。そうして手にしながら、わずかばかりの感慨に耽った。けれどもそこは集合受けだったから、誰かが来るよりも早く、わたしは階段を踏み出さなければならなかった。ようやくマンションの一人部屋へ辿り着いたとき、そっと封を開いてみたのである。

 内容はすぐに把握した。しばしの眺めの後に、記すべき点を記して、ほどなく返信をポストに投函した。それからしばらくした頃のことである、こんな夢を見たのは……



 ある国際都市に向かって、浮遊列車は疾走していた。自分はまだ子供であって、妹を連れ出して、冒険がてらに大都市へと向かったのである。

「ほら、あそこに見えるのが僕らの学校だ」

「嘘だあ。あんな小っちゃくなあい」

「遠くだから、小っちゃく見えるんだ」

なんて、知ったかぶりをしながら、駅を離れた列車だったが、もうずいぶん都会へ入ってきた。今日はうちの学校は休みである。向こうでは、

「なあ、あの映画、面白かったろ」

「だって今どき、平面映画なんて」

「馬鹿だなあ、それがレトロなんだよ」

なんて、若者二人が会話を繰り広げている。

 カラフルな色調の服装を着こなして、屈託もなくはしゃいでいた。

「ねえねえ」と妹が袖を引っぱってくる。

「なんだよ」と答えると、

「なんの映画だろうね」なんてひそひそ聞いてくるから、大人向けの映画なんか分からないものだから、ちょっと困ってしまった。とっさの嘘すら浮かんでこない。

「知るわけないだろう」

とつっけんどんに済ませてしまった。

 スピーカーから、次の停車駅が流れてくる。若い女の声だった。日本語と英語で話しかけてくる。企業戦士じみたサラリーマンが、マンネリズムの戦闘服を着て、

「課長の髭が、これがたいした髭だから」

「あれは、にせ髭じゃないのかな」

なんて、二人でささやきあっている。別のところに座っているOLは、端末を眺めていた。



 自分は妹と一緒に椅子に座っている。もっとも平日のこんな時間帯だから、ほとんどの人が座席に休んでいた。ポケットには生まれて初めて買ったキップを握りしめている。これを無くしたら、大変なことになるのだから、大切にしなくっちゃならないんだ。

 もちろん、その頃でも、コインとキップは使用されていた。

 電子マネー以外の廃止については、何度も法案が見送られて、今期も国会でもめている最中らしい。もちろん自分は子供だから、そんなことは知らなかった。端末にも少しはマネーが入ってるけれど、それで支払うと、すぐ親のところへ連絡が伝わってしまう。だからコインを使うことにしたのであった。

 強化ガラスは外側へ丸みを帯びている。

 下界は遥かかなたにある。

 高層建築が群がっている方へ向かって、陽ざしがきらきら差して眩しいくらいだ。雲がぷかぷか流れていく。紫外線が遮られて、眺めるくらいの明るさに調整されているから、ちっとも眩しくなんかなかった。

 街路樹を並べた大通りや、緑化計画の進んだ壁面や、屋上のところどころから、すがすがしい深緑が覗きこんでいる。このあたりは、低階層の屋上を公園とした、景観条例にもとづく町並みらしい。窓を覆い尽くすような高層ビルはひとつもないのだった。

「すごいすごい」

と妹がはしゃぐから、

「ほら、河が見える」

と指差してやった。本当は自分も相当にはしゃいでいる。ただ兄さんぶって、辛うじて説明面を保っているのだった。

 その頃、二人は、よく一緒に遊んでいた。また妹は、自分になついて、よく従ってくるのだった。もっとも、時にはどっちが従っているのだか、分からなくなるときもある。そのくらい無頓着に遊び回っていたのであった。

 河口を控えた大河を越すときに、乱反射する水面(みなも)のなかに、風変わりな舟が浮かんでいるのが見えてきた。木で造ってあるうえに、提灯なんか並べられている。そうして平べったい。

「ねえ、あれはあれは」

と袖を引っぱるから、

また知ったかぶって、

「今日は大花火の日なんだ」

と説明した。

「見たい見たい」と騒ぎ出すので、自分も急に見たくなってくる。けれども夜までに帰らなかったら、さぞかし叱られるに違いない。違いないけれども、誘惑に勝てるかどうか自信がなかった。



 向こうのドアがスッと開く。

 車掌さんが見回りに歩いてくる。

 元気な紺(こん)に、色違いの縞模様が印象的だ。帽子もかぶっている。

「いいなあ。あれが着てみたいなあ」

と思わず呟いたら、

「それじゃあ列車に働らきゃなきゃ」

と妹が諭すので、自分は本気になって、

「ああ、きっとそうするさ」なんて答えている。

 車掌が行ってしまうと、アナウンスが、

「次のステーションは」

と告げ始めた。

 窓枠のディスプレーに駅名が表示されて、やがて静かになった。

 父さんが教えてくれたっけ。

 何でも昔は、いたるところに商品の説明やら、番組の宣伝が貼り付けにされたり、ニュース解説やらコマーシャルがディスプレイに流されていたこともあったそうだ。

「だがな、音楽にせよ、ディスプレイにせよ、広告にせよ、市井の人々のなかには、それに興味のある人も、興味のない人も、またかえって嫌がる人も、いろいろな人がいるだろう。だから誰もが使用するような、公共の施設には、そのような特定の趣味に合わせた紹介を加えたり、ましてや特定の商品や番組と結びついた放送を流したりするのは良くないに決まっているから、ずいぶん昔に公共設備等枠組法案によって、すべて取り払われることになったんだ」

父さんはそう説明してくれたのだった。自分は、幼いものだから、

「ええ、いろいろなものが見られた方が面白いのに」

とブーイングをすると、

「子供のうちは面白いだけでもいいんだが、面白いの上にはもっと豊かな情緒が沢山あるんだ。だから、景観というものは、面白いだけじゃ駄目なんだ。それに気がつかないで、いたるところに面白いを求めているとね、人の頭を叩いても面白い、相手を罵っても面白い、野獣のように叫び声を上げていれば幸福だ、そんな不気味な社会が生み出されてしまうんだよ。現にそうなって滅んでしまった文明だって世の中にはあったのだ。学校の歴史で習わなかったのか」

なんてムキになるから、慌てて、

「うん、習ったよ」

と答えて済ましてしまった。実は全然覚えていなかった。というより、そんなことは学校で教えないような気もするけど……そう言えばあの日は、妹はそばにいなかったっけ。



 しかし、椅子に近いところのディスプレイは、タッチパネルで操作すれば、簡単に情報を取り出すことが出来るようになっている。兄きぶって適当にいじっていると、現在地の観光情報とあるから、これだなと思って触れてみた。さっそく大花火の説明が表示る。

「ほら、大花火のことが載っているだろう」

「うん、なにこれ。歴史って書いてあるね」

と勝手にタッチしてしまうから、トップの情報を読む前に、

「この大花火はかつての花火職人の何とか左右衛門が……」

なんて説明が始まってしまった。それから面白くなって、二人してしきりにパネルを操作してみる。

「あれ、これじゃあ先に行かないのか」

「駄目だよ、お兄ちゃん、そっちはまだだよ」

 なんて、穏やかな浮遊列車に、子供が二人ではしゃいでいるものだから、とうとう向かいに座っていたおじさんが、コホンといって咳を立ててしまった。

 自分は年長だから、いち早く悟って「しーっ」と妹に人差し指を突き立ててみせる。妹もそれを真似して、「しーっ」とするので、向こうのおばさんが、こっちを眺めてほほ笑んでいた。自分はそれで、満足した気分になれるのだった。



 列車は、ようやく高層建築のなかへと紛れ込んだ。

 両側から沢山のビルが押しよせてくる。

 所々に、深緑で満たした中空庭園が、色とりどりの花壇とたわむれたり、不思議な白い花を咲かせてみたり、そうかと思えば、沢山の自動車の走りさなかを駆け抜けていく。

「わあ、車より高い」

なんて妹が覗き込むのは、下の方を走る車道には違いなかった。

 もっとも、大地を走っているのは一番下だけである。

 それ以外のものは、浮遊列車と同じで、専用空路を飛び交っている。速度は自動制御されているから、渋滞だってないし、操縦だって禁止されている。もちろんハンドルは、地面でしか使用できないのだった。

 音なんか立てないものだから、すいすいと静かな流れである。この列車は無理だけれども、車なら窓を半開きにして、鳥の声を聞くことだって可能だった。つい嬉しくなって、

「わあい」

と大声を上げそうになって、危ういところで押しとどめた。どうも子供なんだから、すぐにまわりの状況を忘れてしまう。大人に叱られたんじゃ、兄としての体面に関わるから、気をつけなくっちゃならない。



 向こうの方では、サラリーマンが端末を眺めている。

 新聞でも読んでいるのかも知れない。

 情報は端末で、お気に入りの小説は「めくり読み」をするのが、近頃のブームである。だから入口近くの青年は、捲りながらに文庫本なんか読んでいる。とても最先端の風情じゃない。かつて自分がこれに異議を申し立てたら、父さんは、

「人というものは、生物の持つ本能から、消せるものと、消せないものを区別するように出来ているんだ。文庫本として読んだら、ある特定のひとつ限りのものとして、それをこころに留め置くことがたやすい。けれども、端末で読み流したら、それは単なる情報の羅列になってしまう。だから情報を取り出すのが目的の時には、大いに端末を利用するのだが、はやり読みではなくって、こころに焼き付けておきたいとびっきりの小説は、実体で読んだほうがいいんだよ」

なんて説明してくれたものである。

もっともそんな説明の半分も、

自分は理解しきれなかったっけ……



 列車がざわざわし始めたかと思ったら、

「お兄ちゃんもう駅じゃないの」

と妹がまた裾を引っ張り出した。

「こんなに人がいて、大丈夫?」

なんて心配してくるから、実は自分も、心配でどきどきしているのだったが、

「いいか、絶対に離れちゃ駄目だぞ」

と兄さんぶったところを見せつけにした。

 自分たちは二人でひとつの端末しか持っていないから、ちゃんと連絡が取れない。子供だけに不自由である。妹はこくこくと頷いていた。

 やがて、ガラスの向こうに、巨大な建造物が見えだした。斜めに緩やかなカーブを描くから、プラットホームの並んだステーションの光景が、鮮やかに映し出されたのである。

「すごいや。あれが全部路線になっているんだ」

なんて見とれていると、ほどなく、その中へ吸いこまれてしまうのだった。



 みんなの後ろから、開いた扉を降りてみる。

 妹がおそるおそる付いてくる。

 二人はおのぼりさんよろしく、ステーションのあまりのスケールに驚いて、しばらく呆然としているのだった。

 降り立つと、隣のプラットホームとの間にさえも、低木が列になって植えられている。人口の小川さえ設けられている。向かい側もそうだ。それでいて、空調を効かせすぎない初夏のさわやかを残したまま、名前も知らないような赤花が花壇を飾っているのだった。売店がまるで出店のようにして、その川辺に佇んでいる。それでいて、他のところは、まるっきり現代建築の粋を集めたような造りになっているのであった。

 本当にこれが駅なのだろうか。

あんまりすごいんで、きょろきょろ見渡していたら、

「天井がなあい」

と後ろから声がした。

 自分はそれを聞くまで、すっかり妹を忘れていた。なんだか新しい刺激に唆(そそのか)されて、妹への関心が薄れつつあるような気配がした。

 一緒になって、天井を見あげると、ずっと高いところまで持ち上げられている。はるか上方に、ようやく照明が連なっていた。ホームの向こうにある改札近くは、上まで吹き抜けになっているらしい。透明なエレベーターが、立派そうに控えているので、二人は一緒になって駆けだした。

 吹き抜けを眺めると、はるかかなたまで何もない。

 抜けていく先に青空が見えたので、さすがにガラスの天井だなと思ったけれど、妹はまだ馬鹿なものだから、

「大変、雨が降ったらどうするの」

なんて心配している。

 自分はさっきの列車の窓が、あそこにもはまっているのだと説明していい気になった。けれどもアトラクションのことを思い出したから、慌てて妹の手を引きながら、

「もうひとつ列車に乗らなくちゃ」

「ええ、まだ乗るの」

「あとひと駅だから大丈夫だ」

そう言いながら、端末でプラットホームの番号を確認している。自分は早熟だったから、この種の端末操作だけは、得意だった。

「あっちだ」

といって走りだした。



 ステーションは人だかりを吸収してあまりあるスペースだ。

 大勢いる割にはゴミゴミしていない。

 走り戻る途中には、芭蕉なんかも植えられている。なんとなくばさばさしているのが印象的だ。その横には、色彩ガラスの発光するオブジェが、丸みを帯びた表情を煌めかせているのだった。

「なんだろう」

と妹が立ち止まる。

「これはムツゴロウだ」

自分は決めつけにした。

「ムツゴロウ?」

「そうさ。海の泥になったところに、こんな親子がにょろにょろ歩いているんだ」

「ふうん。かわいいねえ」

 たしかに、縦に三匹、色を違えて、背中に乗っているのは面白い。妹がすっかり立ち止まってしまったから、

「ほら、急がないと間に合わなくなるだろ」

と懸命に引っぱった。

 不思議なことにその温もりが、今でも思い出されるような気がする……



 けれども、走り込みながら乗りこんだら、扉がすっとしまった。

 振り向くと、妹が乗りこんでいないのだ。

 しまった、乗り遅れたのか。慌てて扉のところで、つま先を伸び上がると、ガラスの向こう側に、妹が泣きべそを掻いている。

 自分は懸命に、

「そこで待っていろ」

と叫んでみたが、声が外へもれる訳がない。きっとまわりの乗客たちは驚いたろう。

 ああ、こんなことなら、せめて端末を渡して置けばよかった。次の駅から戻るにしたって、ちゃんと待っていられるだろうか。はなはだ心配になってくる。そうして心配しながらも、ステーションは遠ざかってしまうのだった。



 駅を逃れた列車は軽やかだった。

 けれども、これは列車だかバスだか分からない。

 すぐ途中から、浮遊する車道にもぐり込んでしまう。行き交う車は丸みを帯びて、機能的にすいすいと流れていく。もちろん速度は変わらない。さまざまな色彩のボディを、それぞれにかざして喜んでいる。まるで動物のようにさえ思われるのだった。ビルの合間に影が差すと、そのたびにさっと黒ずんで、またカラーを回復させる。一駅区間は短かった。

 列車のスピードが緩やかになる。

 そわそわして落ち着かない。

 あいつはまだ馬鹿だから、その場で泣き騒いだりして、駅員に掴まってしまったかも知れない。親にでも連絡されたら、目的すら果たせない上に、辛いお叱りを受けることは間違いないんだ。

 まったくドジな奴。

 もっときびきび動けないのか。

 ムツゴロウなんか見ているから、こんなことになるんだ……なんて、急に憤慨を始めてしまうのだった。



 それにしても……

 冒険を言いだしたのは妹である。

 私は長男の臆病者の性質を持っていたから、仲間がいるときは立派なくせに、目的が決まっていればキビキビ行動するくせに、そのための機動力がなかなか湧いてこないのだった。いつも誰かの発案に乗っかって、無頓着にリーダーを決め込んでしまうような、勝手なところがあった。ようするに、妹の向こう見ずな機動力に、どれほど救われているか、別の言い方をすれば、多少なりとも立派な兄であると、どれほどうまく錯覚させられているか、分かったものでは無かったのである。



 扉が開いたから、慌てて飛び降りた。

 それから、反対側のホームへ。

 さっきのステーションとは違って、小さな駅だから、機能的に上下二車線を分割して、真ん中にホームがあるだけである。だから、開いたままの隣列車に乗りこんで、妹の安否を気遣っているのだった。

 しかし、席に座っていると、次第に心配がだらけてくる。

 やっぱり子供だから、無頓着なずぼらさが勝るのだろう。

 そうして自分はいつしかうとうとと、うたた寝を始めたらしかった……

……再び速度が遅くなるような気がしたとき、

ようやく目が覚めたのである。



 夢の中の眠りだから、すぐに状況が超越してしまうのは仕方がない。

 自分は一眠りする間に、いつしか、大人の姿に戻っているのだった。

 そうして、何か、目的を持って、ステーションへと向かっているらしかった。

「おかしいな、妹を残してきたような気がするのだけれど……」

なんて寝ぼけながら、端末を取り出して、メールを開いているうちに、ようやく思い出した。

 ああ、そうだった……

 あれから、もう、二十年以上経ってしまったんだ。

 プシュッと開く扉は軽やかだった。自分はあの日の冒険みたいに、人々の後ろから、ようやくプラットフォームに降り立った。

 ふと顔をあげると、待合の向こうに、妹が手を振っている。

けれども、隣に立っているのは、もう自分ではなかった。

見たこともないすらりとした青年が、自分より立派な姿で佇んでいるのである。

 二人は今度結婚するのだという。自分は妹におめでとうを伝えるために、このステーションへ降り立ったのだった。向こうの方では、例のムツゴロウたちが、こっちを見てほほ笑んでいる。なんとなくきまりが悪くって、自分はわざとだらしなくして、二人の方へと歩み寄るのだった。

             (おわり)

作成

[2010/4/16-4/17]
(原稿用紙換算22枚)

2010/4/17

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